山鹿素行の思想考

 (最新見直し2012.07.16日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、山鹿素行思想を確認する。「山鹿素行の思想 」、「武士道の歴史(下)」その他を参照する。

 2012.06.21日 れんだいこ拝


【山鹿流兵法考】
 山鹿流兵法とは、会津出身の山鹿素行が江戸時代初期に説いた兵法で、北条流(北条氏長)と甲州流(小幡景憲)を基盤に、素行式理論により編み出した実践(実学)重視、道徳と兵学の一致、儒学的哲学思想の古学回帰、日本学思想等によって成立する、主君の統治学、武将の軍法、武士の心得等を説く独特の兵法論である。兵法を体系化したところに特徴が認められる。

【山鹿素行の日本思想考】

 大久保忠教(彦左衛門)が書いた『三河物語』(1622(元和8)年)
 山本常朝の『葉隠』(1716(享保1)年)
 山鹿素行の『山鹿語類』(1665(寛文5)年)

 備前岡山池田藩の池田光政の遺言「申出覚」は次の通り。

 「上様は日本国中の人民を天より預り成され候。国主は一国の人民を上様より預り奉る。家老と士とは、その君を助けて、その民を安くせん事をはかる者なり。一国の民の安と不安とは、一国の主人にかゝるべき事なれども、天下の民の一人もその所を得ざるは上様御一人のせめなれば、この国民を困窮せしむるは上様の御冥加をへらし奉る義なり。不忠なる事これより甚しきはなし」。

【参考文献】





(私論.私見)