瀬織津姫の名前は、後半の「遺る罪は在らじと祓へ給ひ清め給ふ事を 高山の末低山の末より佐久那太理に落ち多岐つ 早川の瀬に坐す瀬織津比売と言ふ神 大海原に持出でなむ」という部分に出てきます(「比売」は「姫」の万葉仮名的表記)。
「大祓詞」の内容をごく簡単にまとめると、「神々が、世の中にある罪や穢れを、遠く山の上まで行って集めてきて、川の流れに流してやると、瀬織津姫が大海原の底にいる神様にまでリレーのバトンのように渡していって根の国(あの世、黄泉の国)に送りかえしてくれますよ。罪や穢れがなくなってこの世が清くなりますよ」という意味になります。つまり、瀬織津姫は日本の神道の「お祓い」や「祓え」の考え方をつかさどる重要な役割を果たす女神なのです。「大祓詞」は現在でも重要な祝詞と考えられています。日本全国の神社で六月と十二月の晦日に「大祓」(おおはらえ)という儀式が行なわれますが、その際に唱えられています。
わたしはこの瀬織津姫という女神様に興味を持ったので、その後文献にあたりながら調べてみることにしました。「大祓詞」の内容である、悪い物を川の流れに流してしまうという行為は、古くから古事記の「イザナギの黄泉がえり」の部分にあたると考えられてきました。これは「禊祓(みそぎはらえ)」の起源とされています。この内容も簡単に振り返っておきましょう。
古事記では、イザナギとイザナミという男女の神が結婚して日本列島の島々や風の神や木の神など、たくさんの自然物の由来となる神々を産み落とします。ところが、最後に火の神を産み落とすことによって妻のイザナミは死んでしまうわけです。イザナギは妻に会いたい思いが募ってあの世である黄泉の国に追いかけていきます。イザナミが見ないでくださいというのを無理に見てしまったために、イザナギはイザナミの腐乱した屍体の姿を見てしまいます(このあたりはギリシャ神話のオルフェウスの話に似ています)。イザナギが恐れて逃げるとイザナミは恥をかかされたと言って追いかけてきます。イザナミは「恥をかかされたから、生きている人間を一日に千人殺してやる!」と言います。それに対しイザナギは「おまえがそう言うのならオレは一日に千五百の産屋を建てよう!」と返答します。
イザナギは黄泉からほうほうのていで戻りますが、その時、「たいへん汚い国に行ってきたから体を洗おう(「吾は御身の禊ぎ為む」)」と言い、「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」というところで体を洗います。このとき洗い流された黄泉の国の穢れから神様が生まれてきます。その名を「八十禍津日神」(やそまがつひのかみ)と言います。瀬織津姫と、この八十禍津日神とは早くから同じ神だと考えられていたようです。江戸時代に古事記を研究した学者の本居宣長も古事記伝という本で、この二人の神様を同一の神としています。以下にその部分を引用します。
「大祓詞」の内容をごく簡単にまとめると、「神々が、世の中にある罪や穢れを、遠く山の上まで行って集めてきて、川の流れに流してやると、瀬織津姫が大海原の底にいる神様にまでリレーのバトンのように渡していって根の国(あの世、黄泉の国)に送りかえしてくれますよ。罪や穢れがなくなってこの世が清くなりますよ」という意味になります。つまり、瀬織津姫は日本の神道の「お祓い」や「祓え」の考え方をつかさどる重要な役割を果たす女神なのです。「大祓詞」は現在でも重要な祝詞と考えられています。日本全国の神社で六月と十二月の晦日に「大祓」(おおはらえ)という儀式が行なわれますが、その際に唱えられています。
わたしはこの瀬織津姫という女神様に興味を持ったので、その後文献にあたりながら調べてみることにしました。「大祓詞」の内容である、悪い物を川の流れに流してしまうという行為は、古くから古事記の「イザナギの黄泉がえり」の部分にあたると考えられてきました。これは「禊祓(みそぎはらえ)」の起源とされています。この内容も簡単に振り返っておきましょう。
古事記では、イザナギとイザナミという男女の神が結婚して日本列島の島々や風の神や木の神など、たくさんの自然物の由来となる神々を産み落とします。ところが、最後に火の神を産み落とすことによって妻のイザナミは死んでしまうわけです。イザナギは妻に会いたい思いが募ってあの世である黄泉の国に追いかけていきます。イザナミが見ないでくださいというのを無理に見てしまったために、イザナギはイザナミの腐乱した屍体の姿を見てしまいます(このあたりはギリシャ神話のオルフェウスの話に似ています)。イザナギが恐れて逃げるとイザナミは恥をかかされたと言って追いかけてきます。イザナミは「恥をかかされたから、生きている人間を一日に千人殺してやる!」と言います。それに対しイザナギは「おまえがそう言うのならオレは一日に千五百の産屋を建てよう!」と返答します。
イザナギは黄泉からほうほうのていで戻りますが、その時、「たいへん汚い国に行ってきたから体を洗おう(「吾は御身の禊ぎ為む」)」と言い、「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」というところで体を洗います。このとき洗い流された黄泉の国の穢れから神様が生まれてきます。その名を「八十禍津日神」(やそまがつひのかみ)と言います。瀬織津姫と、この八十禍津日神とは早くから同じ神だと考えられていたようです。江戸時代に古事記を研究した学者の本居宣長も古事記伝という本で、この二人の神様を同一の神としています。以下にその部分を引用します。