「波風に あひし御船を すすめむと 皇子にかはりて 身をしづめけり」 |
(評) お題は「橘姫」。橘姫とは日本武尊の妃の弟橘媛のこと。夫の東征に際し海路の安全を祈願して走水の海で入水された妃である。 |
「みるかぎり 波もさわがず 大ふねに 心ものりて進む 今日かな」
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(評) 明治33年、千歳艦上にて、皇太子であられた御年22歳の時の御歌である。拝誦する者をして思はず大海原に誘はれるやうな気がする。そして「心ものりて」といふご表現には、若き皇太子のあふれるやうなご感動が伝ってきて、天皇といふ御位につかれるべきお方の天稟さへうかがはれる。 |
「軍人(いくさびと) 国の為にと 打つ銃(つつ)の 煙のうちに 年立ちにけり」 |
(評) 戦中新年。新春と来れば普通なら霞みなのに銃の煙に取りなしている。歌としてこの奇想が素晴らしいが、大正天皇の時代への憂愁さえ見て取れるように思われる。
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「軍人 力尽くして 鳥船(とりふね)の 大空かける 時となりにき」 |
(評) 飛行機。飛行機を鳥船と歌う奇想と優雅な構図が素晴らしい。且つ、この歌にも又大正天皇の時代への憂愁さえ見て取れるように思われる。
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「いざ行かむ かなぢの車 乗り捨てて 手馴れの駒に むちをあげつつ」 |
(評) 演習。高槻停車場を出でて演習地に向かう。車をかなぢの車と詠む着想が面白い。且つ、この歌にも又大正天皇の時代への憂愁さえ見て取れるように思われる。 |
「ますらをが 世にたぐひなき 功こそ あら波よりも 高く立ちけれ」 |
(評) 日露戦争時の御歌。詞書に「広瀬中佐の戦功をめでて」とある。広瀬中佐とは、旅順港閉塞作戦で戦死した広瀬武夫のこと。「功」は「いさを」と読む。
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「御軍に わが子をやりて 夜もすがら ねざめがちにや もの思ふらむ」 |
(評) 日露戦争時の御歌。「御軍(みいくさ)」とは、天皇の軍隊即ち皇軍のことをいう。詞書には「従軍者の家族を思ひて」とある。 |
「秋深く なり行くままに つはものの 敵うつ野辺を 思ひやるか」 |
(評) お題は「秋日憶遠征」。この年に第一次世界大戦が勃発し、日本も8月23日に参戦。10月31日から11月7日にかけて、ドイツの中国における租借地で要塞化されていた青島の攻略すべく戦った。その遠征を思いやった歌である。
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「沈みにし 艦はともあれ うたかたと 消えし武夫の をしくもあるか」 |
(評) 詞書には「膠州湾外にて軍艦高千穂、敵の水雷のために沈没して艦長以下戦死し、十二名あまりいきのこりけるよしをききて」とある。青島攻略での犠牲を嘆いた歌である。
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「國のため たふれし人の 家人は いかにこのよを 過ごすなるらむ」 |
「ぬきがたき 塁ぬがんと 捨てし身を したふ妻子や いかに悲しき 」 |
(評) お題は「戦死者遺族」。「戦死者の家族をおもわれて」。 |
「 もののふの 命をすてて 戦ひに かちしえものは 尊かりけり」 |
(評) お題は「戦利品を見て 」。 |