「マルクスとサタン・マルクス主義の起源」 |
(最新見直し2006.3.27日)
【マルクシズムの起源1】 | |||||||
カール・マルクスは、若いときクリスチャンであった。彼の最初の作品『クリスチャンのキリストとの一体』において次のように語っている。
また、マルクスは、『職業選択に関するある若者の考察』において、次のように語っている。
マルクスの高校卒業証書の『宗教的知識』欄には、次のコメントが記されていた。
しかし、マルクスがこの卒業証書を受け取った直後に、彼の人生に何か不思議なことが起こった。彼は、宗教を敵視しはじめた。彼は、詩の中で「私は、天の支配者に復讐したい」と述べた(Karl Marx, Des Verzweiflenden Gebet, ibid, p. 30. in Ibid., p.12.)。 彼は、神の存在を確信していたが、神と戦うことを望んだ。比較的裕福な家庭に育ち、友人たちよりもはるかに恵まれた生活をしていた彼が、なぜ神を憎むようになったのか。個人的な動機は謎である。しかし、彼が何らかの霊に憑依されたことが次の詩から分かる。
マルクスは、神の創造世界を破壊することを夢見た。彼は他の詩の中で次のように述べている。
これらの言葉は、次のイザヤ書14・13-14のルシファーの言葉に似ている。
かつてマルクスの親友であったバクーニンは、マルクスについて次のように語っている。
文献名の省略について: MEGA: Marx, Karl and Engels, Friedrich, Historisch-kritisch Gesamtausgabe. Werke, Schriften, Briefe, on behafl of the Marx-Engels Institute, Moscow, published by David Rjazanov (Frankfurt-am-Main: Marx-Engels Archiv, 1927). MEW: Marx Karl and Engels, Friedrich. Werke. (Berlin: Dietz-Verlag, 1971). 巻名はローマ数字で、ページ名はアラビア数字で表記。CW: Marx, Karl and Engels, Friedrich. Collected Works (New York: International Publishers, 1974). 『マルクシズムの起源』の内容は、Richard Wurmbrand, Marx & Satan, (Westchester, Illinois,Crossway Books, 1987)に大きく依存している。この著書は非常に重要なのであるが、まだ翻訳されていないために、紹介として本HP上に発表させていただくものである。もし関係者が本文の掲載に不同意の場合は、連絡していただきたい。 This series of essay largely depends upon Richard Wurmbrand's very important work "Marx & Satan, (Westchester, Illinois,Crossway Books, 1987)" because the Japanese translation of this book does not exist so far, so that I wrote it as an introduction of it. If those who are concerned feel my essay improper, please send a mail to me. |
【マルクシズムの起源 2】 | |||||
『演者』というタイトルの詩は、マルクスがサタン崇拝者であることを暗示している。
サタン崇拝の高位のイニシエーションにおいて、剣は「成功」を意味する。それは、志願者に売り渡され、彼は、手首から流れ落ちる血で、契約に署名し、「死後、私の魂をサタンにお譲りします」と約束する。
また、ウーラネムの死については、次のように述べている。
マルクスは、ゲーテ著『ファウスト』のメフィストフェレスの言葉「存在するすべてのものは、破壊に値する」を愛好し、それを『ルイ・ボナパルト』の中で引用している(Karl Marx, Louis Bonaparte, MEW, VIII, p. 119., cited in ibid., p. 16.)。実際、彼の批評はあらゆるものに向けられた。次のような言葉が著書の多くの個所に見られる。
そして、彼は、「報道の第一の義務は、存在する政治制度の基礎を破壊することである」と述べ、さらに、自らのことを、「いわゆる肯定的なものに対する卓越した嫌悪者」と呼んだ(Quoted in B. Brecht, Works, Vol. I (Frankfurt, 1979), p. 651., cited in ibid., p. 16.)。 彼の言葉には、万物に対する憎悪者であるサタンの性格が現われている。彼は、この戯曲の最後において、ウーラネムに次のように語らせている。
事実、マルクシズムが支配した国では、このような破壊が実行に移された。ソ連における無数の人々の殺戮、粛清、投獄、収容所送り、ポルポトの大虐殺、中国文化大革命の大粛清…など、20世紀に起きた未曾有の悲劇は、マルクスとその支持者によって導入されたサタンの破壊欲に由来する。 |
【マルクシズムの起源3】 | |
黒ミサにおいて、司祭は、黒い蝋燭を上下さかさまにキャンドルスティックに据え、祈祷書を終わりからはじめに向かって読む。神やイエス、マリアの名前はさかさまに読まれ、十字架はさかさまに付けられ、踏みつけられる。教会から盗んだ聖餐のウエハスの上にサタンの名が記され、偽の聖餐式が執り行われる。黒ミサの最中に、聖書は焼かれる(R.
Wurmbrand, Marx & Satan, p.15.)。
この波は、1960年代の左翼学生運動とともに、アメリカや日本など西側諸国にも及んだ。既存の倫理が否定され、フリーセックス、男女のユニセックス化、権威の否定、造反運動、テロなど、社会においてキリスト教的文化遺産が破壊されていった。 サタン崇拝の影響は、キリスト教自体も変質させた。『悪魔の聖書』は、キリストを「無能の王」、「つかの間だけの、沈黙の神」「サタンの主権に逆らう邪悪で忌むべき偽者」と呼び、十字架を「木にかけられ、青ざめた無能な男の象徴」と呼ぶ。それに対して、悪魔は「光の神」「地の支配者」「言語に絶する暗黒の君」であり、その天使たちは、「彼の前で恐れおののき、ひれ伏」し、「キリストの従者たちをつまずかせ、破局に至らしめる」者たちと呼ばれている(Ibid,. p. 15.)。 今日の福音主義キリスト教の、「歴史内でキリストを王としない」「クリスチャンを歴史内で無能と見」、「この世界を支配しているのはサタンであり、クリスチャンはこの歴史内でサタンに勝てない」という教義の起源は、サタンにある。 「王」として任命された(黙示録1・6、第1ペテロ2・9、エペソ2・6)はずのクリスチャンはセルフイメージを下げ、捕虜として縛られ、凱旋の行列につながれている(コロサイ2・15)はずのサタンを必要以上に恐れている。 マルクスが自分について預言した通りの現象が生まれたのである。 すなわち、「私は、勝ち誇って歩くことができるだろう。神のように、彼らの王国の廃墟の中を。」と述べたように、キリストの王国は瓦礫の山に変わり、マルクシズムが王手を振って世の中を歩いている。 たとえ、ソ連や東欧諸国が滅んでも、マルクスの思想は、全世界の国々の体制を支配している。 40%から70%の重税による私有財産の没収により、クリスチャンの家族は富を国家に奪われ、御国の働きは大きく制限されている。国家による義務教育により、クリスチャンの子弟は進化論や非キリスト教的教えによって汚され、信仰を奪われている。 我々は、マルクスを通じて自分の支配を世界中に拡大したサタンの策謀を見破り、反撃の烽火を上げなければならない。これこそ神の国建設の中心課題である。聖霊によって気づいた者には、大きな使命がある。 |
【マルクシズムの起源 4】 | |||||||||
マルクスは、ある時、サタンに憑依され、クリスチャンであることを捨てた。マルクスが19歳の時、父親との間に交わされた手紙の中で次のように語っている。
それに対して、父親は、次のように答えた。
この神秘的な体験とは一体何だろう。マルクスの伝記作家はこのことについて何も語っていない。 1837年3月2日にマルクスの父親は手紙の中で息子に次のように書いた。
父親は、どうしてマルクスの心や悪魔について心配したのだろうか。R・ウァームブランドは、その理由を「マルクスが父親の55歳の誕生日にプレゼントした詩」にあると述べている(Ibid., p.21)。 詩『ヘーゲルについて』の中で彼は次のように述べている。
また彼は、ヘーゲルに関する他のエピグラムの中で次のように語っている。
また、『青ざめた乙女』の中で、このように述べた。
ちなみに、マルクスと同じように、一時詩人を目指したヒトラーも同じような詩を書いている。
「ウォタン」とは、ゲルマン神話の主神であり、「ルーン」とは古代ゲルマンのルーン文字のことである。 マルクスは本当にサタンから「剣」を受け取ったのだろうか? 彼の娘エレナーは、子供のころ、マルクスが子供たちに多くのお話をしてくれたと語っている。彼女が最も好きな話は、『ハンス・ロックル』という魔術師に関する話だった。 そのお話は何ヶ月も続きました。それはとても長い長い物語で、終わりがないのです。ハンス・ロックルは、…おもちゃ屋を経営する魔術師でした。…彼は魔術師でしたが、借金のためにいつもお金に困っていました。そのため、しかたなく、持っていたおもちゃを一つ一つ、悪魔に売っていきました。…これらのお話は髪の毛が逆立つほどとても恐ろしいものでした。 (Jenny von Westphalen, Mohr und General, Erinnerungen an Marx un Engels (Berlin: Dietz-Verlag, 1964), pp. 273, 274; cited in ibid., p. 23.) マルクスの伝記作家ロバート・ペインがエレナーから聞いた話によると、ロックルは、最後までいくつかのおもちゃを手元に持っていたが、悪魔と契約を結んでからは、そのすべてを手放さざるを得なくなったという。 そして、彼は次のように言う。
青年マルクスが、『ウーラネム』を書き終え、悪魔と契約を結んだことを示唆する詩を書いたとき、彼はまだ社会主義を信じていなかった。むしろ、それと争うことすらした。彼は『ライン新聞』の編集長であり、この新聞の中で、次のように述べた。すなわち、
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【マルクシズムの起源 5】 | ||||
マルクスはこの段階ではまだ社会主義を信じていなかった。彼を社会主義者に変えたのは、モーゼス・ヘスである。ヘスは、マルクスについて次のように述べた。
当時マルクスの友人であったゲオルグ・ユングは、1841年に、マルクスが目指していたのは、天から神を追い出し、訴えることである、と述べた。マルクスはキリスト教を最も不道徳な宗教であると言った(Ibid., Georg Jung, letter of October 18, 1841 to Arnold Ruge, pp. 261, 262; cited in ibid., p. 24.)。 一般に、「マルクスは、人類を救うための高貴な社会的理想を抱き、その目標の達成を邪魔する宗教を嫌悪した」と考えられているが、真実はまったく逆である。マルクスはまず、神や神々の概念を徹底して嫌悪したのである。彼が社会主義を唱える前に、すでに、彼は神を排除しようと心に決めていたのであり、社会主義とは、プロレタリアートや知識人をひきつけ、彼らを通じてこの計画を実現するための餌でしかなかったのである。 世界から神を排除し、そこに「人間だけで完結する世界」を築くことこそ、彼の第一の目的だった。 社会主義者にとって、いわゆる世界史の全ては、人間の労働を通じて成し遂げられる人間の創造、及び、人間のために行われる自然の開発以外の何物でもない。それゆえ、社会主義者には、人間が人間自身から生まれることを示す確実な証拠がある。…宗教批判は、「人間は、人間にとって至高者である」という教えに帰結するのである。 ソ連は、初期のころ、「資本主義者を地上から、神を天から追い出そう」というスローガンを採用した。 神が否定されれば、人間に命令を下す者は誰もいないことになる。人間は、誰に対しても責任を負うことがない。それゆえ、マルクシズムにとって道徳は存在しない。マルクス自身「共産主義者は、この世に道徳などまったく存在しないと主張する」と述べている。 社会主義革命の第一の意図が、宗教的な部分にあったことを示しているのが、第一インターナショナルをマルクスとともに設立した友人ミハイル・バクーニンである。バクーニンは次のように述べた。
バクーニンにとって革命とは、建設ではなく、一方的な破壊である。
彼は、当時マルクスの友人であった社会主義者プルードンも「サタン崇拝者」であると述べた(Hans Enzensberger, Gesprache mit Marx und Engels (Frankfurt-am-Main: Insel Verlag, 1973), p. 17; cited in ibid., p. 407.)。ウァームブランドによれば、「プルードンは、マルクスと同様、悪魔教の一派ジョアンナ・サウスコットの典型的な髪型をしていた」(Op.,cit., p. 27.)。 プルードンは、著書The Philosophy of Miseryの中で、神こそ不義の典型であると述べた。
プルードンは、人間が悪なので、その創造者である神も悪だ、と宣言する。このような考えは、彼の独創ではない。サタン崇拝において、このような教えは普通に講壇から語られるからである。マルクスは、後にプルードンと喧嘩別れし、この著書を批判する本を出版するが、経済理論における小さな違いを批判しただけで、その本質部分(つまり、反キリスト教)に反対していない。 |
【マルクシズムの起源 6】 | ||||||||
共産主義者インターナショナルの事務総長であり、20世紀のマルクス主義理論家であるブハーリンは、12歳の時に黙示録を読み、反キリストになりたいと思った。聖書に「反キリストは大淫婦の子である」と書いてあるため、「母はかつて売春をしていたことを告白した」と述べた。
ブハーリンは、数百万もの人間を処刑したギロチン――ソビエト連邦――を建設した一人である。その彼が、最後の最後になって、それが地獄で作られたことを知ったのだ。反キリストになることを望んだ彼は、かえってサタンの餌食になった(1917年の革命時にソビエト共産主義者中央委員会の29人のメンバー及び候補者だった者のうち、他人から命を奪われずに済んだ者は4人しかいない)。 スターリンの義理の兄弟で最も親しい協力者であったカガノヴィッチは、スターリンについて日記の中で次のように述べた。
スターリンは、カガノヴィッチに、常日頃実践している自分の精神的運動について説明した。
ウァームブランドによれば、「スターリンの楽しみの一つは、馬の目に緑色の眼鏡をつけて、干し草を緑の草に見間違えさせることであった」(Op., cit., p. 52.)という。彼は、それを人間にも行った。無神論というサングラスを人々の顔につけさせ、神の牧場を見せなかった。カガノヴィッチは次のように述べた。
スターリンの協力者の多くが彼を悪魔的と評していることに注意すべきである。ユーゴスラビアの共産主義指導者ミロヴァン・ジラスは、個人的にスターリンをよく知る人物であるが、次のように述べている。
また、ソ連の支配者階級について次のように述べた。
スターリンの娘スヴェトラーナ・アリルイェヴァは、サタン崇拝についてまったく知識がないにもかかわらず、次のように述べた。
スヴェトラーナは、「スターリンは、善良と寛容は、最大の犯罪よりも悪いと考えていた」と述べた(Svetlana Alliluyeva, Twenty Letters to a Friend (London: Hutchinson, 1967), pp. 64ff; cited in ibid., p. 54.)。 スターリンは、マルクスやエンゲルス、バウアーと同様、かつてクリスチャンであった。15歳の時に、最初の詩を書いた。その書き出しは、「大いなるかな。全能の神の御摂理。」であった。召命を感じたので、神学校に入学した(Paloczy Horvath, Stalin (Germany: Bertelmannsverlag); cited in ibid., p. 56.)。しかし、その後、ダーウィン主義に触れ、進化論者になり、ついでマルクス主義者になった。 彼が最初に自分につけた別名は、「デモノシヴィリ」(Abdurakhman Avtorkhanov, Criminals in Bolshevism (Frankfurt-am-Main: Possev Verlag, in Russian), Grani No. 89-90, pp. 324, 325; cited in p. 56.)であった。これは、グルジア語で「悪魔的」というような意味であった。次につけた別名「ベソシヴィリ」(Abdurakhman Avtorkhanov, The Provenience of Partocracy (Frankfurt-am-Main: Possev Verlag, 1973, in Russian), pp. 198-201; cited in p. 56)も、「サタン的」という意味であった。 この他にも、マルクス主義の指導者がサタン崇拝者であったことを示す証拠はいくつかある。 ソ連の元帥で赤軍の幹部の一人であり、後のスターリンに殺されたトゥカチェフスキーの娘トロイツカヤは、トゥカチェフスキーが、普通ロシア正教徒がイコンを置く寝室の東角に、サタンの絵を掛けていたと述べた。 アルゼンチンのテロリスト組織の指導者の一人は、自分に「サタノフスキー」というあだ名をつけた。 何人かの最もすぐれた知識人を共産主義者に導いた有名なフランス共産主義作家アナトール・フランスは、サタン崇拝の儀式を執り行った。儀式に使用した椅子の肘掛には角がついており、足には山羊の毛皮が巻かれていた(Express, Paris, October 6, 1979; cited in ibid., p. 56.)。 カール・マルクスの遺体は、イギリスのサタン崇拝者の中心地ハイゲート墓地に埋葬されており、そこでは、黒魔術の神秘的な儀式が執り行われている(Tempo. Italy, November 1, 1979; cited in ibid., p. 57.)。 ウリケ・マインホフ、エゼリン、その他のドイツ赤色テロリストたちも、オカルトに関わっている(H. Knaust, The Testament of Evil; cited in ibid., p. 57.)。 毛沢東は、「八歳の時、私は儒教が嫌いだった。私の村には儒教の寺院があった。私の願いは一つだった。それは、この寺院を土台から破壊することだった。」(Manfred Zach, Mao Tse-tung (Esslingen: Bechtle Verlag, 1969), p. 13; cited in ibid., p. 57.)と述べた。 八歳の子供が自分の宗教を破壊することしか望まない?明らかに異常である。 悪魔に憑依されると、自分の年齢をはるかに超えた思考をするようになる。まだ中学生だった神戸児童殺傷事件の酒鬼薔薇聖斗が書いた次の詩は、明らかに憑依された人物の精神が本人の年齢と不釣合いであることを示している。
すでに引用した青年マルクスの詩と類似しているのがお分かりだろうか。 |
【マルクシズムの起源 7】 |
マルクス主義が成長した19世紀後半という時代は、フランス革命やカント・ヘーゲルによる思想革命が進行した18世紀後半から19世紀前半の結実である。
とくにカントによって、この世界は「人間だけで成立する自律的世界」であるということが理論化された。神は必要に応じて登場する刺身の妻のようなものになり、神と人間の地位が完全に逆転した。
彼らを危険視しないクリスチャンは、19世紀に生まれた彼の弟子たちがどのような人々であったかを見て欲しい。 我々は、盲目であってはならない。今後、このような犠牲を出さないためにも、共産主義運動を単なる政治的、社会的現象と見るのではなく、その霊的な起源をするどく見極めなければならない。 |
【マルクシズムの起源 8】 | |||||||||
マルクスの友人であり、協力者であった、フリードリヒ・エンゲルスは、敬虔なクリスチャン家庭に育った。まだクリスチャン的な影響を持っていた彼が、最初にマルクスと会ったとき、彼の印象を次のように記している。
エンゲルスは、自由主義神学者ブルーノ・バウアーの著書を読んでから、キリスト信仰を疑いはじめた。彼は心の中に大きな葛藤を覚えていた。
エンゲルスは、ついに信仰に帰ることはなかった。むしろ、かつて「無数の悪魔に髪をつかまれている怪物」と呼んだ人間の仲間となった。 エンゲルスから信仰を奪ったブルーノ・バウアーとは一体どのような人物なのだろう。 バウアーは、はじめ保守派の陣営にあり、聖書批評家と戦っていた。しかし、後になって、自分自身が聖書を批評するようになり、イエスは単なる人間に過ぎず、神の子ではない、と言い出した。彼は、マルクスとエンゲルスの共通の友人であるアーノルド・ルーゲに宛てた手紙(1841年12月6日付)の中でこう語った。
マルクスと同様、エンゲルスに共産主義者になるように説得したのは、モーゼズ・ヘスであった。コロニュでエンゲルスと会った後で、彼は次のように述べた。
クリスチャンの信仰を破壊することが、ヘスの人生における最高の目的なのか?なんと悪魔的なのだろう。若い頃、エンゲルスは、次のような詩を書いた。
ブルーノ・バウアーによって疑いを植え付けられた後で、エンゲルスは、何人かの友人に手紙を書いた。
エンゲルスは、サタニズムの危険性を十分に認識していた。『シェリングと黙示録』の中でこう述べた。
さらに、
そして、この本を黙示録の言葉で締めくくっている。
このようにサタニズムの危険について警告を発し、敬虔な詩を書き、涙ながらに自分の救いについて祈ったクリスチャンが、マルクスの親友となり、世界において一億人を粛清・虐殺する運動の指導者になったとは、なんという悲劇だろう! 我々から信仰を奪い、悪業に引き込むきっかけを作るのは、聖書に対する疑いである。 サタンの方法は、エデンの園以来、変わらないのである。 |
【マルクシズムの起源 9】 | ||||||||||
レーニンの親友にして協同者トロツキーによれば、レーニンは16歳の時、自分の首にかかっている十字架をひきちぎり、それを地面に投げ捨て、その上に唾をかけ、足で踏みつけたという。これは、どのサタン礼拝においても行われる典型的な儀式である。
さらに、
レーニンが唱えた戦略が、サタンの無律法主義から出ていることは明らかである。
共産主義者は、体制の崩壊と社会主義国の建設という大義のためならば、方法を選ばない。詐欺であろうが、殺人であろうが、目的を達成するためならば、何でもやる。 マルクスは次のように述べた。
さらに、
サタンに従うあらゆる者が、最後にサタンに裏切られるように、レーニンも、自分がはじめたロシア革命によって裏切られた。
サタンは究極のエゴイストであり、常に自分のことにしか関心がない。そのため、サタンに力を借りて成功をはかる人間は、ある時点で、自分がサタンに利用されていることに気づく。しかし、気づいた時には、「時すでに遅し」である。サタンは、自分を思いのままに動かし、引きずりまわしはじめる。そして、自分がはじめた事業そのものが自分の首を絞めるようになる。 サタンに従う人間の結末は絶望である。 レーニンは1921年の手紙の中で次のように述べた。
臭いロープを首に巻きつけられて絞首刑にされること…。これが、共産主義の国家を作るために、一生を捧げた人物の最後の希望だった。レーニン自身の上にこの希望は実現しなかったが、彼の同労者の上に成就した。すでに述べたように、1917年の革命時にソビエト共産主義者中央委員会の29人のメンバー及び候補者だった者のうち、他人から命を奪われずに済んだ者は4人しかいない。 奇妙なことに、レーニンは13歳の時に、自分の人生の結末を予期する詩を書いている。
この予言のとおり、彼は、死の床において次のように述べた。
他者のために、祖国ロシアのために、人生を捧げたはずだった。しかし、現実に得られたのは、革命によって粛清された無数の人々の血の海と、累々と積み上げられた犠牲者の死体だけだった。 レーニンの失敗の原因は、ただ一つ、味方につけた者が間違っていたということである。 裏切り者サタンの側に立ち、神の側に立たなかった。 それに対して神の側についたパウロの言葉を見てみよう。
サタニストは、究極の愚か者である。仮に遊びのつもりであっても、サタンから力を借りてはならない。 |
【マルクシズムの起源 10】 | ||
マルクスは、革命の起源はサタンだと述べた。
ロビン・グッドフェローとは、16世紀の伝道者ウィリアム・ティンデイルが悪魔を指すために使用した名前である。シェークスピアは、『真夏の夜の夢』において彼を「夜歩く人々を迷わせる悪霊」と呼んだ。 マルクスによれば、彼は「革命のために活動する」「勇敢な友」である。 さらに、共産主義とサタン崇拝との関係を示すのは、「ペルガモの祭壇」である。世界的に有名なベデカー旅行ガイド書によれば、ベルリン市の博物館(Museuminsel)には、1944年までゼウスを祭ったペルガモの祭壇があったという。ドイツの考古学者がそれを発掘し、ヒトラーの時代、ドイツの首都の中心部に置かれていた。黙示録2章12−3節によれば、当時、ペルガモはサタン礼拝の中心地だった。
スウェーデンの新聞Svenska Dagbladet(Stockholm)1948年1月27日号によれば、ペルガモの祭壇は、 (1)ベルリン占拠後、ソビエト軍がドイツからモスクワに運んだ。この祭壇の寸法は縦127フィート[約38メートル]、横120フィート[37メートル]であった。 (2)レーニン廟を設計したシチューセフは、この祭壇をモデルにした。 (Quoted in Wurmbrand, op., cit., p. 111.) モスクワに運んだ後、ソビエトのどの博物館においても展示されていない。では、なぜソ連政府は、ペルガモの祭壇をモスクワに運び入れたのか? ウァームブランドは、「ソビエトの最高幹部たちは、サタン崇拝をしている」と述べ、その目的のために利用された可能性もある、と述べた(Wurmbrand, op., cit., p. 111.)。 |
【マルクシズムの起源シリーズについて】 |
今から10年前に『マルクスとサタン』というR・ウァームブランドの著書を読み、マルクス主義がサタンの運動であることを知って、いつかこれを日本の読者に紹介したいという思いがありました。
2004年2月7日 |
なぜ共産主義は、これほど激しいクリスチャンへの迫害を行ったのか?マルクス主義の目指した真のゴールはどこにあったのか―本書は信頼される著者ウォンブランド師がその著『マルクスとサタン』によって調査追求した事実に依拠している。その書は共産主義の国では非難攻撃され、日本では翻訳出版が許されなかったものである。
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(私論.私見)