第1章 個人

 (最新見直し2008.2.7日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、天野貞祐「国民実践要領」の「第1章 個人」を確認しておく。

 2008.2.2日 れんだいこ拝


第1章 個人
(1) 人格の尊厳 人の人たるゆえんは、自由なる人格たるところにある。我々は自己の人格の尊厳を自覚し、それを傷つけてはならない。
我々は自己の人格と同様に他人の人格をたっとび、その尊厳と自由とを傷つけてはならない。
自己の人格をたっとぶ人は必ず他人の人格をたっとぶ人である。
(2) 自由  我々は真に自由な人間であらねばならない。真に自由な人間とは、自己の人格の尊厳を自覚することによって自ら決断し自ら責任を負うことのできる人間である。
己を恣(ほしいまま)にする自由は却って己を失う。己に打ち克ち道に従う人にして初めて真に自由な人間である。
(3) 責任 真に自由な人は責任を重んずる人である。責任を伴わぬ自由はない。我々は自己の云うところ、為すところについて、自己に対し、また他人に対し等しく責任を持つ。
けだし我々は自己と他人の人格を尊重し、且つ完成せしめるように、常に努めねばならないからである。無責任な人は他人に迷惑を及ぼすだけでなく自己の人格をも損なう人である。
(4) 我々は暖かい愛の心を失ってはならない。愛の心は人間性の中核である。
我々が互いに他人の欠点をも許し、人間として生かしてゆくのは愛の力である。大きな愛の心は罪を憎んで人を憎まない。
(5) 良心 我々は常に良心の声に聞き、自らを偽ってはならない。
たとえそのために不利不幸を招くとも、あくまで真実を守る正直な人は世の光、地の塩である。
(6) 正義 我々はあくまでも不正不義を退け、正義につき、私心私欲を捨てて公明正大であらねばならない。
(7) 勇気 我々は正しいことを行い邪悪なことを克服するために、どのような妨害にも屈しない勇気を持たなければならない。血気の勇は却って事を誤り、真の勇気ではない。
但し、その実行にあたっては思慮の深さがなければならない。暴勇は真の勇気ではない。
(8) 忍耐 我々は困苦の間にあっても、あくまで道義を操守する忍耐を持たなければならない。
人間は弱い者であり、困難や苦痛にあえば自暴自棄に陥りやすいけれども、その暗い逆境に耐え、愛情を持ち続け、正義の道を踏むことこそ、人の世の光である。
(9) 節度 身体と精神とが健全に形成され、人間が全人格的に調和ある発展を為すためには、節度が必要である。己に克ち節度を失わぬところにこそ、人間の本来の強さが現れる。
節度を破った生涯は、一見強そうに見えることもあるが、実は弱さの印しである。
(10) 純潔 我々は清らかなものに対する感受性を失わぬよう心がけねばならない。清らかなものに対する感受性は、道徳生活の源である。
心情は純粋に、行為は清廉に、身体は清潔に保ちたい。
(11) 廉恥 我々は恥を知らなければならない。恥を知ると云うことは、不純で汚れたものを厭うことである。
恥を知る人は、偽善や厚顔無恥に陥ることなく慎みを失わない。
(12) 謙虚 我々は他人に対しては謙虚な気持ちで接し、傲慢に陥ってはならない。
自らの至らぬことを自覚し、他人の短所に対しては寛大であり、他人の長所を宇k理れることによってのみ、人間相互の交わりは正しく保たれる。
(13) 思慮 事を為すにあたっては思慮の深さが必要である。我々は現実の事態を見極め、且つ広いし視野を持たなければならない。
一時の感情や欲望に捉われて事態を正しく認識することがなければ、多く事を誤るであろう。遠き慮(おもんばか)りがなければ、必ず近き憂いがある。
但し思慮は断交する勇気を伴わなければならない。思慮深きことは優柔不断とは別である。
(14) 自省 我々は常に自己を省(かえり)みるように努めねばならない。汝自身を知れという教えは道徳の根本的な要素である。
自分自身を知ることは、自分の無知を知ることから始まる。知らざるを知るはこれ知れることである。
(15) 知恵 我々は人生について深く豊かな知恵を養わなければならない。
知恵豊かにして深い人は、順境におごらず、逆境に屈せず、人生を愛し、安んじて立つところを持つ。
(16) 敬虔 我々の人格と人間性は永遠絶対なものに対する敬虔な宗教的心情によって一層深められる。宗教心を通じて人間は人生の最後の段階を自覚し、ゆるぎなき安心を与えられる。人格の自由も人間相互の愛もかくして初めて全くされる。
古来人類の歴史に於いて人の人たる道が明らかになり、良心と愛の精神が保たれてきたことは神を愛し、仏に帰依し、天を崇めた人達などの存在なくして考えられない。




(私論.私見)