サンカ論

 (最新見直し2009.11.29日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 

 2009.11.29日 れんだいこ拝


 <サンカ焼石>
 前記の処で焼石、と出てきたが、関連するので紹介する。先土器遺物包含層には丸石の群が見つかり、俗に芋石と呼ばれている。これはサンカの調理炊事法と呼ばれている。熊本や東北でも地面にその儘で残っているが何処でも皆山中で発見されている。

 サンカは鍋釜類は携行せず、ささら衆と昔は呼ばれたごとく、青竹を縦割りにし、中節を削って谷川で捕った小魚や食せる山菜を重ねて、並べて荒塩をかけ、石を上に置いて蒸すようにする。米飯を炊く時は、麦を下に置き上に米や粟は乗せるようにして、焼石をのせる
前に良くかき廻す。サンカは海流で流されて日本列島に漂着した連中も混ざっているから、日本列島に上がらずハワイ方面まで流されて行った人々もいた。

 だからハワイでも「カルア」と呼ぶ焼石料理があって、豚でもパンの実でも何でも煮炊きに鍋やフライパンは用いない。近頃は観光客寄せの名物料理に「焼石料理」を売り物にしている所が多いが、これは歴としたサンカ料理である。石を温めてほかほかにしたのを厚手の布袋にいれ「温石」と称して今日のカイロの元祖を考案したのは、吉良上野介の一つ年上の妻で上杉十五万石の三姫だと伝わってるが、足利時代に、南無阿弥を唱え僧体に似せて同じ人間扱いにして貰えて同胞衆(同明衆)と呼ばれる連中に転向した日本原住民系が、この焼石料理を京にも広めた。だがその儘では野趣に富んでいても室町御所には不向きだった。そこで石を裸で焼かずに杉の皮などに包んで用いたが、いつの間にか高尚化されて今は「懐石料理」等と呼ばれ京名物にさえなって、極めて由緒ある会席料理に化けている。

 しかし本当のサンカの焼石料理は、雑草や枯木に火が移って山火事にならないよう完全によく水をかけて消して、跡形無くして去っていく。だから何の痕跡も残さぬことを俗に「焼け石に水」とも言い、今でも一般に用いられている。




(私論.私見)