前衛党論

 (最新見直し2009.5.23日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、前衛党の在り方を廻る諸問題を確認しておく。

 
2009.5.23日再編集 れんだいこ拝


【マルクス主義的意味での党と革命の関係とは】

 マルクスは、党を正しい理論の上に建設することを格別重視していた。マルクス主義的観点により、これを導きの赤い糸として諸見解が生み出され、党の全ての文献上の所産に貫かれることを期した。次のように述べている。

 「党によって成功に導かれた革命などあった試しはない。革命を成功させるのは、人民だけである」。

 エンゲルスは、1871.9.21日の協議会会議で次のような演説をしている。

 概要「問題は、どういう仕方で政治に携わるか、どういう政治に携わるかである。革命とは政治の最高の行為である。革命を欲する者は、その手段をも欲しなければならない。すなわち、革命を準備し、革命のために労働者を教育する政治活動をも欲しなければならない。それが無い限り、労働者は闘いの翌日には必ずファーブルやピアのような手合いにたぶらかされてしまうだろう。但し、我々が携わらなければならない政治は、労働者の政治である。労働者党は、何らかのブルジョア政党の尻尾としてではなく、独自の目標と政策を持つ独立の政党として建設されねばならない」。

 「ドイツ・イデオロギー」では、革命運動の意義について次のように述べている。

 「この共産主義的意識の大衆的な創出のためには、事業そのものの達成の為に劣らず、大衆的な規模での変化が必要なのであるが、それはひとえに実践運動・革命の最中でしか進展し得ない。それ故、革命は、支配階級が他のいかなる方法によっても打倒されえないから必要なのだけではなく、打倒する階級が、革命の真っ只中でしか、染み付いた古垢をそぎ落として、社会を新たに築く能力を身に付けることが出来ないという理由からしても必要なのである」。

共産党とプロレタリアの関係

 1848.2月に執筆された「共産主義者の宣言」(通称「共産党宣言」)で、共産党とプロレタリアの関係を概略次のように述べている。

その一 【労働者党の一つに過ぎない】
 「共産党といえども、労働者党の一つであって、特別の党ではないし、特殊な宗派的な原理を掲げて、プロレタリア運動をその型にはめようとするものではない」。
その二 【国際主義の称揚】
 「共産党が他の労働者党と異なるのは、プロレタリアの様々な一国的な闘争において、国の別に関わりないプロレタリア全体の共通の利益を強調し、主張する」。
その三 【革命運動全体の利益の代表者】
 「共産党は、プロレタリアとブルジョアジーとの闘争が経過する様々な発達段階において、常に運動全体の利益を代表する」。
その四 【前衛機能】
 「共産党は、労働者階級の闘争の諸条件や一般的な結果を理解している理論的な面と国際的な全世界の労働者階級の立場と利益を代表し、その闘争を断固として堅持する実践的な主体たろうとする。その面から共産党は、他のプロレタリア大衆に先んずることになる、すなわち前衛としての機能を持つ」。

 等々。これらを踏まえれば、共産主義者の結集体としての共産党は次のように規定されることになる。

 「共産党は大衆的な労働者政党であり、国際主義の見地に立って、革命運動全体の利益の代表者として、前衛的能力と機能を持って闘う党である」。

 「検証内ゲバ」では、前衛概念について次のように述べている。
 「前衛とは元々軍事用語であり、本隊に対立する概念である。本隊が主力であり、前衛の基本的な機能は本隊に敵味方の情報を的確に提供することにある。ところが社会運動の世界では、本末転倒して前衛が革命の主体・主力であり、大衆はその指導を受ける受身の存在とされる傾向が強い」。

 「共産主義者の宣言第二章、プロレタリアと共産主義者」の中では次のように述べられている。
 「共産主義者は、実践的には、すべての国々の労働者党のなかでもっとも断固とした、つねに前衛的な部分であり、理論的には、プロレタリア階級の集団にまさって、プロレタリア運動の条件、進行、および一般的結果を見抜く力をもっている」。

 レーニンは、1900.11月に執筆した「我々の運動の緊要な諸任務」の中で次のように述べている。
 「歴史上ただ一つの階級も、運動を組織し指導する能力のある自分の政治的指導者たち、自分の先進的代表者たちをおくりだすことなしに、支配権を獲得したものはない」。

 レーニンは、1920.6月に執筆した「左翼小児病」の中で次のように述べている。
 「プロレタリア的革命党の団結、統一、規律は何によって保障されるのか。第一に、プロレタリア前衛の自覚によってであり、革命にたいする彼らの献身、彼らの忍耐、自己犠牲、その革命精神によってである。第二に、広範な大衆、プロレタリアと勤労人民との固き結合、彼らとの結びつきを成功させるその能力である。第三に、前衛党としての指導の正しさ、その路線の正しさによってである」。

 1920.5.13日の「労働者・赤軍兵士の大会における演説」の中では次のように述べている。
 「あらゆる戦争の勝敗は、結局は、戦場で自分の血を流す大衆の精神状態によって決まる。戦争が正義の戦争であると確信し、同胞の幸福のために自分の生命を犠牲にする必要を自覚していることは、兵士の士気を高め、彼らに前代未聞の負担を耐え忍ばせる。わが赤軍将兵は、帝政軍隊なら決して耐えられなかった負担に耐えていると、帝政時代の将軍たちが言っている。これは軍務に服している労働者・農民の一人一人が、自分の行動の目的を知っていて、正義と社会主義の勝利のために、自覚して自分の血を流しているからである。大衆が戦争の目的と原因をこのように自覚していることは、巨大な意義をもっており、勝利を保証する決定的なものである」。

【前衛党の任務について】
 「共産主義者の宣言テーゼ」に基いて、世界各国に前衛党が創設されることになった。前衛党の任務について、仮に社会主義労働者党の綱領では次のように述べている。
 「労働者の闘いは、国家権力の奪取をめざす特定の労働者政党の闘いになるに比例して、真の階級闘争になる。社会主義労働者党は、労働者が労働組合に団結して経済闘争を闘うだけでは自己の解放をかちとることができないこと、そのためには、自らを独立した労働者の階級政党に組織し、資本の権力の打倒とプロレタリア権力の樹立をめざす政治的闘いを発展させる必要があることを公然と明らかにする」。

 マルクス主義が政治闘争を重視するのは、階級間の闘いが国家権力をめぐる闘いとして展開されるからであって、しかしそれは、資本の支配が結局は資本家国家の支配として集中され、貫徹されているからであり、根源に資本主義的生産とそこから生まれる資本と賃労働者の階級闘争があることを前提として認識している。

 以下、社労党の「科学的社会主義の内実F」を参照する。れんだいこの観点と必ずしも整合しないので受容できるところを取り入れるとして、次のように述べている。
 「マルクス主義の政治理論がマルクス主義の唯物史観や経済理論に従属し、それによって規定されたものであることを、我々はまず確認しなければなりません――さもなければ、デューリング流の『強力論』(まず政治的強力があり、ついで経済体制や社会関係がある)や、共産党流の“政治”関係優先論(日本は経済的には帝国主義的自立をかちとっているが、政治的、軍事的に対米従属国家だ、日米安保条約がすべてを規定している云々)のような観念論やドグマがまかり通ることになってしまいます」。
 「マルクスもレーニンも、ブルジョアジーや自由主義者(例えばロシアでは、カデット党、ドイツではカンプハウゼン等)との連合をつよく否定し、それは労働者の闘いにとって致命的であると警告した。また、小ブルジョア民主党、急進党や改良党との連合さえもただ条件付保留付きで認めたにすぎず、むしろ小ブルジョア党との原則的で一貫した党派閥争を貫徹した。それを思えば、統一戦線論、連合政府論は「くだらない俗見」であり、「政治闘争が、階級闘争の集中的な表現である」ことを認識させる労働者の階級闘争をぼかし、あいまいにしてブルジョアジーに奉仕(屈伏)する、一種の階級協調主義であることが、たちどころに理解できるはずである」。
 「“革新”(民主)統一戦線が是が非でも必要だ、それなくしては社会主義への展望も道も見出すことができない、などという宮本らの卑俗矮小な“政治理論”は、プチブルスターリニストのくだらない世迷い言ではあっても、マルクス主義の政治理論とは似ても似つかぬしろものです。労働者はこんなにせものにだまされてはなりません。労働者の階級闘争をさいごまで貫徹し、資本の支配を打倒して労働者の階級支配をうちたてる必要がある――これこそがマルクス主義の政治理論が教える本当の結論である。だからこそ我々は安易な連合や“統一戦線”や政治的小陰謀ではなくて、労働者党の何ものもおそれない公然たる党派闘争こそが必要であり、この中からのみ輝かしい労働者の未来が生まれてくる、と主張する」( H )。

 但し、依然として次の問題が問い掛けられている。一般にマルクス主義と「複数政党」制問題と位置付けられているが、仔細に見ていくと次の四つの問題に分岐している。
一国一政党論  前衛党は一国一政党として存在すべきか、前衛党を自称する複数的存在が不可避か、その是非論。
共同戦線論  特に議会主義への傾斜と共に問題となってくる「ブルジョア政党との競合−共同関係」運動論は是か非か。
複数政党制論  仮に議会を通じての政権掌握後、共産党はそれまで自身が認められてきたように他党派の存在を認めるのか、その「複数政党制」は是か非か。
党派闘争論  互いに前衛党を自認する異なる党派間の理論闘争、共同戦線運動、抗争等どう関係し合うべきか、競合運動は是か非か。

 残念ながら、この種の理論的解明に対して前衛党を自認してきた各党派が真剣に論議したという例は寡聞である。問題は、このような焦眉な課題に対する真剣な内部討議へは一向に向かわず、代々木系は本家意識丸出しで他党派を排除し、反代々木系はその替わりにであろうか煽動的な社会運動を我先に目指してきたという左派の作法にこそあるように思われる。戦後五十有余年、何か実りのある運動を知らないのは偶然ではなかろう。

【日和見主義問題考】
 レーニンは、「共産主義インターナショナル第2回大会」(1920年7―8月)で、日和見主義問題に対して次のように述べている。
 「日和見主義者はわれわれの主要な敵である。労働運動における上層分子の日和見主義は、プロレタリア階級の社会主義ではなく、ブルジョア階級の社会主義である。労働運動内部の日和見主義的派別に属する活動家によってブルジョア階級を擁護する方が、ブルジョア自身がのり出すよりよいということは、事実が証明している」。

【前衛党の犯した誤りに対する責任の取り方考】
 レーニンは、前衛党の犯した誤りに対する責任の取り方に触れ、「共産主義内の『左翼小児病』」で次のように記している。
 「政党が、自分の犯した誤りに対してとる態度は、その党がマジメであったかどうかをはかり、党が自分の階級と勤労大衆に対する自分の義務を、実際に果たしているかどうかをはかる、最も重要で、最も確実な基準の一つである。誤りを公然と認め、その原因を暴き出し、それを生んだ情勢を分析し、誤りを改める手段を注意深く討議すること。これこそ、マジメな党の目印であり、これこそ、党が自分の義務を果たすことであり、これこそ、階級を、次いで大衆をも教育し、訓練することである」。




(私論.私見)