三島由紀夫の自衛隊論、国防論

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2).3.25日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「三島由紀夫の自衛隊論」を確認しておく。

 2013.08.31日 れんだいこ拝


【三島由紀夫の自衛隊論】 
 三島にとって日本の再軍備は日本の存続において不可欠なものであった。「問題提起」で次のように述べている。
 「防衛は国の基本的な最重要問題であり、これを抜きにして国家を語ることはできぬ。 物理的に言つても、一定の領土内に一定の国民を包括する現実の態様を抜きにして、国家といふことを語ることができないならば、その一定空間の物理的保障としては軍事力しかなく、よしんば、空間的国家の保障として、外国の軍事力(核兵器その他)を借りるとしても、決して外国の軍事力は、他国の時間的国家の態様を守るものではない」。

 ロン・ノルが「赤化した」シハヌーク国家元首を追放した1970年(昭和45年)のクーデターを引き合いに出して日米安保に安住することを批判し、日本の自主防衛を訴えている。

 三島は、檄文で、「自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負ひつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与へられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与へられず、その忠誠の対象も明確にされなかつた」と訴えた(同様の趣旨は『問題提起』でも示されている)。そして、「政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によつて国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであらう」と説き、前述のように前年の国際反戦デーの左翼デモ・10.21国際反戦デー闘争 (1969年)の際に自衛隊治安出動がおこなわれなかったことに憤った。

 檄文では、「諸官に与へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。(中略)国家百年の大計にかかはる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかはらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかつた。沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう」とも警告した。

 この警告について西尾幹二は、三島由紀夫はNPTのことを語っているとし、「彼が自衛隊に蹶起を促すのは、明らかに核の脅威を及ぼしてくる外敵を意識しての話なのである。このままでよいのかという切迫した問いを孕んでいる」と述べ、「六年前に中国が核実験に成功し、核保有の五大国として“核停止条約”(NPTのこと)で特権的位置を占め、三島が死んだこの年に台湾を蹴落として国連に加盟、常任理事国となるのである。『五・五・三の不平等条約』とは、ワシントン会議における米英日の主力戦艦の保有比率であることは見易い」と解説し、「三島は、NPTに署名し核を放棄するのは『国家百年の大計にかかはる』と書いている。NPTの署名を日本政府が決断したのは1970(昭和45)年2月3日で、同じ年の11月25日に三島は腹を切った。そして、NPTの署名と核武装の放棄を理由に、佐藤栄作はノーベル平和賞の名誉に輝いた。(中略)『あと二年』とは1972(昭和47)年を指す。沖縄返還が72年に実現した。その頃から準備と工作を続け、74年にノーベル平和賞である」と述べている。

 三島の『「変革の思想」とは ― 道理の実現』(読売新聞 1970年1月19・21・22日に連載)という文章には、檄文や演説では言い尽くされていなかった三島の自衛隊に対する考えが、余すところなく書かれている。この中で三島は、「改憲サボタージュ」が自民党政権の体質となっている以上、「改憲の可能性は右からのクーデターか、左からの暴力革命によるほかはないが、いずれもその可能性は薄い」と指摘。そして、本来、祭政一致的な国家であった日本は、現在、「統治的国家(行政権の主体)」と「祭祀的国家(国民精神の主体)」の二極分化を起こし、「後者が前者の背後に影のごとく揺曳してゐる」と指摘し、国民に対しそのどちらかに忠誠を誓うかを問うた。それに合わせて、“現憲法下で”という条件付であるが、

  1. 航空自衛隊の9割、海上自衛隊の7割、陸上自衛隊の1割で「国連警察予備軍」を編成し、対直接侵略を主任務とすること。この軍は統治国家としての日本に属し、安保条約によって集団安全保障体制にリンクする。根本理念は国際主義的であり、身分は国連事務局における日本人職員に準ずる。
  2. 陸上自衛隊の9割、海上自衛隊の3割、航空自衛隊の1割で「国土防衛軍」を編成し、絶対自立の軍隊としていかなる外国とも軍事条約を結ばない。その根本理念は祭祀国家の長としての天皇への忠誠である。対間接侵略を主任務とし、治安出動も行う。

という「自衛隊二分論」の提案をおこなっている。2.の「国土防衛軍」には多数の民兵が含まれるとし、「楯の会」はそのパイオニアであるとしている。『文化防衛論』(中央公論 1968年7月号に掲載)では、天皇が自衛隊の儀仗を受けることと、連隊旗を直接下賜することを提言し、自衛隊の名誉回復を主張している。このように、三島が自衛隊に望んでいたことは以下の2点に集約される。

  1. 自衛隊の名誉回復、国軍化
  2. 日米安保体制からの将来的な脱却と自主防衛

【三島由紀夫の国防論】
 三島の国防論を確認する。「三島由紀夫の憲法改正草案」で確認する。
 三島由紀夫「維新法案序」要旨
 第二章「国防」
*日本国民は祖國防衛の崇高な権利を有する。
*日本国軍隊は天皇を中心とする我が国体、その歴史、伝統、文化を護持する事を本義とし、国際社会の真倚(しんい)と日本国民の信頼の上に建軍される。
*志願せる国民から祖國防衛隊を創設する。
*軍事予算案は内閣が国会に提出する。

 これによれば、三島が強い「祖國防衛の崇高な権利」を渇望していることが分かる。自衛隊を国軍化させることを欲しており、その際の位置づけが「日本国軍隊は天皇を中心とする我が国体、その歴史、伝統、文化を護持する事を本義とし、国際社会の真倚(しんい)と日本国民の信頼の上に建軍される」としている。これによれば独立軍としての使命が強調されていることになる。他にも「志願せる国民から祖國防衛隊を創設する」として自主的な民間式の祖國防衛隊の創出が意図されている。「軍事予算案は内閣が国会に提出する」ともある。

 ここから窺えるのは、三島式国防論は、決して日米軍事同盟下の自衛隊ではないと云うことになる。同じ改憲論、自衛隊の軍隊化論であっても、昨今の日本政府の誘導する流れとは水と油の違いがあることが分かる。三島式国防論の是非を問う前のこととして、とりあえずはこのことが確認されればよい。問題は次のことにある。戦後の自衛隊の誕生経緯、その後の歩みがあからさまに米国軍指揮下の自衛隊としてタガハメされている現実に於いて、これに苦悩するところなくファナチックに国軍創設論を唱える三島のロジックの狂気性である。政治音痴では済まされないのだが解せないものがある。
 第9章 「魂の叫び」

 第1節 戦勝国米国「製」憲法

 現憲法は、戦勝国米国の占領政策下で押しつけられた憲法である。米国の51州目か属国に相応しい憲法で、独立国の憲法としては主権を自国で守れない憲法である。軍国主義を二度と復活できないように、仇打ちができないように、民主化目的で「戦争放棄」「大和魂の壊滅教育」「天皇制打破」等を狙いとした米国製憲法である。したがって、国民の権利を保護するが、国防の義務が欠如した憲法で、国防は米国の傘の下で米国一辺倒にならざるを得ないように制定されている。敗戦国日本は、現憲法の下で賢く忠実に歩み、世界で例のない発展と平和を実現した。経済大国となり全てカネで解決する価値観に変わり経済大国ボケし、一方では、教育破壊が浸透し日本人の心までが崩壊してきた。当時の社会党が米国に真綿で首を絞められていると新憲法制定に反対し米国を牽制していたのには、勇気があると感じたが、その後は「平和憲法護持」に変わり、支持率1〜2%に低迷している。全く平和ボケし、心まで失っている。このままでは日本は滅亡する。

 第2節 独立国の主権を守りきれない憲法

 日本列島は面積38万平方キロメートルで世界60番目の小国だが、領海を含めると排他的経済水域(EEZ)は447万平方キロメートルで、世界で6番目の大国である。海底資源には無限大の期待がある。日本は主権国家として、これらの領域を守りきっているだろうか。現憲法下で日米安全保障条約だけでは、北方領土、竹島、尖閣諸島、北朝鮮による拉致等の問題は解決の目途さえたたず、日本は主権を守れない国家と近隣諸国から侮られている。更に昨今は、対馬が危ない。韓国人による土地買い占め、韓国国会議員団の視察等の動きがあり、これに外国人参政権を付与するのであれば、売国奴と言わざるを得ない。

 第3節 独立国としての憲法制定

 日本にとって最も重要なことは、平和ボケから目覚め、独立国としての憲法を制定することである。そして世界に通用する国防態勢を確立することである。
○日本国憲法を起草した米国人でさえ、改正もないままこんなに長く続くとは想定せず、吃驚している。
○戦後ドイツは、独立と同時に戦勝国の押しつけ憲法を捨てて、ドイツ国憲法を制定している。
○朝鮮は未だに南北相剋しており危険状態。
○日本は米国だけによる占領だったので、平和ボケしたまま。
 日本は、ドイツを見習って、独立国としての憲法を制定すべきである。以上が私が受け止める、42年前の三島由紀夫の「魂の叫び」である。

 『これでいいのか日本の防衛』三島由紀夫

 Q:自衛隊が存在しなければ、日本は侵略されると思ひますか?

 三島由紀夫:もちろん侵略される。日本はこれまで、ただの一日でも、力に守られなかつた平和を持つたことがない。侵略に対処するには力しかない。
 「楯の会」の周年挨拶で次のように語っている。
 「単に軍隊的行動であるが故に嫌悪する戦後の風潮は、私は非常にある意味で偽善であると思ってきたわけであります。ここで、私は決して軍国主義とか、ファシズムとかという意味ではなしに、日本人が市民生活のなかに、自然に軍隊教養をもっていつでも銃をもって立ち上がれる、外的な侵入に対しても銃をとって立ち上がれるだけの調練をへた人間が青年の中に独りでもオオなければいかん、そこで初めてわれわれにも自信を持って文化ないし、思想を自分の中で養い、育てることができるのだと思ったことが、楯の会をつくった動機であります」。





(私論.私見)