持久戦論(1938.5)

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【毛沢東、「持久戦論」(1938.5)
 「毛沢東選集第三巻」の「持久戦について」 を参照転載する。
 持久戦について (一九三八年五月)

 これは、毛沢東同志が一九三八年五月二十六日から六月三日にかけて、延安の抗日戦争研究会でおこなった講演である。

 問題の提起
 (一) 
 偉大な抗日戦争の一周年記念日、七月七日がまもなくやってくる。全民族が力を結集して、抗戦を堅持し、統一戦線を堅持し、敵に対する英雄的な戦争を進めて、やがて一年になる。この戦争は、東方の歴史において空前のものであり、世界の歴史においても偉大なものとなるであろうし、全世界の人民は皆なこの戦争に関心を寄せている。戦争の災いを身に受けて、自己の民族の生存のために奮闘している中国人の一人ひとりは、戦争の勝利を一日として心から望まない日はない。しかし、戦争は、いったいどういう過程をたどるのか。勝利できるのか、できないのか。速勝できるのか、できないのか。多くの人は持久戦を口にするが、なぜ持久戦なのか。どのようにして持久戦を進めるのか。多くの人は最後の勝利を口にするが、なぜ最後の勝利が得られるのか。どのようにして最後の勝利を勝ち取るのか。これらの問題については、誰もが解決しているわけではなく、むしろ大多数の人が今なお解決していない。そこで、敗北主義の亡国論者が飛び出してきて、中国は滅びる、最後の勝利は中国のものではないという。また一部のせっかちな友人も飛び出してきて、中国はすぐに勝てる、大して骨を折らなくてもよいという。

 これらの論議ははたして正しいだろうか。我々はこれまでずっと、これらの論議は間違っていると云ってきた。しかし、我々の云っていることは、まだ大多数の人々に理解されていない。その理由の一半は、我々の宣伝と説明の活動がまだ不十分なことにあり、他の一半は、客観的事態の発展がまだその固有の性質をすっかりさらけ出していず、まだその姿を人々の前にくっきりとあらわしていないため、人々がその全体の成り行きや前途を見通しようがなく、従って、自分たちの系統だった方針と方法を決定しようもなかったところにある。今はもうよくなった。抗戦十ヵ月の経験は、何の根拠もない亡国論を打ち破るのに十分であり、せっかちな友人の速勝論を説得するにも十分である。このような状況のもとで、多くの人々は総括的な説明を求めている。特にに持久戦に対しては、亡国論、速勝論という反対の意見があるし、また中味のない空っぽな理解もある。「蘆溝橋(ルーコウチァオ)事変いらい、四億の人々がひとしく努力しており、最後の勝利は中国のものである」。こうした公式が、広範な人々の間に広まっている。この公式は正しいが、それを充実させる必要がある。

 抗日戦争と統一戦線が堅持できるのは、次のような多くの要素によるのである。即ち共産党から国民党に至る全国の政党、労働者、農民からブルジョア階級に至る全国の人民、主力軍から遊撃隊に至る全国の軍隊、それに社会主義国から正義を愛する各国人民に至るまでの国際事情、敵国内の一部の反戦的な人民から前線の反戦兵士に至るまでの敵国事情がそれである。要するに、これらすべての要素が、我々の抗戦のなかで様々な程度で寄与しているのである。良心のある人なら、彼らに敬意を表すべきである。我々共産党員が他の抗戦諸政党や全国人民と共に進む唯一の方向は、悪逆無道の日本侵略者に打ち勝つため、すべての力を結集するよう努力することである。今年の七月一日は、中国共産党の創立一七周年記念日である。共産党員の一人ひとりが抗日戦争のなかで、よりよく、より大きく努力できるようにするためにも、特に持久戦の研究に力を入れる必要がある。従って、私はこの講演で持久戦について研究してみたい。持久戦という題目に関連する問題は、皆な触れるつもりであるが、一つの講演で何もかも言い尽くせるものではないから、全部話すことはできない。
 (二)
 抗戦十ヵ月来のすべての経験は、次の二つの観点が間違っていることを立証している。一つは中国必亡論、もう一つは中国速勝論である。前者は妥協の傾向をうみ、後者は敵を軽視する傾向をうむ。彼らの問題の見方は主観的、一面的であり、一言でいえば、非科学的である。
 (三)
 抗戦以前には、亡国論的論議がたくさんあった。例えば、「中国は兵器が劣っているから、戦えば必ず負ける」、「もし抗戦すれば、きっとエチオピアになってしまう」というのがそれである。抗戦以後、公然とした亡国論はなくなったが、陰では存在しており、しかもかなり多い。例えば妥協的空気の消えたりあらわれたりするのがそれで、妥協論者の根拠は「これ以上戦えば必ず滅びる」という点にある。ある学生が湖南省からよこした手紙では次のようにいっている。「田舎では何ごとにも困難を感じます。たった一人で宣伝活動をしていますので、機会あるごとに人に話しかけるよりほかありません。相手は皆な知識のない愚民というわけではなくて、多少は分かっており、私の話にとても興味をもっています。けれども私の親戚たちときたら、きまって『中国は勝てない、滅びる』といいます。まったく困ったものです。彼らはよそにふれまわらないからまだよいものの、そうでなければとんでもないことになります。もちろん、農民は彼らの方をいっそう信頼しているのです」。このたぐいの中国必亡論者が、妥協の傾向をうむ社会的基礎である。このたぐいの人々は中国各地におり、従って、抗日陣営のなかにいつでも出てくる可能性のある妥協という問題は、おそらく戦争の終局までなくならないであろう。徐州(シュイチョウ)を失い、武漢(ウーハン)が急を告げている今、こうした亡国論に痛烈な論ばくを加えることは、無益ではないと思う。
 (四)
 抗戦十ヵ月らい、せっかち病を示すいろいろな意見もうまれた。例えば抗戦の当初には、何の根拠もない楽観的な傾向が多くの人にみられた。彼らは日本を過小評価し、日本は山西(シャンシー)省に攻めこむことはできまいとさえ考えた。ある人々は、抗日戦争における遊撃戦争の戦略的地位を軽視して、「全体的には、運動戦が主要なもので、遊撃戦は補助的なものであるが、部分的には、遊撃戦が主要なもので、運動戦は補助的なものである」という主張に疑いを示した。彼らは、「基本的には遊撃戦であるが、有利な条件のもとでの運動戦もゆるがせにしない」という八路軍の戦略方針を「機械的」な観点であるとしてこれに賛成しなかった。上海(シャンハイ)戦争①のとき、ある人びとは、「三ヵ月も戦えば、国際情勢がきっと変化し、ソ連がきっと出兵し、戦争は片がつく」といい、抗戦の前途を主として外国の援助に託した。台児荘(タイアルチョワン)の勝利〔4〕ののち、ある人々は、これまでの持久戦の方針は改めるべきだといって、徐州戦役を「準決戦」とみなすべきだと主張した。そして「この一戦こそ敵の最後のあがきである」、「我々が勝てば、日本の軍閥は精神的に足場を失い、おとなしく最後の裁きを待つほかなくなる」などといった。平型関(ピンシンコヮン)の勝利は、一部の人をのぼせあがらせ、さらに台児荘の勝利は、いっそう多くの人をのぼせあがらせた。そこで、敵が武漢に進攻するかどうかが疑問になった。多くの人は「そうとはかぎらない」と考え、また他の多くの人は「断じてありえない」と考えている。このような疑問はすべての重大な問題にかかわってくる。

 例えば、抗日の力が十分だろうかということについては、然りと答えるだろう。今の力でも敵のこれ以上の進攻を不可能にしているのに、これ以上力を増やしてどうするかというわけである。例えば、抗日民族統十戦線を拡大、強化せよというスローガンが依然として正しいだろうかということについては、否と答えるだろう。統一戦線の今の状態でも敵を撃退できるのに、どうしてこれ以上拡大と強化の必要があるかというわけである。例えば、国際外交と国際宣伝の活動をもっと強化すべきだろうかということについても、否と答えるだろう。例えば、軍隊制度の改革、政治制度の改革、民衆運動の促進、国防教育の励行、民族裏切り者とトロツキストの弾圧、軍事工業の発展、人民生活の改善を真剣に行うべきだろうか、また、例えば、武漢の防衛、広州(コヮンチョウ)の防衛、西北地方の防衛、敵の後方での遊撃戦争の猛烈な発展というスローガンが依然として正しいだろうか、これらのことについてもすべて否と答えるだろう。それどころか、ある人々は、戦争の形勢がいくらか好転してくると、外に向いている目を内に向けさせるために、国共両党間の摩擦を強めようとする。このような状況は、比較的大きな勝利をおさめるたびに、あるいは敵の進攻が一時足踏みしたときには、ほとんどいつも発生する。上述のすべてを、我々は政治上、軍事上の近視眼と呼ぶ。彼のいうことは、筋がとおっているようにみえて、実際には何の根拠もない、まやかしの空論である。こうした空論の一掃は、抗日戦争を勝利をもって進めるのに、当然役立つものである。
 (五)
 そこで問題は、中国は滅びるかということで、答えは、滅びない、最後の勝利は中国のものである。中国は速勝できるかということで、答えは、速勝できない、抗日戦争は持久戦だということである。
 (六)
 これらの問題の主要な論点は、二年も前に我々が一般的に指摘した。すでに一九三六年七月十六日、すなわち西安(シーアン)事変の五ヵ月まえ、蘆溝橋事変の十二ヵ月前に、アメリカの記者スノウ氏との談話のなかで、私は、中日戦争の情勢に一般的な判断をくだすとともに、勝利をかちとるための各種の方針を提起した。念のために、数ヵ所を抜き書きしておこう。
どのような条件のもとで、中国は日本帝国主義の武力にうち勝ち、これを消滅することができるのでしょうか。
三つの条件が必要です。第一は中国抗日統一戦線の達成、第二は国際抗日統一戦線の達成、第三は日本国内の人民と日本の植民地の人民の革命運動の盛り上がりです。中国人民の立場からいえば、三つの条件のうち、中国人民の大連合が主要なものです。
この戦争はどのくらい長びくでしょうか。
それは、中国の抗日統一戦線の力と中日両国の他の多くの決定的な要素の如何によってきまります。即ち、主として中国自身の力によるほかに、中国に与えられる国際的援助と日本国内の革命による援助も大いにこれと関連があります。もし中国の抗日統一戦線が強力に発展し、横の面でも縦の面でも効果的に組織されるなら、もし日本帝国主義に自分の利益を脅かされていることを知った各国政府と各国人民が、中国に必要な援助を与えることができるなら、またもし日本に革命が早くおこるなら、こんどの戦争はすみやかに終わりをつげ、中国はすみやかに勝利するでしょう。もしこれらの条件がすぐに実現しなければ、戦争は長びくでしょう。だが、結果はやはり同じで、日本は必ず敗北し、中国は必ず勝利します。ただそれだけ犠牲が大きくなり、非常に苦しい時期を経過するだけのことです。
政治上と軍事上からみて、この戦争は将来どう発展するでしょうか。
日本の大陸政策はすでに確定しています。中国の領土と主権をもう少し犠牲にして、日本と妥協すれば、日本の進攻をやめさせることができると思っている人々、こういう人々の考え方は単なる幻想にすぎません。我々は、長江(チャンチァン)下流地域や南方各港までがすでに日本帝国主義の大陸政策に含まれていることを確実に知っています。そのうえ、日本はさらにフィリピン、シャム、インドシナ、マレー半島およびオランダ領東インドを占領し、外国を中国から切りはなし、西南太平洋を独占しようと考えています。これは、また日本の海洋政策であります。このような時期には、中国は疑いもなく極度に困難な状況におかれるでしょう。だが、大多数の中国人は、このような困難は克服できると信じています。ただ大商港地の金持ちだけが財産の損失を恐れて敗北論者であるに過ぎません。ひとたび中国の海岸が日本に封鎖されれば、中国は戦争を継続できなくなると考えている人もかなりいますが、これは馬鹿げたことです。彼らを論ばくするには、赤軍の戦争史をあげてみるのも良いでしょう。抗日戦争で中国がしめる優勢な地位は、内戦当時に赤軍が示していた地位よりもはるかにすぐれています。中国は非常に大きな国であって、たとえ日本が中国の人口一億ないし二億をしめる地域を占領しえたとしても、我々の敗北にはほど遠いものがあります。我々には依然として日本と戦うだけの大きな力がありますが、日本は戦争の全期間を通じて、常にその後方で防御戦を行なわなければなりません。中国経済の不統一、不均等は、抗日戦争にとってむしろ有利です。例えば、上海が中国のほかの地方から切りはなされた場合に中国の受ける損失は、決してニューヨークがアメリカのほかの地方から切り離された場合にアメリカの受ける損失ほど深刻ではありません。日本が中国の沿岸を封鎖したとしても、中国の西北、西南および西部は、日本にとって封鎖のしようもありません。従って、問題の中心はやはり全中国人民が団結して、挙国一致の抗日陣営をつくることです。これは、我々が早くから提起していることです。
日本を完全には打ち破れず、戦争が長びくようなら、共産党は講和に同意し、日本の東北支配を承認することができますか。
できません。中国共産党は、全国の人民と同じように、日本か中国の一寸の土地も保持することを許しません。
あなたのご意見では、今度の解放戦争の主要な戦略方針はどういうものですか。
我々の戦略方針は、主力を、たえず変動する長い戦線での作戦に用いるべきだということです。中国の軍隊が勝利するには、迅速な前進と迅速な後退、迅速な集中と迅速な分散という広い戦場での高度の運動戦が必要です。これは、塹壕(ざんごう)を深くし、堡塁(ほるい)を高くし、いくえにも防備して、もっぱら防御設備に頼るという陣地戦ではなく、大規模な運動戦のことです。だからといってすべての重要な軍事地点を放棄せよというのではなく、有利でさえあれば、これらの地点に陣地戦の配置をすべきです。しかし、全局面を転換させる戦略方針は、どうしても運動戦でなければなりません。陣地戦も必要ですが、これは補助的な性質をもった第二の方針です。地理的に戦場がこのように広いので、我々がもっとも効果的な運動戦を行うのは可能なことです。我が軍の猛烈な行動にあえば、日本軍は慎重に構えざるをえません。彼らの戦争機構は鈍重で、行動は緩慢であり、効果は知れています。もし我々が兵力をせまい陣地に集中して消耗戦的な抵抗をするとすれば、我が軍は地理上、経済機構上の有利な条件をうしない、エチオピアのような誤りをおかすことになります。戦争の前期には、我々は大きな決戦をすべて避け、まず運動戦によって敵軍の士気と戦闘力を次第に破壊していくようにしなければなりません。

 訓練された軍隊を配置して運動戦をおこなうほか、さらに農民の間に多くの遊撃隊を組織しなければなりません。東北三省の抗日義勇軍は、全国の農民のなかの動員しうる抗戦潜在力のほんの一部を記すものに過ぎないことを知らなくてはなりません。中国の農民には大きな潜在力があり、組織と指揮が適切でさえあるなら、四六時中、日本の軍隊を奔命に疲れさせることができます。この戦争は中国で行われているということを心にとめておかなければなりません。つまり、日本軍が彼らに敵対する中国人にすっかり包囲されるということ、日本軍が自分たちの必要とする軍需品を運んでこなければならず、しかも自分で見張っていなければならないということ、大きな兵力をさいて交通線を防備し、常に襲撃を警戒していなければならないということです。そのほか、彼らは大量の兵力を満州と日本内地に配置する必要があります。

 戦争の過程で、中国は多くの日本兵を捕虜にし、多くの兵器、弾薬を奪いとって自分を武装することができますし、外国の援助をかちとって、中国の軍隊の装備を次第に強化していくこともできます。従って、中国は戦争の後期には陣地戦をおこない、日本の占領地にたいして陣地攻撃をおこなうことができます。このようにして、日本は、中国の抗戦による長期の消耗によって、経済は崩壊し、無数の戦いに疲弊(ひへい)して、士気は衰(おとろ)えていくでしょう。中国の側では、抗戦の潜在力が日ましに大きく高まり、大量の革命的民衆が続々と前線におもむき、自由のために戦うでしょう。これらすべての要素が他の要素と結びつくと、我々は、日本の占領地の堡塁や根拠地に対して最後の致命的な攻撃を加え、日本の侵略軍を中国から駆逐することかできます。(スノウ著『中国の赤い星』)

 抗戦十ヵ月の経験は、上述の論点の正しさを立証しているし、今後も引き続き立証するであろう。
 (七)
 蘆溝橋事変がおこって一ヵ月あまりのちの一九三七年八月二十五日、既に中国共産党中央は、「当面の情勢と党の任務についての決定」の中で、次のようにはっきり指摘した。

 蘆溝橋における戦争挑発と北平《ペイピン》、天津《ティエンチン》の占領は、日本侵略者が中国中心部に大挙進攻する手始めにすぎない。日本侵略者は、既に全国の戦時動員を始めた。彼らが口にする「不拡大」の宣伝は、その進攻をおおいかくす煙幕でしかない。七月七日の蘆溝橋の抗戦は中国の全国的な抗戦の出発点となった。中国の政治情勢は、このときから新しい段階、つまり一抗戦を実行する段階にはいった。抗戦の準備段階は既に過ぎた。この段階でのもっとも中心的な任務は、あらゆる力を動員して抗戦の勝利を勝ち取ることである。

 抗戦の勝利を勝ち取る中心の鍵(かぎ)は、既に口火のきられた抗戦を全面的な全民族の抗戦に発展させることである。このような全面的な全民族の抗戦でなければ、抗戦は最後の勝利をおさめることはできない。当面の抗戦にはまだ重大な弱点があるので、今後の抗戦の過程では、挫折(ざせつ)、退却、内部分化、裏切り、一時的、局部的な妥協など、多くの不利な状況かうまれる可能性がある。従って、この抗戦は、苦難にみちた持久戦になることを見てとるべきである。だが、我々は、既に口火のきられた抗戦が、必ず我が党と全国人民の努力によって、あらゆる障害を突き破って引き続き前進、発展することを確信する。

 抗戦十ヵ月の経験は、同様に、上述の論点の正しさを立証したし、今後も引き続き立証するであろう。

 (八)
 戦争の問題における観念論的、機械論的な傾向は、すべての誤った観点の認識論上の根源である。彼らの問題の見方は主観的、一面的である。彼らは、少しも根拠をもたずに純主観的に述べたてるか、あるいは問題の一側面、一時期のあらわれだけにもとづいて、同様に主観的にそれを誇張して、全体とみなすのである。しかし、人々の誤った他点は、二種類に分けることができる。一つは根本的な誤りであって、一貫性を帯びており、これは是正しにくい。もう一つは偶然的な誤りであって、一時的性質を帯びており、この方は是正しやすい。だが、ともに誤りである以上、どちらも是正する必要がある。従って、戦争の問題における観念論的、機械的な傾向に反対し、客観的な観点と全面的な観点で戦争を考察することによって、はじめて戦争の問題について正しい結論が得られるのである。
 問題の根拠
 (九)
 抗日戦争はなぜ持久戦なのか。最後の勝利はどうして中国のものなのか。その根拠はどこにあるのか。中日戦争は他のいかなる戦争でもなく、半植民地・半封建の中国と帝国主義の日本とが二〇世紀の三十年代に行っている生死をかけた戦争である。問題の根拠はすべてここにある。それぞれについて述べると、戦争している双方には、次のようなあい反した多くの特徴がある。
 (一〇)
 日本側。第一に、日本は強い帝国主義国であって、その軍事力、経済力、政治組織力は東方第一級のものであり、世界でも五つか、六つの著者な帝国主義国のうちの一つである。これが日本の侵略戦争の基本条件であり、戦争が不可避で、中国の速勝が不可能なのは、この日本という国家の帝国主義制度とその強い軍事力、経済力、政治組織力からきている。しかし、第二に、日本の社会経済の帝国主義的性質から、日本の戦争の帝国主義的性質がうまれ、その戦争は退歩的な野蛮(やばん)なものとなっている。二〇世紀の三十年代に至って、日本帝国主義は、内外の矛盾から、空前の大規模な冒険戦争を行わざるをえなくなったばかりでなく、最後的崩壊の前夜に追いやられている。社会発展の過程からいえば、日本はもはや繁栄する国ではない。戦争は日本の支配階級が期待している繁栄をもたらすことはできず、彼らの期待とは反対のもの――日本帝国主義の死滅をもたらすであろう。これが日本の戦争の退歩性というものである。この退歩性のうえに、さらにもう一つ、日本が軍事的・封建的な帝国主義であるという特徴が加わって、その戦争の特殊な野蛮性がうまれている。このため、その国内における階級対立、日本民族と中国民族との対立、日本と世界の大多数の国々との対立が最大限に引き起こされる。日本の戦争の退歩性と野蛮性は日本の戦争の敗北が必至である主要な根拠である。そればかりではない。第三に、日本の戦争は、強い軍事力、経済力、政治組織力を基礎として行われているとはいえ、同時にまた先天的に不足しているという基礎のうえで行われている。日本の軍事力、経済力、政治組織力は強いが、量の面では不足している。日本は国土が比較的小さく、人力、軍事力、財力、物力にいずれも欠乏を感じており、長期の戦争には耐えられない。日本の支配者は戦争を通じてこれらの困難な問題を解決しようとしているが、それはやはり同じように、彼らの期待とは反対のものをもたらすであろう。つまり、日本の支配者はこの困難な問題を解決するために戦争をおこしたが、その結果は戦争によって困難が増大し、もとからもっていたものまで消耗してしまうであろう。最後に、第四に、日本は国際ファシスト諸国の援助を得ることはできるが、同時に、その国際的な援助の力を上回る国際的な反対の力にぶつからざるをえない。この後者の力は次第に増大して、結局は前者の援助の力を相殺するばかりでなく、日本自身にもその圧力を加えるであろう。これは、道に背くものには援助が少ないという法則であり、日本の戦争の本質から生まれたものである。要するに、日本の長所はその戦力の強さにあるが、短所はその戦争の本質の退歩性、野蛮性にあり、その人力、物力の不足にあり、国際関係において援助が少ないということにある。これらが日本側の特徴である。
 (一一)
 中国側。第一に、我が国は半植民地・半封建の国である。アヘン戦争から太平天国、戊戌(ウーシュイ)維新、辛亥(シンハイ)革命
そして北伐戦争に至るまでの、半植民地・半封建的地位から抜け出そうとするすべての革命的または改良的な運動が、いずれも重大な挫折をこうむったために、この半植民地・半封建的地位は依然としてそのままである。我が国は依然として弱国であり、軍事力、経済力、政治組織力などの面で敵に劣っている。戦争が不可避で、中国の速勝が不可能である根拠は、この面にもある。しかし、第二に、中国ではこの百年らい解放運動が積み重ねられて今日に至っており、もはや歴史上のいかなる時期とも違っている。内外の様々な反対勢力は解放運動に重大な挫折をこうむらせはしたが、同時に中国人民を鍛えた。今日の中国の軍事、経済、政治、文化は、日本ほど強くはないが、中国自身について比較してみれば、歴史上のいかなる時期よりもずっと進歩した要素をもっている。中国共産党とその指導下にある軍隊はこの進歩的な要素を代表している。中国の今日の解放戦争は、まさにこのような進歩を基礎として、持久戦と最後の勝利の可能性を獲得したのである。

 中国はさし昇る朝日のような国で、日本帝国主義の没落状態とはまったく対照的である。中国の戦争は進歩的であり、この進歩性から、中国の戦争の正義性が生まれている。この戦争は正義の戦争であるために、全国的な団結を呼び起こし、敵国人民の共鳴を促し、世界の多数の国々の援助を勝ち取ることができる。第三に、中国はまた大きな国で、土地が広く、物産は豊かで、人口が多く、兵力も多いので、長期の戦争を支えることができ、この点もまた日本と対照的である。最後に、第四に、中国の戦争の進歩性、正義性ということから、国際的に広範な援助が得られる。道に背くものには援助が少ないという日本とはまったく逆である。要するに、中国の短所は戦力の弱さにあるが、長所はその戦争の本質の進歩性と正義性にあり、大国ということにあり、国際関係において援助が多いということにある。これらがすべて中国の特徴である。
 (一二)
 このようにみてくると、日本は軍事力、経済力、政治組織力は強いが、その戦争は退歩的で野蛮であり、人力、物力も不十分で、国際関係でも不利な立場に置かれている。反対に、中国は軍事力、経済力、政治組織力は比較的弱いが、まさに進歩の時代にあり、その戦争は進歩的で正義のものであり、そのうえ、持久戦を十分に支えうる大国という条件をもっており、世界の多数の国々にも中国を援助するであろう。――これらが、中日戦争で互いに矛盾している基本的特徴である。これらの特徴は、双方の政治上の政策と軍事上の戦略戦術のすべてを規定してきたし、また規定しており、戦争の持久性と最後の勝利が日本のものではなくて、中国のものであることを規定してきたし、また規定している。戦争とはこれらの特徴の競争である。これらの特徴は、戦争の過程でそれぞれその本質に従って変化するのであって、ここからすべてのことが発生する。これらの特徴は、欺瞞(ぎまん)的な捏造(ねつぞう)したものではなくて、事実上存在するものであり、不完全な断片的なものではなくて、戦争の基本的要素のすべてであり、あってもなくても良いものではなくて、双方の大小すべての問題とすべての作戦段階を貫くものである。中日戦争を観察するのに、これらの特徴を忘れるなら、間違うのは必然的である。例え一部の意見が一時は人から信じられ、間違いのないものにみえても、戦争が進むにつれて、きっとそれが間違いであることが立証されるであろう。では、我々の述べようとするすべての問題を、これらの特徴に基づいて説明しよう。
 亡国論を反ばくする
 (一三)
 亡国論者は敵と我が方の強弱の対比という要素だけをみて、以前は「抗戦すれば必ず滅びる」といい、現在はまた「これ以上戦えば必ず滅びる」といっている。もし我々が、敵は強いが小国であり、中国は弱いが大国である、というだけなら、彼らを説き伏せるのに十分ではない。彼らは、小さくて強い国が大きくて弱い国を滅ぼすことができ、しかも立ち遅れた国が進んだ国を滅ぼしうることを立証するために、元朝が宋朝を滅ぼし、清朝が明朝を滅ぼした歴史上の証拠を持ち出すであろう。もし我々が、それは古い時代のことで、よりどころにはならないといえば、彼らは、小さくて強い資本主義国が大きくて弱い立ち遅れた国を滅ぼしうることを立証するために、さらに、イギリスがインドを滅ぼした事実をもちだすであろう。従って、すべての亡国論者を心服させて、その口を封じるには、また、宣伝活動に携わるすべての人々に、まだ分かっていない人々や、まだしっかりしていない人々を説得し、彼らの抗戦への信念を固めさせるための十分な論拠を持たせるには、もっとほかの根拠を挙げなければならない。
 (一四)
 この挙げなければならない根拠とはなにか。それは時代の特徴である。この特徴は、具体的には、日本の退歩と、援助が少ないということ、中国の進歩と、援助が多いということに現れている。
 (一五)
 我々の戦争は他のいかなる戦争でもなく、中日両国が二〇世紀の三十年代に行っている戦争である。敵の側についていえば、第一に、それはまもなく死滅しようとしている帝国主義であり、既に退歩の時代にあり、それは、インドを滅ぼした当時のイギリスがまだ資本主義の進歩の時代にあったのと違うばかりでなく、二十年まえの第一次世界大戦の時の日本とも違う。今度の戦争は、世界の帝国主義、何よりもまずファシスト諸国の大崩壊の前夜に起ったものであって、まさにこのために、敵も最後のあがきの性質を帯びる冒険戦争を行っているのである。従って、戦争の結果、滅亡するのは中国ではなくて、日本帝国主義の支配者集団であり、これは避けられない必然性である。そのうえ、日本が戦争を行っているこの時期は、まさに世界各国が既に戦争に見舞われたか、またはまもなく見舞われようとしているときであって、すべてのものが野蛮な侵略に抵抗して戦っているか、または戦う準備をしており、しかも中国というこの国は世界の多数の国々に及び多数の人民と深い利害関係を持っているのである。このことこそ、日本が世界の多数の国々と多数の人民の反対を既に引き起こしし、またもっと強く引き起こすであろうことの根源である。
 (一六)
 中国の側はどうか。中国はもはや歴史上のいかなる時期とも比較できないものになっている。半植民地、半封建の社会であることが中国の特徴であり、従って、弱国といわれている。だが、同時にまた、中国は歴史的には進歩の時代にあり、これが日本に勝利することのできる主要な根拠である。抗日戦争を進歩的だというのは、普通一般の進歩ではなく、エチオピアのイタリアに対する抵抗戦争のような進歩でもなく、太平天国や辛亥革命のような進歩でもなくて、今日の中国の進歩を指していうのである。今日の中国の進歩はどういう点にあるのか。それは、中国がもはや完全な封建国家ではなくて、既に資本主義があり、ブルジョア階級とプロレタリア階級があり、既に目ざめたか、あるいは目ざめつつある広範な人民があり、共産党があり、政治的に進歩した軍隊、即ち共産党の指導する中国赤軍があり、数十年の伝統ある革命の経験、とりわけ中国共産党創立以来十七年間の経験がある、という点にある。これらの経験が中国の人民を教育し、中国の政党を教育し、それがちょうど今日の団結抗日の基礎となっているのである。もしロシアに、一九〇五年の経験がなければ、一九一七年の勝利はありえなかったというなら、我々も、この十七年来の経験がなければ、抗日の勝利もありえないといえるであろう。これが国内的な条件である。

 国際的な条件は中国を戦争のなかで孤立しないものとしており、この点も史上空前のことである。歴史上では、中国の戦争にしても、インドの戦争にしても、皆な孤立していた。ただ、今日の場合は、世界で既に起こり、あるいは起こりつつある空前の広さと空前の深さを持った人民運動と、それの中国への援助がみられる。ロシアの一九一七年の革命にも世界の援助があり、それによってロシアの労働者と農民は勝利したが、その援助の規模はまだ今日ほど広くはなかったし、その性質も今日ほど深くはなかった。今日の世界の人民運動は、まさに空前の大きな規模と深さをもって発展している。まして、ソ連の存在は今日の国際政治における非常に重要な要素であり、ソ連はきわめて大きな熱意をもって中国を援助するにちがいない。こういう現象は二十年前にはまったくなかったことである。これらすべてが、中国の最後の勝利にとって欠くことのできない重要な条件を作り出したし、また作り出しつつある。大量の直接的援助は今はまだなく、これからのことになるが、中国には進歩と大国という条件があるので、戦争の期間を長びかせ、国際的援助をうながすとともに、それを持つことができるのである。
 (一七)
 そのうえに、日本は小国で、土地も狭く、物産も少なく、人口も少なく、兵力も少ないが、中国は大国で、土地も広く、物産も豊かで、人口も多く、兵力も多いという条件があり、そこから強弱の対比のほかに、さらに小国、退歩、援助が少ないということと、大国、進歩、援助が多いということとの対比がでてくる。これが中国の決して滅びることのない根拠である。強弱の対比によって、日本は中国で一定期間、一定程度横暴に振る舞うことができ、中国はどうしても一時期苦難の道を歩まなければならないこと、抗日戦争が速決戦ではなくて、持久戦であることが規定されるが、しかし、また小国、退歩、援助が少ないということと大国、進歩、援助が多いということの対比によって、日本はいつまでも横暴に振舞うことはできず、必ず最後の失敗をなめ、中国はけっして滅びることがなく、必ず最後の勝利を得ることが規定される。
 (一八)
 エチオピアはなぜ滅びたのか。第一には、弱国であったばかりでなく、小国でもあった。第二には、中国ほど進歩していず、奴隷制から農奴制に移りつつある古い国で、資本主義もなければブルジョア政党もなく、まして共産党もなければ中国のような軍隊もなく、まして八路軍のような軍隊はなおさらなかった。第三には、国際的援助を待つだけの余裕がなく、その戦争は孤立していた。第四には、これが主要な点であるが、イタリアへの抵抗戦争の指導の面に誤りがあった。エチオピアはこのために滅びたのである。しかし、エチオピアではまだかなり広範な遊撃戦争が行われており、もしそれを堅持することができれば、それをよりどころにして将来の世界的変動のなかで祖国を回復することができる。
 (一九)
 もし亡国論者が、「抗戦すれば必ず滅びる」とか、「これ以上戦えば必ず滅びる」ということを立証するために、中国の近代における解放運動の失敗の歴史を持ち出すなら、我々の答えも、時代が違うという一言につきる。中国自身も、日本の内部も、国際環境も、皆な以前とは違っている。日本は以前より一層強くなっているが、中国は半植民地、半封建的地位が依然として変わらず、その力は依然としてかなり弱い。この状態は深刻である。日本は、なおしばらくの間は、国内の人民を統制できるし、国際間の矛盾を対華侵略の手段に利用することもできる、これらは皆な事実である。しかし、長期の戦争の過程で、必ず逆の変化がおこるであろう。この点は今はまだ事実とはなっていないが、将来は必ず事実となる。亡国論者はこの点を捨てて省みない。中国はどうか。十余年前と大いに違って、今では既に新しい人間、新しい政党、新しい軍隊、新しい抗日政策があるばかりでなく、これらはいずれも必ず発展して行くに違いない。歴史上の解放運動が度重なる挫折をこうむったため、中国は、今日の抗日戦争のためにより大きな力を蓄えることができなかった――これは非常に惜しむべき歴史的教訓であり、今後はいかなる革命の力をも、二度と自分で踏みにじってはならない――とはいえ、既存の基礎のうえでも、それに大きな努力を加えれば、必ず次第に前進し、抗戦の力を強めていくことができる。偉大な抗日民族統一戦線こそ、この努力の全般的方向である。国際的援助の面では、当面まだ大量かつ直接的な援助はみられないが、国際的な局面は既にこれまでとは根本的に変わっており、大量かつ直接的な援助が醸成されつつある。中国近代の無数の解放運動の失敗には、いずれも客観的原因と主観的原因があったのであって、今日の状況に比べることはできない。今日では、敵は強く我々が弱いこと、敵の困難はまだ始まったばかりで、我々の進歩がまだ不十分であることなど、抗日戦争が苦難にみちた戦争であることを規定する多くの困難な条件はあるが、しかし、敵に打ち勝つ有利な条件も多く、これに主観的努力さえ加えれば、困難を克服して勝利を勝ち取ることができる。これらの有利な条件についていえば、歴史上で今日に比べられるような時期はなく、これこそ、抗日戦争が決してこれまでの歴史上の解放運動のように失敗に終わることのない理由である。
 妥協か抗戦か、腐敗か進歩か
 (二〇)
 亡国論に根拠がないことは以上にのべた通りである。しかし、このほかに亡国論者ではなく、愛国の士ではあるが、時局をひどく憂慮している人も多い。彼らは二つの問題を抱えている。一つは日本と妥協するのではないかという危惧(きぐ)、もう一つは政治の進歩が不可能ではないかという疑念である。この二つの憂慮すべき問題は、広範な人々の間で論議されているが、解決の糸口が見いだされていない。そこで、この二つの問題について研究してみよう。
 (二一)
 先に述べたように、妥協の問題には社会的根源があって、その社会的根源が存在する限り、妥協の問題が生まれないはずはない。だが、妥協は成功するものではない。この点を立証するには、やはり日本、中国、国際の三つの面にその根拠を求めるほかない。第一は日本の面である。抗戦の当初から、我々は既に、妥協の空気がつくりだされる時機のやってくること、つまり敵が華北と江蘇(チァンスー)省、淅江(チョーチァン)省を占領すれば、投降勧告の手段に出るだろうということを見通していた。その後、はたしてその手が打たれたが、危機はすぐに過ぎさった。その原因の一つは、敵が至るところで野蛮な政策をとり、公然たる略奪を行なったことである。中国が投降すれば、誰もが亡国の民になってしまう。敵のこの略奪政策、つまり中国を滅ぼそうとする政策は、物質的な面と精神的な面との二つに分けられるが、どちらもすべての中国人に対して行われる。それは下層の民衆ばかりでなく、上層の人々に対しても行われる――もちろん、後者に対しては幾分控え目ではあるが、それも程度の違いだけで、別に原則的な違いはない。だいたいにおいて、敵は東北三省で行ってきた例のやり方をそのまま中国中心部に持ち込む。物質的には、一般人民の衣食まで略奪して広範な人民を飢えと寒さに泣かせ、生産用具を略奪して中国の民族工業を破滅と隷属化に追い込む。精神的には、中国人民の民族意識を踏みにじる。日章旗のもとでは、あらゆる中国人は隷属の民となり、牛馬となるよりほかはなく、中国人としての気概をもつことはいささかも許されない。敵のこの野蛮な政策は、さらに奥地深く実施されようとしている。敵の食欲はひどく旺盛で、戦争をやめようとはしない。一九三八年一月十六日に日本の内閣が宣言した方針は、いまなおこれをあくまで実施しているし、また実施せざるをえない。そのことが、あらゆる階層の中国人を憤激させている。これは敵の戦争の退歩性、野蛮性からくるもので、「厄運(やくうん)は逃れがたく」、そこで絶対的な敵対が形成された。ある時機が来れば、敵の投降勧告の手段がまたもやあらわれようし、一部の亡国論者がまたもやうごめき、そのうえ、ある種の国際勢力(イギリス、アメリカ、フランスの内部にはそうした人間がいる、特にイギリスの上層分子がそうである)と結託して悪事を働くこともあろう。しかし、大勢のおもむくところ、投降などやれはしない。日本の戦争の執拗さと特殊な野蛮さとがこの問題の一つの面を規定している。
 (二二)
 第二は中国の面である。中国が抗戦を堅持する要素は三つある。一つは共産党で、これは人民の抗日を指導する、頼りになる力である。もう一つは国民党で、彼らはイギリス、アメリカに依存しているため、イギリス、アメリカが投降させなければ、彼らも投降しないであろう。もう一つは他の政党で、その大多数は妥協に反対し、抗戦を支持している。この三者は互いに団結していて、もし妥協するなら民族裏切り者の側に立つことになり、誰でもこれに懲罰を加えることができる。民族裏切り者となることを望まないものは皆な団結して、最後まで抗戦を堅持せざるをえず、妥協は実際上成功しがたい。
 (二三)
 第三は国際的な面である。日本の同盟国と資本主義諸国の上層分子の一部とを除けば、その他はすべて中国の妥協にとって不利であり、中国の抗戦にとって有利である。この要素は中国の期待に関係してくる。今日、全国の人民には、国際勢力が次第に中国への援助を強めるに違いないという期待がある。この期待は虚しいものではない。特にソ連の存在が、中国の抗戦を力づけている。かつてないほど強大になっている社会主義のソ連は、これまで中国と苦楽をともにしてきた。ソ連は、あらゆる資本主義国の上層分子の我利我利亡者とは根本的に違って、すべての弱小民族と革命戦争を援助することをその本分としている。中国の戦争の非孤立性は、一般的に国際的援助全体のうえに成り立っているばかりでなく、特にソ連の援助のうえに成り立っている。中ソ両国は地理的に接近しており、この点が日本の危機を増大させているし、中国の抗戦を有利にしている。中日両国の地理的近接は、中国の抗戦の困難さを増大させている。ところが、中ソの地理的近接は、中国の抗戦の有利な条件となっている。
 (二四)
 これらの点から得られる結論は、妥協の危機は存在するが、それは克服できるということである。なぜなら、敵の政策はたとえある程度改められても、根本的に改められることは不可能である。中国の内部には妥協の社会的根源はあるが、妥協に反対するものが大多数を占めている。また、国際勢力にしても、一部には妥協に賛成するものがあるが、主要な勢力は抗戦に賛成しているからである。この三つの要素が結びつけば、妥協の危機を克服して、抗戦を最後まで堅持することができる。
 (二五)
 今度は、第二の問題に答えよう。国内政治の改善は、抗戦の堅持と切り離せないものである。政治が改善されればされるほど、抗戦はますます堅持できるし、抗戦が堅持されればされるほど、政治はますます改善できる。だが、根本的には抗戦の堅持にかかっている。国民党の各方面には良くない現象が深刻に存在しており、これらの不合理な要素は歴史的に積み重ねられたものであって、広範な愛国の士のあいだに大きな憂慮と苦悶を生んでいる。だが、抗戦の経験は、この十ヵ月の中国人民の進歩が過去の長年の進歩にも匹敵しており、なんら悲観すべき根拠がないことをすでに立証している。歴史的に積み重ねられた腐敗の現象は、人民の抗戦力の増大の速度をひどく阻害して、戦争での勝利を少なくし、戦争での損失を招いてはいるが、中国、日本及び世界の大勢は、中国人民を進歩させずにはおかない。進歩を阻害する要素、即ち腐敗の現象が存在するため、この進歩は緩慢である。進歩と進歩の緩慢性は当面の時局の二つの特徴であり、後者の特徴は戦争の切迫した要求とあまりにもかけ離れており、これが愛国の士を大いに心配させている点である。しかし、我々は革命戦争のなかに置かれている。革命戦争は抗毒素であって、それは単に敵の毒素を排除するばかりでなく、自己の汚れをも洗い清めるであろう。革命的な正義の戦争というものは、その力がきわめて大きく、多くの事物を改造することができるか、または事物を改造する道を切り開くのである。中日戦争は中日両国を改造するであろう。中国が抗戦を堅持し、統一戦線を堅持しさえすれば、必ず古い日本を新しい日本に変え、古い中国を新しい中国に変え、中日両国は人も物もことごとく今度の戦争のなかで、また戦争のあとで改造されるであろう。我々が抗戦を建国と結びつけて見るのは正しい。日本も改造されるというのは、日本の支配者の侵略戦争が失敗して、日本人民の革命が起こる可能性があるという意味である。日本人民の革命の勝利の日こそ、日本が改造されるときである。これは中国の抗戦と密接に繋がっており、この前途は見通しておくべきである。
 亡国論はまちがっており、速勝論もまちがっている
 (二六)
 我々は既に強弱、大小、進歩と退歩、援助の多少など、敵と我が方の間の矛盾するいくつかの基本的特徴を比較研究して、亡国論を論ばくし、なぜ妥協が容易でないか、なぜ政治的進歩が可能かという問題に答えた。亡国論者は強弱という矛盾だけを重くみ、それを誇張してすべての問題の論拠にし、その他の矛盾を見逃している。強弱の対比という点にしか触れないのは彼らの一面性であり、この一面的なものを誇張して全体とみなすのは、これまた彼らの主観性である。従って、全体的にいって、彼らには根拠がないし、誤っている。また、亡国論者ではなく、一貫した悲観主義者でもないが、ただ一時的、局部的な、敵と我が方の強弱の状況あるいは国内の腐敗の現象に惑わされて、一時的に悲観的な気持ちになっている人々に対しても、我々は、彼らの観点がやはり一面的、主観的な傾向からきていることを指摘してやらなければならない。しかし、彼らは愛国の士であって、その誤りは一時的なものであるから、改めるのは比較的容易で、注意してやりさえすればすぐに分かるのである。
 (二七)
 ところが、速勝論者も間違っている。彼らは、強弱というこの矛盾をまったく忘れてしまって、その他の矛盾しか覚えていないか、中国の長所を誇張して、本当の状況から離れ、別のものにしてしまうか、あるいは一時期、一地方の強弱の現象を全体における強弱の現象におきかえてしまい、あたかも一枚の葉に目をおおわれて泰山が見えなくなるのと同じように、自分ではそれを正しいと考えている。要するに、彼らには敵が強く我が方が弱いという事実を認める勇気がないのである。彼らはしばしばこの点を抹殺(まっさつ)し、従って真理の一つの面を抹殺する。彼らはまた自己の長所の限界性を認める勇気がなく、従って真理のもう一つの面を抹殺する。このことから、彼らは大なり小なり誤りをおかすのであって、ここでもまた、主観性と一面性が災いしている。こうした友人は善意を持った人たちで、やはり愛国の士である。だが、「先生の志は大なり」
としても、先生の見方は間違っており、その通にことを運ぶと、必ず壁に突き当たってしまう。判断が真実に合致していないので、その行動は目的を達成できないのである。しいて行動すれば、戦いに負け、国を滅ぼし、結果は、敗北主義者と違わなくなる。従って、これもダメである。
 (二八)
 我々は亡国の危険を否定するのか。否定しない。中国の前には解放と亡国という二つの可能な前途が横たわっており、両者が激しく闘争していることを、我々は認める。我々の任務は解放を実現して、亡国を免れることである。解放を実現する条件は、基本的には、中国の進歩であり、同時に敵の困難と世界の援助とが加わる。亡国論者とは違って、我々は客観的かつ全面的に、亡国と解放という二つの可能性が同時に存在することを認め、解放の可能性が優勢をしめていることと解放を達成するための条件をつよく指摘し、これらの条件を勝ち取るよう努力する。亡国論者は主観的、一面的に亡国という一つの可能性だけを認め、解放の可能性を否定するもので、まして解放の条件を指摘したり、これらの条件を勝ち取るために努力したりするはずはない。我々は妥協の傾向と腐敗の現象も認めるが、その他の傾向とその他の現象をも見てとっており、また両者のうち、後者が前者に対して一歩一歩優勢をしめていくこと、両者が激しく闘争していることを指摘するとともに、後者を実現する条件をも指摘して、妥協の傾向を克服し腐敗の現象を変えるために努力する。従って、我々は悲観しない。悲観的な人たちは、それとは反対である。
 (二九)
 我々も速勝を喜ばないわけではなく、明日の朝にも「鬼ども」を追い出してしまうことには誰しも賛成である。だが、一定の条件がない限り、速勝は頭のなかに存在するだけで、客観的には存在せず、幻想とえせ理論にすぎないことを、我々は指摘する。従って、我々は客観的かつ全面的に敵と我が方のあらゆる状況を判断して、戦略的な持久戦だけが最後の勝利を勝ち取る唯一の道であることを指摘し、なんの根拠もない速勝論を退けるのである。我々は最後の勝利に必要なすべての条件を勝ち取るために努力するよう主張する。条件が少しでも多く備わり、一日でも早く備われば、勝利の保障はそれだけ多くなり、勝利の時期もそれだけ早くなる。我々は、戦争の過程をちぢめるには、こうする以外にないと考えており、安易に考え空論にふける速勝論を退ける。
 なぜ持久戦なのか
 (三〇)
 次に、我々は持久戦の問題を研究しよう。「なぜ持久戦なのか」、この問題の正しい答えを得るには、敵と我が方の対比される基本的要素全体に立脚する以外にない。例えば、敵は帝国主義の強国で、我が方は半植民地、半封建の弱国であるというだけでは、亡国論に陥る危険性がある。なぜなら、単に弱者が強者に手向かうという点だけでは、理論的にも、実際的にも、持久という結果は生まれないからである。単なる大小とか、単なる進歩退歩とか、援助の多少とかいうようなことも同様である。大が小を併呑(へいどん)したり、小が大を併呑したりすることはよくある。進歩的な国または事物でも、力が強くなければ、大きくて退歩的な国または事物に滅ぼされることはよくある。援助の多少は重要な要素ではあるが、付随的な要素であり、敵と我が方のそれ自体の基本的要素いかんによってその作用の大小がきまる。従って、我々が抗日戦争は持久戦だというのは、敵と我が方の要素全体の相互関係から生まれた結論である。敵が強くて我が方が弱ければ、我が方には滅亡の危険性がある。しかし、敵にはなお他の短所があり、我が方にはなお他の長所がある。敵の長所は我が方の努力によって弱めることができるし、敵の短所も我が方の努力によって拡大することができる。これとは逆に、我が方の長所は我が方の努力によって強めることができるし、短所は我が方の努力によって克服することができる。従って、我が方は最後には勝利し、滅亡を免れることができるが、敵は最後には敗北し、その帝国主義制度全体の崩壊を免れることができないのである。
 (三一)
 敵は長所が一つだけで、あとは皆な短所であり、我が方は短所が一つだけで、あとは皆な長所であるのに、どうして均衡のとれた結果が得られないで、反対に今のような敵の優勢、我が方の劣勢がもたらされたのだろうか。物事をこのように形式的にみてはならないことは明らかである。事実は、いま敵と我が方の強弱の差があまりにも大きいこと、敵の短所は当分はまだその強さの要素を減殺できるほどには発展していないし、また発展することもできないこと、我が方の長所も当分はまだその弱さの要素をおぎなえるほどには発展していないし、また発展することもできないことから、均衡があらわれずに、不均衡があらわれているのである。
 (三二)
 敵が強くて我が方が弱く、敵が優勢で我が方が劣勢であるという状態は、我が方の抗戦堅持と統一戦線堅持の努力によって変化してはいるが、まだ基本的な変化は生まれていない。従って、戦争の一定段階では、敵は一定程度の勝利をおさめることができ、我が方は一定程度の敗北をなめるであろう。しかし、敵も我が方も、一定段階での一定程度の勝利または敗北に限定され、それをこえて完勝または完敗までにはなりえない。それはなぜか。一つには、敵が強くて我が方が弱いというもとからの状態が絶対的なものではなくて、相対的なものだからであり、二つには、我が方の抗戦堅持と統一戦線堅持の努力によって、ますますこの相対的な形勢がつくられていくからである。もとからの状態についていえば、敵は強いとはいえ、その強さは既に他の不利な要素によって減殺されており、まだこのときには敵の優勢が破られるほどには減殺されていないだけである。我が方は弱いとはいえ、その弱さは既に他の有利な要素によって補われており、まだこのときには我が方の劣勢を改めうるほどには補われていないだけである。そこで、敵が相対的に強くて、我が方が相対的に弱く、敵が相対的に優勢で、我が方が相対的に劣勢であるという状態が形成されている。双方の強弱、優劣は、もともと絶対的なものではなく、そのうえ戦争の過程にはわが方の抗戦堅持と統一戦線堅持の努力もあるので、これが敵と我が方のもとからの強弱、優劣の形勢をいっそう変えており、従って、敵も我が方も一定段階での一定程度の勝利または敗北に限定され、持久戦という局面が作り出されているのである。
 (三三)
 しかし、状況は引き続き変化するものである。戦争の過程で、我が方が軍事上、政治上の正しい戦術を運用し、原則的な誤りりをおかさず、最善の努力を尽くしさえすれば、敵の不利な要素と我が方の有利な要素は、戦争が長びくにつれて発展し、必ず敵と我が方のもとからの強弱の程度を引き続き変えていき、敵と我が方の優劣の形成を引き続き変えていくことができる。そして新しい一定段階かきたとき、強弱の程度と優劣の形勢に大きな変化がおこり、敵の敗北、我が方の勝利という結果になるであろう。
 (三四)
 当面、敵はまだ自分の強さの要素をなんとか利用することができるし、我が方の抗戦もまだ敵を基本的に弱めてはいない。敵の人力、物力の不足という要素はまだその進攻を阻止するまでには至っておらず、反対に、その進攻を一定程度まで維持することができる。自国での階級対立と中国の民族的抵抗を激化させうる要素、即ち戦争の退歩性と野蛮性という要素も、まだその進攻を根本的に阻害するほどの状態にはいたっていない。敵の国際的孤立という要素も変化し発展しつつはあるが、まだ完全に孤立するまでにはいたっていない。我が方をたすけることを表明した多くの国々でも、兵器や戦争資材を扱う資本家は、なお利益の追求に専念して、日本に大量の軍需物資を供給しており
、彼らの政府も今のところ、ソ連と一緒に日本に制裁を加える実際的な方法をとろうとはしていない。これらのすべては、我が方の抗戦が速勝できず、持久戦でしかありえないことを規定している。中国の側では、弱さの要素が軍事、経済、政治、文化の各方面にあらわれており、十ヵ月の抗戦である程度の進歩はみられたが、敵の進攻を阻止し、我が方の反攻を準備するところまでには、まだまだほど遠い。そのうえ量の面では、ある程度弱まらざるをえなかった。中国の各種の有利な要素は、いずれも積極的な作用をしてはいるが、敵の進攻を食い止め、我が方の反攻を準備するところまでいくには、なお大きな努力が必要である。国内では、腐敗の現象を克服し、進歩の速度を増大させ、国外では、日本を助ける勢力を克服し、反日勢力を増大させることも、まだ当面の現実とはなっていない。これらのすべてもまた、戦争が速勝できず、持久戦でしかありえないことを規定している。
 持久戦の三つの段階
 (三五)
 中日戦争が持久戦であり、また最後の勝利が中国のものである以上、この持久戦が具体的には三つの段階として現れることは論理的に想定することができる。第一段階は、敵の戦略的進攻、我が方の戦略的防御の時期である。第二段階は、敵の戦略的保持、我が方の反攻準備の時期である。第三段階は、我が方の戦略的反攻、敵の戦略的退却の時期である。三つの段階の具体的状況は予測できないが、当面の条件からみて、戦争の成り行きの若干の大筋(おおすじ)は指摘することができる。客観的現実の進行過程は非常に内容豊富な、曲折変化にとむものとなり、誰も中日戦争の「運勢録」をあみだすことはできない。だが、戦争の成り行きについて輪郭を描いておくことは、戦略的指導のために必要なことである。従って、例え描かれたものが将来の事実に完全には合致せず、事実によって修正されようとも、確固として、目的をきめて持久戦の戦略的指導を行うため、その輪郭を描いてみることは、やはり必要なことである。
 (三六)
 第一段階は現在まだ終わっていない。敵の企図は広州、武漢、蘭州(ランチョウ)の三地点を攻略し、この三地点をつなぐことである。敵はこの目的を遂げるため、少なくとも五十個師団、約百五十万の兵員を派遣し、一年半ないし二年の時間をかけ、百億円以上の費用をあてることとなろう。このように奥深く入ってくれば、敵の困難は非常に大きく、その結末は想像を超えるものがあろう。さらに広州=漢□(ハンコウ)鉄道、西安・蘭州道路の完全占領となると、非常に危険な戦争をへても、その企図が完全に達せられるとはかぎらない。だが、我々の作戦計画は、敵がこの三地点、さらにはこの三地点以外のある一部の地区を占領し、それらを互いに結びつける可能性があることを前提として、持久戦の配備を行うべきであり、そうすれば、たとえ敵がそうした行動に出たとしても、我が方にはそれに対処できる方策がある。この段階で我が方がとる戦争形態は、運動戦が主要なもので、遊撃戦と陣地戦が補助的なものである。この段階の第一期には、国民党軍事当局の主観的な誤りによって、陣地戦が主要な地位におかれたが、この段階全体からみれば、やはり補助的なものである。この段階では、中国は既に広範な統一戦線を結成し、空前の団結を実現した。敵は、その速決計画の安易な実現、中国の全面的征服を企てて、卑劣で恥知らずな投降勧告の手段をとったし、これからも取るであろうが、それは今までも失敗したし、今後も成功しがたい。この段階では、中国はかなり大きな損失を蒙(こうむ)るが、同時にかなり大きな進歩を遂げ、この進歩が第三段階で引き続き抗戦する主要な基礎となる。この段階では、ソ連は既に我が国に大量の援助を行っている。敵側では、既に士気が衰え始め、敵の陸軍の進攻は、この段階の中期にはもはや初期のような鋭さはなく、末期にはますます衰えるであろう。敵の財政経済は行き詰まりの状態をみせはじめ、人民や兵士の厭戦気分も生まれ始めており、戦争指導集団の内部では、「戦争の苦悶」が現れ始め、戦争の前途に対する悲観的な考えが広がっている。
 (三七)
 第二段階は、戦略的対峙(たいじ)の段階と名づけることができる。第一段階の終わりには、敵の兵力の不足と我が方の頑強な抵抗によって、敵は一定の限界での戦略的進攻の終点を決めざるをえなくなり、この終点に到達すると、戦略的進攻を停止し、占領地保持の段階に転ずるであろう。この段階での敵の企図は、占領地を保持することであって、傀儡(かいらい)政府をつくるという欺瞞的なやり方でそれを確保し、中国人民からできる限り収奪することである。しかし、彼らの前には頑強な遊撃戦争が待ち構えている。遊撃戦争は、第一段階で敵の後方の手薄に乗じて至るところに発展し、数多くの根拠地が打ち立てられて、敵の占領地保持を基本的に脅かすようになり、従って、第二段階でもやはり広範な戦争が行われるであろう。この段階での我が方の作戦形態は遊撃戦が主要なもので、運動戦が補助的なものである。このときには、中国はなお大量の正規軍を保有するが、一方では敵がその占領する大都市や主要な交通線で戦略的守勢をとっており、他方では中国の技術的条件がまだしばらくは完備されないために、急速に戦略的反攻を行うことはまだむずかしい。正面の防御部隊のほかに、我が軍は、大量の部隊を敵の後方に転入させて、比較的分散した配置をとり、敵がまだ占領していないすべての地域をよりどころとし、民衆の武装組織に呼応して、敵の占領地に向けて広範かつ激烈な遊撃戦争を展開するとともに、できるだけ敵を引き回して、運動戦のなかでそれを消滅する。いま山西省で行われているのがその手本である。この段階での戦争は残酷であり、各地は重大な破壊をこうむるであろう。しかし、遊撃戦争は勝利することができ、うまく行えば、敵はわずかに占領地の三分の一前後の地域を保持できるだけで、三分の二前後は依然として我々のものであろう。そうなれば敵の大敗北であり、中国の大勝利である。そのときには敵の占領地全体は三種類の地区に分けられる。第一は敵の根拠地、第二は遊撃戦争の根拠地、第三は双方が争奪しあう遊撃区である。この段階の長短は敵と我が方の力の増減変化の度合いと、国際情勢の変動如何によって決まるが、だいたいにおいて、我々はこれに比較的長い時間をかける心構えがなければならず、この段階の苦難の道を耐え抜くことが必要である。これは中国にとってきわめて苦しい時期となり、経済面の困難と民族裏切り者の攪乱(かくらん)とが二つの大きな問題となるであろう。敵は中国の統一戦線の破壊に狂奔するであろうし、敵占領地のすべての民族裏切り者の組織は合流していわゆる「統一政府」を組織するであろう。我々の内部でも、大都市の喪失と戦争の困難とのために、動揺分子が大いに妥協論を唱え、悲観的気分が大いに募(つの)るであろう。このときの我々の任務は、全国の民衆を動員し、心を一つにして、決して動揺することなく戦争を堅持し、統一戦線を拡大強化し、すべての悲観主義や妥協論を排除し、苦難にめげぬ闘争を提唱し、新しい戦時政策を実行して、この段階の苦難の道を耐え抜くことである。この段階では、統一的な政府をあくまで維持し、分裂に反対するよう全国に呼びかけ、作戦技術を計画的に高め、軍隊を改造し、全人民を動員し、反攻を準備しなければならない。この段階では、国際情勢は、日本にとってさらに不利になり、チェンバレン流のいわゆる「既成事実」に迎合する「現実主義」的論調が現れる可能性はあるが、主要な国際勢力は中国を一層援助するようになるであろう。東南アジアとシベリアに対する日本の脅威は、これまでより一層厳しくなり、新しい戦争さえ勃発するであろう。敵側では、中国の泥沼におちこんだ数十個師団を引き抜くことができない。広範な遊撃戦争と人民の抗日運動はこの大量の日本軍を疲れはてさせ、一方ではこれを大量に消耗させ、他方では彼らの郷愁、厭戦の気分を一層募らせ、反戦の気分にまで発展させて、この軍隊を精神的に瓦解させるであろう。中国における日本の略奪は絶対に成果があがらないとはいえないが、日本は資本に欠乏しているうえに、遊撃戦争に悩まされるので、にわかに大量の成果をあげることは不可能である。この第二段階は戦争全過程での過渡的段階であり、またもっとも困難な時期となるであろうが、しかし、それは転換の要(かなめ)である。中国が独立国になるか、それとも植民地に成り下がるかは、第一段階で大都市を喪失するかどうかによって決まるのではなく、第二段階での全民族の努力の程度によって決まる。もし抗戦を堅持し、統一戦線を堅持し、持久戦を堅持することができれば、中国はこの段階で弱者から強者に転ずる力を獲得するであろう。中国抗戦の三幕劇では、これが第二幕である。全出演者が努力すれば、もっとも精彩ある終幕をみごとに演出できるであろう。
 (三八)
 第三段階は、失地回復の反攻段階である。失地回復で主として依拠するのは、前段階で準備され、この段階で引き続き成長する中国自身の力である。しかし、自己の力だけではなお不十分であり、さらに国際勢力の援助と敵国の内部的変化による助けに依拠しなければならず、それがなければ勝利は不可能である。従って、中国の国際宣伝と外交活動の任務が重くなる。この段階では、戦争はもはや戦略的防御ではなくて、戦略的反攻に変わり、現象的には、戦略的進攻として現れるであろう。それはもはや戦略的内線ではなくて、次第に戦略的外線に変わっていく。鴨緑江(ヤールーチァン)の岸辺まで進撃していって、はじめてこの戦争が終わることになる。第三段階は持久戦の最後の段階であり、抗戦を最後まで堅持するというのは、この段階の全過程を歩み終えることである。この段階で我が方のとる主要な戦争形態はやはり運動戦であるが、陣地戦が重要な地位に引き上げられるであろう。第一段階の陣地防御が、その時の条件からして、重要なものとみなしえないとすれば、第三段階での陣地攻撃は、条件の変化と任務の必要から、かなり重要なものになるであろう。この段階での遊撃戦は、それが第二段階で主要な形態になるのとは違って、やはり運動戦と陣地戦を補助し、戦略的呼応の役割を果たすことになろう。
 (三九)
 このようにみてくると、戦争が長期性とそれに伴う残酷性を帯びることは、明らかである。敵は中国を全部併呑することはできないが、相当長期にわたって中国の多くの地方を占領することができる。中国も急速に日本を駆逐することはできないが、大部分の土地は依然として中国のものであろう。最後には敵が敗北し、我が方が勝利するが、それには苦難の道をたどらなければならない。
 (四〇)
 中国の人民は、こうした長期の残酷な戦争のなかで、大いに鍛えられるであろう。戦争に参加する各政党も鍛えられ、試されるであろう。統一戦線は堅持しなければならない。戦争を堅持するには、統一戦線を堅持する以外にはなく、最後の勝利を勝ち取るには、統一戦線を堅持し、戦争を堅持する以外にはない。本当にそうするなら、あらゆる困難を克服することができる。戦争の苦難の道を歩み通したのちには、淡々とした勝利の道が拓ける。これが戦争の必然の論理である。
 (四一)
 三つの段階における敵と我が方の力の変化は、次のような道を辿るであろう。第一段階では、敵が優勢で、我が方は劣勢である。我が方のこうした劣勢については、抗戦以前からこの段階の終わりに至るまでのあいだに、二つの異なった変化がおこることを見通しておかなければならない。第一は下向きの変化である。中国のもとからの劣勢は、第一段階での消耗を経て一層ひどくなるであろう。それは、土地、人口、経済力、軍事力、文化機関などの減少である。第一段階の終わりになると、それらは、とりわけ経済の面では、かなり大きく減少するかもしれない。この点は、亡国論と妥協論の根拠として利用されるであろう。しかし、第二の変化、即ち上向きの変化もみなければならない。それは、戦争での経験、軍隊の進歩、政治の進歩、人民の動員、文化の新方向への発展、遊撃戦争の出現、国際的援助の増大などである。第一段階では、下向きに変化するものは古い量と質であり、主として量の面に現れる。上向きに変化するものは新しい量と質であり、主として質の面に現れる。この第二の変化は、我々に持久ができ、最後の勝利がえられる根拠を与えてくれるのである。
 (四二)
 第一段階では、敵側にも二つの変化が起こる。第一は下向きの変化で、数十万人の死傷、武器弾薬の消耗、士気の阻喪、国内の民衆の不満、貿易の減少、百億円以上の支出、国際世論の非難などの面に現れる。この面でも、我々に持久ができ、最後の勝利がえられる根拠を与えてくれる。しかし、敵の第二の変化、即ち上向きの変化も見通しておかなければならない。それは領土、人口、資源の拡大である。この点からは、また我々の抗戦が持久戦で、遠勝できないという根拠か生まれてくるし、同時に、それはまた亡国論や妥協論の根拠として一部の人に利用されるであろう。だが、我々は、敵のこの上向きの変化が一時的、局部的なものであることを見通さなければならない。敵は崩壊しようとしている帝国主義者であり、彼らが中国の土地を占領するのは一時的である。中国の遊撃戦争の猛烈な発展によって、彼らの占領区は、実際上、狭い地帯に局限されるであろう。そのうえ、敵が中国の土地を占領したことによって、さらに日本と他の外国との矛盾がうまれ、深まっている。さらに、東北三省の経験によると、日本にとっては、相当長い期間が、一般的には資本を投下するだけで、収益をあげる時期にはならない。これらのすべては、また我々が亡国論と妥協論を撃破し、持久論と最後勝利論を確立する根拠である。
 (四三)
 第二段階では、上述の双方の変化は引き続き発展するであろう。その具体的状況は予測できないが、だいたいにおいて日本は引き続き下向きに変化し、中国は引き続き上向きに変化するであろう
。例えば、日本の軍事力、財力は中国の遊撃戦争で大量に消耗され、国内の民衆の不満は一層募り、士気はますます衰え、国際的にはますます孤立感を深める。中国は、政治、軍事、文化及び人民の動員の面でますます進歩し、遊撃戦争がますます発展し、経済の面でも、奥地の小規模工業と広大な農業に依拠してある程度の新しい発展を遂げ、国際的援助も次第に増大し、現在の状況に比べて大いにその面目を改めるであろう。この第二段階は、相当長い期間を要するかもしれない。この期間には、敵と我が方の力の対比に大きなあい反する変化がおこり、中国は次第に上昇していくが、日本は次第に下降していくであろう。そのときには、中国は劣勢から脱し、日本は優勢を失い、まず均衡の状態に達して、さらに優劣の関係が逆になるであろう。それからは、中国はだいたいにおいて戦略的反攻の準備を終えて、反攻を進め、敵を国土から駆逐する段階に移る。繰り返して指摘すべきことは、劣勢を優勢に変え、反攻の準備を終えるということのなかには、中国自身の力の増大、日本の困難の増大、及び国際的援助の増大が含まれており、これらの力を総合すれば中国の優勢が形成され、反攻の準備が完成されるということである。
 (四四)
 中国の政治と経済の不均等状態によって、第三段階の戦略的反攻は、その前期には全国が揃った画一的な様相を呈するのではなく、地域性を帯びた、地域的起伏のある様相を呈するであろう。様々の分裂手段をとって中国の統一戦線を破壊しようとする敵の企みは、この段階では弱まることはない。従って、中国の内部の団結を固める任務はますます重要となり、内部の不和のため、戦略的反攻が腰くだけにならないように努めるべきである。この時期には、国際情勢は中国にとって非常に有利になるであろう。中国の任務は、このような国際情勢を利用して、自己の徹底的解放を勝ちとり、独立した民主主義国家を樹立することであるが、それは同時に世界の反ファシズム運動を援助することでもある。
 (四五)
 中国は劣勢から均衡に、それからさらに優勢に達し、日本は優勢から均衡に、それからさらに劣勢に移る。中国は防御から対峙に、それからさらに反攻に達し、日本は進攻から保持に、それからさらに退却に移る――これが中日戦争の過程であり、中日戦争の必然の成り行きである。
 (四六)
 そこで、問題と結論は次のようになる。中国は滅びるだろうか。答、滅びない、最後の勝利は中国のものである。中国は速勝できるだろうか。答、速勝することはできない、持久戦でなければならない。この結論は正しいか。私は正しいと思う。
 (四七)
 ここまで述べくると、亡国論者と妥協論者がまた飛び出してきて云うだろう。中国が劣勢から均衡に達するには、日本と同等の軍事力と経済力をもつ必要があり、均衡から優勢に達するには、日本を上回る軍事力と経済力をもつ必要がある。だが、それは不可能なことだ。従って、上述の結論は正しくない、と。
 (四八)
 これはいわゆる「唯武器論」
であり、戦争問題における機械論であり、問題を主観的、一面的にみる見解である。我々の見解はこれとは反対で、武器をみるだけでなく、人間の力もみるのである。武器は戦争の重要な要素ではあるが、決定的な要素ではなく、決定的な要素は物ではなくて人間である。力の対比は軍事力および経済力の対比であるばかりでなく、人力及び人心の対比でもある。軍事力と経済力は人間が握るものである。中国人の大多数、日本人の大多数、世界各国の人々の大多数が抗日戦争の側に立つとすれば、日本の少数のものが力ずくで握っている軍事力と経済力は、それでもなお優勢だといえるだろうか。それが優勢でないとすれば、比較的劣勢な軍事力と経済力を握っている中国が優勢になるではないか。中国が抗戦を堅持し、統一戦線を堅持しさえすれば、軍事力と経済力が次第に強化されることは疑いないところである。他方、我々の敵は、長期の戦争と内外の矛盾によって弱まっていき、その軍事力や経済力もまた必然的に逆の変化をする。このような状況のもとでも、中国は優勢に転じえないのだろうか。それだけではない。我々は他国の軍事力と経済力を大量に公然と自分の側の力とみなすことは今はできないが、将来もできないのだろうか。もし、日本の敵が中国一国にとどまらないなら、また、将来さらに一国あるいは数ヵ国が、相当大量の軍事力と経済力をもって日本に対し公然と防御または攻撃を行い、公然と我々を援助するなら、我々の側が一層優勢になるではないか。日本は小国で、その戦争は退歩的で野蛮なものであり、その国際的地位はますます孤立したものとなる。中国は大国で、その戦争は進歩的で正義のものであり、その国際的地位はますます援助の多いものとなる。これらのすべてが長期にわたって発展しても、敵と我が方の優劣の形勢が確実に変化するとはいえないだろうか。
 (四九)
 速勝論者は、戦争が力の競争であることをわきまえず、戦争する双方の力の対比に一定の変化が起こらないうちに戦略的決戦を行おうとし、解放への道を短縮しようとするが、これも根拠のないことである。彼らの見解が実行されれば、必ず壁に突き当たらざるをえない。彼らは、あるいは本当にやるつもりはなく、空論をして悦に入っているだけである。だが、最後には、事実という先生が飛び出してきて、これらの空論家に冷水を浴びせかけ、彼らが安易に事を運び、あまり骨を折らずに多くの収穫をあげようとする空論主義者に過ぎないことを立証するであろう。このような空論主義は、これまでもあったし、いまもあるが、まだそんなに多くはない。戦争が対峙の段階と反攻の段階に発展していけば、空論主義は多くなるであろう。だが同時に、もし第一段階での中国の損失がかなり大きく、第二段階がかなり長びけば、亡国論と妥協論が一層盛んになるであろう。従って、我々の火力は、主として亡国論と妥協論に向け、空論主義的速勝論には副次的な火力をもって反対すべきである。
 (五〇)
 戦争の長期性は確定的であるが、戦争がはたしてどれだけの年月を要するかは、誰も予測できない。これは、まったく敵と我が方の力の変化の度合いによって決まるのである。戦争の期間をちぢめようと考えているすべての人びとは、自己の力の増大、敵の力の減少に努力する以外に方法はない。具体的にいえば、勝ちいくさを多くして、敵の軍隊を消耗させること、遊撃戦争を発展させて、敵の占領地を最小の範囲に食い止めること、統一戦線を拡大強化して全国の力を結集すること、新しい軍隊を建設し新しい軍事工業を発展させること、政治、経済、文化の進歩を促すこと、労働者、農民、商工業者、知識層各界の人民を動員すること、敵軍を瓦解させ敵軍兵士を獲得すること、国際宣伝によって国際的援助を獲得すること、日本の人民及びその他の被抑圧民族の援助を獲得すること、こうしたことに努力する以外にない。これらすべての点をやりぬいてこそ、戦争の期間をちぢめることができるのであって、これ以外に、なにもうまくやれるコツなどありはしない。
 犬歯錯綜した戦争
 (五一)
 持久戦としての抗日戦争は、人類の戦争史に光栄ある特殊な一ページを飾るであろうと断言できる。犬歯錯綜(さくそう)した戦争の形態がそのかなり特殊な点で、これは日本の野蛮さと兵力不足、中国の進歩と土地の広大さという矛盾した要素から生まれたものである。犬歯錯綜した戦争は歴史上にもあったことで、ロシア十月革命後の三年間の内戦にはこうした状況があった。だが、中国での特徴はその特殊な長期性と広大性とにあり、これは歴史の記録を破るものとなろう。このような犬歯錯綜した形態は、次のいくつかの状況にあらわれている。
 (五二)
 内線と外線――抗日戦争は、全体としては内線作戦の地位におかれている。しかし、主力軍と遊撃隊との関係では、主力軍が内線、遊撃隊が外線にあって、敵を挾撃(きょうげき)するという奇観を呈している。各遊撃区の関係もまたそうである。それぞれの遊撃区はみな自己を内線、その他の各区を外線として、これもまた、敵を挾撃する多くの火線を形成している。戦争の第一段階では、戦略上の内線作戦を行う正規軍は後退するが、戦略上の外線作戦を行う遊撃隊は、広く敵の後方に向かって大きく前進し、第ニ段階では一層猛烈に前進して、後退と前進との特異な形態を形成するであろう。
 (五三)後方の有無
 ――国の大後方を利用して、作戦線を敵占領地の最後の限界までのばすのは主力軍である。大後方を離れて、作戦線を敵の後方までのばすのは遊撃隊である。だが、各遊撃区にもまたそれぞれ小規模な後方があり、それによって固定しない作戦線がつくられる。これと異なるのは、各遊撃区からその区の敵の後方に送り込まれて臨時に活動する遊撃隊であり、彼らには後方がないばかりか、作戦線もない。「無後方作戦」は、領土が広く、人民が進歩的で、先進的な政党と先進的な軍隊を持っている状況のもとでの新しい時代の革命戦争の特徴である。それは、恐れるべきものではなくて、大いに利点があり、疑うべきではなくて、提唱すべきである。
 (五四)
 包囲と反包囲――戦争全体からみれば、敵が戦略的進攻と外線作戦をとり、我が方が戦略的防御と内線作戦の地位に置かれていることによって、疑いもなく、我が方は敵の戦略的包囲のなかにある。これは我が方に対する敵の第一種の包囲である。我が方が量的に優勢な兵力を持って、戦略上の外線から数路に分かれて前進してくる敵に対し、戦役上戦闘上の外線作戦の方針をとることによって、各路に分かれて進んでくる一路または数路の敵を我が方の包囲のなかにおくことができる。これが敵に対する我が方の第一種の反包囲である。さらに、敵の後方にある遊撃戦争の根拠地についてみれば、孤立した一つ一つの根拠地は、四方または三方を敵に包囲されており、前者の例としては五台山(ウータイシャン)地区、後者の例としては山西省西北地区がある。これが我が方に対する敵の第二種の包囲である。だが、もし各遊撃根拠地をつないでみれば、そしてまたそれぞれの遊撃根拠地と正規軍の陣地とをつないでみれば、わが方も多くの敵を包囲している。例えば山西省では、大同(タートン)=風陵渡(フォンリントウ)鉄道を三方(鉄道の東西両側および南端)から包囲し、太原(タイユヮン)市を四方から包囲している。河北省、山東省などにもこのような包囲がたくさんみられる。これはまた、敵に対する我が方の第二種の反包囲である。

 
このようにして、敵と我が方はそれぞれ相手方に対して二種類の包囲を行なっているが、それはだいたい碁を打つようなもので、敵の我が方に対する、また我が方の敵に対する戦役上戦闘上の作戦は、石の取り合いに似ており、敵の拠点(例えば太原市)と我が方の遊撃根拠地(例えば五台山)は、ちょうど「目」のようなものである。もし、世界的な囲碁をも計算にいれるなら、さらに敵と我が方の第三種の包囲があり、侵略戦線と平和戦線との関係がそれである。敵は前者によって中国、ソ連、フランス、チェコスロバキアなどを包囲しており、我が方は後者によってドイツ、日本、イタリアを反包囲している。だが、我が方の包囲は如来のたなごころのように、宇宙にまたがる五行山となって、なん人かの今様の孫悟空――ファシスト侵略主義者を最後にはその山の下敷きにし、永劫(えいごう)に身動きもできないようにしてしまうであろう。もし我が方が外交的に太平洋反日戦線を結成し、中国を一つの戦略単位とし、またソ連やその他の参加可能な国ぐにをそれぞれ一つの戦略単位とし、さらに日本人民の運動をも一つの戦略単位として、ファシスト孫悟空が逃げ場のないように天地にまたがる大綱を張りめぐらすことができるなら、それは敵の死滅するときである。実際には、日本帝国主義が完全に打倒される日は、必ずこの天地にまたがる大綱がだいたいにおいて張りめぐらされたときである。これは決して冗談ではなく、戦争の必然的な成り行きである。
 (五五)
 広い地域と狭い地域――敵の占領地区が中国中心部の大半をしめ、中国中心部のなかで無傷の地域は半分たらずになる可能性がある。これが一つの状況である。しかし、敵の占領する大半のところでは、東北三省などをのぞいて、実際に占領しうるのは大都市、主要な交通線、および一部の平地だけであり、それらは重要性からいえば第一級のものではあるが、面積や人口からみれば敵占領区の半分以下に過ぎず、普遍的に発展している遊撃区のほうが却って大半を占める可能性がある。これもまた一つの状況である。もし中国中心部の範囲をこえて、蒙古(モンクー)、新疆(シンチァン)、青海(チンハイ)、チベットをも計算にいれれば、面積のうえでは、中国はまだ占領されていない地区がなお大半を占め、敵の占領地区は東北三省を含めても半分以下でしかない。これもまた一つの状況である。無傷の地域はもちろん重要であり、その経営に大きな力を注ぐべきで、それは単に政治、軍事、経済の面に限らず、文化の面でも大切である。敵は我々の過去の文化の中心地を文化的に遅れた地域に変えてしまったが、我々は、これまでの文化的に遅れていた地域を文化の中心地に変えなければならない。同時に、敵の後方にある広大な遊撃区の経営もまた非常に大切で、それらの地区の各方面も発展させるべきであり、またその文化活動も発展させるべきである。全体としてみれば、中国は、広い地域を占める農村が進歩した光明ある地区に変わり、狭い地域をしめる敵占領区、特に大都市が一時的に遅れた暗黒の地区に変わるであろう。
 (五六)
 このようにみてくると、長期でしかも大規模な抗日戦争は、軍事、政治、経済、文化の各方面での犬歯錯綜した戦争であって、これは戦争史上の奇観であり、中華民族の壮挙であり、天地をゆるがす偉業である。この戦争は、中日両国に影響し、両国の進歩を大いに促すばかりでなく、世界にも影響を及ぼして、各国の進歩、まず第一にインドなどの被抑圧民族の進歩を促すであろう。全中国人は皆なこの犬歯錯綜した戦争に自覚をもって身を投ずべきである。これこそ中華民族がみずから自己を解放するための戦争形態であり、半植民地の大国が二○世紀の三十年代と四十年代に行っている解放戦争の特殊な形態である。
 永遠の平和のために戦おう
 (五七)
 中国の抗日戦争の持久性は、中国と世界の永遠の平和を勝ち取ることと切り離せないものである。今日ほど戦争が永遠の平和に近づいたことは歴史上いまだかってなかった。階級が出現して以来、数千年にわたる人類の生活は戦争にみちており、あるいは民族集団内部で戦い、あるいは民族集団相互間で戦い、どの民族もどれほど多くの戦争をしてきたか分からない。戦いは、資本主義社会の帝国主義時代になると、特に大規模で残酷なものになった。三十年前の第一次帝国主義大戦は、それまでの歴史では空前のものであったが、まだ絶後の戦争ではなかった。今始まっている戦争こそが、最後の戦争に近づいており、つまり人類の永遠の平和に近づいているのである。いま世界では、三分の一の人口が戦争に巻き込まれている。見たまえ、イタリアの次が日本で、エチオピアの次がスペイン、それから中国だ。戦争に参加しているこれらの国々をあわせれば、ほとんど六億の人口に達し、世界総人口のほぼ三分の一を占めている。今の戦争の特徴は、絶え間がないという性質と、永遠の平和に近づくという性質を持っていることである。絶え間がないというのはなぜか。イタリアがエチオピアと戦ったのに続いて、イタリアがスペインと戦い、ドイツも一枚加わり、続いてまた日本が中国と戦っている。これに続くのは誰か。続いてヒトラーが諸大国と戦うことは疑いない。「ファシズムとは戦争である」
。まったくその通りだ。今の戦争が世界大戦に発展するまでは、絶え間がないであろうし、人類が戦争の災いを受けることは免れえない。では、今度の戦争が永遠の平和に近づいているというのはなぜか。今度の戦争は、第一次世界大戦のときに既に始まった世界資本主義の全般的危機の深まりを基礎として起こったものであり、この全般的危機によって、資本主義諸国は新たな戦争に駆り立てられており、まず第一に、ファシスト諸国が新たな戦争の冒険に駆り立てられている。我々は、今度の戦争の結果、資本主義が救われるのではなく、崩壊に向かうことを予見できる。今度の戦争は、二十年前の戦争より一層大規模で、残酷であり、すべての民族がこれに不可避的に巻き込まれ、戦争は非常に長びき、人類は大きな苦痛をなめさせられるであろう。だが、ソ連の存在と世界人民の自覚の高まりによって、今度の戦争には疑いもなくすべての反革命戦争に反対する偉大な革命戦争があらわれて、今度の戦争に永遠の平和のために戦う性質を持たせることとなろう。例えその後になお戦争の一時期があるとしても、もはや世界の永遠の平和から遠くはない。人類がひとたび資本主義を消滅すれば、永遠の平和の時代に到達し、そのときにはもはや戦争は必要でなくなる。そのときには軍隊の必要もなければ、軍艦の必要もなく、軍用機の必要もなければ、毒ガスの必要もなくなる。それからのちは、人類は何億万年も戦争に見舞われることがなくなる。既に始まっている革命戦争は、この永遠の平和のために戦う戦争の一部分である。五億以上の人口を占める中日両国間の戦争は、この戦争のなかで重要な地位をしめ、中華民族の解放はこの戦争を通じて勝ち取られるであろう。将来の解放された新しい中国は、将来の解放された新しい世界と切り離すことはできない。従って、我々の抗日戦争には、永遠の平和を勝ち取るために戦う性質が含まれている。
 (五八)
 歴史上の戦争は二つの種類に分けられる。一つは正義の戦争であり、もう一つは不正義の戦争である。進歩的な戦争はすべて正義の戦争であり、進歩を阻(はば)む戦争はすべて不正義の戦争である。我々共産党員は、進歩を阻む不正義の戦争にはすべて反対するが、進歩的な正義の戦争には反対しない。後者に対しては、我々共産党員は反対するどころか、積極的に参加する。前者、たとえば第一次世界大戦では、双方とも帝国主義の利益のために戦ったので、全世界の共産党員は断固としてその戦争に反対した。反対する方法は、戦争が勃発するまでは、極力その勃発を阻止することであるが、勃発したのちには、可能である限り、戦争によって戦争に反対し、正義の戦争によって不正義の戦争に反対することである。日本の戦争は進歩をはばむ不正義の戦争であって、日本人民をも含めた全世界の人民は、これに反対すべきであり、また現に反対している。我が中国では、人民から政府に至るまで、共産党から国民党に至るまで、皆な正義の旗を掲げて、侵略に反対する民族革命戦争を行なってきた。我々の戦争は神聖で、正義のものであり、進歩的で、平和を求めるものである。一国の平和を求めるばかりでなく、世界の平和をも求め、一時的な平和を求めるばかりでなく、永遠の平和をも求めるのである。この目的を達するには、決死の戦いを進めるべきで、どんな犠牲を払っても、最後まで戦いぬく用意がなければならず、目的を達するまで決して止めてはならない。犠牲は大きく、時間は長びくだろうが、永遠の平和と永遠の光明の新しい世界は既に鮮やかに我々の前に横たわっている。戦いに携わる我々の信念は、永遠の平和と永遠の光明の新しい中国と新しい世界を勝ち取るということのうえに築かれている。ファシズムと帝国主義は戦争を無期限に引き伸ばそうとするが、我々は戦争をそう遠くない将来に終わらせようとする。この目的のために、人類の大多数はきわめて大きな努力を払うべきである。四億五千万の中国人は全人類の四分の一を占めており、もし我々がともに努力して、日本帝国主義を打倒し、自由平等の新しい中国を創造することができたなら、全世界の永遠の平和を勝ち取るうえでの貢献が、非常に偉大なものとなることは疑いない。このような希望は虚しいものではない。全世界の社会経済の発展過程は既にそれに近づいており、これに多数の人々の努力が加わりさえすれば、何十年かのうちにはきっと目的は達せられるのである。
 戦争における能動性
 (五九)
 以上に述べたのは、なぜ持久戦なのか、なぜ最後の勝利は中国のものなのかを説明したもので、だいたいにおいて「何々である」、「何々ではない」ということについて述べたのである。次に、「どのようにする」、「どのようにはしない」という問題の研究に移ることにしよう。どのようにして持久戦を進め、どのようにして最後の勝利を勝ち取るか。これがこれから答えようとする問題である。このために、我々は順序を追って、次の問題を説明していこう。即ち戦争における能動性、戦争と政治、抗戦のための政治的動員、戦争の目的、防御のなかでの進攻、持久のなかでの速決、内線のなかでの外線、主動性、弾力性、計画性、運動戦、遊撃戦、陣地戦、殲滅(せんめつ)戦、消耗戦、敵のすきに乗ずる可能性、抗日戦争の決戦の問題、兵士と人民は勝利のもとという問題である。では、能動性の問題から述べていこう。
 (六〇)
 我々が問題を主観的にみることに反対するというのは、人間の思想が客観的事実にもとづかず、それに合致しなければ、それは空想で、えせの理論であり、もしそれにもとづいて行えば失敗する、だから反対しなければならない、ということである。だが、物事はすべて人間が行うもので、持久戦と最後の勝利も、人間が行わなければ実現しない。うまく行うには、まず誰かが客観的事実にもとづいて、思想、道理、見解を引き出し、ついで計画、方針、政策、戦略、戦術を提起しなければならない。思想その他は主観に属するものであり、行うこと、あるいは行動することは主観が客観に現れたものであって、どちらも人類の特殊な能動性である。このような能動性は我々が「自覚的能動性」と名づけるもので、それは人間が物と区別される特徴である。客観的事実にもとづく、またそれに合致する思想はすべて正しい思想であり、正しい思想にもとづいて行うこと、あるいは行動することはすべて正しい行動である。我々はこのような思想と行動を発揚し、このような自覚的能動性を発揚しなければならない。抗日戦争は帝国主義を追い出し、古い中国を新しい中国に変えるものであり、この目的を達するには、全中国の人民を動員して、一人のこらず抗日の自覚的能動性を発揚させなければならない。じっと座っていれば滅亡あるのみで、持久戦もなければ最後の勝利もない。
 (六一)
 自覚的能動性は人類の特徴である。人類は戦争のなかでこのような特徴を強くあらわす。戦争の勝敗は、もちろん双方の軍事、政治、経済、地理、戦争の性質、国際的援助などの条件によって決まるのであるが、しかし、単にこれらの条件だけで決まるのではない。これらの条件だけでは、まだ勝敗の可能性があるというにすぎず、それ自身としては勝敗は決まってはいない。勝敗が決まるには、さらに主観的努力が加わらなければならない。これが戦争の指導と戦争の実行であり、戦争における自覚的能動性である。
 (六二)
 戦争を指導する人々は、客観的条件の許す限度をこえて戦争の勝利を求めることはできないが、しかし、客観的条件の限度内で、戦争の勝利を能動的に勝ち取ることはできるし、またそうしなければならない。戦争の指揮員の活躍する舞台は、客観的条件の許す範囲内できすかれなければならないが、しかし、彼らはその舞台一つで精彩にとむ、勇壮な多くの劇を演出することができる。与えられた客観的物質を基礎にして、抗日戦争の指揮員はその威力を発揮し、全軍をひっさげて、民族の敵を打ち倒し、侵略と抑圧を受けている我が社会と国家の状態を改めて、自由平等の新中国をつくりだすべきであるが、ここでは、我々の主観的指導能力が使えるし、また使わなければならない。抗日戦争のいかなる指揮員であろうと、客観的条件から離れて、盲滅法にぶつかっていく向こうみず屋になることには賛成しないが、しかし、我々は抗日戦争の指揮員の一人ひとりが勇敢で聡明な将軍になるよう提唱しなければならない。彼らは敵を圧倒する勇気を持たなければならないばかりでなく、また戦争全体の変化発展を駆使できる能力をも持たなければならない。指揮員は、戦争という大海を泳いでいるのであって、沈まないようにし、確実に、段どりをおって、対岸に到達するようにしなければならない。戦争指導の法則としての戦略戦術は、戦争という大海での水泳術である。
 戦争と政治
 (六三)
 「戦争は政治の継続である」。この点からいえば、戦争とは政治であり、戦争そのものが政治的性質をもった行動であって、昔から政治性をおびない戦争はなかった。抗日戦争は全民族の革命戦争であり、その勝利は、日本帝国主義を駆逐し、自由平等の新中国を樹立するという戦争の政治目的からきりはなせないし、抗戦の堅持と統一戦線の堅持という全般的方針からも、全国人民の動員ということからも、将兵の一致、軍民の一致、敵軍の瓦解などの政治原則からも、統一戦線政策のりっぱな遂行ということからも、文化面での動員ということからも、国際勢力と敵国人民の援助をかちとる努力からもきりはなすことはできない。一言でいえば、戦争は片時も政治からきりはなせないものである。抗日軍人のなかに、もし、戦争を孤立させて、戦争絶対主義者になるような政治軽視の傾向があるなら、それは誤りであり、是正すべきである。
 (六四)
 だが、戦争にはその特殊性がある、この点からいえば、戦争がそのまま政治一般ではない。「戦争は別の手段による政治の継続である」
。政治が一定段階にまで発展し、もうこれまでどおりには前進できなくなると、政治の途上によこたわる障害を一掃するために戦争が勃発する。例えば、中国の半独立の地位が、日本帝国主義の政治的発展の障害となり、日本はそれを一掃しようとして、侵略戦争をおこした。中国はどうか。帝国主義の抑圧が早くから中国のブルジョア民主主義革命の障害となっていたので、この障害を一掃するために、いくどとなく解放戦争が起こった。今、日本が戦争による抑圧で中国革命の進路を完全に断とうとしているので、我々はこの障害を一掃しようと決意して抗日戦争を行なわざるをえなくなっている。障害が一掃され、政治目的が達成されると、戦争は終わる。障害がすっかり一掃されないうちは、目的を貫くために、戦争は依然として継続されるべきである。例えば抗日の任務がまだ終わらないのに、妥協を求めようとしても、決して成功しはしない。なぜなら、例え何らかの理由で妥協したとしても、広範な人民は決して承服せず、必ず戦争を継続して戦争の政治目的を貫ぬこうとするから、戦争はまた起こるのである。従って、政治は血を流さない戦争であり、戦争は血を流す政治であるといえる。
 (六五)
 戦争の特殊性から、戦争には一連の特殊な組織、特殊な方法、特殊な過程というものがある。その組織とは、軍隊及びそれに付随するいっさいのものである。その方法とは、戦争を指導する戦略戦術である。その過程とは、敵対する軍隊が互いに自己に有利で敵に不利な戦略戦術を用いて、攻撃もしくは防御をおこなう特殊な社会活動の形態である。従って、戦争の経験は特殊なものである。戦争に参加するすべての人びとは、普段の習慣から脱して戦争になれなければ、戦争の勝利を勝ち取ることはできない。
 抗日のための政治的動員
 (六六)
 このように偉大な民族革命戦争は、ゆきわたった、浸透した政治的動員なしには、勝利することができない。抗日以前に、抗日のための政治的動員がみられなかったことは、中国の大きな欠陥であり、すでに敵に一手をとられたのである。抗日以後も、政治的動員はまったくゆきわたっておらず、まして浸透したなどとはいえない。人民の大多数は、敵の砲火や飛行機の爆弾から戦争の消息を聞いたのである。これも一種の動員ではあるが、敵がかわりにやってくれたもので、我々自身がやったものではない。辺鄙(へんぴ)な地方にいて砲声を耳にしない人びとは、いまでもなお静かに生活している。このような状態は改めなければならない。そうしなければ、生死をかけた戦争に勝利することはできない。けっして二度と敵に一手をとられてはならず、反対に、この政治的動員の一手を大いに発揮して敵に勝ちを制する必要がある。この一手は関係するところがきわめて大きい。武器その他が敵におとっているのは二のつぎで、この一手がなによりもいちばん重要である。全国の民衆を動員すれば、敵をすっぽり沈めてしまう洋々たる大海原がつくられ、武器その他の欠陥をおぎなう補強条件がつくられ、戦争のあらゆる困難をのりきる前提がつくられる。勝利するには、抗戦を堅持し、統一戦線を堅持し、持久戦を堅持しなければならない。しかし、これらのすべては、民衆を動員することから切り離すことはできない。勝利を望みながらも政治的動員を無視するのは「南へいくのに、車を北に走らせる」というものであって、その結果は、必ず勝利を捨てることになる。
 (六七)
 政治的動員とはなにか。それは、第一に、戦争の政治目的を軍隊と人民に教えることである。兵士と人民の一人ひとりに、なぜ戦わなければならないか、戦争は彼らとどんな関係があるかをぜひ分からせることである。抗日戦争の政治目的は「日本帝国主義を駆逐し、自由平等の新中国を樹立する」ことである。この目的をすべての軍人や人民に教えなければ、数億の人民が心を一つにして、戦争にすべてをささげるよう、抗日の波を大きく盛り上げることはできない。第二に、単に目的を説明するだけではまだ不十分で、さらにこの目的を達成するための段取りや政策についての説明、即ち政治綱領が必要である。今では、既に『抗日救国十大綱領』
があり、さらに『抗戦建国綱領』があるが、それらを軍隊と人民に普及し、さらにそれを実行に移すよう、すべての軍隊と人民を動員すべきである。明確で具体的な政治綱領がなければ、抗日をやりぬくよう全軍隊、全人民を動員することはできない。第三に、どのようにして動員するのか。口頭、ビラや布告、新聞や書籍、演劇や映画、学校、民衆団体、幹部を通じて動員するのである。今、国民党支配地区で、いくらか行われれているが、大海の一滴のようなもので、方法も民衆のはだにあわず、態度も民衆からかけ離れており、これは確実に改めなければならない。第四に、抗日戦争のための政治的動員は恒常的なものであって一回で十分というものではない。これは政治綱領を暗唱して民衆に聞かせることではないし、そんな暗唱は誰も聞くものではない。戦争の発展の状況に結びつけ、兵士と民衆の生活に結びつけて、戦争のための政治的動員を恒常的な運動にしなければならない。これはきわめて大切なことで、戦争の勝利はなによりもまずこのことにかかっている。




(私論.私見)