れんだいこの在地型社会主義の総力研究序文 |
(最新見直し2007.5.4日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
れんだいこが「在地型社会主義」の研究サイトを立ち上げようとしたのは、日本左派運動が何やら袋小路へ入り込んでいることに気づいたからである。日本左派運動は、戦前の治安維持法体制下とは違う合法時代の戦後に於いて、何ゆえかくも大衆的支持を受けられないのか。このことを深く思慮せねばならないと思っている。 それは大衆の心の琴線に触れていないからではなかろうか。この場合、大衆に責任があるのではなく、否大衆は賢明で、自分たちの感覚を言葉にする左派運動がないだけで、案外事態の本質を見抜いているのではなかろうか。故に心を許さないのではなかろうか。この原理が分からない日本左派運動牽引諸党派の方にこそ問題があるのではなかろうか。れんだいこはそう思い始めている。ならば、その諸要因を解析せねばなるまい。そういう気持ちから本サイトを設けた。誰かが指摘しやり遂げなければならない研究ではなかろうか。 分かりやすくする為に例え話から入る。人は、仮に東京駅に立ったとして、北海道へ行くのに鹿児島行きの切符を買わないだろう。徒歩で行くにしても北へ行くのに南へは向わないだろう。ところが、日本左派運動にはそういう愚が纏っている。あるいは、東北本線に乗ったまでは良いが、とある地点で関所が設けられ、わき道へ誘われたのに気づかず街道をそれてしまう。そこを何とか通り越していよいよこの向こうが北海道という津軽海峡まで辿り着いたまでは良いものの、水泳で渡ろうとしたり、いかだ舟で渡ろうとしたり、足を引っ張りあったり、何やかにや理屈つけて到達しようとしなくなる。日本左派運動にはそういう愚が纏っている。 人は、八百屋へ行ってリンゴを買うのにミカンを手に取らないだろう。ところが、日本左派運動にはそういう愚が纏っている。つまり、日本左派運動は、当人の主観と意志がどうであれ、山へ魚を捕りに川へ木の実を求めていったきらいがある。だから、云っていることとやっていることの辻褄が合わない。それを内省しない。時には、ミカンを赤く塗ってリンゴだと云い無し居直ったりする。この種の論法を磨くのが左派運動だと勘違いしたまま学習に励んだりする。党史のご都合主義的書き換え、不都合事項の隠蔽も常習である。だから、いくら学んでも否学べば学ぶほどバカになる。その種の学習で余計にバカにされた人士が巷に溢れている。 れんだいこは存命中に、その愚を指摘するばかりでなく、本来のものへ軌道転換させたいと思う。本物が尊ばれ、これを学習すればするほど元気になったり楽しくなったりする本来のものへ直そうと思う。それは、青年期のかってこの運動に関わった者としての自己検証の問いでもある。 2006.4.24日、2007.5.4日再編集 れんだいこ拝 |
【従来の日本左派運動のどこが間違いなのか考総論】 |
れんだいこなりの「共産主義者の宣言」と「シオンの議定書」の相関関係考によって明らかになったことは次のことである。マルクス主義者は、始祖マルクスの「ユダヤ人問題について」のスタンスに規定され、「ユダヤ人問題」の特別論及を放棄し、ひたすら当該地の反政府反体制的革命運動に執着してきた。いつの世でも、当該地の権力の性格ないしは能力に不平を覚え、より望ましい社会創出を夢見るのは若者の特権であり、そのこと自体は望ましい。これを治安維持法的に規制する権力体があれば、これと闘うのは正しい。その限りで、これと最もよく闘ったマルキストは誉れであってもその逆ではない。 史上にマルクス主義登場以降、被抑圧人民大衆の解放の思想的武器としてマルクス主義がその任に当たってきた。この思想あればこそ、世界各地で反国家反政府闘争が意欲的組織的理論的に展開されるようになった。その後はともかく革命そのものには首尾よく成功した事例もままあるし無数の敗北事例もある。ともかくも合言葉は「万国の労働者、被抑圧人民団結せよ」であった。バイブルは「共産主義者の宣言」であった。誤訳によりその価値が減ぜられ、書名ばかりが有名で中身についてはあまり読まれていないが。 しかし、物事には表もあれば裏もある。マルクス主義誕生の同時代にシオンの議定書が存在し、その後の歴史の進行を見ると、この教本通りにネオ・シオニズムが世界を席巻しつつあることが判明する。今や、世界の主要国の政財官学報の五者権力は彼らの下僕でしかないネオ・シオニスタンによって牛耳られており、イスラエル擁護と戦争政策と原子力政策と借金政策に奉仕しぬいている。その汚染は、もはや如何ともし難いほど病膏肓している。 世上の権力に於いて、最も悪質にして強力なのは「シオンの議定書」的ネオ・シオニズム運動である。当該地の国家及び政体は、国内の反体制勢力に脅かされつつも実際にはそれほどの大きな暴動は起らず、その裏でネオ・シオニズムに確実に侵食されつつ経過してきたのが実態である。西欧史上の王室はほぼこれでやられた。最後に召し取られたのがロシアのロマノフ王朝であった。地理的なこともあって、日本の皇室は保全された。 以上を踏まえれば、マルクス主義が、当該地に於ける反政府反体制的革命運動に取り組むのは無論のこと、「シオンの議定書」的ネオ・シオニズム運動とも闘わなければ俗に云う片手落ちだろう。しかるに、マルクス主義は、その理論の中に「シオンの議定書」的ネオ・シオニズム運動との闘いの責務を記さなかった。それ故に、世上の通俗的マルクス主義運動は、ネオ・シオニズム派に都合の良い形で利用されてきた。ありていに云えば、これを下僕運動と云う。れんだいこは、これを誰が創始したのか知らないけれどサヨ運動と名付けている。 以上のことは、れんだいこならずとも誰でもが気づきべき構図である。にも拘らず、なぜ意図的に気づこうとしないのだろうか。れんだいこにはそれが解せない。れんだいこは、ここに気づくまでにかなりな思想の藪の中に入った感があった。今ようやく抜け出しえた気がする。マルクス主義とネオ・シオニズムの相互関係に関して、これをどう捉えるべきか、我々は銘々が脳内で整理しておかねばならない。これを的確に把握することはかなり困難であるが、このところの検証ではっきりしたことを確認しておく。これをここで発表することで世に問いたい。 このご時世で、いわゆる左派は闘いの基準をどう設定すべきだろうか。れんだいこには、従来の公式をそのままおしゃべりし続けるのは、壊れたテープレコーダーからの経文にしか聞こえない。今や、従来路線を見直さないことは大いなる不義不誠実でしかないように思える。ならばどこをどう軌道修正すべきか、これについて考える。 2006.5.6日再編集 れんだいこ拝 |
Re:れんだいこのカンテラ時評286 | れんだいこ | 2007/05/04 |
【れんだいこ史観の評について】 いわゆるれんだいこ史観に対して、「この人の立場は右派か左派か分からん」という評が披瀝されている。れんだいこはかく返答したい。右翼左翼規定は元々フランス革命の国民議会の席次に由来しているに過ぎず、政治理論的にさほど意味のあるものではないので、れんだいこが捉われる必要はないのだが、マルクス主義を踏まえて、その限界を突破しようとしていることは確かである。 この姿勢に対して、それを右翼的と云うのなら云うに任せるしかない。どうせ相手も何をもって右翼、左翼としているのかわかりゃしないのだから。しかし、逆に問いたい。既成の理論を完結系とみなしてその墨守に拘泥するのを保守的というのではないのかな。特に昨今のマルクス主義派の閉塞を思う時、この情況で思想的営為を放棄する者は、むしろ反動とでも呼ばれて然るべきではないかな。スタンスに安座してのうのうと「一見正論」を唱える者の精神こそ安逸過ぎるのではないかな。 れんだいこに対して、「この人の立場は右派か左派か分からん」という評を為す者の政治的姿勢と立場こそ逆詮索されねばならない。恐らく、現代パリサイ派のネオ・シオ二ズムが、凡愚に分かり易く図式主義、公式主義化したウヨサヨ観に浸りきり、図式と公式から抜け出る者にレッテル貼りして楽しむ下賎の徒輩ではなかろうか。今やこういう手合いが多過ぎる。この情況にしてこうであれば、彼はいつ図式主義、公式主義、レッテル主義に疑問を持つ日を迎えるのだろうか。意味のないことではあるが、そういう興味を持つ。 例えば、冬山遭難事例で検証すればよい。困惑と疲労の次に不安と飢えと睡魔がやってくる。この時、困惑を覚えず睡魔も気にせずの遭難者がいたとしたら、よほど豪傑と云うべきだろう。やがて凍死するが、当人の意思によってそうなったのならともかくも、意思に反して凍死したとするなら誉められることだろうか。この時、他の遭難仲間が声を掛け合い身を擦り合って睡魔と闘っている時に、情況打開せんとしている時に、一人率先して睡魔を従順に受け入れている者が、仲間を揶揄するほど呑気過ぎる事はない。要するに、失礼な痴呆でしかない。 この事例で云えば、れんだいこは、遭難したことをいち早く警鐘していることになる。それもお騒がせによってそうしているのではなく、充分な根拠を持って告げていることになる。早く知れば的確な対応により脱出も可能であろう。れんだいこは、そういう役割を果たしていると自負している。実際には、仲間が次々と睡魔にやられている情況に於いてではあるけれども。しかし、まだ自力救済の道が残っている以上奮戦せねばならないのではないかと訴えている。ドン・キホーテであろうとも。 もとへ。れんだいこにもやがて睡魔ならぬ病魔がやってくる。その時までの後僅かな命火を燃やし続けているということになる。それはもはや、情況をどうこうしようというほどの熱意によってではない。青春時代に関わって以来の難問パズルを解くノスタルジアに浸っているだけかも知れない。しかし、それでも良いではないか。しないよりは。 これがれんだいこの立場である。そのれんだいこに対して、「この人の立場は右派か左派か分からん」なる評は、何と遠いところからの罵辞であることか。話が通じない御仁ではある。興味深いことに、そう痛辞する者の共通項として、ホロコースト、南京大虐殺、百人斬り事件、シオン長老の議定書、アンネの日記に対する通説の狂気的是認が認められるようである。彼らは器用に口を回す。例えば、シオン長老の議定書は偽書である云々、アンネの日記は実書である云々。口がもつれないことだわ。 何のことはないネオ・シオニスト教本の心身奴隷であることが透けて見えてくるだけの話である。れんだいこが相手するには及ばない。だがしかし、降りかかる火の粉は時に払わねばならない。 2007.5.4日 れんだいこ拝 |
【その1、「非ユダヤとユダヤの歴史的確執、地下水脈に於ける常時戦争」に通暁することの重要性】 |
「従来の日本左派運動のどこが間違いなのか」を確認しておきたい。あらかじめ結論だけ述べておけば次のように云えるのではあるまいか。 まず始めに、歴史を観る眼の問題を採りあげる。交通、通信媒体の発達により世界的交流が否応無く不可避の現在、世界のいずれの国も近現代史上の先進国西欧の渦に巻き込まれるのは致し方ない。もはや鎖国は通用しない。こうなると、「敵を知り己を知るの原則」で、もっとも影響力の強い西欧を知ることが必須になるべきであろう。 だがしかし、日本左派運動はこれまで、おざなりに綴られた西洋史をおざなりに知るだけで深く探ろうとしない。西欧を知るとは、西欧史の特質である「非ユダヤとユダヤの歴史的確執、地下水脈に於ける常時戦争」に通暁することである。我々は、このことを知り、これに関する目線を保持すべきではなかろうか。この指摘がサヨ族にはさっぱり通用しない。「我そう思う、故に我そう信ずる」とでも云うべき、「ユダヤ問題」に精通しようとしない保守的精神の殻に閉じこもって安らいでいる。 れんだいこは思う。日本左派運動はこれまで、マルクスの「ユダヤ人問題について」の観点に母斑の如くに影響されて、ユダヤ人問題を格別に論ずる作風を持たなかった。そのことにより、西欧史に通底している「非ユダヤとユダヤの歴史的確執、地下水脈に於ける常時戦争」に余りに無知であり過ぎたと考えている。れんだいこは、これについて、マルクスに相当の非が認められると思料している。 ユダヤと一色に記すのに抵抗のある方には正しくは、「近世に於いて『シオンの議定書』に結実するネオ・シオニズムユダヤ狂信派」と云い直しておく。ここでは語呂の関係で簡潔に「ユダヤ狂信派」とのみ記す。この狂信の徒及びイズムにつき太田龍・氏が鋭く啓蒙しているので、これを仮に「太田龍史観」と名付ける。「太田龍史観」でサーチライトしないと歴史が見えない故に、我々はこれを学ばねばならない。れんだいこはそう思う。このことを最初に指摘しておく。最近、西郷頼母史観というものも知った。愛宕北山史観というものもある。いずれも、「ユダヤ狂信派」の暗躍を鋭く衝いている。 付言すれば、「非ユダヤとユダヤの歴史的確執、地下水脈に於ける常時戦争」に日本が巻き込まれるに至った端緒は、戦国時代のイエズス会バテレンの宣教を嚆矢とする。この時、イエズス会宣教師バテレンの多くは、キリスト教の衣装をつけてやってきた「ユダヤ狂信派」であった。が、徳川鎖国体制で一旦は消滅した。次に襲ってきたのはペリーの黒船来航に始まる開港からである。この時、「ユダヤ狂信派」が再上陸し、幕府との開港折衝の末に拠点を設けることに成功した。 以来、日本はユダヤ国際戦略の中に引き込まれることになった。この勢力が紆余曲折を経ながらも次第に勢力を増していくことになる。れんだいこは、かれらを仮にキリシタンならぬシオニスタンと命名する。明治維新から大正、昭和の御世に於ける日本帝国主義化の背景にシオニスタンの暗躍が認められる。内外施策、人材登用を廻って、国粋主義派とシオニスタンが争闘しており、戦前左派運動もこの渦に巻き込まれている。この視点を確立しない限り、時代が解析できないように思われる。 第二次世界大戦は、単純には読み取れないが、世界的規模で真に争われていたのは、西欧から日本まで巻き込む形での非ユダヤとユダヤの歴史的戦争であった可能性が強い。日独伊枢軸とは、既にユダヤに召し取られた米英仏蘭の連合諸国とこれに毅然と立ち向かった日独伊枢軸及びこれを支持する連合諸国内隠然勢力との生死を賭けた世界戦争であった可能性が強い。こう考えないと、緒戦に於ける日独伊枢軸の善戦が理解できない。 2006.4.24日、2006.5.6日再編集 れんだいこ拝 |
【その2、「戦後日本へのユダヤの対日支配」について】 |
第二次世界大戦は、太平洋戦域で日米の争闘となった。この戦争に敗北した日帝は、戦勝国連合軍の占領下に置かれた。連合軍の実質的支配は米帝国主義であり、米帝国主義の実態は、キリスト教愛国主義グループと「ユダヤ狂信派」の暗闘下にあり、次第に後者が優位に推移していくのが米帝国主義の変遷史である。こう解析しないと、米帝国主義論は意味をなさない。 「米帝国主義内に於けるユダヤ狂信派支配化」の進展に伴い、ユダヤによる対日支配が強行化進行する。この間表見上、米ソ対立的側面も窺えるが、「ユダヤ狂信派」による対日支配はそれをも突き抜ける強力な計画に基づき施策が講ぜられていた。歴史に真に影響を及ぼしたのは、「ユダヤ狂信派」の方ではなかったか。この観点から歴史が検証されることが貧弱過ぎよう。 敗戦と共に、シオニスタンが大手を振って政財官学報の国家権力五者機関の中枢に食い込むことになった。しかし、当時の戦後日本は廃墟からの再建が焦眉の課題で、ユダヤによる対日支配は深く静かに潜行した。その支配も間接的なものにならざるを得なかった。もう一つ留意すべきは、戦後復興は米ソ冷戦構造の煽りを受け、日米安保条約で拘束されつつつまりユダヤによる対日支配の軌道から外れない限りでの発展という枠付きであったことであろう。この観点から歴史が検証されることが貧弱過ぎよう。 戦後復興過程で台頭してきたのは、政府自民党のハト派系列であった。吉田ー池田ー(佐藤)ー田中ー大平ー鈴木と繋がる1950年から1980年初頭までの期間、政府自民党ハト派が国家権力中枢を担い、奇跡の戦後復興、高度経済成長を成し遂げた。政府自民党ハト派は、1970年代初頭に登場した田中角栄政権で頂点に上った。田中ー大平同盟が磐石の国内支配固めに入り、「日出る国日本」を謳歌し始めた。 日本で佐藤政権から田中政権へ政府が移動しようとしていたこの時、米欧は中国の取り込みに向かい始めていた。佐藤政権は後手後手に廻り対応能力を失していた。田中政権は就任直後日中国交回復に着手し、佐藤政権では考えられなかった遣り取りで電撃的に日中国交回復を成功させた。この時、密かに日中同盟が合意された節があり、これに「ユダヤ狂信派」が怒ることになる。彼らにとって、敗戦国日本の自立は許されざるものであり、米中の枠組みに於いて日中が機能すべきもので、日中が「ユダヤ狂信派縛り」を外して同盟化することは有り得てならないことであった。 かくて、立花ー文芸春秋結託による「角栄金脈の研究」を狼煙として田中政権は辞任を余儀なくされる。野に降ったとはいえ一大政治勢力を結集していた総帥角栄は続くロッキード事件で羽交い絞めさせられ、次第に政治的影響力を殺がれていくことになる。この間政局は次第に自民党タカ派優位に進み、福田派と大平派の抗争を経て、1980年台初頭の中曽根政権登場により一挙にタカ派支配が加速した。以降20年近くの政局でタカ派の絶対優位が確立し、2001年、小ネズミ政権の登場により暴力的残存ハト派潰しが始まり今日に至っている。小ネズミ政権の下でユダヤの対日支配が公然化し、洪水的露骨さを増しつつある。 簡単ながら、以上のような史観を提示しておく。「ユダヤ狂信派」運動をそれとして見据えない愚を指摘したつもりである。 2006.4.24日、2006.6.7日再編集 れんだいこ拝 |
【その3、シオニスタンを国政上から直ちに排斥すべきである】 |
以上から、我々は、シオニスタンを国政上から排斥すべきである。この姿勢を最初に確立したい。シオニスタンは、去る日の黒船来航と共に発生した。以来、次第に影響力を増し、政財官学報の五者機関上層部に登壇してきた。これに抗する日本的伝統的歴史的知者グループも居り、戦前戦後暗闘中である。しかしながら、戦前では大正天皇押し込め期に戦後では田中角栄政界追放期を転回点として、シオニスタンが国家権力を一元的に掌握した。歴史はいつもこの時より悲劇に向かう。 戦後で云えば、1980年代初頭の中曽根政権登場以来、日本は政治の当事者能力を失っている。全てがネオ・シオニスト奥の院の指令に基づき運営されており、それは国富の損失であり、国家破産の道である。それを暴力的に強行するか緩やかに進行せしめるかだけのことである。日本は以来、ネオ・シオニストの腰巾着国家と成り下がって今日まで経緯している。 これに有効な処方箋があるか。これを工夫せねばならない。究極的にはシオニスタンの追放に向かわねばならない。その為にまずは、日本国の当事者能力を獲得すべきである。独立自存すべきこと、国際協調すべきこと、国際協調すべからざることの吟味に於いて、あらゆる戦線で政争勝利していくべきであろう。 2007.5.4日 れんだいこ拝 |
【その4、「愛民族、愛国心」について】 |
次に確認すべきは、ネオ・シオニズム派ユダヤ運動論にも関係するが、彼らのプロパガンダにより、世界の左派運動が「諸民族共同の自主的自治権擁護」の視点を失ったことである。これを分かりやすく云えば、「愛民族、愛国心」に於いて、世界の左派運動がこれを失うように運動することを是としてきたが、本当にそうであろうかと問うことであろう。 「愛民族、愛国心」は、これを過度に強調することは避けられねばならない。更に、排外主義的民族主義、同様の愛国主義は何ら利益が無いこととして排斥されねばならない。しかし、そのことと原義的民族主義、愛国主義を放棄することは別の問題ではなかろうか。日本左派運動は、マルクスーエンゲルスの「共産主義者の宣言」を読み損なって、民族主義、愛国主義を過度に排斥する運動に向かったため、人民大衆の「愛民族、愛国心」琴線にふれられないことになってしまったのではなかろうか。 人民大衆の「愛民族、愛国心」は、単に素朴に感情されているというだけでなく、「ユダヤ狂信派」運動を見据える時、必要にして適切な祖国擁護理論でもあったのではなかろうか。左派が「愛民族、愛国心」を捨てたことにより、右派の一手専売となったが、人民大衆は賢明にもそれにも唱和していない。「左派的愛民族、愛国心運動」が待望される所以である。 我々は、愛国、愛民族精神を是とする観点に立たねばならない。この観点が反マルクス主義的であるかどうかを問えば、れんだいこは何ら抵触しないと応える。通俗マルクス主義派は、「我々には国境が無い、世界の労働者団結せよ」を額面通りに受け止め、国境が無いなら愛国心不要と理論化させてきた。しかし、「共産主義者の宣言」をよく読めば、ブルジョアジー的権益で隔てる国境の意味が無いという意味であり、国境そのこと自体を問題にしている訳ではないことが判明する。 それどころか、当該地での革命は、その国の民の自主自律的責務であり、そのようにして創出された革命政権同士間に於いては、ブルジョア国家特有の国家的隔絶はもはや不要と云う意味に於いて理解されるべきであろう。つまり、革命前国民が一足飛びに世界市民化運動を担うような青写真は提起されていない。一足飛びの世界市民化運動はむしろネオ・シオニズムのワン・ワールド化運動と類似している。このように理解せねばならない。 2006.4.24日、2006.6.7日再編集 れんだいこ拝 |
【その5、「国旗、国歌問題」について】 |
この観点に照らす時、「国旗、国歌問題」は次のように解けるのではなかろうか。れんだいこが思うに、日本の国旗である「日の丸」は白地に赤丸であり、デザイン的にもセンスが良いものであり、これ自体は左派運動にも使えるものである。日本の国家である「君が代」は、「君」を君主でなく人民大衆と読み替えれば、歌詞的にも出来がよいものであり、これ自体は左派運動にも使えるものである。且つ原義的民族主義、愛国主義そのものに非はないということになれば、徒に「国旗、国歌排斥」に向うべきではないように思われる。 問題は「国旗、国歌の政治的利用」にこそあり、故に「国旗、国歌問題」は、「国旗、国歌の政治的利用を許さない」というスタンスで闘われるべきであろう。この点で、「国旗、国歌常時排斥」を理論とする戦後日本の左派運動は消耗な闘いに明け暮れており非生産的であるように思われる。むしろ、学校に於ける入学式、卒業式に「自由、自主、自律」に認められるが、その他の行事にまで強制されることを許さない闘いを目指すべきではなかろうか。例えば、スポーツ行事、文化祭等には必要の無いことであろう。国家側にも左派側にもそういう弁えが欲しい。 国際的レベルでの行事に於いては「国旗、国歌」が使用され、旗振られることはアイデンティティの問題であり、何ら問題なかろう。日本左派運動はこれを否定する点で、大衆の琴線に触れていない。この程度の問題に意を注ぐのは、他の諸問題になおざりなことを思うとき滑稽な痴態であろう。れんだいこはそう思う。 最新の動きとして、「教師団に対する国旗、国歌の強制問題」が発生している。れんだいこが思うのに、教師の「国旗掲揚拝、国歌斉唱」は「自由、自主、自律」的に行われるべきではなかろうか。上述したように、れんだいこ自身は、「国旗、国歌の非政治的利用」であれば意に介さないが、「国旗、国歌の政治的利用に伴う強制」となると別問題になる。いっそのこと、かって争われた「教師の勤務評定問題」にまで立ち入り、「教師の自由、自主、自律的教育の自由権」獲得まで目指していくべきではなかろうか。 最近の学校の不祥事に於ける教師の質の低下には驚かされている。文部省の教育統制による教師勤務評定のもたらした結果であることが自明である。文部省の長年の教育現場過剰統制、愚民化教育の賜物であり、文部省の責任は重い。「国旗、国歌問題」もこの環の中で位置づけ批判を突きつけねばならない。何事も守ってばかりでは闘いに負ける。攻めていくのも重要な闘い方ではなかろうか。 結論。愛民族も母国語も、国歌も国旗もそれ自体に問題がある訳ではない。君主制的にブルジョア的に狭隘に利用されるそのことの非を捉えるべきで、それ自体に罪を認めるべきではなかろう。排国家、排民族、排母国語、排国歌、排国旗運動は、ネオ・シオニズムのワン・ワールド化運動に通低している。故に、「排国家、排民族、排母国語、排国歌、排国旗」の旗を強く振ったからといっても、ネオ・シオニズム的ではあっても左派的ということにはならい。 2006.6.7日 れんだいこ拝 |
【その6、「歴史責任問題」について】 |
この観点に照らす時、「歴史責任問題」は次のように解けるのではなかろうか。戦前日本が日帝化し、アジアの盟主としてアジア地域諸国に軍靴を乗り入れたことは歴史的史実である。当時、日本にそれなりの抵抗運動があるにはあったが、官権統制により潰された。その結果、第二次世界大戦下の大東亜戦争に巻き込まれ敗北を喫した。「歴史責任問題」は、これをどう総括するのかという問題である。 れんだいこが思うに、初手に於いて、アジア友邦化を目指すことなくアジアの盟主化へと向ったことがそもそも間違いであった。その政策を進めたのは、時局迎合的グループ国粋主義派とシオニスタングループであった。彼らは、「ユダヤ狂信派」の財務及び兵器及び情報支援を受けつつこれを推進し、更なる軍国主義の道へ誘われていった。後に、「ユダヤ狂信派問題」に直面し、大東亜共栄圏構想を目指すことになるが、日帝の手前勝手なイデオロギーに染められたものであり、人民大衆が真に望むものではなかった。 日帝のアジア盟主化が進むに応じて、太平洋戦域の支配権を賭けて日米戦争が勃発するのは時間の問題となった。日本は苦慮しつつ、真珠湾攻撃で火蓋を切り、大東亜戦争に突入した。緒戦では優位に進行したものの、次第に戦局が悪化し、最終的に敗北した。この間、日本軍が史上初めて黄色人種が白色人種との戦いで奮戦したことにより、被植民地諸国に独立の気運を醸成せしめた。戦中、戦後を通じて、アジア、アフリカ諸国の植民地からの解放が進んだのも史実である。 以上を踏まえて、我々は、如何に「歴史責任問題」を総括すべきかが問われている。れんだいこが思うに、日本左派運動は、1・その戦いの打ったてに於いての非を総括すべきである。2・日本帝国主義の関係諸国での残虐非道を謝罪すべきである。3・日本帝国主義の関係諸国での殖産興業政策の意義を正当に確認すべきである。4・米帝国主義及び「ユダヤ狂信派」と果敢に闘った意義を確認すべきである。5・アジア、アフリカ諸国の独立気運醸成に資した面を功績とみなすべきである。6・戦後日本が指針せしめた「不戦、国際平和、協調」の意義を確認すべきである。7・戦後日本が指針せしめた「国家財政に於ける軍事費傾斜化を抑止し、軍事並びに赤字国債の発行禁止」の意義を確認すべきである。8・戦後日本は、戦後憲法が指針せしめた各条項を遵守することが国際公約であり、その義務を果たすべきである。 れんだいこは以上のように思う。この観点に則り、歴史検証を行うべきではなかろうか。 2006.6.7日 れんだいこ拝 |
【その7、「与党責任政治の重要性」について】 |
次に確認すべきは、政治の要諦が、民族及び国家保全と人民大衆が飯を食える体制にすることに有る。日本左派運動は、この点に於いて責任を持とうとせぬまま、批判的言辞及びその運動に意味を見出してきた。左派運動内に於ける無責任体制はここに端を発しているのではなかろうか。戦後65年に於いて見えてきたのは、左派の万年野党体質である。現在、日共は、「確かな野党」を呪文の如く唱えているが、左派の宿アの体質をこれほど見事に表現している標語は無いように思われる。 史実は、戦後から1980年初頭までの期間に於いて政府自民党ハト派が政権を握り、民族及び国家保全と人民大衆が飯を食える体制づくりに誤り無き指針を示し続けたので、戦後日本左派運動は「口先批判裏談合」に堕したとはいえ大過なかった。問題は、その体質が根っからのものとなり、ハト派と代わってタカ派が政府自民党権力を掌握しても同じ対応をし続けているところにある。左派運動は、同じ対応しても政治の質が変わったということが分からない凡庸な指導者に占められており、処置無しの態に有る。 日本左派運動は、「共産主義者の宣言」に指針されている如く、政権奪取を目指すべきであり、その道程として左派共同戦線を志向すべきである。「よりましな政局情況打開」へ向けて、戦略戦術を練るべきである。この間不断に政権運営視点にたっての青写真作成に向けて喧々諤々議論を逞しゅうすべきである。 2006.4.24日、2006.6.7日再編集 れんだいこ拝 |
【その8、「戦後憲法秩序のブレ社会主義性」について】 |
こうして見てくると、戻ってくるのは、戦後憲法の素晴らしさである。戦後憲法秩序を正当に認識し理論化せねばならない。戦後憲法は、史上例を見ないプレ社会者儀的秩序を敷こうとしていることが分かる。社共は専ら、反戦平和の観点から護憲運動を目指してきた。れんだいこに云わせれば、それは半身運動である。正しくは、戦後憲法秩序はブレ社会主義であるが故に、人民大衆はこれを既得権として擁護運動せねばならない、という立場に立つべきである。 新左翼の多くは、戦後憲法秩序をブレ社会主義と看做さずにブルジョア民主主義と規定して、その本質暴露運動に耽ってきた。それは大いなる間違いであった。戦後憲法の空洞化が問題になっているのであり、今や改訂が政治日程化されつつあるのであり、これを逆方向に押し進めることこそが望まれていると心得るべきではなかろうか。 結論。歴史の逆行を赦すな。民営化万歳論に騙されるな。ポツダム憲法解体論に惑わされるな。 |
【その9、「企業活動の本質としての雇用能力」について】 |
この観点に照らす時、「労資紛争問題」は次のように解けるのではなかろうか。(以下、略) |
【その10、「市場主義経済」について】 |
次に確認すべきは、民間市場制をどう見るかである。 第二の問題として、市場主義経済の問題がある。これも論法は同じである。資本が資本を自己目的に呼び込む資本主義を排し、自由市場主義経済の下で、主要機関及び産業の公的運営、その合理的規制の下での自由競争的民営諸企業の存立が望ましい。いわゆる官と民との棲み分け問題として提起されている。非主要機関及び産業については、全民営的市場主義経済体制で良かろう。先行実験的社会主義国家は、この点で統制的国営化を推進し過ぎた故に経済活力を阻喪させてしまった。その轍を踏む必要は無い。 (以下、略) |
【その11、「被爆国権利義務としての反戦平和運動」について】 |
次に確認すべきは、反戦平和運動をどう展開すべきである。 |
【その12、その他】 |
第四の問題として、象徴天皇制。第五の問題として、基本的人権の尊重制、社会的生存権の確保制。第六の問題としての非武装中立国際協調制。これら云々。 |
【その13、「反権力、反国家、親ソ、親中、親マルクスの姿勢」考】 |
次に確認すべきは、左派運動の「反権力、反国家、親ソ、親中、親マルクスの姿勢」の総合評価の問題である。(以下、略) 2006.5.4日、2006.5.6日再編集 れんだいこ拝 |
(私論.私見)