2010年7月1日 第1刷発行
日本人としての自覚
前に述べたように一九二九年から一九三二年までまる三年、私はパリに住んだ。そしてなにか非常に大切なものが欠けているように恩いました。それがなんであるかを探そうとして、日本人とはどういう人であるかを調べ始めたのです。
初めは芭蕉とその一門を、それらの人たちの書いたものによって詳しく調べたのですが、私にいかにもふしぎに思われたのは、芭蕉は俳句らしい俳句はふつう一、二句、名人でも十句あるのはまれであるといっていることです。五・七・五のような.短い句型の二つや三つを目標に生涯をかけるということは、私には薄氷の上に重い体重を託するのと同じようにふしぎに思われました。
ともかくそんなふうにして私は芭蕉を調べ、日本民族には民族的情緒の色どりがあることを知ったわけです。これがいまのようになるまでには、少なくとも十万年、長ければ三十万年はかかっているだろうと思います。 日本民族的な情緒の色どり、また個人の情の基調の色どりの二つが一致している人を、私は純粋な日本人と呼ぶことにしています。だから、国籍は日本にあっても純粋な日本人でない人もあれば、国籍が外国にあっても、純粋な日本人といえる場合もあるわけです。 私は芭蕉は純粋な日本人だと思っている。そして芭蕉を詳しく調べることによって、だいたい純粋な日本人のアウトラインを、いわば鉛筆で書くことができたわけです。つまり純粋な日本人とはこういうものであるという、鉛筆で書いたような自覚ができたわけです。
しかし私は、この鉛筆の下書きのような自覚では足りないと思った。それで道元禅師を選んで、だいたいその著書『正法眼蔵』上中下(岩波文庫)、なかんずく「上」から、自分は純粋な日本人であるという自覚を、いわばスミ書きすることができたと思っている、その後、私のしたことは、ざっと歴史に目を走らせ、純粋な日本人はどういう場合にどういう動き方をするかというそのいろいろな行為を印象に残すことで、これができればじゆうぶんだったのです。
自分は純粋な日本人であるという自覚ができていてもいなくても、あまり違わないと思う人が多いかもしれない。しかし実際は徹底的に違うのです。自分は純粋な日本人であるという自覚のできていない人を国内向けに使うと、いちいち他のものを物指しに使わなければならないから、手間ばかりかかって少しもはかどらない。自分は純粋な日本人であるという自覚を持っていれば、すべて自分を物指しにしてはかるから、その点非常にはかどります。
このように、純粋な日本人であっても、自分はそうであるという自覚のできていないものは、国内向きには使いようがないことがわかるでしょう。それでは、国外向きに使ったらどうなるか。外国からなにか大切なものを輸入しようとすると、必ずその国の文化がそれとともにはいってくる。ところが自覚できているものは、そんなものがはいってきても別にどうということはないが、自覚のできていないものは、いつもそちらを向いてよろめいてしまう。
すなわち、外国向きにはなおさら使えないということになる。よろめいた結果、自国をダメだとし、外国をえらいとしてしまう。だから自覚をつけることは絶対に必要なことだと思います。p-166