高鴨神社考

 更新日/2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5).3.25日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「高鴨神社考」をものしておく。

 2010.4.17日 れんだいこ拝


【高鴨神社考】
 高鴨神社 ⛩

 奈良県御所市鴨神 主祭神は阿遅志貴高日子根命(あぢしきたかひこねのみこと)。その御名を迦毛之大御神(かものおおみかみ)と申す。「カモ」は「カミ」と同源であり「カモす」という言葉から派生し、「気」が放出している様子を表している。
 高鴨神社は全国鴨(加茂)社の総本宮。弥生中期より祭祀を行う日本最古の神社の一つです。この地は大和の名門の豪族である鴨の一族の発祥の地で、本社はその鴨族が守護神として祀った社の一つである。
 葛城御歳神社 ⛩(かつらぎみとしじんじゃ)
 五穀豊穣の守護神 中鴨さん ❣️

 古代鴨氏が祭った名社で、御所市にある高鴨神社(上鴨さん)、鴨都波神社(下鴨さん)とともに中鴨さんとして親しまれている。

 葛城御歳神社 ⛩(かつらぎみとしじんじゃ)

 御祭神御歳神(みとしのかみ)大年神(おおとしのかみ)高照姫命(たかてるひめのみこと)。創祀は神代。弥生期からの神の宿る地であり、古くは神奈美(神の鎮座する山や森)の御歳山に自然石の磐座をたて、神を迎えてお祭りするという古式の形式だったと思われるそうです。現在の本殿は、江戸期に春日大社の本殿第一殿を移築したもの。御神名の「トシ」は穀物特に稲、またはその実りを意味する古語で、御歳神は稲の神、五穀豊穣をもたらす神また、穀物の生長を司る神として古くから尊崇されています。正月に祭り親しんでいる年神様は、この御歳神、大年神、若年神といわれています。鏡餅は御歳神へのお供え物(依り代)であり、このおさがりのお餅には御歳神の魂がこめられており、これを「おとしだま」と呼んでいたものが今のお年玉の起源であります。

【葛木倭文座天羽雷命(かつらき・しとりにいます・あめのはいかづちのみこと)神社】
 奈良県葛城(かつらぎ)市、大和二上山(にじょうざん・雄岳の(ふもと)に鎮座する式内社(しきないしゃで、地元では「加守(かもり神社」と呼ばれている。以下「加守神社」と記す。

 大和二上山は、奈良県と大阪府の県境に位置する雄岳(おだけ)(517m)と雌岳(めだけ(474m)から成る死火山で、縄文時代から石器用のサヌカイト(カンカン石※)、古墳時代から石棺などに使用された凝灰岩(ぎょうかいがん)が採石されていた。大和の磐余(いわれの地から眺める連峰のシルエットは美しく、霊山としてあがめられるとともに、万葉集などでも多くまれている。
 ※叩くと鋭利な面をもった剥片に分かれます。金属音がすることからカンカン石。四国の讃岐(さぬき)地方でもよく採れることからサヌカイトの名がついた。石器~縄文時代の近畿以西で利用されたサヌカイトはおおむね大和二上山産。

 加守の交差点からお山の方に上がってゆくと、麓の濃い緑の中に、加守神社は鎮座している。参詣道入口の碑に「加守神社」、「倭文(しとり)神社」、「二上(ふたかみ)神社」と刻まれ、三社が祀られている。

 御由緒には、各社のことが次のように書かれている。以下各要約。
 1)加守神社。御祭神は産育の祖・天忍人命(あまおしおのみこと。初代神武天皇のお父上・鵜草葺不合尊(うがやふきえあずのみこと出生の時、箒(ほうきをつくりかに)(胎盤のこと)を(はら)ったことから、これを蟹守(かにもりとして掃部(かもんの職制ができ、いわゆる『助産』を担った蟹守加守一族の氏神。

 2)倭文神社天照大神荒衣和衣(あらたえにぎたえをつづった天羽雷命(めのはいかづちのみことが御祭神。機綴(はたつづりの神様で、伊勢・駿河・伊豆・甲斐・近江・上野・丹後・但馬因幡伯耆などの国々に祀られている。倭文(しずりは《あやぬの》、日本古来の織物のことで、子孫を倭文しとり、しずり、とも)氏とし、諸国に『機綴(はたつづりと裁縫』の術を伝えた。

 3)二上神社。力くらべの角力(かくりき)建御雷神(たけみかづちのかみ)富国尽力した温和な大國御魂神(おおくにみたまのかみ)の男神が御祭神。『文武の神』、『縁結びの神』としてあがめられている。

 いろいろな要素が含まれていて複雑に思えますが、『縁結びは二上』、『出産(助産)は加守』、『産育は倭文』、『文武教育は二上』という、男女の出会い、出産から育児までトータルで子孫繁栄の流れに沿った祭祀・信仰となっている。「連峰の大和二上山のイメージを、縁結び(男女)・文武両道(教育)で二重に神格化している点が特徴でしょうか」とある。




(私論.私見)