三島由紀夫の愛国論、天皇論

 更新日/2021(平成31.5.1栄和改元/栄和3).10.2日

 (れんだいこのショートメッセージ)
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 2013.08.31日 れんだいこ拝


三島由紀夫の天皇論
 三島の天皇に対する態度は現人神的なものではなかった。文化防衛論等において披歴しているが、「文化概念としての天皇」という概念を主張し、次のように述べている。
 概要「天皇は歴史と文化の伝統の中心にして祭祀国家の長である。そういう日本の文化の中心としての天皇は国と民族の非分離の象徴であり、その時間的連続性と空間的連続性の座標軸である。文化概念の定義は、おのづから文化を防衛するにはいかにあるべきか、文化の真の敵は何かといふ考察を促す。“守る”とはつねに剣の原理である。菊と刀の栄誉が最終的に帰一する根源が天皇なのであるから、軍事上の栄誉も亦、文化概念としての天皇から与へられなければならない。(中略)天皇に栄誉大権の実質を回復し、軍の儀仗を受けられることはもちろん、聨隊旗も直接下賜されなければならない。天皇と軍隊を栄誉の絆でつないでおくことが急務である」。

 また、伊勢神宮の造営や、歌道における「本歌取り」の法則などを例に挙げ、「各代の天皇が、正に天皇その方であつて、天照大神(あまてらすおほみかみ)とオリジナルとコピーの関係にはない。天皇は宗教的で、神聖な、インパーソナルな存在である」とも述べている。

 1966(昭和41)年の林房雄との対談では次のように述べている。

 「僕はどうしても天皇というのを、現状肯定のシンボルにするのはいやなんですよ」。
 「天皇というのは、僕の観念のなかでは世界に比類のないもので、現状肯定のシンボルでもあり得るが、いちばん先鋭な革新のシンボルでもあり得る二面性をもっておられる」。

 三島は、戦後の象徴天皇制に対して、大衆社会化に追随した「週刊誌的天皇制」(皇室が週刊誌のネタにされるほど貶められた、という意味)として唾棄している。「国民に親しまれる天皇制」のイメージ作りに多大な影響力を及ぼし、民主化しようとしてやり過ぎた小泉信三を、皇室からディグニティ(威厳)を奪った「大逆臣」と呼んで痛罵している。れんだいこ的には、ここが三島天皇論の限界ではないかと思っている。ここでは詳細には述べないが、れんだいこの天皇制論と真逆になっている。これについては別途言及しようと思う。

 興味深いことは、三島が、昭和天皇に対して屈折した評価をしていることである。死の1週間前に行なわれた対談で「ぼくは、むしろ(昭和)天皇個人にたいして反感を持っているんです。ぼくは戦後における天皇人間化という行為を、ぜんぶ否定しているんです」と述べており、昭和天皇に対する否定的な感情を披歴している。その観点が二・二六事件三部作の最後を飾る「英霊の聲」に端的に表されている。三島はその作中で、「たつたお孤りで、あらゆる辛苦をお忍びになりつつ、陛下は人間であらせられた。清らかに、小さく光る人間であらせられた。それはよい。誰が陛下をお咎めすることができよう」と前置きした上で、「だが、昭和の歴史においてただ二度だけ、陛下は神であらせられるべきだつた。何と云はうか、人間としての義務(つとめ)において、神であらせられるべきだつた」と批判している。

 「二度」のケースのその1は、「兄神たちの蹶起の時」即ち誠忠の士であった青年将校の二・二六事件に対し「叛逆の徒」と呼ばわり銃殺の極刑にはずかしめたことを云う。三島は、二・二六事件の蹶起将校と特攻隊隊員の霊に「などて天皇(すめろぎ)は人間(ひと)となりたまひし」と、ほとんど呪詛に近い言葉を語らせている。また同時に、昭和天皇の側近でだった幣原喜重郎も批判している。高橋睦郎によると、三島は昭和天皇について、「彼にはエロティシズムを感じない、あんな老人のために死ぬわけにはいかない」と発言し、さらに当時の人気歌手を引き合いに出して「三田明が天皇だったらいつでも死ぬ」と発言したことがあったという。

 その2が、「われらの死のあと、国の敗れたあとの時」。すなわち、戦後の「人間宣言」により、「神としての天皇のために死んだ」神風特攻隊隊員らの至誠を裏切ったとしている。但し、これについては次のようにも述べている。

 「昭和天皇は、『昭和二十一年元旦の詔書』を発せられた後も、『現御神』、『天照大御神の生みの御子』との御自覚は決して失ってはおられなかった。天皇の神聖性は絶対に失われてはいない。 昭和天皇は、昭和三十五年に、『さしのぼる 朝日の光り へだてなく 世を照らさむぞ わがねがひなる』と歌われ、同三十四年には 『あなうれし 神のみ前に 日の御子の いもせの契り 結ぶこの朝』 と詠ませられている。この二首の御製は天皇および皇太子は『天照大神の生みの御子』即ち『日の御子』であるという御自覚を歌われているのである。 これらの御製を拝すれば、昭和天皇が『昭和二十一年元旦の詔書』においていわゆる神格を否定され人間宣言をされたなどという説が大きな誤りであることが分かる」。

 その一方で、旧制学習院高等科を首席で卒業した際、恩賜の銀時計を拝受し昭和天皇に謁見したことを感慨深く回想している。1969(昭和44).5.13日におこなわれた東大全共闘との討論集会においても、学習院高等科の卒業式に臨席した昭和天皇が「3時間(の式の間)、木像のごとく全然微動もしない」御姿が大変ご立派であったと敬意を表している。同討論集会で三島は、「天皇を天皇と諸君が一言、言ってくれれば、私は喜んで諸君と手をつなぐ(共闘する)のに、言ってくれないから、いつまでたっても“殺す、殺す”といっているだけのことさ」と言い放ち全共闘学生を挑発している。

 三島は福田恆存との対談「文武両道と死の哲学」(論争ジャーナル、1967.11月号に掲載、「若きサムラヒのために」所収)において、井上光晴の「三島さんは、おれよりも天皇に苛酷なんだね」との評を引用し、天皇に過酷な要求をすることこそが天皇に対する一番の忠義であると語っている。また同対談で次のような天皇論を披歴している。

 「理想の天皇制とは没我の精神であり、国家的エゴイズムや国民のエゴイズムを掣肘するファクターである」、「そこで、天皇とは何ぞや、といふことになるんです。ぼくは、工業化はよろしい。都市化、近代化はよろしい、その点はあくまで現実主義です。しかし、これで日本人は満足してゐるかといふと、どこかでフラストレイトしてゐるものがある。その根本が天皇に到達するといふ考へなんです。フラストトレイションの最後の救世主として、そこにいなけりゃならない、いまから準備していなければならない。(中略)ですから、近代化のずつと向うに天皇があるといふ考へですよ」、「天皇というのは、国家のエゴイズム、国民のエゴイズムというものの、一番反極のところにあるべきだ。そういう意味で、天皇は尊いんだから、天皇が自由を縛られてもしかたがない。その根元にあるのは、とにかく“お祭”だ、ということです。天皇がなすべきことは、お祭、お祭、お祭、お祭、― それだけだ。これがぼくの天皇論の概略です」。

 その天皇主義的な側面から、三島を右翼と評する向きもあるが、生前には『風流夢譚』事件で右翼の攻撃対象となるなど、必ずしも既存右翼と常に軌を一にしていたわけではない(もっとも、1965年(昭和40年)頃に毛呂清輝らとの交流があったことが、書簡等で明らかとなっている)。しかしその右翼陣営も、三島自決後は三島をみずからの模範として崇敬(もしくは政治利用)するようになる。

 なお、磯田光一が三島が亡くなる1ヶ月前に三島から言われた言葉として、本当は腹を切る前に宮中で天皇を殺したいが、宮中に入れないので自衛隊にした、と聞かされたと島田雅彦との対談で述べているが、これに対しては、用心深かった三島が事前に決起や自決を漏らすようなことを部外者に言うはずがないと指摘されている。

 長く昭和天皇に側近として仕えた入江相政の日記(『入江相政日記』)の記述から、昭和天皇自身が三島や三島事件に少なからず意を及ぼしていたのではないかとの指摘がある。三島由紀夫は昭和四十一年一月、『豊穣の海』の取材で宮中三殿を見学してゐる。この時、三島と入江の間に何か接点があつたものか。確証ははない。この宮中三殿の見学とその折に会つた内掌典の話は、三島由紀夫の天皇観に小さくない影響を与へたといはれてゐる。

 皇位世襲論について、鈴木邦男氏は、楯の会の「憲法研究会」において三島メモが残されており、それによると、「天皇は国体であり、神勅を奉じて祭祀を司り、「国軍の栄誉の源である」という原則とともに「皇位は世襲であって、その継承は男系子孫に限ることはない」と書かれており、三島が女系天皇を容認していたことが分かると述べている。鈴木は、当時この持論はほとんど賛同を得られなかったが、近年皇位継承問題が表面化したことから注目を集めているという見解を示し、戦後昭和天皇が側室制度を廃止し、11宮家を臣籍降下させたことなどにより、将来皇統問題が必ず起こることを三島が予見していたのではないかと推測し、これも昭和天皇への批判を含んでいたのではないかとしている。

 実際には、鈴木が主張している「三島が女系天皇を容認していたことを示すメモ」は確認されていない。鈴木が見解の元としている出典の松藤竹二郎の著書「血滾ル 三島由紀夫『憲法改正』」、「日本改正案 三島由紀夫と楯の会」、「三島由紀夫『残された手帳』」にも鈴木説を裏付けるものはない。松藤の著書で示された三島が残した憲法改正案は、第一・「新憲法に於ける『日本』の欠落」と、第二・「戦争の放棄」と、第三・「非常事態法について」の3章から成る『問題提起』という論文のみである。そこには、天皇の皇位継承の男系・女系については一切触れられていない。

 松藤竹二郎は、鈴木邦男が言う「皇位は世襲であって、その継承は男系子孫に限ることはない」という案は、三島の死後に「憲法研究会」で討議案をまとめた中のあくまで一会員の一つの意見であるにすぎず、それに異議を唱える会員の意見もあり、楯の会の「憲法研究会」の総意ですらない。よって「憲法研究会」の話し合いの結論も、「“継承は男系子孫に限ることはない”という文言は憲法に入れる必要ない」という結論となっている。さらに、「憲法研究会」のリーダー的役割であり、改正案の話し合いの記録を保管していた班長・阿部勉の提案した「女帝を認める」という意見に関しても、「皇統には複数の女帝がおられたんで、女帝は絶対だめだというような意見には反対だという意味ですよ、消極的な」と阿部勉は語り、「積極的な一つの主義として確立しろという意味ではない」と述べている。

【れんだいこの三島由紀夫論その2、天皇論】
 三島の天皇論をくっきりと示しているのが古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」である。こんなやりとりがある。
古林  「さうすると三島美学を完成するためには、どうしても絶対的な権威が必要だといふことになり、そこに…… 天皇陛下が出てくる。(笑) そこまでくると、私はぜんぜん三島さんの意見に賛成できなくなるんです」。
三島  「問題は文学上の美意識でせう、なぜ政治的存在であるところの天皇が顔を出さなきやダメなんですか。 天皇でなくても封建君主だっていいんだけどね。『葉隠』における殿様が必要なんだ。それは、つまり階級史観における殿様とか何とかいふものぢやなくて、ロイヤリティ(忠誠心)の対象たり得るものですよね。……天皇でなくても いい。『葉隠』の殿様が必要なんだ」。

 このやり取りの重要性は、三島の天皇主義論が現実の天皇ではなく、美の総覧者・日本文化の体現者としての徳性を備えた理想的歴史的な天皇制論であることが判明するところにある。故に、三島の現実の天皇である昭和天皇に対する評価は厳しかった。 昭和天皇は、二・二六事件では青年将校らを逆賊と認定する過ちを犯した上に、戦後は人間宣言を行って、特攻隊員を裏切ってしまった云々と云うことになる。特攻隊員は神である天皇のために死んだのだから、天皇に人間宣言をされたら、その死が無意味なものになってしまうと述べている。

 福田恒存との対談でも手厳しいことを言っている。
三島   「皇太子にも覚悟していらっしゃるかどうかを、ぼくは非常にいいたいことです」。
福田  「いまの皇太子にはむりですよ。天皇(昭和天皇)も生物学などやるべきじゃないですよ 」。
三島  「やるべきじゃないよ、あんなものは」。
福田  「生物学など、下賤な者のやることですよ」。
三島  「ぼくは、これだけ大きなことを言う以上は、イリュージョンのために死んでもいい。ちっとも後悔しない」、 「イリュージョンをつくって逃げ出すという気は、毛頭ない。どっちかというと、ぼくは本質のために死ぬより、イリュージョンのために死ぬ方がよほど楽しみですね」。

 
「三島由紀夫の憲法改正草案」が開示されている。「三島の死後、盾の会憲法研究会が完成させた『維新法案序』の天皇および国防に関する部分は次の通りである」として以下の内容のものになっている。
 三島由紀夫「維新法案序」要旨
 第一章「天皇」
*天皇は国体である。
*天皇は神勅を奉じて祭祀(さいし)を司る。
*顧問院は天皇に直属し団体を護持する。
*顧問院は勅選議員によって構成される。
*天皇は、議会、内閣、裁判所を設置する。
*天皇は国軍の栄誉の源である。
*天皇は衆議院の指名に基つき内閣総理大臣を任命する。
*天皇は内閣の輔弼(ほひつ)により最高裁判所長官を任命する。
*天皇は顧問院の輔弼により検事総長、教育長官を任命する。
*天皇は国会を招集し衆議院を解散する。
*天皇は統帥権および最高指揮権を顧問院と内閣に委ねる。

 これによれば、三島が、天皇に対して、「美の総覧者・日本文化の体現者としての徳性を備えた理想的歴史的な天皇制論」に相応しからぬ天皇の絶対権能及び国政全般の枢要な国事行為義務を負わそうとしていることが分かる。果たしてこれが三島の本音だったのだろうかと云う疑問が湧いてこざるを得ない。

 2013.9.1日 れんだいこ拝

 「私は私のエステティックを掘り下げるにつれ、その底に天皇制の岩盤が横たわっていることを知らねばならなかった。それをいつまでも回避しているわけには行かぬのである」(『二・二六事件と私』)。

 吉本隆明・氏は 「映画芸術」誌上の小川徹との対談で次のように述べている。
 「三島さんのこと少し判ってきたことがある。 …イランとか、近東イスラム教の国家っていうのは、祭政一致でしょ。あの振舞いは西欧からは不可解なはずなんです。 でも、ぼくは戦争中の天皇というものを見ていると非常によく判る。 あれで類推すれば、もの凄くよく判る面があります。 アジア的な部分で、ラマ教とか、イスラムとか、生き神さまを作っといて、それを置いとくわけですね。 …三島さんは、多分、ぼくの考えですけれども、インドへ行って、インドにおけるイスラム教のあり方みたいなものを見て、仏教も混こうしているわけでしょう。 そこの所で、天皇というものを国際的観点から再評価したと思います。 それがぼくは三島さんの自殺当時判らなかったのです。 …三島さんが国際的な視野を持ってきて、インドとか近東とかそういう所の祭政一致的考え方、 それだと思うんです。それ以外に日本なんて意味ないよと考えたとぼくは思うんです」。 (吉本隆明 「映画芸術」誌上、小川徹との対談より)

 東大全共闘との討論の場で、三島はこう述べている。
 「私の天皇観というのはいわゆる右翼の儒教的天皇観と全然違うのですよ。(中略)私は教育勅語におけるあの徳目を一番とにかく裏切っているのは古事記における天皇だと思うのですよ。『父母に孝に兄弟に友に』と書いてあるけれども、古事記の天皇というのは兄弟が平気で殺し合うし、父母をちっとも尊敬していない。それから不道徳の限りを尽くされている天皇もあるわけだ」(平野啓一郎「豊饒の海とミドルエイジクライシス」より引用)。

三島由紀夫の愛国論
 「★阿修羅♪ > アジア1」の「救国の草莽の志士 日時 2005 年 6 月 07 日」投稿「故三島由紀夫氏は、赤尾敏を初め愛国者を貶める為にヤクザ・テキヤを組織し右翼を詐称した連中を「パチンコ右翼」と称した!」。
 (回答先: 中国の横暴から日本を守る愛国者?かと、思ったら、右翼を詐称する北朝鮮勢力だった。  投稿者 ブッシュ親子の自作自演テロの11 日時 2005 年 6 月 07 日 00:31:38)
 日本の戦後の右翼は、ユダヤが意図的に日本の愛国者を貶める為に、巣鴨刑務所にいた児玉誉士夫や笹川良一や岸信介を、彼らのエージェントになりフリーメーソンになるのを条件に釈放したと共に、日本のナショナリズムを封印して、一般国民をナショナリズムから切り離す為に、「愛国者」を貶める為に、彼ら出所組みの連中に、わざと社会の屑のヤクザ・テキヤを組織させて右翼を詐称させて、意図的にわざと本当の愛国者から遠ざけた。故三島由紀夫氏は、こうしたエセ右翼の連中を「パチンコ右翼」と称して軽蔑した!この自称右翼の連中は、金で操られて動かされる売国奴であり、ユダヤや統一教会・創価学会ら朝鮮系のエセ宗教団体・山口組・稲川会らの在日系組織暴力団のエージェントとなる。

 稲川会の石井会長に丸がかえで当選させてもらった在日朝鮮人の人非人・婦女暴行魔の小泉がそのエージェントであるのは言うまでもない。こうした在日朝鮮人が右翼ぶった連中が「靖国神社」を利用して、己れの使命である中国人や韓国人を挑発して「反日運動」に駆り立てる役割を果たすべく、「靖国神社」、「靖国神社」と騒ぐのである。他方、中国では、この朝鮮人が「反日運動」を唱えて何も知らない中国人を扇動しているのが現在の「反日運動」の正体である。複数の事情通の中国人の方々から、「反日運動」を煽って実際に主導しているのはq、中国人ではなく、これら送り込まれた朝鮮人であるとの真相が、小生には入っている。これは、日中間と日韓間を割きその衝突、つまり日米対中国・北朝鮮・韓国の軍事衝突に追い込むというユダヤの大戦略の手先の策動であることは明らかである。

 
本当の「愛国者」は、本当の幕末明治維新の仕掛け人で主人公であった勝海舟とその愛弟子の西郷隆盛・坂本龍馬の主張したアジア主義路線「東洋共有の海局」に沿った「大アジア主義」こそ、取るべき「愛国者」の路線である。この勝海舟とその愛弟子の西郷隆盛・坂本龍馬の主張したアジア主義路線「東洋共有の海局」から宮崎とう天・頭山満の「アジア主義」が生まれ、同じアジア人の中国人孫文の「中国革命」が生まれたのである。こうした日中の提携を何とかして潰して、満州・中国のアジア大陸から日本を追い払い、中国市場を独占したかったのがユダヤであった。日中はそのユダヤの姦計にやすやすと嵌り、中国共産党の仕掛けたろこう橋事件で日中衝突に嵌った。あれ程、石原莞爾が中国本土には入ってはならないと警告していたにも関わらず、である。今、また、ユダヤに所有されているマスコミ初め、愚かな大衆は、エセ在日朝鮮右翼に煽り誘導されて、日華事変の訳70年目の今日、再度、仕組まれた「日中衝突のシナリオ」に嵌め込まれようとしている。

 
「故三島由紀夫氏」の切り落とされた首は、エセ右翼の心胆を寒からしめて、「パチンコ右翼」の正体を天下に曝したのである。「靖国神社」の「神域」に、これらの小泉を初めとした在日朝鮮エセ右翼が、足を一歩たりとも踏み入れることだに、500キロ爆弾とともにユダヤに支配された植民地米国軍の敵機動部隊に突入して散華した新の勇者の英霊達は、許しはするまい。愛国者の日本人よ、中国人よ、目覚めねばならない。この姦計の仕掛け人達こそ、あの英霊達が体当たりしてでも、倒そうとした相手であったことを!





(私論.私見)