岡潔語録

 (最新見直し2012.07.16日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、岡潔の語録を確認する。今はアトランダムだが、これは著書を読んでいないことによる。そのうち、れんだいこ式に整理することにする。

 2012.7.16日 れんだいこ拝


 市民大学講座東京校(抜粋) 1974年5月

 ともかく自覚したかったんです。大自然を未だかつて自覚したことがないんです。「今度こそ」って云うんで、自覚する決意で60万年位前、(地球に)移ったんです。そして、やっと自覚した。滅びるのが早いか、自覚するのが早いか。何時もそうなんです。そして何時も滅びるのが早かった。それで絶えず星を移った。そりゃ段々わかって来るから。「今度こそ」と云うんでーーーいや、まだ4年位前は、滅びるのが早いだろうと思ってた。やっとすり抜けた!自覚するのが早かったら、自覚するなり止めっちまいますから、滅びられない。自覚しない間は何をどうしていいかわからん。つまり、どちらが先、その部屋へ飛び込むかによって、先飛び込んだ者がスイッチをパチッとやったら、もうそれで決まるでしょう。そんな有様です。この3月に飛び込んだ。だから自覚する為には僕一人さえ、是非要るのは。人に生まれて来てなかったら自覚できんのですよ。自覚するには大脳前頭葉を使うんだから。大脳前頭葉は体に着いてんだから。だから、それをさすに、是非要る始と、主は二人あれば出来る訳ですね。が、まあ始は残ってる部分(造化)が送って来たんですけど。だから、それを見て調べたんでしょう。大体、人は認識の主体だと云った人が居らんのです。仏教なんかの云う所を信じないで、私の云う所を信じてもらわなければ。大体、自覚するや否や、大脳前頭葉の有り方を変えたんです。だから最早、新人類であって、旧時代の人類じゃありません。


 「数学者・岡潔の発言・格言・名言集【春宵十話】」その他を参照する。
僕は論理も計算もない数学をやってみたい。
広い世界のものには関心が持ちにくく、狭い世界のものには関心が持ちやすい。
現代は他人の短所はわかっても長所はなかなかわからない。そんな風潮が支配している時代なのだから、学問の良さ、芸術の良さもなかなかわからない。( 「春風夏雨」
個性が出るようにするにはどうするかということを教えなければいけないのでしょうね。個性がなくなりました。(岡潔 / 小林秀雄 『対話 人間の建設』
人は極端に何かをやれば必ず好きになるという性質を持っています。好きにならないのはむしろ不思議です。
勘は知力ですからね。これが働かないと、一切がはじまらぬ。(岡潔 / 小林秀雄 『対話 人間の建設』
人間が人間である中心にあるものは、科学性でもなければ、論理性でもなく、理性でもない、情緒である。
数学上の発見に関して西洋人はインスピレーション型、日本人は情緒型。
私は三日かからねば、つまり二晩寝なければ解けないという問題から問題と呼ぶことにしている。(「紫の火花」
天皇陛下に「数学とはどういう学問か」と聞かれて、数学とは生命の燃焼です。
自分の研究の方向は分かった。そのためには、まずは蕉風(芭蕉一派)の俳諧を勉強しなければならない。
新聞記者に「先生がおっしゃる情緒というのは何ですか」と聞かれて、野に咲く一輪のスミレを美しいと思う心。
いま、たくましさはわかっても、 人の心のかなしみがわかる青年がどれだけあるだろうか。
敬虔ということで気になるのは、最近、「人づくり」という言葉があることである。人の子を育てるのは大自然なのであって、人はその手助けをするにすぎない。「人づくり」などというのは思い上がりもはなはだしいと思う。(「日本的情緒」
いまは学問が好きになるような教育をしていませんね。だから、学問が好きという意味が全然わかっていないのじゃないかな。(岡潔 / 小林秀雄 『対話 人間の建設』
いまの教育では個人の幸福が目標になっている。人生の目的がこれだから、さあそれをやれといえば、道義というかんじんなものを教えないで手を抜いているのだから、まことに簡単にできる。(春宵十話・日本的情緒
こういう世相にあって、のんきな数学などは必要ないと思う方もあるかも知れません。しかし、数学というのは闇を照らす光なのであって、白昼にはいらないのですが、こういう世相には大いに必要となるのです。( 「春宵十話」
なにかいちいち文字に書き表して、それに認め印までおしてもらわなければ承知できない、そのようにしてはじめて安心するというふうなつながりでは、つながっているということの実感はけっして出てきません。( 「風蘭」
「人は、男・女性に関するさまざまなことを、さまざまな経験によって知るのではなく、情緒的に、すでに知りつくしていることを、単に経験によって、具体的に知るだけのことなのです。」『風蘭』 http://amzn.to/kiKCrl
「人と人との間にはよく情が通じ、人と自然の間にもよく情が通じます。これが日本人です。」『岡潔集(第五巻)』http://amzn.to/kiKCrl
「人の中心は「情」であって、情の根底は「人の心の悲しみを自分のからだの痛みのごとく感じる心」すなわち観音大悲の心である。」『月影』 http://amzn.to/kiKCrl
「明治以前の日本人は、死ねばそれきりなどとは思っていなかったのであって、この一生をながい旅路の一日のごとく思っていたのである。そして私もそう思っている。」『春の雲』 http://amzn.to/kiKCrl
「知性は理性と同一ではなく、理想を含んだものだと思うが、はっきりと理想に気づいたのもギリシャ文化が初めてだった。これを代表しているのがプラトンの哲学・及びユークリッドの幾何学である。」『春宵十話』 http://amzn.to/kiKCrl
「こういう世相にあって、のんきな数学などは必要ないと思う方もあるかも知れません。しかし、数学というのは闇を照らす光なのであって、白昼にはいらないのですが、こういう世相には大いに必要となるのです。」『春宵十話』 http://amzn.to/kiKCrl
「人の子を育てるのは大自然なのであって、人はその手助けをするにすぎない。「人づくり」などというのは思い上がりもはなはだしいと思う。」『春宵十話』 http://amzn.to/kiKCrl
小林秀雄「いまは学問が好きになるような教育をしていませんね。だから、学問が好きという意味が全然わかっていないのじゃないかな」。岡潔「個性が出るようにするにはどうするかということを教えなければいけないのでしょうね。個性がなくなりました」。(岡潔 / 小林秀雄 『対話 人間の建設』 pp. 3)
小林秀雄「ニュートンにおける時間とか空間とかいう考えは、未だぼくらの常識として、普通の言葉で言ってわかるのです。日常経験の抽象化としての時空の観念だからでしょう。ところがアインシュタインまでになると、言葉にならなくなる。近ごろの波動力学までくると、もっと言葉にならない」。岡潔「最近、感情的にはどうしても矛盾するとしか思えない二つの命題をもとに仮定しても、それが矛盾しないという証明が出たのです」。(岡潔 / 小林秀雄 『対話 人間の建設』 pp. 39)
いまの人類文化というものは、一口に言えば、内容は生存競争だと思います。生存競争がないようである間は、人類時代とはいえない、獣類時代である。しかも獣類時代のうちで最も生存競争の熾烈な時代だと思います。(岡潔 / 小林秀雄 『対話 人間の建設』pp. 50)
小林秀雄「話が違いますが、岡さん、どこかで、あなたは寺子屋式の素読をやれとおっしゃっていましたね。一見、極端なばかばかしいようなことですが、やはりたいへん本当な思想があるのを感じました」。岡潔「暗記するだけで意味がわからなければ、無意味なことだと言うが、それでは『論語』の意味とはなんでしょう。それは人により年齢により、さまざまな意味にとれるものでしょう。一生かかったってわからない意味さえ含んでいるかも知れない。それなら意味を教えることは、実に曖昧な教育だとわかるでしょう。丸暗記させる教育だけが、はっきりした教育です。<中略>私はここに今の教育法がいちばん忘れている真実があると思っているのです」。(岡潔 / 小林秀雄 『対話 人間の建設』 pp. 168)





(私論.私見)