大正天皇の流布されている奇行考

 更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4).3.3日

【大正天皇奇行論の真相】
 大正天皇の奇行に関するいくつかの噂がまことしやかに流布されている。その最たるものが「遠眼鏡(とおめがね)事件」であろう。「遠眼鏡事件」とは、帝国議会の開院式で、壇上で詔勅を読み上げた大正天皇が、持っていた証書をくるくると巻いて、遠眼鏡のようにして議員席を見回したというものであり、大正天皇の痴呆症状に関連付けられて流布されている。

 政治学者として高名な丸山眞男氏でさえ、1989年の「昭和天皇を廻るきれぎれの回想」の中で次のように記している。
 「私は四谷第一小学校の二年生であった。大正天皇が脳を患っていることはそれ以前に民間に漠然と伝わっていた。それも甚だ週刊誌的噂話を伴っていて、天皇が詔書を読むときに丸めてのぞきめがねにして見た、というような真偽定かでないエピソードは小学生の間でも話題になっていたのである」。

 これにつき、原武史氏著「大正天皇」は次のように述べている。
 概要「極論すれば、大正天皇について我々が持っている知識というのは、これだけではなかろうか。だがこの事件ですら、実際にいつあったのかを確認するのは必ずしも容易ではない。開院式での大正天皇のこのような振る舞いが公然と語られ出されるのは、もちろん戦後になってからである。しかもその次期は、近代天皇制の呪縛から解放されてしばらくたった昭和30年代にほぼ集中している」。

 原氏は、そう前置きして、この頃明らかにされた諸説の検討に入っている。その結果、「悲劇の帝王・大正天皇」(1959.2月号文芸春秋)、「女官・大正の御世」(1960年、実業之日本社)による漏洩が事件の時期について決定的に違っていることに着目し次のように述べている。
 概要「どちらの説が正しいかはにわかに断定できない。むしろ、両者の説とともに『証言』としては信憑性を欠くというべきである。(両説の)振幅の大きさは、果たしてこの事件が本当にあったのかという疑念を抱かせるに充分なものである。我々は、大正天皇という人物につき主観的に知っていたとしても、客観的には何も知らないに等しいということを、今一度肝に銘じる必要がある」。

 「遠眼鏡事件」について、最近になって次のような真相が明らかにされている。
 「(大正天皇から直接聞いたというお付きの女官証言によれば)、ある時、議会で勅語が天地逆さまに巻きつけてあったので、ひっくり返して読み上げ、随分恥ずかしい思いをした。このようなことがないよう、詔書を筒のように持って中を覗いて間違っていないことを確かめて読み上げようとしたものだ」(平成13.3.14日付け朝日新聞)。

 ということは、大正天皇の精神状態に問題あり説の最大の根拠とされてきた「遠眼鏡事件」は、いわば冤罪であった、と云うことになるのではなかろうか。

 あるいは次のような見解も披瀝されている。
 概要「開院式に臨御された陛下は、詔書を朗読したあと、それを丸めて、紫の袱紗をおいた三宝の上にお置きになった。どうも陛下は病気が進まれてからは指先が不器用になっておられたし、うまく詔書がまけなった。それをそのままにして打っちゃっておけばよかったのだが、陛下はうまく巻けたかどうか心配になって、もう一度それを手にとられた。そして、ちょっとすかしてご覧になり、すぐに元の位置に戻された。この何気ない一瞬の仕種が、下段の議員席から見上げると、まるで遠眼鏡で陛下が覗かれたように目に映った」(「旅行の天皇! 大正天皇」)。

 「大正天皇の流布されている奇行」として他にも、「大正天皇は、パレードの時はいつも車に縛られていたため、直立不動だったらしい」というのがある。これらは全て伝聞で為にする批判となっている。

 この件で問題は次のことに有る。右派にとって「大正天皇問題」はいわばアキレス腱となっており極力触れたがらないのは首肯できるとしても、左派が天皇制批判の一角として「大正天皇問題」を持ち出し、いわば暗愚天皇事例として例証する傾向が有る。れんだいこは、高名な政治学者として知られている丸山氏の大正天皇論の全貌は知らないが、冒頭に引用した観点はその好例だろう。今日でも、左派界隈に「大正天皇暗愚論」が徘徊している。為に左派圏内では、「大正天皇暗愚論」を唱えることでいっぱしの左派気取りするという風潮がある。

 しかし、れんだいこ検証による大正天皇論は、大正天皇をそういう風に暗愚視してきた手前こそ暗愚の格好標本であるということになる。実は、大正天皇問題は鋭く歴史観が問われる問題で、眼力の真贋が試されているとさえ云えると思う。この認識を持てるかどうか、ここが問題である。

 2005.7.23日再編集 れんだいこ拝




(私論.私見)