「『共産主義者の宣言』読み損ない考」
(副題「今時の『共産主義者の宣言』に何の価値があるのか、れんだいこが読み解く」 )

 更新日/2025(平成31.5.1栄和改元/栄和7)年2.13日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「共産主義者の宣言」の今日的な意義について正面から大きく論じてみたい。この宣言が為されたにも拘わらず、今日においては露となった悲哀を叙事詩的に書いてみたい。サン・シモン、フーリエ、オーウェンらの社会主義をユートピア的と断じた側のマルクス主義のユートピア性について論じて見たい、とかいろいろ思う。

 しかし、断じて日共党中央に君臨する不破的な改竄趣味の見地から為すのではない。あるいはそれと条件反射的に対極に立とうとする教条主義的な見地から落涙の文言を記してみようというのでもない。当然のことながら、いわゆる言葉の正確な意味での反共的立場から非難しようというのでもない。あぁ歴史に登場してきたのは、この三方向からのものしかない。

 れんだいこが為そうとするのは、ひとたびはマルクスの見地に合点し、そのマルクスの限界がどこにあったのか、それは当時では予見できなかったのか、当時においても予見できたが敢えてマルクスが無視したのか、それともマルクス主義のオリジナル性を引き立たせるために好んで一点突破的に表現し過ぎたのか、等々を内在的に弁じることである。

 この観点からは、次のことが見えてくる。マルクス主義の当時的有効性と今日的有効性の関係如何。マルクス主義の有効性を更に引き出すべきか、適宜に修正せしめるべきか、放擲すべきか。マルクス主義にどのような観点を融合せしめれば新マルクス主義になるのか、そういう企ては無謀なのか。もしマルクス主義が過去のものというのなら、それに代わる認識論、歴史観、運動論、革命論、組織論をどう創出すべきか。これらのことを我らが身に引き受けねばならない。

 しかし思うに、思想が世界を獲得しようとする時代は終わったのかも知れない。かといって、世界を獲得せんとする思想が要らないというのなら、それは好んで闇路に向っているだけのことではないか、とも思う。できなくても向わねばならないこともあるとか思う。向うことが悪いとするのではなく、向い方に更に一工夫が欲しい、歴史とはその断続と連続ではないのか、と了解するのが本来の受け止め方ではないかとか思う。これぐらいで止めておこう。何が云いたいのかほぼ限界に近づいてきたから。

 2004.1.14日 れんだいこ拝


【歴史的位置付け考】
 「共産主義者の宣言」は、1847年、世界で最初の各国の共産主義者による国際的組織であった共産主義同盟が、当代随一の理論家として頭角を現しつつあったマルクスとエンゲルスに同盟の綱領を委託し、マルクスとエンゲルスの起草により、翌1848年に発表されたものである。

【「共産主義者の宣言」読み損ない考その1、題名考】

 「『共産主義者の宣言』読み損ない考」は、題名から始めねばならない。れんだいこは、「共産主義者の宣言」と訳したが、種々議論があるようである。「第7章 『共産党宣言』を読む(1) 」を参照する。これを咀嚼すれば次のように云えるようである。

 1848年の初版の書名は、「共産党宣言」(Manifest der Kommunistischen Partei)として出版されている。フランスにおける1848年の二月革命前夜にドイツ語版が800部限定で出版されている。これによると、日本語訳「共産党宣言」は原文の直訳であり問題はない。ところが、1872年の第二版の書名は「共産主義者宣言」(Das Kommunistische Manifest)となっている。実は、二種類の初版があるという研究も為されている。では、後世の我々は、どちらの題名を是とすべきかということになる。この識別には深い意味があるのか、ないのかという詮索を要するのか要さないのか、という問題になろう。

 通常に考えてみるのに、「宣言」の本文では「共産主義者」という言葉は頻出しているのに、「共産党」という言葉はわずか二カ所しか出てこない。しかし、「宣言」の冒頭には、「共産主義者がその考え方、その目的、その傾向を全世界のまえに公表し、共産主義の幽霊物語に党自身の宣言(ein Manifest der Partei selbst)を対立させる」という決定的な文章がある。だとすれば、「共産党」という言葉が少ないという事実は、それだけでは「共産党宣言」を退ける決定的根拠にはならない。

 しかし、第二版の書名にわざわざ「共産主義者の宣言」としたのには理由があろう。それは、「宣言」以降も各国の労働者党が必ずしも望んだ方向に向かっていないことに対して、その類の党ではないことを示唆する必要から敢えて「共産主義者の宣言」と書名変更したのではないのか、という推測が成り立つ。例えば、ドイツ社会民主労働者党と区別するために「党」(Partei)を外したのではないかと。しかしながら、その後に書かれた幾つかの序文では、「共産党宣言」という言葉が用いられているようでもあり、この根拠は薄い。

 それでは、内容的に吟味するとどうなるか。気づくことは、「宣言」では、後に一般化する各国での共産党の創立、その共産党を当該国に於ける「レーニン的指導による唯一の前衛政党」化せしめるという押し出しは指針されていない。この時点ではどちらかというと、国際的な共産主義者の寄り合いセンターを設け、これを唯一の党として、共産主義者は当該国に於いてこの党の指針を下に活動し、その眼目として様々な労働者政党を陰に陽に牽引し、階級情勢を左傾化させることを指針させている。故に、各国独自の共産党創設を指針させておらず、むしろ戒めている。

 各国に於ける共産党の設立は党の自己目的化に繋がり、そのことによって党利党略に陥り易い。「宣言」はこの危険性について注意を促している。要するに、当該国々の労働者政党を「宣言指針」目的方向に牽引していく為に結集する「共産主義者の国際主義的組織同盟」の必要を指針させているように思える。この同盟は、各国における共産党の創設を意図していない。「宣言」の構図はそのようになっており、むしろ「世界各国の階級情勢の左傾化」こそを同盟の任務としているように思える。

 これらをあれこれ思えば、「宣言」は、正確には「国際主義的同盟共産主義者の綱領宣言」というべきであろう。これを言い回しの都合上手短にする際にどう訳すか、これが問われているのではなかろうか。

 れんだいこは、以上の観点より「共産主義者の宣言」とした。しかして、人をとるか党をとるかということに於いて、肝心の「共産主義者の国際主義的組織結党としての共産党」という語彙がない以上、党というよりは主義者の団結宣言という意味合いを強く認めて「共産主義者の宣言」とすることにした。

 その真意は、「宣言」を、「宣言」の趣旨に反してその後各国に創設された共産党を正統として、他の労働者組織に排他的に向かい合い、共産党を唯一のマルクス主義公認政党とせしめる為のバイブルにしてはならないことにある。史実はそのように機能したし、ロシア革命が生み出した産物であるコミンテルン運動の「一国一前衛党論」に基づき各国の共産党をして「我こそは正統のマルクス主義政党、唯一の共産主義者党」としての権威を振りかざせしめることになった。「宣言」の趣意からすれば有り得てはならないことである。

 それがよしんば「まがりなりにも正解運動」ならともかくも、例えば宮顕ー不破系党中央の日共運動を見よ。本来の「宣言」とは似ても似つかぬ運動をしているにも拘わらず、それを共産党と云う党名の権威で人民大衆をだまくらかし、元々反共の士が党中央を占拠し、造反有理の反対派党員を反共呼ばわりして罵詈雑言するという倒錯を常習化させている。この現実の非に対して、これを批判せんが為には余計に「共産主義者の宣言」とせねばならぬ。

 つまり、「共産主義者の宣言」と訳す意味には、それを「共産党宣言」と訳すことによって、世界各地に現存する共産党という党名を戴くだけの内実の伴わない共産党の正統的権威を付するためにのみ利用している、そういう意味での「宣言の形骸的利用を許さない」という義憤と決意が込められている。

 2004.1.29日、2006.6.13日再編集 れんだいこ拝


【「共産主義者の宣言」読み損ない考その2、文体考】

 「第7章 『共産党宣言』を読む(1) 」は、もう一つ貴重な考察をしている。それによると、「宣言」に至る過程として共産主義者同盟の第1回大会(1847.6月)時に作成された「共産主義的信条表明草案」、次に1847.10−11月に「共産主義の諸原理」が先行的に起草されているとのことである。但し、「草案」と「諸原理」は「問答体」で書かれているが、「宣言」は「問答体」になっておらず、文体上の決定的相違がある。その理由を詮索せねばならない。

 この文体の変更は、「共産主義的信条表明草案」は書記ヴォルフと議長シャッパーに手により、「共産主義の諸原理」はエンゲルスにより執筆されており、「宣言」はマルクスとエンゲルスの共著であるという単に書き手の主体の違いによって理解されるべきだろうか。「第7章 『共産党宣言』を読む(1) 」氏は、「なぜ『宣言』は、問答体という文体を放棄しているのであろうか。わざわざ文体に変更を加えている以上、何らかの理由があるはずである」と問い、「実は、マルクス宛のエンゲルスの手紙のなかに、この問いにたいする答えがある」と云う。

 1847.11.23日付けのエンゲルスのマルクス宛の手紙の中で、エンゲルスは次のように述べている。
 概要「信条のことをもう少し考えてくれたまえ。ぼくは、問答形式をやめて、それを共産主義宣言という題にするのがいちばんだと思う。その中では多少とも歴史を述べなければならないのだから、これまでの形式ではまったく不適当だ」。

 つまり、問答体は歴史の叙述に相応しくないという理由で、問答体の放棄を提案している、と云うことになる。

 もう一つの理由として、問答体は、一つには、キリスト教を「布教」するカテキズム(教理問答)として発達した文体でもあり(問答体には、古代ギリシアに端を発する別の伝統もある)、それは「上からの教え、下からの盲信」を促す癖を生じさせる。「宣言」は、プロレタリアートをして解放の単に対象とするのではなく、主体として措定している。端的には「労働者階級の解放は労働者階級自身の仕事であらねばならない」と語っている。

 これを踏まえれば、「問答体は誘導的になっているその方法が、議論を深めるのに不向きである」、「問答体は、プロレタリアートを解放の主体として捉えるマルクス主義の見地からすると、プロレタリアートの知育形成をむしろ阻害する恐れあり、故に相容れない」という理由から、問答体を放棄したという流れが見えてくる。

 さて、ということは、「宣言」には次のような意味が込められている事が判明する。「宣言」は、何度も何度も繰り返し読まれるべく書かれており、熟読吟味されるべく書かれており、読み手をしてその思案が深まるように書かれている。知識的にも論理的にも弁証法的認識においても歴史観においても当面の指針においても、読めば読むほど味が出るように書かれている。被解放主体のプロレタリアートの「自由、自主、自律的知育形成」を重視しており、その為にも「宣言に精通すべし」という仕組みになっている。

 してみれば、悪訳で意味不明瞭にさせ、なお且つこれを読ませない指導、日頃の党中央拝跪盲従型の党中央集権指導こそは、最も「宣言」を冒涜するものであろう。しかし、この作法が横行して久しい。これを偶然と見るべきか、能力不足と見るべきか、意図的故意の誘導の仕業と見るべきかは別として嘆息すべきであろう。

 2004.1.16日、2005.9.25日再編集 れんだいこ拝


【補足「共産主義の諸原理」の姉妹版としての「共産主義者の宣言」考】
 「共産主義者の宣言」と直前の「共産主義者の諸原理」との相関考が為されていないように思える。こたびれんだいこ訳本「共産主義の原理(共産主義者の信条草案)」をサイトアップした。この絡みで見えてきたことを記しておく。

 「共産主義者の宣言」は、「マルクス主義的左派運動の教典となるべく先行する『共産主義者の諸原理』をより深く論述したもの」と云える。ということは、「共産主義者の諸原理」の価値を何ら色褪せるものにはしない。むしろ、「宣言」は、「共産主義者の諸原理」の主張を一貫させたコンパクト版としての意義を有しているからして、「宣言」の生みの親としての「共産主義者の諸原理」の史的意義を確認すべきであろう。ところが残念な事にその「宣言」が読まれていない。しかも、意図的としか理解できない誤訳、悪訳が目に付く。今のところ時間が足りずできないが、これを追々検証しようと思う。

 日本の、恐らく世界でもそうであろうが、マルクス主義的左派運動は、何ゆえに「共産主義者の諸原理」、「共産主義者の宣言」を無視してきたのだろうか。れんだいこは、これは偶然ではなく意図的な故意過失により換骨奪胎せしめられてきたのではなかろうかと推測している。それはなぜか。やはり、マルクス主義の思想的理論的青写真的実践的有効性が凝縮されているが故に当局が許さず、日本の場合には戦前は発禁、戦後は改竄歪曲による色褪(あ)せを策動している故ではなかろうか。

 このことは二つのことを意味している。時の支配階級権力者は、「共産主義者の諸原理」、「共産主義者の宣言」が指針せしめる運動をそのままの形では認可しない。つまり、それを許容する度量はないということ。又一つは、歴史上現れた各国の共産党なるものは、「共産主義者の諸原理」、「共産主義者の宣言」が指針せしめる党運動とは別の「官許共産党運動」としてのみ公認せられ機能せしめられてきているのではなかろうかということ。故に、「自由、自主、自律」的な共産主義者の育成に決して向かわず、その逆のイエスマン党員育成に傾注する党中央を生み出してきているのではなかろうかということ。左派運動はその挙句今日のような衰退を招いているのではなかろうかということ。

 れんだいこが左派運動に対して抱いてきた違和感はこの辺りに真因があるのではなかろうか。してみれば、それを感知してきたれんだいこの感性はあながち的外れなものではなかった。それを証する知学が足りなかったが、今やインターネットがかなりな程度まで補ってくれるので有難いことこの上ない。というようなことを書き付けておく。

 もう一つ新たな問題が見えてきた。「共産主義者の宣言」とネオシオニズムとの接近性である。「共産主義者の宣言」の指針する国際主義的共産主義者党とネオシオニズムが結社する「シオン長老の議定書党」とは論理論法的に同床している。通俗マルクス主義派はこの事実を認めようとしないが、ネオシオニズムが国際主義的共産主義者党に接近し、「共産主義者の宣言」をネオシオニズムに都合の良い方向へ改竄し、悪利用してきたのは史実である。れんだいこのこの言に得心しない者が大方であろうが、れんだいこはかく認識している。

 その後のマルクス主義は、つまり今現に流布されている俗流マルクス主義運動は、ネオシオニズムにより改竄され下僕化された変質ものを流布させていることになる。元へ戻って、マルクスーエンゲルスがこの歴史的悪事をどの程度認識していたのかということにもなるが、「私はマルクス主義者ではない」と述べたマルクスの感慨には通常知られているよりもっと深い意味があったのかも知れない。

 2004.1.16日、2005.9.25日再編集 れんだいこ拝

【補足「共産主義者の宣言」と何をどう対話するのか】
 「共産主義者の宣言」は、生産者階級を真の社会の主人公とする為の解放の武器である。ここには、いくつもの重要な認識上の要点と実践上の留意点と未来青写真が提起されている。それを全て紐解けば限がないほどに叡智の坩堝(るつぼ)となっている。銘々がこれを学ぶに如かず、少なくとも「宣言」理解能力を得た能力者をして一人前と看做し、これらの士による喫急の課題に対しての、あるいは難解な解決事案に対しての議論と実践に取り組むのが生産効率的であろう。これはエリート主義でも何でもない。「共産主義者の宣言」がそれほど重要文献であり、左派運動のバイブルであることを指摘しているに過ぎない。

 以上を踏まえて、次の事案を特に議論対象としたいと思う。一つは、共産主義者の党運動としての他政党との関り方において、どうあるべきか。一つは、国内的な階級闘争の視点と国際主義との関り方において、どうあるべきか。一つは、民主主義運動をどう捉え、どう関わるべきか。一つは、愛国愛民族主義をどう捉えるべきか、一つは、戦後日本の政治構造を分析し、これにどう関わるべきか。これらについて、「共産主義者の宣言」を紐解きながら、マルクスならどう考えていたか、考えるだろうかを炙り出して見たい。

 ついでに、いつもの癖であるが、目下の日共運動が如何に本来のマルクス主義と敵対的な運動を組織しているのか、そうしたエセ運動を共産党という名と席を利用して振りまいているのか、その卑劣さを露見させてみたいと思う。この本質反共主義の連中によって、れんだいこをして反共主義者であると烙印し批判されるのは片腹痛過ぎる。ここの合意が為されれば、宮顕以来不破、志位に至るまでの一派の放逐も容易いだろう。この認識の共有がないから単に批判して事足りすぎている。

 この連中をのさばらせている限り、日本左派運動は、表からは資本権力により裏からはエセ運動により永遠に脳軟化症に苦しみ続けなければならないであろう。それは、日本民族の活力を失わせ、最後には国際金融資本の格好の餌食にされてしまうであろう。指をくわえたままそういう流れを見遣るのは、あまりに惜しい我が日本の人民史がある。これを愛せずには居れない。そう考え、拙いながら、れんだいこの体張り「共産主義者の宣言考」を綴って行きたい。

  2004.1.16日、2005.9.25日再編集 れんだいこ拝

【補足「共産主義者の宣言」に見る共産主義者の社会主義、共産主義運動の青写真考】
 「共産主義者の宣言」を読んでみて、要するにマルクスが云っていることは次のようなことではなかろうか。
 近代資本主義の増殖過程に対して、それがブルジョアジーの私的所有制に基づく限り、人と社会の本来の在り方の疎外をもたらすものであり、いつしか生産力発展の桎梏ともなり、つまり社会進歩の妨げになる時節を迎え、革命の嵐の洗礼を受けねばならぬことになる。

 目指すべきは、資本主義制度及び生産制度の矛盾解決の新時代へ向けての合理的社会化であり、それは当面、主要機関及び産業の統括とそれを範とするガリバー型民間事業による「官と民の棲み分け」、その他分野での人民的生産管理体制による社会的管理化促進を良しとする。社会主義運動とは、こういう新社会体制の創出に向かうことである。

 これを急進主義的にやるか漸次的にやるかは別として、マルクスはこのことをメッセージしているように思われる。この立場は究極国際主義に通じており、その行程は人類史上から搾取体制を放擲する為の史上未曾有の永続革命となり、これらは全て歴史法則に合致している。マルクス主義的共産主義者とは、この観点に立脚して運動を進める者を云うのであろう。

 2004.1.16日、2005.9.25日再編集 れんだいこ拝

【補足「共産主義者の宣言」に見る共産主義者とは何者か考】
 「共産主義者の宣言」を読んでみて、マルクスは共産主義者の要件を次のように述べている。
 「手短に言うと、共産主義者はどこでも、現存する社会的、政治的秩序に対するあらゆる革命的運動を支持する。こういう運動のすべてで、共産主義者は所有問題を、その時それがどんな発展度合にあろうとも、それぞれの運動の主要問題として前面に立てる」。

 これによれば、共産主義者は、社会の進歩を促す全分野で共同闘争を組み、「資本主義的な私有財産制を止揚させる共産主義革命」の旗を打ち振り続けることが、らしき在り方だとしていることが分かる。なお、共産主義者は、「所有問題の共産主義的解決」を一如何なる時点に於いても訴求するとも述べている。

 但し、「所有問題の共産主義的解決」とは何か。これを国有化論で押し進めたのがロシア革命の史実であるが、マルクスーエンゲルスの「所有問題の共産主義的解決」を「国有化論の要請」と受け止めるべきであろうか。これについては次項で考察することとする。

 れんだいこがもう少し解説してみる。
 マルクス主義的共産主義者は、あらゆる課題に優先して資本主義的私有財産制の廃棄に向う運動を組織し、その前衛として闘わなければならない。これが党派的利益であり、それ以外の利益を持たない。マルクス主義的共産主義者はここに立脚して戦略戦術を生み出さねばならない。それ以外の動きを為すものは、一つは歴史進歩に対する反動であり、一つは改良派であり、一つは良きせよ悪しきにせよ呪術的宗派に過ぎない。

 この見解に照らせば、「資本主義的私有財産制の廃棄」に向わない既成の共産党、人民党、労働党は、名称だけあやかっただけの全てエセ的なマルクス主義党派であることになろう。その実際は、良くてせいぜい革命的民主主義者であり、通常は体制改良主義者として位置付けられるものになろう。最近の在り様といえば、何と支配権力と裏から通ずるというエセどころかダマシの共産党さえ生み出してしまっている。

 そして、共産党員というのは、それが社会党員だろうと労働党員だろうと、このダマシのテクニックを身に付けただけの、本質から見て何らマルクス主義的共産主義者でない党員ばかり生み出している。恐らく、オツムの程度が似合って釣り合い取れているのだろう。れんだいこは、お好きにどうぞと一瞥するしかない。ただどうしてもお願いしたいことがある。どうか博愛ぶった知識ぶった清潔ぶった正義ぶりっこで近寄らないで欲しい。もっとも、それなしにはこの虚構は成り立たないけど。

 この気づきから、マルクスの指針せしめた理論の妥当性を今日的に問い、これを継承するのか、修正するのか、決別するのか、新創造するのか、如何にして新党派を創出していくのか、が現代的に問われているのではなかろうか。「共産主義者の宣言」を読み語るということは、この緊張感の中でこそ意義を持っているのではなかろうか。 

 2004.1.16日、2005.9.25日再編集 れんだいこ拝

【「共産主義者の宣言」読み損ない考その3、私有財産制問題考】
 「共産主義者の宣言」を読んでみて、マルクスの「私有財産制問題論考」は、もう少し深めてみる余地がある。マルクスの私有財産制廃棄理論には、過渡期論が想定されていると理解すべきだろう。そのことは、マルクスが2章「プロレタリアと共産主義者」で指針させた「革命の青写真」の5項「国家内の諸銀行の信用(クレジット)を中央集権化する。国家資本と排他的独占権を持つ国立銀行を通じて為される」、6項「通信、交通及び運輸機関の国家の手への中央集権化」、7項「国家に帰属する工場及び生産用具の拡大。未開拓地の開墾及び総合的な共同と計画による土地改良」で判明する。

 そこには、一元的国有化理論が打ち出されている訳ではない。むしろ、官業をベースにした民業との棲み分け理論であると窺うことが可能である。しかし、史上のマルクス主義派は、ここを読み誤った。史上のレーニン率いるロシア・ボリシェヴィキ革命は私有財産制否定こそ革命運動として生硬短兵急に私有財産制を否定し、市場主義経済を全否定し、諸事業を国有化することがマルクス主義革命であると誤解し、為にその種の「革命」政策を強行し、結果的に経済を大混乱に陥れた。やがてネップ時代を余儀なくされるが、その道中でレーニンの命脈が尽き、後継のスターリンはこの問題を処理する能力を持たず、国有化時代へ先祖返りさせてしまった。そういう訳で、私有財産制問題、市場主義経済を廻る理論的深化の機会を失ったことは不幸なことであった。

 そういう不幸な歴史経験を経て、今、「市場原理主義の生命力の強さ及び合理性」見直しが始まりつつある。マルクス主義の「国有化及び社会化理論」に対する市場原理主義との相克が最新理論的課題として浮上している。マルキストは、その全知全能を傾けて、「より合理的な生産力発展を導き出す手法としての社会主義的市場原理主義理論」を生み出す必要が迫られている。

 但し、それは、不破のように言葉だけ「社会主義的市場原理主義」を唱えつつ内実は資本主義的市場原理主義体制を是認させ、その修正を迫る運動に向うことではあるまい。それは理論的堕落の極みであり、不破の元々の反共性を物語るものでしかなかろう。こういう御仁に指導された日共は不幸の極みでもある。

 2004.1.16日、2005.9.25日再編集 れんだいこ拝

【補足「野坂参三予審尋問調書」に見られる共産主義理論考】
 「野坂参三予審尋問調書」に次のような記述がある。昭和4.4.2日の東京地裁での予審判事・藤本梅一の訊問「被告は入党当時日本共産党を如何なるものと思っていたか」に対し、野坂は次のように答えている。
 「結局、共産党とは、私有財産制度に基礎を置き国民大多数の搾取と支配とを目的とする資本階級独裁政治を変革し、労働者階級独裁を通じて人が人を搾取し、支配する事無き共産主義社会を建設する事を目的とする労働者階級の公然たる政党である、と思います。日本共産党もこれと同一目的を有しており、且つ国際的には第三インターナショナルの支部たるべきものである、と思います」。

 判事は、「そうすると共産党は私有財産制度を否認する事になるのか」と問う。これに対する野坂の答弁は次の通り。
 「共産主義は、労働者及び農民階級の搾取の為に使用さるる私有資本の撤廃を要求するものであって、個々人の日用品をも含める一切の私有財産を撤廃する事を目的としては居りませぬ」。

 判事は次に、「資本家階級独裁政治の変革と云う事は、君主制の撤廃を意味するのではないか」と問う。これに対する野坂の答弁は次の通り。
 「共産主義は、人民の意思から独立した支配権を認めないから、君主制の撤廃と云う事も資本家階級の独裁政治の変革という中に含まれて居ります」。
 
 野坂のこの返答には、当時の共産主義者の見解が要領よく語られていることに値打ちがある。「共産主義者の宣言」の内容をそれなりに的確に捉えているようにも思われる。但し、「共産主義者の宣言」当時には、国際的な第三インターナショナルはなく、従って各国共産党をしてその支部的位置づけは為されていない。なお、「共産主義者の宣言」は、国際的な共産主義者の組織の結成を宣言したが、個々の共産主義者に自国における共産党の創設を指示していたかどうか疑わしい。この点を除けば、野坂の解答は、「共産主義者とは何者なるか」につき、言い回しのあやはあるが模範的に習熟しているように思われる。付言しておくが、この認識と野坂の胡散臭さとは別の問題である。

 ちなみに、野坂龍の第3回訊問調書(昭和4.7.4日)には次のような遣り取りがある。
問い  「被告は共産主義とはどんなものと解していたか」。
答え  「共産主義を奉ずる共産党と申しますと、搾取も支配もない生産消費の社会化されたいわゆる共産主義社会の実現を理想とし、その過程として現在の資本主義制度を倒し労働者農民の独裁政府を樹立する事を目的とする政党であって、資本主義制度の根底を為す私有財産制度を否定するは勿論君主制の廃止も含まれるものと考えて居りました」。
問い  「共産党はその目的を実現する為に暴力革命が必要だと思っていたか」。
答え  「共産党は以上の如き目的を実現する為にはできるだけ暴力に依る事を避けねばならぬと思いますが、その時の情勢に依っては暴力革命もやむを得ぬ事だと思って居りました」。
問い  「無産階級解放運動と共産党の地位についてはどう考えていたか」。
答え  「無産階級のある処にはその前衛として運動を指導する党即ち共産党の存在は必要なものだと考えておりました」。

 野坂龍も胡散臭さのある人物であるが、当時の党幹部の党及びその運動観の水準が披瀝されている事例であることにより紹介した。今時の不破のひねくれた弁論のウソが暴かれよう。不破理論とシンパシーのある野坂及びその妻の弁明ゆえに面白く思い、敢えて紹介しておく。

 2004.2.1日 れんだいこ拝

【「共産主義者の宣言」読み損ない考その4、共産主義者の各国左派運動における関わり方考】
 案外考察されていないが、「共産主義者の宣言」には国内運動における共産主義者が採るべき態度が示されている。「本文二 プロレタリアと共産主義者(proletarians and Communists)」には次のように記されている。
 「共産主義者は、他の労働者階級の諸党派に対立するような別個の党派を組織するものではない。共産主義者は、全体としてプロレタリアートの人々と分離したりその一部でしかないような諸利益を持たない。共産主義者は、どのようなものであれ特殊(セクト的)な諸原則を提起しない。セクト的な諸原則は、プロレタリア運動をその型にはめこもうとするものである」。

 
「本文四、種々の抵抗党に対する共産主義者の立場」には次のように記されている。
 「共産主義者は、労働階級が直面している利害を擁護せんとして目下緊急の目的を達成するために闘う。しかし当面の運動の中にあっても、運動の未来を気にかけている」。
 「手短に言うと、共産主義者はどこでも、現存する社会的、政治的秩序に対するあらゆる革命的運動を支持する。こういう運動のすべてで、共産主義者は所有問題を、その時それがどんな発展度合にあろうとも、それぞれの運動の主要問題として、前面に立てる。最後に、共産主義者はどこでも、あらゆる国の民主主義諸政党との同盟と合意に向けて骨折り労を為す」。

 実践的に次のように指針している。
 「共産主義者はどこでも、あらゆる国の民主主義政党との同盟と協調に努める」。
 概要「共産主義者は、イギリスのチャーチスト運動、アメリカの農地改革派、労働階級党、社会民主主義、民主社会主義、急進派の人達や政党との関係について、批判的立場をとる権利を保持しつつ同盟関係に立つことを是認する。より具体的には、ドイツでは、共産主義者は、ブルジョワジーが絶対君主制、封建的地主階級、プチ・ブルジョワジーに対抗して、革命的にふるまっている限りで、ブルジョワジーと共闘している。ポーランド人のあいだでは、共産主義者は農業革命を民族解放の条件としている党派、すなわち1846年のクラカウの反乱をおこした党派を、支持する」。

 これによれば、共産主義者は、唯我独尊的な党派的運動を戒め、概要「究極的な絶対目的である資本主義的な私有財産制を止揚させる共産主義革命を引き寄せる為に必要な局面打開に一歩一歩取り組むことこそ肝要である」として、「階級情勢ないしは政治情勢の左傾化を運動の本旨とすべし」としていることが分かる。

 付言すれば、日共その他の自称左派運動は、マルクス・エンゲルスの指針せしめた「資本主義的な私有財産制を止揚させる共産主義革命」を放棄し(ここはまだしも)、唯我独尊的な党派的運動のみを吹聴しているが、それは全く非ないしは反マルクス主義的であることが判明する。

 これらを素直に読み取れば、よしんば国内に共産党という自身たちの党派を生み出すにせよ、セクト的な党派行動や「排除の論理」を厳しく戒めていることが分かる。理論及び実践において党派間の闘争が生じるのは、「運動の現在と未来に対する非和解的責任問題」が発生する限りにおいてであろう。平時においては「共に別個に進んで」何がおかしかろう。実践で競り合い、理論で闘争し合い、共同戦線化することこそ望まれているのではないのか。

 これを思えば、長らく日共を指導している宮顕−不破系党運動のセクト的な党派行動や頑なな「排除の論理」が異筋なものであることが分かる。本来、共同戦線を志向すべきものを統一戦線という「裏統制理論」を持ち込んだ経緯も精査されねばならぬ。それらが少しでも日本左派運動の前進に寄与したのならともかくも事実は逆ではないのか。宮顕−不破系党運動による日共党中央の座椅子からの変調運動は左派運動に対する幻滅を与えることのみに効があり、そういう誤解を意図的に生ぜしめている観さえある。れんだいこが一刻も早く打倒せねばならないと指摘する所以である。

 ところで、宮顕−不破系党運動は、お上に対しては穏和従順アリバイ式反対運動でお茶を濁す癖があるが、いわゆる「左」からの逆攻撃においては急遽戦闘的になり、局面の要所では「暴力的」にもなる。何も日共だけとは云わないが、左翼を仮面する連中による左派運動に対する敵対行為は許し難い。日本左派運動が、この連中を追い出すのは一級課題である。何の遠慮がいろうぞ。

 但し、付言しておくが、これらは大衆的に為されねばならないということだ。理論に於いても武闘に於いても乗ずる隙を与えないという用意周到さが必要であろう。共同戦線運動は、こういう時に力を持つものでなければ意味がない。直接的な暴力主義は邪道であり、却って宮顕−不破系党運動に乗ぜさせる隙を与えよう。

 2004.5.10日、2005.5.23日再編集 れんだいこ拝

補足【共産主義者の各国政治運動における関わり方考】
 「『共産主義者の宣言』読み損ない考その3」で、「共産主義者の各国左派運動における関わり方」を見てきたが、「共産主義者の宣言」にはもう一つ肝腎な論及が為されている。れんだいこは、次の一文を書き上げている。まずこれを参照する。
【「宣言」の指針する共産主義者の活動観点について】/れんだいこ/2004/02/26
 「 今時の『共産主義者の宣言』に何の価値があるのか、れんだいこが読み解く」
 marxismco/marxism_genriron_gensyo_sengen.htm

 「宣言」が指針せしめた共産主義者の活動観点は、今日の各国の共産党の活動の在り方と随分違っているように見える。ここでこのことを確認してみたい。「宣言」では共産主義者の活動観点をどのように示唆しているのだろうか。先述のれんだいこ論考「『宣言』の指針する共産党概念について」と重複するが、又別の面からの考察をしてみようと思う。

 「『宣言』の指針する共産党概念について」で、要約概要「『共産主義者の宣言』の第一章『ブルジョアとプロレタリアート』は、国際主義的共産主義者組織結党を指針させているが、各国において共産党を創立させて独自の党運動を指針している訳ではない。むしろ、そのような各国での共産党創設を忌避させているようにも受け取ることができる」ことを確認した。

 むしろ、要約概要「共産主義者は、闘争の様々な成長段階に相応しく対応し、@・常に且つどこにおいても運動全体の利益を代表し体現する。A・実践面ではもっとも進んだ自覚的な部門であり、前衛となって推進していく部門である。B・理論面では、プロレタリア運動の進むべき道筋や条件、究極の一般的成果をはっきりと理解している点で優れている者達である」としていることを確認した。

 この観点から、国際共産主義者組織の創設に向かったこと、「共産主義者の宣言」がその導きのバイブルであること、このバイブルと国際共産主義者組織を両輪にして、各国の共産主義者は「自国の革命」に邁進すべきこと、その際の「自国の革命」とは「それぞれの国々の一国革命を任務としつつ、その革命闘争が国際主義的に担われねばならない」ことを示唆している。つまり、「一国革命と国際主義の弁証法的関係付けを要諦とせねばならない」ことを見てきた。

 以上を踏まえて、共産主義者に具体的にどのような実践を指針せしめているのであろうか、について見ていくことにする。その後のマルクス主義運動は、ここのところの重要な指摘について見落したか、故意に捻じ曲げてきたように思われるので注意深く確認していくことにする。

 「共産主義者の宣言」は第二章「プロレタリアと共産主義者」の末尾で、「労働者階級による革命の第一歩は、プロレタリアートを支配階級の地位へ持ち上げること、民主主義を廻る闘争で勝利を収めることである。プロレタリアートは、政治的支配権を使って、ブルジョアジーから全ての資本を次第にねじ伏せるようにして奪い取り、支配階級として組織されたプロレタリアートの権力を使って全ての生産用具を国家の手の上に集中せしめるよう、意欲的に使うべきだ。そして、全生産能力を可能な限り急速に増大させるようにし向けねばならない」と述べている。

 これに続けて、「これらの方策は、勿論、国が異なればいろいろなものになるだろう。とは言っても、もっともすすんだ国々では、つぎの諸方策がかなり一般的に適用されるであろう」と前置きして、10項目の「革命青写真」を提起している(この10項目の内容については別章で考察することにする)。

 第三章の「社会主義者及び共産主義者の史的考証」で、復古的社会主義運動の反動的本質、小ブルジョア社会主義運動の日和見主義的本質、空想的社会主義および共産主義運動の未だ曖昧模糊な限界的本質、を解析してみせた後で、「種々の抵抗党に対する共産主義者の立場」の項で次のように述べている。

 「共産主義者は、労働階級が直面している利害を擁護せんとして目下緊急の目的を達成するために闘う。しかし当面の運動の中にあっても、運動の未来を気にかけている」と述べ、イギリスのチャーチスト運動、アメリカの農地改革派のような労働者階級党、フランスの社会民主主義者、スイスの急進主義的民主社会主義者党内左派、ポーランドの農業革命党、ドイツのブルジョワジーの近代化革命、等々に対する支持、擁護、共闘、同盟運動を指針せしめている。

 この際の共闘において肝心なこととして、「批判的立場をとる権利の保持」、「マルクス主義理論による労働者階級への理論的啓蒙の不断の徹底」の重要性を指摘している。ちなみに、これが「できない、しない、させない運動」が変調左派運動の特質である。

 その上で、「手短に言うと、共産主義者はどこでも、現存する社会的、政治的秩序に対するあらゆる革命的運動を支持する。こういう運動のすべてで、共産主義者は所有問題を、その時それがどんな発展度合にあろうとも、それぞれの運動の主要問題として、前面に立てる。最後に、共産主義者はどこでも、あらゆる国の民主主義諸政党との同盟と合意に向けて骨折り労を為す」と述べている。

 手短かにまとめたが以上が、マルクス・エンゲルスが指針せしめた共産主義者の活動の在り方の眼目である。他国の共産党運動の実態については詳しくは分からないが、少なくとも我等が日共運動(新左翼運動まで含め)が、如何にドロップアウト(逸脱)したところの運動を展開しているか分かりそうなものだろう。

 特に、戦後日本の、マルクス・エンゲルスから見たら恐らく「目も眩むプレ社会主義秩序」の登場に対して、これを擁護実質化目指して獅子奮迅の働きを為さず、徒にブルジョア規定して戦後の支配権力を手かせ足かせにしてきた「目も眩むプレ社会主義秩序」の意義を昂揚させず、戦後与党内のハト派とタカ派の対立も分析せず、一貫してただ単に左翼言辞にうつつを抜かしてきた有り姿を見れば、卒倒すべき似非マルクス主義運動ではなかったか。

 この点では、日本左派運動内右派も左派も同じ観点にいるように思える。但し、右派の方が更に輪をかけて階級的目線を保持せぬままの体制内化運動を展開してきただけに、根本的なところでその罪が更に大きいと云わねばならない。こういうところを再検証し直さねばならないのではなかろうか。いずれにせよ、マルクス主義は世界史上らしき姿では登場していない、というのがれんだいこ史観である。

 2004.2.26日 れんだいこ拝

補足【共産主義者のいわゆるハト派政権との関わり方考】
 上記文中、「共産主義者は、労働階級が直面している利害を擁護せんとして目下緊急の目的を達成するために闘う。しかし当面の運動の中にあっても、運動の未来を気にかけている」と述べ、イギリスのチャーチスト運動、アメリカの農地改革派のような労働者階級党、フランスの社会民主主義者、スイスの急進主義的民主社会主義者党内左派、ポーランドの農業革命党、ドイツのブルジョワジーの近代化革命、等々に対する支持、擁護、共闘、同盟運動を指針せしめている」を軽く読みすぎていないだろうか。れんだいこはこれが云いたく、ここで検証する。

 「共産主義者の宣言」のこの指摘によれば、共産主義者は、いわゆる左派運動、その諸団体との共同戦線運動のみならず、「運動の全体の利益」を考慮しつつ、社民的労働運動、同市民運動、ブルジョワ式近代化運動、民社運動、農民闘争等々に対して、「支持、擁護、共闘、同盟運動を指針せしめている」ことになる。

 残念ながら、「共産主義者の宣言」のこの指摘が全く読み損なわれているのではなかろうか。戦後左派運動特に日共運動は、「共産主義者の宣言」がきつく戒めた「我が党こそが唯一正統正義の党なり」とする観点から、この党派意識に陰に陽に依拠しつつ、政府与党権力に対してその動態的実態を何ら解析せぬまま十年一日の保守反動呼ばわり一辺倒で相対し、批判、反対、弾劾、粉砕運動を組織してきたのではなかったか。

 社民勢力に対しても「ご都合主義的統一戦線運動」を押し付け懐柔しようとし、より左の党派に対してエセ左翼呼ばわりしつつ「当局へもっと取り締まるよう」要請したりする。これらは全く馬鹿げた「共産主義者の宣言の悪用」ではなかろうか。というか、「新左翼運動取締り当局要請」なぞを何の恥じらいもなくできるところに、宮顕ー不破系党中央日共運動の白色運動性を認めるべきであろう。

 れんだいこの云いたいことは次のことである。戦後日本の政治の特質は、図式的公式主義的政府与党権力批判は間違いだったのではなかろうか。なぜなら、戦前の帝国主義的且つ軍部権力が蟄居を余儀なくされた状況の中から新しい支配者として登壇してきたいわゆるハト派権力は、プレ社会主義とも看做せる戦後憲法秩序を踏まえつつ世にも珍しい蓮華政治を遂行していたのではなかったか。

 ハト派は戦後直後よりほぼ三十年間余を戦後与党権力主流派として登場してきていた。このハト派の政治をも保守反動呼ばわりして一辺倒式の批判倒閣運動に取り組んだ戦後日本左派運動は果して正解であったのだろうか。今こそそれを問い直さねばならないのではなかろうか。

 2005年の今日、見るも無残な左派運動の低迷が有り、国際シオニズムに牛耳られた新タカ派権力が日本政治を壟断している。彼らは今や、日本を米英ユ同盟として表象される国際シオニズムに人身御供に捧げんとしている。新タカ派政治は、憲法改正、自衛隊の米英ユ同盟への傭兵化、その上での世界の憲兵的派兵、多重国債累積債務の野放し的膨張政策、日本経済への深刻なる打撃、優良企業の外資への売り渡し等々に精勤している。行き着くところ、日本はアジアのみならず世界からの嫌われ者としての道へ引きずり込まれ、利用し尽された挙句に放擲されるであろう。

 この迫り来る現実に対し、日本左派運動の「ハト派への徹底批判、タカ派への是々非々主義」が以下に馬鹿げた作用を持ったのか、今こそ深く非を悟るべきではなかろうか。れんだいこの読み取る「共産主義者の宣言」には、ハト派との是々非々主義、タカ派との徹底抗戦の道しるべしか見えない。それを逆にしてきた日本左派運動の愚昧さを如何にせんか。

 社民的労働運動、同市民運動、ブルジョワ式近代化運動、民社運動、農民闘争等々に対する態度も右同じで解析できよう。要するに、マルクスが創造せしめた歴史弁証法の観点を継承するのか、マルクス主義が深く戒めている図式硬直公式主義の観点に安住するのかの問題である。

 この問いかけ抜きに自分は左派であるといくら自認してみても、その空疎さは当然としてもむしろ犯罪的反動的な役割しか果していないなのではなかろうか。道理で、下手なマルクス主義をブル手合いよりも、歴史リアリズムに立脚した脱マルクス主義派の方が頼りになるのも理の当然むべなるかなというべきではなかろうか。

 20005.5.23日 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その48 れんだいこ 2005/05/19
 【ハト派の時代を慈しめー日本社会主義論の一定の根拠考】

 今から思えば、戦後日本を主導的に牽引した自民党ハト派系の本質は、日本的土着型社会主義とも言える世にも珍しい蓮華国家形成に資するものであったのではなかろうか。今日、そのハト派系が完全窒息し、タカ派系の全盛時代となった。それ故に見えてくる世界である。

 そのタカ派系は、「戦後日本は社会主義だった」として、「ハト派系が扶植した社会主義的諸要素を日本から払拭し、米国型という名のシオニズム的自由社会に純化させることを政治使命とする」としているように見える。小泉的構造改革論の本質は、この類のものであり、その限りにおいてイデオロギッシュであるのではなかろうか。

 森田実氏は、「日本は社会主義だ論」を屁理屈と見なして、「今までの日本が社会主義だったとする議論は間違いである。『中央官僚主導の国家資本主義』と見るべきだろう」と云い為している。森田氏の云わんとする眼目は次のことにあるようである。

 「日本のエリートは、米国指導層のマインドコントロール下におかれている。快楽と欲望を追い求める米国的生活は日本人には適さない。日本人は米国賛美主義を捨てて、日本的生活様式を求めるべきであると思う。日本人はもともと質素で堅実な生き方をする国民である。小泉首相と小泉構造改革の推進者がモデルにしているのは、米国型自由競争社会である。より具体的に言えばワシントン・ニューヨーク型社会である。弱肉強食の非情な競争社会である。小泉構造改革推進者は『優れた力のある者がその能力にふさわしい利益を得られないような(日本)社会なら、崩壊した方がよい』と語っている。これがエリートが考える米国流の生き方なのであろう。エゴイズムの達成を人生の目的にしているエリートの存在はまことに情けない。こんなのはエリートではない」(「米国的過剰快楽追求の風潮を憂う」)。

 れんだいこは、この見識にとやかく言うつもりはない。問題にしたいのは前半部分の認識である。森田氏は、戦後日本の再建過程を「中央官僚主導の国家資本主義」と見なしているが果たしてそうだろうか。「中央官僚主導の国家資本主義」なる規定は、確かにそうだが、今ひとつピントが合っていない気がする。

 その原因を尋ねるのに階級的視点がないということになるのだろう。れんだいこは思う。この件に関しては、タカ派系の「戦後日本は社会主義だった論」の方こそ案外と核心を射ているのではなかろうか。現代タカ派族は、ハト派が本質的に戦後日本の社会主義性を護持せんとしていることを見抜き、それ故にこれを憎むというイデオロギーに染まっている。ここに、ハト派とタカ派が徹底対決せざるを得ない要因があるのではなかろうか。

 「戦後日本は瓦解させられつつある」故に見えて来たものがある。想起して見よう。十分とはいえないが、教育、医療、年金、最低限生活の保障、失業手当等々に見られる社会保障制度、重要産業の公営企業化、公共事業への精力的取り組み等々は、「世界に誇れる質」のものではなかったか。

 れんだいこは、「共産主義者の宣言」を訳してみて改めて知った。末尾の「当面の青写真」で提起されている社会秩序は、戦後日本がその通りだったのではなかろうか。詳しくは、「本文2 プロレタリアと共産主義者」
 (marxismco/marxism_genriron_gensyo_sengen_
ikkatubun.htm)末尾に記している。

 田中角栄の政治的業績に一貫して社会基盤整備が認められる。これを土建国家論として悪し様に云う者が幅を利かせているが、れんだいこ史観に拠れば、社会基盤整備こそマルクス主義的唯物弁証法的実践の賜物である。巨万の大言壮語、空理空論よりは確実に日本社会主義の下地を整備していくものである。

 このことを知る故に、戦後日本を主導的に牽引した自民党ハト派系の支持勢力は彼らを支持してきていたのではなかろうか。してみれば、真に賢かったのはこちら側の大衆たちではなかったか。金権力により大衆も官僚も丸め込み、支持を獲得したなどという論で安住できる者は、自身の論の安普請性を知る必要があろう。

 今日、崩壊した社会主義圏のその後の動向、居残った社会主義諸国のそれを見るに、いわゆる市場主義社会主義へと転換しつつある。これをよくよく思案すれば、戦後日本は当たり前の如く市場主義に立脚しており、加えて官業と民業のバランスも良く運営してきていた。何の事はない、「戦後日本」こそがそのモデル足りえているのではなかろうか。となると、戦後日本は、今日的社会主義運動の「先取り社会」であったのではないのか。

 「戦後日本」は、新憲法秩序の下で主権在民、議会制民主主義、基本的人権の尊重、社会的生存権の確保、非軍事平和愛好、国際協調主義等々の上に立脚した市場主義社会主義を逸早く実践してきた稀有なる実験蓮華国家であった、のではなかろうか。

 この観点からの種々の考察はこれからである。しかし、こうみなすことにより新たな視野と展望が切り開かれるのではなかろうか。今のところ、この史観はれんだいこの独眼流かも知れない。しかし、この観点が受け入れられる下地は十分にあると自負している。これが、「宮顕論」、「角栄論」、「戦後日共運動論」を経由し辿り着いたれんだいこの結論である。

 こうなると、日本左派運動の不毛と消耗性は、ここのところで認識違いをし、戦後日本を主導的に牽引した自民党ハト派系のそれをも保守反動視して、いたずらな敵対を繰り返してきたことにあるのではなかろうか、ということになる。それは、「共産主義者の宣言」の読み損ないでもあろう。

 中でも、宮顕―不破系日共党中央の自民党ハト派系と徹底対決し、タカ派糸とは是々非々路線で親和するという趣向こそ、宮顕―不破系日共党中央のとんでも性を物語っている。性悪い奴は悪い奴と組むという法理が見えてくる。れんだいこには、かように漸く見えて来た構図がある。

 してみれば、既成の歴史観、諸理論は一切あてにならない。今や、日本左派運動が歩むべきレールを一から敷設し直さねばならない。これを分かりやすく説き明かすことがれんだいこの評論的使命かも知れない、そう考えている。

 加藤寛・氏は、次のように述べている。「(結局のところ)日本は市場経済の国ではなく、計画経済・社会主義経済の国だ。日本は、共産党の代わりに官僚機構が支配統制する『最も成功した社会主義国家だ』。そういう側面を強く感じた」(2005.5.17日付日経新聞「私の履歴書」、加藤寛bP6)。

 加藤寛はかく述べ、戦後日本の社会主義性を覆すためのイデオローグとしてその後随所で活躍していくのであるが、敵ながら否敵故に事態を的確に捉えているというべきではなかろうか。

 2003.12.5日、2005.5.19日再編集 れんだいこ拝

Re:れんだいこのカンテラ時評その49 れんだいこ 2005/05/23
 【戦後ハト派はどう位置づけられるべきか】

 れんだいこは、「れんだいこのカンテラ時評その48 ハト派の時代を慈しめー日本社会主義論の一定の根拠考」で、戦後政府与党政治を一時期ながらも主流派として形成したハト派の見直しを主張した。

 最近2チャンネル辺りにれんだいこ評として「何で左派であるものかは」的批判が飛び交っている。その根拠は、れんだいこが、木村愛二氏や太田龍・氏を評価すること、南京大虐殺事件を否定すること、百人斬り事件捏造説を唱えること、田中角栄を評価すること等々が挙げられている。

 もっと挑発的に述べれば、ホロコースト捏造説を唱え、シオンの議定書ホンモノ説も加えて主張したとしたら、連中は卒倒するのだろうか。ついでにヒトラー狂人説否定論も入れようか。アンネの日記捏造説もどうだ。

 非難轟々を我が身に引き受ける用意があるから、論には論で批判してみよ。今述べたことは、総てれんだいこ論文集の中に入れてある。つまり、れんだいこの方はすでに論を提示している。宮顕論からはじめ新日和見主議論、不破論、大東亜戦争論その他等々総て論として提起している。

 さて、戦後与党政治を一時期ながらも主流派として形成したハト派の見直しにより、ハト派とは是々非々で行くべきであったと立論することは、左派運動がバイブルとする「共産主義者の宣言」(れんだいこは、「共産党宣言」と訳さない)と如何に整合するのだろうか。

 気になって、「『共産主義者の宣言』読み損ない考」(marxismco/marxism_genriron_gensyo_sengen_neuthico.htm) を見直ししてみた。かなりの分量になっており総てを推敲し直すことはできないが少し書き換えた。「共産主義者のいわゆるハト派政権との関わり方考」を書き加えてみた。

 眼目は次のことにある。マルクス、エンゲルスが、戦後日本国憲法とその下位法からなる法体系秩序と、それを曲がりなりにも遵守しつつ政局運営していた政府与党ハト派の政治に接したら、どういう態度を採るべきと主張したかにある。

 宮顕ー不破系日共党中央のように、ハト派の総帥田中角栄の議員辞職、政界徹底追放を指針させたであろうか、というところに関心が移る。今日でも、新旧左翼を問わず、ハト派の総帥田中角栄を「諸悪の元凶」と看做しての議員辞職、政界徹底追放こそ溜飲を下げるとして支持する見方がある。果して、これがマルクス主義運動なりしや、という思いがれんだいこにはある。

 もし仮に、マルクス、エンゲルスが世にも不思議に再臨したとして、田中角栄とその政治を絶賛し、角栄の政界追放は反動的悪行であると非難したとしたら、世の自称マルクス主義者は何という口ぶりをするのだろうか。我こそはマルクス主義者である、マルクスよお前は本当のマルクス主義者ではない、お前の論は間違っていると難詰するのだろうか。

 れんだいこの眼には、こういうマルクス主義者が見える。否、連中はもはやマルクス主義をどんどん変造しており、マルクス主義とは名ばかりの否今では名も科学的社会主義と書き換えておるからして、マルクス主義は骨皮筋エ門と化している。その上で、かっての民社党のその更に右派的見解を恥ずかしげもなく共産党の権威でもって主張している。

 こうなると何が何だか分からなくなってしまう。その癖、党名は変えない、党中央の座イスからは何としてでも降りないという。捲土重来を耳タコになるまで聞かせてくれる。党員支持者は相変わらず、党中央の云う事はその通りとして取り巻き支持している。

 こうなると稀代のサイコパス首相小泉純一郎を批判することもできまい。なぜなら、批判するその論法で、お前はどうなんだと云われたら逃げ出すしかできないだろうから。一時万事がそうなる。そういう訳で、許された範囲内での反対屋稼業しか為す術がないのもむべなるかな。道理で、腹に力の入らない口舌で口をパクパクさせるしかできないのもむべなるかな。

 あっ又ここへ論が来た。これを云いたかったのではない。日本左派運動は、戦後与党権力を形成したハト派をどう位置づけるべきか、これを論ぜねばならない、これが云いたかった訳だ。これはかなりユニークな提案であるが、非難轟々の栄誉に与るだろうか、それとも相変わらず万事黙殺されたまま推移するのだろうか。

 2005.5.23日 れんだいこ拝

【「共産主義者の宣言」読み損ない考その5、民族主義と国際主義の相関関係如何考】
 共産主義者は、国内の階級闘争と国際主義をどう結合すべきか。これを「『共産主義者の宣言』に見る民族主義と国際主義の相関関係如何考」と課題設定し、「共産主義者の宣言」に記された文言を検証してみる。該当個所を挙げながらこれを咀嚼してみる。

 「本文1、ブルジョアとプロレタリアート」の稿で次のように記している。
 「内容においてではなく形式上は、プロレタリアートとブルジョワジーとの闘争は、まずは国内闘争である。個々の国のプロレタリアートは、もちろんなによりもまず、自国のブルジョワジー相手に諸問題の片をつけなくてはならない」。

 これによれば、階級闘争は、それぞれの母国で、「一国的なプロレタリアートとブルジョワジーとの闘争」が当然視されていることになる。にも拘わらず、れんだいこの知る限り特にブント系運動内に於いて一国的な運動を排する国際主義理論が幅を利かせてきた現実がある。これは「読み誤り」に起因しているのではなかろうか。

 「本文2、プロレタリアと共産主義者」の稿で次のように記している。
 「異なる国々でのプロレタリアの国内闘争において、共産主義者は、全プロレタリアートの共通の、一切の民族主義に左右されない利益を全面に押し出しつらぬく。労働者階級のブルジョアジーに対する闘争の様々な成長段階において、共産主義者は常に且つどこにおいても運動全体の利益を代表し体現する」。

 これによれば、共産主義者は、一国内的な階級闘争を推進しながらも、その目線は常に高く広く「一切の民族主義に左右されない国際主義」の観点を持って対処していくことが要件とされている。つまり、「共産主義者の宣言」が指針させているのは、「相互に一国的な国内闘争を盛り上げ、且つ国際主義的に担うべし」とする弁証法的連動運動であり、「一国主義か国際主義か」という二者択一式のものではない、のではなかろうか。これを当たり前という勿れ、実に、ここの読み間違いで多くの活動家が運動を費消させてきた歴史があるのだから。

 次のような言説も為されている。ブルジョアによる「共産主義者はさらに、国家(祖国、country)と民族性(nationality)を廃止しようと望んでいる」との非難に対して次のように反論している。
 「労働者は国家(祖国)を持たない。持ってもいないものを、取り上げることなどできない。プロレタリアートは、なによりもまず、政治的支配権を獲得せねばならない。国家の支配階級にまで成り上がらねばならない。自らが国家として、更に云えば、言葉上ブルジョワ的な意味とは又違うそれ自身が国家的なものとして形成されねばならない」。

 これによれば、労働者階級は「国内の階級闘争を和合ないし解消するような意味での、ブルジョアジーと共有し得るような国家(祖国)などない」ということを指摘していることになる。然しながら、国家そのものを否定している訳ではない。それは、階級矛盾のない状態で死滅していく運命にあるが、それまでは「自らが国家として、更に云えば、言葉上ブルジョワ的な意味とは又違うそれ自身が国家的なものとして形成されねばならない」という意味において理解せねばならない。

 更に、次のようにも述べられている。
 「少なくとも文明諸国の指導による共同活動は、プロレタリアート解放の第一条件の一つである。他の者によるある個人の搾取をなくしていけばそれに応じて、他の国によるある国家の搾取も終息する。国家内の諸階級の対立が消滅して行けばそれに応じて、ある国家と他の国家との間の敵対関係もまた終焉するはずである」。

 これによれば、「他の者によるある個人の搾取」を揚棄する社会体制の創造が、「国家内の諸階級の対立の消滅」につながり、ひいては「ある国家と他の国家との間の敵対関係もまた終焉する」と述べていることになる。そういう一切の原基的なものとして、「資本主義的な私有財産制を止揚させる共産主義革命」の必要を説いているというスタンスであることが分かる。

 末尾はこうである。
 「万国のプロレタリア団結せよ!」

 もはや解説不要であろう。

 以上から、「『共産主義者の宣言』に見る民族主義と国際主義の相関関係如何」を考察するに付き、次のように総括できるのではなかろうか。第一に、各国人民は、まずそれぞれ自国階級闘争に取り組むべし。第二に、自国の階級闘争において、共産主義者はその他進歩的勢力との共同闘争を辞さず、その目的を隠さぬ形で先進的に担われるべし。第三に、各国の階級闘争は相互に連動していることを知るべし。第四に、各国の階級闘争は国際主義的に連帯し、共同闘争を組むべし。

 ここに認められるのは、透徹した「革命の弁証法式運動」であり、一国主義、国際主義、国際指導組織、革命の根拠地づくり、共産主義党派の独善性、議会主義、大衆闘争等々が孤立して独自に叫ばれている訳ではない、ということであろう。主観的にマルクス主義運動やってるつもりでも、「革命の弁証法式運動観」からかけ離れた党派運動、大衆運動、労働運動は、マルクス主義者のそれではない。そのことを確認すべきではなかろうか。

 思えば、れんだいこが感じた戦後左派運動に対する違和感とは、もっともなものであり、このマルクス主義的観点からあまりにも逸脱していることに対する漠然とした疑問ではなかったか。しかし、それを証する知識を持たなかった故に沈黙せざるを得なかった。しかし、こうして、「共産主義者の宣言」の翻訳をものして原文の真意を確認した以上、次のように云う事を何を憚ることがあろうか。世にある自称マルクス主義的左派運動ないしその党派運動は、何らマルクス主義的なものではないと。

【マルクス主義的「民族主義と国際主義の在り方論」とシオニズムの関係如何考】
 さて、このマルクス主義的「民族主義と国際主義の在り方論」をこれだけで終わるとすると、十分でないように思える。これについては、マルクス自身さほど言及していないのではないかと思われる。唯一、「ユダヤ人問題について」で本格的に論ぜられているのかも知れないが、れんだいこはまだ読みきっていない。和訳本がないのが残念の極みである。どなたか是非翻訳して下さり、我々の啓発に一役買って欲しい。

 れんだいこは何を云おうとしているのかというと、近代から現代に至るまでの歴史に顕著なユダヤ民族主義的シオニズムの動向について言及せずんば片手落ち過ぎやしないか、ということである。今や、明らかにネオシオニズムが世界を席捲しつつある。ネオシオニズムの勃興と発展の様は、マルクス主義のそれよりも力強く、マルクス主義が衰微したのに比して、ネオシオニズムは今まさに意気軒昂である。これをそれとして観ずしては現代史を語ることはできないだろう。

 では、ネオシオニズムとは何か、それに答える。れんだいこによれば、「ネオシオニズムとは、ユダヤ民族を最良の選良民として他の諸民族を下位に序列化し、彼らが支配する政治経済文化体制を世界基準として押しつけようとする文明の波運動」ということになる。目下、米国大統領ブッシュを押し立てて強権政治を振舞うネオコン一派は、明らかにネオシオニズムの戦略戦術計画書「アジェンダ」に基づいて意図的に世界に干渉を開始している。

 思えば、ネオシオニズムの流れこそ、近現代史に隠然と且つ公然と影響力を行使しつつある最強のベクトルではなかろうか。これに比すれば、マルクス主義的階級闘争は過去も今も、その下位に甘んじているようにさえ思われる。それが証拠に、ネオシオニズム体制下でも、投降主義的合法主義政党として共産党が認められており、利用されている。

 それが現実ならば、この情況に言及しないマルクス主義なぞあり得て良い訳がない。れんだいこの関心は、マルクス主義が遂にネオシオニズムに抗することができず、歪曲されつつ敗退していった要因にある。マルクス主義とは所詮そこまでのものでしかなかったのであろうか。

 補足しておくが、れんだいこは、ユダヤ民族主義そのものを弾劾しようというのではない。その急進主義一派であるネオシオニズム、その横行を許容しているユダヤ民族主義を俎上に乗せねばならないと考えている。今や、世界各国は、つまりはその下にある各国人民大衆は、彼らの愛玩になるか、手下になるか、家畜になるかの選択を突きつけられようとしている。金融支配が、そのローラー役を務めているように見える。

 これに対するれんだいこ見解を樹立せずんば、「民族主義と国際主義の在り方論」は完結しない。その前に、マルクス、エンゲルス、レーニン、トロツキー、毛沢東等々のお歴々がこの問題を如何に論じていたのか知りたい、というのが目下のれんだいこの心境である。

 2004.1.18日 れんだいこ拝

毛沢東の愛国民族主義と国際主義考(「共産党運動の民族主義と国際主義との摺り合わせ考」より)】(れんだいこ、2004/02/15)
 中国建国革命の指導者毛沢東は、1938.10月、「民族戦争における中国共産党の地位」の中で次のように述べている。

 「国際主義者である共産党員が、同時に愛国主義者でありうるか。われわれは、ありうるばかりでなく、そうあるべき|だと考える。愛国主義の具体的内容は、いかなる歴史的条件のもとにあるかによって決まる。日本侵略者やヒトラーの『愛国主義』もあれば、われわれの愛国主義もある。日本侵略者やヒトラーのいわゆる『愛国主義』にたいしては、共産党は断固反対しなければならない。日本共産党員とドイツ共産党員は、かれらの国家の戦争にたいして敗北主義者である。あらゆる方法を用いて、日本侵略者とヒトラーの戦争を敗北に終わらせることが、日本人民とドイツ人民の利益である。敗北が徹底的であればあるほどよい。……なぜならば、日本侵略者とヒトラーの戦争は、世界の人民をそこなうばかりでなく、自国の人民をもそこなっている。中国の状況はちがう。中国は侵略されている国家である。

 したがって、中国共産党員は愛国主義と国際主義を結びつけなければならない。われわれは国際主義者であると同時に愛国主義者である。われわれのスローガンは、祖国をまもり侵略者に反対するために戦え、ということである。われわれにとって、敗北主義は罪悪であり、抗日の勝利をかちとる責務は、他人には依頼できない。なぜなら、祖国をまもるために戦ってこそ、侵略者をうちやぶることができ、民族の解放をかちとることができるからである。民族の解放をかちとってこそ、プロレタリア階級と勤労人民の解放が可能になる。中国が勝利するなら、中国を侵略している帝国主義者が打倒されるなら、それは同時に外国の人民を助けることになる。したがって、愛国主義は民族解放戦争における国際主義の実行である」。

 この文章は、紅衛兵の赤い本「毛主席語録」の「18.愛国主義と国際主義」の最初の節に記されている。毛沢東は、このような論理により、「中国共産党員は国際主義者であると同時に愛国主義者でもありえるし、そうあるべきだ」と論じている。

 れんだいこが思うに、毛沢東のこの観点つまり「愛国民族主義者を基盤にした国際主義者」的観点こそ「共産主義者の宣言」で表明されているマルクス主義者の立場ではなかろうか。ところが、史実は何時の頃よりか、マルクス主義の国際主義が愛国民族主義と対立するような形で提起されるようになった。今日では、愛国民族主義を標榜すれば即反マルクス主義的にみなされる事態に陥っている。

 そうではないのだ。愛国民族主義を排外主義的に自国利益優先の帝国主義的手法でこれを為す事に最も果敢に闘い、もう一つの愛国民族主義を押し出し、これを国際主義的に連携せしめていく運動を創出するのがマルクス主義者なのではないのか。

 むしろ、自称マルクス主義者が愛国民族主義の見地を放棄することにより、愛国民族主義が政府反動の専売特許にされてしまった。人民大衆はもう一つの愛国民族主義の支えを失う事によりやむなく支配階級側の唱える愛国民族主義に組織されてしまった。この構図を批判すべきではないのか。

 我々の戦前の大東亜戦争に対する観点も未だにこの不毛に汚染されている。極力暗黒史観で映し出す事により、善悪二元論的な総括で済ませてしまっている。そして、これを強く打ち出せば打ち出すほど左派的な証しであるかのような競争に捉われている。それは何らマルクス主義の観点では無かろうに。少なくとも、あの時代の諸矛盾を踏まえねばならないだろうに。

 そういう意味で、毛沢東の1938.10月、「民族戦争における中国共産党の地位」における発言は大いに参考になろう。事実、この観点に依拠する時代の毛沢東派の戦闘は常に有益有効であった。しかるに建国後、変調歪曲されたスターリニズム式マルクス主義を受容していくに従い毛沢東の事跡は精彩を失っていく事になる。それはともかく以上のことを書き付けておく。

 2004.2.15日 れんだいこ拝

【「共産主義者の宣言」読み損ない考その6、ブルジョワ革命とプロレタリア革命の相関考】
 「共産主義者の宣言」は、ブルジョワ革命とプロレタリア革命の相関について次のように記している。
 「共産主義者はその注意を主にドイツに向けている。なぜなら、ドイツが、ヨーロッパ文明のもっと進んだ状態の下で、また17世紀のイギリスや18世紀のフランスよりももっと発展したプロレタリアートをもって行われるブルジョワ革命の前夜にあるからである。それにまた、ドイツでのブルジョワ革命は、その後直ちに引続くプロレタリア革命の序曲でしかないからである」。

 これによれば、「プロレタリア革命の序曲」としてのブルジョワ革命を推進し、それはプロレタリア革命へと「その後直ちに引続く」ものとして構想していることが分かる。且つ、西欧においては、ドイツ、フランス、イギリスを主とする国々の「連動的な革命運動」が常に視野に入れられていることも分かる。

 留意を要すべきは、「宣言」には、マルクス主義運動は何が何でもブルジョワ革命を経由せねばならず、然る後にプロレタリア革命へ移行せねばならない、とは記していないということである。この指摘は存外大事である。コミンテルン運動は何時の頃からか「二段階革命論」を定式化させた。それは、「共産主義者の宣言」の読み誤りか、悪意による改竄でしかなかろう。

 ここに書かれている「プロレタリア革命の序曲としてのブルジョワ革命推進」は、当時の西欧情勢を分析した状況論を記しているのであって、革命派が権力を握ればいつでもプロレタリア革命へ向うべきだろう。だがしかし、その際のプロレタリア革命とは、ブルジョア民主主義のそれよりももっと内実豊かなプロレタリア民主主義を目指すもので無ければならない。

 史実は、マルクス主義派が権力を握って発生させたのは、ブルジョア民主主義発生以前の王朝制ないしは封建制の方であった。これは、歴史の歯車を逆行させた訳であり、相対的にブルジョア民主主義制の方が社会主義制よりも優れているとの論の跋扈を許すことになったのは不幸なことであった。

【「共産主義者の宣言」読み損ない考その7、議会制民主主義考】
 もし、マルクス主義のアキレス腱を論(あげつら)うなら、マルクスも含めてかどうかまでは吟味できていないが、イタリア・ルネサンス以降の反封建的反キリスト教的イデオロギーによる「文明開化の波」に対する無自覚さであろう。なるほど、マルクスは、長女ジェニーのいくつかの質問に答えた際に、好きな詩人として「シェイクスピア、アイスキュロス、ゲーテ」を挙げている。そのゲーテは、イタリア・ルネサンスの良き理解者であったことを思えば、間接的ながら「文明開化の波」の洗礼を受けていたに違いない。

 回りくどい云い方をしているが、要するにこういうことが云いたい訳である。近代的議会制民主主義は「文明開化の波」の落し子であり、マルクスは、その階級闘争論と共に近代ルネサンスの成果をも汲み取る観点を生み出すべきであったところ、これにどうやら失敗しているのではなかろうか。近代的議会制民主主義をもブルジョアジーの階級支配の道具として見なすあまりに、「文明開化の波」的側面を見損なっていたのではないのか。

 従って、後続マルクス主義者は、マルクス的階級闘争論とルネサンス的産物による近代的議会制民主主義の板ばさみの中で理論的継承せねばならないジレンマに置かれた。彼らの良質部分は、「文明開化の波」的側面を見つつマルクス主義者足らんとした。これに対し、10月革命を成功裡に導くことで権威を増したロシア・ボリシェヴィキマルクス主義は、理解を持たなかった。レーニンの修正主義批判は理論的には勝利してみたが、現実は常に折衷的となり、混乱ばかり増していくこととなった。

 もっとも、「文明開化の波」派マルクス主義者はその多くが、大概にして時の支配権力に屈服しあるいは野合しあるいは内通し、戦時には排外主義的愛国主義者として立ち現れることになったので、レーニン的修正主義批判は尤もなことであった。しかし、それでも更なる理論的考察の余地は残っている。「文明開化の波」派マルクス主義者にして、マルクスの指針せしめた資本主義制度の私有財産的在り方を社会財産的在り方に改変せしめていく且つ向自的共同戦線派にして国際主義的運動派が創出されたならば、これをどう評価せんか。

 れんだいこに云わせれば、議会制民主主義考は、このセンテンスで為されるべきではないか、ということになる。なるほど「議会制民主主義」は超階級的なものではないかも知れない。しかしながら、「議会制民主主義」はブルジョアジーの階級支配の道具というだけではなしに、彼らをも拘束される厄介な政治制度でもあるのではなかろうか。特に、戦後日本社会に具現した民主主義機構及び制度は、それを単に議会主義、代行主義という枠内でのみ捉えるのではなく、それが総体として能力的に持っているところを見ればプレ社会主義とも云える制度であり、これを護持発展いよいよますます実質化させていく方向での運動が有り得るのでは無かろうか。

 だから今、我々は憲法を護憲せよと叫んでいるのではないのか。その手械足枷を外そうと懸命なのは反動ブルジョアジーの方では無いのか。しかし、なし崩し的にその暴力が強行的に為され続けているのは、これに反対する側の理論の貧困によってももたらされているのではないのか。ましてや、共産党という党名の指導部が、かくして生み出された違憲的制度に対しても、「有るものは有るものとしてそろそろ認めよう、その解決は将来に任せれば良い」などという言辞を弄びながら裏から補完し続けているご時世に有っては、早急にマルクス主義者の側からの反撃が為されねばならないのではないのか。

 その為にも、ひょっとしてマルクスをも又欠落させていたところの「文明開化の波」的歴史の歩みの「正」の面を評価し直さねばならないのではなかろうか。そんな風に考えているが、これ以上にはまだ言葉にはならない。

 2004.1.18日 れんだいこ拝

【「宣言」の指針する共産党概念について】 れんだいこ 2004/02/13
 「『宣言』の指針する共産党概念について」の考察も案外と為されていない。現下の日共は本家意識で権威ぶり、決しておのれたちではない戦前の党員の捨て身の活動歴を財産に他を睥睨し続け、人民的大衆運動の盛り上がりの火消しをしてきた史実があるが、そもそも連中の理論と実践のどこが変調なのか考察してみたい。

 「宣言」を熟読すれば判明するが、マルクス、エンゲルスは「共産主義者の宣言」で、国際主義的共産主義者組織結党を指針させているが、この組織加盟者がその支部的位置づけで自国での共産党を創立するよう指導している訳ではない。むしろ、そのような各国での共産党創設を忌避させているようにも受け取ることができる。

 では、実際にはどのように呼びかけていたのか、「宣言」の文句を拾い出ししてみる。典型的には、第二章「プロレタリアと共産主義者」の冒頭で次のように書かれている。「共産主義者は、他の労働者階級の諸党派に対立するような別個の党派を組織するものではない」。

 しかし、究極のところこの文言は、各国での共産党の創設を示唆しているのか否定しているのかにつきはっきりしない。そこで、他の文言を援用して確認していく必要がある。

 「共産主義者が他の労働者階級の諸政党から区別されるのは、ただつぎの点だけである」として、その二で「労働者階級のブルジョアジーに対する闘争の様々な成長段階において、共産主義者は常に且つどこにおいても運動全体の利益を代表し体現する」と書かれている。同じような記述で「だから、共産主義者は、実践面では、あらゆる国の労働者階級の党のもっとも進んだ自覚的な部門であり、全ての他の者達の前衛として推進していく部門であり、理論面では、大多数のプロレタリアートよりも、プロレタリア運動の進むべき道筋や条件、究極の一般的成果をはっきりと理解している点で優れている者達である」とも書かれている。

 しかしこれらも、各国での共産党の創設を示唆しているのか、労働者階級の諸党派の中での最左派的な活動を指針させているのかはっきりしない。そこで、他の文言を援用して確認していく必要がある。

 しかし、共産主義者としての目的や活動の仕方について言及しているものの、「国際主義的共産主義者組織結党とその後の各国共産党との相関関係」について明確に述べている箇所は見当たらない。「宣言」冒頭の「今や絶妙のその時を迎えている。共産主義者は、政治的なその見解、その目的、見通しを全世界のまえに公表すべきである。そして、共産主義の妖怪談に党自身の宣言を対置すべき時である」も然りで、各国共産党の創設を指針させる文言ではなかろう。

 判明することは、「この目的のために、さまざまな国籍の共産主義者がロンドンに集まって、次の宣言を起草し、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、フランドル語およびデンマーク語で発表することにした」ということであり、これは国際主義的共産主義者組織の結党の呼びかけとそれが実現したことを知らせるものであろう。

 つまり、「国際主義的共産主義者組織の結党」が指針されていることのみが分かるということである。その意味では、第一インターナショナル、第二、第三のそれはマルクス主義的試みの果実であろう。

 我々は、この確認から何を思慮すべきだろうか。れんだいこが思うに、マルクス、エンゲルス段階のマルクス主義運動は、「国際主義的共産主義者組織の結党」が展望しうる精一杯の段階であったのであり、その次の段階におけるそれぞれ自国での共産党創設に向かうという課題は「将来に委託」されていた。つまり、その時におけるマルクス主義者が解明すべき課題とされており言及するに及ばずとの構図であったのではなかろうか。

 従って、思えば、レーニンが第三インター(コミンテルン)を創出し、各国に共産党の創設を呼びかけたことまでは「宣言」の範疇内かも知れない。ある意味でそれは、その時代の共産主義者が為した偉業であった。しかし、その時にコミンテルンと各国共産党との関係はどのように位置づけられていたのであろうか。これを解明する必要がある。

 レーニン没後のスターリン派とトロツキー派との抗争を経てスターリン権力樹立後の国際共産主義運動は、「コミンテルン本部、その支部としての各国共産党」的位置づけの下で展開されるようになったが、果たしてこれはマルクス主義的であったのかどうか、ここから捉え返さねばならないのではなかろうか。

 れんだいこ史観に拠ると、スターリニズム段階になると、マルクス、エンゲルスが構想していた国際共産主義者運動から大きく逸脱しているのではなかろうか。

 史実は、ここの問いかけを為しえないままに、その後の共産主義者は何の疑いも無く「コミンテルン本部、その支部としての各国共産党」的位置づけでの国際共産主義運動に埋没していった。その心情においては真紅の革命精神が横溢していたが、それは近代精神を経由しその限界を止揚せしめる運動体としてのマルクス主義ではなく、むしろ復古的な中世的王朝制度へ先祖帰りせしめられた権威主義的国際共産主義運動という総枠が変調な非又は反マルクス主義運動でしかなかった、のではなかろうか。

 「コミンテルン本部、その支部としての各国共産党的位置づけ」も然り、民主集中制という名の強権的中央集権政体も然り、党と政府の一体制、満場一致、反対派排除、分派・離党者征討、指導者の偶像崇拝化も然り、特権的新官僚層の形成も然りではなかったか。

 その結果が、無残なスターリニズム運動史となって最終的にソ連邦及びその衛星圏の解体までたどり着くことになった、のではないのか。れんだいこ史観に拠れば、上部構造の復古的な中世的王朝制の弊害が遂に経済的停滞をもたらし、他方で軍事防衛費用の膨大な支出を垂れ流し続け、問題がはっきりしてきたにも関わらず何らの有効な処方箋を生み出す事ができなかった、ところに真因があるように見える。

 教訓的には、マルクス主義が本来豊潤に持ち合わせていた「自由、自主、自律」的な共産主義者の結社化運動という眼目を取り払ったならば、つまりそれぞれが共産主義者としての粋を目指すという視点を失ったならば、それは「画竜点睛」を欠いており、又は「仏作って魂入れず」の単なる作り物であり、後々首尾よくならない、ということではなかろうか。

 以上から云えるのは次の事である。我々は再度マルクス、エンゲルスの「共産主義者の宣言」時点での、「国際主義的共産主義者組織結党の意義とその党員の自国での活動の在り方」を廻って、どうあるべきか再考察し直さなければならない。よじれた糸を解きほどき結び直さなければならないのではなかろうか。それでもうまくいかないのなら何度試みても失敗するのなら、マルクス主義そのものに何らかの欠陥があると云わねばならない。

 この両観点から「国際主義的共産主義者組織結党と各国共産党との相関関係考」を為す事が望まれているのではなかろうか。れんだいこは、これが現代マルクス主義運動の第一級的課題となっているように思っている。この肝要課題の理論的実践的解明に向かわないままの「真紅の革命精神」は同じ轍を何度も踏むことになるだろう。

 2004.2.12日 れんだいこ拝

 唯我独尊 蓼食う虫 2004/02/13
>以上から云えるのは次の事である。我々は再度マルクス、エンゲルスの「共産主義者の宣言」時点での、「国際主義的共産主義者組織結党の意義とその党員の自国での活動の在り方」を廻って、どうあるべきか再考察し直さなければならない。よじれた糸を解きほどき結び直さなければならないのではなかろうか。それでもうまくいかないのなら何度試みて>も失敗するのなら、マルクス主義そのものに何らかの欠陥があると云わねばならない。

 「宣言」が草稿された時は、革命を成就し、社会主義国として実際に国家を運営した経験はなかった。社会主義国を建設した国と、まだ闘争過程にある共産主義者との関係が推測の域をでないのは当たり前でしょう。当然、ありもしない経験から教訓を導き出すことはできない。

 従って、ロシア革命が、新しい条件での始めての経験であり、国家運営における、権力を手中にした共産主義者と各国共産主義者との関係の歴史の始まりとみなすべきと思います。しかるに、それらの相互の関係はロシア革命から今日まで、86年間の歴史の実践のなかにある。功罪を含め、複雑、且つ、破壊的とも思えるほどの経験を提供している。社会主義国と帝国主義との関係、社会主義国と社会主義国との関係、社会主義強国と第三世界との関係、社会主義国陣営と資本主義列強のとの関係、社会主義国の崩壊、再び帝国主義列強の争奪戦、そして、これらが実在する中での、各国共産主義者の活動経験を総括する中にこそ「国際主義的共産主義者組織結党の意義とその党員の自国での活動の在り方」があると思います。

 「万国の労働者は団結せよ」共産主義運動は、国際的な政治潮流となってきたし、なっている(今は、ちょっと疑問?)共産主義運動にはそれぞれの国の特殊な条件に規定された、特殊な運動の進め方があった。これ等の特殊な運動の数々の共通項、普遍性にこそ、守るべき原則があり、原則があるからこそ国際的政治潮流とよべると思います。

 守るべき原則と特殊性の認識のもとに、おおいに相互批判をおこなうべきであり、共産党相互間の公然たる論争なくして、国際潮流にはなりえない。日本共産党が「内政不干渉」「独自路線」と称し、「唯我独尊を原則」に共産主義運動の原則と特殊性を意図的に混同させるのは犯罪行為だといえます。

Re:唯我独尊 れんだいこ 2004/02/13
 蓼食う虫さん皆さんちわぁ。

> >以上から云えるのは次の事である。我々は再度マルクス、エンゲルスの「共産主義者の宣言」時点での、「国際主義的共産主義者組織結党の意義とその党員の自国での活動の在り方」を廻って、どうあるべきか再考察し直さなければならない。よじれた糸を解きほどき結び直さなければならないのではなかろうか。それでもうまくいかないのなら何度試みて>も失敗するのなら、マルクス主義そのものに何らかの欠陥があると云わねばならない。

> 「宣言」が草稿された時は、革命を成就し、社会主義国として実際に国家を運営した経験はなかった。社会主義国を建設した国と、まだ闘争過程にある共産主義者との関係が推測の域をでないのは当たり前でしょう。当然、ありもしない経験から教訓を導き出すことはできない。

 それはそうです。但し、プルードン、バクーニンらいわゆる無政府主義者との「連携と抗争」に思いを致せば、少し幅が広がるかなとも考えております。

> 従って、ロシア革命が、新しい条件での始めての経験であり、国家運営における、権力を手中にした共産主義者と各国共産主義者との関係の歴史の始まりとみなすべきと思います。しかるに、それらの相互の関係はロシア革命から今日まで、86年間の歴史の実践のなかにある。功罪を含め、複雑、且つ、破壊的とも思えるほどの経験を提供している。社会主義国と帝国主義との関係、社会主義国と社会主義国との関係、社会主義強国と第三世界との関係、社会主義国陣営と資本主義列強のとの関係、社会主義国の崩壊、再び帝国主義列強の争奪戦、そして、これらが実在する中での、各国共産主義者の活動経験を総括する中にこそ「国際主義的共産主義者組織結党の意義とその党員の自国での活動の在り方」があると思います。

 そうですよね。そういうところに理論と実践生み出すのが本当の能力だと思うのですけれども、権力握ると何やらふんぞりかえってしまった面があるように思います。マルクス主義ではそれを腐敗というのだと思います。

> 「万国の労働者は団結せよ」共産主義運動は、国際的な政治潮流となってきたし、なっている(今は、ちょっと疑問?)共産主義運動にはそれぞれの国の特殊な条件に規定された、特殊な運動の進め方があった。これ等の特殊な運動の数々の共通項、普遍性にこそ、守るべき原則があり、原則があるからこそ国際的政治潮流とよべると思います。

 ふむふむ。
>
> 守るべき原則と特殊性の認識のもとに、おおいに相互批判をおこなうべきであり、共産党相互間の公然たる論争なくして、国際潮流にはなりえない。日本共産党が「内政不干渉」「独自路線」と称し、「唯我独尊を原則」に共産主義運動の原則と特殊性を意図的に混同させるのは犯罪行為だといえます。

 ホント「唯我独尊の永年執行部体制」つうのは反マルクス主義(言葉の真の意味で反共的)であり、「不破式内政不干渉理論」は不快なものです。しかし、その詐術にコロッとやられてしまう方も方なんだきっと。

【「共産主義者の宣言」読み損ない考その8、革命青写真考】(れんだいこ、2004/02/27)
 「共産主義者の宣言」は第二章「プロレタリアと共産主義者」の末尾で、「10項目の革命青写真」が提起されている。驚く事に、それぞれ短文のこの部分でさえ驚くべき誤訳、悪訳が為されている。我々は、この現象をどう了解すべきだろうか。

 それはさておき、「10項目の革命青写真」とは次の通りである。
土地所有を廃止し、全ての地代の分配を公共目的に充当する。
重い累進税又は等級制所得税。
あらゆる相続権の廃止。
全ての国外移民者(亡命者)及び反逆者の財産没収。
国家内の諸銀行の信用(クレジット)を中央集権化する。国家資本と排他的独占権を持つ国立銀行を通じて為される。
通信、交通及び運輸機関の国家の手への中央集権化。
国家に帰属する工場及び生産用具の拡大。未開拓地の開墾及び総合的な共同と計画による土地改良。
労働に対する万人の平等な義務。産業軍の編成、とくに農業の為のそれ。
農業と近代産業の結合。国中の民衆に対するより平等な分配を通じての都市と農村の差異の漸次的解消。
10 公教育の場での全児童に対する無料教育。現在の形態での児童の工場労働の廃止。教育と産業的生産との結合、等々。

 なお、「共産主義の原理」でも同様の指針が為されており、両者を比較考量しながらこの政策の概要を確認していくことにする。次のように指針されている。
その1  土地については私有財産制を廃止する。全域が占有権ないし賃借権的なものになり、地代が課され、これが税収化される。
 (れんだいこがコメント) いわゆる国有化というのは、この土地制度において適用されている節がある。
その2  市場経済及び企業活動は是認されるが、その所得に対して重度累進課税、等級制所得税が課され、これが税収化される。
 (れんだいこがコメント) 未来永劫にわたってかどうかは別にして、「市場経済及び企業活動は是認される」ことが前提にされていることはもっと注目されて良かろう。
その3  財産相続については重度の相続税が課され、ないしは相続権が廃止される。
 (れんだいこがコメント) 「共産主義の原理」では「重度の相続税の賦課」となっており、「宣言」では「相続権の廃止」となっている違いが認められる。しかしいずれも、身の回り的個人的財産、一身専属的企業活動及びその所得及びその財産については認められているが故の規定であることは相違なかろう。
その4  海外亡命者及び国家反逆者の国内財産が没収される。
 (れんだいこがコメント) 「宣言」でも「全ての国外移民者(亡命者)及び反逆者の財産没収」と同様規定がある。この規定は、亡命者ないし国家反逆者を誰がどういう基準で認定し裁くのかで問題が残されているように思える。
その5  国立中央銀行の創設により、貨幣と信用の中央集権化を図る。その合理的規制下で民間金融及び銀行が機能する。
 (れんだいこがコメント) 中央銀行を国家が管理し、その合理的指揮監督圏内で民間銀行が活動することが期待されているように理解できる。
その6 通信、交通及び運輸機関の国家の手への中央集権化。
 (れんだいこがコメント) 「共産主義の原理」では「国家の手に全ての運輸機関を中央集積すること」とあり、それが「国家の手への中央集権化」と書き換えられている背景には、国立中央銀行と民間銀行との関係に倣い、国立の交通機関、通信機関と民間企業との「合理的共存下での共生」が指針されているのではあるまいか。
その7  国営企業及び事業の漸次的広域化推進。
その8  労働に対する万人の平等な義務制。国土総合開発計画に基づく産業特に農業の発展。
その9  農業と近代産業の結合。都市と農村の差異の漸次的解消。
その10  公教育の場での全児童に対する無料教育。現在の形態での児童の工場労働の廃止。教育と産業的生産との結合。
その他  「共産主義の原理」では、公営大規模共同住宅の建設、安普請住宅の建て替えについても言及されている。

 これが、「宣言」が指針させている「革命の青写真プログラム」である。決して絵空事の規定ではなく、有り得べき合理的指針ないし規定ではなかろうか。俗に云われる「財産共有制としての国家所有」、「私企業禁止による国営企業」、「教育に対する国家の一元管理」、「宗教抑圧ないし統制」なるものは指針されていない。

 ということは、「宣言」において指針されていないものを後続マルクス主義者がこれがマルクス主義の要諦であるなどとして採用し、それが破綻したと見るやマルクス主義は間違い式の論難が横行し、この認識が世間に通用している、という構図が見えてくる。

 これを居酒屋談義でやるのなら構わないが、どっかの学識者なる権威を添えてやられるから我々は騙される。れんだいこもこのワナに捕縛されてきた。しかし、ふとしたことから気づきを得、今や「宣言」の自力翻訳を試み、「共産主義者の諸原理」をも渉猟して次のことを確認するところとなった。

 「後続マルクス主義者のマルクス主義はマルクス主義というよりは、己の頭脳の背丈に合わせてとらえたマルクス主義であり、何ら根拠はない。にも拘らずかような恣意的なマルクス主義観が史実を汚染してき、これを強く主張する者がよりマルクス主義的なる倒錯を流布させてきた」ということである。

 れんだいこが云いたいことはもう一つある。慧眼の士にはもうお分かりであろう。この「10項目の革命青写真」に、「軍事路線放棄その代わりとしての絶対平和国際協調主義」、「象徴天皇制」が加われば、戦後憲法の指針する体制秩序そのものではなかろうか、ということが云いたい訳である(ごく大雑把ではあるが)。

 興味深いことに、「戦後憲法の指針する体制秩序」は、その後の日本を稀有なまでに経済発展せしめる理念的総路線となり、これが見事に奏功し世界史上未曾有の歴史的経験を打ち立てたことである。それはまさに、マルクスによって提起された「全生産能力を可能な限り急速に増大させるようにし向けねばならない」手法としての「革命の青写真プログラム」の正しさを証左していないだろうか。

 マルクスの提起したこの「革命の青写真プログラム」から逸脱した変調社会主義体制を敷いたソ連邦体制は建国50年未満で遂に挫折崩壊し、残る少数の自称社会主義国が残存するものの今もっていずれも苦闘中である。中国、ベトナムはいずれも経済開放政策への転換を志向しているが、今度は多年にわたって形成してきた新官僚制がその桎梏となりつつある。

 これらを見て「マルクス主義は絵に描いた餅であった」と総括されているが、だがしかし事はそうは単純に総括できない。戦後日本を見よ、かの国での歴史的偉業こそ「共産主義者の宣言」段階のマルクス主義の見事な実践であり、この理論の有効性を証左している、との観点の余地を残している。

 確かに、戦後日本は、政府及び政権を自民党ハト派系が掌握し、この戦後保守主流派が政局を指導する限りにおいて未曾有の成果を生み出していた。むしろ、社会党がいわゆる教条に捉われることなく、マルクス主義の視点より「戦後日本の質の高さ」を確認し、是々非々路線を採用していったならば、つまり上手に餅をついていったならば、更に憲法路線の実質化を推進していったならば、更に未曾有の、良い意味での世界に脅威なる国家建設が為されていた可能性がある。

 日共については云うのも馬鹿馬鹿しい。「10項目の革命青写真」政策を曲がりなりにも推進しようとしていた自民党ハト派系と徹底対決し、この政策の解体屋でしかないタカ派路線とは是々非々し、この政策遂行の重要なパートナーで有り得る可能性を持っていた社会党と共闘という名を借りて常に裏から分裂策動し続けてきた歴史がある。

 戦後左派運動全体の利益を考慮せず、左派運動本家意識の下で独善的にして統制的な運動を繰り広げてきた。新左翼は、日共の変調性を衝いて見たが、日共路線を左派運動圏域に措定した上で、反帝・反スターリニズムなるピンボケ批判で糊塗してきた。どれもこれも認識間違い、というのがれんだいこ観点である。

 だがしかし、戦後日本のその後は「ロッキード事件」以降の政界激震を経て、戦後保守主流派の真性ハト派系が蟄居を余儀なくされて以来、(この認識が全く共有されていないが)対極的なタカ派つまり中曽根系米奴大国主義派が権力を掌握するに及び、戦後発展の歯車を一つずつ解体し始め、お陰でというべきか戦後総路線はズタズタに破壊させられてきた。この間、日本左派運動は為すすべも無く議会専一運動に落としこめられ、お笑いなことにその議会闘争さえ後退し続けてきているという経緯を見せている。

 その挙句が一蓮托生式左右からの挟撃による国家衰退運動の完遂であり、我が国家に辛うじて戦後総路線の果実が残されているとは云うものの、もはや治癒し難き国家累積債務の落とし穴に投げ込まれている。いつIMF管理下に置かれてもおかしくない国家主権の喪失状態にある。にもかかわらず、与野党問わず右派左派問わず「今さえ良ければ」式の権力亡者達によって集団的な実態隠蔽工作が行われ、その分一見大過なく過ごしている。

 が、この虚構は早晩白日の下に晒されることになるであろう。この時、誰が進駐軍として到来してくるのかまでは明かされていないが、そのシナリオは着々と進行しているのは間違いない。小泉という馬鹿殿は大いに利用価値があるという点で重宝にされるているのも間違いない。

 自衛隊のイラク派兵なぞは、「日本の国家的解体、米英ユ勢力への傭兵化計画」シナリオに沿う暴挙であり、断固として粉砕しきらねばならないであろう。早い話、「10項目の革命青写真総路線に戻せ。それが日本再建プログラムである」ということになる。

 更に話を進めれば、戦後日本は、軍事防衛予算にカネをつぎ込む愚を避け、社会資本整備の公共事業に予算をあてがってきた。それは「正」政策である。今や、公共事業が機能停止させられつつあり、それと呼応して軍事防衛予算費用が積み上げられつつある。

 「不要な道路」などがどこにあるのか分からないが、不要の最たるものは軍事防衛費であり、ここを叩く声を弱くして「不要な道路批判」の時にオクターブを上げる党派がいるとしたなら、党名は何であれその実態は売国的極右政党以外の何者でも無かろう。

 以下、 「『共産主義者の宣言』が青写真させた未来社会及びその政策について」参照の事。

 2004.2.27日 れんだいこ拝

【「共産主義者の宣言」読み損ない考その9、左派的能力考】
 これはれんだいこならではの卓見かも知れない。一般にマルクス主義運動であろうがなかろうが、反政府ないし反体制運動側と時の支配階級ないしその体制側との間には、知力、具体的運動実践において熾烈な抗争が介在しているのではなかろうか。これを仮に「能力」と云うことにする。問題は、反政府ないし反体制運動側の方が時の支配階級ないしその体制側よりも能力が優れているときに革命情勢が訪れ、逆の場合には次第に丸め込まれる、という関係にあるのではなかろうか。

 史上成功した数少ない革命の場合、反政府ないし反体制運動側の指導者及びその党派の能力が優れており、それ故に革命的情勢を手繰り寄せ、成功裏に推移させることができた。反対に、いわゆる先進国革命論を弄ぶ連中についぞ成功例がないのは、この運動圏に優れた指導者及びその党派が不在ということに規定されているのではなかろうか。

 目下の我々を取り巻く状況はほぼ典型的な後者の例であろう。この苦汁沈痛に思いを馳せない自称インテリ運動の何たるくだらなさよ、と悲憤慷慨するのがれんだいこ観点である。 

 してみれば、レーニンの名言として知られる「革命的情勢到来の時期指標」に於ける1・搾取され圧迫された大衆がこれまでどおりに生活ができないということを意識して変更を要求し始める。2・搾取者(支配階級)がその支配をこれまでのようなやり方では支配を維持することができなくなる。3・大衆の独立の歴史的行動としての革命的昂揚。革命は、全国民的な(被搾取者も搾取者をもまきこむ)危機なしには起こり得ない。これらに加えて、4・反政府ないし反体制運動側の能力が支配階級ないしその体制側のそれよりも優れている、という項目が付け加えられるべきではなかろうか。

 2004.1.20日、2006.6.13日再編集 れんだいこ拝




(私論.私見)

 ヘーゲルの正・反→合の「合」を手にするために「対立」「敵対」関係を作り出す手法は、ロスチャイルドが雇って書かせたとされるマルクスの資本論、共産主義にも用いられていることは既に一般庶民レベルでも知るところとなっている。