大神神社の行事

 更新日/2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5).2.8日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、大神神社の行事を確認しておく。

 2006.12.3日 れんだいこ拝


大神神社の行事
 磐余の里。

【繞道祭(にょうどうさい)】
 「繞道祭」(にょうどうさい)は別名「ご神火(しんか)まつり」とも称され、一年の最初に行われる厳粛かつ貴重な神事です。奈良県内で最初に行われる、三輪明神の年頭を飾るご神火の祭典で、国家・皇室の安泰と国民の幸福を祈ります。「新年の幕開けを、ご神火を携えた繞道祭で寿ぐ」と啓されています。

 繞道祭に用いられるご神火は新年の始まりの午前零時を期して拝殿の東方、禁足地内で宮司により切り出され、拝殿大床の燈籠に移し置かれます。祭典では宮司祝詞奏上の後、ご神火を小松明に点し二人の神職が拝殿内を走り出て、拝殿前の斎庭で待つ3本の大松明に火が継がれます。そして、先入道(さきのにゅうどう)、後入道(あとのにゅうどう)と称する2本の大松明(長さ約3m)と少し小さめの神饌松明の計3本を氏子の若者がかつぎ、神職と共に山麓に鎮座する摂末社19社を巡拝します。ちなみに「繞」とは「めぐる」という意味です。大松明が燃えて少なくなると、次の松明に移し次いで周ります。最後に狭井神社へ奉納されます。

 ご神火が境内のご神火拝戴所に移されると、待ちかまえていた参拝者が先を争って持参の火縄やカイロに火を移しとります。このご神火はそれぞれの家庭に持ち帰り、神棚のお灯明や雑煮の祝火に用いられ、一年間の無事息災が祈られます。大和の正月は繞道祭で明けるといわれる年初の勇壮な火の祭典、繞道祭は浄火を尊んできた日本人の古代からの信仰を今に受け継いでいます。大神神社は日本最古の神社でご神体は大物主神が鎮まったと伝わる三輪山、古代より人々は三輪山に直接祈りを捧げてきたことから、社殿を設けず古式の信仰の様を今に残しています

【粗塩、厄払い酒】
 神棚にお供えした粗塩と清酒(御神酒)を使って身体の中から厄払いする。古来より、厄払いに使用される粗塩は、塩の中でも特に負の力を浄化する優れた力があるす。粗塩は銘柄や値段を気にする必要なく利用できるのが有り難いものです。三輪明神では人形を使った大祓が執り行われる。

【雑煮(ぞうに)】
 三輪の雑煮といえば「きな粉餅」です。雑煮から餅を取り出し、きな粉を付けて食します。本来この雑煮は三輪明神の年頭行事である繞道祭(にょうどうさい)のご神火を火縄に戴き、家の家長がこの火を使って雑煮を作る仕来りがありました。今では消防法が厳しくなり、火縄は神社で戴くことが出来ますが、火を持ち帰る皆さんは皆無ですね。また雑煮は各家庭により「味噌味・すまし仕立て」となます。  綱越神社(つなこしじんじゃ)です。大鳥居の南側、一の鳥居の参道入口となる三輪馬場先に鎮座します。神社の祭神は祓戸大神(はらえどのおおかみ)。

【新穀刈り取る「抜穂祭」 】
 稲作の歴史は三千年と言われ先祖は米作りを営々と続け神々への感謝をしてきた。三輪山麓は「倭屯田(やまとのみた)」と呼ばれる古代国家最も重要な田が広がっていた。大美和の杜の神饌田(しんせんでん)で、秋の実りを感謝し稲穂を刈り取る「抜穂祭(ぬきほさい)」が行われる。神饌田の周りには樹々の葉が色づき四季桜が咲くなか、宮司が昔ながらの鎌を使い稲穂を刈り取り、神前にお供えのあと参拝者一同、五穀豊穣への感謝をする。

【三輪明神「おついたち詣り」、大神神社「お朔日詣り」】
 三輪明神「おついたち詣り」、大神神社「お朔日詣り」。多くの参拝者がお詣りに来る。お詣りを終えた後は、大神神社豊年講による「ついたち朝市」で、新鮮なお野菜やお花、農産加工品等を買い、駐車場までの道中では、炊き立てのお赤飯や、揚げたてのコロッケを買う。心もお腹も満たされた佳きお詣りとなりました!

【年の初の卯の日祭】

【七草粥】
 1.7日(人日の節句)、立身出世を願って七草粥を食し、正月疲れの胃腸を元気に戻す優れもの、初春の野原に力強く芽吹いた若菜の生命力を摘み、食することで邪気を払い、無病息災を願う。正月明けの素晴しい日本の風習である。  綱越神社の祭神である祓戸大神は祓戸四柱ともよばれる邪気払いの神です。大祓祝詞では、国土に生じた天津罪・国津罪を天津神・国津神が祓い清め、その罪を速川の瀬にいる瀬織津比咩(せおりつひめのかみ)が大海に持ち出し、瀬の流れが出会うところに居る速開津比咩(はやあきつひめのかみ)が罪を飲み込み、さらに気吹戸主(いぶきどぬしのかみ)が根国・底国に息で吹き飛ばし、速佐須良比咩(はやさすらひめのかみ)が流離うことで罪穢れが消滅します。こうして国中の罪が全てなくなるとされます。罪穢れを祓う神として神社境内の入口付近に祀られることが多く、全国各地の神社で多く祀られています。

【大とんど焼き】
 1.15日(小正月)、日本最古の三輪明神(大神神社)では、祈祷殿前斎庭で午前8時より「どんと祭・大とんど」が執り行われる。が行われ、餅を長い竹に刺し、この火で焼いて食べると無病息災が叶うと云われる。二の鳥居前の門松も撤去され、明日からは三輪の町も静かな平常に戻る。  

 立身出世を願って小豆粥を食す日でもある。小豆粥は毎年の行事のひとつで、鏡開きの武家餅(鏡餅)を使って、小豆(あずき)の入った小豆粥を作る。「七草粥」に続いて「小豆粥」で年始めの行事を済ますことになる。一年の邪気を祓って無病息災、家内安全を祈りながら小豆粥を食す。正月の間、我が家に来られてる歳神が神の里に帰られる日である。  熱い小豆粥を食すとき、冷まそうとフーフーッと息を吹きかけると「田植時期に強風が吹く」という言い伝えがあるので、冷めるのを待って食す。
小豆粥は縁起だけではなく小豆には病邪から守もってくれる多くの成分が含まれる。良質なたんぱく質、カルシウム、リン、鉄、亜鉛、食物繊維、ビタミンB2・B6・B1も多く含まれる。ゆで汁には活性酸素の増加を抑えるサポニン・アントシアニンも含まれている。咳を鎮め痰をとる、利尿作用でむくみ防止、血栓予防、血液浄化、心臓機能改善などなど。昔の人は産後の肥立ちが悪い女性にあずき粥を食べさせた。

【節分祭「福壽豆撒き式」】
 2.3日、三輪明神で、冬と春を分ける節分祭が執り行われ、「福はうち、鬼はそと」(「福は山」)の掛け声の「福壽豆撒き式」が執り行われ、毎年、福を求め、除災招福を祈る参拝者が立錐の余地もないほどに拝殿前斎庭(さいてい)に集い、福寿豆と福餅、大物主の加護をいただくよと云われる福ササを家に持ち帰る。  2024年の恵方は「東北東」。恵方とは、その年の福徳を司る歳徳神(としとくじん)、別名「年神」のいる方角で、その方角に向かって事を行えば何事も吉とされ、吉方、明きの方とも云う。恵方は基本的に「東北東、西南西、南南東、北北西」の四つに、十干(じっかん)とよばれる十二支のようなものを組み合わせて、その年の恵方方角を決める。  「鬼はそと」の鬼(おに)は「陰」(おん)に由来しており、陰とは目に見えない気、主として邪気のことを指す。この陰こそが鬼であるとされる。隠れている恐ろしいもの「隠人」(おんにん)が変化したという説もある。災害、病、飢饉など人間の想像力を超えた恐ろしい出来事は鬼の仕業と考えられていたことによる。新年(立春)を迎える前日に、鬼に豆をぶつけて邪気(おに)を払い、福を呼び込む習わしが節分に定着した。  節分の豆まきは、宮中行事の追儺(ついな)と社寺が邪気を祓うために節分に行っていた豆打ちの儀式が合わさったものとされ、豆まき後、撒いた豆を年齢の数(年齢+1)だけ食することで邪気を祓う。節分に食した鰯(いわし)の頭を柊(ヒイラギ)の枝に刺して柊鰯(ヒイラギイワシ)として飾る。この柊鰯は節分に魔除けや厄除けとして昔から日本で行われている風習で「門守」(かどもり)とよび、魔物や災難を避けるためのおまじないの一つである。平安時代には既に行われていた。当時、注連縄に柊の枝と鯔(ボラ)の頭を刺していた。いつの間にか鰯へと変化した。柊鰯は玄関の戸口に飾ることで、柊の葉の棘が鬼の目を刺して鬼の侵入を防き、焼いた鰯の煙や臭いにより鬼が近寄らないと云われる。

【三輪素麺の卸値占う卜定祭】
 2.5日頃、奈良県桜井市の大和の国一の宮・大神神社(おおみわじんじゃ)で、三輪素麺の卸値占う「卜定祭」(ぼくじょうさい)が行われる。ご祭神に地元特産の三輪素麺の卸値を占う祭典で、生産者や販売業者参列のもと神職が三ツ鳥居前の大床で卜定の儀式を行い、新しい年の卸値が決められる。かっては三輪の町に市場があり穀物の相場を占っていたそうで卜定祭もその伝統を引き継いでいる。2023年は「安値」と出た。地元の素麺組合ではその年の三輪素麺は卜定による卸値で取引される。祭典終了のあと、拝殿前で三輪素麺音頭保存会・ご婦人方から素麺作りの過程を真似たユニークな「三輪素麺掛け音頭」などの踊りが奉納される。

【三輪初えびすの湯立神楽】
 2.6日、奈良県桜井市三輪恵比須神社で「初えびす☆湯立て」神事が行われる。三輪の初えびすは旧暦正月の行事だったが現在は2.6日に本えびす大祭、2.7日は「残り福」と呼ばれ湯立神楽(御湯の神事)や御供まきで賑わう。

 湯立(御湯みゆ)は、拝殿前の湯釜8つに白い浄衣と袴姿の湯立巫女が御幣と鈴で清祓、そのあと襷掛けで湯釜に塩と洗米し神酒を注ぎ御幣の柄で湯をかき混ぜ、お湯3杯ずつ釜から桶に汲み取り宮司を介して神前に献上する。続いて笹束を両手に一の釜から順に北、西、南、東に向ってお湯を振りまく御湯祓い。拝殿から楽人による雅楽の調べが流れるなか豪快に上がる湯煙、約8分間の神々しい湯立に周りの参拝者も緊張の面持ちで見守る。
終了後、釜の湯立の残り湯が振舞われ、無病息災や商売繁盛などを祈りながら有難くいただく。

【おんだ祭】
 2.6日、おんだ祭が行われる。元々は正月の年初の初の卯の日に行われ、五穀豊穣を予祝する行事だったが、現在は旧暦に合わせて月遅れで奉仕している。

 この祭りの主役は「田作男」(たづくりおとこ)で、拝殿向拝(こうはい)を神田に見立て、木型の牛を操り田を耕す仕草の所作を面白おかしく演じ、見る者の笑いを誘う。大きな笑いが豊作に繋がるとされている。当日、豊年講大祭を併せて斎行され、境内では美味しい甘酒が振舞われる。

【「事始め」又は「事納め」】
 2.8日、「事始め」、かっては12.8日の「事納め」とともに、仕事を休んで家にこもらなければいけない「物忌み」の日とされた。針を持つことを戒め、針供養する日である。「事」は正月とも農業のことだとも言われ、地域によって違う意味を持つ。正月とする地域は12.8日を「正月事始め」、2.8日を正月終わりの「事納め」とする。
 立春は冬の終わり、春の始まりを意味し、春の気配が立ち始める日という意味合いがある。

【天長祭】
 2.23日、天皇誕生日のこの日、三輪明神では「天長祭」が執り行われる。この神事は天皇陛下のご誕生日をお祝いし、聖体のご清安をお祈りすると共に国家の安泰を祈願する祭典。

【卯の年・卯の月・卯の日の三卯大祭】
 「卯」は扉が開くという造形文字と言われる。意味合いとして「物事が動き出す、始まる」と言う意味を持つ。三輪明神では12年に一度の祭典「三卯大祭」(さんうたいさい)が執り行われる。2023年は3.10日(金)、3.22日(水)、午前10時半より祈祷殿で執り行われる。三輪明神では古来より「卯の日神事」とよび、卯の日の祭典を重んじている。崇神紀には7年11月の己卯日に大田田根子を大物主大神を祀る神主とし、8年4月の乙卯日に高橋活日を大神の掌酒とし、同年12月の乙卯日に大田田根子に大神を祀らせられたと記されており、延喜式には上卯日に大神祭を執り行うことが記されている。 祭典では古儀に則り邪気を払い、五穀豊穣を祈願する「卯杖」(うづえ)が奉献される。四海穏やかならんことを願われた昭和天皇の御製・多忠朝作曲振付による神楽「浦安の舞」が4人の巫女により奉奏される。  余談。卯の日にしては行けないものに「田植え」がある。その反面、卯の日に行うと良いとされているのが「子宝祈願、子受け祈願」である。ウサギは妊娠率が高く多産な動物、その繁殖力の強さにあやかり子宝子受け祈願を神社やお寺で行う。神社などではウサギを祀るところも多い。子孫繁栄のご利益があり、子宝子受け以外に安産祈願のご利益がある。

【「一粒万倍日、天赦日、寅の日」】
 2023年3.21日は「一粒万倍日、天赦日、寅の日」が重なる特別な最強開運日で新しく物事を始めるのに最良の日とされる。この日に財布を買って、次の開運日(8月4日)まで運気の上がる方角で部屋の引き出しやタンスなどの静かな場所に収めて金運や恋愛運を育てるとよいと云われる。

【春の大神祭】
 第十代崇神(すじん)天皇の御代に疫病が大流行し多くの国民が亡くなるという国難が起こった時、ご祭神の神示により神孫の大直禰子命(おおたたねこのみこと)を神主としてご祭神を篤くお祀りし直したところ、平安が戻って国が富み栄えた故事に倣って、三輪明神の一年に一度の例祭「春の大神祭」が3日間にわたり執り行われる。祭祀が卯の日に行われたことから古くは「卯の日神事」とよばれ4月、12月の上卯日に執行するという伝統となった。明治6年の上卯日が9日であったことから例祭日が4月9日と定められて現在に至っている。

 4.8日10時、神孫の大直禰子命(若宮)を神主として迎えた故事に則り大直禰子神社(若宮)において祭典を行い、引き続き大直禰子命の分霊を本社拝殿の御棚に遷し、17時より「春の大神祭宵宮」が執り行われる。  

 4.9日10時、神社関係者・氏子崇敬者・各種団体関係者など千名近くの参列の下、「春の大神祭」が執り行われ、神楽「うま酒みわの舞」が4人の巫女により奏される。13時より若宮の御分霊を神輿に遷し、三輪の町中を巡幸する若宮神幸祭(お渡り)が執り行われ、御神輿(おみこし)と威儀の物(いぎのもの)が披露される。これは大直禰子命を里人がお迎えしたさまを伝えるものと言われ、神輿を中心に、馬に乗った宮司以下神職、時代装束を着用し各地区の幟や神宝を持った氏子、稚児や甲冑騎馬武者など総勢250名余がお供をして三輪の町を巡幸する。但し、2023年度も新型コロナウィルス感染予防のため若宮神幸祭の行列奉仕(巡幸)は中止となった。

 4.10日10時、「後宴祭」(ごえんさい)が執り行われ、宮司以下祭員により若宮の御分霊を若宮社にお戻しする祭儀「若宮還御祭」(わかみやかんぎょさい)が執り行われる。続けて権宮司以下祭員により「狭井神社例祭」が執り行われる。
 正午からは三輪山会館「能楽堂」において祭りを締めくくる後宴能が催される。3日間に亘る春の大神祭が無事終了したことをお祝いし大物主に後宴能(ごえんのう)が奉納される。(斎庭に設けられた桧舞台で、神社ゆかりの能「三輪」、狂言「福の神」などがその道の大家によって演じられる)

【安全と豊作祈る播種祭】
 奈良県桜井市 大和の国一の宮・大神神社(おおみわじんじゃ)の大美和の杜神饌田で、神前に供える米を作る農作業に向け、安全と豊作を祈る神事の「播種祭」(はしゅうさい)が行われる。若葉青葉に包まれ初夏の香りが漂うなか、農家で構成する崇敬団体「豊年講」の代表者らが参列する。水口にお札が立てられ粛々と農夫による田作りの所作が披露され豊作を願う。蒔かれた苗床の籾は約一か月で稲の苗に育ち、順調に育てば約90キロの「ヒノヒカリ」が収穫できる。

【三枝祭(さいくさのまつり)】
 6.16日、奈良県桜井市 大和の国一の宮・大神神社(おおみわじんじゃ)から笹百合が摂社の率川神社に届けられる。かって笹百合の咲き誇る三輪山の麓にお住まいだったご神祭の媛蹈鞴(ひめたたら)五十鈴姫(いすずひめ)にお慶びいただくため、ご神前に笹百合で飾った酒樽をお供えし、四人の巫女が笹百合を手に神楽「うま酒みわの舞」を舞う。これを「三枝祭(さいくさのまつり)」と云う。

【御田植祭】
 6.25日、御田植祭が神社境内にある約200㎡の水田「神饌田」(しんせんでん)で御田植神事が行われる。梅雨の中休み青空広がる好日、三輪さんから発する狭井川の清水を引いた水田の脇に設けられた祭壇を前に、早乙女(さおとめ).田作男(たつくりおとこ)たち(信者・豊年講と呼ばれる農家の皆さん)が女性は赤、男性は青い襷の白装束に菅笠かぶり姿で古式に則っとり、田長(たおさ)の太鼓の合図に合わせて一株一株早苗(さなえ)を植えていく。苗が無事に育つようにと祈りをこめた厳粛な神事となる。稲は苗は「ヒノヒカリ」という品種で、10.20日の抜穂祭(ぬきほさい)まで大切に育てられる。収穫されたお米は神前に供えられる(神饌)ほか御神酒の醸造にも使われる。稲藁(いなわら)は注連縄に用いられる。

【夏越の祓(なごしのはらえ)茅の輪くぐり】
 大祓は古代の律令に既に規定されている由緒ある神事で全国の神社で執り行われる。夏の7.15日、天候を司り作物の豊作や風水害疫病の流行などに関わる水神様(龍神)をお迎えする。そのための準備として、くぐることで自身の穢れ(ケガレ)を祓い清める。

 6.30日午後3時、大神神社の夏越の大祓が執り行われ茅の輪くぐりを行事とする。正月から半年間についた罪・穢れを、自分自身の身代わりとなる「人形」に託すため、人形に息を三度吹きかけ種々の災いを移す。身も心も清々しい本来の姿を取り戻し残る下半期を健やかに過ごす為の神事である。茅の輪の由来は蘇民将来という人が武塔神(むとうのかみ)の教えに従って、茅(ちがや)で作った輪を身につけたところ疫病からの災厄を免れた故事による。※武塔神とは日本書紀では素戔男尊・素戔嗚尊等、古事記では建速須佐之男命・須佐乃袁尊とよばれ天照大神の弟神です。

 2024年7月21日、今宵は満月、別名「雄鹿月(バックムーン)」ともよばれ、アメリカの農事暦が由来のよび名で「バック」は雄鹿の意味です。7月は角が生え変わる時期であることから、名付けられたそうです。さて最強の祓戸でも有る摂社・綱越神社では、おんばら祭りの準備がされており白い鳥居には茅の輪が付けられます。お詣り後、自宅の神棚に献酒した御神酒を杯に、月読命を酒に映していただきました。  

 月の光を浴びながらお詣りすることで「セロトニン(メラトニン)」という睡眠ホルモンが分泌され、気持ちが前向きになったり、精神が安定します。ストレス解消や不安緩和にも効果があるといわれてやり、睡眠のリズムを調整する作用もあります。
(「呑気な頼三輪明神(大神神社)FB」参照)

【抜穂祭(ぬきほさい)】
 「抜穂祭」(ぬきほさい)は豊かな秋の恵みに感謝する神事で、大美和の杜の神せん田で育てられた米を、「豊年講」の農家と神職らが参列し行われる。神職による祝詞奏上ののち、宮司と豊年講の代表が黄金色に染まる田んぼの稲穂を刈り取って丁寧に揃えた3束を神前に供える。そのあと稲刈り。収穫されたお米は、これから様々な祭典で大神様にお供えされる。帰りには祈祷殿前で開催されている「菊花奉納展」で見事な菊の花を楽しむ。

【杜氏の祖先神/活日神社で「醸造安全祈願祭(酒まつり)」】
 11.14日、三輪明神で「醸造安全祈願祭(酒まつり)」が執り行われた。全国の銘酒が勢揃いする。拝殿前には掛け替えられた青々とした直径約1.5m、重さ約200㎏の新しい「大杉玉」。

 酒まつりは酒造りの神様と仰がれるご祭神の神徳を称え、新酒醸造の安全を祈る祭典。関係者参列のなか、神事と4人の巫女が活日命の和歌で作られた神楽「うま酒みわの舞」を舞う。七五三まいりや菊花展観賞など、終日賑わう。

 数年前までは振る舞い酒を頂戴していた。現在は飲酒運転をすると厳しい罰則が課せられることから飲まれる人が少なくなっている。コロナ騒動の期間、振る舞い酒は中止となった。
 活日神社(いくひじんじゃ)は酒造りを行う杜氏(とうじ)の祖神を祀る社で酒まつりの主役的存在。祭神は高橋活目命、三輪明神摂社としての位置づけ。当時、国内に疫病が流行し混乱を極めた際、崇神天皇に命じられ大物主大神に供える神酒を造った掌酒(さかひと)で杜氏(とうじ)の祖神とされる。

 高橋活日命(たかはしのいくひのみこと)は、日本書紀/崇神天皇紀条によるところ、崇神天皇8年4月の庚子(かのえね)の朔(つひたち)乙卯(きのとのう)、天皇に神酒を献じた時、次のように詠って崇神天皇に酒をすすめた。
 「この神酒(みき)は 我が神酒ならず 倭なす 大物主の 醸(か)みし神酒 幾久(いくひさ) 幾久(いくひさ)」。
 「この神酒は、私の神酒ではありません。倭の国を成した三輪の大物主神(おほものぬしのかみ)がお作りになった神酒です。幾世までもいく久しく いく久しく栄えあれ」

 
大物主神のご神助により会心の美酒を造ることができた、それ以来の製法の神酒であると詠っている。この詩に対し、崇神天皇は次のように返歌している。
「味酒(うまさけ) 三輪の殿(との)の 朝門(あさと)にも 押し開かね 三輪の殿門(とのと)を」
「三輪の拝殿の戸を朝開いて帰っていこう。三輪の拝殿の戸を」

 一晩中飲み明かし、三輪の拝殿の戸を朝開いて帰って参りませうと返歌している。

 この故事に照らして、日本書紀の崇神天皇条に「高橋の邑の人活日(いけひ)を以て大神の掌酒(さかびと)とす」と記され、高橋活日命が酒造りの神として敬われることになった。崇神天皇に召され、三輪の神にお供えする酒を造った高橋活日命を祀る、我国でも唯一杜氏の祖先神(一夜酒の神)として祀られ酒造関係者からも特に信仰が篤い社のひとつである。 高橋活目命はににと記されている。


 また一夜にして美味しい酒を造ったことから古くは「一夜酒社(ひとよざけのやしろ)」ともよばれ、酒まつり等で舞われる神楽「うま酒みわの舞」は活日命が詠んだ詩で作曲作舞されたと伝わる。我が国最古の大神神社と日本酒の関係も、深い繋がりがある。三輪の大神は酒造りの神であり古い時代から大神神社に醸造を司る人が存在したことが分かる。

 余談。大神神社のご神体は三輪山(みわやま)。昔は神に捧げる酒のことを神酒(みわ)と発音しており、さらに古来の人々は神のことを(みわ)と発音したと伝わる。この社には全国各地から酒造関係の皆さん方が多くお詣りに来られる。

【新嘗祭】
 11(霜月).23日午前10時、大神神社で秋の実りに感謝するお祭り「新嘗祭(しんじょうさい・にいなめさい)」が執行された。古来より重要なお祭りの一つで祈年祭(2月)、大神祭(4月、10月)と共に大祭式で行われる。収穫したばかりの初穂と新酒が神前に供えられ厳かに催行される。神職一行は体と心を祓い清める祓戸の神様に参拝のあと拝殿へ。宮司の祝詞奏上に続き4人の巫女により崇神天皇の御代に天照大御神を倭笠縫邑(やまとかさぬいのむら・現在の檜原神社)を奉祀したさまを詠った神楽歌で作られた「磯城の舞」(しきのまい)が特別に奉奏される。鏡に見立てた白い輪の榊を手に雅楽に合わせて優雅な舞を披露する。
 その起源は稲作が始まった弥生時代ともいわれ「万葉集」にも新嘗のことが詠われており、古代から民間でも収穫を感謝するお祭りが行われていた。古くは11月下の卯の日に行われていたが、明治6年の下の卯の日が23日であったことから、この日を祭日と定め、現在も宮中をはじめ全国の神社で祭典が執り行われる。三輪明神では神饌田で収穫された米を濁酒に醸造し、新嘗祭からお供えする。

【12月の第2日曜日、大注連縄の飾り付け】
 三輪の風物詩「大注連縄の飾り付け」。三輪明神も新穀の収穫を感謝する祭典「新嘗祭」が執り行われ、いよいよ新しい年を目前に控えた12月の第2日曜日、三輪明神の冬の風物詩である「大注連縄の飾り付け」が行われる。この「大注連縄」は、大阪府岸和田市の三輪神社崇敬団体「照友会」により、昭和29年から毎年欠かさず奉納される。

 大注連縄は最大のもので長さ6.5m、太さ1m、重さ500Kg。早朝、拝殿前斎庭の大注連柱用をはじめ4本の大注連縄が大型トラックで岸和田を出発、二の鳥居に到着すると、神職のお祓いを受け、そこから約50名の会員の皆さんの手で拝殿前まで運び込まれる。続いて拝殿で「奉納奉告祭」が執り行われた後、正面の大注連縄が取り替えられる。参拝者もお手伝い、大勢の人が力を合わせ新年の無病息災を願いながら引き綱を勢いよく引きます。所定の位置にしっかりと取りつけられ、さがりが揃えば完成。

【大門松】
 12.14日、三輪明神(大神神社)の二の鳥居前に高さ約5mの大門松が設置された。毎年寄進される大門松の材料として使用される松は「かぎろひの里の大宇陀」、竹は「暗峠の生駒」、葉牡丹は「石神神宮の天理」、南天は「吉野離宮の吉野」より取り寄せられて大和の造園業者により造られる。また竹の切り口に節を残して「そぎ」にすることで、切り口が笑い顔に見える様にしたことから縁起がよいとされる。







(私論.私見)