日本在地型社会主義その2、戦後日本の歩み |
(最新見直し2006.5.6日)
【従来の日本左派運動のどこが間違いなのか考各論、戦後社会のプレ社会主義性考】 | |||
「戦後日本の歩み」を総論する時、「大東亜戦争の敗北後の敗戦国日本のその後の歩みをどう評するべきか、これを問い直さねばならない。れんだいこは、大東亜戦争の敗北と引き続いて発生した米ソ体制冷戦により、戦後日本は僥倖にもプレ社会主義憲法秩序とも云える蓮華国家に転生した」という史観を提供したい。 「この認識はよほど重要であるが、戦後直後の左派運動は、僥倖にもプレゼントされたプレ社会主義憲法秩序をそれとして受け止めることなく、徒に教本通りに反政府、反権力運動に傾斜していくことになった。真に有能な指導者が現われておれば、プレ社会主義的戦後日本論を創出すべきであった。これにより、プレ社会主義的戦後日本秩序擁護運動という史上珍しい運動を指針させたであろうが、当時の誰もこの観点を持たなかった。そういう誤りはあったが、これを担う人たちには赤い精神が漲っていた。それが救いである」という史観を提供したい。 戦後日本の与党権力を与った自民党は、ハト派とタカ派の二頭立てであった。ハト派は、「愛国的社会主義の原理」に則り、1・自己責任を軸に個人の自由、2・企業の自由、3・それを補完する最低限水準の保障による平等を尊重しつつ日本型社会主義政治を目指した。この頃の社会は、経済は実需的で投機的ではなかった。 山陰氏は、次のように述べている。
ソ連崩壊後、中国は社会主義市場経済という体制移行を図り始めた。 山陰氏は、著書「世界最終戦争」の「社会主義の時代は終わった」の中で次のように述べている。
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【従来の日本左派運動のどこが間違いなのか考各論、最低限社会保障制度考】 | ||
山陰氏は、明治、大正、昭和の過程で注目されることとして、最低限社会保障制度を称讃している。灘尾末吉の歩みを高く評価し次のように述べている。
山陰氏は、著書「世界最終戦争」の「社会主義の時代は終わった」の中で次のように述べている。
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【従来の日本左派運動のどこが間違いなのか考各論、1955年体制考】 |
「敗戦より十年目の1955(昭和30)年を境目にして、左右何れも政界が大変動した。この時、共産党党中央の指導権が野坂ー宮顕と云う戦前来の悪質白色分子の手に握られることになり、以降変調運動に出していくことになった。これを仮に日共サヨ運動と命名する」という史観を提供したい。 |
【従来の日本左派運動のどこが間違いなのか考各論、新左翼運動考】 |
「そういう日共の変調運動を批判して生まれた新左翼運動もその多くが、戦後のプレ社会主義法秩序をそれとして受け止めることなく、逆にポツダム憲法解体を呼号した。彼らは、野坂ー宮顕的日共運動を白色運動と評する視座を持たず、反スターリニズムという変調批判にすり替えることで免責した。彼らは、日共の穏和運動に対抗して徒に先鋭的な反政府反権力運動に傾斜していくことになった。それは表見的ながら護憲運動に向った日共サヨ運動よりももっと大きな誤りを犯した。そうではあるが、これを担う人たちには赤い精神が漲っていた。それが救いである」という史観を提供したい。 「かくて、戦後の左派運動は日共系であれ反日共系のそれであれいずれも、エセ左派運動を左派運動の如く盲信して消耗な運動に取り組んでいくことになった。それは進めば進むほど現実から遊離するぬかるみ運動でしかなくなった。多くのマルクス本が生まれたが本質的なところで何の役にも立たなかった。現下の左派運動の貧困は、戦後のプレ社会主義法秩序をそれとして受け止めなかった観点の歪みにこそある」という史観を提供したい。 |
【従来の日本左派運動のどこが間違いなのか考各論、政府自民党内ハト派考】 |
ならば、真性左派運動はどこに潜ったのか。れんだいこは、「1955(昭和30)年を境目にして結党された自由民主党内の中に、僥倖にもプレゼントされたプレ社会主義憲法秩序をそれとして受け止め、これを活用した勢力が胚胎した。俗にハト派と云われるが、この連中こそ在地型社会主義という史上例の無い創造的マルクス主義者であった可能性がある。そのハト派はタカ派と寄り合い世帯しながら、賢明懸命に戦後日本の誤りなき指針をリードし、軌跡の復興と高度経済成長社会を創出した。彼らは、戦後のプレ社会主義法秩序を更に推進した」という史観を提供したい。 「この時期、在地型社会主義という創造的マルクス主義の実践者であったハト派が日本の政府与党権力を握った。これは世界史上稀有な例で、角栄ー大平同盟はその精華であった。角栄ー大平連合の中にこそ戦後日本の左派運動の精神が宿され、目立たぬながらも育てられていった。角栄ー大平同盟は護送船団方式と云われる官民協働によって戦後日本を牽引した。この時期、戦後日本は、世界史上米国に次ぐ富国の地位にまで上り詰めた」という史観を提供したい。 「この時期、世上で云われる左派は口先の体制、権力批判運動に終始しているだけの無責任なものであったのに比して、角栄ー大平連合は政治の要諦である政権を握り締め、与党責任政治で舵取りしていった。角栄ー大平同盟は、自民党内ではタカ派を風下に御し、野党に対しては適宜その効能を発揮せしめるように配慮するという高度な政治手法を採った」という史観を提供したい。 「日本左派運動も又、日共サヨにせよ新左翼にせよ、角栄ー大平同盟の大御心的庇護下で活動が保障されていたことが後に判明する。それを思えば、願うらくはこの時期、戦後の左派運動は政府自民党内ハト派と地下連携すべきであった。実際には、日共サヨはハト派と対峙し、シオニスタン系タカ派と是々非々で親和するという反革命的立ち働きをしている。日共サヨの胡散臭さはここに極まっている」という史観を提供したい。 「他方、新左翼系は、政府自民党内のハト派とタカ派の政治抗争に関心を示さず、体制転覆革命一色論法で反政府反権力運動に傾斜していくことになった。この運動が随所で破産し、一場の夢であったという思いを今無慈悲にも知らせられつつある。しかし、闘いこそが学びであるとすれば、闘ってきたこの諸党派の中からこそ新たな智恵が生み出される可能性がある」という史観を提供したい。 「在地型社会主義という創造的マルクス主義の実践者であったハト派の精強軍団角栄ー大平同盟は、国内的には政治的圧勝していたが、世界を牛耳る国際金融資本裏政府ユダヤがこれを許さなかった。1974年、角栄は用意周到に仕組まれた立花隆の「田中角栄−その金脈と人脈」の号砲一発で退陣を余儀なくされた。余力を残して退陣した角栄におい伏せのロッキード事件が見舞われ、角栄は以降公判に捉われる身となることで政治的影響力を殺がれていった」という史観を提供したい。 |
【従来の日本左派運動のどこが間違いなのか考各論、政府自民党内タカ派考】 |
「角栄ー大平同盟の代わりに台頭したのは、自民党内の第二派閥福田派と第四派閥中曽根派のどちらもシオニスタン系タカ派であった。ロッキード事件にも拘わらず鉄の結束を誇っていた角栄派の中から竹下ー金丸連合が飛び出し経世会を立ち上げた直後、角栄は脳梗塞で倒れ、以降政治的影響力を完全に失った。角栄ー大平同盟は党内タカ派の風上に立ったのに対し、竹下ー金丸連合は、タカ派の風下に立ちながら政治的影響力を保つという違いが認められる。これを仮に『ねじれハト派』と命名しておく。以降、日本の主体的主権的なハト派政治は終焉した」という史観を提供したい。 「以来今日までの政局は、シオニスタン系タカ派が、『ねじれハト派』を上手に巻き込みながら、次第にシオニスタン系タカ派の一人勝ち的構図へ誘導した経緯である。この間、角栄ー大平同盟時にこれを裏支えしていた民社党、公明党、社会党もシオニスタン化させられていった。日共は当初よりシオニスタン化しており、この過程を左から牽引した。角栄の政界追放過程の日共の胡散臭い立ち回りが今日改めて検証されねばならない」という史観を提供したい。 |
【従来の日本左派運動のどこが間違いなのか考各論、ソ連邦崩壊考】 |
「1991(平成3)年、ソ連が崩壊した。以降、世界史は戦後冷戦構造から米英ユ同盟による一極支配体制に移行した。一極支配体制による強権政治が始まるや、彼らは中近東に於ける大イスラエル帝国創出に向かい始め、そのことによりイスラム圏との衝突を引き起こすようになった」という史観を提供したい。 「彼らの大イスラエル帝国創出には深い歴史的背景がある。専らネオ・シオニズム(シオニスト)がこれを牽引しているが、その狂信性は近似のあらゆる原理主義的右派宗教の震源地となっている。問題は、それが単に教義に止まるのではなく、用意周到な準備の上政治的実践に移しているところにある。故に、彼らの教義を対自的に検証するのが早急の課題となっている」という史観を提供したい。 |
【従来の日本左派運動のどこが間違いなのか考各論、細川政権考】 |
「1993年、日共を除く非自民6党の連立内閣による細川政権が誕生した。これによりこの間38年間続いた自民党政権が野に降った。細川政権はいわゆる55年体制を崩壊させ、新時代の幕開けを感じさせる画期的な役割を果たしたが約8ヶ月間の短命内閣となった。細川政権を短命にさせた主体的能力の弱さ、自民党、社会党、日共の動きを含めた細川政権の功績と限界を総括することが望まれている」という史観を提供したい。 「自民党は、細川政権倒壊に当って、社会党左派系の村山を首相に据えることで55年式自社体制を復活するという裏技で、与党権力を回復した。社会党の馬鹿さ加減が極まり、遂に党として消滅するという憂き目に至る。以降、自民党は公明党を巻き込み長期安定政権に向うことになった。他方、細川政権を誕生せしめた連立6党は有為転変を繰り返す。この流れの中で終始能力を発揮したのは元角栄派であり、その後の政局流動の真の牽引役となっている」という史観を提供したい。 |
【従来の日本左派運動のどこが間違いなのか考各論、小泉政権考】 |
「2001年、自民党総裁選で名うてのシオニスタン系タカ派の小泉純一郎が当選した。小泉政権は中曽根以来の親ユダヤ政策を強行に推進し、日本の米英ユ同盟の傭兵国化することで支持を取りつけ、久々の長期政権に入る事になった。この政権の下で大政翼賛会化が進行し、与野党一致の憲法改正が目論まれることになった」という史観を提供したい。 「2001年、米国で9.11テロが発生した。真相は以前闇となっているが、これによりネオコンと呼ばれるネオ・シオニズムがアフガン懲罰戦争、イラクのフセイン政権打倒戦争を引き起こし現在に至っている。いずれも彼らの大イスラエル帝国創出運動青写真から引き起こされている」という史観を提供したい。 |
【従来の日本左派運動のどこが間違いなのか考各論、小沢の最後の勝負考】 |
「以下...」。 |
【れんだいこの纏め】 |
れんだいこは、近現代150年の歴史を凡そ以上のようにスケッチする。いずれにしても、左派運動はシオニスタン系タカ派に押し捲(まく)られつつあり、現実は過去のどの時期よりも最悪だ。この現実に対して、根本からの理論切開せねばならないだろう。日本左派運動のねじれを質す為の原因の解明と的確な処方箋を提起せねばならないだろう。かくて、名医れんだいこのお出ましとなる。 2006.4.25日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)