【獅子山八幡宮秋季大祭宵宮】比婆荒神神楽奉納
岡山県新見市哲西町矢田 獅子山八幡宮
御祭神:譽田別命・神功皇后・玉依姫命
祭礼日:毎年10月第1日曜日(前日の宵宮に比婆荒神神楽奉納)(撮影は2017年)
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①七座神事と式典
岡山県新見市哲西町矢田の獅子山八幡宮は、譽田別命・神功皇后・玉依姫命を御祭神とする神社。鎌倉時代の正治元年(1199)に伊勢国朝熊滝八幡宮から御分霊を勧請したのが神社としての始まり。矢田の氏神として人々の崇敬を集めている。
毎年10月第1日曜日に秋季大祭が行われ、その前日の宵祭に比婆荒神神楽が奉納される。比婆荒神神楽は、主に広島県庄原市東城町・西城町で信仰される本山三宝荒神を信仰の中心とする荒神信仰(同族集団全体の祖霊神への信仰)の式年大祭で行われる神楽で、県境をまたいだ岡山県側の新見市でも荒神信仰が盛んで、いくつかの集落で比婆荒神神楽保存会による式年の荒神神楽が行われている(「長作神楽」もその一つ)。また、神社の祭礼で奉納されることも多く、獅子山八幡宮の秋季大祭もその一つ。獅子山八幡宮の境内社には村々から集められたと思われる本山三宝荒神像を祀る小祠がいくつかあり、秋季大祭の宵祭・本祭の日にはすべての境内社の扉が開かれ、本社御祭神と荒神がともに神楽をお楽しみになる形をとっている。式年の荒神神楽は7年、13年、または33年ごとで、獅子山八幡宮での奉納は毎年、村人が毎年楽しみにしている行事の一つとなつている。
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獅子山八幡宮秋季大祭宵宮で奉納された比婆荒神神楽は、式典神事の前に舞われた「打立」(うったて)、「曲舞」、「指紙」(さすかみ)、「榊舞」(さかきまい)、「猿田彦の舞」。神事性の高い七つの儀式舞から構成される通称「七座(しちざ)神事」からの五舞で、それぞれの舞の簡単な説明は以下の通り。
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打立(うったて) |
神楽衆が御神前に向かい、笛・太鼓・神楽歌の楽合わせ。最初と最後に幣束を手に拝礼する。 |
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曲舞 |
一人舞で「顔見せ舞」ともいい、神楽の基本舞で座ならしの舞。 |
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指紙(さすかみ) |
舞人の役割分担を書いた紙束を竹に挟んで舞う。役割を指定する神事舞。 |
[4] |
榊舞(さかきまい) |
座を清め神職や氏子を清める舞。最後に御神前に向って榊の葉を破り、穢れを祓い清める。 |
[5] |
猿田彦の舞 |
二柱の猿田彦命が登場し、悪魔払いの意味を持つ激しい舞を舞う。 |
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これらの神事性の高い五舞が奉納されると、神職による厳粛な式典神事が執り行われる。神楽衆が伶人の役を担い、中国地方の祭特有の賑々しい太鼓の楽を奏す。修祓後、宮司により祝詞が奏上され、玉串の奉奠。五穀豊穣と氏子安泰の祈りが捧げられる。 |
[6] |
国譲りの能。 |
出雲の国譲りの神話を舞にしたもの。天孫瓊瓊杵尊の降臨に先だち、広大な出雲王朝を治める大国主神のもとに高天原から国土の支配権委譲を求める使者、経津主神と建御雷神が派遣されてきた。国譲りを迫る経津主神・建御雷神と国譲りを認めない大国主神は刀を交える。見かねた稲背脛命(いなせはぎのみこと)は「やめろやめろ!」と飛び出してきて仲裁を買って出て、二神の指示で大国主神の息子の事代主神の元へ。大国主神と事代主神は相談の結果、国を譲ることを承認する。しかし大国主命のもう一人の息子、建御名方神はそれを認めず、力くらべを挑む。強すぎる建御名方神になかなか勝てない経津主神と建御雷神。剣の使い手の助っ人も加勢し、三人がかりで建御名方神を倒す。かくして国譲りが決定した。 |
[7] |
八重垣の能 |
素戔嗚尊による八岐大蛇退治の神話を舞にしたもの。長者の脚摩乳(あしなづち)・手摩乳(てなづち)老夫婦が日照り続きのなかで「雨さえ降ってくれれば八人もいる娘の一人ぐらい人身御供に出してもいい」とぼやいたばかりに、それを聞いていた八岐大蛇に七人までも食べられてしまう。最後に残された八人目の娘、奇稲田姫(くしいなだひめ)も人身御供として食べられてしまうと途方に暮れていた老夫婦の話を聞いた素戔嗚尊は、奇稲田姫を妻に娶るかわりに八岐大蛇を退治することを約束する。素戔嗚尊はお酒を八岐大蛇にたらふく呑ませて酔わせてこれを見事に退治し、奇稲田姫を救う。 |
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どちらの舞もユニークな茶利役の繰り出す笑いを織り交ぜながら、日本神話のヒーローたちが織りなす白熱のシーンの連続。観客たちは手に汗握り、惜しみない歓声と拍手を送る。中世に生まれた古い農村神楽の伝統と神人和楽の精神が今も息づいている。長丁場の神楽が終了するのは午前3時すぎ。年に一度の神楽をともに楽しまれた神々と人々はしばしの休憩をはさみ、本祭の神輿の渡御に臨む。 |