哲学、宗教、思想的営為の重要性について |
(最新見直し2007.4.7日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
マルクスは「ヘーゲル法哲学批判序説」の中で次のように述べている。「確かに、批判の武器は武器の批判にかわることは出来ぬ。物質力を倒すのは物質力でなければならぬ。しかし、理論といえども、それが大衆を把握するやいなや、物質力となる」。 |
【「哲学、宗教、思想的営為の重要性について」その一】 |
いわゆる思考の有益性について語るところからはじめたい。その理由は、マルクス主義も本質哲学であり思想でありそれ以上のものではないのではないか、と思うからである。というか、従来それ以上の何らかの「真理」観で理解しようとするあるいはそうしてきた態度こそ最もマルクス主義の精神から遠いのではないか、と思ったりする。なるほど、マルクスはその理論の集大成として大作「資本論」を執筆し、精緻な経済理論から説き起して世界の関連と構造を明らかにした。その理論は単に学者的な研究論文、解説文、評論文ではなく、理論の実践的な検証を促していた。というか、理論自体にそれを促す訴求力があった。 このことからマルクス主義を理解し受容しようとする者たちは、マルクス主義を、経済学であり政治学であり世の抵抗理論の精華であると受け止め、そればかりか「社会観としての真理学」のように理解しようとしてきた。こうなると、マルクスの一連の労作は、人類史上に登場した聖書以来の値打ちものな、大変な聖典著作集であるということになる。事実、そういう風にも受け止められてきた。 れんだいこは、それは違うのではないのか、という問いかけから始めたい。マルクス主義はその形成過程から見ても明らかなように哲学であり、史上の哲学に精通した挙句に当時の最上の認識論の確立に成功したというところに特筆されるものがある。マルクス・エンゲルスの功績とは、この方法論の確立に成功したというところにあるのではなかろうか。実際には、マルクス・エンゲルスは、自らが確立したその方法論でもって社会の把握に向かい、時の政治動向を分析し、世の変革理論をも創造し、実際にその為の運動をも指導した。 マルクス主義とは、この一連の総体としての活動に対して冠せられている言葉である。だがしかし、我々がマルクス主義を客観化する場合においては、方法論の確立の面とそれによる理論−実践活動とを厳格に区別して評価するべきではなかろうか。いわば、前者はマルクス主義の大工道具であり、後者はその道具によって作られた創作物なのではなかろうか。この峻別をしないままにマルクス主義総体を真理観的に称え、継承してきたところに間違いがあるのではなかろうか。それは、マルクス主義を宗教的感覚で捉える道に踏み入っているのではなかろうか。部外者から見れば、マルクス主義もまた一つのドグマであると見え、そう批評するのには根拠があるのではなかろうか。 れんだいこは、マルクス主義を、その方法論と応用実践論に構造的に二分して捉えたいと思う。マルクスはこの双方を秀逸に仕上げたので、その仕切りが却って分からなくなっているが、やはりマルクス主義の精髄は前者の方法論にこそあると云うべきではなかろうか。この観点に立つ場合、後者のマルクスの応用実践論分野の言説の逐条に対し批判を試みる輩に対しては、当たり前だろうと議論をお返しすればそれで足りるのではなかろうか。ある一定の時期の言説が歴史の経過と共に風化することは避けられないだろうから。問題は、マルクス主義を見直す場合には、その主義の根幹である方法論に対して今日的な有効度如何を問うことにあるのではなかろうか。現代においてマルクス主義が継承されるなり、変容されるなり、否定されるなりする為には、マルクス主義の道具とも云うべき世界認識の方法論批評から始められなければならないのではなかろうか。 残念ながらこのように問うマルキストはあまりいないようだ。初期マルクスと後期マルクスの発想の変遷の考察を試みようとした例は知っている。それはそれで意味あることではあろうが、れんだいこは方法論的にはさほど変化が無いと思っている。この方法論は俗に唯物弁証法と言い表わされているが、この認識手法は「人類史上に輝く偉大な発見」であった。マルクス以前の哲学史上の知はヘーゲルでもって、定向進化を飽和点まで進めており、その結果あたかも人が頭で立っているかのような倒錯伽藍へ辿りついていた。ひとたび敷かれたこの種の知の様式としてのレールは疑われることがなかったが故に、マルクス以外をしては誰しもこの呪縛をほぐせなかった。 マルクスの偉大なところはこれを解きほぐしたことであり、学問体系を再び人は大地に二本足で立っており、知はその頭部で紡ぎだされるものであるという平明な常識に立ち返らす大逆転を為し遂げたところにある。その契機がフォイエルバッハの一連の活動にあったとはいえ、これにヘーゲルの秀逸さであった弁証法的思惟方式を汲み出して結合させ、そのヘーゲルも陥っていた知の倒錯をいわば正常に為し遂げることは、為されてみればなるほどで済むとはいえやはり革命であった。 とはいえ、マルクスの思惟方式としての唯物弁証法もそろそろ見直される時代に入っているのではなかろうか、という思いがれんだいこにはある。あれから様々な学問が科学が史上に現われ発達した。最新の生物分子論、物質エネルギー論、相対性理論、量子物理論、宇宙科学、脳科学、生命理論等々数え上げればきりが無い。それらの成果を取り入れて、これをもう一度現代哲学的な認識論で構築すべきではないのか、そういう時代に入っているのではないかと思っている。 れんだいこの余命がどれだけあるのか分からないが、この課題に向かいたいと思っている。それはとても困難ではあるが、感性的にこれ以外に思想的営為の意義を認めない以上仕方が無い。付言すれば、どう新思想を展開しようとも、マルクス主義誕生以降においてはこれと没交渉な思考姿勢というものは変調だろうと考えている。この思い込みが強すぎるのか、全くその通りであるのかれんだいこには分からない。れんだいこはそう思うということだ。 それはそうと、こういうことを考えることの意義について仏陀の言葉を借りてみたい。とてもれんだいこが気に入っている問答があるので紹介してみたい。意訳概要、ある時、仏陀は門弟を連れてとある村落を通過しようとしていた。その道中は、適宜に衣鉢を整えて喜捨をいただいていたようである。ある時、農夫が次のようにそれを咎めたと云う。「沙門よ、私は田を耕し、種をまいて、食を得ている。そなたもまた、自ら田を耕し、種をまいて、食をえてはどうか」。一説によると、この農夫はただの農夫ではなくバラモン階級の帰農者であったようである。働かざる者食うべからずと思い至ったかどうか、この当時生産労働に意義を見出し、沙門らにもそうあるべきではないかと勧めたと思えばよい。 この問答にはそういう重みがある。これに対して沙門(仏陀)がどう答えたか、ここがハイライトである。仏陀は次のように答えている。「バラモンよ、私も耕す。私もまた耕し種をまいて、食を得ているのだ」。農夫は云った。「あなたは何も労働していないではないか。一体鋤(すき)はどこにある。牛はどこにいる。あなたは耕していない。何を言うだ」。それに答えた仏陀の次の言葉がふるっている。「信仰を究めようとして精進する日々が我がまく種である。生み出される知恵が我が耕す鋤である。我は身・口・意において、日々悪しき業と闘っている。そは我が田における除草である。我がひく牛は精進を助け、終わることなく、歎いて無為に過ごすことも無く、果実を産むべく働いている。我はかくのごとく耕し、かくのごとく種をまき、甘露の実を収穫して、皆に味わって頂いて居るのだ」。これに農夫がどう答えたかは伝えられていない。 れんだいこは殊のほかこの問答が好きだ。分かりやすく云えば、脳耕労働の意義あるいは肉体労働に対するに知識労働の意義をも言い含めたのかも知れない。秀逸なところは、仏陀は決して知識労働の肉体労働に対する優位を語ったのではなく、我もまた労働していると応じたところだろう。れんだいこも、労働の何たるかをこのように広義において捉えてみたい。同時に知的営為の意義を仏陀のように捉えて見たい。今風に言えば、知識労働=ビタミン・ミネラル論であり、あるいはそれ以上の意味も込められているかも知れないが、互いが排除し合うのではなく、共に支えあって役立っているのだという認識で堂々と持論を展開したのだと思う。ここが仏陀の偉いところだと思う。 ところで、この観点よりすれば、マルクスもまた仏陀と同じ精神において思惟格闘した類稀なる人士として史上にさん然と輝いているのではなかろうか。そのことが云いたかった。ちなみに、この種の労働=思想的な脳耕労働が今非常に細っている、そういう時代なのではなかろうか。このことも云いたかった。 もう一つ、れんだいこが殊のほか好きな問答を書き記す。プラトン説ソクラテスに拠ることになるが、「ソクラテスの弁明」で「無知の知」説話がある。次の通りである。意訳概要「ソクラテスはかねてよりアポロン神殿に掲げられていた『汝自身を知れ』を生涯の探求課題として自覚していた。『人間にとっては徳その他のことについて毎日議論を重ねることこそが最大の善であり、これに対する吟味のない生活は人間的な生活ではない』と思うに至っていた。ソクラテスは、『人が、人間として最も大切な徳(アレテー)について何も知らない』ことを指摘し、人としてどう生きるべきか論を追及することに情熱を傾けた。その手法として『産婆術』を生み出した。これは、人との対話(議論)を通しての共同作業で有徳の知あるいは真理を生み出す手法であった。ソクラテスは、アテナイの広場でこれを実践した。のみならず、ある時よりアテナイ市内中の知者と思われる人物を探し求めて出向くことになった。 |
「哲学、宗教、思想的営為の重要性について」次のようなアプローチも有効ではなかろうか。人間とは、最も脳髄活動を高等化させている生物であり、思惟を悦ぶという第二次本能さえ持っている。この流れの中で人類はマルクス主義まで辿り付いたのであり、マルクス主義の出現以降はその高みからの後退は本質的に生産的とは云えない。分かったようで少しも分かっていないマルクス主義批判が横行しているが、およそ為にする批判であり、批判のていを為していない。 それはそうとして、思惟活動にも段級の等級があるということが知られねばならない。世上このことが案外疎かにされており、非生産的な議論の横行を生んでいるわうに見受けられる。思惟活動は、「世上を写す弁証法的鏡」であるが、これを良くするためには他の諸活動と理屈が同じで、稽古せねばならない。低級位の思惟活動は、ヘーゲル的論理で云えば「即自的」を特徴とする。そこからの「向自的」発展を生み出し、認識論レベルでの「否定」を生み出し、「対自的」段階へと向かう。そこから更に「否定の否定」を生み出し、「従来認識の解体から再生=止揚」へと到達する。これが思惟活動の法則である。 問題は、こうした思惟活動が飽くことなく繰り返され、「らせん的発展」を遂げ、新たな認識活動へと向かい続けるという認識の高次性にある。ここに「哲学、宗教、思想的営為の重要性」がある。思惟活動には稽古事のような段級の等級があるという所以であるが、この仕組みを知らないマルキストが多い現象には困ったものである。当然市井の哲学者、宗教家も同前である。 思惟活動は一朝一夕には高次化しない。不断に練磨し続けなければ正確な認識に辿り着けない。そうやって一生努力し続けても神域には至らないが、対象に対するより近似値的な認識を獲得しない限り実践に支障をもたらす故に必要な精進であろう。 それはそれとして、日本左派運動内のマルクス主義界隈の理論的貧困には目を覆いたくなるものがある。まず議論が抑圧され、権威機関からの上位下達を作法としている。その下達も、マルクス主義的観点及び理論とは似ても似つかぬものであるにも拘わらず、これを拝受するしか出来ない組織体質で党内団結を誇ろうとしている。馬鹿らしいことこの上ない。今や、社会勢力的に見て最も頑迷な保守体質を見せているのが、近頃のサヨイストと云えるように思われる。党中央に反発するものも、単に反発であって思惟を深める方向に向かった例を知らない。せいぜい党中央の非マルクス主義を批判して反マルクス主義に辿り着く御仁を目にするばかりである。 日本左派運動における理論的貢献という意味では、戦前の福本イズム、戦後の黒寛イズム辺りが注目される。その貧困を埋めるに値する人士は獄中で短長期の差は有るが拷問死させられてしまった。まことに許しがたくあたら惜しいことである。福本イズム、黒寛イズムの史的地位は、その理論が如何様なものであったにせよ、マルクス主義理論のそれとしての検証に精力的であったことに価値があるように見受けられる。不破理論の場合、そもマルクス主義の否定的見地からのブルジョア学への差し戻しであるので貢献とは云えない。 かように構図を据えれば、我々が何を為さねばならないのか視野が開けてこよう。大衆闘争も組合活動も議会運動も理論的研究も全て実践である。理論的実践の場合、机上学でスコラー的に為してはならないという戒めがあるだけで、理論的貢献の価値を貶めるものは何も無い。人にはそれぞれ取り柄がある。理論的貢献向きの人士は、より精力的にそれを為さねばならないであろう。なぜなら、あまりにも立ち遅れているから。 一つに、マルクス主義の原像を明らかにすべきこと。二つに、公認マルクス主義のエセ性を剥離させること。三つに、マルクス主義の限界を止揚して新マルクス主義的地平を切り開くこと。四つに、それらの成果を大衆向きの要点を得つつ分かりやすい普及本でプロパガンダしていく必要が有ること。これらの課題が差し当たり見えて来る。 2003.1.6日 れんだいこ拝 |
【れんだいこの自負】 |
混迷する現代に棲む我々には、張り巡らされた知の罠の仕掛けを食い破る思想創造が望まれている。その為に、マルクスが為したと同様に過去の思想を一から精査し直さなければならない。その手法においてマルクス主義よりももっと選れたものがあるのならそれに従って、なければマルクス主義に従ってこれを為さねばならない。これがれんだいこの観点だ。 これが為されない限り腐敗と倦怠と駄弁がはびこり続ける。目下の混迷はここに起因していると観る。あまたのインテリが自認しているが、にも関わらず肝心のこの作業に向かう者がいない、ように見える。現代知識人の思想の背丈は低い。だから、つたないながらこれに向かうのがれんだいこだ。そこにれんだいこの史的意味がある、と自負している。 2003.2.4日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)