三島由紀夫の文化防衛論

 更新日/2020(平成31→5.1栄和改元/栄和2).3.25日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「三島由紀夫の文化防衛論」を確認しておく。れんだいこの縄文社会主義論と親和する歴史観だと思うようになった。但し原文に当っていないので、もっと確かめて相通ずる部分、通じない部分、反する部分を明らかにしておきたいと思う。

 2013.08.31日 2018(平成30).9.25日再編集 れんだいこ拝


【三島由紀夫の評論「文化防衛論」】
 三島由紀夫の評論「文化防衛論」は、昭和元禄と呼ばれた昭和40年代前半の1968(昭和43).5.5日に書き上げられ、雑誌中央公論7月号に掲載された。学生運動がピークに向かいつつあった時代に発表され、日本の伝統文化の危機に、「菊と刀」のまるごとの容認の必要性を説きつつ、その円環の中心となる「文化概念としての天皇」の意義を論じている。その三島式天皇制擁護論が各界の論義を呼んだ。翌年1969(昭和44).4.25日に新潮社より評論集「文化防衛論」として単行本刊行された。同書には他の評論や講演も収録されている。翻訳版は、フランス語(仏題:Défence de la culture)で雑誌「Esprit」、「février」(1973年)に掲載された
 「ウィキペディア文化防衛論」は次のように紹介している。(れんだいこの許容できない原文アレンジが認められるので、原著入手次第に書き換えるものとする。原著の方が相当に格調高いと推量している)
 文化主義と逆文化主義

 昭和元禄とは言うものの、近松も西鶴も芭蕉もいない昭和元禄にはこれまでの日本人にあった何かが欠けている。しかし、華美な風俗や体制に無害な上っ面の美しい部分だけを掬い上げている「文化主義」は世に蔓延している。今や「文化を守る」というときには、博物館的な死んだ文化と、天下泰平の死んだ生活である。

 「文化主義」とは、文化をその血みどろの母胎の生命や生殖行為から切り離して、何か喜ばしい人間主義的成果によって判断しようとする一傾向である。これは、日本文化における「菊」の部分だけが尊重され、「刀」が廃棄されたのである。そもそも日本文化に於ける菊と刀は、別々の文化ではなく、一体のものであった。アメリカの占領政策は、「菊と刀」の永遠の連環を絶つことだった。平和愛好国民の、華道や茶道の心やさしい文化は、威嚇的でない、しかし大胆な模様化を敢えてする建築文化は、日本文化を代表するものになった。

 文化は「もの」として、安全に管理され、「人類共有の文化財」となるべき方向へ平和的に推進された。新生・日本にとって有効とされるものだけが文化として残され、あとは法律や政策で規制された。しばらくして歌舞伎の復讐劇やチャンバラ映画は復活したが、もはや菊の方面だけを愛でた日本人は過去に退行することがなかった。権力(占領軍)はそれを見越したから許可を与えたのだ。今も「文化主義」であることに変りはない。文化財に対する尊敬の念は否定できないが、いわゆる「博物館的の死んだ文化」のみが日本文化ではないのである。

 「もの」としての、文化財としての文化は民主主義国、社会主義国を問わず尊敬される。例えば、日本社会党が政権獲得後の文化政策では、「国民文化の創造」と題し、「(イ)働くものが文化をつくる、(ロ)民族文化の発展」と掲げている。文化を(イ)と(ロ)に分け、(イ)は、いじることのできる文化はいじり、(ロ)は、いじる必要のないものはそっとしておく、という意図である。(イ)は、社会主義に貢献する文化は育成し、好ましくないものは弾圧するということである。ソヴィエト革命政権はドストエフスキーをなかなか容認せず、弾圧された作家もいた。(ロ)は、革命前からある旧・ソヴィエトのレニングラード・バレエを例にとると、体制にとって安全無害であったのは言うまでもなく、それどころか国家の観光資源でさえある。日本では能、狂言、歌舞伎がこれにあたり、すでにイデオロギーが喪失しているか、あるいはイデオロギーがあっても時代遅れのもので安全無害になったものである。そして、このような「文化主義」は、時として革命精神養成のため、これまでの文化を破壊する行為にも通じるのである。中共の文化大革命がそうである。これは、裏返しの「文化主義」であり、この「逆文化主義」と「文化主義」は銅貨の裏表である。

 日本文化の国民的特色

 第一に、文化は、ものとしての帰結を持つにしても、その生きた態様においては、ものではなく、又、発現以前の無形の国民精神でもなく、一つの形(フォルム)であり、国民精神が透かし見られる一種透明な結晶体であり、いわゆる芸術作品のみでなく、行動及び行動様式をも包含する。文化とは、能の一つの型から、月明の夜ニューギニアの海上に浮上した人間魚雷から日本刀をふりかざして躍り出て戦死した一海軍士官の行動をも包括し、又、特攻隊の幾多の遺書をも包含する。源氏物語から現代小説まで、万葉集から前衛短歌まで、中尊寺の仏像から現代彫刻まで、華道、茶道から、剣道、柔道まで、歌舞伎からヤクザのチャンバラ映画まで、禅から軍隊の作法まで、すべて「菊と刀」の双方を包摂する、日本的なものの透かし見られるフォルムをさす。文学は、日本語の使用において、フォルムとしての日本文化を形成する重要な部分である。

 第二に、日本文化は、本来オリジナルとコピーの弁別を持たぬことである。西欧ではものとしての文化は主として石で作られているが、日本のそれは木で作られている。オリジナルの破壊は二度とよみがえらぬ最終的破壊であり、ものとしての文化はここに廃絶するから、パリはそのようにして敵に明け渡された。これは、木の文化と、石の文化の対比ともいえる。日本の場合は戦乱や災害などで容易に、ものとしての現存は徹底的に破棄されてしまう。そのような日本文化の特色はオリジナルとコピーの間に決定的な価値の落差が生じない。持統帝以来59回に亙る20年毎の式年造営は、いつも新たに建てられた伊勢神宮がオリジナルなのであって、オリジナルはその時点においてコピーにオリジナルの生命を託して滅びてゆき、コピー自体がオリジナルになるのである。このような日本の文化概念は、各代の天皇が、天照大神とオリジナルとコピーの関係にはないところの特質と見合っている。

 第三に、こうして創り出される日本文化は、創り出す主体の側からいえば、自由な創造的主体であって、型の伝承自体、この源泉的な創造主体の活動を振起するものである。この国民的な自由な創造的主体という源泉との間が絶たれれば文化的枯渇が起こる。

 国民文化の三特質

 以上から、国民文化には、再帰性・全体性・主体性の特質を有している。再帰性とは、文化がただ「見られる」ものではなくて、「見る」者として見返してくる認識である。全体性とは、倫理的に美を判断するのではなく、倫理を美的に判断して、文化をまるごと容認することである。

 文化は、ぎりぎりの形態においては、創造し保持し破壊するブラフマン・ヴィシュヌ・シヴァのヒンズー三神の三位一体のような主体性においてのみ発現するものである。主体性とは、単なる主体なき精巧なカメラになるのではなく、文化的創造の自由の延長上に、あるいは作品、あるいは行動様式による、その時、その時の、最上の成果へ身を挺することである。

 何に対して文化を守るか

 ものとしての文化の保持は、中共文化大革命のやうな極端な例を除いては、いかなる政体の文化主義に委ねておいても大して心配はない。文化主義はあらゆる偽善をゆるし、岩波文庫は「葉隠」を復刻するからである。しかし、創造的主体の自由と、その生命の連続性を守るには政体を選ばなければならない。ここに何を守るのか、いかに守るのか、といふ行動の問題がはじまるのである。

 守るとは何か? 文化が文化を守ることはできず、言論で言論を守ろうという企図は必ず失敗するか、単に目こぼしをしてもらうかにすぎない。「守る」とはつねに剣の原理である。守るという行為には、かくて必ず危険がつきまとい、自己を守るのにすら自己放棄が必須になる。平和を守るにはつねに暴力の用意が必要であり、守る対象と守る行為との間には、永遠のパラドックスが存在するのである。文化主義はこのパラドックスを回避して、自らの目をおおう者だといえる。

 文化主義は守られる対象に重点を置いて、守られる対象の特性に従て、守る行為を規定しようとし、そこに合法性の根拠を求める。平和を守るにはこれを平和的に守り、文化を守るにはこれを文化的に守り、言論を守るには言論を以て守るほかはないとするところに、合法性を見出すのであるから、暴力を以て守るものは暴力に他ならないことになり、暴力の効用を観念的に限定し、ついには暴力の無効性を主張することになるのは論理的必然である
 創造することと守ることの一致

 文化における生命の自覚は、生命の法則に従って、生命の連続性を守るための自己放棄という衝動へ人を促す。 献身的契機を含まぬ文化の、不毛の自己完結性が、「近代性」と呼ばれたところのものである。そして自我滅却の栄光の根拠が、守られるものの死んだ光輝にあるのではなくて、活きた根源的な力(見返す力)に存しなければならぬ、ということが、文化の生命の連続性のうちに求められるのであれば、われわれの守るべきものはおのずから明らかである。このように、 創造することが守ることだという、主体と客体の合一が目賭されることは自然であろう。文武両道とはそのような思想である。現状肯定と現状維持ではなくて、守ること自体が革新することであり、同時に、「生み」「成る」 ことなのである。

 戦後民族主義の四段階

 「菊と刀」を連続させ、もっとも崇高なものから卑近なものにまで及び、文化主義者のいわゆる「危険性」を避けないところの文化概念の母胎は、何らかの共同体でなければならないが、日本の共同体原理は戦後バラバラにされてしまった。血族共同体と国家の類縁関係はむざんに絶たれた。敗戦によって国家が解体されたことにより、国家と国民の絆が断たれたのである。しかしなお共同体原理は、そこかしこで、 エモーショナルな政治反応をひきおこす最大の情動的要素になっている。それが今日、民族主義と呼ばれるところのものであるが、よかれあしかれ、新しい共同体原理がこれを通して呼び求められていることは明らかである。戦後左翼の民族主義は、「ナショナリズムの糖衣をかぶったインターナショナリズム」であって、民族主義を巧妙に操作し、実は民族主義の崩壊を企んでいる。民族主義を手段として政治的に利用し、実は日本の共同体の崩壊を目指しているのである。共産主義にとってもファシズムにとっても、利用されやすい民族主義のみに依拠するのは危険でもある。

 ところで、民族主義の定義は、「一民族一国家、一個の文化伝統・言語伝統による政治的統一の熱情」である。そこで、日本に民族主義という思考があるのかが問題である。アメリカのように一国家で国民と民族が別の国では自分の所属する民族を否応でも意識せざるを得ないが、日本は古代より一民族の国家であるから改めて民族を意識する必要がなく、又、「一民族一国家、一個の文化伝統・言語伝統による政治的統一」は普通のことであった。よって、ことさらに現在の日本において、左翼が異民族問題と強調するのは、この強調自体が最終的に国を否定して民族を肯定しようとする戦術的意図である。あえて日本に於ける民族主義を言うなら、菊と刀の連続性を復活させる運動である。刀が国家により強制的に捨てられたことは、本来の日本文化の否定であり、それは取りも直さず共同体の否定に直結する。

 社会的な事件というものは、古代の童話のように、次に来る時代を寓意的に象徴することがままある。金嬉老事件は、ジョンソン声明に先立って、或る時代を予言するようなすこぶる寓意的な起り方をした。それは三つの主題を持っている。即ち、「人質にされた日本人」といふ主題と、「抑圧されて激発する異民族」といふ主題と「日本人を平和的にしか救出しえない国家権力」とといふ主題と、この三つである。第一の問題は、「沖縄や新島の島民」を、第二の問題は、「朝鮮人問題そのもの」を、第三の問題は、「現下の国家権力の平和憲法と世論による足カセ手カセ」を、露骨に表象していた。そしてここでは、正に、政治的イデオロギーの望むがままに変容させられる日本民族の相反する二つのイメージ――外国の武力によつて人質にされ抑圧された平和的な日本民族といふイメージと、異民族圧迫の歴史の罪障感によつて権力行使を制約される日本民族といふイメージ――が二つながら典型的に表現されたのである。 前者の日本人被害者イメージは、朝鮮民族と同一化され、後者の日本人加害者イメージは、ヴィエトナム戦争を遂行するアメリカのイメージにだぶらされた。

 戦後の日本にとっては、真の異民問題はありえず、在日朝鮮人問題は、国際問題であり、リフュジー(難民・亡命者)の問題であっても、日本国民内部の問題ではありえない。これを問題であるかの如く扱う一部の左翼の扱いには、明らかに政治的意図があって、先進工業国における革命主体としての異民族の利用価値を認めたものに他ならないのである。

 従って異民族問題をことさら政治的に追及するような戦術は、作られた緊張の匂いがするのみならず、国を現実の政治権力の権力機構と同一化し、ひたすら現政府を「国民を外国へ売り渡す」買弁政権と規定することに熱意を傾け、民族主義をこの方向へ利用しようと力める。
 文化の全体性と全体主義

 文化の全体性とは、左右あらゆる形態の全体主義との完全な対立概念であるが、ここには詩と政治とのもっとも古い対立がひそんでいる。文化を全体的に容認する政体は可能かという問題は、ほとんど、エロティシズムを全体的に容認する政体は可能かという問題に接近している。 左右の全体主義の文化政策は、文化主義と民族主義の仮面を巧みにかぶりながら、文化それ自体の全体性を敵視し、つねに全体性の削減へ向うのである。言論自由の弾圧の心理的根拠は、あらゆる全体性に対する全体主義の嫉妬に他ならない。全体主義は「全体」の独占を本質とするからである。

 文化の全体性には、時間的連続性と空間的連続性が不可欠であろう。前者は伝統と美と趣味を保障し、後者は生の多様性を保障するのである。言論の自由は、前者についてはともかく、後者については、間然するところのない保護者である。もちろん言論の自由は時には文化を腐敗させ、文化の全体性の立体性を失わせる欠点があるが、相対的にはこれを保障する政治体制が文化の全体性を支える技術的要件である。しかしこれだけでは堕落した市民を量産するだけである。そこで必要となるのが縦軸である「時間的連続性」になる。「伝統」との接続を持つことで、立体的構造は成り立つことになり、この「時間的連続性」に関わることで、君主政治の長所を取り入れることが可能になる。

 このように言論の自由が本来保障すべき、精神の絶対的優位の見地からは、文化共同体理念の確立が必要とされ、これのみがイデオロギーに対抗しうるのであるが、文化共同体理念は、その絶対的倫理的価値と同時に、文化の無差別包括性を併せ持たねばならぬ。ここに文化概念としての天皇が登場するのである。

 言論の自由が文化の創造的伝統的性格とヒエラルヒーを失わせ、文化の全体性の平面のみを支持して、全体性の立体性を失わせる欠点があるけれども、相対的にはこれ以上よいものは見当たらず、これ以上、相手方に対する思想的寛容という精神的優越性を保たせるものはない。かくて言論の自由は文化の全体性を支える技術的要件であるとともに、政治的要件である。文化の第一の敵は、言論の自由を最終的に保障しない政治体制に他ならない。

 文化概念としての天皇

 国と民族の非分離の鍵は天皇が持っている。日本は有史以来、天皇が途絶えたことはない。この理由として平安時代前期に政治から身を引いて、もっぱら文化の側面で活躍されたことで、それは現代まで続いている。室町時代の後醍醐天皇は異色な存在である。

 「みやび」は、宮廷の文化的精華であり、それへのあこがれであったが、非常の時には、「みやび」はテロリズムの形態さえとった。すなわち、文化概念としての天皇は、国家権力と秩序の側だけにあるのみではなく、無秩序の側へも手をさしのべていたのである。もし国家権力や秩序が、国と民族を分離の状態に置いているときは、「国と民族の非分離」を回復せしめようとする変革の原理として、文化概念たる天皇が作用した。孝明天皇の大御心に応えて起った桜田門の変の義士たちは、「一筋のみやび」を実行したのであって、天皇のための蹶起は、文化様式に背反せぬ限り、容認されるべきであったが、西欧的立憲君主政体に固執した昭和の天皇は、二・二六事件の「みやび」を理解する力を喪っていた。

 言論の自由の見地からも、天皇統治の「無私」の本来的性格からも、もっとも怖るべき理論的変質がはじまったのは、1925年(大正14年)の「治安維持法」以来だと考えられる。その第一条の「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ……」という並列的な規定は、天皇の国家の国体を、私有財産制度ならびに資本主義そのものと同義語にしてしまったからである。

 天皇は文化の象徴であり、日本の最後の砦である。これを脅かす勢力に対しては刀の論理の行使も許容されるべきで、それこそが真の日本文化である。源泉の感情は日本人であることのアイデンティティーの象徴であり、菊と刀を守る大義としての天皇である。およそ言論の自由の反対概念である共産政権乃至容共政権が、文化の連続性を破壊し、全体性を毀損することは、今さら言うまでもないが、文化概念としての天皇はこれと共に崩壊して、もっとも狡猾な政治的象徴として利用されるか、あるいは利用されたのちに捨て去られるか、その運命は決っている。このような事態を防ぐためには、天皇と軍隊を栄誉の絆でつないでおくことが急務なのであり、又、そのほかに確実な防止策はない。もちろん、こうした栄誉大権的内容の復活は、政治概念としての天皇をではなく、文化概念としての天皇の復活を促すものでなくてはならぬ。文化の全体性を代表するこのような天皇のみが窮極の価値自体だからであり、天皇が否定され、あるいは全体主義の政治概念に包括されるときこそ、日本の又、日本文化の真の危機だからである。


 「ただ文化を守れということでは非常にわかりにくい。文化、文化というと、それがお前自身の金儲けにつながっているからだろう―といわれるかもしれない。文化とは特殊な才能を持った人間が特殊な文化を作り出しているのだから、われわれには関係がない。必要があれば金で買えばいい、守る必要なんかない―と考える者もいるだろう。 しかし、文化とはそういうものではない。昔流に表現すれば、一人一人の心の中にある日本精神を守るということだ。しかし、その純粋な日本精神は、目に見えないものであり、形として示すことができないので、これを守れと言っても非常にむずかしい。 だから私は、文化というものを、そのようには考えない。文化は目に見える、形になった結果から判断していいのではないかと思う。したがって日本精神というものを知るためには、目に見えない、形のない古くさいものと考えずに、形のあるもの、目にふれるもので、日本の精神の現れであると思えるものを並べてみろ、そしてそれを端から端まで目を通してみろ、そうすれば自ら明らかとなる。そしてそれをどうしたら守れるか、どうやって守ればいいかを考えろ、というのである」。
 「歌舞伎、文楽なら守ってもいいが、サイケデリックや“おらは死んじまっただ”などという頽廃的な文化は弾圧しなければならない―というのは政治家の考えることだ。私はそうは考えない。古いもの必ずしも良いものではなく、新しいもの必ずしも悪いものではない。江戸末期の歌舞伎狂言などには、現代よりもっと頽廃的なものがたくさんある。それらをひっくるめたものが日本文化であり、日本人の特性がよく表れているのである。日本精神というものの規準はここにある。しかしこれから外れたものは違うんだという規準はない。良いも悪いも、あるいは古かろうが新しかろうが、そこに現れているものが日本精神なのである。したがってどんなに文化と関係ないと思っている人でも、文化と関係のない人間はいない。歌謡曲であれ浪花節であれ、それらが頽廃的であっても、そこには日本人の魂が入っているのである」。
 「日本人の色々な行動(例えば特攻隊の行動)について、日本人が考えることと、西洋人の評価とはかなり違っている。彼らから見ればいかにばかげたことであろうとも、日本人が立派だと思い、美しいと思うことはたくさんある。 西洋人から見てばからしいものは一切やめよう、西洋人から見て蒙昧なもの、グロテスクなもの、美しくないもの、不道徳なものは全部やめようじゃないか―というのが文明開化主義である。西洋人から見て浪花節は下品であり、特攻隊はばからしいもの、切腹は野蛮である、神道は無知単純だ、とそういうものを全部否定していったら、日本には何が残るか―何も残るものはない。 日本文化というものは西洋人の目から見て進んでいるとかおくれているとか判断できるものではない。……西洋の後に追いつくことが文化だと思ってきた誤りが、もうわかっていい頃だと思う」。
 「この文化論から出発して、“何を守るか”ということを考えなければならない。私はどうしても第一に、天皇陛下のことを考える。天皇陛下のことを言うと、すぐ右翼だとか何だとか言う人が多いが、憲法第1条に掲げてありながら、なぜ天皇のことを云々してはいけないのかと反論したい。天皇を政治権力とくっつけたところに弊害があったのであるが、それも形として政治権力とくっつけたことは過去の歴史の中で何度かあった。しかし、天皇が独裁者であったことは一度もないのである。それをどうして、われわれは陛下を守ってはいけないのか、陛下に忠誠を誓ってはいけないのか、私にはその点がどうしても理解できない。 ところが陛下に忠誠をつくすことが、民主主義を裏切り、われわれ国民が主権をもっている国家を裏切るのだという左翼的な考えの人が多い。しかし天皇は日本の象徴であり、われわれ日本人の歴史、太古から連続してきている文化の象徴である。そういうものに忠誠をつくすことと同意のものであると私は考えている。なぜなら、日本文化の歴史性、統一性、全体性の象徴であり、体現者であられるのが天皇なのである。日本文化を守ることは、天皇を守ることに帰着するのであるが、この文化の全体性をのこりなく救出し、政治的偏見にまどわされずに、『菊と刀』の文化をすべて統一体として守るには、言論の自由を保障する政体が必要で、共産主義政体が言論の自由を最終的に保障しないのは自明のことである」。
 「政府は、最後の場合には民衆に阿諛する事しか考えないであろう。世論はいつも民主社会における神だからである。われわれは民主社会における神である世論を否定し、最終的には大衆社会の持っているその非人間性を否定しようとするのである」。
 「では、その少数者意識の行動の根拠は何であるか。それこそは、天皇である。われわれは天皇ということをいうときには、むしろ国民が天皇を根拠にすることが反時代的であるというような時代思潮を知りつつ、まさにその時代思潮の故に天皇を支持するのである」。
 「なぜなら、われわれの考える天皇とは、いかなる政治権力の象徴でもなく、それは一つの鏡のように、日本の文化の全体性と、連続性を映し出すものであり、このような全体性と連続性を映し出す天皇制を、終局的には破壊するような勢力に対しては、われわれの日本文化伝統をかけて戦わなければならないと信じているからである」。
 「われわれは自民党を守るために闘うのでもなければ、民主主義社会を守るために闘うのでもない。……終局目標は天皇の護持であり、その天皇を終局的に否定するような政治勢力を、粉砕し、撃破し去ることでなければならない」。
 「なぜわれわれは共産主義に反対するのか? 第一にそれは、われわれの國體、すなわち文化・伝統と絶対に相容れず、論理的に天皇の御存在と相容れないからであり、しかも天皇はわれわれの歴史的連続性・文化的統一性・民族的同一性の、他にかけがえのない唯一の象徴だからである」。
 同じ時期に出された書物から三島烈士の言葉
 「…どうしても最終的に守るものは何かというと、天皇の問題。それでもまだあぶない。カンボジアみたいに王制でだね、共産主義という国もあるんだからね。いまの共産党は『天皇制打倒』を引っ込めて十年経つが、ひょっとすると天皇制下の共産主義を考えているんじゃないかと思う。これでもまだまだだめだ。天皇を守ってもまだあぶない。そうすると何を守ればいいんだと。ぼくはね、結局文化だと思うんだ、本質的な問題は」。
 「われわれの考える天皇とは、いかなる政治権力の象徴でもなく、それは一つの鏡のように、日本の文化の全体性と、連続性を映し出すものであり、このような全体性と連続性を映し出す天皇制を、終局的には破壊するような勢力に対しては、われわれの日本の文化伝統を賭けて闘わなければならないと信じている…」。
 「日本の民衆文化は概ね『みやびのまねび』に発している。そして、時代時代の日本文化は、みやびを中心とした衛星的な美的原理、『幽玄』『花』『わび』『さび』などを成立せしめたが、この独創的な新生の文化を生む母胎こそ、高度で月並みな、みやびの文化であり、文化の反独創性の極、古典主義の極致の秘庫が天皇なのであった。… 文化上のいかなる反逆もいかなる卑俗も、ついに『みやび』の中に包括され、そこに文化の全体性がのこりなく示現し、文化概念としての天皇が成立する、というのが、日本の文化史の大綱である」。
 「天皇を否定すれば、我々の文化の全体性を映す鏡がなくなるだろう。天皇は最終的に破壊されれば、我々の文化のアイデンティティはなくなるだろう」。
 「さて、守るとは行動であるから、一定の訓練による肉体的能力を具えねばならぬ。台湾政府の要人が、多く少林寺拳法の達人であると私はきいたが、日本の近代文化人の肉体鍛錬の不足と、病気と薬品のみを通じて肉体に関心を持つ傾向は、日本文学を痩せさせ、その題材と視野を限定した。私は、明治以来のいわゆる純文学に、剣道の場面が一つもあらわれないことを奇異に感じる。いかに多くの蒼ざめた不健全な肉体の登場人物が、あたかも餓鬼草子のように、近代文学に跋扈していることであろう。肺結核の登場人物は減少したが、依然として、そこは不眠症患者、ノイローゼ患者、不能者、皮下脂肪の沈積したぶざまな肉体、癌患者、胃弱体質、感傷家、半狂人、などの群がり集まった天国なのである」。
 「ある晩ジャーナリスト達が集まった晩飯の席ですが、みんなケチョンとし、シュンとしている。なぜかと思ったら、ロバート・ケネディの暗殺問題で、日本人が自分達を野蛮だと思ってやしないかしらと、多少内心忸怩としている。私は慰めてやりました。おまえたちはやっと偽善の衣をぬぎ捨てた。アメリカの本質はあれである。おまえたちの偽善のおかげで、我々は二十年間どれほど苦しんだか、日本中に偽善が瀰漫したのは、おまえたちのおかげだ。やっとおまえたちは正直になってくれて、ありがたい。政治の本質は殺すことだ。シーザーの昔からそうじゃないか。民主主義というものは最終的にはああいう形になってしまうのが正直な形で、それがいけないとか、いいとかいう問題じゃないじゃないか。野蛮なら結構。君も昔、日本のことを野蛮だ野蛮だといっていたけど、やっと野蛮の域まできたじゃないか--向こうも大変肩の荷が下りたような顔をしておりました。これが日米共同の美しき絆になると思う(笑)」。
 「国と民族の非分離の象徴であり、その時間的連続性と空間的連続性の座標軸であるところの天皇は、日本近代史においては、一度もその本質である「文化概念」としての形姿を如実に示されたことはなかった。このことは明治憲法国家の本質が、文化の全体性の侵蝕の上に成立ち、儒教文化の残滓をとどめた官僚文化によって代表されていたことと関わりがある。私は先ごろ仙洞御所を拝観して、こののびやかな帝王の苑池に架せられた明治官僚補都綴の石橋の醜悪さに目をおおうた。すなわち、文化の全体性、再帰性、主体性が、一見雑然たる包括的なその文化概念に、見合うだけの価値自体を見出すためには、その価値自体からの演繹によって、日本文化のあらゆる末端の特殊事実までが推論されなければならないが、明治憲法下の天皇制機構は、ますます西欧的な立憲君主政体へと押し込められて行き、政治機構の醇化によって文化的機能を捨象して行ったがために、ついにかかる演繹能力を持たなくなっていたのである。雑多な、広汎な、包括的な文化の全体性に、正に見合うだけの唯一の価値自体として、われわれは天皇の真姿である文化概念としての天皇に到達しなければならない」。
 「文化防衛論」の末尾(最後の一段落)

 「私がかういうことを言ふのは、東南アジア旅行で、……、共産主義の分極化と土着化の甚だしい実例を見聞してゐるからである。時運の赴くところ、象徴天皇制を圧倒的多数を以て支持する国民が、同時に、容共政権の成立を容認するかもしれない。そのときは、代表制民主主義を通じて平和裡に、『天皇制下の共産政体』さへ成立しかねないのである。およそ言論の自由の反対概念である共産政権乃至容共政権が、文化の連続性を破壊し、全体性を毀損することは、今さら言ふまでもないが、文化概念としての天皇はこれと共に崩壊して、もつとも狡猾な政治的象徴として利用されるか、あるひは利用されたのちに捨てられるか、その運命は決つてゐる。このやうな事態を防ぐためには、天皇と軍隊を栄誉の絆ーでつないでおくことが急務なのであり、又、そのほかに確実な防止策はない。もちろん、かうした栄誉大権的内容の復活は、政治的概念としての天皇をではなく、文化概念としての天皇の復活を促すものでなくてはならぬ。文化の全体性を代表するこのやうな天皇のみが窮極の価値自体だからであり、天皇が否定され、あるひは全体主義の政治概念に包括されるときこそ、日本の又、日本文化の真の危機だからである」。

 三島由紀夫「橋川文三への公開状」。
 「私が、天皇なる伝統のエッセンスを衍用しつつ、文化の空間的連続性をその全体性の一要件としてかかげて、その内容を「言論の自由」だと規定したたくらみに御留意ねがひたい。なぜなら、私はここで故意にアナクロニズムを犯してゐるからです。過去二千年に一度も実現されなかつたほどの、民主主義日本の「言論の自由」といふ、このもつとも先端的な現象から、これに耐へて存立してゐる天皇といふものを逆証明し、そればかりでなく、現下の言論の自由が惹起してゐる無秩序を、むしろ天皇の本質として逆措定しようとしてゐるのです。(中略)私は、文化概念としての天皇、日本文化の一般意志なるものは、これを先験的に内包してゐたと考へる者であり、しかもその兆候を、美的テロリズムの系譜の中に発見しようといふのです。すなはち、言論の自由の至りつく文化的無秩序と、美的テロリズムの内包するアナーキズムとの接点を、天皇において見出さうといふのです」。

【三島由紀夫の「反革命宣言」】
 三島由紀夫「反革命宣言」。(「日本の何を護るか ~三島由紀夫氏の哲学(1) 」)
 「われわれはあらゆる革命に反対するものではない。暴力的手段たると非暴力的手段たるとを問わず、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企図、あらゆる行動に反対する者である。この連結の企図とは、いわゆる民主連合の政権(容共政権)の成立、及びその企図を含むことはいうまでもない。国際主義的あるいは民族主義的仮面にあざむかれず、直接民主主義方式あるいは人民戦線方式等の方法的欺瞞に惑わされず、名目的たると実質的たるとを問わず、共産主義が行政権と連結するあらゆる態様にわれわれは反対する者である」。
 「共産主義は、これまでの一切の社会秩序を強力的に顛覆することによってのみ自己の目的が達成されることを公然と宣言する」。「われわれは、護るべき日本の文化・歴史・伝統の最後の保持者であり、最終の代表者であり、且つその精華であることを以て自ら任ずる」。
 「それは集団と組織の原理を離れぬ弱者の思想である。不安、嫌悪、憎悪、嫉妬を撒きちらし、これを恫喝の材料に使い、これら弱者の最低の情念を共通項として、一定の政治目的へ振り向けた集団運動である。空虚にして観念的な甘い理想の美名を掲げる一方、元も低い弱者の情念を基礎として結びつき、以て過半数を獲得し、各小集団小社会を「民主的に」支配し、以て少数者を圧迫し、社会の各分野へ浸透して来たのがかれらの遣口(やりくち)である」。
 「戦ひはただ一回であるべきであり、生死を賭けた戦ひでなくてはならぬ。生死を賭けた戦ひのあとに、判定を下すものは歴史であり、精神の価値であり、道義性である。(中略)千万人といへども我往かんの気概を以て、革命大衆の醜虜に当らなければならぬ。民衆の罵詈雑言、嘲弄、挑発、をものともせず、かれらの蝕まれた日本精神を覚醒させるべく、一死以てこれに当らなければならぬ」。

 「何故われわれは共産主義に反対するか?」という問を設けて次の如く答えている。
 「第一にそれは、われわれの国体、すなわち文化・歴史・伝統と絶対に相容れず、論理的に天皇の御存在と相容れないからであり、しかも天皇は、われわれの歴史的連続性・文化的統一性・民族的同一性の、他にかけがえのない唯一の象徴だからである。第二に、われわれは、言論の自由を守るために共産主義に反対する」。「われわれは天皇の真姿を開顕するために、現代日本の代議制民主主義がその長所とする言論の自由をよしとするのである。……言論の自由を保障する政体として、現在、われわれは複数政党制による議会主義的民主主義より以上のものを持っていない。この「妥協」を旨とする純技術的政治制度は、理想主義と指導者を欠く欠点を有するが、言論の自由を守るためには最適であり、これのみが、言論統制・秘密警察・強制収容所を必然的に随伴する全体主義に対抗しうるからである」。

 現代の学生運動が起こるべくして起こったところのものであって決して偶然の所産ではないことを次のごとく説く。
 「かつてプロレタリアは社会的疎外の代表であった……戦後は社会的に疎外された人間は、経済的に疎外されるのではなく、心理的思想的に疎外された人間として現れた。それが学生である。学生は一定の階級も持たず、何ものをも代表せず、次第にみずからを大衆の一員として自覚し肯定するようになった。しかし、大衆の一員だありながら、生産に従事せず、生産の成果を社会に還元するすべもなく、自分たちが少数勢力として何ら意見を反映させるべき対象を見出せずにいた。しかも情報社会の進展はあらゆる階層に発言を許し、その階層の代表的意見を社会にぶつけることを当然とするようになったのに、学生だけは、なお十九世紀的な古い大学の体制のなかにつつまれていた。私は学生運動が学内闘争として始まったその経過を是認するのにやぶさかではない。しかしながら、徐々にこの少数勢力は、多数者の正当性にむかって当然の経過をたどるようになった。そこでは次第次第に逆現象が成立し、一般学生が疎外されて全学連が一つの正当性を獲得するようになった。彼らは革命の主体としての自己を完全に自覚したのである」。
 「ここには、戦後の社会の無限の責任遡及によって、ついには責任の所在を融解させてしまう「無責任の体系」の影響が大いにあり、すべては社会がわるい、というときに、人は自ら、社会のアモフル化(無晶形化。ひいては極端な政府否定の共産主義化を意味する)に手を貸しているのである。彼らは最初、疎外をもって出発したが、利用された疎外は小集団における多数者となり、小集団におけるマジョリティを次々につなげて連帯させることによって、社会におけるマジョリティを確保し、そのマジョリティは容易に暴力と行動に転換して現体制の転覆と破壊に到達するというのは、革命のプランである。そして、責任原理の喪失を逆用したそのような革命は現に着々進行している」。
 「敗戦によって現有領土に押し込められた日本は、国内に於ける異民族問題をほとんど持たなくなり、アメリカのように一部民族と国家の相互関係や民族主義に対して国家が受け身に立たざるをえぬ状況というものを持たないのである。(略)従って異民族問題をことさら政治的に追及するような戦術は、作られた緊張の匂いがする(略)左翼のいふ、日本における朝鮮人問題、少数民族問題は欺瞞である。なぜなら、われわれはいま、朝鮮の政治状況の変化によって、多くの韓国人をかかへてゐるが、彼らが問題にするのはこの韓国人ではなく、日本人が必ずしも歓迎しないにもかかはらず、日本に北朝鮮大学校をつくり都知事の認可を得て反日教育をほどこしているような北朝鮮人の問題を、無理矢理少数民族の問題として規定するのである。彼らはすでに人間性の疎外と、民族的疎外の問題を、フィクションの上に置かざるを得なくなってゐる。そして彼らは、日本で一つでも疎外集団を見つけると、それに襲いかかって、それを革命に利用しようとするほか考えない。たとえば原爆患者の例を見るとよくわかる。原爆患者は確かに不幸な、気の毒な人たちであるが、この気の毒な、不幸な人たちに襲いかかり、たちまち原爆反対の政治運動を展開して、彼らの疎外された人間としての悲しみにも、その真の問題にも、一顧も顧慮することなく、たちまち自分たちの権力闘争の場面へ連れていってしまう。日本の社会問題はかつてこのようではなかった。戦前、社会問題に挺身した人たちは、全部がとはいわないが、純粋なヒューマニズムの動機にかられ、疎外者に対する同情と、正義感とによって、左にあれ、右にあれ、一種の社会改革という救済の方法を考えたのであった。しかし、戦後の革命はそのような道義性と、ヒューマニズムを、戦後一般の風潮に染まりつつ、完全な欺瞞と、偽善にすりかえてしまった。われわれは、戦後の社会全体もそれについて責任があることを否めない。革命勢力からその道義性と、ヒューマニズムの高さを失わせたものも、また、この戦後の世界の無道徳性の産物なのである」。
 「戦後の日本にとっては、真の民族問題はありえず、在日朝鮮人問題は、国際問題であり、リフュジー(難民)の問題であっても、日本国内の問題ではありえない。これを内部の問題であるかの如く扱う一部の扱いには、明らかに政治的意図があって、先進工業国における革命主体としての異民族の利用価値を認めたものに他ならない」。※新潮文庫『裸体の衣装』初版306頁
 「敗戦によって現有領土に押し込められた日本は、国内に於ける異民族問題をほとんど持たなくなり、アメリカのように一部民族と国家の相反関係や、民族主義に対して国家が受け身に立たざるをえぬ状況というものを持たないのである。(略)従って異民族問題をことさら政治的に追及するような戦術は、作られた緊張の匂いがする(略)」。

【三島由紀夫の「武士道と軍国主義」】
 三島は「武士道と軍国主義」と題して次のように説いている。
 しかし、日本は、天皇という民族精神統一、その団結心の象徴というものを持っていながら、それを宝の持ち腐れにしてしまっている。さらに、我々は現代の新憲法下の国家において、ヒューマニズム以上の国家理念というものを持たないということに、非常に苦しんでいる。それは、新憲法の制約が、あくまでも人命尊重以上の理念を日本人に持たせないように、縛りつけているからである。

 防衛問題の前提として、天皇の問題がある。ヒューマニズムを乗り越え、人命よりももっと尊いものがあるという理念を国家に持たなければ国家たり得ない。その理念が天皇である。我々がごく自然な形で団結心を生じさせる時の天皇、人命の尊重以上の価値としての天皇の伝統。この二つを持っていながら、これをタブー視したまま戦後体制を持続させて来たことが、共産圏・敵方に対する最大の理論的困難を招来させることになったのだ。この状態がずるずる続いていることに、非常な危機感を持つ。
 故に、(核ではなく)在来兵器の戦略上の価値をもう一度復活させるべきだと考える。つまり日本刀の復活である。むろん、これは比喩であり、核にあらざる兵器は、日本刀と同じであるという意味である。その意味で、武士と武器 本姿と魂を結びつけることこそが、日本の防衛体制の根本問題だとするのである。

 ここに、武士とは何かという問題が出て来る。自衛隊が、武士道精神を忘れて、コンピューターに頼り、新しい武器の開発、新しい兵器体系などという玩具に飛びつくようになったら、非常な欠点を持たざるを得なくなる。軍の官僚化、軍の宣伝機関化、軍の技術集団化だ。特に、技術者化が著しくなれば、もはや民間会社の技術者と、精神において何ら変わらなくなる。また官僚化が進めば、軍の秩序維持にのみ頭脳を使い、軍の体質が、野戦の部隊長というものを生み出し得なくなる。こうして精神を失って単なる戦争技術集団と化す。この空隙をついて、共産勢力は自由にその力を軍内部に伸ばして来ることになる。

 では、武士道とは何か。自己尊敬、自己犠牲、自己責任、この3つが結びついたものが武士道である。このうち自己犠牲こそが武士道の特長で、もし、他の2つのみであれば、下手をするとナチスに使われた捕虜収容所の所長の如くになるかもしれない。しかし、身を殺して仁をなす、という自己犠牲の精神を持つ者においては、そのようにはなりようがない。故に、侵略主義や軍国主義と、武士道とは初めから無縁のものである。この自己犠牲の最後の花が、特攻隊であった。

 戦後の自衛隊は、ついに自己尊敬の観念は生まれなかったし、自己犠牲の精神に至っては、教えられることすらなかった。人命尊重第一主義が幅をきかしていたためだ。日本の軍国主義なるものは、日本の近代化、工業化などと同様に、すべて外国から学んだものであり、日本本来のものではなかった。さらに、この軍国主義の進展と同時に、日本の戦略、戦術面から、アジア的特質が失われてしまった。

 日本に軍国主義を復活させよ、などと主張しているのではない。武士道の復活によって日本の魂を正し、日本の防衛問題の最も基本的問題を述べようとしているのだ。日本と西洋社会の問題、日本文化と西洋のシヴィライゼーションの対決の問題が、底にひそんでいるのだ。




(私論.私見)