梅原猛「葬られた王朝―古代出雲の謎を解く―」考

 (最新見直し2008.8.29日)

 (れんだいこのショートメッセージ)


 2008.4.10日、2010.4.17日再編集 れんだいこ拝


 2010.8.5日、梅原猛・氏の「葬られた王朝―古代出雲の謎を解く―」を読了した。れんだいこは偶然にも梅原氏の他の著作は読んでいないのだが恐らく本書は、梅原史学の現段階を凝縮せしめた好著足り得ているだろうと思う。次のように紹介されている。「ヤマタノオロチや因幡のシロウサギなどで知られる出雲神話、それは天皇家につながるアマテラスの系譜とは別個の、スサノオを祖とした、もう一つの王家の物語である。もしこの王朝が歴史的に実在するものであったなら……。『隠された十字架』『水底の歌』以来の、日本古代史を塗り替える衝撃的な論考!」。

 どこが目新しいかと云うと、梅原氏は去る日の「神々の流竄(るざん)」(集英社文庫、1985/12/13初版)で展開した出雲王朝否定説を本書でまさしく自己否定してみせ、逆に出雲王朝実在説を説くと云う芸に転換したところにある。いわゆる自説撤回、新説提起と云うことになるが、功成り名を遂げた学者としてはできにくいことを平然として為した凄(すご)みこそ窺うべきであろう。れんだいこは、梅原氏のこの挙により、梅原史学をもう少し探索して見たくなった。これが「葬られた王朝―古代出雲の謎を解く―」のもう一つの効果なのではなかろうか。

 もっとも、梅原氏の出雲王朝実在説は緒に就いたばかりの気がする。今後の展開こそ期待して余りあると云うべきだろう。梅原氏は今漸く出雲王朝実在説に辿り着いたが、次はその出雲王朝と邪馬台国論との絡みの考察に向かうべきではなかろうか。その研究成果は、邪馬台国が大和王朝に陸続したのではなく攻め滅ぼされた側であるとして従来の邪馬台国論の陥穽を衝き、新邪馬台国論を明快にさせて行くであろう。但し、「一方で内戦、他方で和睦」と云う世界史上に誇るべき「日本型和の政治」の真骨頂を垣間見ることになるだろう。ここまで辿り着かねば梅原史学は完遂しないのではなかろうか。同時に、ここに辿り着くことによりますます真価を発揮するように思われる。そういう意味で、梅原史学の道のりは未だ遠い。れんだいこはかく評する。相対評価で云えば、他の学者が足踏みし続けている中で梅原史学が独り進化し続けていることに値打ちが認められようか。但し、既に80代半ばの高齢と聞く。梅原氏の気力と寿命が続くだろうか。

 以上を総評として以下各論に言及しておく。一つは、。一つは。一つは。一つは。

 こういう指摘をしているところに「葬られた王朝―古代出雲の謎を解く―」の値打ちがあるように思われる。

 さて以上の関心から、では「神々の流竄(るざん)」その他著作を読んでみようか。恐らく梅原氏は数々の著作で単なる解説を退け、その都度、通説と異なる仮説を打ち出し続けて来られているところに特徴が認められるのではなかろうか。その仮説が当たる場合もある。こたびのように塗り替える場合もある。云えることは、常に真摯な学問的営為に支えられていると云うことではなかろうか。梅原氏に接する人はその姿勢に敬服するのではなかろうか。

 2010.8.6日 れんだいこ拝




(私論.私見)

葬られた王朝―古代出雲の謎を解く―
梅原猛