れんだいこの国体護持論 |
中国建国革命の指導者毛沢東は、1938.10月、「民族戦争における中国共産党の地位」の中で次のように述べている。
この文章は、紅衛兵の赤い本「毛主席語録」の「18.愛国主義と国際主義」の最初の節に記されている。毛沢東は、このような論理により、「中国共産党員は国際主義者であると同時に愛国主義者でもありえるし、そうあるべきだ」と論じている。 れんだいこが思うに、毛沢東のこの観点つまり「愛国民族主義者を基盤にした国際主義者」的観点こそ「共産主義者の宣言」で表明されているマルクス主義者の立場ではなかろうか。ところが、史実は何時の頃よりか、マルクス主義の国際主義が愛国民族主義と対立するような形で提起されるようになった。今日では、愛国民族主義を標榜すれば即反マルクス主義的にみなされる事態に陥っている。 そうではないのだ。愛国民族主義を排外主義的に自国利益優先の帝国主義的手法でこれを為す事に最も果敢に闘い、もう一つの愛国民族主義を押し出し、これを国際主義的に連携せしめていく運動を創出するのがマルクス主義者なのではないのか。むしろ、自称マルクス主義者が愛国民族主義の見地を放棄することにより、愛国民族主義が政府反動の専売特許にされてしまった。人民大衆はもう一つの愛国民族主義の支えを失う事によりやむなく支配階級側の唱える愛国民族主義に組織されてしまった。この構図を批判すべきではないのか。 我々の戦前の大東亜戦争に対する観点も未だにこの不毛に汚染されている。極力暗黒史観で映し出す事により、善悪二元論的な総括で済ませてしまっている。そして、これを強く打ち出せば打ち出すほど左派的な証しであるかのような競争に捉われている。それは何らマルクス主義の観点ではなかろうに。 そういう意味で、毛沢東の1938.10月、「民族戦争における中国共産党の地位」における発言は大いに参考になろう。事実、この観点に依拠する時代の毛沢東派の戦闘は常に有益有効であった。しかるに建国後、変調歪曲されたスターリニズム式マルクス主義を受容していくに従い毛沢東の事跡は精彩を失っていくことになる。それはともかく以上のことを書きつけておく。 2004.2.15日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)