関裕二「修験道がつくった日本の闇」(ポプラ社、2009.2.16日初版)の37P「芸能の起源」の一文を転載する。
「修験者たちは多くの芸能も作りだした。神社で行われる神楽や田楽も、そのほとんどは修験者が演じる芸能に他ならない。神楽とは、神座、神遊びとも云い、宮廷や神社で神を祀るための舞楽である。また、田楽は元々田植えに際し、田の神を祀るために行われた農耕儀礼であり、平安時代に専門の田楽法師が出現し、鎌倉、室町時代に田楽能へと引き継がれて行った。これらの起源は、修験道に行きつく。能や狂言の起源は散楽と云われている。散楽は奈良時代に中国から伝来した舞楽で、日本の伝統的な神楽と融合して猿楽となった。なお、猿楽と云う名称は、散が猿に転訛したのだが、古来、日本では猿は山の神の使者と考えられており、同様に山の神の使者でもある修験者、天狗と重なっていった、と考えられる。又、千秋万歳(せんずまんざい)や猿回しも、根源は一緒である」。 |
(私論.私見)
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そういうことであるが、もっと突き詰めれば、修験道が出雲神道に発していることを思えば、出雲神道系の文化と捉えることができよう。
2013.3.13日 れんだいこ拝 |
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