各党の日の丸、君が代政論考 |
(最新見直し2007.4.7日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、れんだいこの君が代論を記しておくことにする。 2006.7.11日再編集 れんだいこ拝 |
(私論.私見)
国旗がはためき、国歌が斉唱される。愛国心が唱えられ、人々は国家というワク組みを強く意識する。そういう社会状況はたいてい戦争によってもたらされます。国家間の戦争ほど、国家というワク組みをめぐって敵と味方がはっきりわかれる状況はないからです。ニューヨークの同時多発テロ後のアメリカ社会はその典型的なケースといえます。国旗や国歌はたかが旗や歌にすぎませんが、そうした状況下において、旗や歌はたんなる国の識別記号という意味を大きく越え、愛国心を奮い起こさせる政治的装置として人の心に強く働きかけます。皆でともに歌い皆で旗に敬礼することで、連帯感や大きなものに帰属することの高揚感を得ることができます。そのため、現在の国際情勢を19世紀と同様に国家同士の利益が衝突する力の関係としてとらえる人にとっては、国旗や国歌によって国民の愛国心を高め、つねに他の国への警戒を怠らないことが必要ということになります。次の産経新聞の社説はそうした主張の典型といえます。
産経新聞 2004.2.23「国家は力と利益の体系であり、戦争行為を情緒的な正邪で語ることほど本質をぼかすものはない」
「北朝鮮の国家犯罪である拉致事件が明らかになり、国民は国家や主権を強く意識するようになった。自衛隊がイラクの復興支援のために派遣され、日本は新たな国際貢献に向けて一歩を踏み出した。学校での国旗・国歌の指導がますます重要な時代である」
一方、現在の国際情勢を国家間の力のぶつかり合いからしだいに脱しようとしている過渡期としてとらえ、国家はやがて多様な民族がともに暮らすゆるやかな共同体になっていくと考える人にとっては、国旗や国歌で愛国心を高め国家のワク組みを強固なものにしようとする行為は時代錯誤となります。つまり「国家は力と利益の体系」であるとするヘーゲル的な一元国家観が、20世紀前半の世界にナチスドイツや日本の超国家主義をもたらし、その結果、口にするのも憚られる惨劇や侵略戦争をひきおこしたことを理解していれば、愛国心や国家への忠誠心を強調する行為には、常にそこに異質な者を排除しようとする危険性をはらんでいることに気づくはずだし、この20世紀の惨劇の歴史から少しは我々が学んでいるのならば、愛国心を強要するような愚かな行為を再びくり返すべきではないというわけです。次のオルトマイヤー氏の発言はそうした立場からのものです。
朝日新聞 1994.10.21「私自身は国歌は無用だと思う。外国人が人口の1/4をしめるフランクフルトでは、学校によっては生徒の半分以上が外国人だ。私の学校もそうだ。その生徒たちに、なぜドイツの国歌だけを歌わせなくてはならないのか。いま、ドイツという領域には多くの民族が暮らしている。ひとつの民族の統合の象徴としての国歌は、いらない」
「世界にはいろいろな国がある。ようやく植民地のくびきから脱することのできた国では、民族主義的な国歌には意味がある。ドイツのような大国は違う。大国は侵略戦争を正当化するような国歌は持つべきではないと、私はいっている」
現在の日本では、日の丸や君が代を意識することはめったにありません。しかし、半世紀前には、この旗と歌のもとに多くの兵士を戦場へ送り出し、アジアを侵略した歴史を持っています。第二次世界大戦後の日本社会は、戦争中の出来事をどうとらえ、後世に伝えていくのかをめぐって、常に水面下で政治的対立が続いてきました。日の丸と君が代をめぐる世論の対立もそのひとつといえます。日本社会にファシズムの熱狂がおきたのは昭和初期から敗戦までの20年足らずですが、日本の近代史の中でもっとも日の丸と君が代が愛国心を奮い起こさせる政治的装置としてもちいられた時代といえます。そのため、この時代を体験した人たちには、日の丸や君が代について、親近感を抱くか嫌悪感を示すかはっきり分かれる傾向がみられます。
作家の城山三郎は、当時の軍国教育を受け、熱烈な軍国青年として戦争末期に海軍に志願入隊した経験の持ち主です。彼は特攻隊員として終戦を迎え、戦後、自分があれほど熱狂し、身も心もささげた天皇制や皇国という大義はいったい何だったのかと考えるようになります。そして、大義とそれを利用して自分の半生を奪い、仲間の命を奪ったものたちへ怒りを抱くようになります。その怒りが彼の創作活動の原動力になっています。彼の詩に「旗」という作品があります。
旗振るな 旗振らすな 旗伏せよ 旗たため
社旗も 校旗も 国々の旗も 国策なる旗も 運動という名の旗も
ひとはみなひとり ひとりには ひとつの命
走る雲 冴える月 こぼれる星 奏でる虫 みなひとり ひとつの輝き
花の白さ 杉の青さ はらの黒さ 愛の軽さ みなひとり ひとつの光
狂い 狂え 狂わん 狂わず みなひとり ひとつの世界 さまざまに 果てなき世界
山ねぼけ 湖(うみ)しらけ 森かげり 人は老ゆ
生きるには 旗要らず
旗振るな 旗振らすな 旗伏せよ 旗たため
限りある命のために
東京都では卒業式に君が代斉唱時に起立しなかった教諭を懲戒処分し、再雇用制度でも採用を拒否したとして訴訟を起こされている。日の丸・君が代は、天皇を盟主とする八紘一宇を実現するために仕掛けられた大東亜戦争推進の象徴だとして左翼陣営を中心に拒否反応があり、教育現場も混乱してきた。特に「君が代」については、「君」が天皇を指すものとして抵抗感が大きい。そこで、政府は1999(平成11)年8月13日に「国旗及び国歌に関する法律」を公布し、即日施行、日の丸・君が代に正式な法的地位を与えた。
信じられないことだが、それまで日本には法的裏づけのある国旗・国歌はなかった。それなのに、国民の間では国旗は「日の丸」、国歌は「君が代」とされていた。一部国民に強い反発はあるものの、オリンピックなど国際的スポーツ大会では「日の丸」が掲げられてきた。特に「君が代」が演奏されると、国民は感激する。「日の丸」「君が代」はどうして、国旗・国歌になったのか。復習してみよう。
日の丸と君が代を日本国旗・国歌に認定できないと主張する日本人元教師がいる。東京都立南葛飾夜間高等学校で30年間余り社会科を教えてきた申谷雄二
(64)氏。彼は14日、東亜日報とのインタビューで「過去の歴史に対する徹底した反省なしに日の丸と君が代は日本の国旗と国歌になれない」と釘を刺した。
彼は2004年3月卒業式で国旗に向かって起立し国歌を歌うよう求めた校長の指示を拒否し警告処分を受け、このため
2007年再採用審査から脱落して定年退職した。申谷氏は「校長の起立提唱命令は憲法違反」と訴訟を提起して1審で一部勝訴したが2審と先月30日開かれた上告審でいずれも敗訴した。
日本では公立学校での起立斉唱義務を拒否し懲戒処分を受けた教師が昨年まで1143人に達する。彼らは「不当処分撤回を要求する集い」を作って現在の個別訴訟を進行中だが今回の判決が今後の訴訟に影響を及ぼすものと見られる。彼が日の丸と君が代を拒否する理由を訊いてみた。
―日の丸と君が代が日本の国旗と国歌であることは日本のみならず世界的にもよく知られた事実だ。「日の丸と君が代を国旗と国歌に認定できない理由をいう前にまず言いたことがある。私が日の丸と君が代を否定するからといって私を反骨指向の反社会主義者と誤解する人が多いが、私は極めて平凡で中産層家庭で育った。祖父と父のどちらも田舎の村長で自民党を支持する誰よりも保守指向の家だ。だが、私が大学に進学した後、それまで知らなかった日本の暗い歴史を習った。日本帝国主義は朝鮮と中国をはじめとする隣国を侵略し虐殺と略奪など悪いことを数多く犯したことを知った。日の丸と君が代はまさに日本帝国主義侵略史を代表する象徴物だった。そのような負の遺産を日本の国旗と国歌に認定するのは有り得ないと考えるようになった。ドイツで戦争の時、虐殺の象徴だったナチ旗を国旗に使っているか。ドイツは徹底して反省した。日本が誤った過去の歴史について反省せずかえってこれを美化して当時の時代的状況論理で合理化しようとするのは正しくないことだ。」(中略)―それでは日本の国歌と国旗は新しく作らなければならないというのか?「日の丸と君が代が真の日本の国旗と国歌になるためには日本の十分な反省がなければならない。そのためには歴史をあったそのまま教えなければならない。再び戦争をしないという確信を隣国に与えなければならず、これを韓国、中国をはじめとして侵略被害者がすべて認めた後でなければならない。加害者の日本は侵略と差別についてよく知らない。こういう状況で十分な反省が出てこない。それができないなら国旗と国歌は新しいものに変わらなければならない。」(中略)インタビューが終わって席を立とうとすると、すぐに申谷氏は「韓国国民に伝えたい話がある」といった。「日本にも誤った過去の歴史を反省する日本人が少なくないということを韓国国民が知ってくれたらいいですね。日本と韓国がさらに親密な隣国になるよう願います。」
埼玉=キム・チャンウォン特派員
ソース:東亜日報(韓国語)「日侵略の象徴‘日の丸-君が代’…過去の歴史反省なしでは国旗-国歌にはなれない」
http://news.donga.com/Inter/3/02/20110615/38034236/1
関連スレ:【書籍】天皇を意味する「君」ではなく「民衆」の時代歌おう!〜チョン・ヨンヘ著「民が代斉唱」韓国で翻訳出版★2[06/10]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1307755486/
【日韓】君が代条例、韓国ネットユーザー「国歌に敬意を表するのは当たり前では?」[06/07]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1307455664/
元スレ→http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1308148860/-100
「日の丸・君が代」、国旗・国歌の問題で国民的討論をよびかけ
1999年3月18日「しんぶん赤旗」
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「赤旗」号外を4600万全世帯にもれなく配布
不破委員長が記者会見
日本共産党の不破哲三委員長は三月十七日、国会内で記者会見し、「日の丸・君が代」問題について「国民的討論が不可欠だ」とのべ、国民的討論をよびかけるとともに、そのために「赤旗」号外を発行し四千六百万の全世帯にもれなく配布することを発表しました。
不破氏は、政府が「日の丸・君が代」について一方的に国旗・国歌扱いしてきたが、「君が代」は天皇統治の体制が永久につづくことをうたったものであり、主権在民の憲法と両立しないこと、「日の丸」は侵略戦争のシンボルとされてきたものだと指摘。国民の意見がさまざまに分かれている現状がありながら、「戦前はもちろん、戦後も国民的討論が一度もおこなわれてこなかった」ことを指摘。政府が法的根拠もなく教育現場におしつけてきたことが「教育を暗くし日本社会に緊張をうんでいる」と厳しく告発しました。
そのうえで不破氏は、日本共産党がこの問題の解決の道筋として、(1)国民的討論で国民の合意を踏まえて国旗・国歌を決めること、(2)法制化しても国が公に使う根拠となるだけで国民、とりわけ教育の現場での子どもへの押しつけはしない――という二点を提唱していることをあらためて紹介。「国民的議論のレールに乗せて解決する」ことの意義を強調しました。
また政府が広島の県立高校校長の自殺事件を契機に、法的根拠なしに押しつけることの無理を認めながら、国民的討論抜きで法制化をすすめようとしている点について、「問題の根本をわきまえていないもので、問答無用のやり方でおしつけてきたことを法律の裏付けで続けようという最悪の暴挙だ」と批判。同時に、政府が論拠としてきた”国民的定着”論についても、日本共産党の提唱や法制化論議を契機に新聞・テレビでもさまざまな意見が噴出し、事実上国民的討論がはじまっている状況をあげ、「国民的定着という偽りは明らかだ」とのべました。また、もう一つの政府の論拠である”国際的認知”論についても、韓国、中国、マレーシアなどアジア各国の新聞で「日の丸・君が代」法制化について”日本軍国主義を復活させるもの”との批判があいついでいることを指摘し、「こういう問題を含め、いまこそ国民的討論をすることが道理にかなっている」と強調しました。
教育現場の問題について、「赤旗」特派員によるサミット諸国の状況調査で、教育現場に強制している国が一つもないことを指摘。とくに米国で、太平洋戦争中の四三年に連邦最高裁が国旗強制を「知性と精神の領域を侵している」と違憲判決をくだしたことを紹介し、「これが近代国家の常識だ」とのべました。そして、日本での教育現場へのおしつけは戦時動員体制の遺産だと指摘しました。
不破氏は、そのうえで「政党として国民的討論のよびかけで責任を果たしたい」とのべ、号外の内容を紹介。国民的討論が戦後初めてだと強調し、「国民の納得するまでしっかりした議論をやりたい」とのべました。
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「日の丸・君が代問題で国民的討論をよびかける不破委員長の記者会見(大要)
これまで「日の丸・君が代」問題はどうなってきたか
――国民合意ないまま政府が一方的におしつけ
「日の丸・君が代」の問題は、もともとからいうと、日本の政府が勝手に「日の丸」が国旗だ、「君が代」が国歌だというあつかいを一方的にやってきたことから起こってきた問題です。
わが党は、最初からこれに反対でした。理由を簡潔にいうと、「君が代」というのは”天皇が統治する体制が永久にさかえよ”という天皇主権の歌、つまり明治憲法の歌であって、国民主権の現在の憲法とは両立しがたいものです。「日の丸」は、歴史はいろいろありますが、最大の問題は、アジアにたいする侵略戦争の旗印となってきた、そういう歴史をもった旗だということです。
ところが政府は、戦後もう一度これをもちだして、いつのまにか、国歌・国旗だというあつかいをしてきました。
そういう状況ですから、国民の意見も明らかに分かれています。これを拒否する意見も国民のあいだに根強くあります。政府がずっと国旗、国歌あつかいとしてきているので、そう決まっているのかなと思って受け入れている人もあります。熱心に賛成している方がたもいます。無関心な人もいます。
現在、国民的な合意がないことは、はっきりしていますが、しかも国民的な討論をやったことが一度もないのです。戦前もなかったし、戦後もこれでいいのかということを国民に問いかけて、議論をしたことが一度もない。それで政府が一方的に「日の丸が国旗だ。君が代が国歌だ」という立場をとって、何の法的根拠もないのに、教育現場にこれを押しつけて、先生方と子どもたちに強制している。そのことが教育を非常に暗くしています。
なかなか表立ってはいえないんだけれども、「日の丸・君が代」問題のこの押しつけが、日本の社会の重荷になっているというのが現状でした。
解決の道しめした日本共産党の二つの提唱
――国民的議論のレールに乗せて解決しよう
私たちは、広島の事件が起こる前だったのですが、この現状を考えて、やっぱりこの問題は、そんなやり方ではなく、もっと正々堂々とした国民的な解決の道をとる必要があると考えて、朝日新聞社が出している『論座』という雑誌が、アンケートを求めてきたときに、「日の丸・君が代」にたいするわが党の態度と同時に、この問題の民主的な解決策を提唱したのです。
その解決策は二つの柱がありました。
一つは、国旗・国歌をどうするかについて国民的な討論をおこない、国民の合意をふまえてこれをきちんと決める。きちんと決めるというのが「法制化」です。
これを共産党が「日の丸・君が代」法制化に近寄ったという形で報道したむきもありましたが、われわれは、「日の丸・君が代」の法制化ではなく、国民的討論をつくしたうえで、国旗・国歌についてきちんと法律で決めるということを提唱したのです。
二つは、国旗・国歌を決めるということは、国がいろんな行事でそれを公に使うということ、その法的根拠を明らかにするということであって、それと国民ひとりひとりの態度とは違うという問題です。これは、国民のひとりひとりの良心の問題、考え方の問題であって、本来国民自身の自主性にまかせるべきことです。法制化したからといって、国民に強制したり、ましてや教育現場の子どもたちに強制したりするものではない。
この二つのことをしっかり国民的討論をつうじて確立して、問題の民主的解決をはかろうというのがわれわれの提案でした。問答無用ですまされてきたことを、公の国民的議論のレールに乗せようじゃないかというのが、この提案の中心点です。
国民的討論ぬきの法制化は最悪の暴挙
その提案をしたあと、この問題をとりあげて国会で質問をした議員がいましたが、二月段階では、政府の答弁はやっぱり法制化はなじまないという議論でした。
これは、政府がこれまでずっととってきた立場です。表立った議論をすると、なぜいまの国民主権の時代に「君が代」なのかとかいった問題が、いやおうなしに出てきますから、政府はいままで、「国民的に定着している」から改めて議論する必要がないと、いわば問答無用の形で押しつけをじわりじわり広げるというやり方をとっていました。今度もその作戦で答弁していました。
ところが広島の事件が起きて、官房長官がこのままでは無理だということを自覚したのでしょう。法的根拠なしに押しつけるのには無理があるということをいいだして、「法制化」をとなえだしたのです(三月二日)。「日の丸・君が代」は法的根拠がないことを認めたのは、一歩目を開いたことですが、しかしそうであるならば、当然、国民的な討論を進めるという立場をとらなければいけないはずです。
しかし、政府は、討論の方はまったく消極的で、だんだん話が進んでくると、今国会にすぐ提案するとか、その次には、この国会で決めてしまおうかとか、国民的討論抜きの「法制化」という話が政府部内で起きてきました。また、いまは「学習指導要領」で学校への義務づけをしていますが、今度は法律を根拠に、この強制をもっと強くやろうじゃないかという議論もではじめました。
私は、こういう議論は本当に問題の根本をわきまえない議論だと思います。いままで問答無用で教育現場に強制してきたところに大問題があったのに、今度は、国会の多数ということで、国民的討論抜きでそれに法律の裏付けをあたえるというやり方は、事態をもっと悪くする最悪の暴挙になります。そんなやり方は、われわれはもちろん絶対反対です。
国民的討論は現に始まりつつある
――政府の“国民的定着”論も、“国際的認知”論も成りたたないことがはっきりした
しかし、われわれがそうやって問題を投げ、事件がおこり、政府も法的根拠がないことを認めた結果、私は、いまの日本の社会になかなか重要な変化がおこってきたと思います。
一つは、マスコミの新聞紙面をみていても、いろんな議論が噴き出してきています。「君が代」がいいか悪いか、「日の丸」がいいか悪いか、こういう議論はこれまでマスコミの表になかなかでなかった議論です。ところが新聞の社説で、この問題がとりあげられるようになった。「君が代・日の丸」をそのまま法制化しろという新聞や、法制化はいまはまだ時期尚早で、国民的討論をやれという新聞もあります。意見はいろいろありますが、マスコミでももっと国民的討論をやれというのが多数派だということがはっきり出てきました。
新聞への投書でも、「君が代」はやめて新しい国歌を選べという声も次つぎにでて、「さくら」がいいとか「故郷」がいいとか、そういう具体案までいろいろでています。事実上、国民的討論がはじまりかかってきているといってもいい。この問題を、もっと明るいオープンな形で議論しようじゃないかという雰囲気が相当できてきているということです。この問題をめぐって、大きな変化が起こっていると思います。
そういう議論をみていると、政府の「国民的定着」論など、ぜんぜん成り立たないということがわかります。
三月二日のフジテレビの世論調査では、「君が代」の法制化については反対三八%、賛成三四%でした。「日の丸」については賛成四六%、反対一八%で、賛成論の方が多かったが、過半数にはならない。まだ広く議論が起こっているという段階ではないのに、そういう答えが早くもでて、「国民的定着」論は事実でなかったことが明らかになりました。
もう一つ重要なことは、「国際的に認知されている」という政府の議論にも、根拠がなかったことが、非常にはっきりしたことです。
小渕さんが「日の丸・君が代」を法制化しようといいだしたら、まず最初に批判の記事を書いたのは、韓国の「東亜日報」です。それから香港の新聞「明報」、韓国の「ハンギョレ新聞」、マレーシアの「星洲日報」、中国の「中国青年報」と、三月に入ってからだけで、アジア各国に連続して批判記事が出ています。論旨は全部共通しています。”「日の丸」も「君が代」も、日本軍国主義のシンボルだったじゃないか、それを復活させるのか”という、痛烈な批判です。これが韓国、中国、香港、マレーシアと連続して出てきました。われわれがいっているとおり、「日の丸」を旗印にして侵略戦争をやった問題は、アジア諸国のあいだではまったく解決されていないということが、歴然と明らかになりました。
こういう問題を含め、いまこそ国民的な討論をすべきだというわれわれの提起は、まさに実情にかなっているという確信を、私たちはいよいよ深めています。
国民にも子どもたちにもおしつけないのが近代国家の常識
――日本のおしつけは軍国主義時代の遺産
それから、教育現場の問題ですが、お配りした資料(3面)は、この問題で、「しんぶん赤旗」の特派員にサミット諸国の現地調査をやってもらって、まとめたものです。カナダだけは、特派員がいませんから、駐日大使館に問い合わせました。サミット諸国で、国旗・国歌の問題を教育現場に強制している国は一つもありません。
なぜそれをしないのか、その理由も、たとえばアメリカでは非常に鮮明になっています。一九四二年にバーネット事件という裁判がありました。これは、アメリカのウェストバージニア州で、教育委員会が、学校で国旗への敬礼を生徒に義務づける規則を決めたんです。それが、アメリカの最高裁で問題になって、翌四三年、「これは憲法違反だ」という判決がだされ、それが今日も定着しています。
四二年、四三年というと、太平洋戦争の真っ最中、国をあげての愛国心の鼓吹がもっとも強くすすめられた時期ですが、そのとき、この問題でこういう判決をだしたということは、注目すべきことです。しかも、最高裁の判決は、冷静に、「これは個人の権利にたいする侵犯」、「良心の自由への侵犯」だと批判しました。判決文には、「星条旗に敬礼や忠誠を強制するという地方当局の行為は」「合衆国憲法修正第一条の目的である知性と精神の領域を侵している」とあります。つまり、国が国家のシンボルとして国旗をもっているということは、国の正当な行為だが、それへの敬礼を国民に強制することは、良心の自由、内心の自由を損なうものだ、そういう判決をきっぱりと下しているのです。
これは、アメリカだけでなく、近代国家の共通の良識となっています。
そういうことをあらためて調べなおしてみると、いま「学習指導要領」で学校現場に押しつけるというやり方は、まさに戦争中、「日の丸」への敬礼と「君が代」斉唱を国民や学校に義務づけた、あの体制を受け継いだもので、いわば軍国主義の遺産、前近代的な遺物だということを、痛感しました。
本当に世界に恥ずかしいことで、この問題も、いま、教育現場だけの問題ではなく、国民的議論がいると思います。
討論をよびかけ
「赤旗」号外を日本中の全世帯にかならず配る
きょう紹介するのは、そういうことをふまえて、私たちの側から国民的討論を呼びかけるために、「しんぶん赤旗」の号外をもれなく全国民に配るとりくみをはじめることです。
お配りした号外をみていただければわかりますが、最初の面は、国民のなかにいろいろ議論があるなかで、政府が「日の丸・君が代」を一方的に押しつけている、これがいいかどうか、私たちは、その問題を解決するために、「大切な問題だから国民みんなの討論で決めよう」ということ、また、「国民にも子どもにも押しつけない」ということ、この二つを問題解決の道筋として提案していますということを解説したものです。
二面は、国民的討論のなかで、われわれの見方はどうかを明らかにした面です。二十一世紀にどんな国歌、国旗がふさわしいか、みんなで考えようじゃないかということで、われわれはこういう意味で「君が代」や「日の丸」は適切ではないと思っている、そのことをわれわれの考えとして聞いてもらいたいということを書いています。
これは、政党の側から、この問題の国民的討論を呼びかける責任を果たそうということです。
それだけのことを選挙を前にしてやるとなると大変ですから、今日も、全国の都道府県委員長に集まってもらって、この問題にとりくむ意思統一をしました。いま日本の世帯数は、四六一五万六七九六世帯というのが新しい数字ですが、この全世帯にもれなく配りたいと思っています。私たちの党の組織があまり強くはないが、離島がたくさんあるという県もあります。そういうところには、船でひとつひとつ渡っていって配らなければいけないわけでたいへんですから、期限は何日までとは決めていませんが、全世帯にかならず届けるつもりです。
国旗・国家の国民的討論は歴史上はじめてのこと
国旗・国歌の問題で国民的討論をやるのは、明治以来初めてのことです。党としても、この問題で、全国に呼びかけるのは、これが初めてです。その初めての仕事にふさわしい意気込みでこの問題にとりくみ、国民みんなが腑(ふ)に落ちて、これならというところに到達するまで、しっかりした議論をやりたいと思います。マスコミのみなさんも、ぜひ、いま紙面やテレビで始まっている討論を率直につづけてほしいと思います。
「日の丸・君が代」問題で都道府県委員長会議
不破委員長が報告
1999年3月18日「しんぶん赤旗」
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日本共産党は三月十七日、「日の丸・君が代」、国旗・国歌問題に議題を絞った都道府県委員長会議を党本部で開き、この問題での国民的討論を促進するために、「赤旗」号外を全国の四千六百万世帯、もれなく全戸に配布する活動にとりくむことを確認しました。
不破委員長が報告にたち、(1)「日の丸・君が代」問題をめぐる現状(2)日本共産党の二つの提唱がもつ今日的な特徴と意味、(3)日本共産党としてどうとりくむか、(4)教育現場の問題――の四点にわたって報告。「日本共産党がこの問題で国民的討論の先頭にたつ」ことを呼びかけました。
CS放送「朝日ニュースター」 不破委員長、大いに語る
「日の丸・君が代」問題、東京都知事選、
選挙制度問題について
1999年3月4日「しんぶん赤旗」
日本共産党の不破哲三委員長は、三月三日放映のCS放送「朝日ニュースター」の番組「各党はいま」に出演し、「日の丸・君が代」問題や都知事選をめぐる情勢、選挙制度問題などについて質問に答えました。聞き手は、小林暉昌氏(朝日新聞編集委員)でした。(三月一日収録)
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国旗・国歌の問題をどう解決するか
小林 ソフト路線や現実路線で注目されている共産党ですが、新しく「日の丸・君が代」の見解をだして注目されています。きょうは、その共産党の不破哲三委員長に、「日の丸・君が代」の見解やまた都知事選などについておききします。不破さん、きょうはよろしくおねがいします。
日本共産党が「日の丸」「君が代」に反対する理由
小林 「日の丸・君が代」の問題なんですが、なんか新しい見解をだされて注目、いろいろ議論をよんでいるようですが…。
不破 これは、朝日新聞社の雑誌の(小林「『論座』ですか」)、『論座』から、この問題でアンケートがわが党に寄せられましたので、少しつっこんだ考えを回答したんですね。
私は、この問題ではとくに教育の現場にものすごく無理な力が働いていると思うんです。広島の県立高校の校長先生が自殺したというつらいニュースがありましたけれど(小林「そうですね」)、これもその軋轢(あつれき)の結果ですね。
「日の丸・君が代」問題といいますが、これは国民的合意がないままに、強行されているんです。
実際、私たちも、たとえば、「君が代」についていえば、なにしろ天皇が治める体制を永遠にという歌でしょう、これはまさに戦争前の天皇主権の時代の歌で、憲法が国民主権を宣言した日本では、まさに国是にあわないわけです。だから反対です。「日の丸」はまた別の理由ですが、ともかくあれだけの侵略戦争をやって、その旗印としてずっと使われてきた旗でしょう。あの前の戦争のとき、日本、ドイツ、イタリアが侵略国家だったのですが、そういう国ぐにで戦争中の旗をいま「国旗」だとしている国は日本以外には一つもない。そういう点で、やっぱりこれも問題があるんですね。
しかも、それが国民的な討論が全然ないまま、国民の合意もないまま、しかも法律の根拠もいっさいなしに、戦後いつの間にか、これがまた国旗ですよ、国歌ですよということになって、おしつけられている。これも世界に例のないことです。しかも、それを教育の現場に権力で無理に義務づけるということも、ほんとうに例のないことです。
たとえばサミット(主要国首脳会議)の国ぐに。ここに十数年前に(資料をしめしながら)、日本の政府が、内閣総理大臣官房審議室などが調べてまとめた「諸外国における国旗・国歌について」という調査表があるんですよ。それぞれの在外公館からとりよせた報告だというのですが、(これをみても)サミットに参加している国で、学校教育の現場で、たとえば国歌の斉唱を義務づけているところは、日本以外に一つもないんです。そういうことを、法的根拠もなしに、国民的合意もなしにやっている。それがああいう悲劇を生むわけで、だから私たちはそれについてそういう批判をきっちりしたうえで、問題を解決する提唱を二つしたのです。
問題を解決する2つの提唱
第一。国民的討論をへて法的根拠を明確にする
不破 一つは、国旗や国歌の問題について、いまみたいに、社会的通念だということで問答無用の形で合意のないものをおしつけるような無法なことはやめなさい、少なくとも法的根拠をあきらかにする努力をせよということです。
そのためには当然、国民的討論が必要なんですね。それから、いまの国民主権の憲法のもとで、なぜこの歌を国歌とすることに道理があるかということを、政府側も当然、国民の前に説明しなければいけない。「日の丸」についても、政府がよってたつ理由を堂々といわなければいけない。われわれももちろん反対論をいいます。国民のなかからいろんな意見もでるでしょうね。そういうものを堂々とたたかわせて、そのうえでちゃんと法的根拠をしめせ、問答無用で社会におしつけるようなことはやるべきじゃない、これが一つなんです。
第二。国民一人ひとり、とくに教育現場への強制をやめる
不破 もう一つは、国旗・国歌にたいしてどういう態度をとるかということは、仮に法制化された場合でも、これは国がそういうものを象徴としてあつかうということが認められるだけであって、国民一人ひとりに強制すべきじゃない。また、教育の現場に、世界に例がないような権力的な義務づけで、ああいう社会的緊張をもちこむようなことをいっさいやるべきじゃない。そういう点もきちんとすべきだという二つの点を提唱したんです。
われわれは、政府にとってはかなりきつい提唱だと思っているんです。政府はなにしろ法的根拠をあきらかにするのがいやなんですね。だいたい、(「君が代」が)なぜ国歌かということを説明する自信がないというか、後ろめたさがあるんでしょうね。それがいやなものだから、いままで逃げてきているのですけれども、もしあくまでこれを国歌だ、国旗だというのなら、少なくとも国民的討論にもとづいてそういう法制化の努力をすべきだし、それから教育現場への強制ということはいっさいやめるべきだ、この二つの提唱をしたのです。それがだいぶ注目されたようですね。
小林 『論座』に各党の見解みたいなものがでているんですが、自民党の場合はもう、「事実たる」、ずっとつづいていて異論はないはずだと論理的な説明をしないでやっているわけですね。一般的には「社会的慣習だ」「事実たる慣習だ」というようなことでいっているんですけれど、あえて日本の場合、法制化を無理にすると逆に教育現場なんかにむしろ強制的に、たとえば元号法制化と同じように元号を優先的に使えとか、そういうかっこうの強制がむしろでちゃうんじゃないかなと…。
法制化すれば、民意に応じた改定への道もひらかれる
不破 その点は二番目の提唱として、国民へのおしつけと、教育現場への権力的義務づけはやめろということ。それを強制しようというのは、ほんとうにその国の文化の遅れの度合いをしめすみたいなものですね。だからそれをやめなさいということをいっているわけです。
問答無用でおしつけようというのがいちばん具合が悪いわけです。直しようがないんですよ。制度化すれば、民意が変われば民意に応じてこれを変えられます。それが民主的な法治国家らしい解決の方法になるわけで、将来、国民の見方が変わってきて新しい態度をとるといったら、ちゃんとそれに応じる枠組みができるわけです。そういう点で未来にもつながる解決策として提唱したのです。
小林 提唱としては、ひじょうにおもしろいんですが、具体的に、たとえば法制化の土台をつくっていくのは、どういうようなかっこうでやればいいんですか。たとえば国民的合意っていう……。
不破 土台をつくってゆくというより、やっぱり、問答無用でおしつけているいまのやり方、その無法さをうんと追及することが先ですね。それ(権力的なおしつけ)をやるから、このあいだ埼玉で高校の卒業式のことが大問題になりました。あれもほんとうにおかしなことでしたが、こんどの広島の事件とか、こういう政府のやり方――問答無用、権力強制をつづけていると、ああいう悲劇的なことがいつまでも起きます。
だから問題をすっきりさせて、一方で法制化、一方で強制はやらない、この二つをすっきりさせれば、民意に応じて、いくらでも変化してゆく道がひらけるわけだし、問答無用な、暗い問題だということにならないですむでしょうね。
「社会的慣習」の名での押しつけはやめ、国民的に堂々の議論を
小林 共産党の見解のなかで、とくにその国会の多数で決めるんじゃないんだよと、国民合意だよってことをひじょうに強調しているわけですね。たとえば国民投票みたいなものがあると、比較的よくわかるんじゃないかと思うんですが。実際問題、合意の得方というのは、どういうふうに……。
不破 それもあるでしょうね。国会の議決をいっさい否定しているわけじゃありませんが、これは、ただ形式的に「多数ですよ」と、議論なしにパッパッてわけにはゆかない問題です。やはり、(「日の丸」「君が代」は)それだけの否定的な歴史をもっているわけですから、それがほんとうにクリアできるのかどうかということは、(これを国旗・国歌と)主張している側でも大問題のはずです。戦後、その大問題を逃げてとおってきている。その逃げの隠れみのが「社会的慣習」です。
「社会的慣習」といったって、戦前の慣習なんです。天皇絶対の時代の慣習を、そのままつづけようというわけでしょ。そう思うとすれば、戦後の憲法体制を、どう考えているかということになるわけです。そこらへんのきっちりした議論なしに、いままできているのだから、(私たちは)それを主張するなら堂々と議論しなさいといっているのです。
小林 ただ、不破さんのいってるように、いざ法制化の議論をして、では「君が代」、「日の丸」が、国歌、国旗でいいというふうになったら、これはもうしたがわざるをえなくなると思うんですが……。
不破 それは、「国が公式の行事でこの国歌、この国旗を国の象徴として使う」ことを認めるということですよ。だから、あくまで国民、諸団体、教育の現場に強制しないということをあわせていってるわけです。これが近代国家の常識なんですよ。その近代国家の常識にはずれたおしつけというのは、実は、これも戦前からはじまったことです。いっさいそれでがんじがらめにしばろうというやり方、そういうものを同時に、振り捨てる必要がありますね。
小林 ただ、小渕さんの国会の答弁なんかきいてますと、法制化にはのりださないような発言ですけれども、これはむしろ共産党が刺激して、法制化を早めるということで、それはいままでの姿勢とちょっとちがうんじゃないかという、そういう苦情みたいなものはきてないですか。
不破 議論は、いろいろありますよ、「よく考えて提案した」というものもあるし、「日の丸に手をつけるのか」というのもありますしね。ただ、私たちが「朝日」の雑誌に回答した文書の全体、それから同じものを「しんぶん赤旗」の二月十六日付にだしましたから、(全体を)読んでもらえばわかるんですけどね。マスコミで「容認」とでたというので、その見出しだけをみて意見をいってくる方は、けっこういますけどね。
他党との関係――超党派の議員の会合への参加など
小林 おそらく、これは現実路線の一つだと、われわれは受けとめるんですが。共産党の最近の議員の動きやなんかみてますと、たとえば「財政赤字を憂える会」、超党派の議員だから、とうぜん共産党もでていいんですけども、ああいう生臭いような会にも、平気でいろいろでていって発言されてるようですけれども、そういうのはやっぱり、路線的に発展するということがあるんですか。
不破 われわれは、もともと垣根をもってないんで、財政赤字をいちばん憂えてる党だと思ってますから、ああいう会でも、呼びかけがあれば参加するわけですよ。他党の側でも、こういう会にいままで呼びかけなかったのを、呼びかけてくるとか、あうんの呼吸で変化があるわけで、そういう点で道がひらかれれば、いくらでもやりますよ。ただ特定な方向づけがあって、その方向づけに賛成しないとあつまれないというところは、無理ですが、財政赤字を憂えて、どうやって解決するかについておたがいに意見をたたかわせるというのだったら、財政の問題だろうが、安保の問題だろうが、これはどんな討論会にも参加できます。
小林 たとえば日韓議員連盟の加入申請なんかも、なんかそんな感じを私は受けてるんですが。要するに、いままで筋論をずっといいつづけている、孤高の路線からですね、現実路線というか、要するに、「普通の政党」化路線にはいったんじゃないかなという印象を受けるんですが、それはいかがですか。
不破 筋論をもって広くつきあうやり方をしてます。(笑い)
小林 まだまだそうすると、われわれからみて、「おっ、変わったな」というのが、今後もいろいろでてくると期待していいんですか。
不破 うん、それは思い方、見方はそれぞれですから。ただ、いろんな流れのなかで、いろんなことがあるでしょうね。
いっせい地方選挙と東京都知事選挙
都政の破たんに責任のある政党は、その責任と転換策を明らかにせよ
小林 都知事選のほうに話を移したいんですが。あいかわらず、だいぶ三上満さんを推薦して、いろいろ集会も大きいのをひらいてるようですけど、いかがですか。
不破 そうですね。やっぱり、ずいぶん、大阪と比べますと、にぎやかになりましたね。大阪のほうは一対一ということなんですけども。東京のほうは、たくさん候補者がいて、しかも現職がいない。東京の討論をみてますと、いまの都政、都政の破たんに、責任をおう人がだれもいないんですよ、だから、なんとなく、全体がゼロから出発して、白紙にモノを書くような感じの議論がけっこう多いですね。
私は、やっぱり、いまの都政というものは、これをここまで破たんさせた諸政党の責任が、ひじょうに大きいと思うんです。とくに青島都政をふくめ、自民党が(革新都政を)奪還してから二十年になりますからね。その二十年間、なにによって、ここまで(都政を)破たんさせたのかという議論を、きちんとやって、それで転換の方向を見定めないと、まずい。だから、この二十年間、与党として責任をおった政党が、やっぱり、その責任論、またどこを反省するのかとの認識をきちんというべきだと思います。それが、いまの討論にはなくて、ゼロから出発、白紙にモノを書くような議論が、けっこう責任ある政党にかかわる候補からもいわれてるのは、物足りない感じがする点ですね。
地方自治体の借金は8年間で100兆円増えた。その根源は開発仕事のやりすぎに
不破 東京にかぎらないのですけれども、いまの地方自治体の(財政)破たんというのは、ひどいもので、この三月末で地方自治体の借金が、百六十六兆円ぐらいになります。八年間で、百兆円増えちゃったんですよ。
九〇年度末が六十七兆円だったんです。それがことしの九八年度末で、百六十六兆円でしょう。約百兆円増えちゃったんですね。
こんなにメチャクチャな、借金財政というのは戦後もかつてなかったものですが、それは別に自治体がその本業である福祉や教育や住民施策をやりすぎたからじゃないんです。前からいってますけど、開発仕事をメチャクチャにやりすぎたからなんですね。
たとえば、いちばん新しい数字をみても、年間の地方自治体の財政規模が九六年度、八十五兆三千億円なんですけど、地方自治体の公共事業負担が三十八兆七千億円なんです。四割以上もこれにつぎこんでいる。ですから、そこのところを転換させないといけないというのが、われわれのこんどの訴えの中心です。
東京都政で地方政治再建の先駆けともなる転換を
不破 東京はまさにその典型なんですね。かたや千六百億円の都庁舎建設があり、かたやすでに一兆数千億円もつぎこんだ臨海開発あり、そういう流れを変えて、そこへ税金がムダに流れている蛇口をとめないと、そしてほんとうに住民施策を中心にするという転換をやらないと、自治体の再生はない。その試金石みたいなところが東京なんです。しかも、政府もこれまでの都政も、そういうところに目をむけないで、赤字は都民のサービス切り捨てで解決しようという路線です。これがまた問題をひどくしているので、そこらへんを太く訴えながら、東京が全国の地方政治再建のいわば先駆けになるぐらいの地位をきずきたいと思ってます。
小林 統一地方選では政策アピールをだしているようですけども、住民が主人公というような(不破「ええ、ええ」)スローガンだったと思いますけれど、どこをいちばん、訴えていくんですか。
不破 いまの地方財政はどこへいっても、ゼネコン仕事が”本業”になっています。しかし、自治体の本業は住民サービスですし、住民のための仕事こそが自治体の魂です。その魂をとりもどすところにいちばんの力点をおいて、財政の再建も(行政の)流れの転換もすべてそこに力点をおいて、解決していきたいと思っています。
選挙制度論議――民意の反映にこそいちばんの基準がある
小林 都知事選の関連でもあるんですけども、国会議員が立候補を予定していて、その補欠選挙で、さらに比例代表で当選した人がでる。またその比例代表の繰り上げ当選で、しかも新進党みたいなすでに党名がなくなっている党の当選者がでる。まあ、いろいろ矛盾があるではないかといろいろ批判をあびて、選挙区制度の改革論議というものにも発展してきているんですが、前回もちょっとおききしたんですけども、これについてはどういうお考えですか。
不破 私たちは、選挙制度の改悪について、いちばん反対した政党でした。そのときにわれわれの反対論を無視して、これがいちばんいいんだ、いちばんいいんだと主張してきた人たちが、いま、おかしいおかしいといってるんですね。やっぱり、そこらへんのことを整理しないとまずいと思います。
確かにいまの選挙制度の矛盾がいろいろ露呈していますが、いちばんのおおもとは、選挙制度は、国民の意思を国会に反映させることがいちばんの命だという民意反映論を無視して、安定した政権をつくることが選挙制度の要(かなめ)だといって、いわば少数でも第一党に議席を集中するというために小選挙区(制度を)入れたわけでしょう。それがものすごい矛盾を生みだしているんです。
ですから、いま選挙制度の議論をしようとするなら、そこらへんで、自分たちがやってきたこと、考えてきたことのどこがまちがいだったかについてちゃんと反省する。やっぱり選挙制度というのは民意を正確にどう反映するかというところに、いちばんのものさし、命、基準があるんだというところに立ち返って議論しなおすことが大事です。これからの選挙制度論議には、おおいにそういう立場でとりくもうと思っています。
ただこの議論やるときに、自自合意で、(衆院の)五十議席削減が決まったから(小林「はい」)その分をどこでへらすかなどということを前提にした議論は、ほんとうにもう逆立ちも逆立ち、邪道中の邪道ですから、そういうものは捨てて、まともな議論を、最初の原点に立ち返ってやる必要があると思っています。
小林 これは与野党の協議機関をつくろうではないかという話がでてますけれど、これには参加されるんですか。
不破 参加して、われわれの主張をおおいにいうつもりです。
議員定数の削減 国政と国民を結ぶパイプを細くする逆立ちの議論
小林 議員定数の削減というのがいちばん合意しやすいというか、各党の表面的にいっていることをあわせるとしやすいんですが、そういうところにはいって、むしろ苦労するということはないですか。
不破 いや、はいってもはいらなくても苦労するときは苦労しますから(笑い)。ただ、議員定数の削減というのはマスコミにもとりあげられていますけれど、人口の割合でいうと、(世界の主要国で)日本はいちばん(国会)議員が少ないんですよ。議員の定数というのは、国民の意見が国政にどう反映するかのいわばパイプですから、これは細くすればするほどいいっていうものじゃないんですね。細くすればするほど、政権党に有利ということになるわけで、こういう議論はやっぱりさっきいった、逆立ちの議論なんです。
しかも、これを、いろんな形でやろうとすると難しいから、比例を削ればいいということになって、民意の反映に逆行する改悪をさらにすすめることになる。こういう立場は、われわれは、とりません。堂々と本来の選挙制度はどうあるべきか、われわれは、比例代表の拡大を主張していますけれど、それを主張するつもりです。
小林 なにかにわかに中選挙区制というのが、公明党や、また自民党の一部から叫ばれているんですが、これはいかがなんですか。
不破 このことでも、さっきいった原点からの議論が大事なんですね。それで、あれをいま叫ぶんだったら、なんであの中選挙区を廃止するときに、もっと大きな声でこういう人たちがいわなかったのか、またその党があの不当な改悪案に賛成したのか、疑問になりますよね。
私たちはここまできて、ここから民意の反映という方向で前進するには、どこへ前進するのがいちばんいいかという点で、ブロック別比例代表定数を二倍半にすれば、これは定数五百の完全な民意反映の選挙制度ができるわけですから、そういう方向で前むきに解決したいと思っています。
小林 選挙区制度の改革が本論になりますと、だいぶ時間がかかって結論がでないんじゃないかと思うんですが、とくに各党の見解それぞれちがうんだろうと思うんで、また共産党の見解もこまかくぜひおききしたいと思います。
それで、いよいよ国会のほうは、予算案の審議からガイドライン関連法案の審議と移りますけども、これもいろいろ修正の攻防がつづいていきますので、ぜひこまかい見解をいずれおききしたいと思います。きょうはどうもありがとうございました。
不破 ではまた。
「『日の丸・君が代』をどうとらえていますか」
──アンケートへの日本共産党の回答
1999年2月16日「しんぶん赤旗」
<= 各党の回答
<= 解 説 国民主権の憲法下の国歌・国旗のあり方
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朝日新聞社発行の月刊誌『論座』は、現在発売中の三月号で、「『日の丸・君が代』大研究」を特集し、各政党、新聞社などへのアンケート「『日の丸・君が代』をどうとらえていますか」を掲載しています。『論座』編集部からの質問は、(1)「日の丸・君が代」をどうとらえているか(2)外交(対外活動)の際などの扱いをどうしているか(3)学校行事などでの扱いをどうすべきか――の三項目です。質問項目と、これにたいする日本共産党の回答の全文はつぎのとおりです。
質問
(1)「日の丸・君が代」をどのようにとらえていますか(国旗、国歌として認識している、認識していない、特に定めていない、本社玄関前に掲揚している、入社式での扱いなど)。
(2)アジアの諸外国、ことに中国と南北朝鮮には「日の丸・君が代」が「アジア侵略の象徴」としてとらえられ、それが強い反発の理由の一つになっています。外交の際、オリンピック報道などの扱いはどのようにされていますか。
(3)卒業式や入学式など、学校では「日の丸・君が代」の扱いがしばしば問題になります。こうした現状をどうとらえ、どうあればよいと考えますか。
日本共産党の回答
(1)「君が代」「日の丸」を国歌・国旗として扱うことには反対です。
第一に「君が代」は、一八八〇年に海軍省の依頼で作曲されたのが始まりで、その後、小学校の儀式での斉唱を義務づけたこと(一九〇〇年)から、戦前、国歌的な扱いをうけました。内容は、天皇の日本統治をたたえる意味で使われてきた歌であり、「国民主権」を定めた現憲法とは相いれないものです。
「日の丸」は、もっと古い歴史をもっていますが、国旗としては一八七〇年、太政官布告で陸海軍がかかげる国旗として定めたのが最初です。太平洋戦争中、侵略戦争の旗印となってきたことから、国民のなかに拒絶反応をもつ部分が大きくあり、現在でも国民的な合意があるとはいえません。外国でも、日本と同様、第二次世界大戦の侵略国であったドイツとイタリアでは、大戦当時と同じ旗を国旗としていません。
第二に、さらに重大なことは、「君が代」「日の丸」が、何の法的根拠もなしに、「社会的慣習」を理由に、一方的に国歌・国旗として扱われていることです。これは、世界でも異常なことで、サミット参加国をみても、成文憲法をもたないイギリスは例外ですが、他のどの国も、憲法や法律で根拠を定めています。
国歌・国旗の問題を民主的な軌道にのせて解決するためには、国民的な合意のないまま、政府が一方的に上から社会に押しつけるという現状を打開し、法律によってその根拠を定める措置をとることが、最小限必要なことです。そのさい、ただ国会の多数決にゆだねるということではなく、この問題についての国民的な合意を求めての、十分な国民的な討議が保障されなければなりません。
そして、法的根拠を定めるということは、国民の意思が変わった場合、民主的に改定する道も開くことにもなり、国民主権の原則にふさわしいものだと考えます。
(2)党の対外活動としては、(1)の趣旨にもとづいて、「君が代」「日の丸」を国歌・国旗として扱う態度はとっていません。
(3)学校行事などで、「日の丸」「君が代」の使用を強制することはやめるべきです。法的根拠が存在しない今日、そういう強制の不当性は明白ですが、仮に法制化が行われたのちでも、これは、国が公的な場で「国と国民の象徴」として公式に用いるということであって、教育の場にも、また国民一人ひとりにも強制すべき事柄ではありません。私たちの調査したところでは、国歌の斉唱や国旗の掲揚を教育の現場に強制している事例は、現在の世界では、きわめて例外的な一部の国にしかありませんでした。
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日本共産党以外の各党の回答(要旨)は次のとおりです。
各党の回答
自民党
「国民は、自己の国旗・国歌に誇りを持ち、なにびとといえども毀損することは許されないというのが国際通念です」「『日の丸』が国旗であり、『君が代』が国歌であることは、歴史的な経緯からみても、法制的な根拠からみても疑問の余地はありません」
「教育現場においては、混乱がみられますが、学習指導要領には、『入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする』と明記されており、今後いっそうの定着をはかることが日本の国を愛することであり、このことが国際社会の中で、世界に貢献する国際性豊かな真の日本人を育てることなのです」
民主党
「『国旗』『国歌』として、多くの国民の間に定着し、また、諸外国からも認められていると考えます」
「もっとも、『日の丸』『君が代』には、一部に拒否感があることも事実です。国旗や国歌への敬愛は、自国を愛し、他国を尊重するという自然な感情から醸成されるものであり、これを強制できるものではありません。したがって、歴史に対する謙虚な認識と国旗・国歌に対する正しい理解を育んでいくことによって、粘り強く解決を図る姿勢が重要です」
「国を愛する自然な感情の発露として、国旗・国歌に対する正しい理解を育む教育を実践するのは当然のことですが、その運用には十分な配慮が必要であると考えます」
公明党
「『日の丸』は使用されてきた歴史的経緯、また形態のうえから検討して、日本の国旗としてふさわしいものと考えます。また、『君が代』についても、国民の間に広く定着しており、国歌として位置づけられてよいと考えます」
「ただ、これらについては、過去における軍国主義国家のイメージが強烈に焼きついている人たちもあり、国旗・国歌として認めたくないという感情を抱いていることも承知しています」
「『日の丸』『君が代』が存在したから軍国主義国家への道を歩まされたのではなく、むしろ軍国主義者に利用されたものというべきです」
「教育現場において、日本の国旗や国歌に誇りを持ち、どのような歴史のなかで作られたのかを考える意味からも、各校同様に取り上げることが重要であると考えます」
自由党
「『日の丸・君が代』は当然、日本の国旗・日本の国歌として認識しており、『日の丸』は自由党本部玄関および党首室に掲揚しております」
「日本国民として、自国の歴史・文化・伝統とともに、他の国や民族の歴史・文化に敬意を払うことは当然であります。その観点からも、わが国の象徴である国旗・国歌について教育現場で指導することは当たり前であると考えます」
社民党
「党としては、『日の丸』を国旗として、『君が代』を国歌として認識しておりません」「アジア諸国の侵略のシンボルであったことや、そもそも『日の丸』『君が代』が国旗、国歌として法律上定められているわけではないからです」
「どう認識するかは、国民一人ひとりの判断にまかせるべきことです」「アジア侵略の象徴として、アジア諸国、とりわけ中国、朝鮮半島の国々などが強い反発を示していることを、私たちは真摯に受け止めなければならないと考えています」
「『日の丸』『君が代』が法制化されていないにもかかわらず、文部省が入学式、卒業式での『日の丸』掲揚と国歌斉唱を義務化してきたことは大きな問題であると考えます」
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(解 説)
国民主権の憲法下の国歌・国旗のあり方
日本共産党は、「君が代」「日の丸」を国歌・国旗として扱うこと、学校行事などでの使用を強制することに一貫して反対しています。今回の回答は、この立場をあらためて強調するとともに、「国民主権の原則に立つ憲法のもとで、国歌・国旗はどうあるべきか」という根本問題にまで踏みこんだものです。
回答は、「君が代」「日の丸」を国歌・国旗として扱うことに反対する理由として二点を指摘しています。
国歌・国旗にふさわしいか
まず第一は、いわば”中身”の問題です。「君が代」は、回答がのべるような経過をたどって「国歌的扱い」を受けてきましたが、戦前の政府自身、「『天皇陛下のお治めになる此の御代は、千年も万年も、いや、いつまでもいつまでも続いてお栄えになるように』といふ意味」(『尋常小学校修身書』)の歌だとしてきたものであり、現憲法の「国民主権」原則と相いれないことは明白です。
「日の丸」は、その歴史をさかのぼれば西暦七〇一年の「大宝律令」の時代にまでいきつくことにもみられるように、もっぱら天皇の専制支配をたたえる目的で作られた「君が代」とは性格を異にするものです。しかし「日の丸」は、「太平洋戦争中、侵略戦争の旗印となってきた」ことへの拒絶反応もあり、戦後もひきつづいて「国旗」として扱うことで国民的合意が得られていないものです。
これにくらべて、第二次世界大戦で同じ侵略国だったドイツ、イタリアのとった措置は注目すべきです。ドイツはナチスのシンボル=カギ十字を配したものを、イタリアはサルディニア王室を象徴する文様をあしらったものを国旗としていましたが、戦後、両国ともこれを公式に廃止し、現在ではそれぞれ憲法で、「連邦国旗は黒=赤=金色である」(ドイツ)、「共和国の国旗はイタリア三色旗…である」(イタリア)と定めています。侵略戦争への真摯(しんし)な反省もないまま、その旗印を今も「国旗」として国民に押しつけている日本と大いに違うことは明らかです。
法的根拠なし 世界でも異常
回答は、第二に、「君が代」「日の丸」を国歌・国旗とすることには何の法的根拠もないと指摘しています。政府も、「日の丸は我が国の国旗であることは…慣習法」(参院予算委、八八年三月十一日)、「君が代が国歌であるということは国民的確信」(同)と、明文上の根拠がないことを認めています。
これも国際的にみてまったく異常なことです。たとえばサミット参加国を例にとってみると、成文憲法をもたないイギリスを除けば、どの国も国歌・国旗を憲法や法律などできちんと規定しています。フランスは憲法で「国旗は…三色旗である。国歌はラ・マルセイエーズである」(第二条)と定めています。先にみたように憲法で国旗を規定しているドイツ、イタリアは、それぞれ「大統領決定」(ドイツ、五二年)、「議会決定」(イタリア、四六年)で国歌を定めています。アメリカは、国旗については三一年、国歌については四七年にそれぞれの根拠法を制定しています。カナダは、国旗(六四年)・国歌(六七年)とも議会などで公式に制定されています。
法的措置が必要 国民討議ふまえ
回答は今回新たに、国歌・国旗にかんして法制上の措置をとることを提起していますが、これは世界の常識にかなったものであり、「君が代」「日の丸」を政府が一方的に国歌・国旗だと決めつけて、上から社会に押しつけている異常な現状を打開するために「最小限必要なこと」です。
もちろん、だからといって政府が一方的に法案を提出し、まともな議論もないまま数をたのんで成立させるようなことは許されません。国歌・国旗が「国と国民の象徴」である以上、憲法にふさわしいものとなるよう十分な国民的議論を保障したうえで制定すべきです。また、このような道を踏んでおけば、いったん制定したあとでも、国民の意思が変化した場合、同じく民主的な手続きを経て改定することもでき、国歌・国旗が名実ともに国民的合意に支えられたものとして受け継がれてゆくことになります。
この点についていえば、戦前のきびしい検閲のもとで発行された『国民百科大辞典』(冨山房)でさえ、「国旗は変更できないことはない。国体が変れば国旗も変更される」とのべていることが注目されます。天皇主権から国民主権へといわゆる「国体」が根本的に転換した今日、天皇制政府の定めた「日の丸」がわが国の国旗として適切かどうか、国民のあいだで大いに論議すべきです。
使用の強制は すべきでない
回答は最後に、法制化の有無にかかわらず、国歌・国旗の使用を学校行事や国民に強制すべきではないと強調しています。
国歌・国旗を憲法や法律で定めている国、たとえばドイツでは「学校教育での扱いは…学校に委ねられて」おり、イタリアでも憲法教育の一環として教えるものの、学校行事などで使用を強制することはいっさいありません。わが国と同様に明文上の根拠を定めていないイギリスでも、学校行事などで国旗掲揚・国歌斉唱を押しつけることはおこなわれていません。「学習指導要領」で、「(学校行事のさい)国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」として使用を強制しているわが国は、この点でも異常なものであり、ただちにあらためるべきものです。
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