日本人論と公共の原理考

 (最新見直し2006.10.31日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 日本人論は過去いろんな角度から云われてきた。列挙すれば次の通りである。

 「菊と刀」(ルース・ベネディクト著 社会思想社) 、1967年「タテ社会の人間関係」、1971年「日本人とユダヤ人」(イザヤ・ベンダサン 、 角川書店 )、1971年「甘えの構造」(土居健夫著 弘文堂)、1972年「日本人の意識構造」(会田雄次、講談社現代新書)、1979年「ジャパン・アズ・ナンバーワン」、1979年「文明としてのイエ社会」、1982年「日本人論の方程式」(杉本良夫、ロス・マオア)、1990年「日本/権力構造の謎」。200年「人間を幸福にしない日本というシステム」(カレル・ヴァン・ウォルフレン著、新潮OH!文庫)。

 れんだいこは、このたび「公共精神と日本人」というタイトル名で新日本人論を書き上げようと思う。案外と盲点になってきた気がする。


 爾来日本は、「豊葦原の瑞穂の国(とよあしはらのみずほのくに)」として崇められてきた。他の諸国に比べて天然自然資源の豊かな国であると認識されていたということであろう。その様子は、古くは魏志倭人伝でも詳細に述べられている。この典型的な例証として仮に山並みを考えればよい。韓国のボタ山、アメリカの禿げ山、英国の野草丘山に比べて、日本の山々はいずれも立木山草に覆われている。日本人にとっては当たり前のこの光景は世界的には珍しい。

 そういう自然景観の豊かさとどう関係するのか分からないが、日本人の人的資源の豊かさ、民度の高さも注目に値する。国民性として遵法精神と規律正しさが評価されており、日本は世界に稀に見る安全な国であるとも云われている。治安の良い国という意味では、主要国の大都会で女性が独り歩きできる都市が日本以外にあるだろうか。しかもそれは戦後の平和な日本に限らない。戦争中も、戦前も、江戸時代もそうだった、ということを考えれば納得いくであろう。

 注目すべきは、民族・国家を超えて献身的に尽くす日本人の精神であり、世界でもまれにみる特筆すべき義侠心である。努力と勤勉さも然り。これに関連して、忠誠心、義務感、恩、義理、人情等々日本社会に根ざした概念、価値観の形成が認められ、戦後の再建過程にこれが遺憾なく発揮されたように思われる。家族主義的経営。主人と家族が食事を一緒にする作風、経営者と社員が同じ食事を取リ一緒に食事する作風も珍しいとされている。
 その一つの例証として、戦前の台湾統治考。準じて朝鮮、満州、その他諸島統治考。やや失敗的な中国統治考。「台湾人と日本精神」(そうこんさん)は云う。概要「日本が植民統治で残したものは『公』の精神である。日本人には『公』の精神があることが中国人との決定的な違いと云える。日本の統治時代に養われた時間厳守の観念や衛生観念も含めた公共性、インフラ投資」。
 アインシュタイン博士は1922年に来日した折り、次のような日本に対する奇妙なメッセージを残したと言われている。「近代の日本ほど、世界を驚かしたものはない。この驚異的な発展には、他の国と異なる何かがなくてはならない。日本は3000年の歴史を通して一系の天皇を戴いてこれたということが、今日の日本をあらしめたと断言できる。私はこのような尊い国が、世界のどこかに一カ所くらいなくてはならないと常々考えていた。世界の未来は進むだけ進み、その間、幾度か争いは繰り返されて、最後の戦いに疲れるときがやってくる。その時、人類は本当の平和を求めて、世界的な盟主をあげなければならない。この世界の盟主になるものは、武力や財力ではなく、あらゆる国の歴史を遥かに越えた、最も古く、最も尊い家柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らなくてはならない。我々は神に感謝する。我々に日本という尊い国を作っておいてくれたことを・・・」


 日本人の精神構造分析
 自然現象との調和、融和、擬人化、生活様式への取り入れ。

 子羊のような従順さ。他方、テロリストの輩出。
 精神におけるカオス信仰。

 社会的に組織化された道徳性
 親の七光り
 天皇制の出現による影響

 「私は、文楽という人形芝居について興味を抱いていた。人形は、黒衣と呼ばれる人間によって動かされている。丁度、日本の指導者は文楽における人形で、本当の実力者は黒衣のようにうしろにいて、実権を振るっていたのではないかということである。文楽の人形劇では、黒衣を着た人形使いの姿を観衆ははっきり見ることができるのも、また興味深い事実である。その人形使いは、人形よりもさらに重要な存在であるということを観客はとうに知っているが、それを気をとめないしきたりがある。日本の歴史を本当に動かしてきたのは、このような黒衣を着た実力者たちであったのかも知れない」(M・トケイヤー「日本人は死んだ」箱崎総一訳・日新報道・1976.2.21日)


 狭い人間関係に安住する癖
 主体性の抑圧
 「君子危うきに近寄らず」―「虎穴に入らずんば虎子を得ず」
 「人を見たら泥棒と思え」―「渡る世間に鬼は無し」
 「触らぬ神に祟り無し」、「泣く子と地頭には勝てぬ」、「藪をつついて蛇を出す」、「雉も鳴かずば撃たれまい」、「柳に風折れ無し」、「出る杭は打たれる」、「臭いものに蓋」

 責任無主体、言い訳社会、愛想笑い、

日本の「右」は、戦略ではなく、感覚的に中国・朝鮮が嫌いじゃからな。そのくせ、西洋人には卑屈なのじゃ。
東洋の哲学こそ、世界が脱出する道なのじゃ。


  

大なる「真正保守」、松原正氏の卓見
福田恆存氏の弟子として、『月曜評論』を引き継いだ「真正保守」を自称する論客=松原正・早稲田大学名誉教授。概要つぎのように言われる。「われわれが日本を愛するのは、それが母親のようなものであるからだ。ただ、自分の母親を尊敬するのに、他人の母親を貶める必要はない」。 松原先生は、パトリオティズムとショービニズムという、2種類の「愛国心」を説明されている。前者は、自分の育った故郷や知己への自然な愛着であり、後者のように比較対照にもとづくものではない。難しいことを、このように平明に説明できるのが、優れた教育者の手腕というものである。比較にもとづく「愛国心」は、劣等感や社会的怨恨にもとづくものである。ニーチェやマックス・シェーラーのいう「ルサンチマン」に由来するものである。ジドクター・ジョンソンは、「愛国心は悪党の最後の隠れ蓑」と述べた。

 「愛国心」を僭称するゴロツキ共は、社会的に弱い立場にある人々をいじめることによって、自分のみじめな内面生活を慰めている哀れな連中である。どこの国でも「愛国心」を声高に語る者にロクな人間はいない。日本にも、「秘すれば華」という名言がある。

 右翼とギャングスターがしばしば重複するのは、世界中共通である。どんな悪党でも、生涯自分を軽蔑して生きることはできない。「愛国者」になることは、もっとも安手の慰安なのである。なにしろ、何も努力もせずに、ただ自称すればそれですむのだから…「つくる会」教科書が公教育の場に持ち込まれるのは、ゴロツキ共を野放しにするのに等しい。

 2001.5.2日産経新聞「新日本学講座」国際日本文化センター教授・笠谷和比古講演「武士道の視点から」れんだいこ的要約

 武士道は、単に集団主義的なものではなく、「個の自立」思想に支えられていた。但し、日本的な「個人の自立」であり、欧米型の個人主義とは異質。個人と組織との関係が対立的な傾向を帯びるのが欧米型の個人主義で、日本人の場合は異なる。我々の社会は親子の絆、祖先とのつながり、組織との「長期にわたる」信頼関係を大切にする。つまり、両立的な関係を伝統的に重視してきた。その粋が武士道における個人の関係である。宮本武蔵の「五輪書」、佐賀藩士、山本常朝の「葉隠(はがくれ)」、室鳩巣の「明君家訓」などが、そのすぐれた武士道書である。

 葉隠れによる。武士道といえば忠義である。忠義は滅私奉公、絶対的服従と捉えられている。「ご無理の仰せつけ、または不運にして牢人切腹仰せつけられ候とも、少しも恨みたてまつらず、一のご奉公と存じ、生々世々、御家を歎きたてまつる心入れ、これご当家(佐賀藩鍋島家)の侍の本意、覚悟の初門にて候」とある。

 但し、武士道=滅私奉公とのみ読み取るのは誤解である。「武士道は忠誠心と個人の自立の両面を持つ。自立の契機を失えば、奴隷の服従、腐敗の温床になる」との観点も必要である。読み進めると、次のような一文に出くわす。「主君の御心入れを直し、御国家を固め申すが大忠節」、「(主君の命令が自分に納得できない場合)どこまでもどこまでも訴訟すべし」という件がある。つまり、主君の命令だろうと、同輩たちの云い様であろうと、己に確信があるのならば、時にはそれを踏み破って進むべしであるという文意である。冒頭では、「ひたすら従へ」と云い、ここでは「時には背け」といっていることになる。これを解釈するのに次のように云えるのではなかろうか。牢人させられようが、切腹を命じられようが、唯々諾々(いいだくだく)と従うのは、武士道の基本中の基本である。と同時に、それは初門でしかない。これに止まるのは「最下級の武士」と云わざるを得ない。高いレベルの武士道は「大忠節」が要求される。時には、主君の言いようを踏み潰し、捻じ曲がった心を鍛え直し、そして御国家、つまり佐賀藩鍋島家を固める。「御家を一人して荷い申す志」が要求され、これが武士道の真の役割である。

 「武士道とは死ぬことと見つけたり」についても同様である。武士が「生か死か」の境に立つなら、徹底的に死を選べと強調する。常に、未練を残さず一命を賭して事に処すべき態度、心構えを堅持することによって、彼は生死を越えた自由の境地に立つ。そこで初めて「武道に自由を得、一生落ち度なく家職を仕課(しおお)すべき也」。つまり、武士の道をまっとうできるだろう、という。「死ぬ」ではなく「生の哲学」である。「死」と直面することによって徹底的に生き得るというのだ。

 当時「お家存続」は最も強い要請であった。その為に、トップの命令下、皆が苦情やわがままを申し立てることなく、一致団結して目標達成にこたすら邁進していくことか、といえば、「それは違う」。イエスマンの集まりは組織の安定のように見えて、実は衰退していく組織でしかない。「忠義は奴隷の服従にあらず」。主君、上位者の命令であっても、疑問を持てば容易に屈せず、決して周囲に押し流されない自立性に満ち溢れた人物を、どれだけ多く抱えているかに、組織の強みは依存する。「お家の強み」の核心はここにある。徳川時代の武士道がこの境地に達していたことは、高く評価されてしかるべきだろう。

 室鳩巣の「明君家訓」にも次のような謂いがある。主君は広い度量をもって家臣団の諫言を素直に聞き入れる態度が必要である。もし、主君の命令と自身の意見や信念が背反したとき、どうするか。時には反逆的行為があっても、それを恨みには思わない。主君は、個人の能動性、主体性を発揮させることで、組織を活性化させ、危機克服能力を高めさせるべきである、と強調する。「自立分散型秩序」。まさに武士道の極意はここにある。剛直の精神、異議申し立ての権能、組織トップの度量と見識。これらがあいまって、最も強力な組織が出来る。

 「主君押し込めの慣行」について。もし不幸なことに悪主、暴君の悪政の為に家臣、領民が苦しめられるという状況が生まれる等不明な君主を戴いた場合の方法の一つとして、まず諫言が為され、それでも聞き入れられない時、家臣、重臣が合議の上藩主を座敷牢に監禁するという「押し込め」が広く行われてきた。

 この多くは、悪家老の企みによる「お家乗っ取り」としか、理解されてこなかった。実際には、徳川時代には陰謀というより、家老の職務権限上の正当行為として認識されていた。それにも手続きが必要であった。まず、藩主が表座敷へ出るのを待ち、その面前へ家老・重臣が列座する。そして「お身持ち宜しからず、暫くお慎み遊ばさるべし」と「押し込み」の執行宣告をする。続いて、家老の指揮のもと、目付け(検察官)や物頭(鉄砲足軽隊長)が藩主の身柄を拘束し、そのまま座敷牢に監禁する。この手続きを踏まず、例えば寝所に押しかけて行って執行すれば、これはクーデターに過ぎない。手順を踏むことが大切であった。「押し込め」は、あくまでも「物理的強制を伴う諫言」である。

 その後とうするか。実は、藩主に改心の情が見られるかどうか、情状観察する。約半年から1年かけて、話し合いを行う。大丈夫と見極めたら、誓約書を書かせた上で再び、藩主の地位に復活させる。これを「再出勤」と云う。一方、期間内においても改心ないときには、強制的に隠居させてしまう。「押し込み」制度によって、武士道は有効性、実効性を保ちえたというべきだろう。

 現代的武士道10の提言
1、能力主義に基づく人事、昇進制度。
2、成員資格の厳格な保全(会社側の都合による一方的解雇の原則禁止)。
3、職務の個人責任制。
4、事業提案制度。
5、実践的で積極的な業績評価法。(減点法ではなく加点法思考で)
6、調停委員会の場での議論と紛争の調停。(不当評価への弁明の機会を)
7、討論を基礎とする意思決定。
8、異議申し立て、相互批判の活性化と権限の制度化。
9、ボトム・アップとトップ・ダウンの不断の応答による組織の意思決定。
10、経営方針を内外の人間に論理的に明晰な形で表現し得るリーダー。


 笠谷氏は、新著「武士道と現代 江戸に学ぶ日本再生のヒント」(扶桑社)で、現代の日本の会社組織が年功序列制を捨て米国型の能力主義を採用したことの失敗を指摘。新しい組織造りには、「日本人の思想と行動のモデルとして武士道に学ぶべきものがある」と強調している。


 「武士は食わねど高楊枝」

 恥じに関係している。ルース・ベネディクトは「菊と刀」で、「日本人は恥、西洋人は罪」といった。大道寺友山の「武道初心集」によると、恥じには3段階ある。第一は世間体を気にする恥じ。低いレベルだ。第二段階は、己が心に問うて、恥じることなかれ。第三は世間がどういうのではなく、自然体の中で名誉の道をまっとうする。超越の境地である。


飛翔・友情と信頼

Reply2155 Re:日本人について ベルナール 2002/09/27 23:50
日本人の源流という発想は、まず幕末・維新という西欧の衝撃によって、あらためて「日本人」を定義するという欲望に起因していると思います。こうした発想が、まず人種論として提起されたのは、アジア・アフリカの大部分が欧米の植民地になっていた時期に、その植民地支配の正統化の要請が考えられます。日本は、その西欧オリエンタリズムを内面化して、大陸に実効支配地域を拡大する理念的後ろ盾にして行きました。

近代の日本の大陸侵攻の正当性の根拠の「学問的」バックボーンに関連して、一番に挙げるべき人物は、長谷部言人です。長谷部は、まずマルクス主義の歴史家として出発しましたが、戦時中はむしろ皇国史観の理論家の役割を積極的に果たしました。「日本人」は洪積世には「日本」に住んでいた。高天原は外国ではない。なぜなら洪積世には「日本」に動物がいたからである。「人跡」はこれから探すのだと、長谷部は主張しました。

「日本人」がまず存在したのではなく、「種の起源」、ルーツへの探求という時代精神が、遡及的に「日本人」を要請したわけです。日本における国民国家の成立は、言うまでもなく、明治維新によります。まず「日本人」があって日本という国を成立させたのではなく、国民国家が「日本人」を事後的に作り上げたというわけです。明治の「人類学的」欲望は、この過程を遡及して「日本人」という前提を捏造しました。そして、大陸における旧日本軍の残虐行為の背後に、「人類学的」な疑似科学的後ろ盾があったことは、意外に気づかれていません。一般に客観的真理を追究すると考えられる諸学も、また「時代の子」です。そして、学問がみずからの普遍的妥当性を疑わなくなった時、それがいかに多くの惨害をもたらすかは、以下のサイトに一端が示されている史実に端的に示されているように思われます。

そして、拉致事件を端緒に、-- 言語的にも生物学的にも近似しているとされる -- 在日コリアンへの嫌がらせが、他者が自己であり得る (「クローン人間」!) グローバリズムの時代に猖獗を極めているのは、「自己であることの困難」を象徴的に示す現象だと思えます。

(1)「日本の人類学の黎明」
【引用始め】
日本人類学会は明治17年(1884)、当時東京大学理学部学生であった坪井正五郎ら10名により結成された「じんるいがくのとも」という団体に端を発する。
【引用終わり】
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jinrui/history.html

(2) 「縄文文化と東北地方―東北の基礎文化を求めて」
【引用始め】
このような人種論全盛の初期日本考古学に対して、大正時代に入ると考古学に遺物型式 学の導入が試みられ、ここにようやくモース以来の科学的方法論の基盤が整えられてい く。京都大学の浜田耕作、東北大学の古生物学者松本彦七郎の方法論である。後者は東 北地方をフィールドとし、宮城県里浜貝塚や宝ケ峰貝塚などの発掘調査を行い、縄文土 器を形態と文様に基づいて体系化、その変化をみる基準として遺跡の層位的観察を行っ た。今ならば考古学研究者の常識である、遺跡の堆積順序は上層が新しく、下層に行く ほど古い、と言う層位学の原理を初めて遺跡発掘に応用し、これに土器の型式的変化を 対応させて考えたのである。ここに縄文土器の編年的研究の端緒が開かれるが、これを本格的に発展させたのが東北大学の長谷部言人(はせべことんど)のもとで副手をしていた山内清男(やまのうち すがお)である。山内清男は、大正13(1924)年、岩手県の大洞(おおぼら)貝塚、細浦上ノ山貝塚を調査し、後の縄文時代晩期「大洞式(亀ケ岡式)土器」各型式を設定する切っ掛けを得た。 続いて宮城県松島湾沿岸の多くの貝塚や、福島県新地(しんち)貝塚、さらに関東地方の堀之内貝塚などを精力的に発掘、土器の型式学的研究に層位学的所見を加味して東北・関東の縄文土器編年網の基礎を確立していった。また、縄文土器の縄目文様が細い撚り紐を軸棒に巻きつけたり、縄状に絡げて作った“縄文原体”を回転させて得られたものだ、という事に最初に気付いたのも彼である。こうして山内清男の縄文土器編年は、東北地方から始まり、やがて北海道、西日本、九州までを射程に取り込み、世界的にも精緻な縄文土器の型式編年網として確立していく。昭和7・8(1932・33)年、雑誌『ドルメン』誌上に発表された「日本遠古の文化」にはこの成果が、今でも一般的に用いられる縄文時代早期から晩期までの5期区分とともに収められている。縄文時代が狩猟・採集を基盤とした“獲得経済”の時代であり、稲作農耕を受容した弥生時代とはその経済体系が根本的に異なるという、指摘も、当時としてはきわめて斬新なものだったと言えよう。なお、戦前の縄文文化研究で、東北地方の遺跡・遺物研究の果たした役割の大きさには晴らしいものがある。この背景には、早くから中央の考古学研究に刺激され、いち早く東北の縄文遺跡に着目して地域に根ざした研究を開始した何人かの研究者の存在があった。とくに山内清男の縄文土器編年研究の過程で、彼に多くの情報と、様々な資料を提供した岩手県気仙郡の小田島六郎、青森県中心に多くの遺跡を踏査し、是川遺跡や 亀ケ岡遺跡などの貴重な資料を多く集めた風韻堂(ふういんどう)コレクション、昭和 5年以降、岩手県蒔前(まくまえ)遺跡の出土品を精力的に収集した梅垣鼎三などは、 記憶されねばならない。
【引用終わり】
http://www.netcity.or.jp/michinoku/izakaya/jyomon/j21nagare5.html

(3)「長谷部言人について」
【引用始め】
七三一部隊の指揮官石井四郎中将の恩師である清野謙次と並んで戦中戦後の人類学会の定説を形成し、禰津正志、早川二郎などマルクス主義歴史学者の絶賛と圧倒的支持を集めていたのが長谷部言人である。1930年代前半までは日本民族混合起源説を維持していた長谷部や清野は皇民化政策が本格化した1938年頃からその論調を変え混合を全面的に否定するに至る。人類が発祥してすぐに「日本人」は「日本」の地を占拠し以後連綿と現在まで続いていると主張する。日米開戦5ヶ月後、大東亜建設審議会が大和民族の純血維持をうたった答申を出す直前の1942年4月に、長谷部は企画院次長あてに、「大東亜建設に関し人類学研究者としての意見」と題する意見書を提出している。その中で、「日本人」は洪積世には「日本」に住んでいた。高天原は外国ではない。なぜなら洪積世には「日本」に動物がいたからである。「人跡」はこれから探すのだという。しかも、列島の石器時代人は即ち日本人であり、その文化は当時から「極めて特殊なるもの」で「近代のアイヌやボルネオのダイヤクなどに比べて「優越」していたと主張している。そして朝鮮人をはじめ周辺人種とは全く違う「日本人」の特殊性を強調し「日本人は生まれながらにして大東亜の貴要たる特殊性を有す」という。しかも、人口増殖は皇国存立興隆の基のみならず、大東亜建設遂行の根底なり」といい、人間には「良質」「凡質」「悪質」の三種があり、凡質には教育、悪質には断種による除去が必要であるとする。そして、朝鮮人との混血を防がないと「凡質」が増えるから処置を講ぜよと主張している。一方、清野謙次も『日本民族生成論』において「皇国のありがたさ」「日本民族の独自性ある生い立ち」を「数理」から立証した自説を読んで「日本国民としての自覚を増していただきたいため」にこの本を書いたとのべている。戦後の人類学会において最高権威として定説を形成していた長谷部言人の日本人の起源に関する説は、先史日本人説(変形説)と呼ばれている。長谷部の主張は、「石器時代人は日本人そのものであり、先史日本人と呼ぶべきである。先史日本人が現代日本人へ転化した要因は、自然環境と社会生活の変転に求められる。」というものである。『日本民族の成立』という論文に長谷部は次のように述べている。「縄文時代人と古墳時代人の形態上の著しい相違は、狩猟採集経済を基本とする石器時代の生活から、稲作農耕に依存する金属器時代の生活への転換に付随する租借力・筋力の節約がもたらしたもので、文化が変わり、それにともない骨の形態が変わっても、民族そのものの本質に変化はなかったはずである。」つまり弥生時代においても、またそれ以後においても、日本人の体質を一変させるほど大規模な混血はなく、日本人は石器時代から現代に至るまで遺伝的に連続しているというのである。
【引用終わり】
http://isweb24.infoseek.co.jp/school/drhnakai/sub1-20-3.html


『國癌切開』 >北朝鮮に見せてあげよう 投稿者:八神邦建  投稿日: 9月 6日(土)07時12分51秒

 名古屋で昭和11年に発行された『國癌切開』は、朝鮮人の憂国家「金振九」氏が、
日本と朝鮮を歴史的民族的に比較考証した著作です。金氏は、日本人でも混血でもない
生粋の朝鮮人だと思われます。金氏の「憂国」「国癌切開」とは、もちろん「朝鮮」と
いう国を憂え、その癌を切除せんとしているわけです。

大韓民国 国立中央図書館蔵 日帝期和書総目録
http://proxy.saga-wjc.ac.jp/nagasawa/korea/toshokan/national/national01.htm#政治

 ネット上で、この著者と著作について調べられるページは上記URLのものしかないよう
ですが、昨年以来、古書の中に『國癌切開』の本文の一部が引用されているものがあり、
それが素晴らしかったので、ご紹介いたします。
 ~引用文中の( )は、八神による補注です~

『國癌切開』(※一部引用)

「日本の民族性は、感受性のきわめて鋭敏にして、しかも容易に(他文化に)中毒しない
所に最長・最美があります。(体にたとえれば)胃腸が頑丈でありますから、何を食べて
もあたりませぬ。
 これは、神道精神の(もたらすものが)比類なき所以(ゆえん)であり、天性的素質の
強靭なるが為であります。漢学(儒教など支那の学問)の入った(=輸入された)時にも、
仏教輸入の時にも、一時は(外来文化)中毒=自屈拝外(=自国を卑しみ外国を尊ぶ病)
にかかろうとしましたが、(日本の)大衆の(外来の病をはねのける民族的)圧力は、一、
ニ(人)の(外来文化をもたらした少数の)碩学高僧(の権威)を、断然(=断固として)
排斥して、結局、日本的漢学に、(また)日本的仏教に落ちつかせてしまい、現今(昭和
11年現在)の(日本に流入した)欧米(の)学においても、またしかりであります。
 明治・大正を通じて、西洋文明の魔酔(=洗脳的影響)は、実に天下を風靡(ふうび)
するの観を呈しましたが、昭和聖代の今日に至り、これが(本来の日本精神への)引き戻
し(の)運動(となって)猛烈におこなわれつつあるのであります。
 要するに、今が欧米文明の日本化運動の真っ最中ではないかと思われます。(中略)
 日本は奥行きの深い国柄で、研究すればするほど、謎ばかりでありまして、昔の社会
組織ならびに文化制度など、(朝鮮人である私は)いまだその九牛の一毛だにも、触れて
おりませんが(中略)これ(を)、朝鮮の李朝(時代の)中葉以来の無責任きわまる悪政
時代と比較して見る時には、実に感嘆に堪えませぬ。(中略)
 かくのごとき大精神の下に、長年、薀蓄(うんちく=知識・体験・学習の蓄積)され、
修練されたる大実力と大気魄(だいきはく)をもってして、近き将来に、必ず一度は東洋
全土を風靡し、世界全幅(=世界全体)に向かって、一大雄飛の翼を、九万の長空に開く
の時機は訪れてくるものだと、私は断固確信してはばからないのであります。(後略)」
(引用おわり)




「日本人論」再考



http://bbs2.otd.co.jp/15701/bbs_plain



日本文明の真の意味を知る

日本人は、自らの宗教観についても、認識しなければならない。
思うに、一神教の西洋人と、多神教の東洋人なかんずく日本人との間には、世界観に大きな違いがある。例えば、英語では、「神の意思」を表すShall(Shallは Thou Shaltが変化したものであり、I shall returnとはI am ordered by God to return.という意味である。)という助動詞があり、自己(自我)は常に神(絶対者)と垂直に繋がっているという意識が基盤になる。英語の「人」を指すManという言葉は「絶対者たる神=造物主(The Creator)」によってつくられた被造物という意味がある。一方、東洋では、「人」という文字が、人と人が支えあうという形から生まれたごとく、絶対者を基盤とせず、人間の存在は他者との関わりの中で認識される、相対的なものである。この違いを認識することが、国際社会と関る上での基盤であろうが、十分に意識されているとはいえない。この世界観、人間観の違いが、ベネディクトの「菊と刀」によって分析された、絶対者との関係による罪の文化、と相対的な他者との関係である恥の文化ということになる。

以下は、アルバート・アインシュタイン博士が1922年11月16日から40日間日本に滞在して残した言葉である。 西洋の偉大な科学者が、東洋、とりわけ日本の高い精神性に 期待したという。「世界は進むだけ進み、その間に、何度も闘争を繰り返すであろう。そして、その闘争に疲れはてるときが来る。そのとき、世界人類は平和を求め、そのための世界の盟主が必要になる。その盟主とは、アジアに始まって、アジアに帰る。そして、アジアの最高峰、日本に立ち返らねばならない。我々は神に感謝する。天が我々人類に日本という国をつくってくれたことを」
旧約聖書の十戒が殺すなかれで始まっていることは、一神教徒の精神性を知る手がかりである。日本人の原点とされる十七条憲法の第一項が和の尊さであることは彼らと比べて、日本人の精神性の高さを物語る。日本人の精神性を語る上で、神道的多様性(八百万の神々)という思想は重要である。それぞれがそれぞれに貴いものを持ちながら、みんなで一緒に調和しつつ、しかもその全体が最適になる社会をつくるのだという発想が、日本人の原点にある考え方のだ。砂漠の神を戴く一神教及び金融資本にフリーハンドを与えた結果、部分最適と個人の利益が極大化した結果、世界環境は重大な危機を迎えている。彼ら自身のパラダイムで現代の諸問題は解決できない。新たなパラダイムは我々日本人が提案して示していかなければならない。日本こそが、ランドパワーを内部に包摂し、しかもシーパワーの論理性をも兼ね備えた文明を世界に示しうる。冒頭で紹介した多神教に依拠する縄文と弥生の頃から日本の歴史は両者の対決から止揚というパターンをとった。近代のパラダイムを相克することは、世界に唯一の多神教シーパワー日本にしかできない。現代において、日本こそが人間と自然や社会の発展を高い次元で両立させているのであり、基盤である最古、最長の文明の縄文が一万年以上に渡って自然と調和を保ち持続的発展を遂げた意義を再度見直さなければならない。上記のアインシュタインの言葉はこの文脈で理解すべきである。
今こそ世界レベルでシーパワー諸国に日本の文明史的意義を訴え、理解、実践させるべき時なのである。環太平洋連合樹立の真の意味はここにある。

古代日本人にとって大事なことは、「清き明(あか)き心」だった。「清明心」とも言うが、これは、自然のように清らかで、他人に対して隠すことのない心、そして神に対しても欺くことのない心、と考えられていた。他人に隠すような偽りの心を「濁(きたな)き心」、また、自分勝手な心を「私心(わたくしごころ)」というが、こういったものを捨ててしまった状態が望ましい、と考えた。「清き明き心」を持つことで、情愛に満ちた人々の融和が可能だとされたのだ。この自然を含む他者との融和の精神は、今後の世界、特にシーパワーにとっての鍵になる概念と考える。


2004/01/20 09:31
私はアメリカとカナダに通算43年間住んでいる科学者です。日本人のユダヤ論を今まで数多く読みましたが、どれも外国の文献から得た知識に基づいた物が多く、文献を書いた人の社会環境から来る偏見をそのまま反映していると思います。ご承知の様に、欧米の大学には人口比率に比べ非常に数多くのユダヤ人が在籍していますので、当然、私の友人達もユダヤ人が沢山居ります。又、私の子供達は音楽家なのでその方面でも非常にユダヤ人が多く、私がユダヤ系の人と接触する機会は普通の人より遥かに高いと言えるでしょう。これらの経験に基づいて得た私のユダヤ論は以下の通りです。

ユダヤ民族が世界中で嫌われるにはそれなりの原因があり、彼らがいつも自分達は差別の被害者と声を大にして主張しても、自分達の落ち度は一切反省しない、という民族性があります。その原因の第一は、彼らは他民族に比べ損得勘定に敏感で人情に左右されにくい事です。これは日本人の民族性と正反対です。勘定高さと人情については、世界の多くの民族の中で恐らくユダヤ人と日本人は両極端に位置すると思います。又ユダヤ人は同族意識が強く、組織の中でユダヤ人同士を依怙贔屓して共同戦線を固めようとします。中国人もこの傾向が強いのですが、日本人は正反対で、組織の中で日本人を優遇するのは依怙贔屓と見なされるのを怖れ、わざと日本人を避ける傾向があります。即ち、ユダヤ人や中国人は他人が自分達をどう見るかに無頓着なのに反し、日本人は他人の目をひどく気にします。

アメリカの大学の研究室で沢山の日本人助手が居る所はユダヤ人の教授であると断定して間違いありません。日本人は真面目で献身的な職人気質の人が多く、忠実に実験の手続きを履行してくれるので安心して任せられますが、他民族ではそうは行きません。中国人やインド人には有能な人が多いですが、勝手に手続きを変更し手を抜く事を先ず第一に考える傾向があります。そういった民族性を利用するのに利に聡いユダヤ人が見逃す筈がないのです。ですから、ユダヤ人が日本人に友好的であるのは日本人を利用すれば自分に都合がよい結果が得られるからに他なりません。利用価値が無くなれば彼らは冷淡で見向きもしないのです。

有能と無能の両極端、善と悪の両極端についてもユダヤ人は他民族より幅が大きいと思われます。イタリア人はマフィアの主流と思われていますが、そのマフィアをコントロールしているのはユダヤ人ですし、慈善事業に精を出す善意の塊の様なユダヤ人も居ます。パレスチナ人を殺戮するのもユダヤ人ですし、その様な殺戮に参加しないと軍務を拒否するのもユダヤ人です。日本人の中に自分の信念に反するからといって上官の命令を拒否できるだけの根性を持った人は皆無でしょう。又、ユダヤ人の陰険な陰謀を暴くのもユダヤ人ですし、シオニズムに強く反対するのもユダヤ人です。所が日本人は、「長い物には巻かれろ」という通り、権力に対し諦めと従順で対応する民族性を持っています。これは温暖で平和な日本列島に何万年と住み、天変地異のみが唯一の災難であった為に形成された民族性です。この様な日本人の行動を中国から伝来した律令制度の所為にする論者も居ますが、私はむしろ反対に、律令制度が日本人古来の民族性に合致したために日本に定着した、と考えています。

そういった民族性を持つ日本人は外来民族の民族性については極めて用心深く対応せねばなりません。現在でも僅か1%位の朝鮮半島からの移民によって日本人は多大の影響を受けているのも、世界でも例のない穏和な日本人の民族性が原因です。従って、日本人の民族性について何も知らない国連が日本に移民を大量に受け入れよ、と要求してきても絶対に受け入れてはなりません。日本は短期間(一世代)の中に政府も産業も移民に乗っ取られるのは火を見るよりも明らかだからです。これは日本に移植した外来動植物が日本古来の動植物を絶滅させる例が幾つもある事と同じです。つまり、もしユダヤ民族が朝鮮民族と同数くらい移住してくれば、日本は完全にユダヤ人の支配下に置かれてしまい、日本人は劣等民族として扱われ、奴隷的な地位に貶められます。日本人の仕事をする能力が劣等なのでなく、奸策を弄した独裁力が劣等なのです。虐殺されないだけアメリカン・インディアンよりましですが、日本人の奴隷化は私が確信を持って予言できます。一度そうなればもう絶対に元に戻せません。アングロサクソンが支配してきたアメリカでさえ僅か2.5%のユダヤ系に金融、報道、映画、音楽の分野で支配され、その上政府でさえも実質的に支配され、今では合衆国憲法さえ独裁制を認める様に書き換えられようとしているのです。(所で皆さんはFRBの設立は憲法違反であった事を知っていますか)

西欧にかぶれた日本人は沢山居ても西欧には日本にかぶれた人は居ないという事実を認識せねばなりません。日本人特有の美徳である「遠慮」「謙遜」「我慢」は日本人の間でのみ美徳であり、他民族には通用しないのです。恩を仇で返すのが世界の常識なのですから、いくら日本がアメリカや中国の経済を助けて恩を売っても帰ってくるのはひどい仕打ちだけです。日本人は自分達が共有する価値観は他民族と非常に異なる事を自覚し、他民族に接するにあたり用心深く行動し、彼らに日本人の美徳を逆手に取られて結局奴隷にされないように常に警戒する必要があります。現在の日本人はあまりにも無防備でお人好し過ぎます。先ず日本人自身が日本の国土を死守する覚悟を決め、他民族の支配は絶対に受け入れないと決意せねばなりません。






(私論.私見)