神概念考 |
更新日/2023(平成31.5.1/栄和5).3.6日
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「神概念考」をものしておく。 2005.7.8日 れんだいこ |
【神の語源について】 |
日本神道上の「神」概念について、自生的に概念化されてきたものと捉えずに、外国由来のものであるとして様々な仮説が打ち出されている。 日本語の「カミ」という語は古い時代に発生した言葉である。語源について、確かなことは誰にもわからない。本居宣長も「カミと申す名の義(こころ)は、いまだ思い得ず。ふるく説けることども、みなあたらず」と述べている。この態度なら穏健である。 巷間、「カミ」という語は韓国の史書の古代史にしばしばみえる「干」と語源的に関連がありそうだとする説がある。三国遺事の駕洛(から)国記に「我刀干・汝刀干・彼刀干・五刀干・留水干・留天干・五天干・神鬼干などの九干がいて、これが酋長となって民をおさめていた」と記されている。ここでは、「干」が酋長を表す語になっている。また、三国史記の新羅本紀にも次のような文がある。「始祖の姓は朴氏である。諱(いみな)は赫居世で、(中略)即位して王号を居世干といった」。この「干」の酋長、王の意味が日本神道の「神」の由来であるとする。 金沢庄三郎は、日鮮同祖論のなかでツングース満州語やモンゴル語で「君」を意味する「カン」(例えば「成吉思汗(ジンギスカン)」)や中国語の「漢(好漢、悪漢など)」と結びつくと説いている。古代朝鮮語で、「尊敬すべき人」という意味であった「干」が、古い時代に日本語に入り、王や君長、酋長などが「カン」と呼ばれ、それらの王や君長などの話が神話化し、伝承化される過程で、天上にあるような身分の高い人の意味から、高天原の「神」などになったのではないかと考えられる云々。 |
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何でもかんでも中国ルーツ、朝鮮ルーツでこじつけようとするのはナンセンスであろう。対抗言論的に云えば、「神」の起源は「頭」(「カミ」)である。沖縄に例えば国頭村(くにがみそん)等々「頭」を「カミ」又は「ガミ」と読ませる地名があるが、これこそ古語用例であろう。 |
(私論.私見)