山鹿素行語録

 (最新見直し2012.07.16日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、山鹿素行の語録を確認する。「山鹿素行の思想 」、「武士道の歴史(下)」その他を参照する。

 2012.06.21日 れんだいこ拝


【素行の学問論、学校論】
 素行の学問論、学校論は次の通り。
 概要「学問は天子より庶人に至るまで、一にこれ皆身を修むるをもって本となす。これを為すに学校が必要であり、学校と云うは民人に道徳を教えて、その風俗を正すの所を定むる事也。学も校もともにおしうるの字心にて、則ち学校の名也。学校のもうけは、上代の聖主もっぱら是れをもって天下の治道第一とする也。学校は、単に学問を教え、ものを読み習わせる所ではなく、道徳を教える所であり、つまり、人間を作るのが学校の目的である」。

 
「学校は、学問を教え、ものを読み習わすところでなく、道徳を教えるところであり、人間をつくるところだ」といった教えは、幕末に松下村塾を開いた吉田松陰らに大きな影響を与えている。

 「財宝を蓄えれば義を捨て士の本分を誤る」。
 「常の勝敗は現在なり」。
 「世の乱れは、言葉の乱れである」。
 「人教えざれば道を知らず。道を知らざれば、すなわち、禽獣より害あり」。
 「天地ほど正しく全き師あらんや。ただ天地を師とせよ。天地何を好み何をか嫌う。ただ万物を入れてよく万物になずまず、山川、江河、大地、何ものも形をあらわしてしかも載せずということなし」。
 「天地の至誠、天地の天地たるゆゑにして、生々無息造物者の無尽蔵、悠久にして無彊の道也。聖人これに法りて天下万世の皇極を立て、人民をして是れによらしむるゆゑん也」。
 「天地これ師なり、事物これ師なり」。
 「己を潔くせんと欲して大輪を乱るは異端なり」。
 「外その威儀正しき時は内その徳正し」。
 「我が身たとへ生きながら敵人の手に渡るとも、命は卒爾に棄つべからざると存ずる也。己が一時の怒に身を棄て、恥を思うて早く死し、死を潔くして一時の思を快くせんことは忠臣の道にあらざる也」(源了円著「徳川思想小史 (中公新書 (312))」P82 「山鹿語録」)。
 「凡そ士の職と云ふは、其身を顧ふに、主人を得て奉公の忠を尽し、朋輩に交はりて信を篤くし、身の独りを慎んで義を専らとするにあり。而して己れが身に父子兄弟夫婦の不得巳交接あり。是れ亦天下の万民各々なくんば不可有の人倫なりといへども、農工商は其の職業に暇あらざるを以て、常住相従って其の道を不得尽。士は農工商の業をさし置いて此の道を専らつとめ、三民の間苟も人倫をみだらん輩をば速に罰して、以て天下に人倫の正しきを待つ。是れ士に文武之徳治不備ばあるべからず」(「山鹿語録」)。
 「威は、その容貌より言動に至るまで、かるがるしからず、甚だおごそかにして、人以って畏るべきの形也」(「山鹿語録」)。
 「人は難にのぞみ危うきに至りては、義を忘るる事多し。死生存亡に於いても変ぜざるは、まことの義士といふべきなり」(「山鹿語録」)


【参考文献】





(私論.私見)