日本列島を旅し、「庶民の歴史」を聞き集めて、一様ではない「日本」のあり方を追究し続けた民俗学者・宮本常一とは何者だったのか。民俗学者・畑中章宏氏による新刊『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』が話題だ。日本中の人々の姿を見てきた宮本が感じた、「共同体内の搾取」に関する東日本と西日本の違いや性のあり方とはどのようなものだったのか。
※本記事は畑中章宏『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』から抜粋・編集したものです。 |
女性の民俗的地位 |
歴史学者の網野善彦は、宮本常一が「女性」という主題について民俗学の立場から積極的に取り組んだことを高く評価している。網野によると、『忘れられた日本人』が刊行された当時(1960年前後)の歴史学、経済史学の主流は、家父長制、男性による女性の支配を封建的な社会の残滓とみなし、それが克服されて日本の社会が民主化される方向に推進していくことが必須な課題だという捉え方をしていた。宮本はこうした見方を厳しく批判し、それは東日本の常識を基礎として捉えた日本史像、日本社会像で、日本全体の事実に則しているものではないと指摘をしている。男性中心の家父長制によって女性が支配されているというあり方、あるいは地主が小作人を厳しく搾取しているのは東日本の実態で、西日本の実態は違うことを宮本は積極的に主張したというのだ。
宮本は、戦中の『家郷の訓(おしえ)』(1943年)でも、一見保守的にみえるような共同体に属する女性の姿のなかに、ある種の主体性を見つけだそうとしていた。村の娘はある年代に達するとたいてい家を逃げ出し、町へ奉公に出た。女中奉公をして稼いだのである。親の許しを得ないで村を出るのだが、それは父親だけが知らなかった。母親は娘の家出を事前に知って、そうした行動を理解していた。嫁入り前に女中奉公して、稼いだお金で京、大阪を巡るというのが女性が教養を得るための社会教育であり、明治以降はそれが慣習化した。また女中奉公とはべつに「秋仕(あきし)奉公」という出稼ぎに出た女性たちは、その賃金で自分の着物を買うことができた。年老いた女性は苧(からむし)の繊維をよりあわせて糸を紡ぐ「苧績(おう)み」によってヘソクリを獲得していった。手間暇がかかる苧績みは、十分な収入になった。苧を入れておくための苧桶(おごけ)は嫁入り道具の一つで、その中の苧の下に飴玉や氷砂糖をしのばせていたから孫たちが祖母のまわりに集まってくる。嫁に主導権を譲ったあと、祖母となって貯えたヘソクリは嫁に行った自分の娘や娘の子のために使った。孫にとっての祖母は祖父とは違った存在になるのだ(宮田登「伝統社会の公と私」による)。
いっぽう『忘れられた日本人』に収録された「名倉談義」では、共同体のしがらみが女性の生活を束縛したことが強調されている。6歳から9歳まで子守りに出され、16歳で嫁に行く。小学校へ通ったこともなく、財産がなく無口な男と60年間一緒だった。亭主はよく働き、朝起きてから寝るまでわらじを脱いだことがなかった。このあたりは月の「さわり」(月経)をやかましく言うところで、家ごとに「ヒマゴヤ」(生理小屋・不浄小屋)があり、さわりがはじまるとそこで一人で寝起きし、煮炊きしたものだった……。宮本の死後に編集・刊行された『女の民俗誌』なども含めて、宮本の女性生活誌、女性文化誌は振り幅が広く、女性の多様性をすくいとろうという意志が感じられる。 |
「性」の領域 |
宮本の民俗誌には「土佐源氏」を筆頭に「性」について描いたものが少なくない。『忘れられた日本人』の「対馬にて」では、男と女が歌のかけあいをする歌垣があったこと、男は女にからだを賭けさせ、声のいい若者は美しい女性とはほとんど契りを結んだという話が綴られる。
同じく「世間師(二)」には、左近熊太翁の体験談として、「一夜ぼぼ」という習俗が語られる。明治維新まで旧暦4月22日におこなわれる、河内国磯長(しなが)村(現・大阪府南河内郡太子町)「上(かみ)の太子(たいし)」(叡福寺)の会式(えしき)の日は、好きなことをしてもよかった。「太子の一夜ぼぼ」といい、この夜は男女とも、だれと寝てもよかったという。熊太翁も15歳になったとき一夜ぼぼに行き、初めて女と寝た。それから後も、毎年この日は出かけていった。女の子はみなきれいに着飾っていた。男と手をとると、そのあたりの山の中へはいって、そこで寝た。これはよい「子だね」をもらうためだといい、その夜にかぎられたことであった。このときにはらんだ子は父なし子でも大事に育てたものだという。明治元年になると、いつでもだれとでも寝てよいということになり、昼間でも家の中でも山の中でも好きな女と寝ることがはやった。それまでは、亭主のある女と寝ることはなかったのに、そういう制限もなくなった。しかし、警察がやかましく言うようになり、明治時代の終わりごろには止んでしまったという。
宮本は、「性」の話がここまでくるには長い歴史があったと「女の世間」で述べている。そしてこうした話を通して女性は男性への批判力を獲得したという。女性たちの「エロ話」の明るい世界は、女性たちが幸福であることを意味する。しかし女性たちのすべてのエロ話が、幸福だというのではない。女たちの話を聞いていると、エロ話がいけないのではなく、エロ話をゆがめているなにものかがいけないのだと宮本は考えた。「夜這い」については、その実態をどのように評価するべきかという問題がある。宮本は、自由な「性」を積極的に取り上げた民俗学者だが、「エロ話をゆがめているなにものか」については明確な答えを出さずにいる。 |
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