豊饒の海三、暁の寺

 (最新見直し2013.09.19日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「豊饒の海三、暁の寺」(新潮社、1970年初版)を確認しておく。

 2013.08.31日 れんだいこ拝


 暁の寺(豊饒の海 三)十三 (三島由紀夫著 新潮文庫p115〜120 援用)

 −−戦時中、本多は余暇を専ら輪廻転生の研究に充て、こんな時代錯誤の本を探し歩く喜びを味わった。新刊書がおいおいつまらないものばかりになってゆくにつれて、戦時中の古本屋の埃にまみれた豪奢は募って来た。そこでだけ、時代に超然とした知識や趣味が、おおっぴらに売られていたのである。そして世間の物価の上昇に比べて、廉い値の動かぬことも、洋書和書を問わなかった。本多はこれらの古本から西洋の輪廻転生説についても多くを学んだ。それは紀元前五世紀のイオニアの哲学者ピュタゴラスの説として著名であるが、ピュタゴラスの輪廻説は、これに先行するオルペウス教団、あの紀元前七世紀から六世紀にわたってギリシア全土を風靡した秘教の影響を受けている。さらにオルペウス教は、ここにいたる動乱と不安の二百年を貫ぬいて、狂おしい焔をそこかしこに放ちつづけたディオニュソス信仰の末裔なのである。 ディオニュソスの神がアジアから来て、ギリシア各地の地母神崇拝や農耕儀礼と結びついたのは、もともとこの二つのものの源が一つであることを暗示しており、大地母神の今なおいきいきとした姿は、本多があのカルカッタのカリガート寺院で目のあたりに見たところてあった。ディオニュソスは北の国トラキアに夙く来て、冬と共に死に春と共に蘇る、自然の循環的生命を体現していた。いかに陽気で放埒な姿を装おうとも、ディオニュソスは、あの夭折する美しい若者たち、アドニスを代表とする若い穀物霊たちの先蹤なのであった。アドニスが必ずアフロディテーと相会うように、ディオニュソスも亦、このとき以後、各地の密儀の裡で、大地母神と契合してゆくのである デルフォイでは、ディオニュソスは地母神と並んで祀られ、又、レルナ密儀の主神はこれら男女神の聖組であった。

 ディオニュソスぱアジアから来た この狂乱と淫蕩と生肉啖いと殺人をもたらす宗救は、正に「魂」の必須な問題としてアジアから来たのである。理性の澄明をゆるさず、人間も神々も堅固な美しい形態の裡にとどまることをゆるさないこの狂熱が、あれほどにもアポロン的だったギリシアの野の豊饒を、あたかも大目を暗くする蝗の大群のように襲って来て、たちまち野を枯らし、収穫を啖い尽したときのすさまじさを、本多はどうしても自分の印度体験と比べて想い見ずにはいられなかった。忌わしいもの、酪酎、死、狂気、熱病、破壊、・・それらが人々をあれほど魅して、あれほど人々の魂を「外へ」と連れ出したのは何事だろう。どうして人々の魂はそんなにまでして、安楽な暗い静かな棲家を捨てて、外へ飛び出さなくてはならなかったのであろう。心はなぜそれほどまでに平静な停滞を忌むのであろう。

 それは歴史の上に起ったことでもあり、個人の裡に起ることでもあった。人々はそうでもしなければどうしてもあの全円の宇宙に、あの全体に、あの全一に指を触れることができないと感じたからにちがいない。酒に酔いしれ、髪をふりみだし、自ら衣を引き裂き、性器も丸出しにして、ロからは噛みしだく生肉の血をしたたらせながら、・・そうまででして、人々「全体」へ自分のほんの爪先でも引っかけたかったのにちがいない。これこそオルペウス教団によって洗煉され密儀化されたエントゥシアスモス(神に充たされること・憑霊)とエクスタシス(外に出ること・脱自)の霊的体験なのである。なかんずくギリシアの思考を はじめて輪廻転生へ向わせたものこそ、このエクスタシス体験であった。転生のもっとも深い心理的源泉は「恍惚」だったのだ。

 オルペウス教団の信奉する神話では、ディオニュソス神は、ディオニュソス・ザグレウスという名で呼ばれている。ザグレウスは地母神の娘ベルセポネーと大神ゼウスとの間に生まれた子で、父神から未来の世界統治を委ねられている鍾愛のみどり児であった。ゼウスなる天は、娘なる地ペルセポネーに恋着したとき、大地の精なる大蛇に姿を変えて交合したと伝えられる。このことは嫉み深いゼウスの妃ヘラをして、地下の巨人ティターンどもを起たしめ、ティターンどもは玩具で幼児ザグレウスを誘って、これを虐殺し、手足をばらばらにして煮て啖ってしまう。ただ心臓だけはヘラの手でゼウスに奉られ、ゼウスはこれをセメレーに与えて、そこから新たにディオニュソスとして再生した。一方、ティターンどもの仕打に怒ったゼウスは、雷霆を以てこれを撃ち、焼かれたティターンの灰から、のちに人間が生まれた。

 かくて人間は、悪しきティターンの性を享ける一方、かれらが啖ったザグレウスの肉の余香によって、神的な要素を体内に保つのであるから、オルペウス教団はエクスタシスによってディオニュソスに帰依し、自己神化によってその聖なる本源に達しなければならぬと説くのであった。その聖餐の儀軌は、のちにキリスト教の聖餅と葡萄酒にまで及んでいる。そしてトラキアの女たちによって四肢を裂かれて殺される楽人オルペウスは、ディオニュソスの死を再現するもののごとく、その死とよみがえりと冥府の秘密とは、オルペウス教団の大切な教義となるのである。

 さて、エクスクシスによつて体外へあこがれ出た遊魂が、つかのまディオニュソスの神秘に接しえたことを思うと、人はすでにして、霊肉の分離を知ったのだった。肉はティターンの悪しき灰より生れつつ、霊はディオニュソスの清らかな余香を残していた。しかもオルペウス教義は、地上の苦しみは肉体の死と具には終らず、死んだ肉体を脱した霊魂は、しばし黄泉に時を過したのち、ふたたび地上にあらわれて、ほかの人間又は動物の肉体に宿り、限りない「生成の環」をめぐらなければならない、と教えている。もともと聖性を帯びた不滅の霊魂が、かくも暗い回路を経廻らなければならぬのは、もとはといかに肉の犯した原罪、あのティターンどものザグレウス殺しに由来していた。地上の生活はさらに新たな罪を加え、罪は罪を重ねて、人は輪廻の苦しみを永久に離脱することができない。罪によっては必ずしも人間に生れかわるばかりではなく、馬、羊、鳥、あるいは犬、あるいは冷たい虻になつて地を匍う生を享けるかもしれなかった。

 オルペウス教の祖述とも深化ともいわれたピュタゴラス教団は、輪廻転生説と宇宙呼吸説をその特色ある教義とした。本多はこの「宇宙が呼吸する」という思想の跡を、のちにインド思想と永い対話を交わすミリンダ王の生命観霊魂観の裡に辿ることができたが、それはまたわが古神道の秘義にも似ていた。小乗仏教のあんなに童話的な明るい本生経に比べると、教義は相通じていても、暗いイオニアの憂愁に彩られた輪廻説は、本多の心を疲れさせて、むしろ万物流転の哲学者ヘラクレイトスの説くところに耳を傾けたい心地にさせた。この流動的統一の哲学においてこそ、エントゥシアスモスとエクスタシスは合一し、一者は一切であり、一切より一者は来り、一者より一切は来るのであった。時間も空間も超越した領域で、自我は消えさり、宇宙との合一は楽々として成り、或る神的体験の裡に、われわれはあらゆるものに成るのだった。そこでは人間も自然も、鳥も獣も、風を孕んてさやぐ森林も、魚鱗をきらめかす小川も、雲を戴く山も、青い多島海も、お互いに存在の伜を外して、融和合一することができた。ヘラクレイトスが説いているのは、そのような世界であった。

 「生ける者も死せる者も また醒めたるも眠れるも、 若者も老者も一にして同じ。 これら変転するときはあれらのものとなり あれら変転するときは再びこれらのものとなるこ

 「神は昼と夜、 神は冬と夏、 神は戦争と平和 神は豊饒と飢餓 たださまざまに変成するのみ」
 「昼と夜とは一なり」
 「善と悪とは一なり」
 円円マにの終点と始点は一なり

 これらがヘラクレイトスの雄渾な思想で、こうした思想に接し、その光りに盲いるかのように感じるとき、本多はたしかに或る解放を覚えはしたけれども、同時に、まぶしい目に宛てた自分の両手を、倉卒に外すまいという気持をも持していた。それは一つには盲いることを怖れるからであり、一つにはそれほどの無辺際の光明を浴びるには、まだ自分の感性も思想も熟していないと感じたからであった。
 「欲するものが何一つ手に入らず、意志が悉く無効におわる例を、本多はたくさん見すぎていた。ほしがらなければ手に入るものが、欲するが為に手に入らなくなってしまうのだ。」(26頁)

 「恋とはどういう人間がするべきものかということを、松枝清顕のかたわらにいて、本多はよく知ったのだった。それは外面の官能的な魅力と、内面の未整理と無知、認識能力の不足が相俟って、他人の上に幻をえがきだすことのできる人間の特権だった。まことに無礼な特権。本多はそういう人間の対極にいる人間であることを、若いころからよく弁えていた。」(332頁)

 「死を決したころの勲は、ひそかに「別の人生」の暗示に目ざめていたのではないだろうか。一つの生をあまりにも純粋に究極的に生きようとすると、人はおのずから、別の生の存在の予感に到達するのではなかろうか。」(34頁)

 「最高の道徳的要請によって、阿頼耶識と世界は相互に依為し、世界の存在の必要性に、阿頼耶識も亦、依拠しているのであった。 しかも現在の一刹那だけが実有であり、一刹那の実有を保証する最終の根拠が阿頼耶識であるならば、同時に、世界の一切を顕現させている阿頼耶識は、時間の軸と空間の軸の交わる一点に存在するのである。」(161頁)




(私論.私見)