鉄刀考

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2).12.20日


【東大寺山古墳出土の「中平」年銘鉄刀】
 邪馬台国大和説は、画文帯神獣鏡・三角縁神獣鏡の出土分布や奈良県天理市東大寺山古墳出土の「中平」年銘鉄刀をその拠り所として挙げる。

 天理市和邇(わに)から櫟本(いちのもと)にかけては和邇氏族の拠点であった。関連一族が築造した古墳が丘陵上に点在しており、東大寺山古墳群をなしている。同規模の前方後円墳が他に3基あり東大寺山古墳→赤土山古墳→和爾下神社古墳→墓山古墳の順で築造されていると推定されている。

 
その一つが天理市の東大寺山(とうだいじやま)古墳で、後円部を南に向け前方部を北に向けて築造されている。奈良県天理市櫟本町(いちのもとちょう)2525の天理教城法大教会の敷地内にある。次のように解説されている。
 「東大寺山古墳は盆地部を見おろすことのできる南北に連なった丘陵上に立地する。古墳群中最も時期の遡る盟主的古墳である。墳丘には葺石が敷きつめられ、墳頂部と中段・下段には埴輪が巡らしてあった」。

 1961(昭和36)年
から62年にかけて、天理参考館による発掘調査を行われた際、主要部分は盗掘を受けていたが、後円部から大規模な粘土槨(長さ推定9.4m)の埋葬施設が発見され多量の副葬品が出土した。棺内からは勾玉、鍬形石、車輪石など貝製腕輪や腕輪形石製品、滑石製のつぼ等の多数の石製品、玉類など。棺外からは鉄製剣9本、鉄刀20本、槍などが出土した。刀剣類や古墳時代の腕輪形石製品のなかでも特にランクが高いとされる鍬形石が26点出土した。他に例がない。墳丘にに沿って円筒埴輪が並べられていた。

 1982年、重要文化財に指定された。2001年、東京国立博物館に管理換えとなり現在に至っている。2017年、東大寺山古墳の副葬品は一括で国宝に指定された。

 東大寺山古墳は全長約140m、前方部幅50m、後円部径84m、高さ15mの前方後円墳で、東大寺山古墳群の中では最大規模の古墳に当たる。現在は竹藪におおわれている。この丘陵には奈良県では最大規模の弥生後期の高地性遺跡がある。東西約400m、南北300mの範囲内に竪穴式住居があって、二重の空堀が巡り、空堀の構造は大阪府和泉市の観音寺山遺跡に共通している。東大寺山古墳は、この高地性遺跡と重複するようにして存在し、その遺跡の役割が終わって150~200年ほど後の4世紀後半の古墳時代前期後半に築造されたと推定された。
 粘土槨の東西に墓壙が掘られ、副葬品の中から家形の飾りを付けた三葉環頭大刀や刀身に中国後漢時代の年号の中平年間(西暦184~188年)の「中平」紀年銘を持つ24文字金象嵌の銘鉄刀を含む5本の装飾環頭付きの鉄刀(大刀)、鉄剣、鉄槍など、多量の武器や武具が並べられている状態で出土した。

 その中でも後漢の年号「中平」(184~190)の銘をもつ24文字金象嵌の鉄大刀が注目される。これを仮に「中平銘鉄刀」と命名する。「中平銘鉄刀」は、刀身の棟の部分に24文字を金象嵌で表した長さ110cmの鉄刀で、鉄刀の刀身の銘文は「吉祥句」を用い、「中平□□(年)五月丙午造作文(支)刀百練清剛上応星宿□□□□(下避不祥)」と記されている。「中平□年五月丙午の日、銘文を入れた刀を造った。よく鍛えられた刀であるから、天上では神の御意に叶い、下界では禍を避けることができる」と解釈できる。「中平」は後漢の霊帝の年号で184-189年を指す。「倭国乱」(魏志倭人伝)、「倭国大乱」(宋書)が終結した時期の2世紀の末である。中平銘紀年刀は「倭国乱」前後、後漢王朝から下賜されたものと考えられている。この鉄刀の入手経路、本古墳への副葬経緯は分からないが、中国の後漢と通交があったことが裏づけられる。日本で発見された年号の判明する遺品としては金印に次ぐ物になる。被葬者は和珥氏の首長と考えられる。 

 花形飾環頭大刀は、棺外東側の被覆粘土中から出土した刀・槍郡の一振で、環頭飾り部分と鉄刀本体部分は別々に造られたものである。環頭部分は青銅の鋳造品で、環頭の外側に様々な装飾(意匠)を施している。基本的には楽浪の石巌里(せきがんり)の古墳で出土しているような直弧文を刻んだ環の中に三葉形を入れた三葉環である。三葉環の鉄刀は、福岡市の若八幡宮古墳(4世紀)から出土している。鉄刀の中には、家形の環頭(かんとう)をつけた刀もあり、奈良県河合町の佐味田宝塚古墳出土の家屋文鏡の鏡背に表された家屋と形体が類似している。その横に角形の突起を一対、鳥形の飾り(「鳥文飾り」)を一対付けている。このような飾りの環頭大刀が三点出土しており、そのうちの1点が「中平」鉄刀である。刀身は内反りしていて、日本の前期古墳に特有の直刀とは違う中国(後漢)製である。中国製の刀身に日本で改造し、日本式の環頭を付したものと推定されている。

 2世紀末の中国で製作された鉄刀が、いったいどのような経緯で奈良盆地にもたらされ、4世
紀後半に築造された東大寺山古墳の副葬品になったのか謎となっている。





(私論.私見)