保田與重郎の歴史論その1

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2).3.25日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、保田與重郎の歴史論を確認する。「ウィキペディア保田與重郎」、「保田與重郎略歴」 、「史観、詩心、状況―日本浪漫派の思想性を読み解くカギ」その他を参照する。

 2012.06.21日 れんだいこ拝


 「私は神風連を理解することは、日本の文学の志といのちを解するひとつの鍵であると考える。それは彼らの行為を神道の一つの学説から考えるのではなく、そういう表現に神ながらの詩そのものを見ることを云うのである。(中略)天武朝前後の我国の詩人たちが、あの激しい慟哭によつて何を表現したか、彼らは何のためにあのように慟哭したかは、今日の文芸を時評するよりもはるかに高い意識を準備して考える必要があると私は思うのである。そういう慟哭は、わが文学の歴史にも空前絶後であった。新古今文壇の末期に於ては、慟哭は失われてある種の呪の如き象徴体が生まれたし、長い封建の世の崩壊期には真の詩人は実質的に詩を踏み越えて、血の中の回想の詩をそのままの血で描こうとしていたのである。私は江戸中期以降の国学の中では、契沖が何か自分の詩人としての気持に一番親しく思われる。そうしてそういう実質的に詩を踏み越えた詩人の最後の像は、神風連の崇高な悲劇を作ったと思われたのである」(「神道と文学」)。

 「今日は日本の問題が色々の点で錯綜していて、その糸の結びをほぐすことが、困難のように思われている。しかし事態はもっと切迫すれば、喝断の一つにつきるのである。日本のためによいと思うことを、至誠を以てなす。実に簡単なようであるが、誰にもそれ以外にはないと思われる時が最後の段階である。私はそういう意味で、今日では精神の至誠以外に、思想知識の技術などほとんど考えていないのである。私はこの近頃、あまりさかんにむかしの聖人の章句を思い出すので、我国の新体制のいわれだしたころから、それらのことにふれて心の平らかならぬとき、むかしの聖人の書をよんでいる。(中略)それはみな乱世に於て、人倫の至高を思う志の生成の理を描き、人倫国家の復活を悲願として考えたところの、もっとも高次な文化精神をあらわしている。そういうときの実践の指標は何であるかといえば、ただ一語至誠に通じるものである。(略)日本の危機は一そう前進するだろうし、それはすべて我々の光栄の事業をさらに偉大にするための必然である。そうして国民はきっと終末観をもって立つ以外に方法をもたない日がくるであろう。(中略)今日の文化論には冗語が多すぎる。ナチスの詩人たちは、ただ一途に骨と志をのべているのである。私はこうした純な形で第一義のことばかり考えている詩人が日本に何人もいないことを非常にさびしく思うのである。(略)詩のいのちというものは、こういうかぼそい詩形への愛情である程度十分に支えられると思う。(中略)(子規末流が、日本の代々のみかどの勅撰の集を一切排斥した)結果、日本の文化人は万葉人のもったものを素朴の純情とのみ解し、彼らが国家の運命に慟哭して、神のままなる大君に思いいだいた悲願の燃焼を忘却したのである。この思想は日本の記録文化の第一章に出る高度な文明の根本であるが、それについて近来の文化人はなんら開眼されなかったのである。代々の至尊の神祇歌が、日本の文芸の述志悲願の中枢となり、それが幕末愛国歌として草莽の志士に開花するところの、日本文芸の大動脈について、全然無知となったのである。この我々の前代の国の危機に於て、日本国の詩は、日本国の全土をおほうてゐた。今日とさえ比較にならぬ日本の絶望状態の中で、日本の草莽の志士たちは、不可能というべき希望を歴史の精神の回想の中にみいだすことによって、彼らを完全な国の瓦解状態の中から立上がらせた。武力や財力や知識より、その時の国の精神を今に示す一そうあざやかなものは、国中をおほうた愛国の詩情であった。国全体が一つの詩と見えたのである。彼らは慟哭し嗚咽し志に悲願して、それは詩として国中をつつんだのである。(中略) 国亡んで文化ありやの論が生々しく投げかけられたのは、つい昨日のことのようであった。(略)本当の文化とは、亡んだ精神さえ再び立上がる源泉となる母胎であり、衰退した歴史の精神が再び息吹を吹き出す源流である。(中略)我々の浪曼主義運動は殆んど自分らを客観するいとまのない状態から生れたのであった。(中略)民族の興隆自体、、、歴史の精神をもつことのみが、それを自得感受させる、、、我々が国民として、同時代の感覚として感じたものを、ひとつの発芽として見たものを、大なる開花の日にあで、光を受ける道を展かねばならぬのである。自らを剣であるとして歌った大なる詩人の雄大な思想を考えている。つねには人の近づけない絶壁にある豊山の鐘は初めて霜のおりる夜にル然として転地の間に鳴りわたる、、、我々は述志と悲願の文芸を考えてきたのである」。

 「戦後の自己欺瞞を直視する視点がここにある。それは、同時に、農村の米作り共同体が破壊されてしまった戦後こそが敗戦であるという重たい事実をつきつけられることである。敗戦が1945年に起きた一点のできごとではなく、1945年から今日までの我々の意識(心)と認識(知)と行動(勇)の集積・積分であるということを、肝にすえなければならない。戦後日本の言語空間で、敗戦の現実を直視できた人間は少ない。今なお、そのような言論は出てこないし、出ても受け入れられない。そのために、あらゆる言説、すべての思想が根無し草となり、地に足がついていない。戦後の見直し、戦後からの立ち直りを行うためには、敗戦後日本の現実を、冷静かつ客観的にみる必要がある。海での泳ぎにたとえていえば、しんどいことだが、一度一番深いところまで潜って、海底の地をけって再び浮かび上がるしかない。敗戦国とその国民が自覚・無自覚に体験した悲運と一体化して、慟哭せよ、嗚咽せよ」。
 「改憲か違憲かの結論をあわてて出して振り回されるな。根源を突き詰めろ。そもそも第9条と自衛隊がなぜ共存しているのか。そこにアメリカの恣意がある。なぜ今改正を求められているのか、日本人はどう振舞うのが正しいのかと問題を整理する。これまでのように、平和憲法は素晴らしいとうそぶいて、戦争のことは忘れて近代の物質的繁栄のみを享受することは、もうできない」。
 「誰でも権力を持ちうる社会か、誰でも金持ちになりうる社会かを作ることが、近代の動きの二つの方向。故にアジアの最もすぐれた者は、みな近代から落伍した。アジアのすぐれた頭脳と精神は、そういう近代の発想を全然しないから、無関心だった。(中略)今の社会のそういう進行に必要な学問が生まれ、学者がでるのです。戦争に関係無かったり、殺戮に重宝でない文化学術は注目されないのです。(中略) 我国の西洋史家というものは、近代の枠を超えられない。(中略)独自な思想家が出ても、岡倉天心のように外国でみとめられぬ限り、日本の学者はこれを黙殺した。(中略)人間を大量に消耗したり、大量に殺戮する機械と事物の発明に於て、アジア人はヨーロッパ人に敗けたのです。(中略) 「近代」の生活と思想は、戦争の母胎です。それは「植民地」−「市場」がなくては成立しない「時代」です。(中略)近代において「人間はすべて奴隷です。(中略)近代とは人間を人間以下にする機構です」。」。
 「旧来の東京のヂヤーナリズムは、遠方から幽霊に向つて遠吠えばかりしているみたいで、いよいよ実態がのしかかってきた時は、あれよあれよとただ呆然としたものです。(中略)東京は今や完全な植民地なのです。今日の東京の一部の言論とヂヤーナリズムが臆病なのです。彼らは信念と正義感に欠けているのです。正義に勇敢なものを弾圧することは理想と文化をもつ社会では出来ないのです。そういうことをなしうるのは、圧政の下にある植民地ヂヤーナリズムだけです。しかし植民地ヂヤーナリズムの弾圧は、支配者によってなされる代りに、ヂヤーナリズム自らが試みます。それを彼らは専制者への奉仕だと考えている。正義人倫を説く者を弾圧し得ないのは、そういう行為の結果、人間信用の基本が崩されると、そののちは嘘つきばかりの世界となるからです。正義人倫に立つ言論を恐れずなすことは、今や自衛権の謙虚な行為に他ならぬのです。(中略)放棄というか、転向というか、そういう変節に対し何の声明も説明もないのがいけません。何かに強いられたように見えます。何かに非常に恐れている。「人間」は誰でも、自主的に、善は善とし、悪は悪とする強い精神がなければなりません。真の勇気はその時以外に必要ないでしょう。戦場の銃弾下を往くのに、これほどの勇気は必要でありません。死よりも死の想像が、牢獄よりも禁錮の想像がはるかに怖ろしいようです」。
 教育と日本国憲法

 
日本国憲法には、第9条に「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」とはっきり書いてあります。それを勝手に解釈して、自衛のためならば陸海空軍を持ってもよいとして自衛隊があるのは、憲法そのものが現実に合わず、ザル法になっているということです。また第89条には、公の財産を“私”の経営する公益事業に使用してはならないとなっていますが、私学助成など、いろんな事業に援助が行われています。いまの政府の高校無償化の私学への助成もこれにあたります。こうして、国民の多数が希望すると認められることであれば、国会でさえ、憲法の条項はどうにでも解釈して「法を破る」ことができるという範例が示され、これが常識になりつつあるのです。民主党は憲法15条に抵触する公務員のストライキ権を認めると言い出したりもしました。これでは法秩序を破って平然としている国民が増え、無数の犯罪が昼間、堂々と行われることになるのは、当然のなりゆきです。日本国憲法はもう穴だらけの破れたザルです。一度破棄して、自主独立の憲法を制定する時期に来ているのではないでしょうか。

 このような欠陥憲法のもと、極端な“言論の自由”がゆるされており、“学問の自由”がゆるされており、教室で教師が生徒や学生に“言葉の力”を尽くして何を教えても良いことになっているのです。しかも、その教師は日教組傘下の教師であると、その「教師の倫理綱領」に“教師の使命は革命のための有能なる働き手となるように青少年を育成することにある”(昭和26年)と規定されているから、そのような使命を自覚した教師は、言論の自由のもとに、“権力”に反抗する潜在意識(エディプス・コンプレックス)を子どもの心に植えつけるために、(家庭の中では、親は権力の中心者であるから)“親”を批判し、“親”というものはどんなに悪いものであるかと、子供に感ぜしめるような教育をするのです。

 例えば、『君たちは親に対して親孝行する義務も責任もないのである。なぜなら、君たちは親に生んでくれと頼んだわけではない。親は自分たちの快楽をむさぼるためにセックスをして、その結果君たちは生まれてきたのである。この生存競争の苦痛多き世界に生まれてきた君たちは、いわば被害者である。親は加害者である。だから親に孝養を尽くすどころか、賠償を要求すべきである。』

 まだ完全な批判能力や思考能力のない幼い子供にこのように話せば、彼らは、「親を憎む心」「親に反抗する心」「権力者に抵抗する心」すなわちエディプス・コンプレックスが養われます。こんな教育を受けて学校をでた青年は、社会にでると、権力者または権力機構に容易に反抗して闘う「革命のための有能なる働き手」となることができるのです。「教育権は国民の手にあり、政府は教育の施設を作る権限しかない」というような判決も過去にはあり、そうした教師の「学問の自由」を盾にした教育に政府も国家も為す術もない現状です。もっとも現在の政府は、むしろこのような教育を奨励する側でしょう。

 さて、このような教育を施された子供は、その精神にどんな反応が起こるかというと、いままで親を神聖な尊敬すべき人格だと信じて、自分の生まれた根拠または基盤の清らかさに誇りを持って安住していた「生の根拠又は基盤」が突然汚されて、どうしたらよいか途惑うより仕方がない状態に追いやられます。いままできれいな座布団だと思って座っていたのに、今気がついて見ると、その座布団には汚物がいっぱい付いているのです。そして自分の体のお尻も既に汚れている。学校の先生は、自分の“生”の座に汚物をかけたのだ、もうそんな学校へは行きたくない。学校へ行って何を学ぼうというのか。……こうして一般には原因不明とせられている中・高校生の登校拒否が発生するのです。

 けがや病気、家庭の事情などなく、学校へ行く妨げになる理由がなにもないのに、学校へ行かない生徒が増えている。非行少年の学校嫌いとも違い、本人は学校へ『行きたい』『行かなければ』と考えているのに、朝起きると頭痛や下痢で、行けない状態になる。だが登校時刻が過ぎると体の具合はケロリとよくなり、日曜、祭日にはうそのように症状が現れない。
 これは、その少年が尊敬していた父母を尊敬しないように、親の顔に泥を塗り、自分の“生”の基盤に汚物をふり撒くと同じような教育をした教師に対する少年の潜在意識の抵抗なのです。“そんな教師の顔は見たくない。そんな学校へ行って何を学ぶのか”といっても、家にいても、セックス行為で“汚れた自分”を生み出した父母をはじめ人生がなにもかも汚く見える。だから家庭にいても明るい気持ちになることができない。憂鬱な顔をして机の前に屈み込んで、学校へも行かず、ただ悩んでいるのです。

 当たり前なら知能優秀で、学業成績も上位である生徒が、こんな少年になる原因は、人間の存在の根源を醜悪な唯物的なものであると教える教育にあるのです。そして、そのような教育を許している現行の「日本国憲法」にも責任があるのです。

 戦後新憲法のもとで、日教組傘下の教師で、学級担任の教師が、人間の出生の原因を醜悪な性本能行為から起こったものであるというような、唯物的人間観を科学教育と称して行なったために、自己の存在を醜悪なものと見ることから来る自己嫌悪から、性格の消極的なものは憂鬱に室内に自己を閉じ込めて為すこともせずただ悩むのです。また積極的な性格のものは、“自己嫌悪”を外界に投影して、外界の一切のものを自暴自棄的に破壊したくなって、自分には何の憎しみも恨みもない大衆破壊を為すべくいろんな事件を起こしたりするのです。

 戦後、神話を排斥し、科学的歴史でなければならないとて、国民にとって日本民族の“美しい夢”であった歴史上の美談や神話的建国の歴史を排斥して、「これが本当の現実だ」と言わんばかりに、日本歴史の中の恥部ばかりを探し出して、日本はこんな悪い国だった。日本は侵略国だった。日本の歴史は天皇が国民を搾取するための階級闘争の歴史だった。“奈良の大仏は天皇の権威を示さんがために、農民が猫の手も借りたいほどの多忙の時、農民の労働を搾取してあの巨大な仏像を建立したのだ。あの大仏の眼を見るがよい。その搾取を呪う怨めしさがあらわれているだろう”などという種類の、日本民族の美しい夢であり誇りであるものを傷つける歴史教育をして、これを科学的歴史だなどと教えている教師があるけれども、人間は「心を持つ生物」だから、「事実事実」と瓦礫の中を探し回るよりも、「心のなかに描かれた、日本神国の夢」や「人間はみな命(みこと)であるという夢」を温存することは、「もっと次元の高い」「人間ならではもつことが出来ない」尊い霊的資産を大切に守ることになることを知らねばなりません。

 このような霊的資産を破壊して、青少年を瓦礫や泥沼の中に突き落として、これを科学的教育と言うが如きは、“精神の世界”、“心の世界”、“霊の世界”に、肉眼で見える物質的現実よりも、もっと高貴な霊的な資産があるということを知らない“次元の低い人間”のすることなのです。












(私論.私見)