延安の文学・芸術座談会における講話(文芸講話)(1942.5月)

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【毛沢東「延安の文学・芸術座談会における講話(文芸講話)(1942.5月)
 「毛沢東選集第三巻」の「延安の文学・芸術座談会における講話」 を参照転載する。
 まえおき (一九四二年五月二日)
 同志諸君。今日、皆さんにお集まり願い、座談会を開いた目的は、文学・芸術活動と革命活動一般との関係について、皆さんと意見を交換し、検討することにある。それは、革命的文学・芸術の正しい発展を図り、他の革命活動に対する革命的文学・芸術のより良い協力をはかって、我が民族の敵を打倒し、民族解放の任務を完遂するためである。

 中国人民解放のための我々の闘争には色々の戦線があるが、その中には文と武の二つの戦線、即ち文化戦線と軍事戦線があると云ってもよい。我々が敵にうち勝つには、まず銃を手にした軍隊に頼らなければならない。しかし、この軍隊だけでは十分でなく、我々にはさらに文化の軍隊が必要であって、これは、味方を団結させ、敵にうち勝つために欠くことのできない軍隊である。

 この文化の軍隊は「五・四」のときから中国で形づくられ、中国革命を助けて、中国の封建文化及び帝国主義の侵略に適応する買弁文化の地盤を次第に縮小させ、その勢力を次第に弱化させてきた。今では、中国の反動派は、新しい文化に対抗するのに「量によって質にあたる」という方法しか持ちだせなくなっている。つまり反動派には金がいくらでもあるから、例え良いものは出せなくても、必死になってたくさん出すことはできるというわけである。

 「五・四」以来の文化戦線では、文学と芸術は重要な、成果のあがった部門である。革命的文学・芸術運動は十年の内戦の時期に大きな発展をとげた。この運動と当時の革命戦争とは、全般的な方向では一致していたが、実際活動では、互いに結びついていなかった。それは、当時の反動派がこの二つの兄弟の軍隊の間を断ち切っていたからである。抗日戦争がおこってから、延安や各抗日根拠地にやって来る革命的な文学・芸術活動家が多くなってきたが、これは結構なことである。しかし、根拠地に来たからといって、もう根拠地の人民大衆と完全に結びついたというわけではない。革命活動を前進させるには、この両者を完全に結びつけなければならない。

 我々が今日、座談会をひらいたのは、人民を団結させ、人民を教育し、敵に打撃をあたえ、敵を消滅する有力な武器として、文学・芸術を革命という機械全体の一構成部分にふさわしいものにするためであり、これによって、人民が一心同体になって敵と闘かえるよう助けるのである。この目的のためには、どういう問題を解決すべきであろうか。次のような問題、即ち文学・芸術活動家の立場の問題、態度の問題、活動対象の問題、活動の問題、学習の問題があるとおもう。

 立場の問題。我々はプロレタリア階級の立場、人民大衆の立場に立つものである。共産党員についていえば、とりもなおさず、党の立場に立つのであり、党性及び党の政策の立場に立つのである。この問題で、我が文学・芸術活動家の間に、認識の正しくないか、はっきりしていないものがまだいるのではないだろうか。私はいるとおもう。多くの同志はしばしば自分の正しい立場を失なっている。

 態度の問題。立場に応じて、我々が様々な具体的な事物に対してとる具体的な態度が生れてくる。例えば、賛美するか、それとも暴露するか、これが態度の問題である。いったい、どちらの態度が我々には必要なのか。私に云わせれば二つとも必要で、問題はどういう人びとに対してかということである。三種類の人びとがいて、一つは敵、一つは統一戦線内の同盟者、一つは味方であるが、この三番目の人びとが人民大衆とその前衛である。この三種類の人びとに対しては三種類の態度が必要である。

 敵に対し、即ち日本帝国主義とすべての人民の敵に対しては、革命的文学・芸術活動家の任務は、敵の残虐さと欺瞞を暴露するとともに、敵の失敗が必至であることを指摘し、抗日の軍隊と人民が一心同体になって、断固として敵を打倒するよう、励ますことである。

 統一戦線内の様々な異なった同盟者に対しては、我々の態度は、連合もすれば、批判もする、様々な異なった連合もすれば、様々な異なった批判もする、ということでなければならない。彼らの抗戦には、我々は賛成である。もし成果があれば、我々はやはり称賛する。しかし、彼らが抗戦に積極的でなければ、我々は彼らを批判すべきである。もし反共、反人民に走り、日一日と反動への道を進む者があれば、我々は断固として反対する。

 人民大衆に対し、人民の労働と闘争に対し、人民の軍隊、人民の政党に対しては、我々は当然称賛すべきである。人民にも欠点はある。プロレタリア階級の中ではまだ多くのものが小ブルジョア思想をもっており、農民と都市小ブルジョア階級は遅れた思想を持っていて、それらが彼らの闘争の中での負担になっている。我々は、彼らが大きく前進できるように、長期にわたって辛抱づよく教育し、彼らが肩の重荷をなげすて、自分の欠点や誤りと闘かうのを助けるべきである。彼らは闘争の中で、既に自己を改造したか、あるいは改造しつつある。我々の文学・芸術は彼らのこの改造の過程を抽くべきである。誤まりを固執するものでない限り、我々は、その一面だけをみて、彼らを嘲笑し、ひいては敵視するという誤まった態度をとるべきではない。

 我々の書くものは、彼らが団結し、彼らが進歩し、彼らが一心同体になって、ひたむきに奮闘し、遅れたものを捨てて革命的なものを伸ばすようにしむけるべきであって、決してその反対であってはならない。

 活動対象の問題、即ち文学・芸術作品を誰に見せるかという問題。陝西《シャンシー》・甘粛《カンスー》・寧夏《ニンシァ》辺区や華北、華中の各抗日根拠地では、この問題は、国民党支配区とは異なり、抗戦以前の上海とはなおさら異なっている。上海の時期には、革命的な文学・芸術作品の受け取り手は、主として一部の学生、職員、店員であった。抗戦以後の国民党支配区では、その範囲はいくらかひろがったこともあるが、基本的にはやはりこれらの人びとが主となっている。なぜなら、そこの政府が労働者、農民、兵士を革命的な文学・芸術から切り離しているからである。

 我々の根拠地では、まったくこれと異なっている。根拠地では文学・芸術作品の受け取り手は労働者、農民、兵士及び革命幹部である。根拠地には学生もいるが、これらの学生は、また旧式の学生とは異なっていて、以前から幹部であったものか、将来幹部になるものである。様々な幹部、部隊の戦士、工場の労働者、農村の農民は、文字を覚えれば本や新聞を読もうとするし、文字を知らないものでも、芝居を見、絵を見、歌をうたい、音楽を聴こうとするのであって、彼らこそ我々の文学・芸術作品の受け取り手である。

 幹部についていっても、その数を少ないと考えるべきでなく、その数は国民党支配区で一冊の本が出版された場合の読者よりもはるかに多いのである。国民党支配区では、普通、一冊の本は一版がせいぜい二千部で、三版出してもやっと六千部である。だが、根拠地の幹部で本が読めるものは延安だけでも、一万人以上はいる。しかも、これらの幹部の多くは長い間、鍛えられてきた革命家で、彼らは全国各地から来ており、また各地へ活動しに行くのであるから、これらの人びとに対する教育活動は大きな意義を持っている。我が文学・芸術活動家はこれらの人びとに対する活動をよく行うべきである。

 文学・芸術活動の対象が労働者、農民、兵士およびその幹部である以上、彼らを理解し、彼らを熟知するという問題が生れてくる。そして、彼らを理解し、彼らを熟知するためには、また党・政府機関、農村、工場、八路軍・新四軍の中で様々な人を理解し、様々な人を熟知し、様々なことがらを理解し、様々なことがらを熟知するためには、多くの活動をする必要がある。

 我が文学・芸術活動家は自分の文学・芸術活動を行う必要があるが、人を理解し、人を熟知するというこの活動の方が第一の仕事である。我が文学・芸術活動家は、これらについて、今までどのような状態にあっただろうか。私に云わせると、今までは、知らず、分からず、英雄も腕をふるう場所なし、と云うものであった。

 知らず、とはどういうことか。人を知らないということである。文学・芸術活動家が、自分の抽く対象や作品の受け取り手を知らないか、あるいは、まったく疎いということである。我が文学・芸術活動家は労働者を熟知せず、農民を熟知せず、兵士を熟知せず、また彼らの幹部を熟知していない。

 分からず、とはどういうことか。言葉が分かっていないということ、即ち人民大衆の豊かな生き生きとした言葉について十分な知識に欠けていることである。多くの文学・芸術活動家は、自分が大衆から遊離し、生活が空虚なことから、当然、人民の言葉も熟知していない。従って、彼らの作品は、言葉に味がないばかりでなく、そこにはしばしば、無理にこしらえた、人民の言葉とは対立する、分けの分からない語句がまじっている。

 多くの同志はよく「大衆化」を口にするが、大衆化とはなんだろうか。それは、我が文学・芸術活動家の思想・感情が労働者、農民、兵士大衆の思想・感情と一つに溶け合うことである。一つに溶け合うためには、大衆の言葉を真剣に学ぶべきである。大衆の言葉にさえ分からないところがたくさんあるとすれば、文学・芸術の創造など話しにもなるまい。英雄も腕をふるう場所なしとは、ひとそろいの大理屈を並べたてても、大衆は感心しないということである。

 大衆のまえで、先輩風をふかせば吹かすほど、「英雄」ぶればぶるほど、そのひとそろいのものを押し売りしようとすればするほど、大衆はますます買わなくなるであろう。大衆から理解してもらい、大衆と一つに溶け合おうとするなら、長い間の、苦痛でさえある試練を経る決心をしなければならない。

 ここで、私自身の感情の変化についての経験を話してみよう。私は学生出身であり、学校で学生気質が身についてしまったため、物を肩でかつぐことも手にさげることもできず、大勢の学生の前では、自分の荷物をかつぐような、ちょっとした力仕事をすることさえ格好がわるいと感じていた。その頃、私は、世の中できれいな人間は知識人だけで、労働者、農民は、なんといってもそれより汚い、と思っていた。私は、知識人の着物ならきれいだと考え、他人のものでも着られるのに、労働者、農民の着物は汚いと考えて、着る気になれなかった。

 革命をやり、労働者、農民や革命軍の戦士たちと一緒になってから、私は次第に彼らを熟知するようになり、彼らも又次第に私を熟知するようになった。そのとき、まさにそのときから、私は、ブルジョア学校で教えられた、あのブルジョア的、小ブルジョア的な感情を根本的に改めたのである。そのときになって、まだ改造されていない知識人を労働者、農民と比べてみると、知識人はきれいでなく、もっともきれいなのはやはり労働者、農民であり、例え、彼らの手がまっ黒で、足に牛の糞(ふん)がついていても、やはりブルジョア階級や小ブルジョア階級の知識人よりきれいだとおもうようになった。感情に変化がおこり、ある階級から他の階級に変わったというのはこのことである。

 我が知識人出身の文学・芸術活動家が自分の作品を大衆から歓迎されるものにするには、自分の思想・感情に変化をおこさせ、その改造を行なわなければならない。この変化、この改造なしには、何事もうまくいかず、何もかもしっくりしないものである。

 最後の問題は学習で、それはマルクス・レーニン主義の学習と社会の学習のことである。マルクス主義の革命作家を自任する者、わけても党員作家は、マルクス・レーニン主義の知識をもたなければならない。しかし、現在、一部の同志たちには、マルクス主義の基本的観点が欠けている。例えば、存在が意識を決定すること、階級闘争と民族闘争の客観的現実が我々の思想・感情を決定することは、マルクス主義の基本的観点の一つである。ところが、我が一部の同志たちは、この問題を転倒させてしまい、すべては「愛」から出発すべきだなどといっている。

 愛について云うなら、階級社会では、階級的な愛しかないのに、これらの同志たちは、何か超階級的な愛とか、抽象的な愛とか、また抽象的な自由、抽象的な真理、抽象的な人間性とかいったものを追求しようとしている。このことは、これらの同志たちがブルジョア階級の影響を深く受けていることを示している。

 このような影響を徹底的に一掃し、虚心にマルクス・レーニン主義を学習すべきである。文学・芸術活動家が文学・芸術創作を学習すべきであること、これは正しい。だが、マルクス・レーニン主義はすべての革命家が学習すべき科学であり、文学・芸術活動家も例外ではありえない。

 文学・芸術活動家は社会を学習しなければならない。つまり社会の各階級を研究し、それらの相互関係およびそれぞれの状態を研究し、それらの相貌や心理を研究しなければならないのである。我々の文学・芸術がゆたかな内容と正しい方向をもつには、これらの点をあきらかにする以外にない。

 今日は話のきっかけとして、これらのいくつかの問題を提起したにすぎない。皆さんがこれらの問題や他の関連ある問題について意見をのべられるよう希望する。
 結論(一九四二年五月二十三日)
 同志諸君。我々のこの座談会は、一ヵ月の間に三回開かれた。みんなが真理探求のために活発な論争を繰り広げ、党内、党外の同志たちが何十人か発言して、問題を展開し、具体化した。これは文学・芸術運動全体を益するところが大きいと思う。

 我々が問題を討議するには、定義から出発するのではなくて、実際から出発すべきである。もし、我々が教科書に従って、文学とは何か、芸術とは何かという定義を探しだし、そのあと、それに従って、今日の文学・芸術運動の方針を規定し、今日、発生している様々な見解や論争を評価するならば、そういう方法は正しくない。

 我々はマルクス主義者であり、マルクス主義は、我々が問題をみる場合、抽象的な定義から出発するのではなく、客観的に存在する事実から出発し、これらの事実の分析の中から方針、政策、方法を探しださなければならないと教えている。今、文学・芸術活動について討議するのにも、我々はこのようにすべきである。

 現在の事実とはなにか。その事実とは次の通りである。既にに五年間つづけられた中国の抗日戦争、全世界の反ファシズム戦争、中国の大地主・大ブルジョア階級の抗日戦争における動揺と人民に対する高圧政策、「五・四」以来の革命的文学・芸術運動――この運動の二十三年来の革命に対する偉大な貢献とそのいくたの欠陥、八路軍・新四軍の抗日民主根拠地並びにこれらの根拠地における数多くの文学・芸術活動家と八路軍・新四軍および労働者・農民との結合、根拠地の文学・芸術活動家と国民党支配区の文学・芸術活動家との環境及び任務のうえでの違い、今、延安や各抗日根拠地の文学・芸術活動で発生している論争問題。――これらが実際に存在する否定できない事実であり、我々は、これらの事実を基礎にして、我々の問題を考える必要がある。

 では、我々の問題の中心は何か。我々の問題は、基本的には、大衆のためという問題、及び大衆のためにどのようにするかという問題だと思う。この二つの問題を解決しなかったり、解決が当を得なかったりすれば、我が文学・芸術活動家は、自己の環境、任務に適応できず、外部的にも内部的にも一連の問題につきあたるであろう。私の結論は、この二つの問題を中心とするが、同時にこれと関わりのある他のいくつかの問題にも触れることにする。
 一

 第一の問題は、我々の文学・芸術は誰のためのものかということである。

 この問題は、元々、マルクス主義者によって、特にレーニンによって、早くから解決されている。レーニンは、既に一九〇五年、我々の文学・芸術は「幾千万の勤労者に奉仕」すべきであるとつよく指摘している。我が各抗日根拠地で文学・芸術活動に従事する同志たちの間では、この問題はすでに解決されていて、いまさら話す必要はないかのようにみえる。実はそうではない。多くの同志にとって、この問題は明確には解決されていない。従って、彼らの気分、彼らの作品、彼らの行動、彼らの文学・芸術の方針問題についての意見のなかには、大衆の要求にも合致しないし、また実際の闘争の必要にも合致しない状態が、多かれ少なかれ生じるのをまぬかれない。

 現在、共産党、八路軍、新四軍とともに、偉大な解放闘争に従事している数多くの文化人、文学者、芸術家ないしは一般文学・芸術活動家の中には、もちろん、一時的な投機分子がいくらかいるかもしれないが、圧倒的多数は共同の事業のため活動に励んでいる。これらの同志に依拠して、我々の文学活動、演劇活動、音楽活動、美術活動全体は大きな成果をあげてきた。これらの文学・芸術活動家の中には、抗戦以後に活動をはじめた人がたくさんいるが、抗戦以前から長いあいだ革命活動を行い、数々の苦労を重ね、その活動や作品によって広範な大衆に影響をあたえてきた人もたくさんいる。だが、これらの同志のあいだにさえ、文学・芸術は誰のためのものかという問題を明確には解決していない人がいるというのはなぜだろうか。彼らのなかには、革命的な文学・芸術は人民大衆のためのものではなく、搾取者、抑圧者のためのものだなどと主張している人がまだいるとでもいうのであろうか。

 確かに、搾取者、抑圧者のための文学・芸術はある。文学・芸術が地主階級のためのものであれば、それは封建主義の文学・芸術である。中国の封建時代の支配階級の文学・芸術はこのようなものであった。今日でも、このような文学・芸術は中国でまだかなり大きな勢力をもっている。文学・芸術がブルジョア階級のためのものであれば、それはブルジョア階級の文学・芸術である。魯迅が批判した梁実秋《リァンシーチウ》のような人間は、口先では、文学・芸術は超階級的なものだなどといっているが、実際には、プロレタリア階級の文学・芸術に反対して、ブルジョア階級の文学・芸術を主張している。文学・芸術が帝国主義者のためのものであれば、周作人《チョウツォレン》、張資平《チャンツーピン》らがそうだが、それは民族裏切り者の文学・芸術とよばれる。

 我々にあっては、文学・芸術は上述のさまざまな人びとのためのものではなく、人民のためのものである。かつて我々は、現段階の中国の新文化を、プロレタリア階級の指導する、人民大衆の、反帝・反封建の文化であるといった。真に人民大衆のものは、現在では必ずプロレタリア階級が指導するものである。ブルジョア階級の指導するものは、人民大衆のものにはなりえない。新文化のうちの新文学、新芸術も、当然その通りである。過去の時代から残されてきた、中国や外国の文学・芸術の豊な遺産と優れた伝統については、我々はこれを受け継ぐものであるが、その目的はやはり人民大衆のためである。過去の時代の文学・芸術の形式についても、我々は利用を拒むものではないが、これらの古い形式も、我々の手にうつって改造され、新しい内容が盛り込むまれれば、人民に奉仕する革命的なものに変わるのである。

 では、人民大衆とは何か。もっとも広範な人民、全人口の九〇パーセント以上をしめる人民は、労働者、農民、兵士および都市小ブルジョア階級である。従って、我々の文学・芸術は、第一には、革命を指導する階級としての労働者のためのものである。第二には、革命におけるもっとも数の多い、もっとも確固とした同盟軍としての農民のためのものである。第三には、革命戦争の主力としての武装した労働者、農民、即ち八路軍、新四軍その他の人民武装組織のためのものである。第四には、長期にわたって我々と協力できる、やはり革命の同盟者である都市小ブルジョア勤労大衆および知識人のためのものである。この四種類の人びとが、中華民族の最大の部分であり、もっとも広範な人民大衆である。

 我々の文学・芸術は、上にのべた四種類の人びとのためのものでなければならない。我々がこの四種類の人びとに奉仕するには、プロレタリア階級の立場に立つべきで、小ブルジョア階級の立場に立ってはならない。今日、個人主義的な小ブルジョア的立場を固執している作家は、真に革命的な労働者、農民、兵士大衆のために奉仕することができず、その興味は主として少数の小ブルジョア知識人にそそがれている。我々の中の一部の同志が、いま、文学・芸術は誰のためのものかという問題を正しく解決できない中心点は、まさにここにある。

 私がこういうのは、理論上のことをさしているのではない。理論上、あるいは口先では、労働者、農民、兵士大衆を小ブルジョア知識人より重要でないとみなす人は、我々の隊列の中に一人もいない。私が云うのは、実際上、行動上のことである。実際上、行動上、彼らは小ブルジョア知識人の方を労働者、農民、兵士よりももっと重要だとみなしているのではないだろうか。私はそうだとおもう。多くの同志は、小ブルジョア知識人が自分たちと一緒に、労働者、農民、兵士大衆に接近し、労働者、農民、兵士大衆の実際闘争に参加し、労働者、農民、兵士大衆を描写し、労働者、農民、兵士大衆を教育するようこれらの知識人を導くのではなくて、小ブルジョア知識人の研究とその心理の分析により力を入れ、彼らを描写することにより重きをおき、彼らの欠点を容認しそれを弁護している。

 多くの同志は、自分が小ブルジョア出身であり、知識人であるところから、知識人の隊列にだけ友人をもとめ、知識人の研究や描写の面にその注意力をそそいでいる。こうした研究や描写がプロレタリア階級の立場からなされるなら、それは正しい。しかし、彼らは、そうでないか、完全にはそうでない。彼らは小ブルジョア階級の立場に立っており、自分の作品を小ブルジョア階級の自己表現として創作しているのであって、かなり多くの文学・芸術作品にそうしたものがみられる。彼らは多くの場合、小ブルジョア出身の知識人に心からの共感をよせ、彼らの欠点にさえも共感をよせたり、はてはそれを鼓吹したりする。

 労働者、農民、兵士大衆にたいしては、接近すること、理解すること、研究することに欠け、心の通う友に欠け、彼らを描写することに長じていない。たとえ描写したとしても、着物は働く人民だが、顔つきは小ブルジョア知識人である。彼らも、ある面ではやはり労働者、農民、兵士を愛するし、労働者、農民、兵士出身の幹部を愛するが、しかし、愛さない時もあれば、愛さない点もあり、彼らの感情、彼らの形象、彼らの芽ばえつつある文学・芸術(壁新聞、壁画、民謡、民話など)を愛さない。

 彼らは、ときには、こうしたものを愛することもあるが、それは奇をもとめるため、自分の作品をかざるため、さらにはその中の遅れたものを追求するために愛するのである。また時には、公然とそうしたものをさげすみ、小ブルジョア知識人のもの、ないしはブルジョア階級のものを偏愛する。これらの同志の立脚点はまだ小ブルジョア知識人の側にある。あるいはもっと上品な言葉にいいかえれば、彼らの魂の奥底はまだ小ブルジョア知識人の王国なのである。

 だから、彼らは誰のためのものかという問題をまだ解決していないか、明確には解決していない。これは、単に、延安に来てまもない人びとのことだけをいっているのではない。前線にいったことのある人びとや、根拠地、八路軍・新四軍の中で何年も活動したことのある人びとの中にも、この問題を徹底的には解決していない人がたくさんいる。この問題を徹底的に解決するには、どうしても九年、十年という長い時間をかけなければならない。だが、どんなに時間が長くかかっても、我々はそれを解決しなければならず、明確に、徹底的に、それを解決しなければならない。我が文学・芸術活動家は、必ずこの任務を成し遂げ、立脚点をうつしかえねばならず、また、労働者、農民、兵士大衆の中に深く入り実際闘争に深くはいる過程で、マルクス主義を学習し社会を学習する過程で、労働者、農民、兵士の側、プロレタリア階級の側に次第に立脚点をうつしかえなければならない。このようにしてこそ、我々は真の労働者、農民、兵士のための文学・芸術、真のプロレタリア階級の文学・芸術をもつことができるのである。

 誰のためのものかという問題は、根本的な問題であり、原則的な問題である。これまで、一部の同志のあいだの論争、意見の相違、対立および不団結は、この根本的、原則的な問題についてのものではなくて、比較的第二義的な、さらには無原則的でさえある問題についてのものであった。ところが、この原則問題については、むしろ論争している双方に意見の相違などはなく、ほとんど一致しており、ともに労働者、農民、兵士の軽視、大衆からの遊離の傾向をある程度もっていた。私がある程度というのは、一般的にいって、これらの同志の労働者、農民、兵士の軽視、大衆からの遊離は、国民党の労働者、農民、兵士の軽視、大衆からの遊離とは違っているからである。しかし、いずれにしてもこの傾向はある。この根本問題を解決しなければ、他の多くの問題も解決しにくい。

 たとえば文学・芸術界のセクト主義についていうと、これも原則問題であるが、セクト主義をとりのぞくには、やはり、労働者、農民のために、八路軍、新四軍のために、大衆の中へ、というスローガンを掲げ、これを着実に実行してのみ、その目的を達成できるのであり、さもなければ、セクト主義の問題は断じて解決することができない。かつて魯迅は、「連合戦線は、共通の目的を持つことが必要条件である。……我々の戦線が統一できないのは、我々の目的が、ただ小グループのためのものか、実際にはただ個人のためのものかになっていて、一致していないことを証明している。目的がすべて労働者、農民大衆にあるなら、当然、戦線も統一される」といった。

 この問題は、当時の上海にもあったし、今の重慶にもある。それらの地方では、支配者が革命的な文学者・芸術家を圧迫して、労働者、農民、兵士大衆の中にはいっていく自由をあたえていないので、この問題の徹底的解決はむずかしい。

 我々のところでは,事情がまったく違う。我々は革命的な文学者・芸術家が積極的に労働者、農民、兵士に近づくよう激励し、彼らに大衆の中へはいる完全な自由をあたえ、彼らに真の革命的な文学・芸術を創造する完全な自由を与えている。だからこの問題は、我々のところでは解決にちかづいている。解決に近づいているということは、完全に徹底的に解決したということではない。マルクス主義を学習し、社会を学習する必要があるというのは、この問題を完全に徹底的に解決するためである。

 我々のいうマルクス主義とは、口先のマルクス主義ではなく、大衆の生活、大衆の闘争のなかで実際に役立つ、生きたマルクス主義のことである。口先のマルクス主義を実際の生活でのマルクス主義に変えれば、セクト主義はうまれるはずがない。単にセクト主義の問題が解決されるばかりでなく、他の多くの問題も解決されるであろう。
 二

 誰のために奉仕するかという問題が解決されると、それにつづく問題は、どのように奉仕するかということである。同志たちの言葉を借りて云えば、向上に努めるか、それとも普及に努めるかということである。

 これまで一部の同志たちは、普及をかなり軽視あるいは無視するか、ひどく軽視あるいは無視し、向上を不適当に強調し過ぎた。向上は強調すべきであるが、これを一面的、孤立的に強調し、不適当な程度にまで強調するなら、それは誤りである。誰の為のものかという問題が明確には解決されていないという、私が先にあげた事実は、この点にも現われている。そのうえ、誰の為のものかということがはっきりしていないため、彼らの云う普及と向上には正しい基準がなく、まして両者の正しい関係を見いだすことができないのは当然である。

 我々の文学・芸術が、基本的には、労働者、農民、兵士のためのものである以上、普及というのも労働者、農民、兵士への普及であり、向上というのも労働者、農民、兵士からの向上である。どのようなものを彼らの間に普及させるのか。封建地主階級に必要な、受け入れ易いものであろうか。ブルジョア階級に必要な、受け入れ易いものであろうか。小ブルジョア知識人に必要な、受け入れ易いものであろうか。いずれもだめであって、ただ、労働者、農民、兵士自身に必要な、受け入れ易いものにかぎられる。従って、労働者、農民、兵士を教育するという任務より先に、まず労働者、農民、兵士に学ぶという任務がある。向上の問題ではなおさらそうである。向上には基礎がなければならない。例えば桶の水にしても、地上から持ち上げないで、空中から持ち上げるというものではあるまい。

 では、文学・芸術の向上というのは、どのような基礎からの向上であろうか。封建階級の基礎からであろうか。ブルジョア階級の基礎からであろうか。小ブルジョア知識人の基礎からであろうか。そのいずれでもなく、労働者、農民、兵士大衆の基礎からの向上でしかありえない。それはまた、労働者、農民、兵士を、封建階級、ブルジョア階級、小ブルジョア知識人の「高さ」にまで向上させるのではなく、労働者、農民、兵士自身の進む方向、プロレタリア階級の進む方向にそって向上させるのである。このことは、労働者、農民、兵士に学ぶという任務を提起している。我々が普及と向上について正しい理解を持ち、普及と向上の正しい関係を見いだすには、労働者、農民、兵士から出発する以外にない。

 あらゆる種類の文学・芸術の源はいったいどこにあるのか。イデオロギーとしての文学・芸術作品は、すべて一定の社会生活の人間の頭脳における反映の産物である。革命的な文学・芸術は、人民の生活の革命的作家の頭脳における反映の産物である。人民の生活の中には、元々、文学・芸術の素材の鉱脈があって、これは自然のままの形をした、荒削りのものではあるが、もっとも生気にみちた、もっとも豊富な、もっとも基本的なものである。この点からいえば、これらのものはすべての文学・芸術を見劣りさせるのであって、すべての文学・芸術の使えどもつきず、汲めども枯れぬ唯一の源である。これが唯一の源だというのは、ただこの源があるだけで、このほかに第二の源はありえないからである。

 ある人は、書物のうえの文学・芸術作品、過去の時代や外国の文学・芸術作品も源ではないかという。実際には、過去の文学・芸術作品は源ではなくて流れであり、昔の人や外国の人がその時その地でえた人民の生活の中の文学・芸術の素材をもとにして創造したものである。我々は、この時この地の人民の生活の中の文学・芸術の素材から作品を創造するさいの参考として、すべての優れた文学・芸術の遺産を継承し、その中のすべての有益なものを批判的に吸収しなければならない。こうした参考があるのとないのとでは同じでなく、そこには、優雅と素朴、洗練と粗野、高いものと低いもの、早いものと遅いものの違いがある。だから、例え封建階級やブルジョア階級のものであっても、我々は、昔の人や外国の人のものを継承し、参考にすることをけっして拒むべきではない。しかし、継承し、参考にするといっても、けっして自己の創造にとって代えるべきではなく、これはけっしてとって代わることのできないものである。文学・芸術において、昔の人や外国の人のものの無批判なひきうつしやものまねこそ、もっとも見どころのない、もっとも有害な文学教条主義、芸術教条主義である。

 中国の革命的な文学者・芸術家、見どころのある文学者・芸術家は、大衆の中に入らなければならず、長期にわたって、無条件に、誠心誠意、労働者、農民、兵士大衆の中に入り、闘いのるつぼの中に入り、もっとも広くもっとも豊かな唯一の源の中に入って、すべての人、すべての階級、すべての大衆、すべての生き生きとした生活形態と闘争形態、すべての文学と芸術の素材を観察し、体験し、研究し、分析しなければならず、そのうえではじめて、創造の過程に入ることができるのである。さもなければ、諸君の労働は対象のないものとなり、諸君は、魯迅がその遺言のなかで自分の子どもにけっしてそうなってはならないと繰り返し諭した、あの名ばかりの文学者、あるいは名ばかりの芸術家にしかなれないであろう。

 人間の社会生活は、文学・芸術の唯一の源であり、後者とは比べものにならないほど生き生きとした豊な内容をもっているが、人民はやはり前者に満足せずに、後者を要求する。なぜだろうか。それは、この両者がともに美しくはあるが、文学・芸術作品に反映されている生活のほうが普通の実際生活にくらべて、より高度で、より強烈で、より集中的で、より典型的で、より理想的で、従って、より普遍性を持つことができ、また、そうあるべきだからである。革命的な文学・芸術は、実際生活に基づいて様々な人物を創造し、大衆が歴史を前進させるのを助けるべきである。

 例えば一方では人びとが飢え、こごえ、抑圧されているのに、他方では人が人を搾取し、人が人を抑圧しているという事実は、いたるところに存在しており、人びともそれをごく当たり前のこととみなしている。文学・芸術は、こうした日常的な現象を集中して、そのなかの矛盾と闘争を典型化し、それを文学作品または芸術作品にしあげるのであり、そうすれば人民大衆を目ざめさせ、振いたたせ、自己の環境改造のために団結と闘争の方向へ向かわせることができる。このような文学・芸術がなければ、この任務は達成されないか、強力かつ急速には達成されないであろう。

 文学・芸術活動における普及と向上とはなにか。この二つの任務の関係はどのようなものか。普及のためのものは比較的に単純平明であり、従ってまた、現在の広範な人民大衆からすぐ受け入れ易い。高級な作品は比較的に精緻で、従ってまた、比較的に生まれにくく、そのうえ、多くの場合、現在の広範な人民大衆の間にすぐひろまることも比較的難しい。今、労働者、農民、兵士の直面している問題は、彼らが敵と苛烈な流血の闘争を行っており、しかも、長期にわたる封建階級とブルジョア階級の支配のために、文字も知らず、基礎教育も身につけていないこと、従って、彼らは自分たちが闘争意欲と勝利の確信を高め、団結を強め、心を一つにして敵と闘かえるよう、普遍的な啓蒙運動を切実に求めており、さし迫って必要な、受け入れ易い基礎知識と文学・芸術作品を切実に求めているということである。彼らにとって真っ先に必要なことは、まだ「錦上に花を添える」ことではなく、「雪中に炭を送る」ことである。だから、現在の条件のもとでは、普及活動の任務がいっそうさしせまっている。普及活動を軽視したり無視したりする態度は誤まっている。

 しかし、普及の活動と向上の活動は、はっきりとは切り離せないものである。一部のすぐれた作品は今でも普及の可能性があるし、そのうえ広範な大衆の文化水準もたえず向上している。もしも、普及の活動がいつまでも同じ水準にとどまっていて、一ヵ月、ニヵ月、三ヵ月、あるいは一年、二年、三年たっても、いつも同じ品物、同じ「牛飼いの子ども」、同じ「人、手、口、刀、牛、羊」であるなら、教育するものも教育されるものも、どんぐりのせいくらべではないか。こんな普及の活動に、どんな意義があるだろうか。

 人民は普及を求めるが、それに続いて向上をも求め、月を重ね年を追って向上することを求める。この場合、普及は人民への普及であり、向上も人民からの向上である。そして、このような向上は、空中からの向上でもなく、家にとじこもっての向上でもなくて、普及を基礎とした向上である。このような向上は、普及によって決定されるが、同時にまた普及を導いていく。中国の範囲でいえば、革命や革命的文化は均等に発展するのではなく、しだいにひろまっていくのである。あるところでは、普及もしているし、普及を基礎として向上もしているが、他のところでは、まだ普及さえはじまっていない。従って、あるところでの普及から向上へのよい経験は、他のところに応用して、他のところの普及の活動や向上の活動をあまり回り道しないですむよう導くことができる。

 国際的な範囲でいえば、外国の良い経験、とりわけソ連の経験は、これまた我々を導く役割をはたしている。従って、我々の向上は普及を基礎とした向上であり、我々の普及は向上によって導びかれた普及である。だからこそ、我々のいう普及の活動は、向上を妨げないばかりか、現在の限られた範囲での向上の活動にも基礎をあたえ、また将来のはるかに広大な範囲での向上の活動にも必要な条件を準備するのである。

 大衆の直接に必要とする向上のほかに、もう一つ、大衆の間接に必要とする向上がある。それは幹部の必要とする向上である。幹部は大衆のなかの先進的な部分であり、彼らの受けた教育は一般に大衆の受けた教育よりもやや多い。彼らにとっては比較的に高級な文学・芸術がぜひとも必要で、この点を無視するのは誤りである。大衆を教育し大衆を導くには、幹部をつうじる以外にないから、幹部のためというのも売全に大衆のためということである。もしこの目的に背くなら、もし幹部にあたえるものが、大衆を教育し大衆を導くうえで幹部に役立たないなら、我々の向上の活動は、的がなくて矢をはなつことになり、人民大衆のためという根本原則から離れることになる。

 要するに、人民の生活のなかの文学・芸術の素材は、革命的作家の創造的な労働をつうじて、イデオロギーのうえでの人民大衆のための文学・芸術に形成されるわけである。そのなかには、すでに向上した大衆の必要とする、あるいはまず大衆のなかの幹部の必要とする、初級の文学・芸術の基礎から発展した高級な文学・芸術もあれば、逆に、このような高級な文学・芸術によって導かれた、往々にして今日のもっとも広範な大衆が真っ先に必要とする初級の文学・芸術もある。高級のものであれ、初級のものであれ、我々の文学・芸術はいずれも人民大衆のためのもの、なによりもまず、労働者、農民、兵士のためのものであり、労働者、農民、兵士のために創作され、労働者、農民、兵士によって利用されるものである。

 向上と普及の関係の問題を解決した以上は、続いて専門家と普及活動にたずさわるものとの関係の問題も解決できることになる。我々の専門家は、単に幹部のためのものではなく、主としては、やはり大衆のためのものである。我々の文学専門家は大衆の壁新聞に目をむけ、軍隊や農村における報告文学に目をむけるべきである。我々の演劇専門家は軍隊や農村における小劇団に目をむけるべきである。我々の音楽専門家は大衆の歌に目をむけるべきである。我々の美術専門家は大衆の美術に目をむけるべきである。

 これらすべての同志は、大衆のなかで文学・芸術の普及活動をおこなっている同志たちと緊密に結びつき、一方では彼らを助け、彼らを導くとともに、他方では彼らに学び、彼らを通じて、大衆からの養分を吸収し、自己を充実させ、豊富にし、自己の専門が、大衆からも実際からも遊離した、すこしも内容や生気のない空中楼閣にならないようにすべきである。

 専門家は我々の事業にとって非常に貴重であり、我々は専門家を尊重すべきである。だが、我々は彼らに対して、すべての革命的文学者・芸術家がその活動を意義あるものとするためには、大衆と結びつき、大衆をえがき、自己を大衆の忠実な代弁者にする以外にないことをつげなければならない。大衆を教育するには大衆を代表する以外になく、大衆の教師となるには大衆の生徒となる以外にない。自己を大衆の主人とみなし、「下等な人間」のうえにあぐらをかく貴族とみなすなら、たとえどれほど才能をもっているとしても、そうした人は大衆から必要とされなくなり、その活動には将来性がなくなるのである。

 我々のこのような態度は功利主義的なものであろうか。唯物論者は一概に功利主義に反対するわけではないが、封建階級、ブルジョア階級、小ブルジョア階級の功利主義には反対し、口先だけで功利主義反対をとなえながら、実際にはもっとも利己的、近視眼的な功利主義をいだいている偽善者には反対する。世の中には超功利主義などというものはない。階級社会には、この階級の功利主義か、さもなければあの階級の功利主義があるだけである。我々は、プロレタリア階級の革命的な功利主義者であり、全人口の九〇パーセント以上をしめるもっとも広範な大衆の当面の利益と将来の利益との統一を出発点とするものであり、従って、我々はもっとも広大な、もっとも遠大な目標をもった革命的な功利主義者であって、局部や目先だけしかみえない狭隘な功利主義者ではない。

 たとえば、ある種の作品が、少数の人から偏愛されるだけで多数の人からは必要とされず、また多数の人に有害でさえあるのに、個人やせまい集団の功利をはかろうとして、これを無理に市場にもちこみ、大衆に宣伝し、そのうえ大衆を功利主義だと非難するなら、それは大衆を侮辱するばかりでなく、あまりにも身のほど知らずである。どんなものでも、人民大衆に真の利益をもたらさないかぎり、よいものとはいえない。かりに諸君のものが「陽春白雪」であるとしよう、今のところそれが少数の人から楽しまれるだけで、大衆はあいかわらず「下里巴人《シァリーバーレン》」をうたっているのに、諸君がこれを向上させずに文句ばかりつけているとしたら、どんなに文句をつけたところで無駄である。現在の問題は、「陽春白雪」と「下里巴人」を統一することであり、向上と普及を統一することである。統一がなければ、どのような専門家の最高級の芸術も、もっとも狭隣な功利主義となるほかはない。これを高潔だといっても、自分で高潔ときめこむだけで、大衆はそれを承認しないだろう。

 労働者、農民、兵士のために奉仕するという基本方針と、労働者、農民、兵士のためにどのように奉仕するかという基本方針の問題が解決されれば、その他の問題、たとえば、光明をえがくか暗黒をえがくかという問題や団結の問題なども同時に解決される。諸君がこの基本方針に同意するなら、我が文学・芸術活動家、わが文学・芸術学校、文学・芸術出版物、文学・芸術団体およびすべての文学・芸術活動は、この方針にしたがっておこなうべきである。この方針をはなれることは誤りであり、この方針になにか合致しない点があれば、適切にあらためなければならない。
 三

 我々の文学・芸術が人民大衆のためのものである以上、我々はさらにすすんで、一つは党内関係の問題、即ち党の文学・芸術活動と党の活動全体との関係の問題、もう一つは党外関係の問題、即ち党の文学・芸術活動と党外の文学・芸術活動との関係の問題――文学・芸術界の統一戦線の問題について討議することができる。

 まず、第一の問題についてのべよう。現在の世界では、文化あるいは文学・芸術はすべて、一定の階級、一定の政治路線にぞくしている。芸術のための芸術、超階級的な芸術、政治と並行するか政治から独立した芸術というものは、実際には存在しない。プロレタリア階級の文学・芸術は、プロレタリア階級の革命事業全体の一部であり、レーニンがのべているように、革命という機械全体のなかの「歯車とねじくぎ」である。従って、党の文学・芸術活動は、党の革命活動全体においてその地位を確定され、位置づけられており、党が一定の革命時期にさだめた革命の任務に従うものである。このような位置づけに反対すれば、必ず二元論または多元論にはしり、本質的には、トロツキーのように、「政治――マルクス主義的、芸術――ブルジョア的」となってしまう。

 我々は、文学・芸術の重要性を誤った程度にまで過度に強調することには賛成しないが、文学・芸術の重要性を過小に評価することにも賛成しない。文学・芸術は政治に従属するが、逆にまた政治に偉大な影響をおよぼす。革命的文学・芸術は革命事業全体の一部であり、歯車とねじくぎであって、他のいっそう重要な部分にくらべれは、もちろん、軽重、緩急の別、第一義的、第二義的の別はあるが、しかし、機械全体にとって欠くことのできない歯車とねじくぎであり、革命事業全体にとって欠くことのできない一部である。もっとも広い意味での、もっともありふれた文学・芸術さえもないとすれば、革命運動をすすめることも勝利させることもできない。この点を認識しないのは間違いである。

 なお、我々が文学・芸術は政治に従うという場合、この政治とは、少数のいわゆる政治家の政治ではなくて、階級の政治、大衆の政治のことである。政治は革命的であれ反革命的であれ、すべて少数の個人の行為ではなく、階級対階級の闘争である。階級や大衆の要求は政治をつうじてのみ集中的に表現されるものであるから、革命的な思想闘争と芸術闘争は政治の闘争に従わなければならない。革命的な政治家たち、革命的な政治科学もしくは政治芸術をこころえている政治の専門家たちは、何千万もの大衆という政治家の指導者であるにすぎない。彼らの任務は、大衆という政治家の意見を集中して、ねりあげ、これを再び大衆のなかへもちこんで、大衆にうけいれられ、実践されるようにすることにあるのであって、家にとじこもったまま世間にあわないものをこねまわし、自分こそりこうだとうぬぼれ、本家本元はここだけだというあの貴族的な、いわゆる「政治家」となることではない――これがプロレタリア政治家と腐敗したブルジョア政治家との原則的な違いである。だからこそ、我々の文学・芸術の政治性と真実性とは完全に一致しうるのである。この点を認識せず、プロレタリア階級の政治と政治家を俗流化することは間違いである。

 つぎに、文学・芸術界の統一戦線の問題についてのべよう。文学・芸術は政治に従うもので、今日の中国の政治の第一の根本問題は抗日であるから、党の文学・芸術活動家は、まず第一に抗日の点で党外のすべての文学者・芸術家(党の支持者、小ブルジョアの文学者・芸術家からブルジョア・地主階級のすべての抗日に賛成する文学者・芸術家にいたるまで)と団結すべきである。第二には、民主主義の点で団結すべきである。この点では抗日の文学者・芸術家の一部が賛成しないので、団結の範囲はややせまくならざるをえない。第三には、文学・芸術界の特殊問題――芸術の方法と芸術の作風の点で団結すべきである。我々は社会主義リアリズムを主張するが、これにはさらに一部の人びとが賛成しないので、この団結の範囲はもっとせまくなろう。ある問題では団結があっても、他の問題では闘争もあり批判もある。それぞれの問題は、たがいに切りはなされてもいるし結びついてもいるので、たとえば抗日の問題のように団結をもたらす問題でも、同時に闘争もあり批判もある。一つの統一戦線のなかで、団結があるだけで闘争がなかったり、闘争があるだけで団結がなかったりすること、たとえば過去に一部の同志がとったような右翼的な投降主義や追随主義、あるいは「左」翼的な排他主義やセクト主義をとること、これはすべて誤った政策である。政治のうえでもそうであるし、芸術のうえでもそうである。

 中国では、小ブルジョアの文学者・芸術家が、文学・芸術界の統一戦線における各種の勢力のなかの重要な勢力である。彼らの思想や作品には多くの欠点があるが、彼らは比較的に革命にかたむいており、比較的に勤労人民にちかい。従って、彼らが欠点を克服するのをたすけ、彼らを勤労人民に奉仕する戦線に獲得することは、特に重要な任務である。
 四

 文学・芸術界の主要な闘争方法の一つは文芸批評である。文芸批評は発展させるべきであるが、これまでこの面における活動は非常に不十分であった。同志諸君がこの点を指摘したのは正しい。文芸批評は複雑な問題で、多くの専門的な研究を必要とする。ここでは、批評の基準という基本的な問題だけに重点をおいてのべよう。そのほか、一部の同志が提起したいくつかの個別の問題やいくつかの正しくない観点についても、私の意見を簡単にのべておく。

 文芸批評には、政治的基準と芸術的基準の二つの基準がある。政治的基準からいえば、抗日と団結に有利なもの、大衆が一心同体になるよう鼓舞するもの、後退に反対し進歩を促進するものは、すべてよいものであり、抗日と団結に不利なもの、大衆の不和反目を扇動するもの、進歩に反対し人びとを後退させるものは、すべてわるいものである。ここでいうよい、わるいは、いったい動機(主観的願望)できめるのか、それとも効果(社会的実践)できめるのか。観念論者は動機を強調して効果を否定し、機械的唯物論者は効果を強調して動機を否定するが、我々はこの両者と反対に、弁証法的唯物論の、動機と効果の統一論者である。大衆のためという動機と大衆から歓迎されるという効果とは切りはなせないものであり、両者を統一させなければならない。個人やせまい集団のためという動機はよくないが、大衆のためという動機があっても、大衆から歓迎され大衆に有益であるという効果がなければやはりよくない。ある作家の主観的願望、すなわちその動機が正しいかどうか、よいかどうかを点検するには、その宣言をみることではなく、その行動(主として作品)が社会の大衆のあいだでうみだす効果をみることである。社会的実践とその効果は、主観的願望または動機を点検する基準である。我々の文芸批評にはセクト主義は無用であり、我々は団結抗日の大原則のもとで、さまざまな政治的態度をふくむ文学・芸術作品の存在をゆるすべきである。しかし、我々の批評はまた原則的な立場を堅持するものであって、反民族的、反科学的、反大衆的、反共的な観点をふくむすべての文学・芸術作品にたいしては、きびしい批判と反論をくわえなければならない。なぜなら、これらのいわゆる文学・芸術は、動機の点でも効果の点でも、団結抗日を破壊するものだからである。芸術的基準からいえば、芸術性が比較的高いものはすべて、よいものか、比較的よいものであり、芸術性が比較的低いものは、わるいものか、比較的わるいものである。こうした区別をするばあいにも、もちろん、社会的効果をみる必要がある。文学者・芸術家で、自分の作品を美しいとおもわないものはほとんどいないのであって、我々の批評も、さまざまな芸術品の自由競争をゆるすべきである。だが、芸術科学の基準にしたがって正しい批判をくわえ、より低い芸術をしだいにより高い芸術にたかめていき、広範な大衆の闘争の要求に合致しない芸術を広範な大衆の闘争の要求に合致した芸術に変えていくことも、ぜひ必要なことである。

 政治的基準といい、芸術的基準というが、この両者の関係はどのようなものか。政治は芸術そのものではなく、一般的な世界観も、芸術創作や芸術批評の方法そのものではない。我々は、抽象的な絶対不変の政治的基準を否定するばかりでなく、抽象的な絶対不変の芸術的基準をも否定するのであって、それぞれの階級社会のそれぞれの階級には、いずれも異なった政治的基準と芸術的基準がある。だが、どの階級社会のどの階級も、つねに、政治的基準を第一にし、芸術的基準を第二にする。ブルジョア階級は、プロレタリア階級の文学・芸術作品については、その芸術的達成がどんなに高くても、つねにこれを排斥する。プロレタリア階級も、過去の時代の文学・芸術作品については、なによりもまず、人民にたいする態度がどうであるか、歴史的に進歩的意義があるかどうかを点検して、それぞれ異なった態度をとらなければならない。政治的にはまったく反動的な作品でも、ある種の芸術性をそなえていることはありうる。内容が反動的であればあるほど、しかも芸術性をもてばもつほど、そうした作品は、ますます人民に有害であり、ますます排斥されるべきである。没落期にあるすべての搾取階級の文学・芸術に共通の特徴は、その反動的な政治的内容とその芸術的形式のあいだに存在する矛盾である。我々が要求するのは、政治と芸術の統一、内容と形式の統一、革命的な政治的内容とできるかぎり完全な芸術的形式との統一である。芸術性のとほしい芸術作品は、政治的にどんなに進歩的でも無力である。従って、我々は、政治的観点があやまっている芸術作品にも反対するし、また、正しい政治的観点をもつだけで芸術的な力をもたないいわゆる「スローガン」式の傾向にも反対する。我々は文学・芸術問題における二つの戦線の闘争をおこなうべきである。

 この二つの傾向は、我々の多くの同志の思想のなかに存在する。多くの同志には芸術軽視の傾向があり、したがって芸術の向上に心をそそぐべきである。しかし、現在、それ以上に問題になるのはやはり政治の面だとおもう。一部の同志には基本的な政治常識が欠けているために、さまざまのあいまいな考えがうまれている。延安でのいくつかの例をあげよう。

 「人間性論」という。人間性というものはあるだろうか。もちろんある。だが、具体的な人間性があるだけで、抽象的な人間性はない。階級社会においては、階級性をもった人間性があるだけで、超階級的な人間性などというものはない。我々がプロレタリア階級の人間性、人民大衆の人間性を主張するのにたいし、地主階級やブルジョア階級は地主階級やブルジョア階級の人間性を主張するのであって、ただ、彼らは口先ではそういわずに、唯一の人間性といいくるめているにすぎない。一部の小ブルジョア知識人が鼓吹する人間性も、やはり人民大衆から遊離するか、人民大衆と対立するものであり、彼らのいう人間性なるものは、本質的にはブルジョア個人主義にすぎず、従って、プロレタリア階級の人間性は、彼らの目からみれば、人間性には合致しない。現在、延安の一部の人びとによって主張されているいわゆる文芸理論の基礎としての「人間性論」はこうしたもので、まったく誤りである。

 「文学・芸術の基本的な出発点は愛であり、人類愛である」という。愛は出発点となりうるが、まだ基本的な出発点がある。愛は観念的なものであり、客観的実践の産物である。我々は根本的には観念から出発するのではなく、客観的実践から出発する。我々の知識人出身の文学・芸術活動家がプロレタリア階級を愛するのは、社会が彼らにプロレタリア階級と共通の運命をもっていると感じさせている結果である。我々が日本帝国主義を憎むのは、日本帝国主義が我々を抑圧している結果である。世の中には、けっしていわれのない愛もなければ、いわれのない憎しみもない。いわゆる「人類愛」についていえば、人類が階級に分化して以後、こうした包括的な愛は存在したことがない。過去のすべての支配階級は、好んでこうした愛をとなえてきたし、いくたのいわゆる聖人賢人も、このんでこうした愛をとなえてきたが、それは階級社会では実行できないため、誰も本当に実行したことはない。真の人類愛はありうるが、それは全世界で階級が消滅したのちのことである。階級は社会を多くの対立物に分裂させているのであって、階級が消滅したのちには全体としての人類愛がうまれるが、今はまだ存在しない。我々は敵を愛することはできないし、社会のみにくい現象を愛することもできない。我々の目的はこうしたものを消滅することである。これは常識であって、我々の文学・芸術活動家のなかにまだわからない人がいるだろうか。

 「従来の文学・芸術作品はいずれも光明と暗黒におなじ比重をおき、半々にえがいてきた」という。これには多くのあいまいな考えがふくまれている。文学・芸術作品は、従来そうしたものではない。多くの小ブルジョア作家は光明を見いだしたことがなく、その作品は暗黒を暴露するだけで、「暴露文学」とよばれており、さらには、もっぱら悲観、厭世《えんせい》だけを宣伝するものもある。これに反して、ソ連の社会主義建設の時期における文学は、光明をえがくことを主としている。彼らも活動における欠陥をえがき、否定的人物をえがくが、このような描写は全体の光明をひきたたせるためであって、けっして「半々」というものではない。反動期のブルジョア文学者・芸術家は、革命大衆を暴徒、かれら自身を神聖なものとしてえがき、いわゆる光明と暗黒をさかさまにしている。賛美と暴露の問題を正しく解決することができるのは、真の革命的文学者・芸術家だけである。人民大衆に危害をおよぼすすべての暗黒勢力は暴露し、人民大衆のすべての革命闘争は賛美しなければならない、これこそ革命的文学者・芸術家の基本的任務である。

 「従来の文学・芸術は暴露を任務としてきた」という。このような論法は前の場合と同じく、歴史科学の知識に欠けた見解である。従来の文学・芸術が暴露だけをしてきたのではないことは、まえにのべた。革命的な文学者・芸術家にとって、暴露の対象となるのは、侵略者、搾取者、抑圧者と、彼らが人民のあいだに残しているわるい影響だけであって、人民大衆であってはならない。人民大衆にも欠点はあるが、それらの欠点は人民の内部における批判と自己批判によって克服すべきであり、こうした批判と自己批判をおこなうことも文学・芸術のもっとも重要な任務の一つである。しかし、これをもって、「人民を暴露する」などというべきではない。人民に対しては、基本的には、彼らを教育し向上させるという問題である。人民は「うまれながらの愚か者」であるとか、革命大衆は「専制的な暴徒」であるとかいったたぐいの描写をするのは、反革命的な文学者・芸術家以外にない。

 「まだ雑文Bの時代であり、まだ魯迅の筆法が必要である」という。魯迅は、暗黒勢力の支配のもとにあり、言論の自由をもたなかったから、ひややかな嘲笑やはげしい風刺という雑文の形式を用いてたたかったのであって、魯迅はまったく正しかった。我々もファシズム、中国の反動派、そしてまた、人民に危害をおよぼすすべての事物をするどく嘲笑する必要があるが、しかし、革命的文学者・芸術家には十分な民主主義と自由があたえられ、ただ反革命分子にだけは民主主義と自由があたえられていない陝西・甘粛・寧夏辺区と敵後方の各抗日根拠地では、雑文の形式も単純に魯迅とおなじものであってはならない。我々は声を大にしてさけぶことができるのであり、言葉をにごしたり、遠回しにいったりして、人民大衆にわかりにくくする必要はない。人民の敵にたいしてではなく、人民自身にたいしてであれば、「雑文の時代」の魯迅も、革命的人民と革命的政党を嘲笑または攻撃したことがなかったし、その雑文の書き方も敵にたいするばあいとまったくちがっていた。人民の欠点にたいして批判が必要なことは、すでにのべたが、しかし、真に人民の立場に立ち、人民を保護し人民を教育するあふれるばかりの熱情をもって語らなければならない。同志を敵としてあつかうなら、自分を敵の立場に立たせることになる。

 我々は風刺をやめるべきか。そうではない、風刺は永遠に必要である。だが、風刺にはいくつかの種類があり、敵にたいするのと、同盟者にたいするのと、自己の陣営にたいするのとでは、その態度にそれぞれ違いがある。われわれは、一概に風刺に反対するというわけではないが、風刺の乱用はやめなければならない。「私は、功績や得行を賛美しはしない。光明を賛美する者はその作品が偉大とはかぎらないし、暗黒をえがきだす者は、その作品が矮小《わいしょう》とはかぎらない」という。ブルジョア文学者・芸術家なら、プロレタリア階級を賛美せずにブルジョア階級を賛美するであろうし、プロレタリア文学者・芸術家なら、ブルジョア階級を賛美せずにプロレタリア階級と勤労人民を賛美するであろう。この二つのうちのどちらかである。ブルジョア階級の光明を賛美する者はその作品が偉大であるとはかぎらず、ブルジョア階級の暗黒をえがきだす者はその作品が矮小であるとはかぎらない。プロレタリア階級の光明を賛美する者はその作品が矮小でないとはかぎらず、プロレタリア階級のいわゆる「暗黒」をえがきだす者はその作品がかならず矮小なのである。これを文学・芸術史上の事実ではないとでもいうのだろうか。人民、この人類世界の世界の創造者を、なぜ賛美してはならないのか。プロレタリア階級、共産党、新民主主義、社会主義をなぜ賛美してはならないのか。また、ある種の人びとは、人民の事業にたいしては熱意をもたず、プロレタリア階級とその前衛の闘争と勝利にたいしては冷たい目で傍観する態度をとる。彼らが興味を感じ、うむことなく賛美するのは自分自身か、それとも自分の主宰している小グループのいく人かの連中にすぎない。こうした小ブルジョア個人主義者は、もちろん、革命的人民の功績や徳行を賛美して革命的な人民の闘争への勇気や勝利の確信をふるいたたせることをのぞまない。このような人びとは革命の隊列のなかの紙魚(しみ)にすぎず、革命的人民はこのような「うたい手」をまったく必要としない。

 「立場の問題ではない。立場は正しく、意図もよく、理屈もわかっているが、うまく表現できなかったばかりに、わるい役割をはたす結果になったのだ」という。動機と効果についての、弁証法的唯物論の観点についてはすでにのべた。ここでたずねたいのは、効果の問題が立場の問題でないかどうかということである。ものごとをするのに動機だけにたよって、効果をかえりみないなら、医者が処方箋を書くだけで、病人がそれを飲んでどれだけ死のうと問題にしないのとおなじである。また、政党が宣言を発表するだけで、実行するかどうかを問題にしないようなものでもある。我々ははたずねたい。このような立場でも正しいといえるだろうか。このような意図でもよいといえるだろうか。事前に事後の効果を考えておいても、もちろん、あやまりのおこることはありうるが、効果のわるいことがすでに事実によって立証されているのに、まだこれまでのやり方でいこうとするなら、それでも、この意図をよいといえるだろうか。我々がある政党、ある医者を判断するには、その実践を見、その効果を見る必要があり、ある作家を判断するばあいも、やはりそうである。真によい意図であれば、その効果を考慮し、経験を総括し、方法、すなわち創作上では表現の手法とよばれるものを研究しなければならない。真によい意図であれば、自己の活動の欠点やあやまりについて誠意のこもった自己批判をおこない、またそれらの欠点やあやまりをあらためる決意をもたなければならない。共産党員の自己批判は、このような方法をとるのである。このような立場だけが正しい立場である。同時にまた、このような厳粛な、責任ある実践の過程においてのみ、正しい立場とはどんなものであるかを一歩一歩理解し、正しい立場を一歩一歩把握することができるのである。実践のなかでこの方向に進まないなら、ただひとりよがりになって、「わかっている」といっても、実際にはわかっていないのである。

 「マルクス主義の学習を提唱することは、弁証法的唯物論の創作方法のあやまりをくりかえすことであり、それは創作の気分をそこねる」という。マルクス主義を学習するのは、弁証法的唯物論と史的唯物論の観点によって世界を観察し、社会を観察し、文学・芸術を観察するためであって、文学・芸術作品のなかに哲学の講義を書くためではない。マルクス主義は、文学・芸術の創作におけるリアリズムをふくみえても、それにとって代わることはできない。それは、ちょうどマルクス主義が物理学における原子論、電子論をふくみえても、それらにとって代わることができないのとおなじである。中味のない、ひからびた教条的公式は創作の気分をこわすものであるが、それは創作の気分をこわすばかりでなく、なによりもまずマルクス主義をこわす。教条主義的な「マルクス主義」は、マルクス主義ではなくて、マルクス主義にそむくものである。それなら、マルクス主義は創作の気分をこわさないか。こわすのである。あの封建的、ブルジョア的、小ブルジョア的、自由主義的、個人主義的、虚無主義的、芸術のための芸術的、貴族的、退廃的、悲観的な、そしてまた、その他さまざまな非人民大衆的、非プロレタリア的な創作の気分を決定的にうちこわすのである。プロレタリア文学者・芸術家にとって、これらの気分はうちこわすべきかどうか。私の考えでは、うちこわすべきであり、徹底的にうちこわすべきであって、うちこわされると同時に、新しいものが建設されるのである。
 五

 わが延安の文学・芸術界にはうえにのべたさまざまな問題が存在するが、これはどのような事実を物語っているだろうか。文学・芸術界にはなお正しくない作風がひどく存在しており、同志たちの間にはなお観念論、教条主義、空想、空論、実践軽視、大衆からの遊離など多くの欠点が存在していて、着実で厳粛な整風運動を必要としているという事実を物語っている。

 我々の同志の中には、プロレタリア階級と小ブルジョア階級との区別がまだはっきりしていない人がたくさんいる。そして党員のなかには、組織的に入党していても、思想的には中途半端にしか入党していないか、さらには全然入党していない人もたくさんいる。思想的に入党していないこのような人びとの頭には、まだ搾取階級のきたないものがたくさんつめこまれており、プロレタリア思想とは何か、共産主義とはなにか、党とはなにかがまるきりわかっていない。彼らは考える。なにがプロレタリア思想だ、例のしろものではないか、と。彼らには、このしろものを身につけるのは容易でないことがわかるはずもない。あるものは一生かかっても共産党員のにおいさえ身につけることができないで、最後には党を去っていくだけである。したがって、我々の党、我々の隊列は、その大部分が純潔であるとはいえ、革命運動がよりよく発展しよりはやく成功するようこれを指導するためには、思想の面も組織の面も、真剣に整えなければならない。そして、組織の面を整えるためには、まず思想の面を整える必要があり、プロレタリア階級の非プロレタリア階級にたいする思想闘争をくりひろげる必要がある。延安の文学・芸術界はすでに思想闘争をくりひろげているが、これは非常に必要なことである。

 小ブルジョア出身の人びとは、つねにさまざまの方法をつうじ、文学・芸術の方法をもつうじて、頑強に彼ら自身を表現し、かれら自身の主張を宣伝し、また、人びとに、小ブルジョア知識人の姿におうじて党を改造し世界を改造することを要求する。このような状況のもとでの我々の仕事は、彼らに向かって、大喝(だいかつ)一声、こういってやることである。「同志」諸君、諸君のそうしたものではだめだ。プロレタリア階級は諸君に迎合することはできない。諸君のいう通りになることは、実際には大地主・大ブルジョア階級のいう通りになることで、党を滅ぼし、国を滅ぼす危険がある、と。では、誰のいう通りになればよいのか。プロレタリア階級の前衛の姿にそくして党を改造し世界を改造するほかないのである。我々は、文学・芸術界の同志諸君がこのたびの大論戦の重大性を認識し、積極的にこの闘争に参加して、一人ひとりの同志がすべて健全になり、我々の隊列全体が思想的にも組織的にも真に統一され、強固になることを希望するものである。

 思想の面に多くの問題があるところから、我々の同志のなかにはまた、革命根拠地と国民党支配区とを本当に区別することがあまりできず、そのために多くのあやまりをおかしている人がたくさんいる。同志諸君の多くは上海の中二階からきたのであるが、中二階から革命根拠地につくまでには、二つの種類の地区をとおってきたばかりでなく、二つの歴史的時代をもとおってきた。その一つは大地主・大ブルジョア階級の支配する半封建・半値民地の社会であり、もう一つはプロレタリア階級の指導する革命的な新民主主義の社会である。革命根拠地にきたことは、中国の数千年らいの歴史にかつてみなかった、人民大衆が権力をにぎる時代にきたということである。我々の周囲の人物、我々の宣伝の対象は、まったく変わったのである。過去の時代はすぎさり、もう二度とかえってはこない。従って、我々は、なんのためらいもなく、新しい大衆と結びつかなければならない。同志諸君が新しい大衆のあいだに身をおきながら、なお私が先にのべたように、「知らず、わからず、英雄も腕をふるう場所なし」という状態であれば、農村にはいったときに困難にであうばかりでなく、農村にはいらずに延安にいても困難にであうであろう。ある同志はこう考えている。自分はやはり「大後方」の読者のために書こう、それならよく知っているし、また「全国的な意義」もある、と。 この考え方はまったくまちがっている。「大後方」も変わるものだし、「大後方」の読者は、すでにきき飽きたふるくさい物語を革命根拠地の作家からきく必要はなく、革命根拠地の作家が新しい人物、新しい世界について語ってくれることをのぞんでいる。だから、革命根拠地の大衆のために書く作品であればあるほど、ますます全国的な意義をもつのである。ファジェーエフの『壊滅』はある小さな遊撃隊のことを書いただけで、けっして旧世界の読者の好みにあわせようとしたものではないが、世界的な影響をもたらしており、周知のように、少なくとも中国では、ひじょうに大きな影響をもたらしている。中国は後退しているのではなくて、前進しており、中国の前進を指導しているのは、たちおくれ後退しているどの地方でもなくて、革命の根拠地である。同志諸君は、整風のなかで、この根本問題をまず第一に認識しなければならない。

 新しい大衆の時代と結びつかなければならない以上、個人と大衆との関係の問題を徹底的に解決しなければならない。魯迅の詩のつぎの二句、すなわち、「眉をよこたえて、ひややかに千天の指にたいし、こうべをたれて、あまんじて孺子《じゅし》の牛とならん」を我々の座右の銘としなければならない。ここでは、「千天」とは敵のことをさす。我々はどんな凶悪な敵にたいしても、けっして屈服するものではない。ここでは、「孺子」とは、プロレタリア階級と人民大衆のことをさす。すべての共産党員、すべての革命家、すべての革命的な文学・芸術活動家は、魯迅を手本にして、プロレタリア階級と人民大衆の「牛」となり、命のあるかぎり献身的につくさなければならない。知識人が大衆と結合し、大衆に奉仕するには、相互認識の過程が必要である。この過程では、多くの苦痛、多くの摩擦が生じるだろうし、また生じるにちがいないが、みんなが決意をもちさえすれば、これらの要求は達成できるのである。

 今日、私が話したのは、単に、我々の文学・芸術運動におけるいくつかの根本的な方向の問題にすぎず、今後ひきつづき検討しなければならない具体的な問題はまだたくさんある。私は、同志諸君がこの方向にすすむ決意をもっていることと信ずる。同志諸君が、整風の過程において、また今後の長期の学習と活動において、必ず自分自身と自分の作品の姿をあらためることができ、必ず人民大衆に心から歓迎される多くのすぐれた作品をつくることができ、必ず革命根拠地の文学・芸術運動と全中国の文学・芸術運動を輝かしい新段階に押し進めることができるものと、私は信じている。

〔注〕
〔1〕 レーニンの『党の組織と党の文学』にみられる。レーニンはこの論文のなかで、プロレタリア文学の特徴をつぎのようにえがいている。「それは自由な文学であろう。なぜなら、私欲と出世ではなく、社会主義の思想と勤労者への共感が、新しい力を文学の隊列につぎつぎと吸収するからである。それは自由な文学であろう。なぜなら、それは、飽食した貴婦人や、肥満のためになやんでいる倦怠《けんたい》した『上層の数万』に奉仕するのではなくて、その国の華《はな》であり、その力であり、その未来である幾百万、幾千万の勤労者に奉仕するからである。それは人類の革命思想の最高の成果を社会主義的プロレタリア階級の経験と生きた活動によって充実させ、過去の経験(原始的・空想的形式の社会主義から発展して科学的社会主義となったもの)と現在の経験(労働者の同志諸君の現在の闘争)とをたえず相互作用させる自由な文学であろう。」
〔2〕 梁実秋は反革命の国家社会党の党員である。かれは長いあいだ、アメリカの反動ブルジョア階級の文学・芸術思想を宣伝して、あくまで革命に反対し、革命的な文学・芸術をののしりつづけた。
〔3〕 周作人、張資平は、一九三七年、日本が北京、上海を占領したのち、あいついで日本侵略者に投降した。
〔4〕 『魯迅全集』第四巻の『二心集』の「左翼作家連盟についての意見」にみられる。
〔5〕 『魯迅全集』第六巻の『且介亭雑文末編』の「付集」の「死」にみられる。
〔6〕 「牛飼いの子ども」はひろく演じられた中国の小歌舞劇である。この劇の登場人物は二人だけで、男役は牧童、女役は村の少女、この二人が対話の形式で劇の内容を表現する。抗日戦争の初期に、ある人がこの歌舞劇の形式を用い、歌詞をかえて抗日を宣伝し、一時、相当ひろく演じられた。
〔7〕 「人、手、口、刀、牛、羊」、これは字画の比較的に簡単な漢字で、旧時代の小学国語教科書はこれらの文字を第一冊の最初の数課にのせていた。
〔8〕 「陽春白雪」、「下里巴人」は、ともに西紀前三世紀のころの楚の国の歌曲である。「陽春白雪」は比較的高級な音楽であり、「下里巴人」は比較的わかりやすい音楽であった。『文選』の「宋玉、楚王の問いに対す」に出てくる物語によると、ある人が楚の都で「陽春白雪」をうたったとき、「国内でそれに和するものは数十人にすぎなかった」が、「下里巴人」をうたったときには、「国内でそれに和するものが数千人にのぼった」という。
〔9〕 レーニンの『党の組織と党の文学』にみられる。かれはつぎのようにのべている。「文学の事業は全プロレタリアの事業の一部、全労働者階級の自覚した前衛全体によって運転される一つの統一された、偉大な社会民主主義的な機械装置の『歯車とねじくぎ』にならなければならない。」
〔10〕 中二階とは、上海の二階建以上の家屋にある小部屋で、家屋の後部にある階段の中間にあたるせまくて暗いところである。このため部屋代は比較的やすかった。まずしい文学者・芸術家、知識人、下級職員は、たいていこうした部屋を借りて住んでいた。
〔11〕 国民党支配区のことである。抗日戦争の時期に、人びとは、日本侵略者に占領されないで国民党の支配下にあった中国の西南部と西北部の広大な地域を「大後方」とよびならわし、これを、共産党の指導する敵後方の抗日根拠地である「小後方」と区別した。
〔12〕 ファジェーエフはソ連の著名な作家である。かれの書いた小説『壊滅』は一九二七年に出版され、その内容は、ソ連の国内戦争の時期にシベリアの労働者、農民、革命的知識人によって組織された遊撃隊の一部隊が反革命の匪賊集団とたたかった闘争をえがいた物語で、魯迅によって中国語に訳された。
〔13〕 『魯迅全集』第七巻『集外集』の「自嘲」にみられる。
〔訳注〕
@ 「五・四運動」のことである。本選集第二巻の『戦争と戦略の問題』訳注@を参照。
A 買弁文化とは、植民地、半植民地国において、帝国主義に身をよせる買弁ブルジョア階級の宣伝する、あらゆる奴隷化思想をふくむ文化をいう。こうした文化は帝国主義の侵略の罪悪行為を美化し、民族の自尊心をふみにじり、人民大衆の反帝闘争の革命的意志をまひさせて、帝国主義に奉仕するものである。たとえば国民党反動派が極力宣伝した親米、崇米、恐米などの反動思想は、買弁文化思想の典型的なあらわれである。
B 雑文は、中国の戦国時代からあった一種の散文体である。雑文は、題材かひろく、文体も多様で、短くていきいきとし、するどさをもち、社会のできごとをいちはやく反映するのに適している。「五・四」いらい、魯迅に代表される革命的な作家は、帝国主義、封建軍閥、国民党反動派、およびその御用文化人を論ばくし、暴露する多くの雑文を書いた。これらの雑文は戦闘性が強く、独特の風格があり、雑文の新しい伝統をつくった。





(私論.私見)