日本文明起源神話考

 更新日/2021(平成31.5.1栄和改元/栄和3).6.28日

 (れんだいこのショートメッセージ)

 2008.4.10日、2010.4.17日再編集 れんだいこ拝

【日本文明起源神話考】
 2016.6.10日、「やっぱり?世界文明の起源は日本だった!?」その他参照。古代ユダヤ絡みのところを省く。
 http://tenson4089.blog.fc2.com/blog-entry-594.html
 2014.11.5日、世界文明の起源は日本だった!

 1、日本で世界最古の文字が発見された

 今世界の考古学会が,日本で文字が書かれた"ペトログラフ(岩絵)"が発見されたことに注目している。米国文化学会やカナダ文化学会、オーストラリア岩石芸術学会等では「文明の発祥地は日本ではないか」と響き立っている。そこで、「世界文明の起源は日本なのではないか?」という謎に迫る。

 日本には超古代の神代文字で書かれた「カタカムナ文献」がある。それによると10万年以上前の超古代に、カタカムナ文明が兵庫県六甲山近辺にあったことが、戦前の天才物理学者・楢崎皐月(口封じのためか後に暗殺された)によって明らかにされている。兵庫県神崎郡神河町と朝来郡生野町にまたがる八幡山。熊本県阿蘇郡にある「日の宮幣立神宮」の御神体「日文石板」の表には「豊国文字」で「ひふみよいむなやこともちろら、ねしきるゆいつわぬそを、はたくめかうおえに、さりへてのますあせゑほけれ」と記されている。これと同じ文言が和紙に書写されたものが、物部氏の拠点である奈良の石上神宮、大分の宇佐神宮にも奉納文として保管されている。加えて、全国約800カ所から「阿比留草文字」、「出雲文字」、「秀真文字」、「守恒文字」、「神山文字」、「アイヌ文字」等約40種類のペトログラフが発見されている。注目に値するのは、海外で見つかったペトログラフが絵画中心なのに対し、これらは文字が中心である点である。国学者の平田篤胤が「漢字伝来以前に使われた我が国の古代和文字がある」と指摘しているのは、このような神代文字のことだった。「カタカムナ文献」には、「宇宙の真理"マカバ"」や宇宙の歴史、生命体の本質、さらに超科学テクノロジーについて述べられていることで、近年、その研究が急速に進められている。

 2、ペトログラフに見るムーの記憶

 このペトログラフからはムー文明の痕跡が見られる。下関市彦島や角島、北九州にある沖の島、出雲の日ノ御碕沖等に、与那国島海底のものと類似する海底神殿跡やペトログラフがある。下関市教育委員会と九州大学の調査によると、彦島杉田丘陵のペトログラフには、「遠い世の父母より世に生まれ交わり、子々孫々栄え来たり。地の都となる世の来るまで、敵を倒し、我らを助け、突き進み、世も昼もみそなわす我らが日の神」と書かれている。これらの痕跡とムー文明を結びつける傍証としては、ニュージーランド北方のポナペにある1万2千年前の「ナンマドルの海底神殿遺跡」である。ハワイやイースター島でも古代遺跡が発見されており、上記日本の遺跡と類似している事から太平洋上に大陸があった事を推測させる。これ以外にも滋賀県安曇川町のプリテニ文字、沖縄県のムーの石板十二枚、熊本県人吉市のサラムー(ムーの王)の磐座等がある。これらと同形の遺跡やペトログラフは、韓国、台湾、中国では全く見つかっていない。

 3、二万年以上続いた「鵜芽葺不合王朝」

 "七大奇書"といわれる古史古伝によると、大和王朝と神武天皇以前にも二万年以上続いた「鵜芽葺不合王朝」などの"大和先行王朝"や、初代・天主天皇(天之御中主大神)、高木天皇(高御産巣日神)、神巣天皇(神産巣日神…以上"造家三神")、大綱手彦天皇、弥広殿造天皇、造化氣万男身光天皇、富金足中置天皇、天日嗣天皇など数百代にわたり天皇が存在したという。豊後国の大守だった大伴能直が「山窩(サンカ)」の伝承を集め記録した「上記(うえつふみ)」によると、「鵜芽葺不合王朝の第二十五代、二十六代天皇は、皇子たちを世界に派遣し文字を伝えた。富金足中置天皇は一万五千四百八十五年前に、四百六十年間に渡って治世した」とある。これらは、大分県国東半島で発見された巨石上のペトログラフ「豊国文字」にも記録されている。また、秦の始皇帝が不死の薬を求めて日本に派遣した徐福が富士山麓で書き残した「富士宮下文書」をもとに、三輪義煕が編纂した「神皇記」によると、神武以前に先行王朝が三つあり、初めは富士山麓にあった「富士高天原王朝」で、「大陸から九州方面に大軍が押し寄せて来たため、附地見島(九州)に海佐知毘古を元帥として送り、海軍を編成、王朝も阿蘇切枝間に移し千五百日目に全島の鎮圧を完了した(阿蘇豊国王朝)」とある。「その後、近畿地方で長髄彦命(ナガスネヒコノミコト)が反乱を起こしたため、日高佐野王が海路から久真野に上陸、湯野崎水門近くの二高の宮を行宮として賊軍を討ち、大和国橿原宮で即位し「鵜芽葺不合王朝」が始まった」という。また、「鵜芽葺不合王朝」と相前後し、あるいはその統治下には、北から「荒覇覇吐王国」、「日高見王国」、「邪馬台王国」、「吉備王国」、「出雲王国」、「不弥王国」、「投馬王国」、「伊都王国」、「熊襲王国」が存在し、最終的に「大和王朝」に統一されたと書かれている。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%83%
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 3、世界に分布した日本人

 日本ペトログラフ協会の吉田信啓氏によると、熊本県芦北地方には「曽畑式水人(海洋民族)がいて、約6500年前、北海道から沖縄に至るまで生活の痕跡を残しており、さらにベーリング海を渡って北米にも生活圏を拡大した可能性が高いという。この説は、米国ブロンスウィック大学のレ・クイナー教授も唱えており、「アメリカインディアンが日本人と同じ習俗、語彙、顔を持つ事から、彼らの多くは太平洋の西からきたモンゴロイド海洋民族である」と主張。これには、スミソニアン博物館やハワイ大学等も同様の見解を発表している。一方、スイスの考古学者デニケンがエクアドルの古代地下都市跡で日本の縄文土器と"アンデスの黄金版"を発見している。「マヤやインカ文明を作ったのも、日本の古代海洋民である」と公表している。一方、インド、エジプト、南米、アフリカなどの古代遺跡で、日本の神代文字を発見している日本探検協会の高橋良典氏によると、豊国文字とハングルの類似性から「古代朝鮮も日本と同じ文字を使用しており、少なくとも約6000年以前から日本にあった豊国文字を参考にして作った」と指摘している。また、愛媛県越智郡の樹ノ本古墳から出土した漢代の鏡と、国立博物館にある漢代の「単圏銘帯鏡」にある漢字を出雲文字や豊国文字で解読したところ、「ニニギキヲタタエマツル」と「ヒツキヲアタエム」と読めた。「ニニギ」とは"ニニギノミコト"=天皇であり、「ヒツキ」とは王権を表している。

 さらに、3000年以上前の中国・殷の甲骨文字と「阿比留草(アヒルクサ)文字」には44の類似文字があり、甲骨文字は「阿比留草文字」の草書体であると結論づけている。これらを裏付ける様に、約2000年前に書かれた中国の「契丹古伝」によると、「漢字以前の文字を天字といい、天字以前をト字、ト字というのは殷字であり、殷は元これ倭国(日本)」とある。インドでも日本の神代文字が見つかっている。インダス文明の遺跡モヘンジョダロにある仏塔の刻印をトヨクニ文字で読むと「ユニコーンカムイ(ユニコーン神)」と読め、"象の洞窟"の入り口付近でも「阿比留草文字」と豊国文字が発見されている。更に驚くべきことに、"現代の書聖"といわれ神代文字研究家でもある安藤妍雪氏によると「地球上の一切の文字の源はカタカナで、神の御働きに由来する象神名をアイウエオ、カキクケコなどのカタカナ(カタナムナ文字)で表したものを、後年、弘法大師空海が48の平仮名に表現し、今日に至っている」。

 4、地球の歴史と民族の移動

 一般に日本で最も古い文献と言われている「記紀(古事記、日本書紀)」のネタ本になったのが物部興久が編纂した「先代旧事本紀」、稗田阿礼や太安万侶、大伴能直らが編纂した「皇王日継」、「古語拾遺」、「竹内文書」、「上記」、「富士宮下文書」、「九鬼文書」である。それらによると、世界が一つの大陸だったころ、天(シリウス)から日本に”ニニギノミコト”=天之御中主大神(初代天皇)が降臨して国を開き、世界を統治し、また日本人から白人、黒人、黄人、赤人(ユダヤ人ら)、青人(スカンジナビア人)ら世界の”五色人種”が分かれたという。これらの海外からの渡来民族は、元々は日本で生まれ、日本から分布して行ったのが真相である。

 "伝説の故郷"日本。海部氏、物部氏、天部氏、忌部氏、斎部氏、蘇我氏、秦氏ら。日本人の40%に見られるY染色体DNAにおけるD系統(ハブログループD)はチベット人や中南米のインディオなどに見られるE系統と同類であることが近年証明されている。

 日本の古代史には多くの謎が隠されている。「十六菊花紋」。青森県の三内丸山遺跡。青森県新郷村(旧戸来村…ヘブライ村)。古代史研究家の上森三郎氏によると、兵庫県にある日本のピラミッドとされる八幡山近くの埴岡の里では、1万3千年前の福本遺跡とともに、鶴と亀(玄武)の巨大な地上絵と十六菊花紋に入った旧石器時代の瓦が発見されたという。

 6、ピラミッド(日来神宮)は日本が発祥地?

 世界的なフランスの考古学者J・ヴァレーン博士は、エジプトのピラミッドを研究、興味深い見解を発表している。「この建造物は、地球上の大聖者が他の進化した天体の神々と交信するための場、つまり、地球よりも遥かに進歩した神人と、人類を救済するために地球に降臨した天孫族をつなぐ神殿である」。さらに、東方に向かって座するスフィンクスの左足の下を掘り下げ、石碑を発見。そこには「光は東方より来る。東方の一小国より、全人類の滅亡を救う大救世主が現れる」との記された碑文を発見,解読した。ちなみに、皇祖皇大神宮に伝わる竹内文書には、「3月16日、吉備津根本国に詔す。大綱手彦(鵜芽葺不合王朝12代弥広殿作天皇(イヤヒロトノツクリ)の叔父)、天皇霊廟、亦名メシア、日の神、月の神、造主神、日来神宮」とある。この「日来神宮」が世界最古のピラミッドを指すとされている。青森の黒又山、岩手の五葉山、富山の尖山、長野の皆神山、京都の日室ヶ獄、徳島の剣山など、聖地とされる兵庫県の八幡山を中心に16等分、つまり、16菊花紋の角度で分割された方向にピラミッドが存在している。
 https://www.youtube.com/watch?v=RAHVcgW4YD4

 竹内文書によると「上古第二代・造化氣万男身光(つくりのしきよろずおみひかる)天皇の時、15人の息子と1人の皇女を16の国に遣わし、日本を中心にした16放射の形を作って定め、天皇の十六菊花紋とした」とある。 
 竹内文書;https://www.youtube.com/watch?v=EuL_Adz4jUU#t=127

 日本の国旗。日の丸を国旗として正式に定めるよう要請したのは島津氏。島津氏の初代は島津忠久こと惟宗忠久、惟宗秦氏で、また毛利氏は物部守屋(モリヤ)氏の末裔。源氏は司馬遼太郎氏によると”源新羅三郎・・”という半島経由突蕨系騎馬民族の末裔。「日本から世界が始まった」ことを意味している。竹内文書によると、キリストは18歳のとき来日、皇祖皇太神宮の神主・武雄心親王から5年間、歴史や天文学、神業などを学び、天日嗣天皇から「向こうで死んではならぬぞよ」との命を受けエルサレムに戻った。が、迫害に会い再び来日、百十八歳まで生きたと書かれている。

 8、秦氏の渡来

 日本では第15代応神天皇のとき、秦氏が渡来する。秦氏は「騎馬民族説」の発端となった一族。秦始皇帝の末裔と言われており、秦朝滅亡後は現在のウイグル近辺に「弓月」と言う国家を作っていた。が、朝鮮の「好太王碑碑文」によると、漢王朝からの万里の長城造営などの苦役を強いられたため朝鮮半島に逃れ「秦韓」と呼ばれ、その後,朝鮮半島でも圧迫を受けたため、「弓月」時代に日本の第14代仲哀天皇の厚遇を受けた功満王の子孫として、応神天皇の時、100万人から150万人の一団で来日、山渡人(ヤマワタヒト)といわれ、養蚕、治水などの高度な技術をもたらすなど、我国のインフラ整備等に大いに貢献した。が、その勢力拡大の一方で、物部、蘇我らの先住民族との間で覇権争いが起こり、秦氏系の中大兄皇子(天智天皇)と藤原氏(藤原鎌足)による蘇我氏追い落とし(大化の改新)や、蘇我・物部系の天武天皇による「壬申の乱」による巻き返し、さらには、これらを引き継ぐ形での南北朝の対立へと、歴史は繋がって行く事となる。

 9、歴史の真実が封印された理由

 当然、時の支配層あるいは覇権国は自分たちに都合の悪い"真実の抹消"を図ろうと試みる。天武天皇や藤原不比等らの行った記紀(古事記・日本書紀)の編纂による真実の日本史封印の理由。「記紀」の内容は巧みな"神話化"が行われ、オブラートに包まれているが、随所に真実を解く"暗号"がちりばめられている。一方、漢字以前にあった日本古来の文字(高度な文明)を封印し漢字を導入したのも、記紀の編纂と同じ文脈で理解できる。終戦直後、GHQは仁徳天皇陵を発掘、遺物を回収した。(仁徳天皇陵の秘密)

 https://www.youtube.com/watch?v=nbnmo_5Tlmo

 
10、日本を取り戻すことが世界再生への道

 聖書には終末の世に関する不思議な予言がある。「そのとき人の子が偉大な光と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見る」。それが何時、何処で行われるかが世界の注目を集めている。これに関して、黙示録には「世の終末に日出づる国から天使が現れる」と書かれている。この”日出づる国”とはどこを指しているか?それはユーラシア大陸の東の端、つまり日本。

 さくらさくらやよいのそらは
 みわたすかぎりかすみかくもか
 においぞいずる
 いざやいざや
 みにいかん






(私論.私見)