元号「令和」制定経緯考 |
更新日/2019(平成31→栄和元).5.1日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「元号「令和」制定経緯考」をものしておく。今はスケッチ段階であるが追々精緻にして行くことにする。 2019(平成31).4.5日再編集 れんだいこ拝 |
【元号の発祥考】 |
特定の年代に漢字の名前を付ける元号(年号)は中国・前漢の武帝の時代から始まった。「統治者が時間も支配する」という考えに基づくとされ、さまざまな理想が込められている。ベトナムや朝鮮にも広がったが、現在も使われているのは日本だけ。発祥の地である中国では清の滅亡とともに廃止され、現在は西暦が用いられている。 日本で最初の元号である「大化」は645年に定められた。しかし、続く「白雉」「朱鳥」とも実際にはほとんど使われなかったとみられている。4番目の「大宝」(701年)以降、公文書には全て元号を用いると定められたことで定着。「天平勝宝」のように漢字4文字が使われたり、南北朝時代に二つの元号が並立したりした時期もあるが、基本的には漢字2文字を使った元号が現在まで切れ目なく続いている。 江戸時代までは天皇の即位だけでなく吉兆や災害などでも改元したため、一つの元号の平均期間は短く、十干十二支と併せて使われていたと考えられている。明治への改元とともに天皇1代で元号一つとする「一世一元の制」が定められ、天皇と元号の結び付きが強まった。 戦後に皇室典範が改正され、元号は法的根拠のない単なる慣習となった。このため一時は廃止論も唱えられたが、1979年に元号法が成立。近年はグローバル化の進展もあり、日常生活では西暦使用が拡大しているが、公文書などでは今も原則として元号が使われている。元号に詳しい所功・京都産業大名誉教授(日本法制史)は「年の名前を漢字で表すことで、そこに理想や希望を込めることができる。西暦と元号は矛盾するものではなく、うまく使い分けることで日常生活の役に立つ」と話している。 |
【元号策定基準考】 | ||||||||||||
元号制定に関する法的基準はありません。しかし、1979年の閣議報告の「元号選定手続き」にならう慣習となっている。そのルールとは以下の六要件。
|
||||||||||||
これまでの「大化」から「平成」の247元号は、典拠がわかっているものはすべて『五経』や『史記』など中国の古書(漢書)からとられてきたとされる。各元号は、平成は「地平天成」、昭和は「百姓昭明・協和萬邦」。大正は「大亨以正」。明治は「嚮明而治」。 |
【元号制定の裏舞台考】 | |
「新元号の極秘任務30年、「黒衣」はひっそり亡くなった」。
|
【元号制定の流れ】 |
|
【元号に関する懇談会メンバー】 | |||||||||||||||||||||||||||
新しい元号をめぐって政府は、「平成」が始まって間もない時期から、国文、漢文、日本史、東洋史などの学者に元号の考案を水面下で依頼している。 | |||||||||||||||||||||||||||
2018.12月下旬、安倍首相が、衛藤晟一首相補佐官ら保守系議員を首相公邸に秘かに招き、新元号の「1カ月前公表」を受け入れるよう説得。衛藤氏らは交換条件として「皇太子さまへの元号案の事前説明」を首相に求めた。 | |||||||||||||||||||||||||||
新元号の考案を巡って、政府が二松学舎大元学長の石川忠久氏(86歳、中国文学)に正式委嘱していた。石川氏は「和貴」、「万和」、「光風」など10以上の候補を挙げたという。また、学習院大元学長の小倉芳彦氏(92歳、中国古代史)や東大名誉教授の池田温氏(87歳、東洋史学)らも委嘱されたとみられている。 | |||||||||||||||||||||||||||
2月上旬、菅義偉官房長官が、元号担当の古谷一之官房副長官らが事前に選定した20程度の候補名案文書の提出を受けた。以降、絞り込み作業に入る。この間、適宜に首相に報告されている。 | |||||||||||||||||||||||||||
2月、協議の段階で、聖徳太子の十七条憲法の「和をもって貴しとなす」から採った「和貴(わき)」も候補だったが、葬儀社関連の名前に使われており見送られた。日本書紀、古事記等の国史は天皇の業績をたたえる文脈が多く、且つ神話に根ざした内容が世論の批判を浴びかねないという難しさもあった。 | |||||||||||||||||||||||||||
2月22日、東宮御所。首相は前日の天皇陛下に続いて、皇太子さまに面会した。天皇への面会は「内奏」と呼ばれ、首相や閣僚が定期的に行っているが、皇太子に対する面会は異例だ。5月に迫る即位を見越した「プレ内奏」とも言うべき面会だった。 | |||||||||||||||||||||||||||
2月末、元号を決めるまで1カ月余りに迫ったこの頃、平成が始まって間もなくから内々に提出を受けてきた元号案のうち、考案者が亡くなった案などを除くと70程度。そこから改元の実務を担う古谷一之官房副長官補らのもとで十数案まで絞り込まれていた。政府の「国民の理想としてふさわしいようなよい意味」、「書きやすい」、「読みやすい」要領に基づき、菅義偉官房長官のもとで元号案の絞り込みを進めることになっていたが、菅氏は「最終的には首相が決めるんだから、首相も入れて議論しよう」と判断した。 | |||||||||||||||||||||||||||
2月末、安倍首相が議論に加わり、首相をトップとする作業が政府内で極秘に本格化した。安倍首相は、事務方が絞り込んだ十数案について初めて報告を受けたが今一つ気に入らず、「まだ時間はある。他にも検討してみよう」と複数の学者にさらなる考案を求めることを指示した。 | |||||||||||||||||||||||||||
3月始め、首相の指示を受けた学者への追加依頼が断続的に続いた。 | |||||||||||||||||||||||||||
政府は3月上旬に案を絞り込み、菅官房長官が安倍首相に説明。その際に「令和」は含まれていなかった。安倍首相が菅氏に再検討を指示している。 | |||||||||||||||||||||||||||
3.14日、国文、漢文、日本史、東洋史の専門家に正式な委嘱手続きをとった。 | |||||||||||||||||||||||||||
3月中旬以降、「令和」が元号候補名に追加された。考案者について、政府は「本人が秘匿を希望している」などとして氏名を公表していない。文化勲章受章者で国際日本文化研究センター名誉教授の中西進氏(89歳)が要請を受けて数案を提出し、安倍首相が「令和」だけを選び、選定作業で残っていた5案に加えて有識者懇談会に示すことになった。中西進氏は考案者であることを否認している。 中西氏は東大大学院修了。万葉集が専門で1970年に「万葉集の研究」などで日本学士院賞を受賞。大阪女子大学長や京都市立芸大学長などを歴任した。1994年、宮中行事「歌会始」で天皇陛下に招かれて歌を詠む「召人(めしうど)」を務めた。2011年、富山市の「高志の国文学館」の館長。2013年、安倍政権下、文化勲章を受章。著書に「万葉集の比較文学的研究」、「日本文学と漢詩」などがあり、日本古典と中国古典双方に詳しいとして研究者の間で評価が高い。首相は1日のNHK番組で、万葉集を「誇るべき国書だ」と強調し、「初めて「令和」案を見たのは3月だった」と明らかにし、「大変新鮮な響きだなと思った」と振り返った。 |
|||||||||||||||||||||||||||
3月下旬、首相や菅氏、杉田和博官房副長官、古谷氏、今井尚哉首相秘書官が連日のように協議。 | |||||||||||||||||||||||||||
3.25日、新元号の決定の1週間前、追加考案を打診した中西氏から数案が届いた。首相は中西氏の数案の中にあった「令和」に目をとめた。「万葉集っていうのがいいよね」。最大の決め手は典拠だった。万葉集は天皇や皇族から、防人(さきもり)、農民まで幅広い層の歌を収めているとされてきた。首相は政権の看板政策「一億総活躍」のイメージを重ねて気に入り、28日の協議で「令和」を本命に6案を原案とする方針を決めた。 | |||||||||||||||||||||||||||
3.27日、安倍首相ら政権幹部(安倍首相、菅官房長官、事務方トップの杉田和博官房副長官、古谷一之官房副長官)が非公式協議を開催し、「令和」を本命候補とする方針を確認した。 | |||||||||||||||||||||||||||
3.28日、安倍首相が、首相官邸幹部らによる協議で、令和を含めた六つの最終案を決定し、「令和」を本命にしたかたちで最終案6案を有識者懇談会に提出することを申し合わせた。 | |||||||||||||||||||||||||||
3.29日、安倍晋三首相が、皇太子さまとの一対一の面会で、「令和」を含む六つの原案を事前説明した。皇太子さまが静養先から戻った当日の夜にもかかわらず面会したのは、前日固まった元号の原案を伝えるためだった。 | |||||||||||||||||||||||||||
4.1日、政府は、新元号決定の直前に原案への意見を聴く9人で構成する新元号の決定に向けた有識者懇談会のメンバーを発表した。これまでに絞り込んだ数個の原案について意見を交わし、衆参両院の正副議長からの意見聴取や全閣僚会議での協議を踏まえ、正式に元号を決める運びだ。政府発表によると、「元号に関する懇談会」のメンバーは次の通り。
マスコミからは前回同様、日本新聞協会、NHK、日本民間放送連盟の各会長を充てた。平成改元時の懇談会より1人増やし、女性を複数にした。新たに財界と法曹界から起用した。政財界、三権のバランスを考慮したとみられる。各界各層の幅広い識見を募り、新元号を選定する。他の案が元号になる可能性も排除していなかったが、4月1日の元号に関する懇談会で9人中8人が「令和」を支持。政府高官は「これほど『令和』が良いと言われるとは思っていなかった」と安堵(あんど)した。 政府は「元号に関する懇談会」に示した原案すべてについて、考案者を記した記録を公文書として残すが、当面は明らかにしない方針だ。 |
【「令和」元号制定経緯】 | |||||||||||||||||||||||||
4.1日、首相官邸周辺は朝から慌ただしい空気に包まれた。午前8時前。元号選定の事務を取り仕切る杉田和博官房副長官や古谷一之官房副長官補がまず官邸入りした。午前8時半すぎに着いた菅長官は「普段通りだよ」と記者団に語った。「一連の行事は滞りなく行えそうか」と問われると、「大丈夫でしょ」と余裕の表情を見せた。懇談会に先立ち、菅長官は横畠裕介内閣法制局長官と自室で打ち合わせした。1979年に定められた「元号選定手続き」に基づき、懇談会に示す新元号原案数個を選定したとみられる。安倍晋三首相は午前9時すぎに官邸に到着。待ち受けていた記者団に「気持ちの良い青空で、満開の桜がきれいだ。希望に満ちあふれた新しい時代につながるような新元号を決定したい」と語った。 | |||||||||||||||||||||||||
懇談会に出席する有識者は午前9時前ごろから続々と集まり始めた。作家の林真理子氏は「厳粛な気持ちで。緊張して」と語り、榊原定征前経団連会長は「平和と社会の安寧、心の豊かさ。そういった元号が選ばれるといい」と話した。 元号の選定手続きは午前9時半ごろ、山中伸弥京都大教授ら有識者9人でつくる「元号に関する懇談会」を皮切りに始まった。政府の要領に沿って、菅氏は横畠裕介・内閣法制局長官の意見を聴いたうえで、元号の原案として数案を選定した。懇談会冒頭で菅義偉官房長官のあいさつはなく、出席者の前には紙と筆記用具が置かれていた。ノーベル賞受賞者の山中伸弥京大教授ら、各界の有識者9人による「元号に関する懇談会」に原案を提示。元号候補とその典拠、意味などについて説明し、メンバーそれぞれから意見を聴いた。 菅義偉官房長官は1月下旬ごろ、元号担当の古谷一之官房副長官補らが事前に選定した20-30の候補名提出を受け、絞り込み作業を開始。政府が1日の新元号の選定時に有識者懇談会などに提示した候補名の全6案原案書は次の通り。6案はA3判1枚に「英弘(えいこう)」から五十音順に並べられ、「令和」が最後に記載されていた。
この時の内幕が次のように明かされている。有識者懇談会の前から官邸が「令和」に決めており、ほかの5案がダミーで、会議でも官邸担当者が「令和」に誘導していた。次のように証言されている。
これによると、官邸が有識者懇談会を誘導した様子が透けて見えてくる。実際、有識者懇談会のメンバーからも、そのことを示唆する発言が出ている。民放連会長の大久保好男・日本テレビ社長が「事前に候補を教えてもらったわけでもなく、準備できなかった。感想のようなものを述べたにとどまる」と懇談会が事後承認の機関に過ぎなかったことを認めている。事実上、「令和ありき」で選定作業を進めていったことが判明する。山中伸弥・京大教授(有識者懇談会メンバー)のコメント「非常に美しい、きれいな元号という最初の印象を持った」。9人のメンバー全員が国書(日本の古典)を典拠、いわゆる出典とするのが望ましいという考えを示した。「令和」について、8人が「響きが優しい」、「我が国がもっている素晴らしい洗練された文化を象徴している」などと述べて推したのに対し、1人が別の原案が好ましいと発言した。メンバー9人中8人が「令和」を支持した。 |
|||||||||||||||||||||||||
政府は有識者懇談会で国書(日本古典)の採用を事実上促し、国書の「万葉集」から採用した「令和」に決定した。 | |||||||||||||||||||||||||
部屋の外は入室し切れなかった報道陣でごった返した。懇談会は約40分で終了。菅長官は「何案提示したかは言わないことになっている。一人一人それぞれ意見を言ってもらった」と記者団に述べた。 | |||||||||||||||||||||||||
この後、菅長官は約600メートル離れた衆院議長公邸に移った。車列を上空からヘリで追跡した放送局もあった。午前10時20分ごろから衆院議長公邸で、大島理森衆院議長ら衆参両院の正副議長の意見聴取に臨んだ。 官邸側は当初、新元号に関する衆参両院の正副議長への意見聴取を、国会内でおこなうことにこだわっていた。そして「発表までおとどまりいただきます。携帯電話は預からせていただきます」と書いた文書を正副議長に通知した。これに対し、赤松氏が国会は国権の最高機関であるとして猛反発。菅官房長官がなだめようと何度も電話をかけても赤松氏は携帯電話に一切出なかった。結局、衆院議長公邸で意見聴取がおこなわれた。その後も赤松氏の怒りは収まらず、「安倍の安の字が元号に入っていたら絶対反対する」と周囲に話していた。 意見聴取では、「わが国のよき伝統と未来への希望を託せる新元号が望ましい。提示された原案はいずれもこれにかなっている」という意見の一方、「特定の季節を指すものはどうか」と、「令和」に難色を示す意見も出された。懇談会と正副議長からの意見聴取では、いずれも最後に菅官房長官が「意見を参考として内閣として新元号を決定する」という考えを示し了承された。 |
|||||||||||||||||||||||||
菅長官が官邸に戻った午前10時40分頃、全閣僚会議と閣議に出席するため、閣僚が続々と官邸に集結した。平井卓也科学技術担当相は「ちょっとドキドキ」。渡辺博道復興相は「すごく緊張している」と笑顔で語った。 新元号が漏れないために情報統制が敷かれた。閣僚や有識者は会議が始まる前に携帯電話を封筒に入れて預けさせられ、発表まで首相官邸に足止め。なんとトイレにも職員が付き添ったらしい。衆参両院の正副議長も同様に携帯電話没収を求められたが、赤松衆院副議長が激怒。大島衆院議長が仲裁に入り、結局、発表まで議長公邸で食事を取って情報漏れを防ぐ形が取られた。「由らしむべし、知らしむべからず」。 A4判1枚の紙に縦書きで記された元号案が提示された。 令和、英弘(えいこう)、久化(きゅうか)、広至(こうし)、万和(ばんな)、万保(ばんぽう)の6つの原案が示された。杉田官房副長官が冒頭で「有識者会議では『令和』を評価する意見が多かった」と報告。「『令和』は日本の古典である万葉集が由来である」、「出典の万葉集は幅広い階層の人が詠んだ歌が含まれ、安倍政権が進める1億総活躍社会とも親和性がある」とコメントされた。河野外相が「私も日本のものから取るのがいいと思います」と口火を切った。次々と他の閣僚からも賛同する意見が出された。全閣僚会議では新元号に対する意見として10人が発言し、9人が国書からの選定を求め、このうちの4人が「人々の思いを集めた万葉集という、わが国独自の由来がある」などと「令和」を推した。一方、複数の閣僚が、 「令和は昭和とかぶるところがある」などとして、漢籍(中国の古典)が典拠のものを含むほかの原案を推挙した。これがために日程は当初予定より遅れることになった。 議論の最後に、菅官房長官が「意見を踏まえ、新元号は総理に一任したい」と述べて了承された。これを受けて安倍総理大臣が、「国書である万葉集を典拠とする『令和』を新元号としたい」と発言し、これが了承された。この首相裁定で日本最古の歌集「万葉集」を出典とする「令和」を決定した。これまでの元号のほとんどが中国の古典から選ばれており、今回、初めて日本の古典から選ばれた。 元号を改める政令は天皇陛下の署名・押印、官報掲載を経て、1日中に公布される。憲法は政令の公布について、天皇が内閣の助言と承認の下で行う国事行為の一つと定めている。 |
|||||||||||||||||||||||||
閣議終了後の11時26分、宮内庁長官室の電話が鳴った。新元号の公表に先立ち首相官邸は、閣議決定直前に宮内庁を通じて天皇陛下と皇太子さまに新元号を伝達した。政府は前回の改元でも、即位直後の天皇に「平成」を事前伝達している。天皇への配慮だが、天皇が元号の決定に関与したとの疑義を招く恐れがあるとして、憲法上の問題を指摘する声がある。 杉田和博官房副長官が宮内庁の山本信一郎長官に「元号は『令和』、典拠は万葉集である。陛下と皇太子殿下にお伝え願いたい」と伝えた。山本長官は、皇太子さまのいる東宮御所で控えていた西村泰彦次長に電話で連絡。午前11時31分、元号を改める政令を持った政府の職員が車で皇居に入った。その後、山本長官から天皇陛下へ、西村次長から新天皇に即位する皇太子さまへ、「令和」が対面で伝えられ、11時40分までに山本長官と西村次長は杉田副長官に伝達の事実を電話で報告。 午前11時41分頃、菅義偉官房長官が首相官邸で記者会見し、新しい元号は「令和(れいわ)」と発表し、「令和」と墨書した額を掲げた。菅官房長官による新元号発表は、午前11時30分に行われる予定だったので「空白の11分」遅れとなった。 菅官房長官:「新しい元号は『令和』であります。『令和』は万葉集の梅の花の歌、三十二首の序文にある『初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす』から引用したものであります」。典拠は奈良時代に完成した日本に現存する最古の歌集「万葉集」。日本で記された国書に由来する元号は確認できる限り初めてとなる。 元号を改める政令は1日中に公布されて、皇太子さまが新天皇に即位される5月1日に施行され、その日の午前0時に元号が切り替わる。新たな元号は、最初とされる「大化」から数えて248番目となる。天皇退位に伴う改元は、光格天皇の退位で「文化」から「文政」に改元された1818年以来、約200年ぶり。天皇退位に伴う改元は憲政史上初めて。1989年1月に始まった「平成」は、残り1カ月で幕を閉じる。 新元号は645年の「大化」から数えて、248番目。「大化」から「平成」までは、確認されている限り中国の儒教の経典「四書五経」など漢籍を典拠としており、安倍政権の支持基盤である保守派の間には国書由来の元号を期待する声があった。政府は今回、国書を専門とする複数の学者にも考案を依頼していた。 |
|||||||||||||||||||||||||
菅官房長官は午後の記者会見で、「今後、発言者名や『令和』以外の案を記載した議事録も作成する予定で、それらの文書についても公文書管理法や情報公開法などの関係法令に基づいて適切に管理していきたい。議事録以外の関係文書も公文書管理法などを踏まえつつ、作成したものを適切に保存していきたい」と述べた。また、議事概要で発言者の名前を公表しなかった理由について、「新元号が広く国民に受け入れられ、日本人の生活の中に深く根ざしていくことが重要で、新元号『令和』が特定の発言者と結び付けて評価されることは適当ではない。また将来、想定される元号選定の際に支障となることが懸念されるため、発言者名については公表しないことになっている」と述べた。 |
【安倍内閣総理大臣記者会見】 | |||
続いて正午頃に安倍総理大臣が談話を発表し、新しい元号に込められた意義などについて、国民に直接伝えた。
|
|||
安倍総理冒頭発言 | |||
本日、元号を改める政令を閣議決定いたしました。新しい元号は「令和」(れいわ)であります。これは「万葉集」にある「初春の令月にして 気淑(よ)く風和(やわら)ぎ 梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き 蘭(らん)は珮後(はいご)の香を薫(かおら)す」との文言から引用したものであります。そして、この「令和」には、人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味が込められております。「万葉集」は、1200年余り前に編さんされた日本最古の歌集であるとともに、天皇や皇族、貴族だけでなく、防人(さきもり)や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります。悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく。厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込め、「令和」に決定いたしました。文化を育み、自然の美しさをめでることができる平和な日々に心からの感謝の念を抱きながら、希望に満ちあふれた新しい時代を国民の皆様と共に切り開いていく。新元号の決定に当たり、その決意を新たにしております。5月1日に皇太子殿下が御即位され、その日以降、この新しい元号が用いられることとなりますが、国民各位の御理解と御協力を賜りますよう、お願いいたします。政府としても、ほぼ200年ぶりとなる歴史的な皇位の継承がつつがなく行われ、国民こぞって寿(ことほ)ぐことができるよう、その準備に万全を期してまいります。元号は、皇室の長い伝統と、国家の安泰と、国民の幸福への深い願いとともに、1400年近くに渡る我が国の歴史を紡いできました。日本人の心情に溶け込み、日本国民の精神的な一体感を支えるものとなっています。この新しい元号も広く国民に受け入れられ、日本人の生活の中に深く根差していくことを心から願っています。私からは以上です。 | |||
(安倍総理質疑答弁1) | |||
我が国は、歴史の大きな転換点を迎えていますが、いかに時代が移ろうとも、日本には決して色あせることのない価値があると思います。今回はそうした思いの中で歴史上初めて国書を典拠とする元号を決定しました。特に「万葉集」は、1200年余り前の歌集ですが、一般庶民も含め地位や身分に関係なく幅広い人々の歌が収められ、その内容も当時の人々の暮らしや息づかいが感じられ、正に我が国の豊かな国民文化を象徴する国書です。これは世界に誇るべきものであり、我が国の悠久の歴史、薫り高き文化、そして、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄はしっかりと次の時代にも引き継いでいくべきであると考えています。同時に、急速な少子高齢化が進み、世界がものすごいスピードで変化をしていく中で、変わるべきは変わっていかなければなりません。平成の30年間ほど、改革が叫ばれた時代はなかったと思います。政治改革、行政改革、規制改革。抵抗勢力という言葉もありましたが、平成の時代、様々な改革がしばしば大きな議論を沸き起こしました。他方、現在の若い世代、現役世代はそうした平成の時代を経て、変わること、改革することをもっと柔軟に前向きに捉えていると思います。ちょうど本日から働き方改革が本格的にスタートします。70年ぶりの労働基準法の大改革です。かつては何年もかけてやっと実現するレベルの改革が、近年は国民的な理解の下、着実に行われるようになってきたという印象を持っています。そうした中で、次の世代、次代を担う若者たちが、それぞれの夢や希望に向かって頑張っていける社会、一億総活躍社会をつくり上げることができれば、日本の未来は明るいと、そう確信しています。新しい元号の下、一人一人の日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そういう時代を国民の皆様と共に築き上げていきたいと思います。 | |||
(安倍総理質疑答弁2) | |||
今回、元号を発表するに当たり、誰が発表するかという意見が、随分議論があったと思いますが、新しい元号は本日、政令という形で閣議決定いたしましたが、通常、閣議の内容は官房長官が公表しております。そのため、今回も新元号については平成のときと同じように官房長官が発表することといたしました。その上で、平成の改元時には、当時の竹下総理の談話が発表されています。当時は総理大臣が会見を行うということは極めてまれでありましたが、平成の30年を経て、総理大臣が直接発信する機会も増大しました。私自身、何らかの出来事があると、官邸に入る際などに記者の皆さんから声がかかり、マイクを向けられることもあります。そうした時代にあって、平成のときと同様に、総理大臣談話を発表するのであれば、私自らが会見を開いて、国民の皆様に直接申し上げるべきだと、こう考えた次第であります。また、元号の選考につきましては、他の案が何かということも含めまして、検討過程について申し上げることは差し控えますが、我が国が誇る悠久の歴史、文化、伝統の上に、次の世代、次の時代を担う世代のために、未来に向かってどういう日本を築き上げていくのか。そして、その新しい時代への願いを示す上で、最もふさわしい元号は何かという点が一番の決め手でありました。 | |||
(安倍総理質疑答弁3) | |||
本日の会見は、インスタグラムやツイッターで生中継をされていますが、今の若い世代の皆さんは、こうしたSNSなどの新しいツールを見事に使いこなすことで、どんどん新しい文化をつくり上げています。ニコニコ動画も既存メディアの発想にとらわれることなく、若者たちならではの柔軟さで多様な番組を生み出して、リアルタイムで個人がコメントを発信できる、新しいメディアの姿を形づくられたと、こう思っています。こうした若い世代の新しいムーブメントは、確実にこれまでの政治や社会のありように大きな変化をもたらしつつあります。本当に頼もしい限りであると思っておりますが、日本の未来を明るいと感じています。新しい時代には、このような若い世代の皆さんが、それぞれの夢や希望に向かって思う存分活躍することができる、そういう時代であってほしいと思っています。この点が、今回の元号を決める大きなポイントでもありました。今回の元号は、「万葉集」にある梅の花の歌三十二首序文からの引用です。この中では、厳しい寒さの後、春の訪れを告げるように見事に咲き誇る梅の花の情景が美しく描かれております。平成の時代のヒット曲に「世界に一つだけの花」という歌がありましたが、次の時代を担う若者たちが、明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる。そのような若者たちにとって希望に満ちあふれた日本を国民の皆様と共につくり上げていきたいと思っています。 | |||
(安倍総理質疑答弁4) | |||
まず、2月の22日と3月の29日に皇太子殿下にお会いいたしましたが、その際の内容等については、お答えすることは差し控えさせていただきたいと思います。皇太子殿下におかれては、本年2月のお誕生日に際しまして、今上陛下のこれまでのお姿を心にとどめ、国民に常に寄り添い、人々と共に喜び、あるいは共に悲しみながら、象徴としての務めを果たしていきたいとのお気持ちを明らかになさったと承知をしており、大変有り難いことであると考えています。私としては、皇太子殿下の御即位を心からお喜び申し上げますとともに、先ほど申し上げた殿下のお気持ちをしっかりと受け止め、新しい「令和」の時代を、国及び国民統合の象徴となられる殿下と共に歩みを進めてまいりたいと、こう思っております。今月は平成最後の月となります。この一月、平成の時代に、そして、天皇皇后両陛下の御足跡と御手跡に思いを馳せつつ、新しい時代に向けて、天皇陛下の御退位と皇太子殿下の御即位がつつがなく行えるように万全を期していきたいと思います。そして、新しい時代にふさわしい「令和」の時代を切り開いていくために、準備万端、万全を期していきたいと、こう考えております。なお、新元号については、閣議決定を行った後に、宮内庁を通じて今上陛下及び皇太子殿下にお伝えいたしました。 |
4/2(火) 16:34、東スポウェブ配信 「新元号「令和」を予言した男の“驚愕”」、「3年前に「令和」を予想した人が!中国でも驚きの声」。 4.1日、菅義偉官房長官が記者会見で平成に続く元号が「令和」に決まったことを発表したさ中、中国版ツイッター・微博(ウェイボー)で紹介されたのが、日時は2016年7月13日午後7時41分、ユーザー名「しゃあん」(@syaaaan_)氏の「明治大正昭和平成令和 違和感ないね!」というツイート。常用漢字は2136文字あり、そのうち2文字を組み合わせると、456万2496とおり(同じ漢字のダブリを含む)となる。偶然でも当てることなど不可能。ちなみに的中させる確率は0.000000222222222%となりジャンボ宝くじの1等の0.000005%よりも低いという。しかも、ツイートした時間の午後7時41分は19時41分でもある。新元号が発表されたのは、19年4月1日…。なんとも奇妙な数字の一致だ。この“予言”ツイートがあった日は、天皇陛下が退位の意向を関係者に示していたというNHKの報道があった日でもある(当時の時点では宮内庁側は退位を否定)。「不思議な偶然」で済まされるべきだろうか。 |
共産党の志位和夫委員長は1日、新元号が「令和(れいわ)」に決まったことに関し「慣習的使用に反対しないが、使用の強制に反対する」との表題で談話を発表した。 談話の全文は次の通り。 一、元号は、もともとは中国に由来するもので、「君主が空間だけでなく時間まで支配する」という思想に基づくものである。それは日本国憲法の国民主権の原則になじまないものだと考えている。 一、わが党は、国民が元号を慣習的に使用することに反対するものではない。 同時に、西暦か元号か、いかなる紀年法を用いるかは、自由な国民自身の選択にゆだねられるべきであって、国による使用の強制には反対する。 一、政府は、これまでも「一般国民にまで(元号の)使用を強制することにはならない」ことを「政府統一見解」として明らかにしている。 この立場を厳格に守ることを、あらためて求める。 2019年4月1日 14時2分 産経新聞 |
志位和夫「元号は元々は中国に由来するものであって君主が空間だけではなく時間をも支配するという思想に基づいたもの。ですから、日本国憲法の国民主権の原則にはなじまないと私たちは考えている」。 https://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000151227.html |
(私論.私見)