社会変革論(変革の哲学とその実践) |
(最新見直し2009.5.23日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、マルクス主義に於ける社会変革論(変革の哲学とその実践)を確認しておく。 2009.5.23日 れんだいこ拝 |
【マルクス主義に於ける社会変革論(変革の哲学とその実践)】 | |||||||
マルクスは、過去の歴史を通覧し、資本主義社会に貫く歴史法則を洞察した結果、やがて社会主義-共産主義社会が到来することを見通した。共産主義社会は、「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件であるような一つの結合社会」であると見通された。その理論的功績もさることながら、マルクスによる史的唯物論の発見は実践上でも力強い武器となった。これにより一揆的な抵抗ないし反乱よりも更に高次持続的な「向自的な革命への展望」が開かれたからである。 マルクスは、次のように述べている。
こうして、この社会を合目的に招き寄せる主体としてプロレタリアートに歴史的役割を鼓吹し、その中核組織として共産党の結成と運動における指導性を指針させようとした。マルクス主義は、社会変革の理論としてその際の導きの糸たらんとした。この理論の卓越性が、先行するイギリスのオーエン派、フランスのフーリェ派、その他「単なる荒削りの、単なる本能的な、時には幾分粗野な」共産主義」運動と異なり、それらの「社会的藪医者」と訣別して科学的な処方箋を拵える能力を得ていた。 国際労働者協会の一般規約(1864年起草、1871年採択)には、その冒頭で次のように書かれている。
この理念の背景には、生産手段を奪われ、工場に働きに行く以外に生きる道をなくした人々が、団結して抵抗せざるをえなかったのには、一日13、4時間も働かなければならない。十にも足りない子供達までが働かなければならない、それでも家族は飢えている、という産業革命進行下の現実があった。こうした労働者達の抵抗が労働組合を誕生させていくことになる。「雇い主の意志に逆らうための自主独立の団体の結成には、一定の人格的独立と力強い性格が必要だった」(ウェッブ夫妻)という冒険物語を伴って、労働運動が発展していくことになる。
つまり、政治闘争とは、資本とその国家に反対し、社会主義をめざす政治的な闘いへと向自化していく不断の過程として云われていたということになる。
つまり、プロレタリアートの闘争には、経済闘争と政治闘争の両建てがあるが、経済闘争が職業的形態の狭い枠内にとどまる限りは、「萌芽的」な階級闘争であり、階級闘争の一部分、一側面の意義を獲得するに過ぎない。労働者の日常的・職業的利益を要求する闘いが、社会主義をめざす階級闘争として担われる質に応じて、これを指導する前衛党との結びつきに応じて否応無く政治闘争へ向かい、階級闘争の激化に応じて社会主義革命へと接近していく。
つまり、「階級闘争はすべて政治闘争である」という命題は、経済闘争の相対的独自性を認めつつ、経済闘争と政治闘争との区別と連関という絡みとにおいて把握されねばならないとしていたということになる。 |
(私論.私見)