マルクス主義の科学思想性

 (最新見直し2006.10.28日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「マルクス主義の科学思想性」を問う。


【1、マルクス主義の科学思想性】
 マルクス主義は、地動説以来の近代の科学的諸発見を汲みとり思想化している。
 マルクス主義を理解するために最初に確認しておかねばならないことは、マルクス主義が「科学思想足らん」として生み出されているということである。マルクス主義論の最初の打ったてをここに据えねばならない。この観点は案外と軽視されているが重要な点である。

 このことは、マルクス主義のみが科学思想であるとして他の様々な思想潮流を蔑視しても良い、と云うことまでは意味しない。科学が永遠に発達途上のものである以上、そこから叡智を汲みだす作風を持つマルクス主義は当然ながら、既に完成された体系として十分に科学的であるという自惚れに浸って良いことにはならない。マルクス主義をできあがったものと考えることは、マルクス主義を本質において何ら理解せず新宗教的地位へ追いやることになるだろう。


 
マルクス主義は、中世の西欧を支配したユダヤ-キリスト教的学的態度、つまりあらかじめこの世の中の仕組みが格言的に定義されており、これを疑問なく復唱して遵守すればよくないしはそうすべきだという聖書世界観と決別している。この決別の牽引車として科学主として自然科学が明らかにする諸事実に依拠し、諸発見の成果を正しくその思想のうちに汲み取り、願うらくは社会科学的学問にまで高めようとすることに意義を持たせようとしている。

 マルクス主義はそういう思想科学である、というセンテンスで理解されるべきであろう。
つまりマルクス主義は、当時続々と解明され始めた自然科学上の諸発見を史上どの哲学者達よりも大胆に汲み取り、これに依拠して新社会思想を形成した、ということに特質がある。ということは、現代に於いても同じような態度を採る必要があるということになろう。

 近世の始まりは、恐る恐る呱々の声を挙げた科学的諸発見の成果に負っている。では、マルクス主義が取り込んだ科学的発見とはどのようなものであったのか。代表的例として、1・
地動説、2・細胞の発見、3・エネルギー転化の法則の発見、4・ダーウィンの進化論が挙げられる。

 ここでは
地動説」題を事例に挙げて、マルクスが如何に思想的に読み取ったのかを見ておくことにする。ポーランドの偉大な天文学者コペルニクス(1473−1543)は、「天体の回転について」を著し、豊富な科学的資料に基づいて大胆に、それまでの常識であったトレミーの地球中心説を批判した。彼は、トレミーの誤りが現象と本質との区別をせずに、仮象を真実と見なしたところにあると指摘した。地球は永遠に運動し続けているので、我々この地球上にいる人間は、地球が動いていることを感じ取ることが出来ず、却って太陽その他の星が地球の周囲を廻って運行し、毎日東方より昇って西方に沈むように感じる。

 コペルニクスは、このような情景は、まさに前進している船に乗っている我々が、往々にして船が動いているのではなく、両岸の事物が後方に動いているのだと感じるのと同じようなものである、と述べている。その実、これらは全て仮象であって、両岸の事物が後退しているのではない。つまり、地球が太陽の周囲を廻っているのであって、太陽が地球の周囲を廻っているのではない、とした。

 この説が如何に革命的であるかは、天動説的基盤に依拠していた中世的ユダヤ-キリスト教的聖書世界観を打ち砕く狼煙になったことにある。コペルニクスの発見は、イタリアの自然哲学者
ジョルダーノ・ブルーノ(1548−1600)に受け継がれ、彼は、汎神論的な言葉使いをしているが、実質的には無神論的唯物論的な宇宙観を述べた。ブルーノは知識を信仰に隷属させることに反対し、その生涯は宗教的圧制に反対する闘争となり、最後にはローマの広場で火刑にされるが、死の瞬間まで公認の宗教とスコラ哲学を批判して止まなかった。同じくイタリアの科学者ガリレオ(1564-1642)も又この系譜に位置し、中世的ユダヤ―キリスト教的聖書世界観と闘った。

 この花粉がドイツに飛び、いわば歴史的必然性を帯びてドイツの近代哲学の祖と云われる
カントへ着床した。カントは地動説の衝撃を受け止め、それを思想的に取り込もうとして苦闘した。「純粋理性批判」はその好著であり、カントをして対象考察に際して従来式の手法の限界を認めさせ、新しい認識手法の構築に向かわせた。カントの偉大性、そしてこれを継承したドイツ近代哲学の一連の理論家の功績はここにある。

 マルクス主義はこの系譜から生み出された叡智思想であり、磨きに磨き上げた哲学であるという評価が相応しい。れんだいこ風にまとめると、コペルニクスの業績に対して次のように総括し、思想的に取り込んでいるように思われる。
 「コペルニクスに始まる地動説は、ある対象を考察するとして、我々の感覚的経験だけでは不十分であって、それが時には我々に誤まった認識をもたらすことがあるという事例を科学的に証明したことにより、大いなる貢献をした。もはや事物の現象面にとどまることは許されず、更に一歩進めて、その本質を認識していかねばならないということを教えている訳であるから。つまり、直接的な感覚的経験は確固としていると同時に、危弱であるという両義性の確認時代に入ったのであり、直接的な感覚的経験は尊重されねばならないが決して十分ではない。故に、感覚的経験という動かざる事実の認識に対しても、必ず分析比較等の手法を用いて更なる認識への正しさを求めてのアプローチへと精進せねばならない。こうした認識の契機をコペルニクスが与えてくれた訳であるからして、コペルニクスの功績は、科学的精神の称揚というラッパを吹いたことに認められるべきであり、このことにより史上に永遠に特筆されるべきであろう」。

 コペルニクスの地動説の衝撃は、以上述べた科学的態度の重要性の指摘のみならず、天動説を理論の基礎に据えていた中世キリスト教会の権威とイデオロギーをぐらつかせることになった、という面においても認められる。これらの意味するところを、ドイツの近代哲学者達が最も鋭敏に反応した。その中においても、マルクス・エンゲルスの両巨頭が体制秩序に何らへつらうことなく、最も生き生きと継承した。このことが確認されねばならないように思われる。

 ということは、マルクス-エンゲルス没後以降の更なる科学的諸発見に対して、マルキストは、これを思想的に汲み取る作法を基本としなければならない、これがマルキストの学問的態度であり生命線である、と云うことになる。が、実際のマルキシズムの流れは、マルクス・エンゲルスあるいはそれ以降のマルキストの訓古学的研究に没頭することに精一杯で、マルキシズムの思想内容を発展させるべくあるいは豊かにするべく努力した形跡が乏しいように思われる。

 というか、マルキシズムがいわばナンセンスとして退け、徹底して闘った折衷的見解を現代的創造的発展などと称して、ぬけぬけとマルキシズム風に似せて語るなどの説教師、講談師ばかりを生み出してきた感がある。この現実に対して抗するところにれんだいこのこのたびの試論の意味がある。

 とはいえ、いずれにせよ、マルクス主義が当代最高の科学的知見を汲み上げた思想であるとするなら、マルクス時代の常識のその後の転換についてこれを認め、マルクス主義の中に包摂せねばならないであろう。れんだいこの観るところその指標は、1・アインシュタインの物質エネルギー論、2・アインシュタインの相対性原理論、3・生物分子学、4・遺伝子DNA学、5・宇宙生成ビッグ・バーン、6・一挙破滅的最終兵器論等々は是非とも対象にせねばならないであろう。よしんば、マルクス主義の訂正を促すことになろうとも、それこそマルクス主義の弁証法精神に則っている、と看做すべきではなかろうか。問題は、後退的修正で歪めるのではなく、展新(アウヘーベン)的合理的にそれを為す力量が問われているということであろう。

 2005.3.16日 れんだいこ拝

【「科学的社会主義」なる造語のエセ性について】
 ところで最後に注意を促しておきたい。最近の風潮として「民主的」という冠詞と同じように何にでも「科学的」を付けて事足りようとする作法が流行っている。「科学的社会主義」という命名のことを述べているのであるが、疑問なしとしない。なるほどエンゲルスは、「空想より科学へ」の中で、先行して存在した数々の社会主義論と区別されるマルクス主義の特徴として、概要「マルクス主義以前の社会主義は充分に科学的ではなかった、それに比べマルクス主義以降科学的になった」と示唆しているのであるが、エンゲルスはその言説において「マルクス主義的社会主義は科学的である」という以上の意味をもたせてはいない。

 ところが、近時の日共党中央不破らは、厳密には「マルクス主義的社会主義」と命名しこの分限において鼓吹すべきところ、「科学的社会主義」と称することにより、何やら唯我独善的に唯一真理的な学的体系として喧伝しようとしている。しかしてこういう「科学的社会主義」屋が分析するところのもの、指針せしめるものが何ら科学的でないことは滑稽の極みである。

 こういう作風はマルクス主義とは無縁であって、自惚れによる得手勝手が過ぎるのではなかろうか。これには三つの弊害がある。一つは、科学とは一つの発見が次の発見へと永遠に自己運動していくものであり、道中常に弁証法的である。「極め尽くされた真理」などに遭遇することは有り得ない。つまり、「科学的社会主義」は永遠にプロセスであって、マルクス主義の科学性をできあがった完成品として喧伝しようとするならば、それは偽称に近い。

 もう一つは、他の主義を非科学的として排斥し易いご都合主義的独善規定であるということである。この命名は、命名者の側の社会主義運動が科学的であって、その他のそれはこの段階に達していないあるいは異端であるという言外の意味を込めているように見える。マルクス主義は科学精神を基調にしているが、他の主義も又何らかの裏づけをもって登場しては消え又登場してくる。そこには何らかの社会的背景あるいは唯物論的な基礎があるとみなすべきだろう。そこにはマルクス主義の理論的豊饒化に有益な観点が横たわっているともみなせる。してみれば、望まれているのは対話であり検証であり、取り込む力である。そういう意味で、容易には「科学的社会主義」などと紛らわしい名称で呼ばないのがマルクス主義者の嗜みとなるべきではなかろうか。

 もう一つ弊害がある。「科学的社会主義」を手にした党中央には、党内外の反対派に対して容易に異端規定を被せ易い土壌を生む。史実は、そういう言外の意味を込めて党中央に鬼に金棒的な権限を与え、「科学的社会主義屋」に「排除の論理」棒を振り回させてきた。それを思えば、「科学的社会主義」というソフトな言辞の裏に隠された僭越な意図が読み取れないだろうか。マルクス主義における科学精神と科学的発見の諸事実の尊重とは、このような傲慢な姿勢とは対極にあることを指摘しておきたい。





(私論.私見)