大祓いの祝詞逐条読解

 更新日/2021(平成31→5.1栄和改元/栄和3).1.24日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「大祓いの祝詞逐条読解」をものしておく。

 2009.3.4日 れんだいこ拝


【大祓いの祝詞逐条読解】

 前口上 祓詞(はらえのことば)
 かけまくもかしこき いざなぎの大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 御禊(みそぎ)祓へ給いし時になりませる 祓戸(はらえど)の大神たち 諸々のまがごと 罪 穢れあらむをば 祓へたまへ清めたまへとまをすことを きこしめせと かしこみかしこみもまをす
 六月晦(みなづきのつごもりの)大祓(おほはらひ) 〔十二月も此に准(なら)へ〕
 集侍(うごな)はれる親王(みこたち) 諸王(おほきみたち) 諸臣(まえつきみたち) 百官(もものつかさ)の人等(ひとたち) 諸(もろもろ)聞食(きこしめ)せと宣(の)る。

 天皇(すめら)が朝廷(みかど)に仕(つか)え奉(たてまつ)る 比礼(ひれ)挂(か)くる伴男(とものを) 手襁(たすき)挂くる伴男 靫(ゆぎ)負(お)ふ伴男 剱(たち)佩(は)く伴男 伴男の八十伴男(やそとものを)を始めて官官(つかさづかさ)に仕奉る人等(ひとども)の 過(あやまち)犯しけむ雑雑(くさぐさ)の罪を 今年の六月(みなづき)の晦(つごもり)の大祓(おおはらへ)に祓ひ給ひ清め給ふ事を 諸(もろもろ)聞こしめせと宣る。
 本口上 大祓詞(おおはらえのことば)
 高天原(たかまのはら)に 神(かむ)づまり坐(ま)す 皇(すめら)が親(むつ) 神漏岐(かむろぎ) 神漏美(かむろみ)の命(みこと)もちて 八百万(やほよろづ)の神等(たち)を 神集(つど)へに集へたまひ 神議(はか)りに議りたまひて 我(あ)が皇御孫(すめみま)の命は 豊葦原(とよあしはら)の水穂の国を 安国(やすくに)と 平(たひら)けく しろしめせと ことよさしまつりき。

 かく よさしまつりし 国中(くぬち)に 荒ぶる神たちをば 神問(と)はしに問はしたまひ 神はらひにはらひたまひて 語(こと)問ひし。いはね きねたち 草の片葉(かきは)をも こと止(や)めて 天(あめ)の磐座(いわくら)放ち 天の八重雲(やへぐも)を いづの ちわきにちわきて 天降(あまくだ)りし よさしまつりき。

 かく よさしまつりし 四方(よも)の国中(くになか)と 大倭日高見之国(おほやまとひたかみのくに)を 安国と定めまつりて 下(した)つ岩根(いはね)に 宮柱太(ふと)しき立て 高天原に 千木(ちぎ)高しりて すめみまの命の みづのみあらか つかへまつりて 天のみかげ 日のみかげと 隠(かく)りまして 安国とたひらけく しろしめさむ国中に なりいでむ。
 天つ罪、国津罪 許許太久の(ここだく)罪出む 
 天つのますひとらが 過(あやま)ち犯(おか)しけむ 種々(くさぐさ)の罪ごとを法(の)り別(わ)ける。
 畔放(あはなち) 溝埋(みぞうめ) 樋放(ひはなち) 頻蒔(しきまき) 
 串刺(くしざし) 生剥(いけはぎ) 逆剥(さかはぎ) 屎戸(くそへ) 
 国つの益人等(ますひとら)が 過(あやま)ち犯(おか)しけむ 種々(くさぐさ)の罪ごとを法(の)り別(わ)ける。
 生膚断死(いきはだたちし) 死膚断死(しにはだたち) 白人胡久美(しろひとこくみ) 
 己(おの)が母犯せる罪 己が子犯せる罪 母と子と犯せる罪 畜(けもの)犯せる罪 
 毘虫(はうむし)の災(わざはひ) 高つ神の災い 高つ鳥の災い 
 畜倒(けものたお)し 蟲物(まじもの)為(な)せる罪。
 かくいでば 大中臣おおなかとみ 天つみやごともちて 天つかなぎを もと打ち切り 末打ち断ちて 千座(ちくら)の置座(おきくら)に 置きたらはして 天つすがそを 本(もと)狩り断ち 末刈り切りて 八針(やはり)に とりさきて 天つ祝詞(のりと)の祓へ清めの 太(ふと)のりとごとを 宣(の)れ。

 かく のらぱ 天つ神は 天のいはとを 押しひらきて 天の八重雲(やへぐも)を いづのちわきにちわきて きこしめさむ。国つ神は 高山(たかやま)の末 ひきやまの末に のぼりまして 高山のいぼり 短山(ひきやま)のいぼりを かきわけて きこしめさむ。かくきこしめてば 皇御孫(すめみま)の命の朝廷(みかど)を始めて天下(あめのした)四方(よも)の国(くにぐに)には 罪といふ罪はあらじと。


 しなどのかぜの 天のやへぐもを ふきはなつことの如く 朝(あした)のみぎり 夕(ゆふべ)のみぎりを 朝風 夕風の 吹き払ふことのごとく
 おほつべにをる 大船(おほふね)を へとき放ち ともとき放ちて 大海原(おおうなばら)に 押し放つことの如く 彼方(をちかた)の 繁木(しげき)が本を 焼きがまの 利鎌(とがま)もちて 打ち掃(はら)ふことの如く 遺(のこ)る罪は あらじと 祓へたまひ清めたまふことを 高山の末 短山の末より さくなだりに おちたぎつ。

 速川(はやかは)の瀬にます せおりつひめといふ神 大海原に 出(い)でなむ。かく いで往(い)なば 荒潮(しほ)の潮の八百道(やほぢ)の 八潮道(やしほぢ)の潮のやほあひにます はやあきつひめといふ神 かかのみてむ。かくかかのみてぱ 氣吹(いぶき)戸にます 氣吹戸主(ぬし)といふ神 根の国 底の国に 氣吹放ちてむ。かく いぶきはなちてば 根の国 底の国にます はやさすらひめといふ神 さすらひうしなひてむ。かく さすらひうしなひてば 今日より始めて 罪といふ罪は あらじと。

 高天原に耳振り立てて聞く物と馬牽立(ひきたて)て、今年の六月の晦(つごもの)の日の 夕日の降(くだち)の大祓(おおはらひ)に)
祓へたまひ清めたまふことを 天つ神国つ神 やほよろづの神たち 共ににきこしめせと 
恐(かし)こみ恐こみまをす。
 後口上 卜部詞(うらべのことば)
 (四国(よくに)の卜部(うらべ)等(ども)大川道(ぢ)にも退出(まかりいで)て祓ひやれと宣る)


【祝詞の言葉の意味考】

 「ウィキペディア祝詞」は、次のように記している。

 祝詞(のりと)とは、神道において神徳を称え、崇敬の意を表する内容を神に奏上しもって加護や利益を得んとする文章をいう。通常は神職によって独自の節まわしによる朗誦が行われ、文体・措辞・書式などに固有の特徴を持つ。現在、最も標準的とされる朗読調は、昭和天皇の玉音放送と酷似している。 

 祝詞(のりと)の語源は、「のりとごと」(宣之言・宣処言・宣呪言)であるとする説が従来もっとも一般的であったといえる。神職などの奉仕者が祭神に祭祀の意義や目的を奏上する言葉(人間が神に対してみずからの祈願するところや、神を称えるこころを表現するために記した文章)を意味するものであるが(奏上体)、古くは祭祀の場に参集した人々に宣り下される言葉でもあった(宣命体)。「のりと」の「のり」には「宣り聞かせる」という意味が考えられることから、宣命体の祝詞が本義を伝えるものであると考えることもできる。

 折口信夫は古代祝詞の用例から「~と宣る(宣ふ)」と結ぶノリト型と「~と申す」と結ぶヨゴト型の別のあることを探りだし、高位にあるものが下位にあるものへ祝福を授けるための言葉がノリトすなわち「宣り言」であり、その礼として下位にあるものが高位にあるものを称え服従を誓う言葉がヨゴト(寿詞)であると解した。

 すなわち現今云うところの祝詞は、折口のいわゆるヨゴト(寿詞)の系譜に属する祈願の言葉がたまたま「祝詞」の名をとったものであるということもできる。祝詞の語源・本義に関する右の両説は現在でも容易に決着がつけがたい。


 以上を一般的知識として、更に考究すると、定式化されている「祓詞(はらへの言葉)」、「大祓詞(おおはらへの言葉)」は正しくは「天津系の」と理解されるべきではなかろうか。しかも、原文が別に存在し、現行文は原文の生々しい表記を改竄していると認めるべきではなかろうか。その根拠として、「別文六月晦大祓祝詞(みなづきつごもりのおおはらえののりと」(出典:延喜式卷八「祝詞」)があり、内容を読むに、こちらの方が原文に近いと思われるからである。

 その違いは、天津神の罪、国津神の罪を列挙している下りが顕著で、通説「天津系大祓詞(おおはらへの言葉)」では削除されている。れんだいこは、徒に原文改訂は良くないと考え復活させることにした。両者の罪の違いが却って興味深い。更に、後半の下りでも記述が違う。れんだいこは、別文の方を採った。別文では末尾に「四国(よくに)の卜部」が登場している。これをどう読み解くべきか。何か重要なヒントが隠されているように思われる。

 そういう訳で、「れんだいこ文・天津系祓詞(はらへの言葉)」として定式化させる。天津系としたのは、出雲系の天津系祓詞(はらへの言葉)が別に存在すると考えるからである。但し、こちらは秘されていると思われその限りで不明である。出雲国造奏上文があるが、それは出雲系の天津系祓詞(はらへの言葉)とは又別文であろう。

【祝詞の内容考】
 大祓詞(おおはらえのことば)は、遠く平安の更なる昔から、毎年6月30日と12月31日の夕刻、宮中をはじめ、全国の神社でおこなわれる神道祭祀行事の大祓式の際に唱えられるお祓い祝詞中の最重要な祝詞である。送り仮名として使われている漢字は万葉仮名で、約900字の漢字で成り立っている。祓物(はらえつもの)を出して、祓戸の神の神威によって罪穢を解除(げじょ)する儀式であり、半年毎に恒例のものとしておこなわれるので「二季の祓」と称する。「中臣祓詞」(なかとみのはらえことば)、略して「中臣祓」、「中臣祭文」(なかとみさいもん)とも云う。

 内容から大きく前段と中段と後段の三つに分けられる。前段は、大祓に参集した皇族・百官に対して「祝詞をよく聞け」という内容の文言が記されている。これは当初の大祓詞が参集者に対して宣り聞かせるものであったことの名残であり、今日の神社本庁の大祓詞ではこの部分が省略されている。

 次に、中段に入る。天孫族系の高天原王朝が国津族系の葦原中国平定を目指して天孫降臨し、天孫族が日本を治めることになるまでの日本神話の内容が語られている。この過程で双方が犯した罪の内容を「天つ罪・国つ罪」として列挙している。罪の内容については、今日の「罪」の観念にあわないものが多く、差別的ととられかねないものもあることから、神社本庁の大祓詞では罪名の列挙を省略して単に「天津罪・国津罪」とだけ言い換えられている。

 後段で、天津神系、国津神系の手打ちによる、「祓い清めによる罪、穢れ落し」を重要な理として、「新たな国の始まりの誓い」により日本の国体が始まったことが明らかにされ、これを国是とするよう詠われている。

 9.3.5日、2010.1.13日再編集 れんだいこ拝

 701(大宝元)年、大宝律令の神祗会に「凡そ六月(みなつき)、十二月晦日(しはすつもごり)の大祓は東西(大和、河内)の文部祓刀を上(たてまつ)り、祓詞を読む。百官男女を祓所に聚集し、中臣祓詞を宜り、卜部解除(うらべはらへ)を為す」と記されている。907年の延喜格には、この時「御麻(みあさ)」、「荒世(あらよ)、和世(にごよ)」、「壷(つぼ)」等の「御贖(みあが)」の儀式が行われ、その時、宜陽殿の南頭に於いて奏せられる宣命が大祓祝詞である、と言われている。
荒世(あらよ) 六月祓の時、御贖(あが)物のために神祗官から奉るあらたえの衣。
和(にご)世(よ) 六月及び十二月のみそかに行われる宮廷の儀式に、天皇の身長を量る竹。または節折の贖物として奉る服、すなわち和妙(にごたえ)の称。
あがもの 罪をあがなう料として祓(はらひ)の時に供えるもの。
節(よ)折(おり) 昔、宮中で六月・十二月のみそかに、荒節・和節の竹の枝をもって、天皇・皇后・皇太子の丈の寸法を量って行う祓(はらひ)。
集侍はれる 「此処に参集になられた」の意。
親王(みこ) 大宝令で、天皇の兄弟・姉妹及び皇子・皇女の称号。明治憲法では、皇子以下皇玄孫までの男子の称号。諸王(おほきみ)とは親王以外の皇族(九条家本延喜式)の意。
百官(もものつかさ) 多勢の官職にある人の意。
比礼(ひれ) 比礼とは霊顯とも書きます。霊である言霊が眼で見て顯われるようにしたもの、の意で、神代文字、麻邇名(まにな)の事。
挂(か)く 掲げるの意。
比礼挂くる 五十音言霊図、または言霊原理によって世間の生産物、文化を検討するの意。
手襁挂(たすき) 手襁とはまた手次(たすき)とも書き、古代手の指を次々に折ったり、伸ばしたりして数を数えること。伊勢五十鈴宮は五十音言霊をお祭りする宮であり、奈良の石上(五十神(いそのかみ))神宮は五十の言霊を操作・活用する五十の手法を祭る宮であります。その石上神宮に昔から伝わる「一二三四五六七八九十と数えて、これに玉を結べ」という言葉がある。五十音の言霊の動きを数で示す時、この数を数霊(かずたま)と呼ぶ。この数による動き方を手の指の動きで示すことを手襁(たすき)(手次)と言った。
手襁挂(たすきか)くる伴男 比礼挂くる伴男が、各地で生産されて来る諸文化を、五十音図に照らしてその実相を明らかにしたものを、次にどの様に摂取し、社会一般の福祉にどうしたら役立たせることが出来るか、の言霊原理の活用によって、即ち手の指を折り伸ばしすることによって見定め、決定する役職が手襁挂くる伴男である。
靭(ゆき) 矢を入れて背負う道具。
靭負ふ伴男 矢を背負う伴男
劔(たち) 武器としての太刀
剱(たち)佩(は)く伴男
神漏(かむ)ろ 神室(かむろ)即ち神の家の意です。家(いえ)は五重(いえ)で五階層の重畳を意味している。
天照大御神 」この豊葦原の水穂の国は、汝(いまし)の知らさむ国なりとことよさしたまふ。かれ命のまにまに天降(あも)りますべし。」また「ここに脊肉の韓(から)国を笠沙之前(かささのみさき)に求(ま)ぎ通りて詔りたまはく、此地(ここ)は朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり、かれ此地ぞ甚(い)と吉(よ)き地と詔りたまひて、底津石根に宮柱太しり、高天原に氷木高しりてましましき」。
巌の 「清浄な」または「おごそかで権威のある」の意。
千別き 「道(ち)別き」の意で、利害、真偽、美醜、善悪または当・不当をはっきり区別すること。
巌の千別きに千別きて 出雲八重垣(古事記)の原理で治められている世の中に、天の八重雲の生命本来の調和をもたらす統治の方法を投入して、その善悪・当否を次々と立て別けて行く事。
倭(やまと) 「大和」とも書きます。平和で合理的な調和がとれている、の意。
日高見 日は霊(ひ)で言霊または言霊原理のこと。「高見」は国家の政治の原理として高く掲げるの意。
布斗麻邇即ち五十音言霊の原理という事。
敷き 磯城(しき)(五十城)の意で五十音言霊の事を裏意味している。
千木(ちぎ)  伊勢神宮の本殿の屋根の棟に鰹木(かつおぎ)(内宮は十本、外宮は九本)が棟に対して直角に並びます。そしてその棟の両端にそれぞれ二本の木が立ち上がっている。 内宮は内削(そ)ぎ、外宮は外削ぎ。これを千木(ちぎ)と呼ぶ。千木は道木(ちぎ)の意であり、道理の気とも受取られる。鰹木は数(かず)招(お)ぎの意。両端の千木の道理の気が動くと、その間の鰹木で示された数の根源の智性である父韻が活動して現象子音を生み出す。また千木は「契(ちぎ)り」の意でもある。両端の千木が父韻によって結ばれて現象子音を生む。
天の御蔭、日の御蔭 「天の御蔭」は言霊、「日の御蔭」は数霊(かずたま)と考えるとよく理解できる。五十音言霊は伊勢五十鈴宮にお祭りしてある。その五十音言霊を操作する方法五十は、奈良の石上(五十神(いそのかみ))神宮の数霊の作用を示す「日文(一二三(ひふみ))」として祭られている。
天津宮事以ちて 天津はこの場合政治と司る朝廷の、の意でありましょう。宮事の宮とは霊屋(みや)の意。
大中臣(なかとみ) 大中臣とは天皇と役人・民衆の中間にあって、天皇の司る大祓の儀の代行者として取り仕切る人、今の行政府の総理大臣に当る役の事。
天津菅麻(すがそ) 菅麻とは「すがすがしい衣」の意で、生まれたばかりの赤ちゃんの心の衣(も)の事。
天津金木
千座(ちくら) 道の倉の意。
八針に取辟きて
天津祝詞の大祝詞事を宣れ

【罪の発生と罪の種類】
つ罪 畔(あ)放(はな)ち 田のあぜをこわす罪。
溝(みぞ)埋(う)め 田に水を流す溝を埋める罪。
樋(ひ)放ち 田に水を送る竹や木の管(戸)をこわす罪。
頻(しき)蒔 穀物の種をまいてある上へ重ねてまいて、成長を妨げる罪。
串刺(くしざ)し 家畜にとがった串をさして殺す罪。
生剥 家畜の皮を生きたまま剥ぐ罪。
逆(さか)剥 家畜の皮を尾の方からさかさまに剥ぐ罪。
屎(くそ)戸 肥料の屎にのろいをかけて、農耕の妨害をする罪。古事記神話に「大嘗(にへ)聞こしめす殿に屎まき散らし」とある。
つ罪 生膚断 人の膚を傷つける罪、但し被害者が生きている場合。
死膚断 人の膚を傷つけて殺す罪。
白人(しらひと) 皮膚の異常に白くなる病気。一説に今の白子の類、とある。通説はない。
胡久美(こくみ) 贅肉(あまじし)の意で「いぼ」または「瘤(こぶ)」の意、と辞書にある。こぶのような皮膚の異常の類。
が母犯す罪 自分の母親と通ずる罪。
己が子犯す罪 自分の娘と通ずる罪。
母と子と犯す罪 一人の女性と通じ、更にその女性の娘と通ずる罪。
子と母と犯す罪 一人の女性と通じ、更にその女性の母親と通ずる罪。
犯す罪 畜類と通ずる罪。
昆虫(はふむし)の 家屋の下部に蛇やむかでのような地をう虫が加える災禍。
高つ神の災 高いところにいる雷神が家屋に落ちて生ずる災禍。
高つ鳥の災 家屋の上部に鷲や鷹のような空を飛ぶ鳥が加える災禍。
畜(けもの)仆(たほ) 牛馬豚等の四足動物を殺し、食用とすること。畜類を殺してその血を取り、悪神を祭って憎む相手をのろう呪術を行う罪。
蟲物(まじもの)せる罪 蠱(まじ)とは辞書に「あやしい術で人を呪い害を加えること。まじなって人を病ましめ、苦しめ、死なせること」とある。一般に「まじない」の事。

 宮中や各神社で唱えられる大祓祝詞(おおはらいのりと)について、「祝詞(のりと)、上代神に対して宣(の)り申す言葉。古代独特の文章で、延喜(九〇〇年)式、巻八に収められている二十六編をその代表作とする。近世以降は神式の葬儀霊祭にも用いられる」とある。現代人が理解し難い文字や言葉が数多くあることと、その内容も含意を基調にしているので、どういう意味なのかにつき正確には分からない。大嘗祭の形式所作や祝詞の言葉の意味を知らずにただ厳かに誦唱されている。これを解明するには言霊布斗麻邇の言霊学の力を借りる必要がある。それによって大祓祝詞の意味、意義が明らかになる。

 言霊学の師、小笠原孝次氏はその一生を言霊布斗麻邇の復活の仕事に捧げ、昭和四十四年、言霊学解説の最初の書「古事記解義言霊百神」を世に出した。次いで復活された言霊学を基礎に昭和四十五年、「大祓祝詞解義」(改訂再版)を刊行した。大祓祝詞の全内容を解明し尽くした名文章である。これを下敷きにする。国籍はカナダ人のジョン・スターバックが小笠原孝次氏の下へ足繁く通い、昭和四十四年、「古事記解義言霊百神」の完全英訳本「KOTOTAMA(THE WORD SOUL) THE PRINCIPLES OF HUNDRED DEITIES OF THE KOJIKI」(昭和四十八年刊)を刊行している。

 大祓祝詞は全文が天津日嗣天皇(スメラミコト)の人類文明創造とそのための政治について述べている。所謂神代の時代、言霊学的に見れば、人類の第一精神文明時代に於いては、政治は人間の精神とは何かを深く洞察した言霊原理による道徳の政治であつた。

 この祝詞が何時頃制定されたのかにつき正式な記録はない。竹内文献、阿部文献によると、神武天皇に始まる神倭皇朝の前、鵜草葺不合(うがやふきあえず)皇朝第38代天津太祝詞子(ふとのりとご)天皇がこの祝詞を制定したと伝えられている。その時は何時か。神武天皇即位より遡ること約千年と推定される。その後、鵜草葦不合朝より神倭皇朝に替わってからもこの祝詞は使用され、最後に690年頃、柿本人麻呂による修辞によって今日見られるような美文となったと伝えられている。






(私論.私見)