浦島太郎伝説考 |
(最新見直し2010.04.02日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、浦島太郎伝説考をしておく。 2008.8.10日 れんだいこ拝 |
三太郎(桃太郎、金太郎、浦島太郎)。 浦島太郎にゆかりの名所は、北は北海道の「竜宮街道」から、南は沖縄に伝わる「穏作根子(おさねし/沖縄版の浦島太郎の名前)伝説」まで、日本全国に150余りあると言われている。神社仏閣だけでも数十カ所もある。その名前ずばりの「浦嶋神社」(京都府)や「龍宮神社」(鹿児島県ほか)。そのほか、翁塚や浦島観音などが残る愛知県武豊町の「浦島太郎」伝説、浦島太郎が暮らしていたという伝説が残る長野県木曽と竜宮城があったとされる岐阜県中津川、玉手箱を所蔵している「知里付(ちりゅう)神社」のある愛知県知多など40カ所以上の市町村に微妙に異なる伝説が残っている。 「浦嶋神社」(京都府)は、京都の日本海側の丹後に鎮座し、創建は平安時代初期の825(天長)年。祭神は「浦嶋子(浦島太郎)」。日本で最初の浦島関係の寺社と考えられており、相殿に月讀命(つくよみのみこと)、祓戸大神(はらえどのおおかみ)も祭られている。主祭神も珍しいが、相殿もなかなか名を見ることの少ない両神さまである。浦嶋神社のあるかつての丹後国は、歴史的に見ても興味深い背景がある。古墳時代や律令時代初期には、大陸との交通の要衝として栄えたとして考えられており、独特の遺跡類も出土している。このような土地に「龍宮へ行った人物」伝が残っていることは興味深い。 神奈川県横浜市に残る浦島伝説。京浜急行の駅で言えば「神奈川新町」を下車したあたりに「浦島町」「亀住町」という地名がある。このあたりでは道路と歩道を分けるポールの頭にも亀の甲羅があしらわれている。一番大きな公園は「浦島公園」で、夏のお祭りには浦島太郎の山車が出る土地柄だ。この地に伝わる浦島伝説は「3年間龍宮城で暮らした太郎が帰ってきたのは300年後で、父母も亡くなり悲しみの中で父母の墓を見つけ、その傍らに乙姫からもらった観音像を祭り、父母を供養、迎えにきた乙姫と龍宮城へ戻った」という「親を供養して再び乙姫さまと幸せに暮らしましたとさ」という話。これに従い、うらしま寺という別名を持つ「慶運寺」には観音堂が残り、父母の墓を探し歩いた太郎が足を洗ったと言われる「足洗いの井戸」「足洗いの川」(そばに碑が立つ)、浦島親子の供養塔の残る「蓮法寺」、元々父母のお墓のあったお寺・観福寺にあったお地蔵さま「浦島地蔵」など、浦島太郎の史跡が数多く残っている。また、土地の人が知ってか知らずか、学校の校庭や公園には亀のモチーフとなる遊具がいくつも見つけられるのだ。 浦島太郎の話は日本書紀など古代の文献にも登場しているが、現在われわれがよく知る話は小学校の教科書版のもので、同時に唱歌も作られた(「むかしむかし浦島は 助けた亀に連れられて~」である)。 |
(私論.私見)
「月々に 月見る月は 多けれど 月見る月は この月の月」