れんだいこの「共産党宣言」和訳考

 更新日/2024(平成31.5.1栄和改元/栄和6)年11.29日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 「共産党宣言」の自力の翻訳を手掛けて判明したことであるが、「共産党宣言」の正訳は、「共産主義者の宣言」とする方がより正しい。「共産党宣言」なる訳は、現下の世界各国に投降主義的合法化で存在している共産党にお墨付きを与えるようなニュアンスを持つ。つまり、ただネーミングだけであるが、各国共産党にご都合主義的に利用されている気配がある。マルクス、エンゲルスの宣言した内容は、現存の各国の共産党とは似ても似つかぬものである故に、れんだいこは識別を促すためもあって「共産主義者の宣言」と書き換えようと思う。

 最近になってマニュフェストなどという言葉を良く聞くが、その衝撃的にして最初に世を撃ったのは何を隠そう「共産主義者の宣言」だろう。この「共産主義者の宣言」に比すれば、近頃のマニュフェストなど児戯に等しい。しかし、この本物の「共産主義者の宣言」が読まれていない。もっとも既存の訳本では読んでも通じない。とにかく、読む前からの分かったような批判するな、それがこたびのサイトアップの真意である。

 「共産主義者の宣言」は、左派運動のバイブルである。それは、キリスト教やユダヤ教の聖書ほどには分厚くない。簡にして要を得た綴りで世界の左派運動の起点を明記している。今日でもこんこんと湧き出る知恵の源泉であり、頼りになるのはいつでもこの宣言(マニュフェスト)である。そういう役割を持つ「共産主義者の宣言」が哀しいことに読まれていない。

 その翻訳も精査されていない。肝心なところでの誤訳、意訳し過ぎ、乱訳が目に付く。その癖、エンゲルスの解説や注記を挿入して正確を装うている。しかし、その為非常に読みにくくしており、本来格調の高い論旨のリズムを壊している。これらの仕業は単に間違いなら許せるが、意図的としか考えられない。思うに、白い心で紅い世界へ入ってきた者による為にする悪意の為せる技であろう。こういう手合いに限って著作権に煩い癖を持つが、既成翻訳の有り姿こそ著者マルクス、エンゲルスの著作権を侵害しており、顔に泥を塗る行為と云えよう。そういう訳で、自称インテリ達の「偽の友」的小賢しさのみが見えてくる。れんだいこはもはや座視できない。

 そこで、れんだいこ訳に向う。参考にしたのは、「マルクス・レーニン主義文献デジタルテキスト」所収の「共産党宣言」、永江良一氏訳出の「共産党宣言」、英語訳の「The Communist Manifesto」その他である。特に、永江氏の訳文が参考になった。ですます調の文体は継承しなかったが、こみいったところの訳出で知恵をお借りした。市販品の誤訳も適宜に訂正しており、その価値が高い。これがなかりせば、れんだいこ訳は生み出しえなかった。更に検索していくうちに、「『共産党宣言』の翻訳を研究する」に出くわした。これも大いに参考になった。

 目下は、上記訳出本を暫時借用し、次第にれんだいこ訳に切り替えていく予定である。当分の間、英語訳を適宜に挿入しておくことにする。いずれ、れんだいこの和訳一括文、英独和比較対照文、既成市販品の誤訳個所の検証サイト等々を作ろうと思う。本サイトの特殊意義は、かく公開した以上、この線より以下の解釈学は通用しなくなったところにあろう。学ぼうとする者はいつでも、本サイトを傍らにおいて手元の学習本の嘘を暴けばよい。

 なお、訳出に当たっては、読みやすくするために任意に漢字変換を行い、引用元、参照本の紹介についても著者名、著作名のみ記すあるいは省く等簡略にした。同様の趣旨から句読点、洋数字変え、段落替えもれんだいこ風に簡略にした。地文にある解説手引用番号を極力削除している。なぜなら、原文はある格調をもって書かれていると思うから、その雰囲気を重視することにした。正確には上記テクストないし原本に当たるべし。
 2004.1.10日再編修 れんだいこ拝

Re:私の案を示しますRe:れんだいこの和訳癖が止らない/れんだいこ/2004/01/14
 れんだいこは目下、マルクス、エンゲルスの「共産党宣言」を和訳している。もう少しで完訳しそうだ。分かったことは、既成の訳本をいくら読んでも理解できないだろう、それほど滅茶苦茶に翻訳されているということである。これは、訳者の能力不足が原因だろうか。普通はそう考えられるが、れんだいこは意図的に誤訳、滅茶苦茶訳されていると思っている。それほどに投降主義的合法主義党として純化している公認左派党派は汚い手を使っていると思っている。

 それはともかく、れんだいこは若い頃、「共産党宣言」始めマルクス関係本を何度か読んでも意味が分からなかったことに対して、自身の能力不足を訝っていたが、そうではなくて分からないほうが賢者であったことが分かって可笑しくなった。それにしても、市井の賢者の読解力には舌を巻く。よくぞ分かってこれたもんだとふふふ。

 それはそうと、興味深い次の一文に出くわしました。2004.1.13日付け日経新聞「私の履歴書」にJ・K・ガルブレイスの12回目の手記には次のように書かれている。
 「フォーチュンでの経験もあって、私はわかりやすい英語で説明できないことはないという強い確信を持っている。経済学の論文には難解なものが多いが、これはテーマが難しいからではない。十分に考えた上で書いていないということに原因がある。あるいは、不十分な考えを悟られまいとしてわざわざ難しく書いているのだ」。

 実にそういうことであろう。

 2004.1.14日 れんだいこ拝




(私論.私見)