平将門の怨霊を封印するために東京の山手線の建設が企画されたという説(都市伝説?)があります。平将門は、朝廷から派遣された国司の圧政に苦しむ東国(今の関東)の農民のために、朝廷から東国の独立を目指した、いわば正義の味方ですが、朝廷からは反乱とみなされました。そのため、平将門は朝廷が派遣した追討軍によって討たれ、京都でさらし首になりました。なんと、その首が故郷に戻ろうとして、下総(現在の千葉県)に飛んでいきましたが、途中で力尽きて東京付近で落ちました。それが大手町の将門の首塚(将門塚)です。
明治維新で徳川家から天皇家へ政権が返還されると、時の政府は朝廷(や天皇)に恨みを持つであろう将門の怨霊の被害を受けないために線路という鉄の結界で将門の首塚を封印しようと計画しました。それが山手線というわけです。まさに陰陽師の世界です。鉄は霊を宿すと言われますが、反面、霊を封印する素材であるとも言われています。山手線は長い年月をかけて部分部分を完成し、あと少しで環状線として繋がり、鉄の結界が完成しようとする寸前に関東大震災で被害を受けました。震災後、首塚跡地を整理し、つまり、発掘し、何もないのが確認できたため、その地に大蔵省の庁舎の建設計画が策定されました。すると、当時の大蔵大臣と大蔵官僚14人が相次いで原因不明の死を遂げました。山手線が復旧・開通し、結界が完成したのが昭和の初期でした。
時が経ち、戦後、事情を知らないGHQが首塚跡地を潰して駐車場を作ろうとして、またまた死者を出す惨事をまねきました。以来、GHQはその地に関わろうとしなくなりました。その後、国は将門の首塚の近隣の土地を民間に売却し、金融機関のオフィスビルが立ち並ぶようになりました。当初、首塚に面した窓側の席の行員が体の不調を訴えたといいます。その後、近隣の金融機関の行員によって参拝され、将門の首塚に線香の煙が立たない日はないそうです。
戦後は天皇は国民の象徴としての地位となったため、明治政府とは違い、戦後の政権では天皇家を守るため将門の怨霊を封印するという発想はないようです。この科学万能の時代にそんなことにこだわったら笑われてしまいますしね。というわけで、東京スカイツリーも平気で作っちゃったりするわけですが・・・東京タワーと東京スカイツリーを結ぶ線が山手線で作った鉄の結界を破ってしまったのです。
|