「愛国心、民族主義問題」について(民族主義と国際主義、国家主義 の相関考) |
更新日/2024(平成31.5.1栄和改元/栄和6).8.16日
(れんだいこのショートメッセージ) |
「狂おしく悩ましく」を読んで、中核派においても「マルクス主義における愛国民族主義問題」が理論的に獲得されておらず深刻な対立を引き起こしていることを知った。以下、この問題について言及しておく。とりあえず既に書き上げている以下の文の推敲を重ねることにする。 2013.01.31日 れんだいこ拝 |
【「マルクス主義における愛国民族主義問題」について】 | ||
「マルクス主義における愛国民族主義問題」について面と向かって考察されることが少ないように思われる。インターネット検索で田中克彦氏の「論文題目:ソビエト・エトノス科学論:その動機と展開」に出くわしたが、田中氏は次のように評している。
問題は、「マルクス主義における民族問題」に直面した際の二代論客しーニンとスターリンのアプローチの差異であるが、れんだいこはこれを分かりやすく且つ正確に解説したものを知らない。田中氏は次のように述べている。
スターリンは更に、1950年に「マルクス主義と言語学の諸問題」を著し、引き続き論及している。 |
【「共産主義者の宣言」文中の「プロレタリアは祖国を持たない」について】 |
「共産主義者の宣言」文中の「プロレタリアは祖国を持たない」と「プロレタリアはまず政治的支配を奪取して、自己を国民的階級の地位にまで高め、自己を国民(ナチオン)としなげればならないのであるから、それ自身やはり国民的(ナチオナル)である」の両記述を如何に整合的に理解すべきか。 多くの自称マルクス主義者は、プロレタリア革命闘争上、ナショナリズムと国際主義を対立概念で捉え、ナショナリズム運動を排斥し国際主義にどう純化し得るのか、その純化度を競うことでマルクス主義度を測ろうとしているように見える。例えば、「構造改革論の思想的意義と現実的課題」の著者のように、「要するにマルクスは、長期的・戦術的には『国際主義』を、短期的・戦術的には、いわば『ナショナリズム』をプロレタリアの使命として示唆したといえよう」とする観点に立っているように見える。 果たしてこの理解はマルクス主義的だろうか。この理解によれば、国際主義とナショナリズムを対立的に捉えた上で、マルクスは何やら目先でナショナリズム、その果てに国際主義を視野に入れていたというようなことになるが、こういう理解は却って理解が混乱しやしないか。もっと素直に、愛国民族主義問題を捉えても良いのではなかろうか。各国人民は、それぞれ当該国家及び民族の自存と自律を求める。その先に「全世界の民衆が永久平和と四海兄弟主義に向って、よりよき理解を求めて止まぬ」国際主義が待ち受けている、とそのまま受け止めれば良いのではなかろうか。 プロレタリアが自国の革命をナショナリズム的に為すのは当然であるとする見地に立ちたい。但し、プロレタリアのみがナショナリズム的革命を国際主義的見地から為しうるのであり、それはブルジョアジーのその種の革命の限界を更に突破する汎人類的意義を持つ革命であるとする認識を持ちたい。実際、マルクスは、歴史弁証法的にこう認識していたのではなかろうか。「共産主義者の宣言」の「プロレタリアは祖国を持たない」の趣旨を正確に受け止めれば、そう判ずることができる。「プロレタリアは祖国を持たない」は、プロレタリアには祖国は不要だという意味ではなく、プロレタリアにはブルジョア的祖国は不要だという意味であろう。「万国の労働者よ団結せよ」と対句になっている。プロレタリア的祖国は協調主義によって国際主義を生み出すことができるという見通しに立っていると拝するべきだろう。 つまり、れんだいこは、プロレタリア的ナショナリズムと国際主義は何ら対立概念ではないということを指摘している。従来の通俗マルクス主義がナショナリズムと国際主義を対立概念で捉えているのは間違いであるということが云いたい訳である。この差は実は大きな意味がある。ここでは触れないが、ネオシオニズムと決別し抗争する為に必要な認識作業として要請されている。 2006.10.31日再編集 れんだいこ拝 |
【「マルクス主義における民族問題」におけるレーニン的理解について】 | ||
レーニンは、10月革命政権樹立後忽ち社会主義建設におけるナショナリズム問題に直面した。ソヴィエト・ロシアは社会主義の史上最初の国家として登場したが、その反動として諸外国による革命への干渉や国内における反革命勢力の反撃を呼び起こした。レーニンとボルシェヴィキ党は、「社会主義的前衛の論理」に基づき、ソヴィエト国家の「国家的利益」(ナショナル・インタレスト)と、それに即した諸民族の反帝国主義独立運動こそが全世界のプロレタリアの利益であるという見地に立ち、これに対抗する資本主義国家やその国家観あるいはそれに追従する植民地諸国の従属的行動を批判した。 レーニンは、1913年の「民族問題に関する批判的論評」で次のように述べている。
この見地によれば、ソヴィエト・ロシア創出以降は特にプロレタリア国際主義こそがマルクス主義的愛国民族主義の見地となるべきであり、ブルジョア・ナショナリズムは反動のそれでしかない、ということになろう。これを仮に「レーニン式愛国民族主義論」と命名する。西欧の社会主義者たちは、「レーニン式愛国民族主義論」に困惑させられることになった。西欧社会主義者にとって、ソヴィエト・ロシアはあくまで西欧辺境のロシアの土地に形成されたソヴィエト・マルクス主義の産物であり、それをそのまま模範とするわけにはいかなかった。ここに、ソヴィエト・マルキシズムと西欧的マルキシズムとの間に対立が生じた。もっとも、マルクス主義に於ける愛国民族主義論を廻っての純理論的対立の面もあったが、実際にはレーニンが指摘した如く排外主義的愛国民族主義に陥っている面もあったので、この両者を識別せねばならない。 レーニン登場以前は、マルクス主義の正統の継承者であり権威であったカウツキー(1854〜1938)は、ソヴィエト社会主義政権を一党独裁であると非難し、西欧ではむしろ民主主義を通じて社会主義を実現すべきである、と主張した(「プロレタリアートの独裁」1918年)。これに対して、レーニンは、「プロレタリア革命と背教者カウツキー」(1918年)によって、彼に反駁し、激しい非難を加えた。 レーニンは、自らの「レーニン式愛国民族主義論」に基づき共産主義インターナショナル(コミンテルン)を創設し、第一次大戦直後の1919年春、モスクワで第1回大会を開催した。翌1920年、第2回大会において具体的な活動方式を決定し、第三インターとして「正統」をもって任じ、各国のメンバーに対して、大会と委員会との決定には無条件的に服従すべきことを要求した。「レーニン式愛国民族主義論」は、ソヴィエト・コミュニズムを国際共産主義革命の「前衛」ないし「橋頭堡」として、指導と統合の役割を果すこととなった。 「レーニン式愛国民族主義論」は、ソヴィエト国家をそのままプロレタリア国際主義の中核とみなし、ソヴィエトの国是に即さないプロレタリア運動を「異端」とみなした。当時、カウツキー、ベルンシュタイン(1850〜1932)に代表される西欧マルクス主義は、マルクス主義理論の民主主義化的修正を行って「正統」から離脱していた。レーニンは、カウツキー、ベルンシュタインは無論、ローザ・ルクセンブルグ(1870〜1919)に対しても、その民族理論が「レーニン式愛国民族主義論」的見地に立っていないとの理由で、「日和見主義」の名のもとに、これを非難した。 レーニンはこう述べている。
これに対し、民族問題に関するスターリンの見地は、「レーニン式愛国民族主義論」にはまだ弁えられていたプロレタリア国際主義の精神を放棄し、ソ同盟一辺倒式に改悪した。スターリンは、民族自治を説いたオーストリア・マルキシズムの理論家オットー・バウァー(1881〜1938)やカール・レンナー(1870〜1951)の民族理論を批判した。彼らは文化的見地に立って、東欧の弱小諸民族は、文化的には西欧的キリスト教文化圏に属するから、それぞれの主体的条件に従い、民族自決の上に立って社会主義化の道を進むべきであるとしていたが、スターリンは、これを「ブルジョア民族主義の代弁をするショーヴィニズム(排外主義)である」と論難した(「マルクス主義と民族問題」1913年)。 スターリンは実に徹底したソヴィエト一元化主義の路線を貫いた。スターリンによる一国社会主義の建設と防衛は、1928年のコミンテルン第6回大会で採択された概要「ソヴィエト連邦は国際的プロレタリアの唯一の祖国であり、資本主義諸国の攻撃からソヴィエト連邦を全力をあげて守ることが国際的プロレタリアの義務である」とする綱領を生み出し、コミンテルンに結集した各国共産党を拝跪させた。スターリンにより、ソ同盟は、全世界的規模における反帝国主義・社会主義革命運動の司令塔であると位置づけされ、この論理に従って、ソ同盟による帝国主義的支配をもたらすことになった。 |
【れんだいこ史観による民族主義総俯瞰】 |
「愛国心、民族主義問題」は、近代以降の政治テーマとして最も主たるものであるにも関わらず究明されていない、というか忌避されているように見える。戦前の転向問題に直結しているにも拘わらず、理論的切開ができかねている。宮顕は単に「俺は不撓不屈非転向で闘い抜いた」なる真偽不明の手柄話で煙に巻き、転向者を批判するも飼い殺しするも自由の権力を手中にしたが、こういう姿勢は却って有害であるし、こういうことでは到底学問になり得ない。特に、日本の場合、国際的謀略の敷かれたレ−ルに乗りつつファナティックな国粋主義の途をも掲げるという奇妙な結合により、国策的に大東亜共栄聖戦を遂行してきた歴史を持っており、これを侵略と見做すのか解放と見做すべきかを廻ってマルクス主義的に総括しておくことは左派運動の責務でもあり、どうしても必要なことのように思える。 れんだいこ史観によれば民族主義問題の根は深い。近代のブルジョア民主主義ないしその議会制、国民概念、国家間戦争、民族独立運動、植民地解放運動、これら全てが民族主義問題の観点から考察し得るように思われる。つまり、それらは全てが民族の自律自存、活力形成に繋がっており、これに成功した民族が強国を創り出し、失敗した民族が後進国の地位に甘んじ、あるいは植民地の悲哀を味わわされてきたという風に、民族主義問題はいわば歴史の歩みの根幹に関わっているように思える。 してみれば、帝国主義とは強国化の発展過程であり、それを思えば批判を超えた国家の現実的生態に他ならない。帝国主義を生み出した近代及び現代史に対して、道義的な批判説法して事足りるのは道学者だけだろう。近代史の諸国間対立の原基には民族主義問題があり、現代世界はなお諸民族の抗争と協調の只中に住しているように見える。階級闘争が一国主義的に展開されるのなら、それは民族主義の下位に位置している。だからいつでも民族主義に包摂されることになる。この観点は共有されるべきだ。 興味深いことは次のことにある。れんだいこ史観によれば、「右派系は、民族主義を国家主義と同値で論じようとする。左派系は、民族主義を国際主義と対値で論じようとする。従って、いずれの側においても、民族主義問題が民族主義自体を課題として俎上に乗せられることがない」。 更に興味深いことは次のことにある。時の政策当局者がまともであれば、彼らは国家主義と民族主義を一応は仕切り分けしてその双方に取り組む。そこには、国家に対して国民に対して饒舌の効かない責任が付きまとっており、懸命にその歩みを漕いでいる。そういう意味でよほど賢明だ。なお、土着宗教派はどこの国においても民族問題をずばり引き受け考察しているように見える。彼らは世間に向けて「科学的社会主義教」の観点からの説教はしないが、むしろ近代以降の時代の特質を正確に捉えているように見える。皮肉なことだが、これが史実のように思える。 2003.7.21日 れんだいこ拝 |
【その一、「共産主義者の宣言」に見る民族主義と国際主義の相関関係如何考】 | |||||||||||
共産主義者は、国内の階級闘争と国際主義をどう結合すべきか。これを「『共産主義者の宣言』(「共産党宣言」)に見る民族主義と国際主義の相関関係如何考」と課題設定し、同書に記された文言を検証してみる。該当個所を挙げながらこれを咀嚼してみる。 「本文1、ブルジョアとプロレタリアート 」の稿で、次のように記されている。
これによれば、階級闘争は、それぞれの母国で、「一国的なプロレタリアートとブルジョワジーとの闘争」が当然視されていることになる。 「本文2、プロレタリアと共産主義者」の稿で、次のように記されている。
これによれば、共産主義者は、一国内的な階級闘争を推進しながらも、その目線は常に高く広く「一切の民族主義に左右されない国際主義」の観点を持って対処していくことが要件とされている。 ブルジョアによる「共産主義者はさらに、国家(祖国、country)と民族性(nationality)を廃止しようと望んでいる」との非難に対して、次のように反論している。
これによれば、労働者階級は「国内の階級闘争を和合ないし解消するような意味での、ブルジョアジーと共有し得るような国家(祖国)などない」ことを指摘していることになる。 次のようにも述べている。
これによれば、「他の者による或る個人の搾取」を揚棄する社会体制の創造が、「国家内の諸階級の対立の消滅」につながり、ひいては「或る国家と他の国家との間の敵対関係もまた終焉する」と述べていることになる。そういう一切の原基的なものとして、「資本主義的な私有財産制を止揚させる共産主義革命」の必要を説いているというスタンスであることが分かる。 共産主義者と、イギリスのチャーチスト運動、アメリカの農地改革派、労働階級党、社会民主主義、民主社会主義、急進派の人達や政党との関係について、「批判的立場をとる権利を保持しつつ同盟関係に立つことを是認」して次のように述べている。
具体的に次のように記している。
これによれば、共産主義者及びその政党は、唯我独尊的な党派的運動を戒め、絶対目的である「資本主義的な私有財産制を止揚させる共産主義革命」を引き寄せる為に必要な局面打開に一歩一歩取り組むことこそ肝要であるとしていることが分かる。 付言すれば、日共その他の自称左派運動は、マルクス・エンゲルスの指針せしめた「資本主義的な私有財産制を止揚させる共産主義革命」を放棄し、唯我独尊的な党派的運動のみを吹聴しており、それは全く非ないしは反マルクス主義的であることが判明する。 次のようにも述べている。
これによれば、「プロレタリア革命の序曲」としてのブルジョワ革命を推進し、それはプロレタリア革命へと「その後直ちに引続く」ものとして構想していることが分かる。且つ、西欧においては、ドイツ、フランス、イギリスを主とする国々の連動的な革命運動が常に視野に入れられていることも分かる。 次のようにも述べている。
これによれば、共産主義者は、社会の進歩を促す全分野で共同闘争を組み、「資本主義的な私有財産制を止揚させる共産主義革命」の旗を打ち振り続けることが、らしき在り方だとしていることが分かる。
もはや解説不要であろう。 |
【その二、マルクス主義的「民族主義と国際主義の在り方論」考】 | ||||||||
以上から、「『「共産主義者の宣言』に見る民族主義と国際主義の相関関係如何」を考察するに付き、次のように総括できるのではなかろうか。
ここに認められるのは、透徹した「革命の弁証法式運動」であり、一国主義、国際主義、国際指導組織、革命の根拠地づくり、共産主義党派の独善性、議会主義、大衆闘争等々が孤立して独自に叫ばれている訳ではないということであろう。主観的にマルクス主義運動やってるつもりでも、「革命の弁証法式運動観」からかけ離れた党派運動、大衆運動、労働運動は、マルクス主義者のそれではない。そのことを確認すべきではなかろうか。 思えば、れんだいこが感じた戦後左派運動に対する違和感とは、もっともなものであり、このマルクス主義的観点からあまりにも逸脱していることに対する漠然とした疑問ではなかったか。しかし、それを証する知識を持たなかった故に沈黙せざるを得なかった。しかし、こうして、「共産主義者の宣言」の翻訳をものして原文の真意を確認した以上、次のように云うことを何を憚ることがあろうか。世にある自称マルクス主義的左派運動ないしその党派運動は何らマルクス主義的なものではないと。 |
【その三、マルクス主義的「民族主義と国際主義の在り方論」とネオシオニズムの関係如何考】 |
さて、このマルクス主義的「民族主義と国際主義の在り方論」をこれだけで終わるとすると、十分でないように思える。これについては、マルクス自身さほど言及していないのではないかと思われる。唯一、「ユダヤ人問題について」で本格的に論ぜられているのかも知れないが、れんだいこはまだ読みきっていない。正確な和訳本がないのが残念の極みである。どなたか是非翻訳して下さり、我々の啓発に一役買って欲しい。 れんだいこは何を云おうとしているのかというと、近代から現代に至るまでの歴史に顕著なユダヤ民族主義的ネオシオニズムの動向について言及せずんば片手落ち過ぎやしないか、ということである。今や、明らかにネオシオニズムが世界を席捲しつつある。ネオシオニズムの勃興と発展の様はマルクス主義のそれよりも力強く、マルクス主義が衰微したのに比して今まさに意気軒昂である。これをそれとして観ずしては現代史を語ることはできないだろう。 ではネオシオニズムとは何か、それに答える。れんだいこによれば、「ネオシオニズムとはロスチャイルド1世時代に教義的に確立されたものであり、ユダヤ民族を最良の選良民として他の諸民族を下位に序列化し、彼らが支配する政治経済文化体制を世界基準として押しつけようとする文明の波運動」ということになる。目下、米国大統領ブッシュを押し立てて強権政治を振舞うネオコン一派は明らかにシオニズム的意向を踏まえて意図的に世界に干渉を開始している。この流れこそ、近現代史に隠然と公然と影響力を行使しつつある最強のベクトルではなかろうか。 これに比すれば、マルクス主義的階級闘争は過去も今も、その下位に甘んじているようにさえ思われる。それが証拠に、ネオシオニズム体制下でも、投降主義的合法化政党として共産党は認められており利用されている。それが現実ならば、この情況に言及しないマルクス主義なぞ有り得て良い訳がない。れんだいこの関心は、マルクス主義が遂にネオシオニズムに抗することができず、歪曲されつつ敗退していった要因にある。マルクス主義とは所詮そこまでのものでしかなかったのであろうか。 補足しておくが、れんだいこは、ユダヤ民族主義そのものを弾劾しようというのではない。その一派であるネオシオニズム、その横行を許容しているユダヤ民族主義を俎上に乗せねばならないと考えている。今や世界各国は、つまりはその下にある各国人民大衆は、彼らの愛玩になるか、手下になるか、家畜になるかの選択を突きつけられようとしている。金融支配が、そのローラー役を務めているように見える。これに対するれんだいこ見解を樹立せずんば、「民族主義と国際主義の在り方論」は完結しない。その前に、マルクス、エンゲルス、レーニン、トロツキー、毛沢東等々のお歴々がこの問題を如何に論じていたのか知りたいというのが目下のれんだいこの心境である。 2004.1.18日 れんだいこ拝 |
左派運動における愛国心、民族主義問題について
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「石堂清倫 /米田綱路(聞き手)」( http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/isido3.htm)は次のように記している。
れんだいこは、上記のほかにもマルクス、エンゲルスの「愛国心、民族主義問題」への言及を知りたいが、浅学故に自力ではいかんともし難い。そのことはともかく、上述文のエンゲルス語録の真意を解釈して見たい。 エンゲルスは末尾で、「イギリス人の愛国主義批判」をしている。国語的解釈となるが、エンゲルスはこの時、愛国主義批判をしているのだろうか。然りと理解するのが大方のマルキストであろう。彼らによれば、そう読み取るべきであると云う。しかしながら、れんだいこはそのようには受け取らない。ここでエンゲルスが批判しているのは、一般的愛国主義批判ではなく、「イギリス人の偏狭且つ排外主義的な愛国主義の批判」をしているのではなかろうか。その具体的事例として「アイルランドの独立連動を助けないような」と前置き説明しているのではなかろうか。世界の左派運動については知らないので日本左派運動について言及するが、大方の理解は、このれんだいこ式解釈を認めない。 こうなると。マルクス主義以前の問題として、言語学的能力の方が問われているということにならざるを得ない。その格好教材が手に入ったので面白話しをしてみたい。或る日、れんだいこの経営する碁会所で、ある常連客の賭け碁専門の方が対局中に倒れた。病院へ運ばれ、手当てを受けた。その方が翌日碁会所へやって来た。れんだいこは、倒れたときには居合わせなかったが、その時には居た。「おぅ何々さん、大丈夫でしたか」と声を掛けた。その返答が、「いやぁ、三途の川を渡るところまで行ったのだが、番屋の鬼が出てきて渡り銭を出せと云う。ポケット調べたら銭がなかったので、それじゃぁ取りに戻りますつうて帰ってきた」。ここで、居合わせた者は爆笑した。ところが、ここへ、「それはお気の毒だ。私が渡り銭貸してあげよう」などと云う者がでてきたらどうする。言葉尻解釈からすれば、そういう申し出もあり得るだろう。それを座の盛り上げの為に冗談で云うのなら、ここで又爆笑となる。実際、そのように会話が遣り取りされた。今から思い出してもおかしいや。 ところで、これをマジに、至って親切心露わに申し出て来る者が出てきたらどうする。話が通じない奴だということになろう。れんだいこは思う。「エンゲルスは、アイルランドの独立連動を助けないようなイギリスの労働運動は自己自身の解放もできないだろう、その原因はイギリス人の愛国主義にあると批判したことがある」の一文から、「マルクス主義は愛国心を否定するのを原則とする」と理解する者は、上述の面白話で、ひたすら真面目に渡り銭貸しを申し出る者に相当しないだろうか。俗に、面白くも可笑しくもない奴の部類に入るだろう。 れんだいこは思う。マルクス、エンゲルスは、労働者階級の国際主義的な解放を宣べた。この際の国際主義は、愛国心との対極において捉えるのではなく、1・労働者階級にとって愛国心と国際主義は両有することができる。2・愛国主義、民族解放運動は、国際主義に通ずる方向でのみ是認されるべきである。3・国際主義は世界諸民族共和であらねばならぬ。4・排外主義的愛国主義、民族解放運動はマルクス主義とは無縁のものである、という4センテンスで理解されるべきではなかろうか。 敢えて指摘せねばならない重要なことは、支配階級側が排外主義的愛国主義、あるいは場合によっては民族離間運動を鼓吹して来た時、又は国家主義的戦争行為に人民大衆を動員せんとする時、日本左派運動はこれと如何に切り結ぶべきかにある。従来の運動はあまりにも国際主義一本槍で反対の声を挙げ続けてきた。れんだいこは、これが成功した例を知らない。為すべきは彼らの口車である愛国主義、民族主義を逆手にとって、何が愛国主義であるものかは、民族主義であるものかはと批判し、自前の愛国主義論、民族主義論をも対置していくべきではなかろうか。 仮に、日本政治史における目下の問題について言及してみよう。小泉政権はひたすらにブッシュ―小泉関係の蜜月ぶりを自慢し、誰よりも忠犬ぶりを見せることが日本国家百年の計に合致すると嘯いている。この時、我々は、戦争一般反対も良かろう、憲法守れも良かろう、しかしもう一つ肝心なことは、小泉の向う道は取り返しのつかない亡国の道であることを指弾し、その売国奴的利権の実態を暴露し、その詐術を一つづつ剥いでいくことではなかろうか。 思えば、日本左派運動は、あまりにも日本の歴史を愛しようとしていない。フランス革命、ロシア革命については見てきたように語るものはいても、日本史上の世界史的偉業である幕末志士の回天運動には疎い。近頃では新撰組の方がもてはやされるという風潮があるのも気に入らない。それもそのはずだ、左派運動の良質なインテリでさえ次のように述べている。
こう総括して恥じない。れんだいこは思う。そうではないのだ。水戸学的復古学は当時の学問水準において革命的エネルギーの水源地となっていたのであり、「太政官制のような古めかしい、前代的形態」衣装を纏ったにせよ、時代的に桎梏となっていた幕藩体制打破へ向け「一定の」有益な理論的役割を果たした。いずれにせよ様々な思想が飛び交いつつ倒幕諸勢力が共同した。かくして回天運動は成功し、明治新政府が樹立された。この政府のその後の過程は、多々ある可能性の中から「富国強兵、殖産興業」路線を選択し、伊藤博文一派が主導権を握るようになるや、人民大衆的にみてくそ面白くもない道のりへ歩を進めるようになった。紆余曲折しつつそのなれの果てが大東亜戦争であり、敗戦であった。凡そ以上のように概括すべきではなかろうか。決して、幕末志士の回天運動の意義を落とし込めてはいけない、あの革命過程には豊穣なものがあったのだ、ということが云いたい訳だ。 話を戻す。日本左派運動は、支配階級が愛国心を奏でれば我々の愛国心で、資本同盟的国際主義を奏でれば労働同盟的国際主義で、政策でくれば政策で、国家百年の計でくれば百年の計でという具合に、ことごとく全分野戦線で闘うべきではないのか。れんだいこには、そのように向わないのが何故なのか分からない。愛国心、民族主義問題から逃げてはいけない、我々の指針する道こそひっきょう愛国的愛民族的であり、国際主義でもあるという展望を提起して向うべきではないのか、そんなことを考えている。 2004.1.7日 れんだいこ拝 |
石堂清倫氏の「日本左派運動に対する警告」について
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うちはだいこさん早速のレス有難うね。お陰さまでれんだいこの脳細胞は刺激を受けております。次の一文を書き付けました。ご意見お聞かせください。 【石堂清倫氏の「日本左派運動に対する警告」について】 「石堂清倫 /米田綱路(聞き手・本紙編集)」に興味深い史実が紹介されている。 意訳概要「20世紀の始め、帝政ロシアが極東に進出して、アムール河北岸に住んでいる中国人3000人ばかりを虐殺するという大事件が発生した。すぐさま第一高等学校の寮歌『アムール河の流血や』が作られ唱歌される。ところが、この歌のメロディーが『聞け万国の労働者』となり、やがて『大和男の子と生まれなば、散兵戦の華と散れ』で知られる『日本陸軍の歌(歩兵の本領歌)』となる。おなじメロディが、わずか20年の間に、愛国の歌から労働者解放の歌になり、それがすぐに巻き返されて軍国主義の歌にもなった。このことが、二〇世紀前半の特徴のように思われるわけです」。 もう一つ興味深い史実が紹介されている。「1922年に、コミンテルンのジノヴィエフが、モスクワにアジア諸国の革命家たちを集めて極東民族大会を開催しました。ジノヴィエフは、極東で真っ先に革命を行う可能性があるのは日本で、日本なしにアジアの革命は考えられないと信じていました。しかし、日本人のもって生まれた愛国心が、アジアの革命運動を結合する大きな妨げになっている。エンゲルスは、アイルランドの独立連動を助けないようなイギリスの労働運動は自己自身の解放もできないだろう、その原因はイギリス人の愛国主義にあると批判したことがあります。ジノヴィエフはこの言葉を引いて、日本人も母乳とともに愛国心で育ってきたことを指摘しました。象徴的だったのは、朝鮮の金という若い労働者が『朝鮮人の労働者と日本の労働者が同じ工場で働いていても、日本人は朝鮮人に対する支配者であって同僚ではない。日本人の愛国心は排外主義、ショービニズムだ』と言ったことです。それは1922年のことです。そのあと1924年に日本共産党ができます。そして28年に3.15事件で大弾圧されるわけですね」。 石堂氏は、「愛国心が排外主義約な傾向と結びつけられ、侵略的帝国主義のイデオロギーに化した」経過について、左派運動が主体的に自己切開することの必要を指摘し、「民族的なナショナリズムと社会主義との関係」はいつまでも看過し得ないテーマとなっていると説いている。 意訳概要「国際主義と口では云うものの、距離がありすぎた日本の社会主義者の理論と実践が問題である」とした上で、「どうすれば日本がアジア諸国民の友になれるかを、日本の社会主義運動が具体的に検討した形跡はない」、「共通の綱領を持ち共通の資本と戦うという国際連帯の運動はありません。利害の不一致は当然あるのですが、そうした各国の多様な社会主義運動を、いかにして統一するかという共同の知恵がないのが現実です」と指摘している。 石堂氏のこの「日本左派運動に対する警告」をどう受け止めるべきか。れんだいこによれば、「おざなりな国際主義一般では役に立たない。もっと血肉になるような理論と運動を創りださねばならない」という石堂氏の沈痛な感慨として理解すべきではなかろうか、ということになる。 |
【れんだいこの愛国心、民族愛の哲学的考察】(思いつくくままに書き付けておく) |
主として精神面の国家愛(通称、愛国心と云う)、民族愛の由来をどこに求めるべきかにつき考察してみる。れんだいこは次のように考える。「そもそも、国民国家・資本主義体制から愛国主義はうまれたといえるのであり、マルクス主義の見地からは愛国主義はナンセンスでしかない代物である」として突き放すのではなく、「『汝自身を知れ』的人間考察の相似的発展系の問題であり、我々の精神の中にある高次な思惟ないし感情の転化したもの」と捉えるべきではなかろうか。つまり、「始発において人間の自己愛から紐解くべきではなかろうか」。人は誰しも、己の生を「病まず弱らず」慈しみながら寿命のままに生きるよう条件づけられている。これを自己愛と云う。自己愛に対してその由来をなぜと問うのは難解が過ぎるので、この方面の問いかけは捨象して論をまず自己愛から起したい。 自己愛は、血肉を授与された両親愛に、血肉を分けた兄弟愛に通じている。これを家族愛と云う。究極、自己を包摂する家族の生存と血族の継承が愛国心、民族愛の母胎となっているように見える。この家族愛が血統的一族愛へ、一族愛が郷土愛へ、郷土愛が地方愛へ、地方愛が国家愛へ、国家愛が地球愛へと漸次昇華して行っているように思える。「れんだいこの国家論」の時に考察したが、これは「正」の面であるように思われる。 ところで、自己愛が実際にはどのようにして他の者との関係づくりに向うのか、それを考察してみたい。従来、この観点からの考察が為されていないように見える。れんだいこは次のように推理している。人は誰しもまず自己愛を形成する。しかし、この自己愛は、己への愛を強めれば強めるほど他者の中に似たような面を観ることになり、この面を通じて自己愛が他者愛へと通底する。この自己愛と他者愛が更に発展していったところに共同愛が生まれ、それはフォイエルバッハ的類的共同性へまで高まる。いわゆるヒューマニズムは、この段階の高次な思惟ないし感情のことを指すのではなかろうか。留意すべきは、いきなり類的共同性にまで高まるのではなく、「似た者同士の仲間愛」概念を通じて類的共同性へ至るという構造になっていることを見て取らねばならないということであろう。このことの重要性は後に改めて確認しようと思う。 上記の認識は、マルクス主義の登場により更に精緻にされることになった。それによれば、自己愛の発展系としての家族愛、血族愛、郷土愛、地方愛、国家愛へ、地球愛への昇華過程は単純にはそうならないという。その論理式は次のようになる。国家内は多数の階層及びいくつかの階級に分裂しており階級闘争を常態としている。国家とは支配階級の階級支配的機関及び暴力装置であり、国家愛とは支配階級のイデオロギー的産物でしかない。従って、国家愛という一元的なものはなく、被支配階級にとって支配階級の説く国家愛は幻想のものでしかない。概略そのように述べている。 さて、こうなると、自己愛の発展系としての国家愛へ至る過程を再検証せねばならないことになる。要点を整理すると、1・国家愛とは支配階級のイデオロギーであって、被支配階級にとっては幻想なのか。これに取って代わるものが国際愛なのか。2・被支配階級にとって敢えて国家愛を求めれば祖国愛と云うべきで、両者は識別されるべきものである。3・被支配階級の祖国愛と支配階級の国家愛とはどこかで共通しどこかで背馳しているという関係になっているのか。凡そこれらの判別が必要ということになる。 |
これに、れんだいこは如何に応えるのか。まず、家族愛、血族愛をベースにした自己愛を肯定しようと思う。この自己愛が如何なる昇華過程を辿るのかが通説とは異なる。これを説明しよう。自己愛は、自己の内省に向う幅と奥行きの質に応じて他者の中に類的共同性を見出す。但し、一般的な類的共同性ではなく、自分と似たような気質、気性、性格、環境の者により強く共鳴する。いわゆる「似たもの同士」を愛するようになる。これを「同好的姻戚関係」と名づけようと思う。補足すれば、人と人とは、「己を愛しないものは、人を愛することができない。己を愛すれば、人をも愛するようになる」という相関関係にあることになろう。もう一つ補足すれば、自己愛とエゴイスムとは違う。エゴイズムとは、本質的に他者の幸を顧みず、共存共生関係が視野に入っていない思想であろう。 ところで、世間は広く、「非同好的姻戚関係」も広く存在する。この時、自己愛は、「同好的姻戚関係」の者と誼を通じ、「非同好的姻戚関係」の者に対しては「されて嫌なことはしない」適度の距離関係で通交しようとする。留意すべきは、自己愛、「同好的姻戚関係」の者、「非同好的姻戚関係」の者の三者関係は廻りまわって互いに共生関係にあるということである。これを分かりやすく云うと、「個性差は相互に排除し合うものではなく共生関係の華であり、補完し合っているあっている」。補足すれば、この共生関係を顧慮しない社会制度は修正されるべきで、時に改良により時に革命的に新秩序が創造されるべきであろう。 さて、問題はこれからだ。世の中(社会)は、自己愛は、「同好的姻戚関係」の者と誼を通じ、「非同好的姻戚関係」の者とで構成されている。この仕訳けは、気質、気性、性格、環境別のものに過ぎない。実際の社会は更に、階層的ないし階級的に構成されている。この階層ないし階級は本質的に共生面と抗争面との矛盾関係にあり、自己愛の昇華過程はこれに大きく影響を受ける。ある意味で、自己愛の昇華過程と階級的矛盾関係が重畳的な構造になっている。こう複眼式に視座を据えるべきであろう。 この構造の中で、愛国心、民族主義が芽生えてきている。それは、人間の思惟活動が高次になる必然の過程であり、これを抑える訳にはいかない。愛国心、民族主義の基盤には、れんだいこが「れんだいこの国家論」の中で述べた「巨大なオマンマ体系」があり、その上向関係において「支配被支配的関係を包摂した階級矛盾」が機能している。この只中での愛国心、民族主義をどう捉えるのかが、いわゆる「愛国心、民族主義問題」となるべきであろう。 してみれば、「愛国心、民族主義問題」はかなり高度な理論対象ということになる。これを一面的に称揚したり拒否してみても何ら解決しない。実際には個として始まり、集団として始まり、階級として始まる「愛国心、民族主義問題」として多義的に位置づけ、それぞれの情況に応じた意義において称揚したり、拒否すべきではなかろうか。但し、指針とすべき道筋はある。それは、人類の共生共存関係の構築に立脚し、それぞれの自己愛がより充たされる社会へ向けて処世化すべきであるという公理を確立し、これに反する傾向に追従せず、抵抗し、情況が促せば革命的に雪崩れ込む運動を組織していくべきであろう。 2004.1.8日 れんだいこ拝 |
【「愛国心の実体」の哲学的考察】 |
「愛国心、民族愛」は、次の4項から構成されているとする指摘を受けた。面白いまで書き付けておく。氏によると、1・愛府心、2・愛民心、3・領土愛、4・歴史風土愛が「愛国心」の実体であると云う。1の愛府心の府とは幕府の府であり、時の権力ということになる。よって、権力に対する忠誠という意味になる。その他は文字通りに解すればよい。 2006.10.31日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)