大祓いの祝詞逐条読解 |
更新日/2021(平成31→5.1栄和改元/栄和3).1.24日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「大祓いの祝詞逐条読解」をものしておく。 2009.3.4日 れんだいこ拝 |
【大祓いの祝詞逐条読解】 |
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【祝詞の言葉の意味考】 | |
「ウィキペディア祝詞」は、次のように記している。
以上を一般的知識として、更に考究すると、定式化されている「祓詞(はらへの言葉)」、「大祓詞(おおはらへの言葉)」は正しくは「天津系の」と理解されるべきではなかろうか。しかも、原文が別に存在し、現行文は原文の生々しい表記を改竄していると認めるべきではなかろうか。その根拠として、「別文六月晦大祓祝詞(みなづきつごもりのおおはらえののりと」(出典:延喜式卷八「祝詞」)があり、内容を読むに、こちらの方が原文に近いと思われるからである。 その違いは、天津神の罪、国津神の罪を列挙している下りが顕著で、通説「天津系大祓詞(おおはらへの言葉)」では削除されている。れんだいこは、徒に原文改訂は良くないと考え復活させることにした。両者の罪の違いが却って興味深い。更に、後半の下りでも記述が違う。れんだいこは、別文の方を採った。別文では末尾に「四国(よくに)の卜部」が登場している。これをどう読み解くべきか。何か重要なヒントが隠されているように思われる。 そういう訳で、「れんだいこ文・天津系祓詞(はらへの言葉)」として定式化させる。天津系としたのは、出雲系の天津系祓詞(はらへの言葉)が別に存在すると考えるからである。但し、こちらは秘されていると思われその限りで不明である。出雲国造奏上文があるが、それは出雲系の天津系祓詞(はらへの言葉)とは又別文であろう。 |
【祝詞の内容考】 |
大祓詞(おおはらえのことば)は、遠く平安の更なる昔から、毎年6月30日と12月31日の夕刻、宮中をはじめ、全国の神社でおこなわれる神道祭祀行事の大祓式の際に唱えられるお祓い祝詞中の最重要な祝詞である。送り仮名として使われている漢字は万葉仮名で、約900字の漢字で成り立っている。祓物(はらえつもの)を出して、祓戸の神の神威によって罪穢を解除(げじょ)する儀式であり、半年毎に恒例のものとしておこなわれるので「二季の祓」と称する。「中臣祓詞」(なかとみのはらえことば)、略して「中臣祓」、「中臣祭文」(なかとみさいもん)とも云う。 内容から大きく前段と中段と後段の三つに分けられる。前段は、大祓に参集した皇族・百官に対して「祝詞をよく聞け」という内容の文言が記されている。これは当初の大祓詞が参集者に対して宣り聞かせるものであったことの名残であり、今日の神社本庁の大祓詞ではこの部分が省略されている。 次に、中段に入る。天孫族系の高天原王朝が国津族系の葦原中国平定を目指して天孫降臨し、天孫族が日本を治めることになるまでの日本神話の内容が語られている。この過程で双方が犯した罪の内容を「天つ罪・国つ罪」として列挙している。罪の内容については、今日の「罪」の観念にあわないものが多く、差別的ととられかねないものもあることから、神社本庁の大祓詞では罪名の列挙を省略して単に「天津罪・国津罪」とだけ言い換えられている。 後段で、天津神系、国津神系の手打ちによる、「祓い清めによる罪、穢れ落し」を重要な理として、「新たな国の始まりの誓い」により日本の国体が始まったことが明らかにされ、これを国是とするよう詠われている。 9.3.5日、2010.1.13日再編集 れんだいこ拝 |
701(大宝元)年、大宝律令の神祗会に「凡そ六月(みなつき)、十二月晦日(しはすつもごり)の大祓は東西(大和、河内)の文部祓刀を上(たてまつ)り、祓詞を読む。百官男女を祓所に聚集し、中臣祓詞を宜り、卜部解除(うらべはらへ)を為す」と記されている。907年の延喜格には、この時「御麻(みあさ)」、「荒世(あらよ)、和世(にごよ)」、「壷(つぼ)」等の「御贖(みあが)」の儀式が行われ、その時、宜陽殿の南頭に於いて奏せられる宣命が大祓祝詞である、と言われている。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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【罪の発生と罪の種類】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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宮中や各神社で唱えられる大祓祝詞(おおはらいのりと)について、「祝詞(のりと)、上代神に対して宣(の)り申す言葉。古代独特の文章で、延喜(九〇〇年)式、巻八に収められている二十六編をその代表作とする。近世以降は神式の葬儀霊祭にも用いられる」とある。現代人が理解し難い文字や言葉が数多くあることと、その内容も含意を基調にしているので、どういう意味なのかにつき正確には分からない。大嘗祭の形式所作や祝詞の言葉の意味を知らずにただ厳かに誦唱されている。これを解明するには言霊布斗麻邇の言霊学の力を借りる必要がある。それによって大祓祝詞の意味、意義が明らかになる。 言霊学の師、小笠原孝次氏はその一生を言霊布斗麻邇の復活の仕事に捧げ、昭和四十四年、言霊学解説の最初の書「古事記解義言霊百神」を世に出した。次いで復活された言霊学を基礎に昭和四十五年、「大祓祝詞解義」(改訂再版)を刊行した。大祓祝詞の全内容を解明し尽くした名文章である。これを下敷きにする。国籍はカナダ人のジョン・スターバックが小笠原孝次氏の下へ足繁く通い、昭和四十四年、「古事記解義言霊百神」の完全英訳本「KOTOTAMA(THE WORD SOUL) THE PRINCIPLES OF HUNDRED DEITIES OF THE KOJIKI」(昭和四十八年刊)を刊行している。 大祓祝詞は全文が天津日嗣天皇(スメラミコト)の人類文明創造とそのための政治について述べている。所謂神代の時代、言霊学的に見れば、人類の第一精神文明時代に於いては、政治は人間の精神とは何かを深く洞察した言霊原理による道徳の政治であつた。 この祝詞が何時頃制定されたのかにつき正式な記録はない。竹内文献、阿部文献によると、神武天皇に始まる神倭皇朝の前、鵜草葺不合(うがやふきあえず)皇朝第38代天津太祝詞子(ふとのりとご)天皇がこの祝詞を制定したと伝えられている。その時は何時か。神武天皇即位より遡ること約千年と推定される。その後、鵜草葦不合朝より神倭皇朝に替わってからもこの祝詞は使用され、最後に690年頃、柿本人麻呂による修辞によって今日見られるような美文となったと伝えられている。 |
(私論.私見)