わたしの出身は岩手県です。ときおり里帰りの際に地元の名所を車でめぐってみたりなどします。数年前、民話で有名な遠野をおとずれ、その地域の名山である早池峰(はやちね)山をたずねました。早池峰山は宮澤賢治もよく登った名山です。それなりの装備がないと山頂までは登れませんので、ふもと近くの早池峰神社にたちよってみました。早池峰神社の祭神は「瀬織津姫(せおりつひめ)」と言います。この神様は不思議なことに『古事記』にも『日本書紀』にもその名前が掲載されていないのです。日本の神様はだいたい『古事記』に登場しているのが普通ですから、これはとても珍しいことです。ネットで調べたところ、瀬織津姫は「大祓詞(おおはらえのことば)」という祝詞の文句の中に登場する神様だということがわかりました。
「大祓詞」という祝詞の本文は、岩波書店の『日本古典文学大系』などにも載っていますが、ネット上でも読むことができます(ウィキペディア→http://ja.wikisource.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A5%93%E8%A9%9E)。瀬織津姫の名前は、後半の「遺る罪は在らじと祓へ給ひ清め給ふ事を 高山の末低山の末より佐久那太理に落ち多岐つ 早川の瀬に坐す瀬織津比売と言ふ神 大海原に持出でなむ」という部分に出てきます(「比売」は「姫」の万葉仮名的表記)。
「大祓詞」の内容をごく簡単にまとめると、「神々が、世の中にある罪や穢れを、遠く山の上まで行って集めてきて、川の流れに流してやると、瀬織津姫が大海原の底にいる神様にまでリレーのバトンのように渡していって根の国(あの世、黄泉の国)に送りかえしてくれますよ。罪や穢れがなくなってこの世が清くなりますよ。」という意味になります。つまり、瀬織津姫は日本の神道の「お祓い」や「祓え」の考え方をつかさどる重要な役割を果たす女神なのです。「大祓詞」は現在でも重要な祝詞と考えられています。日本全国の神社で六月と十二月の晦日に「大祓(おおはらえ)」という儀式が行なわれますが、その際に唱えられています。
わたしはこの瀬織津姫という女神様に興味を持ったので、その後文献にあたりながら調べてみることにしました。「大祓詞」の内容である、悪い物を川の流れに流してしまうという行為は、古くから『古事記』の「イザナギの黄泉がえり」の部分にあたると考えられてきました。これは「禊祓(みそぎはらえ)」の起源とされています。この内容も簡単に振り返っておきましょう。
『古事記』では、イザナギとイザナミという男女の神が結婚して日本列島の島々や風の神や木の神など、たくさんの自然物の由来となる神々を産み落とします。ところが、最後に火の神を産み落とすことによって妻のイザナミは死んでしまうわけです。イザナギは妻に会いたい思いが募ってあの世である黄泉の国に追いかけていきます。イザナミが見ないでくださいというのを無理に見てしまったために、イザナギはイザナミの腐乱した屍体の姿を見てしまいます(このあたりはギリシャ神話のオルフェウスの話に似ています)。イザナギが恐れて逃げるとイザナミは恥をかかされたと言って追いかけてきます。イザナミは「恥をかかされたから、生きている人間を一日に千人殺してやる!」と言います。それに対しイザナギは「おまえがそう言うのならオレは一日に千五百の産屋を建てよう!」と返答します。
イザナギは黄泉からほうほうのていで戻りますが、その時、「たいへん汚い国に行ってきたから体を洗おう(「吾は御身の禊ぎ為む」)」と言い、「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」というところで体を洗います。このとき洗い流された黄泉の国の穢れから神様が生まれてきます。その名を「八十禍津日神(やそまがつひのかみ)」と言います。瀬織津姫と、この八十禍津日神とは早くから同じ神だと考えられていたようです。江戸時代に『古事記』を研究した学者の本居宣長も『古事記伝』という本で、この二人の神様を同一の神としています。以下にその部分を引用します。
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於是詔之、「上瀬者瀬速。下瀬者瀬弱」。而、初於中瀬随迦豆伎而。
(ここに於いて次のように詔(の)る。「上(かみ)つ瀬は瀬速し、下(しも)つ瀬は瀬弱し」。而して、初めて中つ瀬におりかづきて)
滌時、所成坐神名、八十禍津日神(訓禍云摩賀、下效此)。次大禍津日神。此二神者、所到其穢繁國之時因汚垢而所成神之者也。
(そそぎ給う時に、成りませる神の名は、やそ禍(まが)つ日の神。次におおまがつ日の神。このふた神(ばしら)は、。かのきたなき繁き国に到りましし時の汚れ垢に因りて成りませる神の者なり)
○随ノ字は降の誤リなるべし。(中略)中瀬爾淤理(ナカツセニオリ)と訓べし。書紀他田(ヲサダ)ノ宮の巻に、下ニ泊瀬中流-(オリヰテハツセノカハナカニ)などあるさまなり。大祓ノ詞に所謂(いわゆる)瀬織津比咩(セオリツヒメ)は比(コ)の故事(フルコト)もて称(タゝヘ)たる御名にて、瀬降(セオリ)の意なり。【今此(コゝ)に大神の、穢を滌ぎ去(ステ)たまはむとして、瀬に降(オ)りたまふと、彼ノ神の大海原爾持出奈武とあると、全く同意なるを思ふべし。猶よりどころあり。次の禍津日ノ神の處に云り。引合せ見よ。】
○八十禍津日ノ神(ヤソマガツビノカミ)、大禍津日神(オオマガツビノカミ)。禍(マガ)のことは次に云べし。津(ツ)は助辞、日(ビ)は濁る例にて【借字なることはさらなり。】次の直毘(ナオビ)の毘(ビ)も同じ。此ノ辞の意は、産巣日(ムスビ)ノ神の下【傳三の十三葉】に云り。八十(ヤソ)は禍(マガ)の多きを云ヒ、大(オオ)は甚(ハナハタ)しきを云にや。書紀には大禍津日は無し。又の一書に大綾津日(オオアヤツビ)ノ神あり。【三代実録三十五に、下野ノ國綾津比ノ神。】阿夜(アヤ)と麻賀(マガ)と同き由前(まへ)に云り。【傳五の三十四葉】遠ッ飛鳥ノ宮ノ段に、八十禍津日ノ前と云地ノ名あり。【倭姫ノ命ノ世記に、荒祭ノ宮一座、皇大神の荒魂(アラミタマ)、伊邪那伎ノ大神の所生(ウミマセル)神、名ハ八十枉津日ノ神也、一(マタ)ノ名ハ瀬織津比咩(セオリツヒメ)ノ神是れ也と云り。此書は偽書なれども、此神を皇大神の荒魂と云こと由あり。下に云べし。これらは古傳説ありてや云つらむ。また瀬織津比咩は此神の亦ノ名といへると、右にいへる考へと、引合わせて見べし。】さて世(ヨ)ノ間(ナカ)にあらゆる凶悪事邪曲事(アシキコトヨコサマナルコト)などは、みな元(モト)は此ノ禍津日ノ神の御霊(ミタマ)より起(オコ)るなり。其由は下に委く云べし。
(中略)
○因ノ字は、所到の上にある意に看(ミ)て、時之汚垢(トキノケガレ)とつゞけて心得べし。【此方の漢文章には、かゝることつねに多し。】文のまゝに看(ミ)ては、いたくことたがへり。さて此(コゝ)の文(コトバ)をよく思ふべし。世ノ中の諸の禍害(マガコト)をなしたまふ禍津日ノ神は、もはら此ノ夜見ノ國の穢より成坐るぞかし。あなかしこ\/。(本居宣長『古事記伝』「六之巻 神代四之巻(御身滌の段)」「\/」は昔の繰り返しの記号)
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つまり、本居宣長は八十禍津日神は黄泉の国からけがれを運んできて災いを起こす神様だから、邪神であり、おそるべきである(「あなかしこかしこ」)と言っているわけです。同じ神が、一方で善神の瀬織津姫と呼ばれ、他方で邪神の八十禍津日神と呼ばれる。こんな矛盾したことがあるでしょうか?
もちろんこのような両義性をもった神は世界中の神話にあらわれますし、文化人類学が対象とするものです。しかし、日本の神話上における「瀬織津姫/八十禍津日神の両義性」の分析がなされているという話は、寡聞ながら聞いたことがありません。また、八十禍津日神はアマテラスの「荒魂(あらみたま)」であるとされています。とうとう瀬織津姫はアマテラスともくっついてしまいました。日本の神様の中で最も中心的な存在であるはずのアマテラスと瀬織津姫が同一であるとはどういうことでしょうか? これについては『中臣祓訓解』(鎌倉時代ごろ)という大祓詞の注釈書に、同様の内容が記載されています。
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瀬織津比咩神 伊弉那尊ノ所化ノ神。名二八十枉日神一是也(ヤソマウツヒノカミト)。天照大神ノ荒魂(アラミサキヲ)號二荒祭ノ宮ト一。除二悪事ヲ一神也。随荒天子ハ焔魔法王所化也。『大祓詞註釈大成 上』「中臣祓訓解」(両部神道の立場から仏教の影響がある)
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本居宣長の独断ではなく、古くから瀬織津姫はアマテラスの荒魂であるという説が唱えられていたようです。どうやら瀬織津姫という神様はとても複雑な性格を持った神様であるようなのです。こういったことが明らかになってくるにつれて、わたしは「こんな不思議な神様がいたのか!」という驚きを隠せませんでした。意外と瀬織津姫を祀っている神社は日本全国に多いのです(瀬織津姫祭祀リスト→http://www5.ocn.ne.jp/~furindo/img/seoritsu_bunpuzu.pdf 遠野の出版社「風林堂」のHPhttp://www5.ocn.ne.jp/~furindo/に掲載されているものです)。
また、身近なところでは、よくわたしたちが食べているお団子。あの串に三つさす御手洗団子のかたちの由来は京都下賀茂神社の御手洗社(瀬織津姫をまつっている)の池の泡がぷくぷく連続して浮かぶ様子からとられたものです。「御手洗」ということが、禊ぎ祓いに関係することは言うまでもありません。このように、わたしたちの生活に身近なところにも瀬織津姫の影響があります。
長くなりましたので、今回は瀬織津姫の紹介にとどめたいと思いますが、どうやら、民俗学者の柳田國男や折口信夫もこの女神の存在に気付き、その重要性を理解していたようなのです。機会があればこういった研究内容もご紹介できればと思います。ことほど左様に、瀬織津姫という神様はたいへん興味深い問題を多くはらんでいる神様なのです。まだまだわたしの瀬織津姫研究は端緒についたばかりですが、これからもじっくり取り組んでいきたいと思います。みなさんもお近くの瀬織津姫を祀った神社を訪ねてみてください。そしてこの不思議な女神の来歴について思いをめぐらせてみてください。きっとこれまでとは全く違う日本の神々の姿が現われてくると思います。そして、それは必ずこれまでとは違う、もう一つの日本の姿を思わせてくれるはずです。
及川 俊哉(おいかわ しゅんや)
1975年岩手県生まれ。現在は福島県在住。2005年、12月23日、は東京駅「銀の鈴」前で突如として「ウルトラ」2代目編集長に任命され、現在に至る。2009年 詩集『ハワイアン弁財天』(思潮社)発表。