大物主の命考

 更新日/2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5).7.25日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「大物主の命考」をものしておく。

 2023.7.25日 れんだいこ拝



事代主〜賀茂氏・大神氏までの系図を考察する。
第ニ回。
前回の投稿が中途半端だったので、加筆する。
『新撰姓氏録』の阿田賀田須から和邇氏と宗像氏に分かれた、経緯を合わせて考察する。
参考
三輪高宮家系譜
先代旧事本紀
新撰姓氏録
木村博昭著書『古代出雲王国と神々の伝承』188ページ『ワニ氏略系図』
海部氏・尾張氏・雀部氏各系図
竹内睦泰口伝
出雲伝承
①三輪高宮家系譜では『八重事代主』と『天事代主』の二人がおり、事代主を役職名と考え二代に渡って二人いたとする。
②三輪高宮家系譜では大国主と八重事代主の二人が大物主と書かれており、『大物主』も役職名だと考える。
③豊玉彦の子で豊玉姫の妹である玉依姫姫と鴨玉依姫の二人がいたとする。
④竹内口伝で『玉依姫はウガヤフキアエズと結婚していたが、夫が早く亡くなったので建角身と再婚した。』とあることから、豊玉彦の娘の玉依姫が八重事代主と再婚した。と理解する。
⑤八重事代主の子の鴨玉依姫が二代目天事代主と結婚したと考える。
⑥天日方奇日方は先代旧事本紀で物部氏になっていることから、母方事代主系父方物部系と考える。
ニギハヤヒ(物部)の子で八重事代主の子の玉依姫と結婚しているのは、五十猛(天香具山・高倉下・大屋彦・火雷神)なので、この人が天日方奇日方の父で天事代主と考える。事代主を継いでいるのは婿入りしたと考える。
⑦八重事代主の子は鴨玉依姫=活玉依姫=建玉依姫=大屋姫とすると八重事代主=陶津耳=三島溝咋=建角身=アジスキタカヒコネ。
⑧竹内口伝より天足彦国押人と日本足国押人(孝安)は同一人物。自分の娘(押姫)と結婚することは神道上考えにくいので、孝安の子に孝霊と和邇彦押人がいて、和邇彦押人が天日方奇日方の末裔八代阿田賀田須の姉か妹に婿入りして和邇氏になった。母は海部氏の宇那比媛と考える。
⑨新撰姓氏録では阿田賀田須から和邇氏と宗像氏に分かれたとあるので、阿田賀田須の弟の健飯賀田須が宗像氏。健飯賀田須(宗像?)ー九世大田田根子ー十世大御気持ー十一世大鴨積
⑩大鴨積の時、崇神から加茂氏を賜り、天日方奇日方から続く磯城王朝が滅亡した。
出雲口伝にある第二次物部東征。
また大鴨積の兄弟の大都王が大神朝臣の祖になっていることから、大神氏・大三輪氏→磯部氏→渡会氏。中央の大友氏。
この後、出雲口伝では『大神祭祀と伊勢祭祀に分かれたと言う。
『能』にも『大神の神と伊勢の神は同じ』と残っている。
以上をまとめた系図を載せますが手書きの上、光の入り具合が悪く見にくくてすみません。
併せて木村博昭さんの『和邇氏略系図』も載せておきます。







(私論.私見)