レーニンは、思想教育の重要性について、「1915.9.5日〜8日の国際社会主義者会議における革命的マルクス主義者」で次のように述べている。
「彼らは、革命の開始と、革命を公然と直接に説くことを混同しているのだ。ロシアでは1905年の革命の開始を、1905年の1.9日以前と認めている者は誰もいない。だが、もっと狭い意味での革命的宣伝、大衆行動、デモンストレーション、ストライキ、バリケードを宣伝し、準備することはそれより以前の数年間に行われていたのである。例えば、旧イスクラは、1900年末から、こういう宣伝を行っていた。それは、マルクスが、ヨーロッパにおける革命の開始がまだ問題にもなり得なかった1847年から、宣伝を行っていたのと同様である。
革命が既に始まってしまったときには、自由主義者も、革命のその他の敵も、革命を『認める』。だがそれは、しばしば、革命を欺き、裏切るために、認めるのである。革命家は、革命がやってくる前に、それを予見し、その不可避性を意識し革命の道と方法を解明する」。 |
「国家について」(1919年7月)の中で次のように述べている。
「私はまた、諸君が、討論したり講義を聞いたりするほかに、いくらかの時間をさいて、マルクスとエンゲルスのもっとも主要な著作をせめていくつかでも読むように希望する。それらの主要な著作は、文献目録や、諸君の図書館でソビエト学校と党学校の学生の利用に供されている参考書のなかからさがし出せるにちがいない。だが、この場合も,最初は叙述がむずかしいため、しりごみする人がいるかもしれない。だから、私は、気を落とさないようにすること、はじめて読んだときにはわからなかったところも、くりかえして読むか、のちにちがった角度からこの間題を検討するかすれば、わかるようになるということを、あらためて注意しておきたい。
というのは、もう一度くりかえしていうが、この間題はきわめて複雑で、ブルジョア学者や文筆家のためにひどく混乱させられているため、これを真剣に考え、独自的に把握したいとおもう人は誰でも、この問題をなんども取りあげ、くりかえしそれに立ちかえり、いろいろの角度から考えなければ、明瞭な、しっかりした理解が得られないからである。そして、諸君がこの問題にくりかえし立ちかえる機会は、ひじょうに多い。なぜなら、これは政治全体のきわめて基本的な、根本的な問題であり、現在のような、あらしのような革命期においてだけでなく、たとえもっとも平和的な時期においても、諸君は、経済問題や政治問題に関連する記事をのせているどの新聞を見ても、毎日のように、国家とはなにか、国家の本質はなにか、その意義はどこにあるか、資本主義の打倒をめざしてたたかっているわが党つまり共産党の国家にたいする態度はどうか、という問題に突きあたるからである」。 |
「全ロシア中央執行委員会,モスクワ労働者・農民・赤軍代表ソビエトおよび労働組合の合同会議」(1918年6月)で次のように述べている。
「そうだ。労働者階級は旧ブルジョア社会から万里の長城でへだてられているわけではない。革命がぼっ発するときには、事は、人間が死んで、ただその死体を外にはこびだせばすむという具合に、おこるものではない。旧社会が死滅するときには、その死がいを棺桶にいれて墓におさめるという具合にはいかない。それはわれわれの間で、腐敗し、われわれをむしばみ、われわれに病気を感染させる」。 |
「労働組合第二回全ロシア大会での報告」(1919年1月)で次のように述べている。
「労働者は、けっして万里の長城によって旧社会から切り離されてはいなかった。かれらのあいだにも、資本主義社会の伝統的な心理が大量に保存されている。労働者は、旧世界の泥をぬぐいさった新しい人間に変わったうえで、新しい社会を建設しているのではなく、まだこの泥に膝まではまりこんでいるのである。この泥をぬぐいさることについては、ただ夢想するほかはない。このことがたちどころにやれると考えるのは、このうえない空想であろう。それは、実践的には社会主義の世界を天上へおしやるにすぎない空想であろう。いや、われわれは、そのようなやり方で社会主義を建設しようとしているのではない。われわれは、資本主義社会の土壌のうえに建設しているのであり、勤労者もまたもっている、つねにプロレタリア階級の足手まといとなるすべての弱点や欠陥とたたかっているのである」。 |
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