須佐神社考

 更新日/2019(平成31→5.1栄和元年).5.16日

 整理中

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「須佐神社考」をものしておく。

 2010.04.17日 れんだいこ拝


須佐神社考
 「出雲古代史紀行(3) 概要編 須佐神社・荒神谷遺跡」。
 承前 出雲古代史紀行(2) 概要編 出雲大社
 「須佐神社公式ホームページ 」。

 須佐神社です、スサノオが逝去した場所であり、神戸(かんど)川 上流の小さな谷にあります。出雲駅からバスで40分ほどかかります、其処からタクシーで往復2千円程度です。こんな辺鄙な僻地からスサノオは出雲を制圧し、日本列島を続々と開拓したのだ。出雲を語るにはこの場所から話を始めなければならない。
 樹齢1300年の大杉です

 参考 

 スサノオはアマテラスの弟だが天上界では暴れまわり、アマテラスを困らせ天上界を追放された神である。しかし、出雲に降臨してからはヤマタノオロチを退治し、クシナダヒメを妻とし須賀の宮で落ち着き子供たちに恵まれることになっている。須賀とはアスカやヨコスガに通じる言葉であり、佐田(サダ)という場所も興味が深い。

 サダは継体天皇の時代に百済に割譲した任那4県の一つ、サダゆかりの地名ではないかと推測している。実は、私が生まれ育った北河内の招堤村の近くにサダという場所があり、百済と関係が深い遺跡も近くに多く存在する場所でした。






(私論.私見)