宇沢弘文の履歴考

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【宇沢弘文の履歴】日本の近代経済学者(マクロ経済学)。東京大学名誉教授。不均衡動学理論で功績を認められた。

 1928(昭和3).7.21日  鳥取県米子市に、小学校教員の次男として生まれる。宇沢家はもと法勝寺村(現在の南部町)出身で、のちに米子に移り、代々米屋を営んでいた。父、祖 父共に宇沢家の婿養子であり、父・時夫は春日村の農家の生まれである。祖父は大工だった。

 3歳の頃、父の時夫は教師をやめ、家屋を処分し家 族を連れて東京に出た。

 * 東京府立第一中学校(現東京都立日比谷高等学校)卒業。

 1948年、旧制第一高等学校理科乙類卒業。

 1951年 東京大学理学部数学科卒業。1951年から1953年まで数学科の特別研究生となって彌永昌吉らの指導を受け、数学者としての将来を嘱望される。その後、社会の病を治そうと経済学に転身する。当初独学で経済学を学ぶ。数学から経済学へ転じたのは、河上肇の「貧乏物語」を読み感動を覚えたからと云われている。とくにその序文に引用されているジョン・ラスキンの言葉“There is no wealth, but life.”「そこには富ではなく生活がある」に経済学を学ぶときの基本的姿勢を見出し大切にしている。

 して数理経済学、とくに不均衡動学の分野で世界的な業績を挙げた。新古典派の成長理論を数学的に定式化し、二部門成長モデルや最適値問題の宇 沢コンディションも彼の手による。森嶋通夫と共に、ノーベル経済学賞の有力な日本人候補の一人だった。思想的にはジョーン・ロビンソンなどのポスト・ケインジアンに近 く、ポール・サミュエルソンなどのアメリカ・ケインジアンに否定的である。やがて公害などの社会問題が酷くなると、現実から切り離され形骸化した数理的経済理論から、公共経済学などの現実経済の研究に進んだ。特に自動車 の外部不経済性を痛烈に批判し、自らも自動車や電車を使わずに毎日ジョギングで通勤していた。成田空港問題の平和的解決にも尽力した。

 1956年、スタンフォード大学のケネス・アロー教授に送った論文が認められ、渡米。スタンフォード大学経済学部研究員になる。1958年、年同助手、1959年、同助教授。

 1960年、カリフォルニア大学バークレー校経済学部助教授。1961年、スタンフォード大学経済学部準教授。1962年、経済学博士(東北大学)博士論文:「レオン・ワルラスの一般均衡理論に関する諸研究」。

 1964年、シカゴ大学経済学部教授。シカゴ大学時代には全米から優秀な大学院生を招いてワークショップを主宰し、多くの研究者を育てた。参加した大学院生のなかからはノーベル経済学賞受賞者を含む超一流の経済学者を何人も輩出している。

 1968年、東京大学経済学部に戻り助教授。1969年、同教授。1976年、Econometric Society会長。1977年まで。1980年、同経済学部長。1983年、文化功労者。1989年、東京大学を定年退官し新潟大学経済学部教授に就任、東京大学名誉教授。日本学士院会員。1994年、中央大学経済学部教授(1999年、定年退職)。1895年、米国科学アカデミー客員会員。1997年、文化勲章受賞。Econometric SocietyのFellow(終身)。世界計量経済学会長を務めた。1999年、中央大学経済研究所専任研究員、国連大学高等研究所特任教授。

 2000年、中央大学研究開発機構教授。2003年、同志社大学社会的共通資本研究センター所長。2009年、地球環境問題解決に著しい貢献をした個人・団体に贈られる、環境分野では世界最大規模の国際賞である「ブループラネット賞」を受賞した。日本に帰国以来40年以上にわたり日本政策投資銀行設備投資研究所顧問を務めている。 

 これまで一般均衡論、均衡の安定性、二部門成長モデル、最適成長理論、消費・投資関数など理論経済学の分野で先導的な研究者として数多くの卓越した業績を残し、日米で主要な学会の会長を務めるなど多くの要職を歴任した。公害問題や環境問題にも早い段階から着目し、水俣病問題や成田問題の平和的解決などにも取り組み、現実社会に向き合う姿勢を重視した。近年は自然環境、インフラストラクチャー、金融・医療・教育などの制度資本からなる社会的共通資本の理論的研究に精力的に取り組み、持続可能な社会の実現に向けて数多くの著作を発表している。

 著書『日本の教育を考える』(1998年 岩波新書)にて、数学オリンピック予選参加者の指導者・子供らに批判的な考察を加えている。経済学者の浅子和美吉川洋小川喜弘清滝信宏松島斉宮川努小島寛之ジョセフ・E・スティグリッツは宇沢の門下生。数学者の宇澤達は長男。都市問題、地球温暖化問題に取り組む。近年は社会的共通資本の考え方の普及に力を注いでいる。


 単著

  • 『自動車の社会的費用』(岩波書店岩波新書], 1974年)
  • 『近代経済学の再検討――批判的展望』(岩波書店[岩波新書], 1977年)
  • 『ケインズ「一般理論」を読む』(岩波書店, 1984年)
  • 『近代経済学の転換』(岩波書店, 1986年)
  • 『経済動学の理論』(東京大学出版会, 1986年)
  • 『現代を問う』(東京大学出版会, 1986年)
  • 『現代日本経済批判』(岩波書店, 1987年)
  • 『現代経済学への反省――対談集』(岩波書店, 1987年)
  • 『公共経済学を求めて』(岩波書店, 1987年)
  • Preference, Production, and Capital: Selected Papers of Hirofumi Uzawa, (Cambridge University Press, 1988).
  • Optimality, Equilibrium, and Growth: Selected Papers of Hirofumi Uzawa, (University of Tokyo Press, 1988).
  • 『経済学の考え方』(岩波書店[岩波新書], 1989年)
  • 『学問の自由と経済学の危機』(かもがわ出版, 1989年)
  • 『「豊かな社会」の貧しさ』(岩波書店, 1989年)
  • 『経済解析――基礎篇』(岩波書店, 1990年)
  • 『「成田」とは何か――戦後日本の悲劇』(岩波書店[岩波新書], 1992年)
  • 『二十世紀を超えて』(岩波書店, 1993年)
  • 『地球温暖化の経済学』(岩波書店, 1995年)
  • 『地球温暖化を考える』(岩波書店[岩波新書], 1995年)
  • 『経済に人間らしさを――社会的共通資本と共同セクター』(かもがわ出版, 1998年)
  • 『日本の教育を考える』(岩波書店[岩波新書], 1998年)
  • 『算数から数学へ』(岩波書店, 1998年)
  • 『方程式を解く――代数』(岩波書店, 1998年)
  • 『図形を考える――幾何』(岩波書店, 1999年)
  • 『代数で幾何を解く――解析幾何』(岩波書店, 1999年)
  • 『ゆたかな国をつくる――官僚専権を超えて』(岩波書店, 1999年)
  • 『社会的共通資本』(岩波書店[岩波新書], 2000年)
  • 『ヴェブレン』(岩波書店, 2000年)
  • 『図形を変換する――線形代数』(岩波書店, 2000年)
  • 『関数をしらべる――微分法』(岩波書店, 2001年)
  • 『微分法を応用する――解析』(岩波書店, 2001年)
  • Economic Theory and Global Warming, (Cambridge University Press, 2003).
  • 『経済学と人間の心』(東洋経済新報社, 2003年)
  • 『経済解析――展開篇』(岩波書店, 2003年)
  • Economic Analysis of Social Common Capital, (Cambridge University Press, 2005).

共著 [編集]

  • Studies in Linear and Non-Linear Programming, with Kenneth J. Arrow and Leonid Hurwicz, (Stanford University Press, 1958).
  • (稲田献一)『現代経済学(5)経済発展と変動』(岩波書店, 1972年)
  • (宮本憲一石川経夫内橋克人佐和隆光)『社会の現実と経済学――21世紀に向けて考える』(岩波書店, 1994年)
  • (内橋克人)『始まっている未来――新しい経済学は可能か』(岩波書店, 2009年)

編著 [編集]

  • 『講座21世紀へ向けての医学と医療(4)医療の経済学的分析』(日本評論社, 1987年)
  • 『日本経済――蓄積と成長の軌跡』(東京大学出版会, 1989年)
  • 『日本企業のダイナミズム』(東京大学出版会, 1991年)
  • 『三里塚アンソロジー』(岩波書店, 1992年)

共編著 [編集]

  • (竹内啓伊藤誠石井寛治)『経済学と現代』(東京大学出版会, 1974年)
  • (鬼塚雄丞)『国際金融の理論――変動相場制と経済政策』(東京大学出版会, 1983年)
  • (篠原一)『世紀末の選択――ポスト臨調の流れを追う』(総合労働研究所, 1986年)
  • (河合隼雄藤沢令夫渡辺慧)『岩波講座転換期における人間(全11巻)』(岩波書店, 1989年-1990年)
  • (堀内行蔵)『最適都市を考える』(東京大学出版会, 1992年)
  • (高木郁朗)『市場・公共・人間――社会的共通資本の政治経済学』(第一書林, 1992年)
  • (國則守生)『地球温暖化の経済分析』(東京大学出版会, 1993年)
  • (茂木愛一郎)『社会的共通資本――コモンズと都市』(東京大学出版会, 1994年)
  • (國則守生)『制度資本の経済学』(東京大学出版会, 1995年)
  • (國則守生)『地球温暖化と経済成長――日本の役割を問う』(岩波書店[[[岩波ブックレット]]], 1997年)
  • (花崎正晴)『金融システムの経済学――社会的共通資本の視点から』(東京大学出版会, 2000年)
  • (田中廣滋)『地球環境政策』(中央大学出版部, 2000年)
  • (薄井充裕前田正尚)『社会的資本としての都市(1)都市のルネッサンスを求めて』(東京大学出版会, 2003年)
  • (國則守生・内山勝久)『社会的資本としての都市(2)21世紀の都市を考える』(東京大学出版会, 2003年)
  • 武田晴人)『日本の政策金融(1)高成長経済と日本開発銀行』(東京大学出版会、2009年)

著作集 [編集]

  • 『宇沢弘文著作集――新しい経済学を求めて』(岩波書店, 1994年-1995年)
    • 1巻「社会的共通資本と社会的費用」
    • 2巻「近代経済学の再検討」
    • 3巻「ケインズ『一般理論』を読む」
    • 4巻「近代経済学の転換」
    • 5巻「経済動学の理論」
    • 6巻「環境と経済」
    • 7巻「現代日本経済批判」
    • 8巻「公共経済学の構築」
    • 9巻「経済学の系譜」
    • 10巻「高度経済成長の陰影」
    • 11巻「地球温暖化の経済分析」
    • 12巻「20世紀を超えて――都市・国家・文明」

訳書 [編集]

  • ジョーン・ロビンソン『異端の経済学』(日本経済新聞社, 1973年)
  • ジョーン・ロビンソン, ジョン・イートウェル『現代経済学』(岩波書店, 1976年)
  • S・ボウルズ, H・ギンタス『アメリカ資本主義と学校教育――教育改革と経済制度の矛盾』(岩波書店, 1986年-1987年)

 逸話

* 極端に時間にルーズで東京大学でも講義に一時間以上遅れることはザラだった。それでも帰る学生は稀だった。

* 東京大学在職中に、五月祭のポスターに起用されたことがある。


 「阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK98」の JAXVN氏の2010.10.24日付け投稿「日本には素晴らしい経済学者がおられます。宇沢弘文先生です。(杉並からの情報発信です)」を転載する。

 http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/5ed5cea14cf40fa3e9252965c67892f1?fm=rss

 「日本には素晴らしい経済学者がおられます。宇沢弘文先生です。
 2010-10-23 12:46:08 | 政治・社会

 素晴らしい本に出会いました。宇沢弘文・内橋克人著「始まっている未来」(岩波書店刊\1470))です。素晴らしい経済学者がおられます。東京大学名誉教授の宇沢弘文先生です。宇沢弘文先生は今年82歳。米国滞在が長くミルトン・フリードマンがいた新自由主義の総本山シカゴ大学で経済学部教授としてフリードマン理論に反対する「新古典経済理論」を研究し教鞭をとられていた方です。長年の研究成果に対して1997年に文化勲章を受賞されています。

 宇沢弘文先生は日本人経済学者の中でノーベル賞に最も近い学者と言われていますが、なぜか日本では一般的に知られていません。なぜならば先生は「日本は米国に搾取されている植民地である」と公然と主張されているからです。現在の日本の大苦境の原因は米国に強要され実行された「無駄な公共投資630兆円」であると主張されているからです。日本の大手マスコミは意図的に先生の主張を報道しませんし経済学者は無視しているからです。著書「始まっている未来」の中の「日本の植民地化と日米構造協議」の部分を下記に転載しますので是非お読みください。現在日本が陥っている「10年ゼロ成長」「10年デフレ」「巨額な国家債務」「夕張の悲劇」の真の原因は、米国が海部政権に強要した「日本経済の生産性を上げるために使ってはいけない」630兆円の「無駄な公共投資」だったことが良くわかります

 本書は宇沢弘文、内橋克人の両氏の4回の対談と二つの補論からなっている。「世界と日本に現れている未曾有の経済危機の諸相を読み解きながら、パックス・アメリカーナと市場原理主義で串刺しされた特殊な時代の終焉と、すでに確かな足取りで始まっている新しい時代への展望を語り合う。深い洞察と倫理観に裏付けられた鋭い論述は、「失われた二〇年」を通じて「改革者」を名乗った学究者たちの正体をも遠慮なく暴き出し、「社会的共通資本」を基軸概念とする宇沢経済学が「新しい経済学は可能か」という問いへのもっとも力強い「解」であることを明らかにする」。

「植民地としての日本」~『世界』五月号の宇沢弘文説(Ⅲ)

  世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』
 
  「植民地としての日本」~『世界』五月号の宇沢弘文説
  2009-04-18
 “市場原理主義者”が跋扈するわが国で、長い間アウトサイダーの経済学者とされ、政界・経済界ばかりか学会からも彼らの貴重な警鐘は疎んじられてきたが、米国発の金融恐慌が、顧みられなかった警鐘に光を当てることになった。歴史は真実から決して目を逸らさない証拠だろう。月刊誌『世界』は四月号から二人のアウトサイダー・宇沢弘文氏と内橋克人氏の対談「新しい経済学は可能か~日本の危機はなぜこうも深いのか」と題し連載を始めたが、五月号では宇沢弘文氏のするどい指摘が目を引いた。中見出しの「植民地としての日本とパックス・アメリカーナ」からその論点を引いておく。

 【宇沢弘文・内橋克人著「始まっている未来」より抜粋】

 ▼ 日本の植民地化と日米構造協議 (P41-P45)

 宇沢

 日本の場合、占領政策のひずみが戦後60年以上残っている。アメリカの占領政策の基本政策は、日本を植民地化することだった。そのために、まず官僚を公職追放で徹底的に脅し、占領軍の意のままに動く官僚に育てる。同時に二つの基本政策があった。一つはアメリカの自動車産業が戦争中に自らの利益を度外視して国のために協力したという名目をつくって、戦後、日本のマーケットをアメリカの自動車産業に褒美として差し出す。もうひとつは農業で、日本の農村を、当時余剰農産物に困っていたアメリカとは競争できない形にする。

 ポスト・ベトナムの非常に混乱した時代を通じて、アメリカは経常赤字、財政赤字、インフレ―ションの三重苦に苦しんでいたが、とくに対日貿易赤字解消に焦点を当てて、円安ドル高是正を迫ったのが、1985年のプラザ合意でした。しかし、その後も、日本企業は、徹底的な合理化、工場の海外移転などによって高い国 際競争力を維持しつづけて、アメリカの対日貿易赤字は膨らむ一方だった。そこでアメリカ議会は「新貿易法・スーパー301条」を制定した。これは、もっぱら日本に焦点を当てて、強力な報復・制裁措置を含む保護政策の最たるものです。

 それを受けて、1989年7月に開かれた日米首脳会談で、パパ・ブッシュ大統領が宇野首相に迫ったのが、「日米構造協議」の開催でした。それは、 アメリカの対日貿易赤字の根本的な原因は、日本市場の閉鎖性、特異性であるとし、経済的、商業的側面をはるかに超えて、社会、文化など含めて日本の国のあり方全般にわたっ て「改革」を迫るものでした。

 日米構造協議の核心は、日本のGNPの10%を公共投資にあてろという要求でした。しかもその公共投資は決して日本経済の生産性を上げるために 使ってはいけない、全く無駄なことに使えという信じられない要求でした。それを受けて、海部政権の下で、10年間で430兆円の公共投資が、日本経済の生産性を高めないような形で実行にうつされることにになったのです。その後、アメリカから、それでは不十分だという強い要求が出て、1994年にはさらに200兆円追加して、最終的には630兆円の公共投資を経済生産性を高めないように行うことを政府として公的に約束したのです。まさに日本の植民地化を象徴するものです。

 ところが、国は財政節度を守るという理由の下に地方自治体に全部押し付けたのです。地方自治体は地方独自で、レジャーランド建設のような形で、生産性を下げる全く無駄なことに敬630兆円を使う。そのために地方債を発行し、その利息の返済いは地方交付税交付金でカバーする。 ところが、小泉政権になって地方交付金を大幅に削減してしまったため、地方自治体は第三セクターをつくったものは多く不良債権化して、それが自治 体の負債となって残ってしまったわけです。630兆円ですからものすごい負担です。その結果、地方自治体の多くが、厳しい財政状況にあって苦しんでいます。日本が現在置かれてい る苦悩に満ちた状況をつくり出した最大の原因です。


 日米構造協議が開かれましたが、実はアメリカの商工業者の団体が原案を作成し、アメリカ政府がそれに基づいて日本政府に要求と交渉をするというとんでもないもので、一番の焦点は経常赤字と財政赤字が膨らみ、非常に混乱した時代のなかで、日本政府に対して10年間で430兆円の公共投資をしろという要求でした。しかもその公共投資は日本の経済の生産性を上げるために使ってはいけない。まったく無駄なことに使えという。信じられない要求でしたが、中曽根政権はその要求をそのまま、日本政府のコミットメントとするわけです。次の政権で実行に移されますが、国は財政節度を守るという理由の下に地方自治体に全部押し付けたわけです。地方自治体は地方独自で、レジャーランド建設のような形で、生産性を上げない全く無駄なことに計430兆円を使う。そのために地方債を発行し、その利息の返済は地方交付税でカバーするという。

 ところが、小泉政権になって地方交付税を大幅に削減してしまったために、地方自治体が第三セクターでつくったものは多く不良債権になって、それが自治体の負債となっていまだに残っているわけです。430兆円ですからものすごい負担です。そのときから、地方の、たとえば公立病院は非常に苦しくなっていくわけです。

 内橋

 押しつけられた地方財政の赤字、それを住民への行政サービスのそぎ落としによって埋め合わさせる。「みせしめの夕張」が必要だったわけですね。

 宇沢

 そういう政策を見ていると、日本は完全に植民地というか・・属国ならまだいいのです。属国なら一部ですから。植民地は完全に搾取するだけのものです。それがいま大きな負担になっていて、救いようのない状況に陥っているわけです。社会的共通資本のいろいろな分野、特に大気、教育、医療が徹底的に壊されていくことに対して、たとえば内橋さんがずっと正論を20年も主張されているときに、同僚の経済学者たちがそれを揶揄したり批判したりする流れがあるのは、私は経済学者の一人として黙ってみていられない。経済諮問会議も制度的な問題があるのではないでしょうか。首相自らが諮問し、首相自らが議長の諮問会議で議論して、答申を出す。それが首相自らが 議長の閣議に出されて、自動的に決定され、政府の正式な政策となる。ヒットラーが首相となって権力を握ったときとまったく同じ方法です。

 内橋

 官邸独裁ですね。世界で初めて「生存権」をうたい、もっとも民主的とされたワイマール憲法のもとでヒットラーが生まれました。政治的独裁の危険に通じます。いま、先にも触れました経済学者の中谷巌氏が市場原理主義からの「転向」「告白」「懺悔」の書を発表し、話題になっておりますが、気になるところもありますね。アメリカでは競争万能の市場原理主義が社会の激烈な分断と対立をもたらしました。「喉元をかき切るような競争」のはてに共同体が崩れていく。そこ で失われた絆とか人間信頼の輪を取戻し、社会統合を回復すべき、と唱えて登場したのがネオ・コンと呼ばれる「新保守主義」でした。

 中谷氏は今回の著作「資本主義はなぜ自壊したのか」(2008年集英社インターナショナル刊)のなかで、「古き良き日本」を回復すべき、と説いておられるように見えます。昔の日本企業には人間相互の信頼とか絆があった、自分たちのやってきた規制緩和万能、市場原理主義がそれを破壊したので反省している、そう いった筋書きです。だから、古き良き日本型経営に戻ろう、と。そういうお気持ちなのでしょう。ですが、かつての日本は企業一元化社会であり、官僚絶対優越社会でした。企業に対してロイヤリティー(忠誠心)を差し出し、献身を誓わなければ排除され、排除されれば社会的にも排除される。そういう企業一元支配社会にはほんとうに 人間的な絆があったのか。そうではないでしょう。規制緩和、市場原理主義という幻想から、今度じゃ古き良き日本的経営という幻想へ。願わくば、幻想から幻想へと飛び跳ねる思想転向ではないことを、切に祈りたい気持ちです。

 (抜粋終わり) 

 
 歪んだ政策選択によって、日本は歴史的危機の淵にまでおびき寄せられてしまったと思います。深刻なテーマとして、四つの項目を挙げておきたいのですが、すでにご指摘のありましたように、第一は地方自治体財政です。

 竹中総務相時代、彼は「私的懇談会」と称する恣意的な機関を三つも立ち上げました。うちの一つが「地方分権21世紀ビジョン懇談会」でした。この懇談会で出された答申の主旨がいよいよ今年四月から効力を発揮します。地域にとってかけがえのない公立病院を、自治体財政の負担を理由に切りはなす、という措置が多くの地方都市で進められていますが、もとをただせば、その震源地はこの私的懇談会の提言に発している。まるで地下深く埋められた時限爆弾のように、小泉政権が去った後のいま、炸裂する時期を迎えました。

 二番目に再販問題です。公正取引委員会の「政府規制等と競争政策に関する研究会」(略称・政府規制研)の下に「再販制度問題検討小委員会」が設置されたのは1994年4月のことでした。翌95年7月にははやくも「現時点では再販を維持する必要はなく、弊害が生じている」として、強く廃止を示唆する中間報告がまとめられてしまった。新聞、雑誌、その他著作物一般について、「再販制度・即時撤廃」への流れがプログラム化されようとしていました。私が同委員会の拡大小委員会委員として要請され、参加するようになりましたのは97年2月からのことです。市場原理主義が怒涛のごとくに文化の領域を踏み荒らす、その勢いを肌身で感じ、危機感にさいなまれるという苦い経験を味わいました。

 そして第三に、日本型自営業、地域の中小零細企業を壊滅させるような剥き出しの競争政策。大規模小売店舗法(大店法)撤廃も大きな節目であったと思います。最後に、いうまでもないことですが、戦後、営々と築き上げた労働基本権をご破算にする「労働規制緩和」の完成です。……
宇沢=いまのご指摘は、民主主義以前の問題で、日本が果たして独立した一つの国であるかどうか、信じられないくらいの状況ですね。属国ならまだいいが、完全に植民地だと申し上げたけれども……。

 ケインズが最初に書いた経済学に関する本を思いだします。『Indian Currency and Finance(インドの通貨と金融)』というタイトルで、ケインズがインド省にいたときに書いた本です。金と銀の相対価値はどう決まるかというのがテーマで、当時、インドのルビーは銀本位制、イギリスのポンドは金本位制でしたが、イギリスの軍事費と国家公務員年金はインド政府が払っていたため、金と銀の交換比率は重要な問題だったのです。イギリスの国家公務員は任期中に必ず2~3年インドに赴任し、インドのために尽くしてきたという名目をつくって、年金をインド政府が負担する。イギリスの軍事費も、イギリスがインドを守っているという名目で、インド政府が負担する。当時、世界で一番豊かなイギリスの軍事費と国家公務員年金を一番貧しいインドが負担するという信じられないことが起こっていた。

 しかしケインズは、そこには一切触れていない。私は昔、この本を読んで、そこにケインズの限界を感じた。インドでは、イギリスの徹底的な搾取、社会破壊、人間破壊、そして自然破壊が今でも重い陰になって残っています。イギリスの植民地政策として、インドのエリートは徹底的にイギリス式の教育を受け、オックスフォード、ケンブリッジを出て、イギリス的な考え、生き方を持って国に帰って支配層となる。これがイギリスの植民地支配の典型です。

 いまの日本は、かつてのインドほどではないけれども、非常に似た形で、軍事費を負担しアメリカに守ってもらっている。さすがにアメリカの国家公務員の年金を日本が負担するところまではいっていませんが、基本的な考え方は非常に似ていると思う。まず、日本の官僚を徹底的に脅して、意のままに動かす。同時に、アメリカの自動車産業に日本を褒美として差し出すために道路をつくる目的で、徹底的に日本の街を空襲して燃やしてしまったのです。木造家屋が燃えやすいような焼夷弾をわざわざ開発して。
 
内橋=ナパーム製焼夷弾。あれは神戸大空襲が最初だったんです。私もその下を逃げ惑った少年の一人でした。
 
宇沢=そのあと自動車が普及するように広い道路をつくり、その自動車も、日本では生産できないように規制を設けたんですが、朝鮮戦争を契機に変わっていく。そして、まず日本人の考え方、生き方を、アメリカの製品・産業に順応する形につくり変えるという徹底的な教育をしたわけです。

 内橋さんも覚えていらっしゃると思いますが、日本人の体格が貧弱なのは魚を食うからだとか、米を食べると頭が悪くなるといった類の言説。パンを食べろというのは実はアメリカの余剰農産物を消化させる意図で、非常にきめ細かい占領政策を展開した。また、日本にはアメリカの農産物と競争できないようにする選択性農業を押しつける。それらが重なって、いまの日本の生き方というか、社会があって今度の大恐慌で日本はやはり一番大きな被害を受けていると思いますね。……(終)
01. 2010年10月24日 11:09:28: co8v739Imc
> 新自由主義の総本山シカゴ大学

そこに駆け出しのスティグリッツを招いて共同研究をおこなったのもおもしろいエピソードだ。

[引用] 私が大学院生であったとき,当時シカゴ大学で教鞭をとられていた宇澤弘文教授から,シカゴ大学で共同研究をするよう招聘を受けた([略]).その招聘を受けることを決めたことが,私の人生において最も重要な決定の一つになった.昼間は,一日中経済学を論じ,夜はもっと幅広い問題について議論しあった.そのとき,私は,経済学および人生について,宇澤教授から多くのことを学んだ.われわれは,一冊の本([略])を共同で編集することになったが,その後も数十年にわたり絶えず連絡を取りあってきた. [引用おわり]
(ジョセフ・E・スティグリッツ『入門経済学』日本語版への序文より)

04. 2010年10月26日 04:38:45: DCHDReL3A2
経済学賞は、アルフレッド・ノーベルの意志ではなく、スウェーデン銀行と米国政府の支援か何かで創設されたんじゃないか? きわめて政治的な臭いがする。

宇沢弘文の祈り

人間回復、考える時に

 私はいま、スペインのバルセロナにいる。戦後約六十年が過ぎ、ヨーロッパでは都市とか自然に対する考え方が大きく変わってきた。例えば、川岸を覆うコンクリートをはがして昔ながらの蛇行する川に戻し、周囲にその地域特有の樹木を植える。小鳥や動物がそこに集まり、子どもたちの格好の自然観察の場となった。自動車を中心とした交通体系を見直して市電などの公共交通機関を復活させ、街の中心部から極力、自動車を締め出すようにした。その結果、商店街などの懸念とはむしろ逆に市街地が活性化し、雇用が増える都市が数多く出てきた。そうした実例をつぶさに見て歩き、研究に役立てようと数日前からヨーロッパを訪れているのである。新しい考え方をひとことで表現すれば、「人間の回復」をめざした運動であると言って良いのではないだろうか。

 それに対して日本はどうか。日本は戦後復興をばねに驚異的な経済成長を遂げ、先進国の仲間入りを果たして明治以来の夢が実現した。しかしその過程で美しい自然は失われ、豊かな自然とのかかわりの中で築きあげられてきた日本の地域社会は無残にも崩壊しつつある。道といえば自動車優先で、人間はおっかなびっくりあるかなければならない。地元が「もう、いらない」と言っているのに、強権を発動してダムや堤防を無理やりつくって押しつける。そんな「人間不在」の政治、行政の論理ばかりがまかり通る。国民の税金を費やしてである。

 その結果、国と地方を合わせて六百六十六兆円に及ぶ負債を抱えることになった。このばく大な借金を背負い、何十年にもわたって返済を果たさなければならないのは、こどもたちなのである。昔から「子は宝」といわれてきた。そのこどもが大人たちに負債を押しつけられ、つけを払わされる。なんと悲惨なことだろうか。

 私は経済学者として半世紀を生きてきた。そして、本来は人間の幸せに貢献するはずの経済学が、実はマイナスの役割しか果たしてこなかったのではないかと思うに至り、がく然とした。経済学は、人間を考えるところから始めなければいけない。そう確信するようになった。中でも教育は、経済学の重要な対象である。私の考えについては、後に改めて詳しく述べるつもりだが、教育は私が提唱する「社会的共通資本」の大事な要素であると考えるからでる。陰惨ないじめ、荒れ果てた教室、不登校問題など学校教育をめぐる課題は数え切れないほど多い。しかし、これらを学校の努力だけで解決することは到底不可能である。社会にとって、もっとも大事なものの一つである教育制度を社会が粗末に取り扱った結果として起きたものだからである。

 社会的共通資本は一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が豊かな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような”社会的装置”を指す。それは教育をはじめとする社会制度、自然環境、道路などの社会基盤の三つによって構成される。年を経るとともに、私の研究テーマが自動車、医療、教育、環境問題などへと広がったのは、経済学が本来、取り組むべき課題がそこにあるとの思いを深くしたからにほかならない。それは私が、政治や経済の面ではあまり恵まれなかったものの、すぐれた文化と豊かな人間性をはぐくんできた山陰に生を受けたことと無縁ではない。

宇沢 弘文 著 : 私の履歴書 : 日本経済新聞2002年3月1日朝刊


 宇沢弘文が語る 哲学者D

 1966年頃、ヴェトナム戦争の最中、シカゴ大学で学生たちが成績を徴兵局に送らないよう大学当局に要求して本部棟を占拠するという事件が起こった。私は哲学の助教授D君と2人で調停に当たった。私たちの調停案は全学の教授が学生の成績は付けないという案だった。かなりの紆余曲折を経た末、大学当局が了承して、本部棟の占拠は解かれた。一年後、私がケムブリッジからシカゴに帰ってきたときにはD君は大学から姿を消してしまっていた。1993年、私はある州立大学に滞在した。ある日、D君から突然電話がかかってきた。早速会いに行った。その大学の哲学の教授として、医の倫理にかかわる研究に携わっているという。私も社会的共通資本としての医療を中心的な研究テーマとしていて、偶然を喜び合い、2人で共同的研究を始めることになった。D君は日本にくるとわが家に泊まって夜遅くまで語り合うのを常としていた。あるときD君が寂しそうに言った。「ノーム・チョムスキーは偉い。五十四回も逮捕されている。それに比べると私はまだ一回しか逮捕されていない」。じつはD君は反戦運動を扇動したとして懲役十年の重い刑に服し家族は塗炭の苦しみを嘗(な)めたのである。D君との共同研究をベースにした『社会的共通資本としての医療』(宇沢弘文・鴨下重彦編)がこの三月東京大学出版会から出版されたが、D君は重い癌(がん)ですでに亡くなってしまった。

 『私の収穫』哲学者D 宇沢弘文 3 朝日新聞 2010年5月13日夕刊より

 宇沢弘文が語る 趙紫陽

 1980年台の初め頃、中国・瀋陽の近郊の農村にしばらく滞在して、当時始まったばかりの請負生産制を中心とする農村改革の実態について調査する作業に従事したことがある。
当時の農村の言葉に言い表せないような悲惨な現実と共産党幹部による徹底的な搾取を知って、強烈な衝撃を受けた。「資本主義的な搾取には市場的限界があるが、社会主義的搾取には限界がない」と題する報告書をまとめて、党中央に提出した。すぐ北京に呼び戻されて、厳しい査問を受けて、もう日本には帰れないと覚悟を決めた。
そのとき、一番若い、末席に座っていた人が「宇沢教授の主張には一理ある」と言って、私を弁護してくれた。その人が趙紫陽さんであった。その後、総書記になられてからもよく会っていた。あるとき、中南海のご自宅に招(よ)ばれたとき、それまでいくつかの五カ年計画がすべて失敗してしまったことを話題にされた。私が「党中央は常に誤謬(ごびゅう)を犯すという前提に立てば、それまでの五カ年計画の失敗は合理的に説明することができる」と言った。趙紫陽さんが厳しい顔をして「政府の統計センターに入っているデータ、資料をすべて出すから、証明してほしい」。
その作業は思ったより大変だったが、89年7月21日、北京で国際シンポジュウムを開催しその成果を発表することになった。ところがその直前に天安門事件が起こり趙紫陽は失脚し、亡くなるまで自宅に幽閉され、国際会議どころではなくなってしまった。

『私の収穫』趙紫陽 宇沢弘文 4 朝日新聞 2010年5月14日夕刊より


 宇沢は、経済学に「社会的共通資本」(social overhead capital)、「公共経済学」なる概念を持ち込んだ。これは、生活基盤の基礎的な与件を配慮するものであり、アメリカの金融システムに象徴される市場原理主義の産業システムを痛打するものとなっている。「持続と共生」を重視するからである。自動車に乗らない宇沢は「歩く哲人」と云われる。宇沢経済学(宇沢理論)は、現代経済学の陥った閉塞からの脱出、未来への展望を与えている。

 「日本の教育を考える」(宇沢弘文,岩波書店,1998)は次のように記している。「水俣病を始めとして、全国の公害問題にかかわることによって、私は、それまで専門としていた近代経済学の理論的枠組みの理論的矛盾、倫理的欠陥をつよく感ずるようになっていきました。そして、水俣病を始めとする数多くの公害問題の原因を解明し、その人間的被害の実態を分析し、その根源的解決の途を探ることができるような理論的枠組みとして、社会的共通資本の考え方に到達したのでした。社会的共通資本の重要な構成要因である医療、教育、公害、地球環境などの問題はいずれも、これから二十一世紀にかけて、私たちが直面するもっとも重要な問題です。しかし、これまでの経済学の理論的な枠組みのなかでは必ずしも満足しうる考察、分析ができませんでした。社会的共通資本という新しい概念を導入することによって、医療、教育、公害、地球環境などの問題を経済学的に分析することが可能になり、また、その制度的、政策的意味を明確にすることが可能になります」。

 世の中には「市場に委ねてはならないもの」が存在する。教育はその一つであるが、農業もそうである。宇沢弘文先生はこれを「社会的共通資本」と名づけた。自然環境(大気、水、森林、河川、湖沼、海洋、湿地帯、土壌など)、社会的インフラストラクチャー(道路、交通機関、上下水道、電力ガス)、制度資本(教育、医療、金融、司法、行政など)。その定義はこうである。
 「社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。(・・・)社会的共通資本は、たとえ私有ないし私的管理が認められているような希少資源から構成されていたとしても、社会全体にとって共通の財産として、社会的な基準にしたがって管理・運営される。(・・・)したがって、社会的共通資本は決して国家の統治機構の一部として官僚的に管理されたり、また利潤追求の対象として市場的な条件によって左右されてはならない。社会的共通資本の各部門は、職業的専門家によって、専門的知見にもとづき、職業的規範にしたがって管理・維持されなければならない」(宇沢弘文、『社会的共通資本』、岩波新書、2000年、4-5頁)。

宇沢弘文 著  「社会的共通資本」 岩波新書(2000年)「地球温暖化を考える」(岩波新書)、「日本の教育を考える」(岩波新書)

   2)社会的共通資本の定義

  社会的共通資本とは「豊かな経済生活を営み、優れた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を安定的に維持する社会的装置」と定義され、次の構成要素からなる。
①自然環境 (大気、森林、河川、水、土壌、野生生物など) [環境]
②社会的インフラストラクチャー (道路、上下水道、住居、ガス、交通通信網など) [ハード]
③制度資本 (教育、医療、司法、金融、福祉、年金など) [ソフト]
  すなわち人が豊かに生活できる社会の総システムを指し、資本主義、社会主義の枠を超えたシステムの構築を目指す。生活のし易さは所得体系(税、賃金)だけではなく、受けられる総サービスの量と質すなわち社会制度による所が大である。すなわち社会の総体でしか評価できないことを示す。

3)社会的共通資本の考え方の経済史

 

②ケインズ経済学(1936年から1970年)
  資源配分の最適化と市場均衡も安定を否定し、経済活動の水準つまり有効需要の大きさは経済主体の固定的資本形成、総資本顎であるとした。金融資本の投機的性格による不安定性を明らかにした。しかしケインズの経済学は資源の私有制と所得配分の不公正には眼をつぶり、生存権の保障は所得の再配分つまり事後的救済策によった。雇用問題と米国のベトナム戦争、財政崩壊により有効性を失った。

③反ケインズ経済学(新保守主義)(1970から1990年)
  政府の役割縮小、資源の私有と生産主体に私的性格を強め、マネタリズム、合理主義経済、サプライサイド経済学、合理的期待形成仮説など多様な形態をとるが、極めて政策的要素が強い。レーガン、サッチャー、中曽根が民活、規制緩和、福祉切り捨てなど制限なしの企業活動を支援した。グローバル化が進行したのもこの時期である。その結果バブル経済を招来し金融システムの腐敗を招いて崩壊した。

④スティルヴェブレン「制度主義」(社会的共通資本とそれを支える社会組織)
アダムスミスの「国富論」に回帰することが理想となり、「民主的過程を経て経済的社会的条件が展開され、最適な経済制度を求める」。制度主義の経済制度の特徴は社会的共通資本とそれを管理する社会的組織である。市民の基本的権利である生活権(生存権)を充実するのが目的であるから政府官僚の規制を廃し、市場的基準に支配されてはならない。「信託」の概念で管理運営される。






 宇沢理論の興味深い点は「専門家・職業人」を社会的共通資本の管理運営において政府や市場の上位に置いているところである。この原則を宇沢は「フィデュシアリー(fiduciary)の原則」と呼ぶ。Ficuciary とは「信用・信託」のことである。社会的共通資本の管理者は市民に直接委託され、市民に対してのみ責任を負い、その利益だけを専一的に配慮するものでなければならない。農業についても宇沢は紙数を割いているが、その中でいちばん重要な箇所だけ引用しておく。「農の営みが、人類の歴史でおそらくもっとも重要な契機をつくってきた。将来もまた基幹的な地位を占めつづけることは間違いない。農の営みというとき、それは経済的、産業的範疇としての農業をはるかに超えて、すぐれて人間的、社会的、文化的、自然的な意味をもつ。農の営みは、人間が生きてゆくために不可欠な食糧を生産し、衣と住について、その基礎的な原材料を供給し、さらに、森林、河川、湖沼、土壌のなかに生存しつづける多用な生物種を守りつづけてきた。それは、農村という社会的な場を中心として、自然と人間との調和的な関わり方を可能にしてきた。どの社会をとってみても、その人口のある一定の割合が農村で生活しているということが、社会的安定性を維持するためにも不可欠なものとなっている」(同書、67頁)。

 自由経済派にして後の市場原理主義の源流となるアメリカ・シカゴ学派のノーベル賞学者ミルトン・フリードマンらを批判。その丸写しの日本人経済学者に対する痛打を与えている。宇沢弘文氏は、人びとの豊さには、土地や水や空気などの自然資本と教育や生活保障など基本になる社会制度などが守られなければならない、という。これを社会的共通資本という概念で説明されている。これがアメリカの市場原理主義によって破壊されつつあると。パックスアメリカーナと呼ぶ。パックスアメリカーナのやり方は、この現実適用は、社会の分断ありきだ。都市と農の分断と「日本の農産物は高い」キャンペーンだ。生産と消費を分断する。これを連帯・参加・協同で超えていく。基本は地域コミュニティーの自立である。これを目指す。こうした共生経済の世界的取り組みが紹介されていく。

 宇沢は、社会的共通資本は官僚主義管理の堕落を排し、かつ貨幣中心主義の極端な私的営利追求主義を拒否せねばならぬ、と主張した。とくに、金融と証券の非分離に対する批判、自動車の外部不経済など、普通の人が普通に暮らせる経済社会をといている。すべてを貨幣に任せると、農業はなりたたない。しかし、貨幣以外の外部価値を考えるなら、農業の社会的共通資本としての価値は大きいという。近年、モータリゼーションのなかで、社会的共通資本である公共交通の運営維持が困難だ。病院も私的営利追求に任せれば、維持が難しい。カネのある人は大きなクルマで動き回り、そうでない人、子ども、学生、高齢者が移動に制約を受けるような社会ではいけないという。中曽根民活、小泉改革は、改革という名の官僚主義打破としては有効だが、はたして社会的共通資本を私的営利追求にまかせてしまって良いのか。今日のアメリカ金融バブルの崩壊で、我々は宇沢の指摘に再度、耳をすます必要があろう。

 宇沢氏は1960年代のアメリカで最も先端的な経済学の業績をあげながら、70年前後の世界的変動(ベトナム戦争、公害問題の露呈、ドル危機、オイルショックなど)のなかで、産業経済を〝持続可能〟なシステムとするために従来の経済学をラジカルに組み替える〝社会的共通資本〟の思想を呈示し、それにもとづき、狭義の経済学の枠を超えて、地球環境問題から学校、医療の問題まで広範な社会問題に取り組み、いたるところにその考えを広めて、困難な課題の未来に向けた誘導に尽力されてきました。

 経済学を人間が生きるのを助ける学問とするため、早くから「社会的共通資本」という考えを打ち出し、西に水俣病で苦しむ人がいれば行って力になり、東に成田で農地を守る人びとがいれば、行って政府と交渉してやると言い、地球温暖化に対処する国際会議ではいつも大事な提言をし、ヨハネ・パウロ二世にも惜しみなく知恵を貸し…、産業システムと市場原理主義がいたるところで生活の基盤を壊してきたこの数十年間、その流れと闘いながら「未来」への道を示し続けてきた。

 イラク戦争の失敗や金融システムの崩壊で、アメリカの威信は地に落ちて世界の状況が大きく変わりつつあるとき、日本では、半世紀ぶりの政権交代が起こったが、新しい政権は「日米安保と沖縄」という日本の現状を規定する根本問題に手をつけながらあえなく挫折し、いまはそれに頬かむりして大きな舵をとれずにいる。宇沢経済学の出番であり、これを押し出さざるを得まい。

 「宇沢弘文と語る」を聴講して

 西谷修さんが仕掛けた「宇沢弘文と語る」経済学から地球環境,日米安保・沖縄まで,というこれは対談なのか,独演会なのか,よくわからない不思議な,でも,じつに刺激的な会を聴講してきた。なぜか,とても満ち足りた時間をすごすことができて,大満足。
 「嘘をつきなさい。人びとを幸せにする嘘を沢山つきなさい」とわたしは教えられました。いきなり,こんなことばが宇沢さんの口から飛び出してきて,度胆を抜かれる。いろいろの事情があって,旧制中学の4年生のころに,新潟の禅寺(曹洞宗)に身を寄せることになったそうである。そして,そこの禅寺の住職が,晩飯になると宇沢さんを呼んで,一緒に食事をしようと誘ったという。しかも,とても立派な食事とお酒も用意されてある。まだ,未成年なのに,ごく当たり前のようにして,一緒にお酒もご馳走になる。そういう禅寺の坊主が,宇沢さんを相手にいろいろの話をしてくれる。そのなかの話の一つが,冒頭に引いた「嘘をつきなさい」というものだったそうである。
 このことばが,いまから考えるとわたしの経済学の考え方の根源になっているような気がする,とおっしゃる。誤解されるといけないので,もう少しきちんとした説明をしておく。ここでの力点は,「嘘をつきなさい」ではなく,「人びとを幸せにする」というところにある。「嘘」と言ったのは,ひとつの方便で,学問もまたひとつの「嘘」の範疇に入るものなのだから,という意味である。学問といい,科学的知見といい,宗教の教義といい,それらはどこまでいってもひとつの「仮説」にすぎない。つまりは,「嘘」の一種なのだから,どうせ「嘘」をつくなら「人びとを幸せにする嘘」をつきなさい,というのである。
 宇沢さんが数学を専攻しながら,独学で経済学に向かうときの引き金になったものが,「人びとを幸せにする嘘」だった,というようにわたしは受け取った。人間はひとしく生きる喜びを味わう権利をもっている。お互いの魂と魂が触れ合うような喜びを分かち合う権利をもっている。その権利を保証するための学問の一つが経済学ではないのか,と。つまり,生身の人間として生きる喜びを保証すること,これが経済学の使命ではないか,と。
 断わっておくが,宇沢さんがこのようにおっしゃったわけではない。あくまでも,宇沢さんのおっしゃった「嘘をつきなさい」という話のコンテクストを受け止めながら考えたたわたしの,かなり牽強付会ともいうべき解釈である。しかし,この「嘘をつきなさい」,ただし「人びとを幸せにする嘘をつきなさい」が,やがて,宇沢さんがのちに声を大にして提唱なさる「社会的共通資本」という概念の基礎になっている,と受け取った。
 
 『社会的共通資本』(宇沢弘文著,岩波新書)という本の存在すら,不勉強なわたしは知らなかった。が,いつものことながら,ありがたいことに西谷さんから,今回のこの企画の話を聞き,その話の流れのなかで『社会的共通資本』という名著があることを初めて知った。そして,この概念がきわめて魅力的なものであることも,西谷さんのお話をとおしておぼろげながら理解できた。ので,早速,本屋さんに走ってこの本を購入してきた。正直に告白しておけば,同じ,岩波新書の棚に,『自動車の社会的費用』『日本の教育を考える』『地球温暖化を考える』などの宇沢さんの本を見つけ,これらも購入した。(未完)

『始まっている未来』(宇沢弘文・内橋克人)を読む(2) [本]


 第1回の対談には「市場原理主義というゴスペル」という大見出しがつけられている。2008年の恐慌をもたらした大きな要因が、市場原理主義という考え方だと著者は考えている。そこでまず1929年の大恐慌にさかのぼるところから、対談は始まっている。

 1920年代半ばころから、アメリカではカネ余りによる投機が起こり、「フロリダの別荘用の土地に始まって、1次産品、石油、金、美術・骨董品、ありとあらゆるものが投機の対象」になった。そのバブルが膨らんだあげく、最終的にニューヨークの株式市場が暴落し、それが金融市場から実体経済におよんでいったのが、戦前の世界大恐慌だったといえるだろう。

 これに対し、ルーズヴェルト政権は、金融機関への監督を強化するいっぽう、TVA(テネシー川流域開発公社)などをつくって社会的インフラの整備に政府の資金をつぎこんで、何とか経済を回復させようとした。

 こうした政策を理論的に支えていたのが、ケインズの考え方だった。宇沢によれば、ケインズは「資本主義は基本的に不均衡であり、失業の大量発生、物価の不安定、とくにインフレーション、そして所得と富の不平等といった経済的な不均衡は資本主義に内在しているものだから、それを政策的、あるいは制度的に防がなければならないという問題意識」をもっていたという。ケインズは、資本主義のもとで、安定的な経済成長、完全雇用、「すべての国民が人間らしい生活を営むことができるような制度」を実現したいと願っていた。

 ところが、これとは全くちがう考え方もあった。それがナイトやハイエクの唱えた「新自由主義」だという。新自由主義は世界大恐慌の中で生まれたというより、ナチズムや共産主義に対抗するために生まれた理念だったといってよい。

 宇沢はその考え方を次のようにまとめている。
 〈企業の自由が最大限に保証されるときにはじめて、一人一人の人間の能力が最大限に発揮され、さまざまな生産要素が効率的に利用できるという一種の信念に基づいて、そのためにすべての資源、生産要素を私有化し、すべての市場を通じて取引するような制度をつくるという考え方です。水や大気、教育とか医療、また公共的な交通機関といった分野については、新しく市場をつくって、自由市場と自由貿易を追求していく。社会的共通資本の考え方を根本から否定するものです。パックス・アメリカーナの根源にある考え方だといってもいいと思います〉

 新自由主義のもとでは、政府はほとんど市場に介入してはならないことになっている。むしろ企業が自由に活動することを容認し、さらにそれを促すのが政府の役割というわけだ。あとで、あらためて説明するつもりだが、社会的共通資本の形成を唱える宇沢が、新自由主義に反対する側に立っていることはいうまでもない。

 この新自由主義をさらにエキセントリックに政策化していったのがフリードマンの「市場原理主義」だ。フリードマンは「自由を守るためには、共産主義者が何百万人死んでもかまわない」と思っているような人物で、麻薬をやるのは本人の勝手、黒人が貧乏なのも本人の勝手と、何ごとにも規制緩和と自己責任を唱えていた。市場原理主義の立場からすれば、もうけるためには何をやってもいいことになる。

 レーガン政権と、そのあとのブッシュ政権が、銀行証券の垣根を取っ払い、超富裕層への減税を実施し、巨額の財政赤字と貿易赤字を埋めるため、国債や金融商品(それに組みこまれていたのがサブプライムローン)を日本などに押しつけていった背景には、無節操な市場原理主義の考え方が控えていた。

 それだけではない。日本では嘆かわしいことに、バブル崩壊後、アメリカ流の「規制緩和万能論」が、たちまち政財界に受け入れられていった。その走りが、細川政権時代に中谷巌が中心になってまとめたいわゆる「平岩レポート」で、そこには「自己責任原則と市場原理に立つ自由な経済社会の建設」というきらびやかな文言が並んでいた、と著者は指摘する。

 そこから生まれた政策が、派遣労働(正規・非正規社員の区別)、最低賃金の抑制、後期高齢者医療制度、郵政民営化、医療・農業・教育の「改革」などなどだった。つまり国の関与や規制をやめて、企業が勝手に商売できるような環境をつくれば、何もかもうまくいくという発想だった。その結果、何が起きたか。リーマン・ショックを引き金とする、平成大恐慌だったというのである。

 ぼくには経済学はわからない。ただ思うに、経済学は科学というより、時代の雰囲気がつくった信念体系=社会思想のような気がしてならないのだ。その点では、マルクスもケインズもハイエクも同じだった。最後は処方箋(場合によっては手術)に行き着くという点で、経済学は医学と似ている。そして医術が生老病死を越えることができないように、いかなる経済術も絶対幸福を生みだすことはありえない。だから宗教というつもりはまったくない。共産主義にも救済はない。ただ、どこかに限界があることは、わかっておいたほうがいいと思うのだ。

 へんな感想になってしまったけれど、カネに振りまわされている世界はどこかゆがんでいる。もちろんカネがなくては暮らせないし、カネさえあれば何でもできるというのもわからないわけではない。ただ、最近、世の中はますますそのような傾向が強くなって、人は自分が何だかそういう異常な世界にいることすら、実は認識できなくなっているような気がしてならない。恐慌はそのことを気づかせる機会となったが、人をそのアリジゴクに落としたのが、カネこそすべてと考えた市場原理主義だったことはたしかである。(つづく)

『始まっている未来』を読む(3) [本]

 内橋克人は「北欧モデル」を経済のあるべき姿として描いている。そこではだれもが利用できる公共的制度(社会的共通資本)があり、「生きる、働く、暮らす」という、人としての基本生活が社会的に保障されているという。それにくらべれば、日本の社会ははるかに過酷だ。カネと権力が一番で、それを目指して人は競争する。広くいえば企業、下世話にいえば親分や大将のもとに仕え、目立った業績を挙げるというのもよくあるパターンだ。そこから落ちこぼれてしまうと、世間のお情けにすがるか、世のはみ出し者になるしかない。大不況が日本でより深刻なのはそのためだ。

 規制緩和をするのは、最初からはっきり企業のビジネスチャンスを増やすためだといわれてきた。ビジネスの機会が増えると、雇用も増えるし、買い物も便利になるし、社会のムダもなくなるし、それで経済が発展すると、いいことづくめだという宣伝がなされてきた。しかし、規制緩和が打ちだされてからというもの、つまり平成になってから、日本経済はほとんど停滞していたことはまちがいない。

 内橋は規制緩和と構造改革のもとで、自治体財政から切り離された公立病院が経営難におちいり、大規模小売店舗法の撤廃で地元の商店街が崩壊し、解雇自由・超低コストの労働力(いわゆる派遣)がどんどん増え、国民医療費抑制の名の下に後期高齢者医療制度が導入されていったことなどを例に挙げている。これをみても、規制緩和がいかに日本社会に打撃を与えていったかがわかろうというものだ。

 実は規制緩和を言いだしたのはアメリカである。規制緩和は日本市場をアメリカ企業のために開放するということを意味していたのではないか。
内橋は「日米安保とは、軍事条約だけではなく経済協力とのパッケージ」だと話している。宇沢弘文も日本がますますアメリカの植民地になろうとしていると指摘する。そのことを示すのが、たとえば1980年代末から90年代にかけての「日米構造協議」だ。

 〈日米構造協議の核心は、日本のGNPの10%を公共投資に当てろという要求でした。しかもその公共投資は決して日本経済の生産性を上げるために使ってはいけない。全く無駄なことに使えという信じられない要求でした。……[その結果]最終的には630兆円の公共投資を経済生産性を高めないように行うことを政府として公的に約束したのです。まさに日本の植民地化を象徴するものです〉

 630兆円というのはものすごい額で、これはいまの国債残高600兆円に該当する。地方自治体は中央政府の指示で地方債を発行し、そのカネでやたらレジャー施設をつくった。そのつけが、いま回っているのだ。

 それにしても無駄なことにカネを使えというのはひどい話だ。昔、だれかから聞いたことがあるが、日本ではアメリカ派でない官僚は出世できないという。目に見えないところで、アメリカの日本に対するコントロールはずっとつづいている。前回、経済学は時代の産物だと書いたけれども、経済学はしばしばアメリカの世界戦略の道具になっている、と付け加えてもよさそうだ。空疎なキャッチフレーズにだまされず、「生きる、働く、暮らす」の場に思想の根拠を置くことがいかにだいじかを思い知らされる。

始まっている未来』を読む(4) [本]

 宇沢弘文は戦後の日本の経済学者では下村治を高く評価している。池田内閣時代に「所得倍増計画」を唱えたが、公害などを見て、その後ゼロ成長論に転じた人だ。「佐賀の葉隠精神を体現した昭和の偉丈夫」で「日本がアメリカに植民地化されることを心から憂えていた」という。

 アメリカの経済学者で宇沢がとくに評価しているのはスティグリッツだ。オバマ政権がサマーズやガイトナーといった、どちらかといえば市場原理主義者を国家経済会議委員長や財務長官に登用した理由がわからないと苦言を呈している。

 これからの経済学として、宇沢が思い描いているのは「ケインズ=ベヴァリッジ」型の考え方で、その中心概念となるのが社会的共通資本である。
 〈社会的共通資本は、基本的にはペイしないし、決して儲けを求めてはいけない。社会的共通資本に携わっている人々は職業的な知見と規律を保って、しかし企業として存続しなければいけない。原則赤字になるものを支える制度をつくるのが政府の役割です。社会的共通資本が本来の機能を果たせる形で持続的に維持できるような制度が、リベラリズムを理念とする社会の経済的な仕組みということでしょう〉 ぼくの想像力が足りないのか、やはりわかりにくい。大先生には申し訳ないのだが、やはりネーミングが悪いのではないか。で、とりあえず先に進むことにする。

 宇沢はこれまでの経済学の研究から、社会的共通資本という考え方に達したという。大きな影響を与えたのは、ケインズがいちばんだったにちがいないが、古典派では、アダム・スミスとそれからジョン・スチュアート・ミルだったことがわかる。スミスについては、こう話している。〈自然、国土を大事にして、そこに生きる人々すべてが人間らしい営みをすることができるというのが、アダム・スミスの原点です〉ミルについては、『経済学原理』に描かれた「定常状態」が注目されている。〈マクロ経済的にはすべての経済的な変数(実質国民所得、消費や投資など)が一定に保たれているが、ひとたび社会のなかに入ってみると、はなやかで人間的な営みが展開されている。人々の交流、文化的活動、新しい研究……。新しい何かがつくられている活気に満ちた社会であり、かつ経済全体で見ると定常的である〉

 ぼくは例によって、経済学独特の抽象や言い回しが苦手なのだが──若いころもっと勉強すればよかったと思うけれども、すでに手遅れ──それはともかく、宇沢によると、スミスを継承したミルのいう「定常状態」を実現するための制度が「社会的共通資本」という考え方なのだとされる。

 ところが市場原理主義が横行すると、世の中、何もかもカネというような風潮になってしまった。内橋はこういうふうに言っている。〈人間らしく生きるには豊かさが必要だという順序なのに、いまは逆立ちして、豊かさが満たされれば人間らしく生きられる、という話になっています。つまりは、依然として人間の生存条件ではなく生産条件優位の思考法ですね〉

 この対談では、宇沢が1991年にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の出した回勅の主題となった「社会主義の弊害と資本主義の幻想」の提唱者だったことが明らかにされている。その内容について、宇沢はこんなふうに説明している。
〈「社会主義の弊害」とは、社会主義のもと、市民の基本的権利は無視され、個人の自由は完全に剥奪され、人間的尊厳は跡形もなく失われてしまった。特に、狂気に陥った独裁者スターリンの支配下、ソ連全土が巨大な収容所と化し、何百万という無実の人々が処刑されたことなどを指しています。ところが、多くの人たちは資本主義になればいいと思っているが、それは大間違いで、資本主義には社会主義に劣らない深刻な問題がある。特に市場原理主義的な考え方が支配しつつあることに焦点をあてて、考えを進めたわけです〉

 この部分には宇沢の考え方がよくあらわれている。これまで見てきたところで、社会的共通資本という概念が、近代の歴史、さらには経済学を検証したなかで、練り上げられた考え方だということがわかるだろう。そこで、以下は、ひょっとしたら勘違いしているかもしれないぼくの勝手な解釈である。社会的共通資本の思想とは、人が自由に暮らしていくのに必要不可欠な生活基盤をコミュニティで支えていく工夫ということなのではないだろうか。柳田国男のいう結(ゆい)である。それは中央政府ではなく、自治体がリードしながら、社会に〈脱商品〉の領域を埋め込んでいくという具体的実践なのだ。それは村や町のよき伝統を復元する試みでもある。ただし、社会的共通資本をになうのは、政府や役所ではなく、企業を含む自主的団体である。

 その対象となるのは、自然環境であったり、道路や電気、ガス、水道であったり、教育や医療であったりする。これらは儲けの対象ではない。そのコストは原則として受益者が負担し、場合によっては税金によってまかなわれる。その運営にあたるのは官庁ではなく、専門家の集団であって、しかもその業務内容はつねに開示されていなければならない。これらはすべて社会全体の財産であり、個人的な専有は許されない。

 まちがっているかもしれないが、宇沢のいう社会的共通資本は、そんなふうに理解できるのではないだろうか。さらに想像をめぐらせば、それは脱中央集権で、村と町を復活させる構想へとつながってしかるべきだ。生活の基本ラインを確保するという意味では、いざというときにも安心して生きていける場(そしてそこをステップにして社会に戻っていける場)を地域のスポットとしてつくっていくことも必要だろう。

 そして、おそらく、こうした〈脱商品〉の領域を社会の中に組みこんでいくことは、必ずしも企業活動を阻害しないし、かえってそれをよい方向に促進させる場合もあるのではないか。ジョン・スチュアート・ミルが描いたのは、そういう世界だったと思われる。それが経済学的に可能であることを立証したのが、宇沢弘文の業績だった。






(私論.私見)