日の丸史論 |
更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2).4.12日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、日の丸史論をしておく。今はスケッチ段階であるが追々精緻にして行くことにする。 2006.7.11日再編集 れんだいこ拝 |
【日の丸表象論】 |
通称「日の丸(ひのまる)」の正式名称は「日章旗(にっしょうき)」。国旗及び国歌に関する法律第1条に「国旗は、日章旗とする」と規定している通りである。同法律の規定によると、旗の形は縦が横の3分の2の長方形、中央の円の直径は縦の5分の3で中心は旗の中心、色は地は白色、円は紅色とされている。「日章旗」とは日(太陽)の章(しるし)の旗つまり「太陽のしるしの旗」の意となる。
「日の丸」は何を表象しているのか。中央に赤丸(円)が描かれている。赤丸(円)が日(太陽)、それを赤く丸みに描かれていることにも意味があろう。これは、日本人の民族宗教とも云うべき古来よりの日本神道が日月信仰を基本としていることを表現しているのではなかろうか。日本神道における最高神にして皇室の祖(皇祖神)とされている「天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)」(「天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)」)であり、この神を神格化しているとも考えられる。四角の白地は何を表象しているのか。恐らく、日(太陽)の恵みを禊により清廉無垢で受けることを表現しているのではなかろうか。 |
【日の丸史論】 |
日の丸史は次の通りである。 607(推古天皇15)年、当時の支那の隋へ遣隋使が送られ、聖徳太子の国書が渡された。文中に、「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す」とある。日本が「日」を格別に重視していることが分かる。 701(大宝元)年、文武天皇の御代、797年に編纂された続日本紀の朝賀の儀に関する記述で、正月元旦、儀式会場の飾りつけに「日像」の旗を掲げたとある。これが日の丸の原型で最も古いものといわれている。 文武天皇の後、天皇が即位する際の飾りでは、正面に鳥形の幢、左右に日月像の旗を立てるようになったと伝えられている。「日月(じつげつ)紋]は太陽と月を象った紋で、太陽は天照大御神、月は月読尊を表していると言われている。この日月の紋のついた旗が「御旗」と呼ばれていたと解釈できる。当時は太陽と月の2つをセットにして考えられていた。どちらが太陽か月であるかを区別するために、太陽を金で、月を銀で打つようになる。月を丸ではなく三日月にしたものも現れ、室町時代からは菊家御紋章を打つものもでてきて、皇室の現在の紋章となっていったものと思われる。 現存する最古の日章旗は雲峰寺が所蔵している。これは後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう)が源義光に下賜(かし)したとされる物である。 1575(天正3)年6月29日、長篠の戦いで、織田信長・徳川家康の連合軍対武田勝頼軍の戦いで、各戦国武将たちが掲げた旗は日章旗だった。「我こそはこの国の真の覇者なり」という意味が込められていた。 豊臣期から徳川の鎖国令(1639年)までの間に行われた朱印船貿易。その船の船尾には、日本の船籍を表すものとして「日の丸」」の旗が立てられていた。現在の通常郵便切手の初期の第1次昭和切手といわれる切手の中に昭和12年5月に発行された紫色の「御朱印船」(五厘)があり、ここに日の丸の旗を掲げた御朱印船が鮮やかに描かれている。 1635(寛永12)年、江戸幕府が建造した「安宅丸」で幟として使われたのが正式に日本の旗として登場した最初であるとされている。 1853(嘉衛6)年の黒船来航により日本の国旗が必要とされるようになった。 1853(嘉衛6)年11月、「薩摩藩主島津斉彬(しまずなりあきら)が幕府に大型船・蒸気船建造申請を行ったときに、日本船の総印として、白い帆に太陽を象徴した、白地に朱色の日の丸の使用を求め、日の丸を日本全体の総印とするように進言した。1854(安政2)年、薩摩藩が建造した昇平丸が江戸の品川に入港したとき、日の丸が揚げられ、これが、わが国の船印として揚げられた最初のできごととなった。 1854(安政2)年、徳川幕府は、日米和親条約調印後に外国船と区別するために日本国共通の船舶旗の選定が必要となり、島津斉彬の進言もあって、「日之丸御城米積船」の旗印を名前通りに「日の丸」とし、「日の丸」幟を採用することになった。日の丸を日本全体の総印とする旨を、全国に布達した」とされている。 1860(万延元)年、日米修好通商条約批准交換のため、咸臨丸が、開国後初めて大西洋を渡った。この時、「日の丸」の船印を船尾に翻して々サンフランシスコに入港した。使節一行がニューヨークのブロードウエイでパレードした時、外国で初めて日の丸が掲げられた。 1870(明治3)年、郵船商船規則(太政官布告57号)に日本船の旗印として日の丸が採用された。寸法が縦横比7:10で旗面の丸が竿側に少し寄っている。この太政官布告により法的裏づけが為された。海軍御旗章国旗章並諸旗章(太政官布告651号)。寸法が縦横比2:3で旗面の丸が中央にある。 |
(私論.私見)