れんだいこの出雲王朝考、その真偽考

 更新日/2022(平成31.5.1栄和改元/栄和4).1.28日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 出雲王朝は幻か実存在か、これを廻って今なお見解が齟齬している。れんだいこは、記紀神話、風土記、その他古代史書各伝に記述されている出雲王朝譚を実在故の記述と見なす。次に、出雲王朝の存在を認めたとして、これを悪し様に捉え、「日本史上の負の系譜」と見なす説がある。記紀がそのように記していることもあり、こう解するのが一般的である。そのなかには、現代政治のラディカル批判で雄弁を奮う連中もいる。阿波邪馬台国論の連中の立論も然り。構図的に見て、記紀神話の呪縛から抜け出せていない。

 果たしてそうであろうか。むしろ、出雲王朝系譜の方が縄文伝統的な正の系譜なのではなかろうか。れんだいこは、そう考えている。こう受け取ろうとしない史家の見識が理解できない。以下、れんだいこ理解による出雲王朝史を裏づけ、その神話を検証する。 

 サイト検索で「日本の神話と古代史と文化 《スサノヲの日本学》」に出くわした。貴重な見解を披歴しているので転載しておく。
 「古事記、日本書紀の朝廷によってまとめられた出雲の神話を出雲系神話とも呼ぶ。出雲系神話は記・紀神話の三分の一以上にあたるとされ、とても大きなウェイトを占めており、内容的にも魅力的な物語がたくさん含まれ、最後には国譲り神話へと収斂していくのだ。それに対して、出雲国風土記、出雲国造神賀詞の在地でまとめられた出雲の神話を出雲神話とも呼ぶ。地名由来伝承に関わるものが多く、記・紀にはない国引き神話などがあり、またスサノヲ命やオホナムチ命の姿も違い、神話の質的相違を感じる。神庭荒神谷遺跡・加茂岩倉遺跡などの考古学的発見は、ヤマト政権に対抗しうるような高い技術力と独自の文化を持ち、古代日本のなかで、重要な役割を果たしてきた古代王国があったことを裏付けている(青銅器の国)。また、出雲では良質の砂鉄が採れ、古代より鉄生産は行われていた(製鉄の国)」。

 「出雲系神話」と「出雲神話」を識別せんとするこの指摘は貴重で鋭い。素の出雲王朝譚を探り当てる為に必要な営為ではなかろうか。同様趣旨で「邪馬台国はどこか?」の「オオクニヌシの国こそが邪馬台国」が次のように記している。
 「古事記の記述は出雲に1/3を費やしており、近年ではオオクニヌシの国譲りが何らかの実話に基づくものだったのではないかと言われている。それと言うのも1980年代から90年代にかけて、大規模な遺跡の発掘が相次いだのだ。荒神谷遺跡からは358本の銅剣、16本の銅矛、加茂岩倉遺跡からは39個の銅鐸が発見された。また鳥取県でも環壕や楼閣があったとされる妻木晩田遺跡(遺跡の面積は156ヘクタールと国内最大級)が見つかっている。ただし一般的には『ヤマタイコクよりも少し前の時代に出雲にも有力な王国があった』というのが一般的な解釈のようだ。とはいえ邪馬台国やヤマト政権を考える上では、出雲周辺地域(山陰地方)を精細に見直す必要がある」。

 2008.4.10日、2010.4.17日再編集 れんだいこ拝


【れんだいこの出雲王朝論】
 いまさら出雲王朝論を唱えて何になると云う思いもある。他方で多くの者は出雲王朝を知らない。よほど歴史に興味を持っている者以外は関心を示さない。これに掉さしておく必要があるとも考えている。れんだいこは、何と天理教教祖中山みき考経由で興味を抱くことになった。中山みきの御教えが古神道(縄文神道)と通じていることに気づき、その古神道と出雲神道との繋がりから出雲王朝に関心を持ち始めたと云う経緯がある。

 出雲王朝に関心を持って調べ始めると、古代史上、大和王朝前の「出雲王朝と高天原王朝の国譲り政変」の重要性が分かり始めた。れんだいこの出雲王朝考はここから始まる。「国譲り政変」は、知らぬ者は当然として知っている者でさえ、彼が考えている以上に史的意味と影響が深い。それは、現在に至るまで日本政治の特質を形成している。れんだいこは今そういうことに気づき始めている。

 現代世界は、「シオンの議定書」をマニュフェストとして以来台頭著しい国際金融資本帝国主義に牛耳られている。以下、国際金融資本帝国主義を国際ユダ邪、彼らの思想をネオシオニズムと命名する。この勢力の日本侵略は戦国時代に於ける鉄砲伝来と共に始まる。しかし、かの時は、織田、豊臣、徳川政権の武力の方が優り、日本浸食を未然に防止した。現在に繫がる襲来は江戸幕末の黒船の来航から始まる。この時より、国際ユダ邪なる外国勢力の本格的な日本侵攻が始まった。れんだいこは、これに呼応する国内勢力をキリスタンならぬシオニスタンと命名している。現下の日本政治は彼らにままにされている。

 出雲王朝考が、現下日本政治の再建にいかほど寄与するのかどうかは分からない。なぜなら、国際ユダ邪&シオニスタンは史上類例のない狡猾非道の侵攻新勢力であり、古代史上には存在しないからである。同種事例があれば、かの時の対応を批判的に学ぶことができる。しかし存在しないので空拳とならざるを得ない。そういう意味で、出雲王朝考を紐解いても直接的な示唆は期待できない。しかしながら、出雲王朝考により日本政治の特質を理解するならば、より有効な対応能力を生み出す為の智恵と方策を生みだすことができますまいか。れんだいこはそう考えており、ここに出雲王朝考の意義を求めている。

 幻(まぼろし)扱いされている出雲王朝であるが、それには理由がある。記紀神話は大和王朝を創建した側からの皇統譜を記述することを目的としており、大和王朝前に先行して存在し、且つ善政を敷いていた出雲王朝を悪しざまに否定することを記述構図としている。故に、記紀神話執筆者は、それを強いる時の政権の意向に従い、出雲王朝を一貫して日陰者扱いするロジックで言及している。故に、この筆法を鵜呑みにすれば、記紀神話作成者の意のままに出雲王朝を幻扱い卑下扱いすることになるのも止むを得ない。故に、出雲王朝否定者は、時の政権の意向をそのままに受け入れているに過ぎないということになる。

 しかし、眼光紙背に徹するならば、出雲王朝が隠蔽されているのは表向きで、記紀神話の筆者は実のところ、大和王朝以前のヤマトに出雲王朝系が存在していたことを知らしめようとしているやにも見受けられる。筆者の念を汲み取るべきだろう。つまり、記紀神話は、中国史書に見られる裏筆法的書き方で為されていることになる。こう読み取らなければ出雲王朝考が始まらない。まずこのことを確認しておきたい。

 従って、出雲王朝の存在に対して架空、絵空事、おとぎ話、幻と見なしてはいけない。この観点に立つ限り、日本古代史の真相が見えてこない。にも拘らず、出雲王朝不存在説を唱えてきた多種多様な通説があり、その頭脳の貧困たるや如何ともし難い。れんだいこは、そのように考えている。

 なお、梅原猛・氏が「葬られた王朝―古代出雲の謎を解く―」を刊行し、氏の過去の言説を自己批判し、出雲王朝考に分け入り始めている。れんだいこは読み始めたばかりであるが、梅原氏が出雲王朝の存在を認め、研究を始めたこと自体が興味深いことである。

 2008.4.8日、2011.7.14日再編集 れんだいこ拝
 明治時代の作家で日本文化を海外に広めた小泉八雲(ラフカディオ・ハーン、1850-1904)はギリシャで生まれ、米国での新聞生活などを経て39歳の時に来日、1890年8月から翌年11月まで神々の国の古代出雲の首都である島根県松江に居住し、尋常中学校に英語教師として勤めた。この間、出雲神話を渉猟し、説話を紹介している。小泉八雲が敢えて出雲の国を探求した叡智を察知すべきだろう。

Re:れんだいこのカンテラ時評342 れんだいこ 2008/04/11
 現実政治にかなり食傷気味のれんだいこは、偶然立ち寄ったコンビニで関裕二氏の「出雲抹殺の謎」を手にし刺激を得た。前半が特に為になり、後半は関流史観についていけなかった。それはともかく新たな知識を加えて「れんだいこの出雲王朝考」を「れんだいこ論文集」の中に採録することにした。従来、「れんだいこの日本神話考」の中に取り入れていたが一本立ちさせることにした。
(http://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/nihonshinwaco/
nihonshinwaco.htm)


 れんだいこは何を求めて出雲に向かうのか。それは、現下政治の逼塞を打破せんが為である。現下政治は、与野党ともどもシオニスタンに占拠され過ぎており、本質的に同じ穴のムジナの翼賛政治の中で政争を演出しつつ現代世界を牛耳る国際金融資本帝国主義ネオシオニズムの指令に基づく日本改造計画に勤しんでいる。社共運動も例外ではない。彼らはその昔から飼われている可能性が強い。目下の全政党一致で道路特定財源の一般財源化に向かいつつある流れなぞその極みであろう。政財官学報司警軍の八者機関がこれを押し進めるから如何ともし難い。

 日本人民大衆は、これに抗する手立てを講ぜねばならない。先ず為すべきは、れんだいこが見立てるところ、我々の情報機関を創らねばならない。現下マスコミの愚民化マインドコントロールとネオシオニズム式プロパガンダの一方的洪水に対処するにはこれしかなかろう。これを批判する段階は済んだ。今や、日本人民大衆は自前のマスコミを創造せねばならない。人民大衆的機関が送り手になるブック、テレビ、ラジオ、有線、ネット網を創出せよ。

 次に、ネオシオニズム的歴史観、社会観、これに基く選良政治に抗する為に、諸民族協和志向の別系の歴史観、社会観、これに基く共生政治理論を創造せねばならない。ネオシオニズムを対自化させ批判する仕事はまだこれからで早急に取り組まねばならない。市井にあふれているのはネオシオニズム系テキストばかりで、学べば学ぶほど汚染され、結果、阿呆になる。そういう阿呆な自称インテリがどこにもここにもあふれている。

 今や、日本人民大衆はネオシオニズム批判に並行して自前の思想を打ち出さねばならない。下手に洋物思想に被れず、それらは咀嚼する対象にせねばならない。こうした折に、我々が依拠すべきが出雲王朝下の史実にある豊富な諸果実ではあるまいか。れんだいこは、そのように考えている。

 戦前は、出雲王朝史を抹殺した上に成り立つ近代皇国史観に依拠した為に、愛国愛民族を云いながら却ってミスリードされたのではなかろうか。近代皇国史観はこの観点から批判されるべきであったところ、戦後は近代皇国史観の全的否定により、近代皇国史観が包含していた愛国愛民族をも放擲したことにより、出雲王朝は却って更に奥深く隠蔽されてしまう結果になったのではなかろうか。本当は、戦前も現在も出雲王朝史を受肉化すべきではなかったか。

 れんだいこはそのように受け止めている。ここにれんだいこの出雲王朝考の意義がある。これをれんだいこが独りで為せる訳ではない。共同作業が望まれている。これを通じて、日本の土着型在地主義的共生主義に基く出雲王朝的政治論を確立する。その成果を現代政治に適用していくことにより初めて、シオニスタン政治と鋭角的に対決していくことができるのではなかろうか。それができていない今は全くダメだ。ここに思い至っただけでも大いなる成果である。そんな風に受け止めている。諸賢のご意見求む。

 2008.4.11日 れんだいこ拝

【出雲王朝存在論争考】
 出雲王朝を実在とみなす立場からその王朝史を紐解くと次のようになる。当時、日本海沿岸こそ表航路であり、黒潮に乗って様々な文化と交易が盛んであったことは充分考えられよう。この地域は、日本で逸早く開けた史上に云われる国家であった。これにつき参考になる次の一文に出くわしたので転載しておく。
 「更に眼を出雲文化に向けよう。大和を中心とする瀬戸内海文化の発祥以前に於て、出雲文化が華と咲いていたのは見逃すことのできぬ事実である。出雲国を中心に、日本海沿岸を北へ、北陸地方より遠く奥羽にまで延び、遥か朝鮮、満州、沿海州方面と相呼応して、異国文化と早く応接していたこの文化の一集団は、その文化の伝播を舟によったのである。大木を割り凹めた独木船、又は木を編んだ筏(いかだ)は近海の航路に用い、更に天磐樟船(あまのいわくすぶね)、天鳥船(あまのとりぶね)の大船は異国の文化を舶載して出雲国に出入りしたに違いない。天諸手船(あまのもろたぶね)の称あるを見れば、古代の船の発達は推して知るべく、後に地方的に筑紫船、龍野船を生み、朱(あけ)の曽保船(そほぶね)を生来した」(野上彰(文学者)「囲碁伝来記」)。

 これら諸国家の中で盟主的地位を確立していったのが出雲王朝であった。出雲王朝は歴史上それとしては現われていない。しかし、記紀神話の中に極めて変則的に且つかなりの分量で記されている。れんだいこは、相当な分量且つ変則的記述となったのは、出雲王朝成立後に侵略的に登場し支配権を奪った大和王朝が、政権の正統性を権威づけるために、本来善政を敷いていた先行する出雲王朝を悪し様に描きつつ抹殺秘匿した為と見る。もう一つ、出雲王朝を欠いてはヤマト史が記述できず、為に記紀神話の3分の1を占めるほどのかなりの分量となったと見る。あるいは、時の史家がそういう裏記述することにより先行する出雲王朝の存在をメッセージしているのかも知れない。

 という事情で、出雲王朝をどう位置づけるのかを廻って、昔から邪馬台国所在地論争ばりの甲論乙論が駁している。れんだいこが見立てるところ、出雲王朝論は邪馬台国論と並んで古代史上の謎を解き明かす鍵となっている。近代天皇制史観に則り、大和王朝を始発とする皇統連綿万世一系の見地から出雲王朝の存在を否定するのは、大和王朝側のシナリオに沿う御用史家でしかなく、不明と云うべきではなかろうか。

 興味深いことは、日本マルクス主義派の歴史観は更に無知蒙昧である。記紀神話に散りばめられている史実性の否定に躍起となり、彼らは、日本神話総体を「荒唐無稽な架空の絵空事、お伽噺(とぎばなし)」として否定せんとしてきた。記紀神話が正統性を付与している大和王朝に対してさえそうだからして、先行する出雲王朝譚なぞ更に「荒唐無稽な架空の絵空事、お伽噺(とぎばなし)」にならざるを得ず、そういう訳で出雲王朝不存在説を唱えて自己満悦している。

 れんだいこは、そういう見解は、既成のマルクス主義派が如何に暗愚であるかを示しているように思われる。マルクス主義派の頭脳とは昔から案外その程度のものかも知れないと云う例証になっている気がする。れんだいこも叉マルクス主義派の末裔の一人と自負しているが、俗流マルクス主義派の諸見解とことごとく齟齬している。いわば別系のマルクス主義派であり、大言壮語すれば今後はれんだいこ系マルクス主義派が登場する出番である。と云うか、もはやマルクス主義に拘るべきでなく、マルクス主義の外装を捨てて「れんだいこ史学」と銘打つべきかもしれない。

 そういう訳で、本サイトで、れんだいこの出雲王朝探訪を手掛けることにする。一般的に、神話には、これまで見過ごされてきた貴重な歴史のヒントが隠されており、「神話の知」が宿されていると受け取るべきだろう。出雲神話には特にその傾向が強い。そういう風に受取りたい。出雲王朝が如何にその後も根強く日本社会に影響を与えているか、日本精神とはそもそも出雲王朝の精神を意味するのではないのか等々の関心を持って検証していくことにする。

 2006.12.7日、2008.4.10日再編集 れんだいこ拝

【大和王朝成立前の出雲王朝存在考】
 出雲神話は、記紀神話と出雲国風土記神話から成り立つ。記紀神話には国譲り神話があるが風土記にはない。逆に、風土記には国引き神話があるが記紀神話にはない。両神話はほとんど噛み合っていない。出雲国風土記神話の方が土着性が強く、本来の出雲神話の可能性が強い。記紀神話に於ける出雲神話は、大和王朝側から見た都合の良い創作の可能性が強い。出雲王朝譚を「日本神話その4」とする。出雲王朝はかく受取るべきではなかろうか。

 天孫族による大和王朝の創始以前、更に言えば、高天原派による出雲王朝来襲前までの日本上古代には、「葦原の中つ国」又は「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂国」、「根の堅州国」、「島根」と云われていた原日本があり、国内の概ねを出雲の神様が統べていた。その支配の仕方は、後の日本政治の原型ともなる緩やかなる連合政権であった。否単に連合政権と云うより政治の手本とも云うべき理想政治を敷いていた。これを仮に出雲王朝と云う。つまり、そういう出雲王朝が実存していたことを踏まえるべきだろう。ちなみに、これに同盟する豪族を国津族と云う。

 それとは別に、アマテラス大御神(天照大御神)が統べる高天原王朝が存在していたことになる。これに従う者を高天原族と云う。天孫降臨後は天孫族とも記す。留意すべきは、いずれも八百万の神々達の住む世界であり、これが日本神話の特質を為している。

 (※但し、その後の「れんだいこ史学」は、アマテラス大御神(天照大御神)を国津族系の最高神と捉えるようになっており、こうなると大和朝廷派による自らをアマテラス大御神(天照大御神)、高天原族とする呼称が不適切で、正確には「時の外航襲来族」と看做すべきとしている。こうなると書き換えねばならないが、追々に書き直していくことにする)

 この両王朝の確執史が日本神話の底流を為している。こう窺うべきだろう。日本神話の告げる日本古代史は、出雲王朝系の国津族と高天原神系の天孫族の抗争と同和史であり、この事情を背景にして古代神道が二系列から形成されていることが注目される。恐らく史実であり、国津族を代表する出雲王朝が高天原王朝に対し、祭祀権だけを残して政治支配権を譲るという形で両者和合する経緯を見せる。これを「国譲り」という。日本史上最大の政変と云うべきだろう。勝利した高天原王朝が天孫降臨し、神武天皇東征譚へと続く。こう看做さないと、日本政治史の流れが見えてこない。

 明治維新以降に吹聴され始めた近代天皇制皇国史観は、記紀神話の記す神武天皇東征以来の大和王朝創始の正義と権威に依拠し過ぎた為、記紀神話トリックをそのまま受け止め、出雲王朝を封印することになったように思われる。しかしそれは史実の歪曲でしかない。出雲王朝史は相当紙数を割いて古事記、日本書紀それぞれにしっかりと記されていることである。大和王朝建国譚に於いても、如何に旧出雲王朝勢力に悩まされたか縷縷記述しているところである。ここを見て取らないと、日本神話研究の重要なファクターを欠落させたものになってしまう。そういうものを喧伝したのが戦前の皇国史観であり、皇国史観はそういう意味で批判されるべきものである。(「大国主命、出雲大社」その他を参照する)

 この出雲王朝の存在については、古田武彦氏が、1975年「盗まれた神話」という著書の中で、「大和朝廷」・「九州王朝」に先行する縄文の出雲王朝の存在を国譲り神話から提起し、国生み神話とその後の黒曜石の分布などの考古史料から証明を行った。そのほかには鉄剣銘文の「臣」、部民性の史料批判等の論証を通じて出雲王朝の存在について、確固たるものにしたとのことである。(「出雲王朝と出雲銅鐸」その他を参照する)

 2006.12.7日 れんだいこ拝

【「ミコト(尊、命)の表記書き分け」考】
 記紀をはじめとする史書で気づくことは、全ての史書がそうではないが、「ミコト」につき「尊」と「命」に表記が書き分けられていることである。天津神を「尊」(ミコト)と尊称し出雲系の国津神を「命)」(ミコト)と記して区別しているように思われる。男子は「比古、日子」などとし、女子は「比売」などと表記している。特に重要な存在は「毘」を用いて「毘古、毘売」などと表しているように感じられる。

Re:れんだいこのカンテラ時評394 れんだいこ 2008/04/20
 【日本神話の最大の謎としての邪馬台国と出雲王朝の抹殺考】

 日本神話を渉猟してみて気づいたことがある。それは、記紀の日本神話のみならず古史古伝と云われる上古代史書の全てにわたって邪馬台国の記述が見当たらないことである。不自然極まりない。魏志倭人伝は、紀元3世紀頃の倭国の様子をかなり克明に記しており、卑弥呼の支配する女王国とその直接の統治国・邪馬台国についても言及している。倭国の様子の正確さからすれば、女王国及び邪馬台国の記述も然りで正確とすべきだろう。距離と方位の問題でなかなか辿り着けないのだけれども。

 ところが、記紀の日本神話だけならまだしも、既に幾多も世に出ている古史古伝でさえ女王国及び邪馬台国に関する記述がない。これは非常にオカシなことである。記紀が何らかの事情で邪馬台国に言及し得なかったとするなら、古史古伝が訂正するべきだろう。ところが、この古史古伝にも記述がない。気の遠くなるような超古代史に言及している割には肝腎な箇所の記述が欠落している。これは蜃気楼的幻である。

 それと同様に、記紀の日本神話に事あるごとに登場する出雲王朝についても、古史古伝も含めて正面からの記述がない。正確には、れんだいこはそれら全てに目を通している訳ではないので、公開されている記述からするとないということになる。これはとても不思議なことである。れんだいこは、そういうことに気づいた。

 邪馬台国と出雲王朝、両者がどのように関係するのかしないのか不明であるが、面と向かった記述がない点で驚くほど共通しており、古代史上の最大ミステリーの双璧となっている。この点に注意を喚起しておく。どなたか為になる、為りそうなのでもよいから何か聞かせてくれないだろうか。

 れんだいこがこれに拘るのは、日本古代の原基的な社会の在り方、政体の在り方、古代人の生活の様子を知りたい為である。現下の政治の貧相を思うとき、別に理想視する訳ではないけれども、唐文明、西欧文明に汚染される前の日本的政治の良さと限界を見極めたい為である。

 ここをしっかり把握しておかないと、唐文明、西欧文明の吸収の仕方の偏向に気づかないのではないかと思っている。唐文明、西欧文明を知ること学ぶことは大いに結構だが、鵜呑みにしてはいけないと思うからである。唐文明、西欧文明の限界が明らかになりつつある今、土着的在地主義的な共生主義に基く現代的価値観、政治論を生み出したい為である。

 穀物だって身土不二と云う。伝来のものが一番馴染んでおり、その良さと限界をうまく知りつつうまく漕いで行くのが望まれているのではなかろうか。その点、明治維新以来、戦後以来、我々は大事なことを知らぬまま駄弁ばかりしてきたのではなかろうか。日本左派運動が大衆運動的に身につかないのは、こういう理由によってではなかろうか。れんだいこにはそういう思いがある。何とか切り拓きたい。諸賢のご示唆求む。

 2008.4.19日 れんだいこ拝






(私論.私見)