出雲王朝史13、出雲王朝御代の履物考 |
更新日/2016.12.10日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「出雲王朝史13、出雲王朝御代の履物考」をものしておく。「縄文人の反乱 日本を大事に」の2012年03月20日「履き物の歴史」、「江戸時代の履き物その1」その他参照。 2013.07.16日 れんだいこ拝 |
【出雲王朝史13、出雲王朝御代の履物考】 |
「はく」という意味には、腰巻きや、ズボンなどの衣類を身につける場合にも「はく」であり、履物も「はく」である。「はく」はアシ(脚、足)に「はく」である。 西洋靴に対する草履、下駄、草鞋。西洋靴下に対する足袋。5本指靴下。手袋も然りである。素足、素手を基本にしていたであろうが、時と場合に応じて、履物を利用していたのではなかろうか。 |
★履物(はきもの)http://bit.ly/vZ7mPU 足に着用されるものの総称。靴、ブーツ、下駄などを含む。履物は、足の保護の他に衛生やファッションのために着用される。足裏は人間の歩行時に地面に接触し、そこに全体重がかかる部分である。使用すれば角質化し、非常に丈夫になるものではあるが、とげやとがった石の角等に対しては充分に対応できない場合も多い。これに対して、足裏を保護するために、その下面を覆うような板や布等を用意し、これを足に固定するようになったのが履物の一つの形である。紐で固定するようになったものが草履やサンダル、足先端上面を覆うようにして、引っ掛けられるようにしたものがスリッパ、足の甲やかかとまでも覆うようにしたものが靴と呼ばれる。構造は大きく分けて、足の2本の指で鼻緒を挟むものと、足を包むものに分かれる。最近は鼻緒が健康によいと言われ始めた。足の指に力が入ること、足が締め付けられないことなどで、子供に普段履かせる学校や親が増えている。さらに、日本は高温多湿であるため、靴で夏を過ごすと暑いこと、浴衣の再普及により下駄や草履も見直され、普段履きに活用されるようになった。 |
★草履(ぞうり)http://bit.ly/xc3gt8 日本の伝統的な履物の一つ。明治時代以降に洋靴が普及するまで、日本で広く使用されていた。現代日本においては主に和装時に履く。下駄よりも格式があり、改まった履物とされる。 |
★草鞋(わらじ)http://bit.ly/FQhEja 稲藁で作られる日本の伝統的な履物の一つである。同様に稲藁で作られる藁草履(わらぞうり)と混同され易いが、形状が若干異なる。草履が現在のビーチサンダルに近い形状であるのに対し、草鞋は前部から長い「緒(お)」が出ており、これを側面の「乳(ち)」と呼ばれる小さな輪およびかかとから出る「かえし」と呼ばれる長い輪に通して足首に巻き、足の後部(アキレス腱)若しくは外側で縛るものである。この形状から、草履に比べ足に密着するため、山歩きや長距離の歩行の際に非常に歩きやすいものとなっており、昔の旅の必需品であった。 |
「ヲリフキわらじ又みかけわらじともいふ 又頭はかりなヲリツキといふ」(ヲリフキわらじ又、みかけわらじとも言う。又、つま先部分をヲリツキといふ) |
★蓑草鞋(みのわらじ、みのそうじ)http://bit.ly/xtssMC 鳥山石燕の妖怪画集『百器徒然袋』にある日本の妖怪。 画図には蓑が胴体、草鞋が両脚となった姿で描かれている。石燕が遊び絵として創作したものとの説や、凶作が続いた時期に年貢を厳しく取り立てられた農民の怨みの念が、古い蓑や草鞋に乗り移って付喪神と化したものだとの説がある。蓑と草鞋はどちらも人間が身につけて使用する物のため、知らず知らずの内に持ち主の念が憑きやすいと見なされていたようである。なお、蓑は来訪神の多くが身に纏っているように呪力があるものとされ、また草鞋も妖怪を避けるためによく呪物として使用されており、そのような器物は呪力によって妖怪化しやすいと考えられていたともいう。 |
★下駄(げた)http://bit.ly/FPSrkd 日本の伝統的な履物。足を乗せる木製の板に、歯と呼ぶ接地用の突起部を付け(歯がないものもある)、眼と呼ぶ孔を3つ穿ち、そこに鼻緒を通す。足の親指と人差し指の間に鼻緒を挟んで履く。(歴史的には、人差し指と中指の間に鼻緒を挟む履き方もあった)。呼び名の成立は戦国時代と推測され、下は地面を意味し、駄は履物を意味する。それ以前は「アシダ」と呼称された。(漢字は様々な字があてられていた) |
★田下駄(たげた)http://bit.ly/xpKoFP 水田での農作業や湿原での歩行移動の際に着用される履物の総称。堆肥の埋め込みに用いられる「大足」とは区別される。泥湿地や深水田の中で足が沈み込むのを防ぐことで作業を効率化し、足を保護するために使われてきた。弥生時代の遺跡からも出土しており古くから用いられたが、土地改良の進歩と牛馬による畜力の使用が一般化すると衰退し、現在では農業機械の発達のためほとんど姿を見られなくなった。 |
★足袋(たび)http://bit.ly/xQ8SdR 日本固有の伝統的な衣類で、足に履く一種の下着である。木綿の布でできたものが一般的。日本の伝統的な履物である草履・下駄・雪駄などを履く際に用いるため、親指と人差し指の部分で袋が2つに分かれている(叉割れ)。丈夫な生地で作られた本体にゴム底を貼り付け、直接屋外で履く事ができるようにした地下足袋(じかたび)と呼ばれる足袋もある。 |
★地下足袋(じかたび)http://bit.ly/yeUpgB 足の裏にゴム底がつき、足の指が親指と残りの二股に分かれている作業労働用の足袋で、足のつま先に力が入りやすいのが特徴である。履物を履かずに「直に」土の上を歩くための「足袋」の意味をもつ。「地下」は当て字である。農林業や大工、左官など屋外で作業をする職人などに向いている。また祭りなどで神輿を担ぐ人たちが履く祭足袋も地下足袋の一種。 |
赤綿たび 「赤綿(あかわた)たび/是は赤わたぼうしを作る木の皮にて、織たるたびなり、下賎の人多くこれをはく」(これは赤綿帽子を作る木の皮で織った足袋である。身分の低い人が多くこれを履く)。 |
★靴(くつ)http://bit.ly/AaCcCf 履物の一種で、足を包む形のもの。サンダルのように靴底以外は紐や帯で固定するものもあるが、多くは足を完全に覆うことで固定する。どのくらいまでが靴とみなされるかは、一般的に足の甲の部分が1/3以上覆われており、かかと部分が固定される形状が靴とみなされる。日本では中世以降ほとんど靴が使われなかったため、現代では靴といえば西洋靴を意味することが多いが、日本の伝統的な靴もある。ただしその意味では履や沓と書いて区別することもある。また靴は基本的に靴底を備えており、靴下、足袋のような、1枚布もしくはそれに似た構造のものは靴に含めない。地下足袋も、足袋の範疇に含め靴に含めないことが多い。文脈によっては、外履き一般を意味することもある。(例文:ここで靴を脱いでください/靴のままお上がりください)靴はそれ以外の履き物に比べ、覆う面が多いために足を保護する効果が高い。他方、通気性や足の運動性は劣る。特に足指の運動がほとんどできないものが多い。日本では、布製の靴(特に運動靴)をオランダ語で布地を指す「ズック」(doek)と呼ぶこともある。 |
★浅 沓 司(Adobe PDF) http://bit.ly/FRhR01 今では神職が祭事に使うだけとなってしまった浅沓(あさぐつ)だが、中世以降、公家の履物として愛用されてきた。一見、木製のように見えるが、底以外はすべて、和紙を幾重にも張り合わせ、漆をかけた紙製なのである。玉砂利を踏みしめる浅沓の音は、参拝の厳かな気持ちを一層引き立てる。伊勢で浅沓作り400年の歴史と伝統を守り続ける一人の職人がいる。 |
「藁沓(わらくつ)/是はすね迄つくり付なり、越後にて多くこれを用ゆ」(これは、すねまで作りつけたものだ。越後(新潟県)にて多くこれを用いる) |
源平赤くつ 「源平赤くつ/藁(わら)にて作り、口へ木綿ヲ付るなり、廉なる物は木綿を付ず、武士町屋多く是を用ゆ」(藁(わら)で作り、口へ木綿を付ける。粗末まものは木綿を付けない。武士や町屋が多くこれを用いる)。 |
藁はばき(わらはばき) はばきとは、旅行や作業などの際、すねに巻きつけてひもで結び、動きやすくしたものを云う。「藁(わら)はゞき/これは、寒気をよくふせくものなり、又、蒲(かま)はゞきもあり、然とも寒気をふせくには、藁にしくはよし」(これは寒気をよく防ぐものだ。又、蒲はばきもある。しかしながら寒気を防ぐには藁のものがいい) |
★日本はきもの博物館(にほんはきものはくぶつかん)http://bit.ly/x3Re3y 広島県福山市松永町にある履物をテーマにした広島県の登録博物館である。財団法人遺芳文化財団が運営管理している。JR西日本松永駅前に位置し、同じ敷地内に日本郷土玩具博物館も併設されている。 |
(私論.私見)